2010.2.5 昨日は立春でした・・・、古今集「春立つ日の歌」から万葉集の仙覚へ
昨日は立春でした。一年のうちで一番好きな日です。何かそれらしいお花を撮ってアップしようと思っていたのですが、時間がとれずに今日になってしまいました。写真も撮っていたなかから探して水仙の花を・・・。小さな鼓はお正月の飾り用に売っていた小物です。いたずらに乗せてみたら意外とマッチしてパチリ・・・と。春を寿ぐ写真になりましたでしょ!
立春ということばを思うと頭のなかで「春立つ日に詠みたまいける・・・」みたいな文言が離れなくなって、そしてすぐに「年のうちに春は来にけり・・・」と続きます。歌は特に意識しているわけでないのに、こうして日本人の感性の基層になっているのですね。
ちょうどいい機会なので古今集のこの歌のあたりを見てみました。「巻一 春歌上」です。
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
一. 年のうちに春は来にけりひととせを こぞとやいはんことしとやいはむ
春たちける日よめる 紀貫之
二. 袖ひぢてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん
よみ人しらず
三. 春霞たてるやいづこみよしのの 吉野の山に雪は降りつつ
二条のきさきの春のはじめの御うた 二條のきさき
四. 雪のうちに春は来にけり鴬の こほれる涙いまやとくらん
よみ人しらず
五. 梅がえにきゐる鴬春かけて 啼けどもいまだ雪はふりつつ
万葉集研究の歴史をひもどいていて、歌集の書き方に、題詞を高く書くか、歌を高く書くか・・という流派のような経緯があるそうです。
例えば、
「題詞を高く」の場合は、
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
年のうちに春は来にけりひととせを こぞとやいはんことしとやいはむ となり、
「歌を高く」の場合は、
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
年のうちに春は来にけりひととせを こぞとやいはんことしとやいはむ
となります。
第四代将軍頼経によって最初に万葉集の校定を命じられた源親行の本は「歌を高く」だったそうです。これはその当時の普通の形式で、親行が底本にした万葉集もそうなっていたようです。これはどうも歌が上の場合の方が歌を一行に書き切れるという合理性から普遍的になったようです。
その後、再び頼経の命によって今度は仙覚が万葉集の校定にかかります。いわゆる寛元本です。そのときは親行が成した本を底本にしたので「歌を高く」でした。が、そのとき、仙覚の心のなかにはある思いが湧いていたようです。それは、「万葉集の古い時代にあっては題詞が高いのが正しいのではないか・・・」というものでした。
そして、宗尊親王のもとで再度万葉集の校定にかかったとき、仙覚は「題詞を高く」を採用しました。これが文永二年本、文永三年本です。この問題に言及されている小川靖彦氏はご著書『万葉学史の研究』のなかで、「『万葉集』本来の姿を復元を強く志向する仙覚の万葉学の性格からすると、(中略)、仙覚は題詞の高い体裁こそを『万葉集』本来のものと考えていたのであろう」と書かれています。
古今集の歌を引きながら、話がついつい万葉集にいってしまいました。万葉集で有名な春の歌って何でしたでしょう・・・。春の野にすみれ摘みにし、が思い浮かびますが、これは立春の歌ではないですね・・・
【織田百合子ホームページ】 http://www.odayuriko.com/
★冒頭のブログパーツの動物をクリックしてみて下さい。素敵な「Tord Boontjeワールド」が出現します。rtsgarden.jp/cs/blogparts/detail/091211001227/1.html