2010.2.25 鎌倉の万葉学者【仙覚】は誰か・・・、の原稿は書き終わったのですが、また難題が!
一昨年来、『尾州家河内本源氏物語』と全く同じサイズ・装丁の万葉集『西本願寺本万葉集』について調べています。そこで出逢ったのが「仙覚とは誰か」という問題。『西本願寺本万葉集』は今日私たちが読んでいる万葉集の基となっている本で、仙覚はそれを成した人です。それまで万葉集は大方において訓が付けられてはいましたが、全部ではありませんでした。それを仙覚が知って最後の残りの歌全部に訓を付け終わったのです。鎌倉時代の人です。
当初は『西本願寺本万葉集』についての考察ががメインになるはずでした。が、これほど重要な人物なのに、なんだかおかしい・・・。不明部分の来歴が多いんです。それで、俄然、仙覚とは誰か・・・を追求する方に興味がいってしまいました。(これについては1月に【万葉集の歴史の森に分け入りましょう】というシリーズをつくって10回に分けてご紹介しました。)
で、2月に入って本格的に書き出して、一昨日、一応「完」を記すところまでしたんです。最終章を書きあげて、さあ、これで清書をして、編集部宛に投函すれば、ほぼ丸一年、何をしていてもずっと頭の隅から離れなかったこの原稿と、ほんとうに離れられる・・・と、昨日は晴々した心境でした。
なのに・・・。最後の最後になってまた難題が起きてしまいました。それは、『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』そのものについての問題・・・。そもそも『尾州家河内本源氏物語』はほんとうに奥書にあるように「正嘉二年」に「北条実時」が書写したものか・・・
それについての疑義が最近の研究で浮かびあがってきています。2008年の源氏物語千年紀記念の刊行で源氏物語本文についての論文集がいろいろ出ていたんです。私が『西本願寺本万葉集』について書こうと思った時点ではまだ刊行になっていなかったので、知らないでいました。でも、原稿の最後に『西本願寺本万葉集』のまとめとして『尾州家河内本源氏物語』との関係を書くわけですから、念のためにと最近の動向をみたら新しく本文研究の本が出ていました。(源氏物語千年紀の効果ですね!!)
で、今日、まとめてそれらに目を通させていただいていたら、なんと、『尾州家河内本源氏物語』は実時の書写本そのものではなさそう・・・。それについては花押等の問題から私もうすうすそう思っていたのですが、なんと、『尾州家河内本源氏物語』は最初から「河内本」でなく、最初は「青表紙本」の本文だったようなんです。それが訂正されて「河内本」の本文になっているのだと・・・。正嘉二年に実時がじきじきに親行から借りた本を書写したのなら、そんなことになるはずありませんよね。『尾州家河内本源氏物語』は実時の書写ではない????・・・
果たして、そんなことがほんとうにそうなのでしょうか・・・・
だとしたら、『西本願寺本万葉集』との関係はどうなってしまうのでしょう。2月いっぱいという〆切にゆうゆう間に合うと思って呑気にしていましたが、今日、一気に焦ってしまいました。これから『西本願寺本万葉集』が成立したあたりの状況をゆっくりみて、結論を導きだしたいと思います。
今日は、「原稿が終わりました!」って、はしゃいでご報告・・・なんて朝は思っていたのですが、とりとめありませんが、更新もとどこっていることですし、ご報告がてら、「終わりませんでした」の記事を書かせていただきました・・・