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2010.10.22 ツイッターから転載・・・俊成卿女に関してのつぶやき

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昨日、孔雀のリースの写真を載せたから、今度は孔雀の写真を探してみました。ずっと以前に多摩動物園で撮りました。

歌誌『月光』に連載中の「花の蹴鞠」第9回の締切が迫っていて書かなければならないのですが、鎌倉の講演が近づいていて、ご挨拶やご報告のお便り等、しなければならないことがいっぱいで、順次こなしていても、頭のなかは次にすることを考え、一件終わってもまた次の・・・といった状態。なかなか「花の蹴鞠」バージョンに思考が集中しません。

そんな中、少しずつ資料にあたる時間をとるようにして、やっと、「ああ、目を通した!」といえるくらいな読みができました。それをツイッターにつぶやきましたので、転載します。

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odayuriko 岩波書店『文学』の特集「定家『明月記』を読む」(1995秋)を見ている。発売当時も読んで熱く浸った。今回は「花の蹴鞠」第9回を書くにあたり参考にと目を通したら、なんと巻頭の翻刻・翻訳されている『明月記』が建仁二年七月。第9回は建仁元年の式子内親王、二年の俊成卿女初出仕を書く予定。

odayuriko 建仁二年七月十三日、俊成卿女は初めて院に参るために定家に送られて高倉殿に行く。彼女の出仕はすべてかつての舅通親と夫通具の采配だった。通具には離縁されたように言われているが、これを読む限り二人はまだ心が通じ合っている。二人で歌合をするほど仲のいい夫婦だった。その線で書き進めたい。

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俊成卿女は離縁された不運な女性といった見方をされていて、華やかな女流に混じって暗い印象ですが、御子左家の育ち、定家の姪ですもの、そんじょそこらの女流とは違います。のちの『徒然草』の美徳に通じる奥ゆかしさと矜持の持ち主・・・

俊成の娘といわれますが、実は俊成の娘の子ですから孫。母の八条院三条は定家と同腹です。父が鹿ケ谷事件に連座してと離婚。八条院三条が実家に戻ったために俊成卿女は俊成夫妻に可愛がられて育った・・・という経緯です。定家も「この人のことは亡母が特に鐘愛していたので、あれこれにつけて放ってはおけない」と書いています。

定家よりも9歳ほど年下で、なので定家にとっては妹同然。当然、定家の歌の修業も身近に接して見ているわけで、『源氏物語』をはじめとする文学的教養は尋常ではありません。あまりメインに書かれたことのない女性ですが、「花の蹴鞠」で彼女の深い魅力を書き切れたらなあ・・・と思っています。

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