2011.1.3 深夜のツイッターの呟き・・・今年二回目、【久能寺経】のこと!
お正月の忙しさに重点をおいていると何もできないので、とにかく心にかかっているものから片付けようと決意して、深夜、家族が寝静まってからこのご本を出して読みふけりました。以下、その感想です。
未明の4時頃に呟く人なんて、そうそういないですよ。ふつうの人には非常識と映る向きもあるようで昨年は遠慮していたのですが、やはり、これも、そういう周囲の思惑にかまけていると、自分のペースを失います。中学生のときから4時頃まで読書して、それから6時には起きて電車通学の渋谷まで、という生活をしていての今日がありますので、私の体内時計はふつうの方とずれているのだと思います。なので、お許しをいただいて、今年からマイペースの動きを通そうと考えています。
写真は再掲ですが、このご本を読んでの感想ですので載せます。新たにブログに書くのも時間をとりますし、当分、ブログに書いてツイッターに、ツイッターに書いてブログに、と、その都度その都度の更新になります。何度も書いていますが、ツイッターは140文字の拘束がありますので、思いの丈を書くと断章になります。どうしても長く書いてしまう私には、これもいいかなって感じで新鮮です。
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odayuriko 『国宝 久能寺経の歳月―駿州秘抄―』読了。今年最初の読書。三大装飾経のひとつ久能寺経は、思慕してやまない待賢門院璋子の落飾を知った西行の勧進という。頼長の日記や俊成の歌等からそのように想定できるそう。璋子の法名は真如法。真如は明月であり、西行が歌う月は璋子のことに外ならなかった。
odayuriko 西行の「駿河の国久能の山寺にて月をみて読みける 涙のみかきくらさるる旅なれやさやかに見よと月は澄めども」や「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」「風に靡く富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬわが思ひかな」など、駿河の歌の背後に璋子への思慕があったとは・・・
odayuriko 「何となく芹と聞くこそ哀れなれ摘みけん人の心知られて」に西行の璋子への思慕を看破したのは白洲正子さんだったと。「芹を摘む」は「高貴な女性に叶わぬ恋をする」の意だそう。瀬戸内寂聴さんの『白道』は生涯をかけて璋子を恋した西行を書いた本。以前、凄い感銘。もう一度読み返したくなりました。
odayuriko それにしても昨年年初に仙覚を訪ねる旅で埼玉県の慈光寺経を知り、年末に偶然手にした久能寺経の本。夏は源氏物語絵巻との関連で平家納経について考えていて、奇しくもこの一年間三大装飾経がずうっと私の中にあった。これら信仰の背後には人のこの世にあることの深い事情があり、それが響いている。