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2010.12.3 山梨県立博物館【甲斐源氏―列島を駆ける武士団―】展のご案内!!

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現在、山梨県立博物館で【甲斐源氏―列島を駆ける武士団―】展という展覧会が開かれています。といっても、10月からすでに始まっていて、来週12月6日には終了という期間ですから、もう最終週・・・。この展示の企画を聴いたときから私も行きたい心づもりだったのですが、11月27日の講演が迫ったものですからそれが終わったらと考えて呑気にしていました。
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昨日2日、峰岸純夫先生が、鎌倉の講演と同じものをと呼んで下さって、日野市のグループの方々に、「写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『尾州家河内本源氏物語』ができるまで―」のプレゼンをさせていただきました。そのときに展覧会の期日が迫っていることを聴いて慌ててしまいました!それで急遽明日行くことにして準備しつつ、この記事を書いています。久々の甲斐路・・・、楽しみです。

日野市といえば、以前私もボランティアで参加させていただいた真慈悲寺のあるところ。真慈悲寺というのは鎌倉時代、源頼朝の御願寺だった寺院で、今はまったく廃寺になったまま長く「幻の」という語が冠せられる存在でした。

それが、日野市の百草園での発掘調査の結果、真慈悲寺はこの百草園内にあったことが明らかになりました。百草園は中に入るといろいろ入り組んで至るところに高さの違う平場が造られています。そして一番高いところはかなり狭い広さの平場で、まるで中世ののろし台のような趣・・・と思ったら、やはりそうなのです。のろし台かどうかは別として、この一帯全部が「山城」だった・・・というもの。真慈悲寺はそこにあったのでした。いわゆる山岳寺院です。

真慈悲寺は『吾妻鏡』に名前が出ていますが所在が不明だったために「幻」でした。それが百草園のここと特定されたのには、一体の阿弥陀様のお背中に「真慈悲寺」の名が記された願文が刻まれていたことに発します。阿弥陀様を造った施主の女性が、おそらく鎌倉は安達氏の安達義景の妻で、小笠原氏の娘・・・、それで、今回の山梨県立博物館の展示では、その小笠原氏の関係として、この阿弥陀様が出展にいらした、というわけです。

阿弥陀様は百草園に隣接する百草八幡社に収められていて、毎年一回だけ九月のお祭りのときにご開帳されます。私も拝観したことはあります。でも、施主の女性の故郷にいらして展示会場におられる阿弥陀様にどうしてもお目にかかりたいから、明日出かけることにしたのでした。遅きに失したお知らせかもしれませんが、一応記事にしておきますね。

真慈悲寺のことをお話するとまた長くなりますから、惜しいけれどまたにします。ただ、私としてはこれだけということを書かせて下さい! 施主の女性が嫁いだ安達義景は、例の安達景盛の子息で、安達泰盛の父。安達義景の妻には飛鳥井雅経の娘がいますから、目下雅経を主人公にした連載小説を書いている私としてはその方のほうに親近感をもっていますよね。

けれど、真慈悲寺関係から小笠原氏を調べて書いていられる峰岸先生にとっては施主の女性のほうが重要・・・と、そんなわけで先生と「義景はどっちの女性を愛したのでしょう」などと語らっています。二人の女性は年がかなり違いますから、浮世の倣いで若い女性に分があるとしたら、雅経の娘のほうが有利・・・。峰岸先生もそれは認められて、「あとの方の子供はみんなそっちの女性が産んでいますからね」と、学者さんらしい言をされてました!!

写真は、昨日のプレゼン会場に、峰岸先生の奥様がご自宅の庭で摘んだお花を籠に生けて飾ってくださったもの。まつぼっくりも奥様が持ってらして、籠の位置を決めたあところころと無造作にころがして・・・。お花もまつぼっくりも風情があって嬉しかったです!!

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