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2010.10.31 鎌倉の源氏物語講演→《パワーポイント作成奮戦記》再開10・・・タイトルの変更→【鎌倉で『尾州家河内本源氏物語』ができるまで】に!!

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今日で10月も終わり・・・、いよいよ11月! 講演の日が迫ってきている実感で緊張感が持続してきました。で、何があるかわからないから早めに当日配布させていただく資料を作っておこうとはじめています。

パワーポイントの詰めはその後にと思っていたのですが、ここにきて「河内本源氏物語」から『尾州家河内本源氏物語』に比重が移ってきているので、おのずとタイトルの変更が浮かびあがりました。【鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで】から【鎌倉で『尾州家河内本源氏物語』ができるまで】へです。

なので、内容もおのずと三部構成になりますね。一部は紫式部、二部は源光行、三部は宗尊親王・・・、主人公でいうとこんな感じになります。

写真は2008年の源氏物語千年紀に、京都の考古資料館で展示されていた道長関係の考古遺物「法成寺の緑釉瓦」です。わくわくする展示でした!!

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2010.10.31 ツイッターから・・・光明皇后1250年御遠忌記念「東大寺音舞台」の放映

kojomrmt    【RT希望】10月9日に大仏殿の前で行われた光明皇后1250年御遠忌記念「東大寺音舞台」は、11月3日(祝)の午前9時55分から10時50分までMBS・TBS系全国ネットで放送されます。是非ご覧下さい。 http://bit.ly/9wJWZx

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2010.10.30 ほんとうに台風が来そうなので、晴れた朝の奈良公園の写真を再び???・・・

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2005年の朝の奈良公園。この写真はまだ公開していなかったので、ちょうどいいのでアップしています。鹿さんたちがのどかにくつろいで、日中の観光地化した境内で見るのと違うでしょ!

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2010.10.29 第20回平安京・京都研究集会【山田邦和著『京都都市史の研究』を読む】のご案内

仁木 宏様からのメールを転載させていただきます。

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 平安京・京都研究集会では、「検証 考古学が明らかにした古代・中世の京都像」の第2回目として、山田邦和著『京都都市史の研究』(吉川弘文館、2009年)をとりあげます。
  http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b35005.html

 同書で山田氏は、平安京成立期から戦国時代にいたる多彩な都市構造をとりあげ、巨視的に、また遺構論から京都の特性を解明しておられます。とりわけ「巨大都市複合体(コンプレックス)」の提案は多くの注目をあつめているところです。

 本集会では、考古学、文献史学の立場から本書を検証し、その成果と課題をうきぼりにしたいと考えています。単なる「書評」の枠を越え、山田氏が目指す学際的な京都都市研究の方法論について議論します。

  日時:2010年11月7日(日) 13:30~17:00

  会場:機関紙会館 5F大会議室
      京都市上京区新町通丸太町上ル東側。日本史研究会事務所の建物
               市バス「府庁前」バス停すぐ。
    地下鉄「丸太町」駅下車、2番出口より西へ、2筋目を北へ。徒歩6分
    http://homepage2.nifty.com/kikanshi-keiji/kaizyou.html

■報告(評者);
山本雅和氏((財)京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学)
   「『京都都市史の研究』と京都の遺跡」
仁木 宏氏(大阪市立大学、日本中世史)
   「京都都市史研究のなかの山田邦和氏 ―学際的研究のめざすもの―」
コメント;高橋昌明氏 (神戸大学(名誉教授)、日本中世史)

コーディネート;仁木 宏氏
   *著者・山田邦和氏(同志社女子大学)も参加されます。
   *山田さんの著書をお読みいただいてから参加いただくのが望ましいですが、お読みでない方にも十分理解いただけるように配慮します。
   *事前の申込不要。一般来聴歓迎。
   *当日、資料代をいただきます。

主催  平安京・京都研究集会

集会案内のHP http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/niki/kenkyu/staff.html

後援  日本史研究会

問合先  平安京・京都研究集会事務局(山田方) 090-9697-8052

*以前の御案内では、第2回として堀内明博著『日本古代都市史研究』をとりあげるとしていましたが、諸般の都合で変更しました。御寛恕ください。

◆平安京・京都研究会 今後の予定
  ・2011年4月24日(日) 書評;仁木 宏『京都の都市共同体と権力』
     評者:久留島典子氏、河内将芳氏など
  ・2011年夏 「信長の京都」 -河内将芳『信長見た戦国京都』をめぐって-
  ・2011年秋 「上賀茂神社と社家町」 ―現地見学とシンポジウム―

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2010.10.29 ツイッターから・・・2012年の大河ドラマ「平清盛」情報

ツイッターでこういう記事が紹介されていました。2012年の大河ドラマ「平清盛」の概要です!!

http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/55763.html#all

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2010.10.29 台風がきそうな空なので、晴れた奈良の写真を・・・

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2005年に正倉院展にいったときのものです。今年の奈良は遷都1300年祭の記念行事で盛り上がっていますね。ツイッターでも逐次そのようすがご報告されています。平城京の大極殿も復元されて・・・。
http://www.1300.jp/about/index.html

東大寺では光明皇后1250年御遠忌の法要が執り行われてそれは盛んでした。当時の奈良彷彿のその行事・・・、例年なら行っていたかもしれませんが、今年は鎌倉の講演を控えているのでツイッターで拝読しながら遠く思いやっています。奈良時代の蹴鞠・・・というのも催されたんですよ! 近々ダライ・ラマ法王の講演もあるそうです。東京国立博物館でも記念展が開催されています。
http://todaiji2010.jp/(光明皇后1250年御遠忌記念 特別展「東大寺大仏—天平の至宝—」)

と、最近記事を書くゆとりもなく寂しいブログになりつつあるので、じゃあ、明るい写真だけでも載せましょうと、以前行ったときの写真を出したら、やはり思いは膨らんで、奈良に浸ってしまいました。

追記:そうそう、大変なことを書き忘れてました! 東大寺大仏殿(金堂)の鎮壇具の大刀が実は行方がわからなかった正倉院宝物だったというニュース!!! 6本のうちの2本がそうだったのです。詳細は、http://todaiji2010.jp/の下の方の「スペシャルブログ最新記事」をご覧になってください。

追記:ツイッターより
kojomrmt    【RT希望】11月8日に東大寺大仏殿で行われるダライ・ラマ法王の講演会。 http://bit.ly/cnp3PL 受講券はチケットぴあで発売中。電話は 0570-02-9999 ネットは http://bit.ly/bc73kl (Pコード:618-309)

kojomrmt    【追加募集】ダライ・ラマ法王の講演会は、大仏殿とは別に宗教者向けの法話会『これからの宗教者のあり方』も行われます。こちらは境内の金鐘会館にて、同日11月8日の10時から。お申し込みは http://bit.ly/cnp3PL 内の申込フォームよりどうぞ

kojomrmt    【RT希望】ダライ・ラマ法王講演のチケット料金は、実施に必要な経費を賄うためのもので、利益目的としたチャージは一切加算されていません。万一利益が出た場合は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所を通じ、チベット並びにチベット文化への理解促進のための活動に充てていただきす。

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2010.10.25 ツイッターから転載・・・鎌倉の講演「写真でたどる『源氏物語』の歴史」のためのパワーポイントの編集に集中する決意!!

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写真は白河院寵愛の待賢門院璋子の法金剛院の池。白河院と璋子による『源氏物語』傾倒こそが源光行の「河内本源氏物語」へのそもそものはじまり、といって過言ではない気がします。

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odayuriko    今日決断した。身辺整理に入ること! 連載中の「花の蹴鞠」の執筆も中断。新年明けからに。23日の満月で心が一新したら、凄く自然に決断が浮かんだ。鎌倉の『源氏物語』の講演準備に入る。集中してパワーポイントの作成をする。心ある内容にするための没頭。そのために余分なものを捨てる・・・

odayuriko    鎌倉の『源氏物語』については2004年からかかっている。少しずつ一つずつ歴史の闇が解明されて、つい最近全貌が見えてきた。講演の内容については不安はない。ただ事実を列挙するだけでは伝達だけで終わってしまう。何故こうも人々が『源氏物語』に没頭し継承したか、そこをどう訴えればいいのか。

odayuriko    私は『源氏物語』は苦悩の文学と思う。光源氏は亡き母を求めて彷徨う。亡き母に酷似とされる美しい女性藤壺。彼女を得ても光源氏が満たされることはない。それは母そのものでないから。その苦悩は紫式部自身のものなのだ。彼女も幼くして母を亡くしている。人は失ったものを取り戻そうとしてあがく。

odayuriko    喪失は深い穴・・・。そして心に湧いた喪失はブラックホールのように無限。『源氏物語』の根底にある無限に深い穴が人を引き寄せる。私はそれこそが『源氏物語』の魅力と思う。そうでなくて鎌倉時代以降えんえんと源光行や宗尊親王らそうそうたる男たちが嵌まる訳がない。白河院しかり・・・

odayuriko    私の講演は白河院の国宝「源氏物語絵巻」制作から入る。白河院は二十歳まで天皇になれなかった。若くして即位する時代での二十歳。即位できない絶望感で光源氏に我が身を投影し、絵巻を制作する。それがご落胤とされる清盛の平氏の王朝文化に繋がり、光行はその配下で源氏物語に親しんで育ったのだ。

odayuriko    光行が鎌倉で「河内本源氏物語」の校訂をはじめたのも、源平の争乱で運命を狂わされて鎌倉に下向したから。京で平穏に暮らしていたら校訂には至らなかっただろう。人生の中で失ったものが大きいほど、その穴を埋めるべく憧憬は大きくなり、結果として残る文化も大きい。「河内本源氏物語」はその産物。

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なんだか心機一転、心がとても晴々しています。この澄んだ境地で何もかも捨てて、一カ月後に迫った鎌倉の講演【紅葉賀】に向けてのパワーポイントの編集にかかりたいと思いました。

編集、というか、写真選びはだいたい終わっています。ただ、それは時代順に並べただけ。そこにどう心を吹き込むか・・・、それを充実させるには時間が必要と思って、一切を断って編集に専念する覚悟です!!

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2010.10.23 今夜の満月・・・新しいデジカメで撮ってみました!→ その後、空はびっしりとした石垣状雲に埋め尽くされました→追記25日夜、スマトラ南部M7.5が発生しました。

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一枚目はデジタルズームという最大のアップで撮ったもの。科学雑誌で見るようには撮れますが、これだと満月という皓皓と輝く神秘さに欠けますね・・・

下は通常のズーム。実は今日、鎌倉にでかけていて、今日は満月だわ、帰ったらゆっくり撮ろう・・・と、鎌倉の夜空に雲ひとつなく綺麗に満月が浮かんでいるのを見て思いつつ帰ったのです。

が、地元の駅を降りたら、東に昇っている満月は雲ひとつないものの、西から?広大な雲が寄せてきているではないですか・・・。これは、家につくまでに雲がかかる、との危機感を覚えて、その場でカメラを取り出して撮ったんです。それが上の二枚。

案の定、撮っているあいだに雲が届いて、みるみるかかって、下の二枚のような状態に・・・。家についたときには全天びっしりとした石垣状雲に覆われてしまっていました。自然を相手の撮影は油断なりません。

滅多にない緻密な広域石垣状雲。あまりの凄さに、深夜、ちょっと怖いとは思いましたが撮りにでました。これがその写真です。あんなに雲ひとつなかったのに・・・

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追記10月25日:
上の写真の滅多にない広域緻密な石垣状雲。最初に発見したときは思わずぞっとしました。これは大変な地震になると・・・

【10月25日23時42分頃 インドネシア付近(スマトラ南部) M7.5】が発生しました。写真の雲と直接関係あるかはわかりませんが、異常さにおいて対応していると見ています。というのは、この写真でも見ていただけますが、低空がなんとなく明るく透明な水色がかっていますでしょ。この「低空が澄んだ水色の夜空」はほぼ確実に、たいてい翌日くらいのスパンで、経験則では海外ですが、M7規模以上の地震の発生をみます。

深夜にもかかわらず撮りにでて撮ったのが上の写真。それくらい尋常ではなかったと解釈してください。撮りに行くしかないと決意させたときの自宅で撮った写真をアップさせていただきます。低空がなんとなくなんとなく澄んだ水色になって見えます。

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それにしても、地震予知の分野では、「満月トリガー」「新月トリガー」といって、満月・新月のときに大きな地震が発生するといって、警戒します。今回もやはりそうなってしまいました。テレビで確認したわけでないので被害がでているかどうかわかりませんが、津波警報は解除されたようです。

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2010.10.22 ツイッターから転載・・・俊成卿女に関してのつぶやき

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昨日、孔雀のリースの写真を載せたから、今度は孔雀の写真を探してみました。ずっと以前に多摩動物園で撮りました。

歌誌『月光』に連載中の「花の蹴鞠」第9回の締切が迫っていて書かなければならないのですが、鎌倉の講演が近づいていて、ご挨拶やご報告のお便り等、しなければならないことがいっぱいで、順次こなしていても、頭のなかは次にすることを考え、一件終わってもまた次の・・・といった状態。なかなか「花の蹴鞠」バージョンに思考が集中しません。

そんな中、少しずつ資料にあたる時間をとるようにして、やっと、「ああ、目を通した!」といえるくらいな読みができました。それをツイッターにつぶやきましたので、転載します。

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odayuriko 岩波書店『文学』の特集「定家『明月記』を読む」(1995秋)を見ている。発売当時も読んで熱く浸った。今回は「花の蹴鞠」第9回を書くにあたり参考にと目を通したら、なんと巻頭の翻刻・翻訳されている『明月記』が建仁二年七月。第9回は建仁元年の式子内親王、二年の俊成卿女初出仕を書く予定。

odayuriko 建仁二年七月十三日、俊成卿女は初めて院に参るために定家に送られて高倉殿に行く。彼女の出仕はすべてかつての舅通親と夫通具の采配だった。通具には離縁されたように言われているが、これを読む限り二人はまだ心が通じ合っている。二人で歌合をするほど仲のいい夫婦だった。その線で書き進めたい。

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俊成卿女は離縁された不運な女性といった見方をされていて、華やかな女流に混じって暗い印象ですが、御子左家の育ち、定家の姪ですもの、そんじょそこらの女流とは違います。のちの『徒然草』の美徳に通じる奥ゆかしさと矜持の持ち主・・・

俊成の娘といわれますが、実は俊成の娘の子ですから孫。母の八条院三条は定家と同腹です。父が鹿ケ谷事件に連座してと離婚。八条院三条が実家に戻ったために俊成卿女は俊成夫妻に可愛がられて育った・・・という経緯です。定家も「この人のことは亡母が特に鐘愛していたので、あれこれにつけて放ってはおけない」と書いています。

定家よりも9歳ほど年下で、なので定家にとっては妹同然。当然、定家の歌の修業も身近に接して見ているわけで、『源氏物語』をはじめとする文学的教養は尋常ではありません。あまりメインに書かれたことのない女性ですが、「花の蹴鞠」で彼女の深い魅力を書き切れたらなあ・・・と思っています。

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2010.10.20 10月も終盤。もうすぐクリスマスですね???・・・孔雀の羽根のクリスマスリース!!

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孔雀の羽根って、どうしてこんなに美しいのでしょう・・・

これは一昨年の冬にみつけた孔雀の羽根のクリスマスリース。ちょっとお値段が張りましたが迷わず買ってしまいました! で、“孔雀のいる庭”の家として、象徴的に、玄関に飾っています。一年中・・・(*^-^)

ツイッターってふしぎです。鈴木知子さんというフォトグラファーの方のブログを時々拝見していたのですが、その鈴木さんがツイッターにRTで登場されて、すぐにフォローさせていただきました。

そのブログ【すずちゃんのカメラ!かめら!camera!】では、「1日1枚 365枚 のポストカードを贈ります」のコンセプトで、ほんとうに一日一枚、素敵な写真がアップされます。それが凄い! と、私などは固唾をのんで拝見させていただいています。
http://suzucamera.exblog.jp/14828878/

というのも、私は父がカメラマンだったから、生まれたときから写真やカメラに浸って育っています。写大に行っても、「さあ、これから写真をやるんだ!!」と希望に燃えて入学した同級生に混じって、私にはなんの特別な気持ちはありませんでした。

そして、就いた職業が羽田空港のなかのカメラマン。新聞や空港の機関紙に載せる目的の、「あれを撮って来て!」の上司の指令通りのピンポイントの写真をこなせば評価された仕事・・・。VIPの誰々、芸能人の方、飛行機、空港施設の何々、オペレーションセンターの中の・・・

私にとって写真は、生来あまりにふつうに身にしみているので、何のために、何を撮るのか、今もってさっぱりわからない・・・

そんなコンプレックスを超えて、【すずちゃんのカメラ!かめら!camera!】には見入ってしまうんです。ここには素直に写真の原点があるなあ・・・って。ブレッソンの決定的瞬間のような郷愁があるなあ・・・、って。

時々、何回か、ほんとうに真似して、「365枚」の何気ないショットを撮ってみようって思ったことあるんですよ! でも、ダメでした。私には、「何々に載せるための」「何々の記録のための」という目的がないと撮れない習性が染みついていて、素直な何気ないショットが撮れない・・・。【すずちゃんのカメラ!かめら!camera!】の一枚に感動しながら、同じ構図、同じ写真を例え撮れたとしても、自分のには不満足なんです。

この苦しみ・・・コンプレックスというのかな? ずっと引きずってきました。最近、やっと、『源氏物語』の歴史のために写真を操作していて、これのためなら「目的」があってもコンプレックスにはならない安心感が萌しています。というか、救われはじめているのかな?

クリスマスリースから変な方向に話がいってしまいましたが、目下、私はこの写真をツイッターのアイコンに使っているんです。そうしたら、鈴木知子さんがメッセージを寄せてくださって、「アイコン、素敵ですね。リースですか?」って。

メッセージでお答えするより写真を載せた方が、と思って記事に書きました。嬉しかったですね。コンプレックスと対称の位置にいるフォトグラファーさんからのその評価・・・。ちょっと曙光が見えたような・・・

でも、もう少し、私の苦しい写真行脚は続きます・・・

鎌倉の「写真でたどる『源氏物語』の歴史」の講演、お申込は現在30名ほどだそうです・・・。定員は40名。埋まらない心配は脱出でしょうか・・・

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2010.10.17 自然録音家ジョー奥田さんが【明治神宮鎮座90年記念DVD】を完成されました!!

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ネイチャー・サウンド・アーティストのジョー奥田さんが、【明治神宮鎮座90年記念DVD】を完成されました。すでに先行予約もはじまっています。サンプルムービーもご覧になれますので、どうぞ神聖な森の霊気をたっぷりに味わっていただきたいと思い、ご紹介させていただきます。
ジョー奥田さんはツイッターでそのご活動を知りました。私の知らない世界というより、何かを活動される方特有のセンス、直感をもっていらっしゃる方として、とても深い、たしかな人間性ということを思わされ、呟きに日々学ばされています。自然と感応し合って生きてらっしゃる方の感性はたしかです・・・
ツイッターから、ジョー奥田さんの呟きをご紹介させていただきます。文筆活動している私がいつもはっとさせられ、「これは書けない・・・」と滅入るような凄い発言をジョー奥田さんはよくなさいいます!!
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JoeOkuda    新作DVD 「美しき神宮の森」 に関しての解説:このDVDは、1.春、2.清正井、3.夏、4.月夜、5.秋、6.冬、7.終章の、7つのチャプターに分かれている。それぞれの季節の森の表情を、自然音と音楽と映像で表現している。
JoeOkuda    今年、90周年を迎える明治神宮。ということは、この森はたったの90年で人間の手によって造り出され、育てられた。このことは、人間の英知を集結し心を込めれば、人間にも「森」が創造出来るということの、明確な証拠だと思う。
JoeOkuda    もし仮に、何かの天変地異が起こり、一瞬にしてこの地球上から人間がいなくなったとしても、生態系が確立されている明治神宮の森は、人間の手を借りることなく、何百年、何千年と生き続けるだろう。そして東京全域を森が覆い尽くだろう。この森はそれだけのパワーを秘めていると思う。
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ね、凄いでしょ!! そして、素敵です。私は感性正しく生きていたいと望みながら、気がつくといつも摩耗している・・・、そんなことを痛感します。
詳細・お申込みはこちらへどうぞ!! サンプルムービーももっと大きくご覧いただけます。
http://www.joeokuda.com/mindeye/

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2010.10.16 吉祥寺伊勢丹後にオープンした“コピス”・・・3Fに高原のような休憩エリアがあって咲いていたホトトギスの花

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吉祥寺は半年くらいショッピングにとても不便な街でした。駅ビルのロンロン一階フードフロアは改築で閉店。伊勢丹が撤退して閉まっていて・・・。近鉄はとっくにヨドバシカメラになっているし、残るは東急のみ・・・だったのです。

それが、ロンロンが9月にアトレに生まれ変わってオープン。今月もつい先日、伊勢丹後が「109のSHOPが集結」するコピスとしてオープン。便利になっただけでなく、外装・内装がシンプル綺麗になって、いきなり活気がでました。

今日、そのコピスに行ったら、まあ、混んでいること!! とてもショッピングを楽しむなんてなれません。でも、素敵な空間をみつけました。吉祥寺にこんなエリアがあるなんて!とびっくり。そこはまるで高原・・・。木の遊歩道があって、グリーンが綺麗に植樹されていて。そこにホトトギスの花が風情を醸しだしていました!! ベンチもあって、皆様混雑しててもお買物に熱中なのか、空いていて、くつろげる一画発見・・・です。

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2010.10.15 お月さまがこんなに簡単に撮れて・・・モウ、嫌ッ!と思わず呟いてしまいました(笑)

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雲撮影専用みたいになっていたデジカメが壊れたので新しいのを購入しました。今度はズームを優先にして選んだのがニコンP100という機種。

先程外で、月に虹色の綺麗な光環がかかっていたのを見て、家に戻って撮ろうとしたら、雲が晴れて月だけになってしまい、光環がなくなっていました。あ~あ、撮り損ねた・・・とがっかりしたのですが、ふっと思いついて、そうだ、このカメラ、ズームが効くんだったと。

どれくらい月を撮れるか確かめがてら最大限までズームを効かせたら、なんと! 画面一杯に鮮明なこの月・・・

私は一眼レフも持っていて、大切な撮影にはそちらを使いますが、その一眼レフでもこんな月は撮れません。撮るには、しっかりした三脚をたてて、使っているよりはるかに巨大な望遠レンズを使用して、さらには月の明るさ軽減にフィルターも考えなければ・・・みたいに、ちょっと撮るなんてとてもできません。

が、この月の写真、ちょっとカメラを持ち出して、ブレを防ぐためにベランダの手すりに寄りかかって、そしてズームを効かせてシャッターを押しただけ。露出もピントもオートです。思わず、「何、コレ! もう、嫌!!」って心で叫んでしまいました。今まで撮れなくてあきらめていた月の写真を、いとも簡単にこんなに撮れるなんて・・・

これは望遠ですが、マクロ撮影でも同じことを感じています。一眼レフでは○十万もするようなマクロレンズを購入しなければ撮れないような花や水滴の超クローズアップ撮影。それが、写真の知識の何もない、可愛らしい「ふつうの」女の子が、2万か数万以内のカメラでいとも簡単に撮れてしまうんです。しかも、その子たち、はじめて持ったカメラでそういうのを撮っているものだから、それがどれくらい凄いことかなんか、わからない。撮れて当然・・・なんです。機械も技術も高度な大人にできないことが、安価で技術も何もない女の子たちがいとも簡単にやっている・・・

変な時代・・・といつも悔しく思いつつ、横目で眺めてあきらめていましたが、その女の子たちと同じ種類のカメラを手にしたら、ホント、私にも撮れました!!

ちなみに、今夜の月は【moonAge_bot 現在の月齢は【7.72】です (10/15 08:30)/上弦(じょうげん) 】(ツイッターより)だそうです。

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2010.10.13 珍しい群馬県北部の地震/たまたま直前に群馬県北部を撮影してまわっていたものですから・・・

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10月6日に「新田・足利の里を歩く」撮影のために、群馬県桐生市近辺を訪ねました。一枚目と三枚目の写真は帰宅後に書いた記事ですでにご紹介させていただきました。仕事写真の合間にほんの数枚撮ったものです。その後【10月8日1:41 群馬県北部M2.2】の地震があって、やはり・・・と思ったものですから書かせていただきますね。

この日は物凄い綺麗な「天使の梯子」が見えていました。一枚目の写真がそれです。地平線から遥かずっと見渡せる全貌で撮りたかったのですが、まさか仕事の合間に雲を撮るだけで車を停めてとは言えませんから、車窓を眺めながら、撮りたい思いをじっと我慢していました。でも、ほんとうに雲間から差し込む後光のような光が綺麗でした。撮っていたら完璧な「天使の梯子」写真が撮れたでしょう。「天使の梯子」は大気中の磁気が強い証拠です。

群馬県北部の地震は滅多にみません。地震の震源は「北緯36度36分、東経139°14分」、桐生市は「北緯36度24分、東経139度19分」です。ほぼこの地域です。6日15:00頃に「天使の梯子」を撮って、35時間後に地震。関係あると思っていいでしょう。小さな地震は顕著な地震雲になりませんが、なんとなくなんとなく地震がありそうな空・・・という感じはわかると思っています。「地震があるのかなあ・・・」と、そんな思いで撮ったのが二枚目です。三枚目の夕刻は、地震があってもそれほど大きくはないけれど、地気が濃いから綺麗な夕陽に・・・という写真です。

「天使の梯子」が写っている別の写真をご紹介しますね。天神山という、中世において石を切り出していた山を撮ったものですが、その上空にまさに光が降り注いでいました。

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二枚目は同じ山を90°回って撮ったものですから、雲が半分しか写っていません。右端の雲のなかで「天使の梯子」現象が起きていました。

「新田・足利を歩く」の写真を載せていただくご本は、すべての撮影が終わって、無事、5月刊行のメドがたったようです。

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2010.10.13 お気に入りの携帯ストラップとジョー奥田さんのこと

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Xperiaが来た時、狙っていた娘のお手製ストラップを「頂戴!」といったら、「いいよ」って貰ったのが写真の馬のストラップです。娘が革細工に凝っていたときに、白い革に馬の絵を転写して、タッセルも長い鎖を買ってきて好みの長さに切って、自分で作ったもの。革細工といっても専門でないから機材が揃ってなく、馬の形に切り抜いたのは彫刻刀でです。ダビデの星みたいなのが足にさがってますが、それも娘のアイデア。これが効いてるでしょ! 

出来上がったときから気に入っていてひそかに狙っていたのですが、まだふつうの携帯だったので無理に欲しいとは言いだしませんでした。Xperiaが来たとき、これにはアレ!と直感していたところ、娘が「ストラップ、プレゼントするからどれがいい?」って。娘はネットで購入しようと思っていたらしいのですが、私が「あの、馬のを」というと、「あんなのでいいの? 大きいよ」って。

ほんと、まさに大きいでしょ。でも、そこがまた私のお気に入りなんです。それにXperia自体大きいし、つるつるして落ちやすそうだから、お馬さんが手に収まっていると、とても安定感があります。娘は「あんなのがいいなんて、ママのセンス変ってるね」って。自分で作っておいてそんなこというんです。

でも、使っていると本当に使いやすい。それに白い機種だから、白い革が似合って一層お気に入りに・・・。そうしたら、娘もそれを感じたらしく、最近になってまた同じ材料を引っ張り出して2,3個作ったりしています。私が「そろそろ汚れてきたし、壊れたら嫌だな」と言ったら、「大丈夫、もう一個あるから」って、同じのを出して見せてくれました(笑) そろそろ壊れそうと思って写真を撮りましたので、ちょっとご紹介させていただきました!

昨日は思いがけないことがあって、ネットで私の写真をご覧になった方から、「当方の撮影をお願いできませんでしょうか」とのメール。名前を言ったらたいていの方がご存じの有名なサイトからです。お話には聞いていましたが、ほんとにこんなお話ってあるんですね。去年だったら喜んでお引き受けさせていただいたのですが、今年は鎌倉の『源氏物語』の講演が大詰めにさしかかっているし、時間的拘束は無理なので辞退させていただきました。

それから、以前ご紹介させていただいたジョー奥田さんのCD「Nagi(凪)」を書けながら終日過ごしています。封を切ったのは最近なのですが、かけた途端、ざわざわっという凪のざわめきがプレーヤーから流れて、ふっと厳かな霊気が部屋にそこから発して広がったような、一瞬鳥肌たつような神秘的な気分になりました。

ラジオで、ジョー奥田さんが「自然の音は完璧なんですよ。人間が作った音楽だと、ここを大きくしようとか、ここをどうしよう・・・と手を入れたくなる。けれど、自然の音は完璧だから手を入れる必要がない」とおっしゃっていて、それに感動してCD「Nagi(凪)」を購入させていただきました。まさに、その「完璧」な音が部屋に満ちていると、風水のような霊気の効果が感じられます。昨日の撮影依頼のようなふしぎな出来事も、このCDのおかげかな? って、ふっと思ったのでした。

ジョー奥田さんは、目下、明治神宮の森の音を採取されて、それをみずから撮られた写真とを編集してDVDを制作中です。発売は11月1日とか。ツイッターで購入方法を告げられるそうですので、そのときにはまたお知らせさせていただきます。透明な、とても清新な、澄んだ世界がそこにあります。

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2010.10.12 一日中、雲が妖しく、夕焼けは禍々しいレリーフ状の赤焼けをしました!

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めまぐるしく空が変化した一日でした。最初の写真は9:39。夕焼けは17:15頃。最後は21:30の撮影です。こんなに終日全天が騒ぐ空は滅多にありません。レリーフ状の焼け方が必ず発震につながりますが、(この場合は当地より西に震源)、今日の空は他の掲示板との投稿から推して海外での大き目発震のようです。被害に影響のない地域での発震になりますように。

追記:
記事の空と関係あるかはわかりませんが、17日に伊豆大島近海にて異常な群発がありましたのでここに記録しておきます。最後の写真の明るい夜空は無関係でないと思います。
■気象庁発表
10月18日16時55分頃 伊豆大島近海 M1.4
10月18日00時45分頃 伊豆大島近海 M2.3
10月17日20時16分頃 伊豆大島近海 M2.2
10月17日20時01分頃 伊豆大島近海 M3.4
10月17日18時43分頃 伊豆大島近海 M2.0
10月17日18時39分頃 伊豆大島近海 M2.1
10月17日18時36分頃 伊豆大島近海 M2.0
10月17日18時15分頃 伊豆大島近海 M2.0
10月17日18時03分頃 伊豆大島近海 M2.2

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2010.10.11 『十訓抄』は、建長四年に、京都に精通する鎌倉武士によって書かれたと知り、驚いています!!

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ツイッターへの呟きを転載させていただきます。写真は京都蘆山寺にて撮影。

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odayruiko 『十訓抄』を見るよう勧められて図書館に行く。私の古典逍遥は本文より成立や作品の背景。『十訓抄』も解説が貴女に必要と。全く関心なかった古典。それが成立年を見ただけで驚愕。建長四年は宗尊親王下向の年。しかも、作者は京都に精通する鎌倉武士らしいという。となれば俄然・・・

odayruiko 連投します・・・金沢文庫創設者北条実時が『異本紫明抄』を成したのも、宗尊親王の下向・更迭に関わっていた。『海道記』は源光行の作者説が有力。『慈光寺本承久記』は比企氏ゆかりの仙覚が作者かも・・・。『十訓抄』の新たな作者説は後藤基綱。古典面での鎌倉武士の活躍の解明はまだ不十分の感。

odayruiko 浅見和彦氏「解説」では、基綱は将軍頼経ほか、源親行ら重要幕臣との和歌宴遊に常に随伴と。基綱の父基清は西行の甥で、子息基政は宗尊親王に仕えて『東撰和歌六帖』を撰した。『異本紫明抄』にも登場。文学的家系として『十訓抄』の作者は有りうる?頼経側近基綱は宮騒動で頼経と共に京に移る。

odayruiko 今日はじめて『十訓抄』を手にしたばかりで、このあたりの人物相互の関係・時間の前後関係がまだごっちゃになっている。また年譜を作って整理しつつ詳細を見ていきたい。何が浮かび上がるかわからないけれど、また一歩、鎌倉の将軍御所での人の動きが明らかになりそうで楽しみ。

odayruiko 簡単に補足させて頂くと、将軍頼経に源親行と仙覚が『万葉集』の校訂を命じられ、仙覚はそのまま万葉学者に。親行は「河内本源氏物語」に専心するようになる。そして宗尊親王のときに「河内本源氏物語」は完成。宗尊親王御所で仙覚・親行・北条実時・飛鳥井雅経息の二条教定・基政・真観らが集う。

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2010.10.11 生田斗真さん主演『源氏物語』の女性陣キャスティングが決まりました!・・・「恋の相手役に真木よう子、田中麗奈ら美女優ズラリ」

取り急ぎのご報告です。詳細を以下のサイトでご覧ください。

http://www.oricon.co.jp/news/movie/80919/full/

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2010.10.10 「河内本源氏物語」の生誕地、宇都宮辻子御所の敷地の範囲を地図に落としてみました!

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PCから鎌倉の地図を出して、赤鉛筆で宇都宮辻子御所の範囲を囲ってみました。黄色い太い道路が若宮大路です。JR鎌倉駅は左下。鶴岡八幡宮は上になります。

8日の記事の写真で、四方角の面々を当て嵌めてご覧になっていただけたらと思います。私は鎌倉人ではないし、史学専門でもないので綿密には正確でないと思いますが、ざっとこのあたりのこの規模という想像はしていただいていいと思います。参考にさせていただいた奥富敬之先生のご著書を、あいにく図書館に返却してしまったので、また借りてきたら正確な文章を載せさせていただきます。

赤で囲った北側(鶴岡八幡宮側)に幕府が接してありました。8日の記事の写真の最後「若宮大路幕府旧蹟」の碑は、この地図では右上の角あたりに建っています。

位置が把握しやすいように、鎌倉駅と鶴岡八幡宮の入った地図を載せますね。広域で載せたら大御堂が入ってきました。ここに講演会場を引き受けてくださった鎌倉投信様の社屋がありますので、マークさせていただきました。大御堂は勝長寿院といって、鎌倉に幕府を開いた頼朝が最初に建てた寺院です。

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今の時代に赤鉛筆なんて・・・とおかしいでしょ。イラストレーターでテキストとして書き込むのが当たり前になっていますものね。でも、私はイラストレーターは苦手で、あえて古臭い赤鉛筆にこだわって書いてみました。この方が結構、地図の文字と紛れなくて正解かも(*^-^) ・・・(でも、娘に見せたらまた苦笑されるんだろうなあ)

追記:
幕府の名称を混同していたようですので、ここで整理しておきます。

第一期・・・大蔵幕府(将軍頼朝・頼家・実朝)
第二期…宇都宮辻子御所(将軍頼経・頼嗣)
第三期…若宮大路御所(将軍宗尊親王~)
        敷地は宇都宮辻子御所と同じで建物を新造

奥富敬之氏『鎌倉北条氏の興亡』より宇都宮辻子御所
●新御所も南門が正門で、宇都宮辻子(雪ノ下カトリック教会南の東西路)に面していたので、宇都宮辻子幕府あるいは宇都宮辻子御所という。北門は呪師勾当辻子(清川病院北の東西路)に面しており、西は若宮大路よりやや退いていたらしい。東はいまの妙隆寺山門あたりに比定される。

奥富敬之氏『時頼と時宗』より若宮大路御所
●造営なった新御所は、かなり豪華なものだったらしい。寝殿、広ノ御所、二棟ノ御所、中ノ御所、小御所、持仏堂、御厩、東西の両侍所、車宿、泉殿などのほか、東西南北の四問のうちには、池のある南庭や、蹴鞠用の鞠ノ坪もあった。

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2010.10.10 9日、10日と、千葉県北東部で地震がありました。8日の前夜はその予兆でとても不穏な夜空でした。ちょっと不気味な写真ですが・・・

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8日は鎌倉薪能の日。一枚目は若宮大路に面したカトリック雪ノ下教会を撮った写真です。何本かの細い筋のような放射状帯雲がありました。珍しいくらいの快晴に心地よく「宗尊親王の御所跡」を撮っていて、「ここが『尾州家河内本源氏物語』の生誕地なのだ」という思いに一人内心興奮して、気持ちのなかではあの筋雲妖しいと感じながら、親王御所にばかり気をとられていました。

で、夜、いつも拝見している地震雲のサイトで、この雲を投稿されているベテランの方がいて、「あ、いけない! あれを見過ごしてはいけなかったのだ」と慌てて撮った画像のなかから、雲が一番長く写っているのを探しだしたのがこの一枚です。

二枚目は薪能が終わって戻った地元。帰宅途中の東側が見張らせる高台で、?、と不審を覚えました。ちょうど鎌倉を撮って来たカメラを持っていたので撮ることができました。低空が澄んだ水色に、上空に薄くピンクに染まった靄のような雲がたゆたう現象は、翌日の発震前兆です。しかもこの空、靄のような雲に洗濯板状の模様まで現れているではありませんか。M4規模では済まない空です。

三枚目以降は自宅で撮りました。0:40~1:06までのあいだの変化。明るい夜空、低空の澄んだ水色、夜なのに白い雲、そして、南西低空に溜まった雲の存在。空全体がざわついて、どれがどう震源を示すかという状況ではありません。空全体ということは、M4規模ではないということ・・・

これだけが結果ではないと思いますが、千葉県北東部で連発がありました。滅多にない現象ですので、ひとまずこれを結果としていいと思っています。そういえば千葉県の内陸地震で見覚えのある明るい夜空だったと今にして思います。目下のところ、鎌倉の講演のことで頭がいっぱいで、どうも雲観測や検証判断が浮ついています。どちらも集中力がいることなので、両方とも完璧はとても無理・・・、仕方ないと思ってあきらめています。でも、これくらいには書き留めて置きたいと頑張っています。

■気象庁発表より
10月10日10時05分頃 千葉県北東部 M3.6 震度2
10月10日10時00分頃 千葉県北東部 M4.0 震度3
10月9日15時12分頃 千葉県北東部 M4.5 震度3

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2010.10.8 撮ってきました! 鎌倉の宇都宮辻子御所(若宮大路御所)跡地・・・「河内本源氏物語」・『尾州家河内本源氏物語』生誕の地です。

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鎌倉の将軍御所は、頼朝・頼家・実朝までの源家三代の御所は大蔵幕府でした。実朝の暗殺後、京都から第四代将軍頼経を迎えた幕府は御所を移転し、若宮大路の東側に新造しました。それが若宮大路御所です。

その後、第六代将軍宗尊親王が下向されることになって、幕府はまた御所を新造。それは若宮大路御所の同じ敷地に御所だけを新しくしたとされます。そこに寝殿造りの邸宅を造り、庭には池もあって、まったくの京都と同じ空間ができていたのです。

と、今まで漠然とそういう知識をもって過ごしてきました。今回、パワーポイントで写真を上映しながら「鎌倉の『源氏物語』」について語ろうと編集したら、単に「鎌倉」だけでは写真にならないことに気がついたのです。写真として紹介させていただくには、「鎌倉のどこ」というピンポイントが必要なのだと。

御所の位置はだいたいこのあたりとわかっていましたが、どの本を読んでもあまり明確には書かれていません。つい最近、奥富敬之先生のご著書に「西は若宮大路に接し、南は宇都宮辻子、東は寺院の山門のあたりが境界で、北は清川病院」というご文章を発見。はじめて具体的な地名で把握できました。

それで、パワーポント編集用に、早速撮りに行ってきました。(といっても、今夜は大塔宮で行われる鎌倉薪能の日で、そのついでに早めに出て撮ったのですが・・・)

写真を上から順に歩いて回るつもりでご覧になってください。一枚目は鎌倉雪ノ下教会。この奥一帯に御所の敷地が広がっていたことになります。向かって右(つまり南側)は宇都宮辻子に接していて、二枚目がその曲がり角。そこを歩いていくと妙隆寺という日蓮宗の寺院があり、その山門あたりが東の境界とのこと。さらに北は清川病院のラインが境界でそれが四枚目。その角を曲がると一枚目の写真に戻ります。

最後の写真は宇都宮辻子御所の北側(つまり鶴岡八幡宮側)に接してあったという若宮大路幕府跡の石碑です。源家三代は将軍が身内ですから幕府も御所も一緒でした。第四代からは幕府は北条氏、将軍御所は別に・・・となったのでした。

文章で書いているだけなら、《「河内本源氏物語」は鎌倉で成立しました》でよかったんです。なのに、パワーポイントになったら写真が必要になって、こういう事態に・・・。パワーポイントの効用です。

源親行が「河内本源氏物語」を完成させたのは宗尊親王に仕えていた時代です。そして、宗尊親王が『尾州家河内本源氏物語』を制作されたのですから、「河内本源氏物語」も『尾州家河内本源氏物語』も、宗尊親王の御所であるこの場所が生誕地ということになります。凄いでしょ! って、自分でも思ってしまいました。

鎌倉の薪能はまさに幽玄極まりない、この世のものと思えない幻想の世界で堪能しました。記事に載せたいのですが、あいにく写真撮影禁止で一枚も撮ってなくてできずにごめんなさい。でも、ほんとうに素敵でした!!

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2010.10.7 「新田・足利を歩く」撮影で・・・上野国新田群庁跡は国指定史跡として広々とした草原の中に!

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昨日の撮影で訪れた上野国新田群庁跡。青い空に緑の草原が映えて、そこに建物の柱穴郡があって・・・。その写真はまだお見せできませんが、こんな史跡があったなんて・・・と感動しましたので、共有していただきたくてパネルの写真を載せました。詳細は以下のサイトでご覧になってください。

ほとんど人の訪れない道路沿いにその史跡はありました。発掘当時は現地説明会が開かれたりで賑わったようですが、遠く離れて暮らす私にはその賑わいは伝わってきてなくて知りませんでした。このパネルも、広々した光景のなかにポツンと立っていました。でも、当時はここが上野国の中心だったのです。遠くに赤城山が見えるはずなのですが、昨日はあいにく雲がかかっていて残念でした。

でも、古代の遺跡発掘はロマンを感じますよね。それに比べて、中世の遺跡は生活を感じます。同じ遺蹟なのに・・・

http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/topics/nittaguntyoato.html

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2010.10.6 「新田・足利の里を歩く」撮影で、群馬県に行ってきました!!

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片道3時間以上、という今日は早朝から動いているのでもう眠くて・・・。仕事写真の合間に撮った数枚ですが、ランダムに載せて、おやすみなさい、です・・・!!

でもコメントを少し。黄金色の稲穂と、真っ赤な彼岸花が色鮮やか。彼岸花の二枚は桐生市善昌寺。新田義貞公の首塚の祀られている寺院です。

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2010.10.05 はっきりした前兆はありませんが、なんとなくなんとなく空が危険な状況に感じて注意しています

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5日夕刻、南発生の雲が夕焼け色に焼けました。写真はその南西側の状況です。ごつごつした溶岩のようなレリーフ状に焼ける雲は要注意です。M4からM5規模の発震になる可能性大です。

写真とは別に、連日の福島県中通り、新潟県上越方面の群発がありかなり気がかりな状況でした。それに混じって宮城県沖でも、北海道でも、青森県沖でも、茨城県沖でも、M4規模、震度3とか4が連続、さらには沖縄県宮古島方面でM6規模までがありました。

たいてい、これだけ続いて、さらにM6の発震があれば収まるのですが、空がその後も不穏で気になってずっと見守っています。今夕はこんなふうに目立って焼けましたが、昨夕も一時全天が薄紫色に染まりました。電磁波が大気中に満ちているということ。地震はまだ収まっていません。

昨夜、片付けものをしていて、鋏をもって切ろうとしたら、力を入れた親指に激痛が走りました。最初、手を痛めたのかと思いましたが、ん?、この痛み・・・と思いだしたのです。以前、「おかしなことをいうようですが・・・」のタイトルで載せた体感のときの痛みと同じ種類なのです。また体感・・・とぞっとしました。

それで、そのときの記事を見ると、その時は茨城県の発震があったあと、福島県沖で大きな規模が二回連続発震。あり得ない連発でした。でも、一応、M7とかM8の体感でなかったのでほっとしました。今回はあのときよりは痛みが少しなので、連続回数か規模かが縮小した発震になるのでしょうか。指の痛みは午前のうちに収まりました。

でも、体感や空全体の焼けでは、主震源の目安が立ちません。それで、はっきりした前兆雲がないか、ずっと空を気にして見ています。

追記:
■土佐湾の連発・・・気象庁の発表より
7日11時41分頃 土佐湾 M3.0 震度2
7日10時53分頃 土佐湾 M2.6
6日14時52分頃 土佐湾 M2.4
6日13時51分頃 土佐湾 M4.5 震度4

■千葉県北東部の連発
10日10時05分頃 千葉県北東部 M3.6 震度2
10日10時00分頃 千葉県北東部 M4.0 震度3
09日15時12分頃 千葉県北東部 M4.5 震度3

と、こんなふうに日本列島の北から南から東も西もという連発・群発は、雲の観測をはじめて以来覚えがありません。異常としか言いようがないのですが・・・。南発生の雲の対応地震は【10月8日21時15分頃 父島近海 M4.2】ではないでしょうか。

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2010.10.3 鎌倉≪講演とさくら貝コンサート≫のお知らせ・・・旧里見弴邸(西御門サローネ)にて

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講演とさくら貝コンサートをお知らせさせていただきます。私が鎌倉の『源氏物語』について講演させていただくことになっている湘南邸園文化祭のプログラムの一環です。さくら貝の歌は日本のこころの故郷のようになっている素敵な歌ですが、それを作曲をされた八洲(やしま)秀章氏が鎌倉ゆかりの方で、没後25年記念の催しです。

会場は、旧里見弴邸。鎌倉市景観重要建築物指定になっているところです。今は「西御門サローネ」というホールになっているようですが、私はまだ行ったことがないので旧里見弴邸として興味津津。さくら貝の歌も素敵ですし、楽しみに待っているところです。皆様も如何でしょう・・・

以下、詳細です。

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講演とさくら貝コンサート ~作曲家・八洲(やしま)秀章没後25年記念~

日時: 10月23日(土) 13:30~16:00
会場: 鎌倉/旧里見弴邸・西御門サローネ
           鎌倉市西御門1-19-3 0467-23-7477
           鎌倉駅からバス 大塔宮・太刀洗・金沢文庫・ハイランド循環行きにて
                      「大学前」下車 →バス停より徒歩10分
予約: Fax0467-32-1650(稲田様)
参加費:3000円

講演: 山田光義氏 「桜貝にたくす日本人の心」
コンサート: 「さくら貝コンサート~八洲秀章名曲集を歌う~」
         出演: 沢木順(次男) 松村美和子(長女) 鈴木敦(孫)

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2010.10.2 連載小説【花の蹴鞠】 第八回

 「どうかなさいました? この頃」
と、典子がいった。
 「いや、何も」
と雅経は答えたが、典子にはわかっていた。雅経は歌で悩んでいるのだ。それを察して典子はすでに二条院讃岐のところへ行って相談していた。蹴鞠の名手として後鳥羽院に愛でられて雅経はここまできた。が、その寵臣の座が揺らごうとしている。院の関心が歌に移っているからだ。

 発端は院が歌人二十三名に百首歌の詠進を命じたことにあった。正治二年(一二〇〇)秋のことである。院に歌を教えたのは育ての親の通親である。辣腕を振るう政治家通親だが、文人としても優れ源氏物語には精通するし、歌は私邸で影供歌合を催すほどだった。のちに柿本人麻呂影供に発展するこの歌合には院も参加して育った。が、それは通親が親しい六条藤家の歌人が率いる古い伝統の歌合だったから、特別に院が熱心だったわけでない。「正治初度百首」の試みも通親らの進言によってのことだった。

 最初、そこに定家は入っていなかった。御子左家に対立する六条藤家によってはばまれていたのである。定家は建久九年(一一九八)に守覚法親王に詠進した「仁和寺宮五十首」で新境地を開拓していた。が、「大空は梅のにほひに霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月」「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空」を含むそれらの歌は、六条藤家の歌人らによって新儀非拠達磨歌、すなわち禅問答のようにわけのわからない歌と揶揄されていた。心情や抒情を詠む従来の歌からかけはなれた作風の歌はまだ受け入れられていなかった。詠進に漏れて定家は落胆するが、俊成が「年老いた者ばかりに限定するものではない」との意見書を院に提出して認められ参加することになったのだった。

 「駒とめて袖うちはらふ陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮」を含む定家の百首をご覧になった院は、その鮮烈さに驚愕され、歌に開眼する。即刻定家の内の昇殿を許し、以降、院は定家と二人三脚で『新古今和歌集』への道を突っ走る。六条藤家は失墜し、通親もこと歌に関するかぎり院の信頼を失う。定家の新たな重用は、鎌倉からのぼってきて院に蹴鞠を披露し妙技に驚愕されて、寵臣として愛でられてきた雅経のそっくりたどった道だったから、今後の経緯も手にとるように想像でき、雅経が心配するのも無理なかった。院の嗜好は家臣の栄枯盛衰につながる。特に院にはそれが激しい。時代が歌一色になろうとしている。が、そうだからといって雅経が今更歌に励もうと追いつくものではない。

 雅経にしても歌を詠まないわけはない。それどころか刑部卿頼輔の名で知られる祖父は本朝蹴鞠一道之長と称されながら、一方で勅撰集に二十八首も入集する歌人である。雅経はこの祖父に蹴鞠を鍛え込まれたのであり、歌も同様であった。院からも度々歌を賜っているし、それだけの贈答ができる身ではあった。だから、よもや、自分が歌で苦しむことになろうとは夢にも思っていなかった。が、その雅経にして定家の歌はわからない。口にすれば六条藤家の歌人並になってしまうからいわないが、これが新しいのかと茫然として眺め入るばかりである。何が後鳥羽院をしてそれほどに歓喜させるのか。

 典子は讃岐に自身が思っているとおりのそれらを伝えた。讃岐は、
「形から入っていくようお伝えなさいな」
 と、余裕の笑みを浮かべて典子にいった。讃岐はすでに六十歳になっている。任子が宮中を去ったあと自身も宮仕えを止めて出家もした。そうして静かな余生に入ろうとした矢先、また讃岐は歌で現世に呼び戻された。女流歌人がいないと華がないとの院の意向からだった。新しい時代の女流はまだ育っていず、平家全盛の時代から源平の争乱時にかけて歌壇は低迷していたから、女流といえば二条院時代の讃岐たちしかいなかった。

 「歌は命がけでなければできませんでしょ。後世を弔って生きると決めた身には念仏の妨げでしかありませんわ」
 と讃岐は愚痴ったが、ふたたびはじめた作歌が讃岐を甦らせているように典子には見えた。実際、雅経も讃岐の活躍を「決して古びていない」と感嘆していた。「正治初度百首」に召された女房には讃岐の他に小侍従、宜秋門院丹後がいる。なお院には叔母にあたる式子内親王も参加しているが翌年亡くなるのでこの百首歌が最後の作品となった。新しい時代の女流、宮内卿や俊成卿女が登場するのはこのあとになる。

 「三十一文字しかない歌を工夫するには、組み方を変えるしかありませんのよ」
 と讃岐はいった。それには紙に書いた歌を五と七と五と七と七それぞれに切り分け、従来の歌の作りにこだわらずいろいろ並べ替えてみるのがいいという。
 「例えばですが、『有明の月を眺むる』という五七ではじまる歌があるとすると、それを『有明の』と『月を眺むる』に分けてみます。そうしてこれを最後にもっていくの。するとおのずと最後の七は『有明の月』となりますでしょ。これが定家殿の新しい歌……」

 典子は雅経の折をみて讃岐伝授の歌の作法を伝えた。「有明の月」を最後にもっていくだけで俄然歌が引き締まる。斬新な世界が見えてくる。雅経は目の覚める思いがした。それから雅経はその方法にこだわって、定家の歌を分解しては深奥を探り、それが身につくまで練習した。その甲斐あって雅経の歌は後鳥羽院の認めるところとなり、晴れて歌人の列に加わることができた。琵琶に秀でて雅経同様院の寵臣だった鴨長明も、やはりこの秘策をもって和歌所寄人になることができた。もちろんまだ出家していない。鎌倉にいた光行はこの潮流に乗れなかったどころか、こういう新しい潮流の起きていることも知らなかった。

 守成親王(順徳天皇・四歳)の御母でのちの修明門院となる二位殿の御産が迫っていた。典子が仕える兼子の邸が御産所となり、二位殿が移ってこられていたために、「秋のけはひ入り立つままに土御門殿のありさまいはむかたなくおかし」という『紫式部日記』の記述さながらの光景を日々まのあたりにし、典子は忙しいなかにも興奮と感動をもって眺めていた。典子もまた妊娠しており、周囲は気遣って休むよういうのだが、こんなまたとない経験を逃すのは惜しいとばかりに率先してはたらくので、すっかり強い東国女の異名をとってしまっていた。

 兼子は慈円をして「西の兼子、東の政子」といわしめた女権勢家である。鎌倉で政子に仕えていた典子は、奇しくも京で兼子に仕えることになり、いつかしら二人の女性の影響を受けて似てきていた。鎌倉幕府の重鎮広元を父にもつ典子のもとにはそこかしこから付け届けが届く。最初は雅経と二人で困惑したものだったが、断って断り切れるものでないと悟ると以後はもう気にかけなかったので、定家らにその羽振りの良さが驚異に映るほどになっていく。二位殿の御産は無事親王の誕生となり、典子もまた長男教雅を授かった。

 この年、鎌倉では安達盛長が亡くなっている。亨年、六十六歳だった。  (つづく)

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2010.10.2 ツイッターから・・・センチュリーミュージアム開館記念名品展のお知らせ

kasamashoin    センチュリーミュージアム開館記念名品展【主な展示品その1】・紺紙金泥観普賢経 平基親筆/香紙切 『麗花集』巻第八 伝小大君筆/詩書屏風 愚極礼才筆/西行法師行状絵巻(巻第四) http://www.ccf.or.jp/

kasamashoin    センチュリーミュージアム【展示品その2】金銀泥藤下絵詩書巻 本阿弥光悦筆/山水図 雪舟等楊筆/古筆手鑑「武蔵野」/書状 明智光秀筆/聚楽第行幸和歌懐紙 中山親綱筆/豊臣秀吉画像/三十六歌仙絵巻 伝冷泉為相賛/銅製経筒 寛治7年銘 http://www.ccf.or.jp/

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2010.10.1 緊急のお知らせ・・・明日・明後日と、調布市と三鷹市の境にある航空宇宙センターで、小惑星探査機「はやぶさ」カプセル等特別公開

小惑星探査機「はやぶさ」カプセル等特別公開
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、宇宙から帰還した小惑星探査機「はやぶさ」のカプセル等を調布航空宇宙センターで展示いたします。

●日時
2010年10月2日(土)・3日(日) 10時~17時 (入場は16時まで)
●会場
宇宙航空研究開発機構 調布航空宇宙センター
●展示室
(東京都調布市深大寺東町7-44-1)
●展示物
インスツルメントモジュール、搭載電子機器部、エンジニアリングモデル、パラシュート
●後援
三鷹市/調布市
※入場および展示物の観覧は無料です

詳細は以下で・・・
http://www.ard.jaxa.jp/information/event/2010/101002.html

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2010.10.1 『源氏物語 悲しみの皇子』関連書籍・・・を愉しむ徹底ガイド!! これを機会に『源氏物語』を知るのに便利

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高山由紀子さん原作『源氏物語 悲しみの皇子』に付いてきたリーフレット「『源氏物語 悲しみの皇子』を愉しむ徹底ガイド」。それに「関連書籍」として紹介されていた一覧表が凄かったので、スキャンしてご紹介します!! とてもわかりやすくて便利そう・・・

難易度というのもあって、黄緑が初級、ブルーが中級、オレンジが上級者向けです。

私も何冊か拝読していますが、知らなかったのもあり・・・で、興味津津。画像はクリックすると少し拡大になります。当然、角川書店関連しか載っていませんが、それでもこんなにあるのですね。さすが『源氏物語』・・・。

お勧めは、河添房江『光源氏が愛した王朝ブランド品』、そして何といっても三谷邦明・三田村雅子『源氏物語絵巻の謎を読み解く』・・・、とあくまでもこれは歴史重視の私の嗜好ですが。

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