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2011.1.30 ツイッターへの呟きから・・・サッカーの日本代表が優勝してザッケローニ監督の采配に思うことあり! で、Facebookへの思いを呟きました。

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サッカーの決勝戦を最後まで観てしまいました! その前から思っていたのですが、ザッケローニ監督が選手を変えると、新しく入ったその選手がゴールする!!! この法則が決勝戦でもそうなって、李選手も交替で入ったばかり。その前の岩政選手の途中出場も、そこから流れが強くなった・・・。ザッケローニ監督の采配の見事さに感服する試合でした。運がついてくるというのが支配者として最高、胸がすく壮観です!!

という訳で、今朝は燃えています。人間は頭脳のはたらかせ方次第で停滞している流れを変えることができるんだ・・・という思いで(o^-^o)

そんなことで閃いた思いを呟きました。ツイッターから転載します。

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odayuriko ザッケローニ監督の采配は爽快。選手が輝いている。采配ひとつでこんなに変わる。今私は従来の鎌倉の文化観「武士の都」は眠った人達が言ってるだけと感じている。論文を書いても写真展で訴えてもその人達にはどうしてもそれが伝わらなかった。でも講演したら地元の方々は目を輝かせて聴いて下さった。

odayuriko 鎌倉の源氏物語というと鎌倉という一地方都市の話として軽んじられているかもしれないが、これは東国のひいては日本全体の文化の問題。埋もれているから見えないだけで発掘されたら凄い文化が存在した事例は幾つもある。鎌倉の源氏物語文化はそういうもの。どうしてもそれを一般の方に浸透させたい!

odayuriko Facebookに興味をもったのはそこに風穴をあけるツールを見たから。従来の方法で訴えて伝わらなくても一般の方の関心が高まれば広がる可能性がある。facebookにはファンページというブログとツイッターを合わせたようなページがあり、目下それを作成中。鎌倉の源氏物語をまとめます。

odayuriko でも作っても誰も見て下さらなければ「真夜中の商店街を一人歩くのと同じ」(熊坂仁美)と。facebookには、ツイッターのRTに相当する「いいね」ボタンがあり、それが拡散の効力を発揮する。鎌倉の源氏物語に関心なくても、公開した暁には「いいね」ボタンを押して頂けると嬉しいです!

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Facebookは実名主義なので名前と同時にアイコンを顔写真にするのが前提です。でも、私はまだアイコンにしたい写真がないし、ページもまだ当分未完成・・・というわけで、仮のアイコンとして冒頭のグロリオサにしました。

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2011.1.28 Facebookについて調べています! 映画「ソーシャル・ネットワーク」も観ました。なんだか凄い世界でわくわくしています・・・

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「ソーシャル・ネットワーク」を観ました。映画なんて久しぶり・・・。ついていけるかなあと内心危惧したほどの久しぶり!です。でも、最初からぐいぐいと引き込まれて、最後までテンポよく運ばれて、気がつくと、えッ、終わり? って感じで、一回も飽きさせられることなく見事に集中させられて終わってしまいました。

いい映画です! これは、フェイスブックを知るために、などという目的抜きに、「観ていい」映画です。なにしろテンポがいい!音楽がいい!俳優がいい!最先端の世界がいい!そして、どこか禅めいた賢者の風格あるマーク(フェイスブックの創設者で主人公)の存在がいい!!・・・と、私のなかではいいことづくめです。

と、映画の話をするときりがないので止めにして、フェイスブックですが、目下私はこのFacebookなるものに登録して、自分仕様のサイトをつくるためにどのようにしたら有効に使えるかを猛烈に勉強中なんです。それで映画も観た、って訳。本も何冊か買って読んでいます。今週は『週刊 ダイアモンド』でも特集されていますから、それも買って読んでいます。

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表紙のモザイクのようなたくさんの顔写真は、Facebookを使っている方々の実際のアイコンだそうです。こうやって自分の顔写真を載せてしまう実名主義がFacebookなんですよね。でも、お花の写真の方もいるし、文字の人もいるし、そう恐怖的に考えなくていいみたいです。このモザイク、編集部の方のアイデアで募集したら、突然ぐっとアクセスが増えたんですって。そう、呼び水のような作戦・・・。これもFacebookの利用法です!!

新しい世界が開かれるって楽しいですよね。最初は何が何だかわからなかったことも、何冊か読んでいくうちに、多角的、立体的に見えてわかってきて、そうか、そういうことならこうすればいいんだ、と自分なりの方向性が見えてきています。

もう少ししたら、完成したページをご紹介させていただきますね。そのときに、どう攻略していったかを簡単にお話させていただきます。わかってしまえば簡単・・・。でも、はじめてだと戸惑うばかりで、何をどうしたらいいのか途方にくれる、って、何事も初心者が通る同じ道です。なので、私が途方に暮れたあとに見えた世界をお話すれば、たぶん、簡単に身近に感じていただけるでしょう・・・

Facebookは、登録しても、最初はただ自分ひとり。入門書にも書かれていますが、「友達」が増えるまで「真夜中の商店街を一人歩いている」ような感覚です。なので、完成したら最初にする仕事が「友達を増やすこと」。そんなこともあって、「これは誰かが一人ではじめることでなく」、「知り合い同士で協力しあってはじめた方が有効 」、って思いました。企業や何かのグループに属しているなら話は別ですが・・・

そんな訳で、Facebookを完成させたら、ここでお知らせしますから、「私もやろうかな?」とか、「見るだけでも見てみよう」って、お心づもりをしておいてください!!ご協力をお願いします!!!

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2011.1.25 桶本欣吾氏『光から時空へ』・・・哲学の書ですが宗教的な光に満ちたご本。表紙は「平家納経」宝塔品です。

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桶本欣吾氏が『光から時空へ』をご上梓されました。昨年、早稲田の大隈講堂で行われた立松和平先生を偲ぶシンポジウムのときにお会いして、このご本のことを伺っていました。桶本氏は哲学科のご出身でいられます。そのときに伺ったのは、あるとき、このご本に書かれた哲学の体系が突然、神の啓示のように閃いて、一挙に400枚仕上げられたとのこと。それで私はとても関心をそそられて、ご上梓を待たせていただいていました! そういう成り立ちのご本は、ほんと、宗教のようですものね。

そのときに表紙を平家納経にしたいとのことも伺っていました。平家納経は最高だと。ちょうど私は鎌倉で『源氏物語』の講演をすることになっていて、源氏物語絵巻について中でお話する予定にしていましたから、それにも興味を持ちました。というのも、平家納経は源氏物語絵巻に倣っての制作・・・というのが私の講演のなかの流れですから。

それで、私がそのことを申し上げると、桶本氏は「平家納経は最高」とおっしゃられるばかり。源氏物語絵巻には全然関心を示してくださらないのです。それは仕方ないですよね。源氏物語絵巻は割り当てられた方々の局で、女房や時にはまだ幼いお姫様までが混じって書いた素人の制作のような説があるくらいなのに対して、平家納経は清盛の息のかかったプロ的制作なのです。

でも、そのときに私は西洋哲学のはずの桶本氏が平家納経に強い関心・執着を示されたことにふしぎな感じで興味を引かれましたし、感性の響く感じで嬉しかったんです。それで、なんとなく、このご本の内容も予感されてました。

そして先週、ついにこのご本をお送りいただきました!! やはり平家納経の表紙が輝くばかりのご本。しかも、タイトルが光と時空・・・。素敵だな、と思いました。そして、ほっとしました。なぜなら、難しいだけの哲学書だったら到底私には読みこなせないでしょうから。でも、「光」と「時空」なら、たぶん、感性で入っていけます。

そんな訳で、目下私はこのご本を開かせていただいていますが、序論を拝読しただけで、すうっと胸のすく思いがしました。詩を読んでいるような感じで楽しいんです。日常を離れてふっと光かがやく生成の場にワープできる・・・、そんな感じです。

難しい理論は抜きにして、私は物理が好きです。朝永慎一郎氏がノーベル賞を受賞されて刊行された『量子力学的世界像』をどんなにわくわく胸躍らせて読んだでしょう。桶本氏のご本は、哲学と宗教にあいまって物理学も重要な位置を占めて書かれていて、そんなことも懐かしく甦りました。

まだ序論を越えたばかりですが、久しぶりに超越した世界にワープできるご本に巡りあいました。純粋になれるって素敵ですね。心してたどらせていただきたいと思います。

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2011.1.24 ツイッターへの呟き・・・Facebookに登録しました!

「ソーシャル・ネットワーク」という映画が公開されています。現在世界を席巻している巨大なSNS「Facebook」の誕生の物語・・・ということで、水曜日に吉祥寺で観る予定をしています。でも待ちきれなくて、昨日アスキー・メディアワークス社からでている『facebook 完全活用術』を買って読みました。

そうしたら面白くて、今までmixiやtwitterに感じていた閉塞感が払拭される感じ・・・。という訳で、今日、唐突に登録してしまいました。twitterをはじめるときはかなり慎重に、本も数冊読みましたし、決意するまで半年近く時間がかかりました。なので、それを思うと、このスピードは、私には驚きです!(twitterで慣れたからかも・・・)

twitterも面白いし、情報を得るには最適なのですが、どちらかというと、「得る」即ち受け身。私は『源氏物語』の、というか、『源氏物語』や『万葉集』もあったという鎌倉の真の文化の普及に使命感を感じているので、他の方の情報を頂くだけでは目的の完遂にならず、発信したい。どうしたらこの逼塞状況を打開できるか、ずっと模索していました。

最近、映画が上映されたこともあって、Facebookがかなり話題にのぼるようになりました。twitterでも両方をなさっている方が違いを呟いて下さったりしていたのですが、どうも日本人はtwitterオンリーでいいと思ってらっしゃる方が多いよう・・・

日本だけなんですってね。twitterとFacebookを両天秤にかけるような発想は。それには理由があって、日本だけがFacebookより前にtwitterが広まってしまったんですって。なので、twitterのリアルタイム性に目覚めて重要視しているという訳。なので、twitterを拝読する限りでは日本人にFacebookは無理に要らない・・・というような見解が主流でした。

でも、ほんとにそうかな? って、私はふと疑問を覚えて、それで先に記した攻略本を探して読んだんです。そうしたら、mixiでもやもやと胸に詰まっていた逼塞感が一挙に吹き飛んで、これはやるべき!! って、一日にして気持ちが決まってしまいました。で、その勢いですでに登録をしてしまった、という事情です。

今、それをtwitterに呟きました。呟きの件数がちょうど498個でしたので、500個になるちょうどいいキリ番をこの新たな出発にするのもいいかな(o^-^o)って。

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odayuriko    facebookに登録しました。よくわからないのでアスキー・メディアワークス社の佐々木和宏著『完全活用術』を拝読、従来のSNSとは全く別の広がりを感じて。とりあえずの登録です。これからどんなものにしていくか、のんびりつらつら眺めながら発信させていこうと思います。

odayuriko    facebookは出身校を入力するので探せば同じ大学の人と繋がれる。でも私は出身は写大でも、していることは歴史と国文。今のところ同じタイプの人と出逢っていない。写真をやったから見えた歴史の「時間と空間」。その大切さがどっちでも片方だけの人には伝わらない。ファンページを活用したい!

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と、二件呟いて、呟きが500個になりました!!

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2011.1.23 一日だけ王様になれる新年のケーキ、ガレット・デ・ロワ・・・おしかったです!!

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ガレット・デ・ロワ・・・、新年のケーキです。フランスのお菓子。パイ生地のなかに一つだけ小さな陶器のおもちゃ?が入っていて、切り分けて頂くときにそれが当たった人は一日だけ王様になって、その日だけ誰にでも命令できるのだそうです。王冠はその証で、「入ってた!」っていうと、その王冠をかぶらせてもらえるんです。もちろん、王冠はケーキを買うと一緒についてきます。

小さなおもちゃのような陶器を「フェーブ」といいます。このフェーブが素敵なので、ケーキとは別にグッズとして売られていたりもしますが、やはり丸いケーキを切り分けてみんなで頂く時に、誰に入っているかどきどきしながら出てきたフェーブだからこその価値ですよね。

今年の我が家のケーキに入っていたフェーブは写真のような形でした。可愛いでしょ! 「フェーブに当たった人には一年間の幸せが・・・」と説明書きにありました。購入したお店では車やフルーツ、パンシリーズなど35種類用意されたそうです。

ケーキは、パイ生地のバターとアーモンド風味だけのとてもシンプルなもの。でも、とてもおいしかったです! 吉祥寺アトレの2F、「ラ・テール」さんに一月いっぱい販売されています。

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2011.1.22 襄水会【薩摩琵琶のしらべ―源氏物語「情念」―】のお知らせ!!

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昨年11月27日の鎌倉における講演「写真でたどる源氏物語の歴史」のイベント【紅葉賀】でご一緒させていただいた薩摩琵琶の坂麗水様から、素敵なお知らせをいただきましたのでご紹介させていただきます。

【紅葉賀】のときの演目は「葵上」でした。これは葵上がタイトルになっていますが、主人公は六条御息所。生霊となって葵上をとり殺してしまった御息所の怨念と反芻、祈りが、琵琶の調べにぴったりで見事でした。何回聴いても凄いだろうなあ、何回も聴いてこの世界に馴染みたいなあ、って思っていました。

そこにこのお知らせ。しかも、テーマが『源氏物語』・・・。是非是非皆様にもと思ってお知らせさせていただきます。

坂様からのほんの少しだけの聞きかじりですが、琵琶の流派には大きく分けて薩摩琵琶と筑前琵琶、そして雅楽の琵琶・・・とあるそうです。筑前琵琶は上原まりさんの登場で一気に知名度があがりました。薩摩琵琶と比べると撥が小さく、優雅です。薩摩琵琶は撥が巨大で、しかもそれがいざというとき武器にもなるという武士の琵琶。勇壮な男社会の琵琶ですね。演奏も迫力あって、私は坂様から馴染みましたので薩摩琵琶でよかったと思っています。

琵琶といえば『平家物語』がですが、坂様の「葵上」を堪能して、『源氏物語』もいいってわかりました。けれど、こんなに日本文化の基底にある琵琶が、現代では古典演奏的に、あまり身近に親しまれていません。私も坂様に教えていただくまでこの世界は敷居が高くて行くのを恐れていました。

でも、経験してからは、思うのですが、これはもしかしたら、歌舞伎や能、琴や三味線、といったレベルでなく、日本人がひとしなみに血肉化してもっていていい音楽ではないか、ってそんな気までしています。なぜなら、日本人の精神の基調にある『平家物語』文化そのものですから。

と、そんなふうに心から思っています。

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2011.1.18 神奈川県立金沢文庫八〇年 特別展【運慶―中世密教と鎌倉幕府―】のお知らせ!!

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金沢文庫80年記念特別展【運慶―中世密教と鎌倉幕府―】をお知らせさせていただきます。会期は、1月21日(金)~3月6日(日)です。非常に混雑が予測されるために、展示室における解説は行わない・・・というほどの貴重な企画展示です。

奈良県円成寺所蔵の国宝大日如来座像、オークションで有名になった真如苑所蔵の重文大日如来座像、それから神奈川県浄楽寺所蔵の重文不動明王立像・・・など、考えられないような豪華な展示。期間中、展示の入れ替えがあるそうですので、下記サイトで期間をご確認の上、いらしてください。

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.htm

追記:
真如苑所蔵 重文大日如来坐像は足利市にある樺崎八幡宮法界寺のご本尊でした。そこを訪ねたときの記事は、「2009.12.1」にあります。

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2011.1.17 ツイッターから・・・今日の京都・奈良・岐阜での雪景色! リアルタイムのご報告です。

ツイッターでは続々と関西での雪景色の写真が寄せられています。今朝の、今日の、リアルタイムのその地その時のご報告・・・、新聞やテレビではこんなに行き届いた現地便りは望めません(o^-^o) それにしても今年の関西の雪は凄いです。カメラマンの方は連日撮りにまわってらして大変そう・・・。観光客は千載一遇の好機といったところでしょうか。

目に付いたままに転載させていただきます。

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亀岡(保津川) http://photozou.jp/photo/show/323289/64573586
          http://yfrog.com/h5vcnkcfj

仁和寺 http://twitpic.com/3qqhxs

貴船神社 http://twitpic.com/3qrqjp

金閣寺・銀閣寺 http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/coramu1/kyotkinkakuginkaku.html

岐阜県 http://twitpic.com/3qr52m

叡山電車 http://twitpic.com/3qt0o1
       http://twitpic.com/3qt134
       http://twitpic.com/3qt1cs
       http://twitpic.com/3qt1ka
       http://twitpic.com/3qt1vr
       http://twitpic.com/3qt20n
       http://twitpic.com/3qt2i3

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2011.1.16 ツイッターへの呟き・・・「花の蹴鞠」第9回の執筆に関連して『平家物語』編纂のことを!

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ツイッターへの呟きを転載させていただきます。

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odayuriko    「花の蹴鞠」第9回執筆中。『新古今和歌集』の院宣がおりた年が舞台。その辺の狂乱めいた歌壇の状況はすでに塚本邦雄氏が魅力たっぷりに書いていられるから別の次元で書く!が今回の眼目。それが陰で同時並行して行われていた『平家物語』編纂への布石。光行は編纂に関わっていますから。

odayuriko    国文学的には残っている文献から『平家物語』の編纂は承久の乱後といわれていますが、人脈・時代の活況からみてそんなことはあり得ません。すでに谷山茂先生が後鳥羽院の時代という論文を書かれていますので、私もその線で推します。なので「花の蹴鞠」に光行が関わっていく下地を今回書き込みました。

odayuriko    昨日琵琶の坂様とお話して、『平家物語』の成立について盛り上がり、お互い同じ視点ということを確認。赤間神宮で琵琶演奏を奉納された坂様は、その時の経験から長門本こそが古態と。現代の覚一本尊重の風潮に疑問を抱かれてます。私も同感で、光行は長門本に登場するんです。覚一本では見えない光行。

odayuriko    「花の蹴鞠」は新古今歌人飛鳥井雅経の生涯を軸として、頼朝の時代から承久の乱までを描く大河のような構成。今は鎌倉編を抜け、『新古今和歌集』時代に突入。その背後に『平家物語』編纂、源光行の「河内本源氏物語」、仙覚の『万葉集』、といった話題が煌めく非常に奥の深い楽しみな時代です。

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明日は所属している『吾妻鏡』を読む会で、昨年鎌倉で行ったパワーポイントによる講演、「写真でたどる『源氏物語』の歴史」をします。なので、今日はこれからそのための準備に入ります。

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2011.1.14 ツイッターから・・・「いちばん星みーつけた~投稿写真」/JAMSTEC地球深部探査船ちきゅうさんの呟きです!!

http://edu.jaxa.jp/blog/2011/01/13/post_280.html

ツイッターで、「JAXA」さんと、「JAMSTEC地球深部探査船 ちきゅう」さんをフォローさせていただいています。日常からかけ離れた世界で日夜努力されている方々のようすを、リアルタイムで知らせていただけるふしぎな装置・・・、ツイッターってそういう世界です。

今朝のタイムラインで、「JAMSTEC地球深部探査船 ちきゅう」さんのこんな呟きを発見しました。≪ヒャッホウ!「ちきゅう」船上から投稿した写真が紹介されたよ☆JAXAさんありがとー。≫

それが冒頭のURLです。神秘であると同時に現実でもある素敵な写真をどうぞ一緒になって堪能していただけたらと、ご紹介させていただきます。

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2011.1.12 昨夜、宮坂宥勝先生が御遷化されたとのこと・・・いつかはこの日が来ると思っていたのですが・・・心からご冥福をお祈り申しあげます

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昨夜、宮坂宥勝先生がお亡くなりになられたとのこと、ツイッターで拝見して、ニュースで検索して、間違いないことを知り、今は茫然としています。宮坂先生のご著書にどれだけ助けていただきお教えいただいたでしょう。私はたった一度しかお目にかかっていませんが、そのたった一度が今も至高の至福の宝、心の支えになっている、宮坂先生とはそういう方です。いつかはこの日が来るとは思っていましたが、ほんとうにその日が来ても・・・どうしたらいいのか・・・思考がまとまりません。

たった一度というのは、月輪観をなさっている朝のお勤めに参加させていただきたくて、岡谷の照光寺をお訪ねさせていただいた時のこと。このブログにもまとめていますので、改めては書きませんが、今思い出してもあのような時間がもてたことは夢のよう・・・。記事は「2008.1.20 宮坂宥勝先生と慈円様の微笑み」として載せました。

お便りも何通か頂戴しました。お優しくて、そしてあれほどの方でいられるのに信じられないくらい謙虚でいらして、暖かい、暖かいとしかいいようのないお人柄・・・。宮坂先生は密教の大家でいられると同時に心に文学を秘めた方でいられました。なので、私のような者でも、小説を書いているという一事で相手にしていただけたのでした。夏の日の諏訪湖のほとりに群れていた月見草・・・それを見ながらの早朝、市内のお寺に足を運んだ日がゆっくりと思いだされています。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

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2011.1.11 ツイッターから・・・ケンブリッジ大学のコーツ教授○在英国・源氏物語画帖に関する情報公開

ツイッターで、このような紹介がありました。

●ケンブリッジ大学のコーツ教授○在英国・源氏物語画帖に関する情報公開

(賀茂街道から2) http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2011/01/post-67e8.html

コーツ教授が入手された『源氏物語』について、知っていることがあったらどんな情報でもいいから教えて欲しいと【賀茂街道から2】サイトに依頼があったのだそうです。とても貴重なもののようです。画像も多く載せられています。是非ご覧になって頂きたいと思います。

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2011.1.10 『みそひと文字の抒情詩』から『源氏物語』の文章に関しての補足を!

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『みそひと文字の抒情詩』の下の記事で、最後を『源氏物語』の文体に言及された池田和臣先生のご発言で締めくくってから、『みそひと文字の抒情詩』のなかで『源氏物語』について書かれた部分があったことが気になって仕方なくなり、改めて追記して、記憶しておこうと思います。

拝読していてハタと膝を打ったような気持ちになった箇所なのですが、そのときの気持ちを今書こうとしても書けなさそうなので、引用させていただくにとどめるしかないのが悔しいのですが・・・

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『古今和歌集』や『源氏物語』などの仮名文学作品にみえる語彙や語法は、確かに平安時代の日本語に相違ないが、それは、当時の日本語の、たいへん偏ったひとつの断面である。(中略)最上層社会の人たちが、極度に洗練された用語や表現で叙述した文学作品が、当時における基幹的な日本語であったはずはない。勅撰集の和歌ともなればなおさらである。

実用的な片仮名文や漢字文と違い、仮名文は実用を離れた書記文体であった。和歌も和文も、事柄の一義的伝達を目的とする文体ではなかったからことばの自然なリズムを基本にして、先行する部分と付かず離れずの関係で、思いつくままに、句節がつぎつぎと継ぎ足される連接構文で叙述され、叙述し終わったところが終わりになる。それは、とりもなおさず、口語言語による伝達に共通する汎時的特徴にほかならない。付け加えておくなら、『源氏物語』が連接構文で書かれているのは、思いついたことをつぎつぎと書き足してできあがったからではなく、そういう構文として推敲された結果である。

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と、ここまで引用して思いだしました! 赤くした部分の一行に私はハタと膝を打つ思いをしたんです。意識は流動的です。小説を書く、文章を書く、というのは意識を文字にとどめることです。古今集では和歌がそうです。

でも、現代の「小説の書き方」といわれるものの、なんと息苦しいことでしょう。ずっと、私はそれを感じていました。そして、『源氏物語』に戻ると、解放されるのです。

今までそれを私は『源氏物語』が心理を深く描写しているからだとばかり思っていました。現代においてあれほどまでの描写はありませんよね。現代は理解の早さを競っています。事象の表面のスピードが大事とされます。『源氏物語』はそうではありませんものね。

でも、心理を描写しているからなどという表面的な問題ではなかったのです。文体そのものが「断定」を拒否していたなんて・・・

嬉しかったんです、私。ずっと、小説が「断定」をしなくてはならないような呪縛にとらわれていましたから。

大袈裟にいえば、この「和歌も和文も、事柄の一義的伝達を目的とする文体ではなかったから」の一文で、私はもう20年以上も前になるかしら、それほど長く縛られていた呪縛から解き放たれる思いをしたのでした。文章が「伝達」をしなくてもいいなんて・・・

『源氏物語』の文体がどうしてこんなに深いかがわかりました。それは深い描写をしているからではなく、文体そのものが意識の深いところから生じているからなんです。そんなことを思い、感動した『みそひと文字の抒情詩』でした!!

■写真は去年の冬に庭の柿の木にきたメジロです。番で来て寒さに身体を寄せ合ってとても仲良くて微笑ましい光景でした。今年もそろそろ来る季節。楽しみにしています。古今集に合う写真をと探したのですが、みつからなくて、これにしました。『源氏物語』にふさわしい写真を撮るのも難しいのですが、『古今和歌集』となるとまた『源氏物語』とも違います。古典に合う写真を撮れるようになるのが私の夢なのですが・・・

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2011.1.9 小松英雄氏『みそひと文字の抒情詩』について・・・物凄い情熱的な書で夢中になって拝読中!! じっくり読んでいるので終わりません

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おそろしいことを読みました。『古今和歌集』は最初平仮名だけで書かれていたので勝手に任意に漢字を当て嵌めてしまってはいけないんです!!

私も、書く文章の都合上、歌を引用するときに勝手に漢字に変えていましたから、まず最初にこの『みそひと文字の抒情詩』の小松英雄氏のご論を拝見したとき、ドキッとしました。

小松氏によると、「平安初期に成立した仮名は、今日の平仮名と違って、清音と濁音とを書き分けない音節文字の体系であった。和歌は、そのその特徴を積極的に生かして作られている」のだそうです。だから、意味を固定してしまうような勝手な漢字への変換など言語道断ということなのです。

もう全文引用させていただきたいくらいのご本ですが、序論に書かれた主旨がわかりやすくその後のすべてを言い尽くしていられますので、ここではそれをお借りさせていただきますね。

『古今和歌集』と『新古今和歌集』とは歌風が異なるとされているが、前者から後者に至る期間に和歌表現は大きく変貌しており、その変貌は平安後期までにほぼ完成している。それは、後述するように、複線構造による多重表現から、言いさし形式による余情表現への移行であり、視覚レヴェルの表現から聴覚レヴェルの表現への回帰でもあった。

しかし、和歌の外形が≪五七五七七≫のままであったために、和歌表現が質的に変化していることを、したがって、彼ら自身が『古今和歌集』とは異なる表現類型の和歌を作っていることを、平安後期以後の歌人たちは明確に認識していなかった。

『古今和歌集』の和歌は、韻文として極限まで量的に制約された<みそひと文字>の詩形のなかに、さまざまの独創を凝らして豊富な内容を織り込み、表現を完結させている。

『新古今和歌集』の和歌は、連帯形や名詞を末尾に据えた言いさし形式を多用し、表現の完結を読者のイマジネーションに委ねている。余情を重んじる表現であるために、表現構造そのものは単線的になり、したがって、仮名連鎖のそれぞれが単一の意味しか担わない・・・

と、こういうことなんです! 今まで私は『古今和歌集』をちっとも面白いと思ったことがありませんでした。それは言われているような「古今集は観念的だから」という風潮に左右されてのことでなく、口語訳を読んでもふ~んと思うだけで少しも感銘を受けなかったからです。それがどうしたの・・・、といった感じで。それが、上記に書いたように、勝手に漢字を当て嵌めて意味を単一に固定してしまったための結果だったのですね。

「古今集は観念的」という正岡子規の言についても、小松氏は書かれています。

歴代の歌学者たちは複線構造による多重表現に気づかなかったし、『古今和歌集』を批判した明治期以後の人たちもまた、その事実を見過ごしてしまったのでこの歌集の和歌は、観念的なことばの操作として低い地位を与えられたまま、今日に至っている。

驚いたことに、平安初期の『古今和歌集』の時代には暗黙の了解で『古今和歌集』の歌を複線構造で読めたその表現が、平安後期の『新古今和歌集』のころには難解になって初期のようには読めなくなっていたそうです。しかも、江戸時代の賀茂真淵・本居宣長に至るまで・・・。藤原定家でほぼ確立した歌学がずっと江戸時代にも通用され、明治の子規になるわけで、その路線上に現代の註釈書のほぼすべてがあるそうです。

註釈書を読んでも『古今和歌集』の魅力がさっぱり伝わらなかった訳です!!

複線構造という用例を一つあげさせていただきますね。それは「また」という語。みそひと文字のなかで「また」とあるときには、「また」とも「まだ」ともとれるので、読む人は「また」の印象と「まだ」の印象とが一緒に広がります。けれど、それを勝手に「又」だろうと解釈して「又」の漢字を当て嵌めてしまっては、読む人には「又」という感慨しか湧きおこらないということ。

私も、以前、歌を作っていて、「すむ」という語を使ったとき、これは流れからして「澄む」なのだけれど、「棲む」の意もあるのになあと悩み、結局「すむ」と表記した経験があります。それでこのご本の複線構造に得心したのですが、なんだか私も『古今和歌集』をやってたんだ! なんて嬉しかったです(*^-^) やっとこれから私も『古今和歌集』が楽しくなりそう・・・

このご著書の魅力や深い内容を書いていたらきりがないのですが、長くなりましたので、このご本の存在を知ることになった『リポート笠間』冒頭対談「古筆切研究の現在」の最後の池田和臣先生の発言が面白いので、ご紹介させていただいてこの記事を締めさせていただきます。

私は源氏物語の表現論、文体論をやっていたので、源氏の独特な文体の由来が気になります。歌と地の文が融け合うような源氏の文体は、連綿体で流麗に書かれた消息から来ているように思われます。消息のような仮名の書きざまから生まれた文体。仮名の書と源氏の文体はつながっていると思います。そうなると、平安時代の源氏物語がどういう仮名の姿でどういうふうに書かれていたのか、一行でいいからやはり見てみたいですね。

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2011.1.6 ツイッターから・・・【宇宙から見たオーロラ2011 地球をおおう神秘の光】展のお知らせ

ツイッターで話題になっていて知りました。取り急ぎお知らせさせていただきますね。宇宙飛行士の野口さんも会場にいらしたそうです・・・

◆コニカミノルタプラザ特別企画◆
【宇宙から見たオーロラ2011 地球をおおう神秘の光】展

1月5日~1月31日 10:30~19:00

コニカミノルタプラザ ギャラリーB&C(東口 中村屋隣) 

入場無料・期間中無休

http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2011january/aurora/index.html

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2011.1.4 ツイッターへの呟き・・・保苅瑞穂氏『プルースト・夢の方法』を拝読して!

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街を歩いていたら「世界ラン展」のポスターがありました。二月とか・・・。一昨年行ったのを思い出しました。綺麗だったから、今年もまた行きたいな、って思ったのでした。赤い蘭の写真はそのときのもの。プルーストにふさわしいかな、って(*^-^)

ツイッターに呟いた読書記録です。ツイッターもブログもメモ代わりに使えます。メモにお付き合いください、っていうのも失礼かな? 済みません  o(_ _)oペコッ

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odayuriko 今年二冊目の読了。我ながら鬼気迫る?(笑)。ツイッターで一年間テーマを持ったカメラマンの方々の労と暇を惜しまないご活動を拝見し続けて、普通の生活をしていてはダメと痛感。これはツイッターをはじめて何よりもの収穫。それで今年は何をおいても読書を優先しようという気持ちになっています。

odayuriko ずうっとここ何年も『源氏物語』享受の歴史を追ってきたので思考が論理的になっています。でも本当は小説を書きたい。でも今のままでは感性が硬い。とそんな訳でかつて啓蒙された保苅瑞穂氏『プルースト・夢の方法』を出して拝読。懐かしい感覚が甦り心潤いました。井筒俊彦氏の引用もぐっときて・・・

odayuriko 保苅氏は『失われた時を求めて』の中の鐘塔の文章で「裂けた」の語に注目されてます。これは井筒氏の「意味の深層」に到達した文章と。そうか、小説ってそうなのだ・・・と改めて思う。私にはまだその感覚はないけれど、書くことで深まっていくのが文章。書きながら井筒氏の本も読み返していこう。

odayuriko 実は中断していた連載「花の蹴鞠」の締切が迫っているんです。それで今回は書きたいから新鮮な感性を求めての読書です。「花の蹴鞠」は目下『新古今和歌集』編纂時代真只中を書いています。でもそれは表層で、本当は背後に『平家物語』の編纂も行われていたともっていきたい、その為の発奮です。

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2011.1.3 深夜のツイッターの呟き・・・今年二回目、【久能寺経】のこと!

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お正月の忙しさに重点をおいていると何もできないので、とにかく心にかかっているものから片付けようと決意して、深夜、家族が寝静まってからこのご本を出して読みふけりました。以下、その感想です。

未明の4時頃に呟く人なんて、そうそういないですよ。ふつうの人には非常識と映る向きもあるようで昨年は遠慮していたのですが、やはり、これも、そういう周囲の思惑にかまけていると、自分のペースを失います。中学生のときから4時頃まで読書して、それから6時には起きて電車通学の渋谷まで、という生活をしていての今日がありますので、私の体内時計はふつうの方とずれているのだと思います。なので、お許しをいただいて、今年からマイペースの動きを通そうと考えています。

写真は再掲ですが、このご本を読んでの感想ですので載せます。新たにブログに書くのも時間をとりますし、当分、ブログに書いてツイッターに、ツイッターに書いてブログに、と、その都度その都度の更新になります。何度も書いていますが、ツイッターは140文字の拘束がありますので、思いの丈を書くと断章になります。どうしても長く書いてしまう私には、これもいいかなって感じで新鮮です。

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odayuriko 『国宝 久能寺経の歳月―駿州秘抄―』読了。今年最初の読書。三大装飾経のひとつ久能寺経は、思慕してやまない待賢門院璋子の落飾を知った西行の勧進という。頼長の日記や俊成の歌等からそのように想定できるそう。璋子の法名は真如法。真如は明月であり、西行が歌う月は璋子のことに外ならなかった。

odayuriko 西行の「駿河の国久能の山寺にて月をみて読みける 涙のみかきくらさるる旅なれやさやかに見よと月は澄めども」や「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」「風に靡く富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬわが思ひかな」など、駿河の歌の背後に璋子への思慕があったとは・・・

odayuriko 「何となく芹と聞くこそ哀れなれ摘みけん人の心知られて」に西行の璋子への思慕を看破したのは白洲正子さんだったと。「芹を摘む」は「高貴な女性に叶わぬ恋をする」の意だそう。瀬戸内寂聴さんの『白道』は生涯をかけて璋子を恋した西行を書いた本。以前、凄い感銘。もう一度読み返したくなりました。

odayuriko それにしても昨年年初に仙覚を訪ねる旅で埼玉県の慈光寺経を知り、年末に偶然手にした久能寺経の本。夏は源氏物語絵巻との関連で平家納経について考えていて、奇しくもこの一年間三大装飾経がずうっと私の中にあった。これら信仰の背後には人のこの世にあることの深い事情があり、それが響いている。

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2011.1.3 ツイッターから・・・面白いです!! 『箱根駅伝速報マップ』(グーグルマップで位置がわかる!)

『箱根駅伝速報マップ』はランナーの後方を走る大会運営管理車の位置情報を表示するサービスだそう。刻々とランナーの走る位置が表示、入れ替えられて、わかります!!

http://www.ntv.co.jp/hakone/87/sokuhou_map/index.html

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2011.1.2 今年の初ツイッター・・・箱根駅伝を見ていて新倉の巨大な逆断層を撮りにいった事を懐かしく思い出しました! 早川が写って

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odayuriko    テレビで箱根駅伝を見ていたら早川が写って、新倉の巨大な逆断層を撮りに行った事を懐かしく思い出しました。糸魚川―静岡構造線の途中、山梨県にあります。逆断層は古い地層が新しい地層の上に乗った断層。対岸の境目の斜線に圧倒されました。(一枚目)

odayuriko    新倉の断層についての看板です。糸魚川―静岡構造線はフォッサマグナの西縁。太平洋側の静岡県から日本海側の糸魚川を本州を分断するかたちで走っています。早川町にある新倉はそのほぼ中間地点。身延山の近くです。糸魚川側は親不知です。(二枚目)

odayuriko    糸魚川―静岡構造線の糸魚川側は翡翠峡で有名です。これは中でも有名な明星山麓の小滝川の翡翠峡。アルビタイトという真っ白な翡翠原石の巨大な塊がごろごろ散乱していました。写真のこれは中の翡翠が緑色の絵巻のように覗いていたものです。(三枚目)

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三枚の写真はこのブログでは再掲です。詳細な説明は2008年7月の記事にあります。訪ねたのはもっと古い話でまだデジカメではなく、リバーサルフィルムで撮ってあります。色が褪色してもったいないなあと思っていたら、最近、私もフォトショップの腕があがって、ご覧のように自然に近いところまで処理できました。2008年の記事ではまだこの技術を習得していなかったので退化した色のままです。恐るべし昨今のデジタル技術!! 有難いけど、「真を写す写真」の概念はどうなってしまうのかしら・・・と懸念することしきりです。古い「写真」を大学で学んだ私としては・・・

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2011.1.2 新年あけましておめでとうございます!!

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新年あけましておめでとうございます。

昨年は大変変化のある充実した年でした。

でも、振り返ってみると「訴え」に徹してばかりいて、
精神的にはとても厳しい年でした。
それを掬いとってくださる方々がいらしたからの充実です。

今年はもう訴えることは充分にし尽くしましたから、
少しゆとりをもって、
このブログも「雑感」といったような、
気楽さを交えたものにしていこうかな、って考えています(o^-^o)

今年もどうぞよろしくお願いいたします

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