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2010.6.13 驚愕! 明恵上人歌集に雅経との贈答歌が・・・明恵上人と鎌倉幕府要人との関係を探るなかで。

20060403212

連載中の小説「花の蹴鞠」は目下『新古今和歌集』成立の時代をめぐって書き進めています。もうじき、同時並行して行われていた『平家物語』の編纂事業について触れ、そして比企の乱を書きます。この乱の年、万葉学者仙覚が生れますが、それも入れて書きます。

が、もっと先に、安達景盛が出家して高野山に入ったあと、明恵上人と親交を結ぶのですが、それを書きたくてこの小説をはじめたようなところがあるにも関わらず、明恵上人についての詳細な年代知識はほとんど皆無。今から補充をはじめなければなりません。

それで、昨日図書館へ行って、岩波文庫の『明恵上人集』(久保田淳・山口明穂 校注)を借りてきました。ここには歌集と夢記と伝記の三本が入っていて便利。伝記は講談社学術文庫でもっていたのですが、こういうのがあったんですね。早速今、アマゾンで発注してしまいました(o^-^o)

で、ざっと目を通したら、いきなり歌集に雅経との交流を示す贈答歌が。びっくりしました。「花の蹴鞠」では主人公の雅経の妻である大江広元の娘が、雅経の死後明恵に帰依して心の平安を得、明恵に看取られて亡くなる・・・、それも景盛と同時並行して書きたかった主題ですが、それが歌集にこういう形で足跡がわかるなんて・・・。歌集の詞書は史料の宝庫です! 他には西園寺公経、九条道家といった方々との交流があり、後鳥羽院がずっと背後にいられます。栂尾を下賜されたのは後鳥羽院なんですね。

書き始めたらまた長くなってしまいそうなので止めますが、雅経との贈答歌を引用しておきます。

   二条宰相雅経、関東へ下向のよしを告げらるとて
 都だに遠しと思ひし山のはに 幾重へだてむ峯の白雲

   返歌
 白雲はいくかさなりもへだつとも おほふ心の通ふべければ

雅経が鎌倉に下向することになった挨拶の際の贈答歌のようです。後鳥羽院に仕えて以降の雅経の下向は未チェックなので、今、慌てて調べてみました。記憶では鴨長明を伴って鎌倉に戻り、実朝に紹介しているんです。それが建暦二年(1211)でした。歌集の次の歌が建保四年(1216)だから、順番的にこのときの下向とみていいでしょうか・・・。だとしたら、明恵上人が栂尾に籠られてからの歌となります。

飛鳥井雅経夫妻は、明恵上人と親交をもち、安達景盛には子息に娘を嫁がせており、後鳥羽院にも愛され、藤原定家とも家族的交流、鎌倉幕府とはもちろん重鎮大江広元が父(雅経には舅)に・・・と、この時代の京・鎌倉両方の文化の驚くべき中枢の役割を担っています。

◆写真は2006年に撮ったもので、井の頭公園の花筏の光景。好きな一枚です。明恵上人ゆかりの高山寺に行ったのはもう遠い昔で、撮影はフィルム時代。ネガを探しだすのは大変なので、なんとなく明恵上人に贈らせていただきたくなってこの一枚を思い出して載せました。

◆またまた長くなりますが、明恵上人の歌集をぱらぱらっと拝見した印象で、西行の歌に近い感じが浮かびました。それとは別にあの仏眼仏母像・・・、この世界を語ったらまたきりがありませんが、同じく仏眼仏母像を信仰した慈円も、懐かしく迫ってきました。忘れないためのメモとして記しておきます。

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