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2010.5.21 畠山重忠ゆかりの菅谷館・・・また比企郡へ行ってしまいました!

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驚きました! 木曽義仲が比企郡にいたことがあるなんて・・・

峰岸純夫先生が埼玉県にある嵐山史跡の博物館で講演をされるというので行ってきました。東武東上線の武蔵嵐山駅です。次が終点で小川町という地域です。仙覚の足跡を追ってお正月から通っている東武東上線。岩殿観音のある駅が高坂。比企能員邸跡や吉見御所の駅が東松山市。小川町には仙覚の万葉碑があって・・・といった沿線です。

ご講演のタイトルは「大蔵合戦と大蔵館」・・・、なんとなく耳にしたことはあるもののまったくの無知の領域。どういう展開になるのだろうと漠然と期待はしていたのですが、なんと、ここには源頼朝が鎌倉幕府を築くことになった原点中の原点が隠れていました。

峰岸先生は配られたレジュメの最初に、はじめにとして、「歴史を学び調べる意義、未知なる過去の探索、過去から照射される現在の理解、未来への展望を導き出す」と書かれていますが、まさにそのとおりと思いました! 「12世紀後半の日本社会の変革期に武蔵国比企郡の一角、大蔵館を中心とする合戦が注目を集めた・・・」という、そのお話です。

大蔵館は源義賢の館です。義賢は源為義の子。その兄に義朝がいます。そして義賢の子が木曽義仲・・・。義仲は大蔵館で育ったのでした。驚きでしょ! 義朝の子が頼朝です。つまり(というか、だから)、義仲と頼朝は従兄どうしです。

為義は兄の義朝よりも弟の義賢を可愛がります。その為に義朝は子息の義平と組んで為義・義賢に挑みます。つまり、「源氏内部の父子・兄弟の相克が、秩父・児玉党および武蔵を中心に、関東の武士を巻き込んだ争闘に発展した」のでした。

その結果、「義朝―義平」側が勝ち、「為義―義賢」側が滅亡。頼朝の父義朝の武蔵武士の掌握の成功となるのです。このとき木曽義仲は2歳。木曽に生き延びて木曽義仲となります。ゆくゆく手を組んで平家打倒をめざすことになる頼朝と義仲ですが、その後の展開の義仲の悲劇はすでに比企郡の大蔵合戦のときにはじまっていたのでした。歴史の奥は深いですね!

嵐山史跡の博物館は菅谷館跡という史跡のなかにありました。菅谷館とは畠山重忠の居館があったとされるところ。比企氏の一帯に隣接して畠山氏の勢力地帯があるのは仙覚の足跡を追っているなかでちらほら垣間見えていましたが、まさかこんな間近に足を踏み入れるなんて思っていませんでしたから、なんとなくなんとなく比企郡に呼ばれているような感覚がしないでもありませんでした(笑)

今残る史跡の形状は戦国時代の城跡のようですが、鎌倉時代の重忠の居館もここにあったようという状況です。ぐるりと回ってきましたが、この印象から、比企能員の居館もこんな感じだったのかなあ・・・と想像しました。

そしてこの畠山氏ですが、菅谷館跡と慈光寺は地域的に近く、慈光寺は畠山氏の氏寺的存在かと思われているようです。

写真は上から畠山重忠像。本廓跡。堀から本廓を見上げる。土塁の状況。堀の状況。看板・・・。緑の清々しい、とてもいい散策の一日でした。写真はXperiaで撮っています。快晴だし、大きなカメラを持っていくべきか迷ったのですが、ちょっと疲労が溜まっているし・・・ということで、エイッとばかりにXperiaオンリーで試してみることにしました。マニュアル本でお勧めの撮影モードは「シーン認識」とありましたので、もっぱらそうして使っています。

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