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2011.2.26 平安京・京都研究集会 第21回 【仁木宏著『京都の都市共同体と権力』を読む】の御案内

仁木宏様からのメールを転載させていただきます。

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平安京・京都研究集会では、仁木宏著『京都の都市共同体と権力』(思文閣出版、2010年)をとりあげます。 
http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784215188

同書で仁木氏は、中世京都の都市構造モデルを前提に、その変容のなかから町(ちょう)の成立を読み解こうとしています。また自力救済社会における武家と都市民の対峙が、やがて公儀を創出し、都市共同体を確立させたといいます。中近世移行期における自治、共同体、権力の葛藤から、都市の本質を具体的、理論的に分析した一書です。

本集会では、中世史、都市史などの立場から本書を検証し、その成果と課題をうきぼりにしたいと考えています。中世・近世移行期における都市京都の位置づけについて広く議論できれば幸いです。

  日時:2011年4月24日(日) 13:30~17:00

  会場:機関紙会館 5F大会議室
       京都市上京区新町通丸太町上ル東側。日本史研究会事務所の建物 
              市バス「府庁前」バス停すぐ。
        地下鉄「丸太町」駅下車、2番出口より西へ、2筋目を北へ。徒歩6分

    http://homepage2.nifty.com/kikanshi-keiji/kaizyou.html

報告(評者);久留島典子氏(東京大学史料編纂所、日本中世史)
        河内将芳氏(奈良大学、日本中世史)
コメント;   高谷知佳氏 (京都大学、法制史)
        山田邦和氏(同志社女子大学、考古学)
コーディネート;河内将芳氏

  *著者・仁木宏氏(大阪市立大学)も参加されます。
  *仁木さんの著書をお読みいただいてから参加いただくのが望ましいですが、お読みでない方にも十分理解いただけるように配慮します。

   *事前の申込不要。一般来聴歓迎。
   *当日、資料代をいただきます。

主催  平安京・京都研究集会

電子メールにて今後の開催案内が必要な方は、事務局(山田、FZK06736@nifty.ne.jp)までその旨、お聞かせください。

集会案内のHP http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/niki/kenkyu/staff.html

世話人;上杉和央、中村武生、仁木 宏、浜中邦宏、福島克彦、
     桃崎有一郎、山田邦和、山本雅和

後援  日本史研究会

問合先  平安京・京都研究集会事務局(山田方) 090-9697-8052

◆平安京・京都研究会 今後の予定
  ・2011年夏 「信長の京都」 -河内将芳『信長見た戦国京都』をめぐって-

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2011.2.24 早春の風情近い称名寺の裏山に登り、北条実時のお墓に参拝して参りました

金沢文庫では現在「運慶」展が開かれています。『吾妻鏡』を読む会でもみんなで行こうとなって、今日、行ってきました。ちょうど講座の開催日だったらしく、その方々と重なって館内は物凄い混雑をしていました。

展示を観終わって、みんなで外に出て隧道を抜け、称名寺の創設者北条実時の邸宅があった平場でお昼を食べていたときのこと、トンビが突然舞い降りて隣にいたお仲間の人の上を通ったと思ったら、その人が「あ、とられた!」って。トンビがその人の手から食べかけていたパンを奪って持ち去ったのです。

雪が降った翌朝訪れたときも、庭園のなかで撮っていて、この平場で同じ光景を目撃しています。トンビは後ろから襲って、狙った人の頭を足で蹴って、その人が驚いて手を高く掲げたような隙を狙って奪っていく・・・というのがパターンのようです。

トンビを近距離で撮るなら絶好のチャンスですよ! なんて、カメラマン的には思うのです。誰かにパンかおにぎりを持って掲げていてもらえばいいんですものね。でも、襲われた二人の人が口を揃えて言うには「蹴られて頭が痛い」と。危なくて、そんなモデルを頼めません。

その後、引率の峰岸先生の提案で、称名寺の裏山に登ることに。雨がぽつんぽつんと来はじめていましたが、誰も反対することなく登りはじめました。実時の邸宅跡の平場からだと三重塔があったあたりの登り口からになります。これはその登り口にあった案内板です。真ん中の池の突端にあたるところです。その上の赤い八角堂から右のコースへ進むと実時のお墓があります。

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下は『吾妻鏡』を読む会の方々。金沢文庫の入館料は65歳以上だと100円になります。私以外の方は皆様100円で入られたようなメンバー。でも、このとおりの急な石段もものともせず登っていかれます。歴史をなさる方は荘園を訪ねたりでフットワークが軽快でいられます。しかもこの方々は凄いんです。古文書を読みこなせる方々ばかりです!!

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ちょうど椿の咲く季節。階段にも覆っている枝から落ちて赤い椿が綺麗でした。

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階段の途中から見下ろした称名寺の苑園のようす。

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春を感じさせます! シダの芽吹き・・・

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経塚の碑。以前、経塚研究の第一人者でいられる三宅敏之先生に教えていただいた「称名寺の経塚はここだったんだ・・・」と感慨を新たにしました。

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ところどころに赤い椿の花・・・

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頂上の八角堂の場所から見下ろすと、なんと! 称名寺境内を囲う裏山の向こうに見えたのは八景島シーパラダイスと六浦の海・・・。称名寺って、こんなふうな位置だったんですね。

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ここから北条実時のお墓です。金沢北条氏は鎌倉幕府の滅亡時に滅びるので、当主は初代実時から二大顕時、三代貞顕までしかいません。顕時と貞顕のお墓は、実時の邸宅があった平場の奥にあり、初代実時のお墓だけが裏山の山上にあるんです。それでなかなか参拝もできなかったのですが、峰岸先生が今日はどうしてもみんなを案内したいとの意向で実現しました。入口の門の下に、誰が置いたのか二輪の赤い椿が・・・

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下りてきたところは称名寺金堂の裏手になります。画面左側が称名寺境内で金堂はもうすぐそこにあります。その裏手はこのように開けた場所。かつて講堂とか、そのような建物があったと聞いています。寒々しい枯木の裏山に一本の白梅の木が満開でした。

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2011.2.23 鎌倉/【木の命コンサート&染色展 in 鎌倉古陶美術館】のお知らせ

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素敵なお知らせをいただきましたのでご紹介させていただきます。笛と薩摩琵琶のコンサートです。会場は横須賀線で北鎌倉駅を発車してすぐ、円覚寺を観ていると線路沿いに見える鎌倉古陶美術館です。赤染恵美子さんの染色展が開催されているなかでのコンサートです。

風に篠笛。壇ノ浦。波間を漂う。薩摩琵琶。
音色を紡ぐ。いろどりの。鎌倉に。焔よみがえる。

笛: 福原道子さん
薩摩琵琶: 坂麗水さん

会期: 4月1日(金)、2日(土)、3日(日) 午後2:00~4:00

演目: 「耳なし芳一」「実朝」「花の寺」他

料金: <前売/入館料込>3,000円 <当日>3,300円(別途入館料)

チケット申込・問合せ
電話: 0467-45-5523  090-1809-4494(斉藤様)
e-mail: sensui2010-kinoinochi@yahoo.co.jp

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2011.2.20 ツイッターから・・・凄い乾杯! 目をみはってしまいました。オバマ大統領がシリコンバレーのスターたちと

http://jp.techcrunch.com/archives/20110218what-are-president-obama-zuck-jobs-and-other-silicon-valley-tech-stars-toasting-to/#

目をみはる光景とはこのこと・・・って、近年になく思ってしまいました。是非ご覧になってください!! コメントも、うんうんと、思わずにやり・・・

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2011.2.19 動画/水面に揺らぐ称名寺の橋の欄干

称名寺の橋が水面に映って揺らいでます!ずうっと見てて飽きない光景・・・

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2011.2.19 称名寺の浄土式庭園・・・動画(3)

発掘によって確認された取水口付近から山門を見渡しました。

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2011.2.19 称名寺の浄土氏庭園・・・動画(2)

本堂から山門を見渡しました。

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2011.2.19 称名寺の浄土式庭園・・・動画

2月15日の称名寺庭園。雪が降った翌日で空気が澄んで空がきれいでした。

称名寺は関東でも珍しい浄土式の庭園です。阿字の池に朱塗りの橋がかかり、まっすぐに本堂へと続きます。鎌倉では禅宗寺院の最盛期の時代に、少し離れた六浦の地にこのような平安の趣を残す優雅な浄土式庭園が造られました。

これは三代当主金沢貞顕が長く京に滞在していたために、京の文化をいっぱいに摂取して鎌倉に帰ったからです。庭園は貞顕の代になってこのように整備されました。

浄土式というからには浄土を願う信仰の庭園です。西陽が射すと金色と朱塗りの橋の欄干が水面に映ってそれは綺麗です。極楽とはまさにこのようなものと・・・

この日は本堂脇の称名の鐘の前で神田正樹さんと竹下景子さんのロケが行われていました。

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2011.2.18 ツイッターへの呟きから近況を・・・戸越公園や、ウォール・ストリートを観たことなど

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忙しくしていて、ブログも、Facebooも、更新がままなりません。でも、ツイッターは140字という制限が幸いしてさっと書き込める・・・

という訳で、近況をツイッターから転載させていただきます。写真は品川区にある戸越公園。もと細川家の別邸だった回遊式の大名庭園が公園になっています。

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odayuriko 滝が復活してました! かつて細川家の別邸だった回遊式の大名庭園。今は戸越公園となっている。品川区。幼いころ近くだったので毎日のように遊んだ。滝壺にも入った。孔雀もいたし、今思うと贅沢な遊び場。以前訪ねたら滝の水が枯れていた。 http://twitpic.com/40sb8m

odayuriko 徹夜してしまいました。外はどしゃぶりの雨。でも昨夜の月は皓皓と冴えて美しかった。昨日で諸々の用をこなし終えたので、今日から三月十五日の講演準備に集中する。とりあえず配布資料作りにかかってみた。源氏物語に気持ちを絞るとすうっと心が引き締まる。これって何だろうといつも思う。

odayuriko 満月が綺麗! 今日はウォール・ストリートを観たので心が満ちている。埋もれた歴史を探ることだけに時間を費やして数年以上、私自身とても厳しくなっていた。一応目的を達してこれからはその歴史に関わった人たちの労を、思いを、この世に浮上させて差し上げる役目に入る。そのためには心も柔軟にと。

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昨日から今夜にかけての呟きでした!

写真二枚目は、かつて戸越公園に設置してあった蒸気機関車の看板。D51だとばかり思っていましたが、これを見るとC12。そうだったんですね・・・

蒸気機関車は自由に乗って遊べました。なので、私も妹と運転席に座ったり屋根に登ったり、それは楽しい想い出です。

学校にあがるまで毎日遊んでいた場所が大名庭園でした。そんな由緒はなにも知らずに自由勝手に池を、築山を、滝を、孔雀を、当然のように遊んでいた当時・・・。三島由紀夫の「春の雪」を読んだとき、知っている光景・・・と懐かしい気がしたのもこの想い出からですね。

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2011.2.18 ツイッターから・・・『源氏物語大辞典』が角川学芸出版から刊行されるそうです!!

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http://www.kadokawagakugei.com/topics/special/genjistory/

genji_m    『源氏物語大辞典』 編者秋山虔先生、室伏信助先生。編集委員鈴木裕子先生、針本正行先生、室城秀之先生。角川学芸出版。税込23100円。約16000項、約1800頁。菊型変形函入。ようやくの完成です!

genji_m    以前、『源氏物語大辞典』のお手伝いを少しだけさせていただきました。与えられた語彙について、源氏物語本文中の全ての用例を、どの場面で誰が誰にどのような気持ちで使っているのか、すべてを検証してそこから意味を考えるようにといわれました。とにかく根気のいる作業でした。

genji_m    『源氏物語大辞典』は全ての語彙がこうした丁寧な検証の上にできていて、その項目の多さもあって、なかなか完成に至りませんでした。長年にわたる、編者や編集委員、また作業に従事した多くの方々の苦労と熱意に敬服いたします。みなさん、学校や図書館に購入申請を出しましょう!

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これはgenji_m様のツイートですが、朝からこれが話題になっていました。関心をもって見ていたところ、genji_m様が実際に携わられてのご労力を呟いてくださいましたので転載させていただきます。

これ、ほんと、凄い! と思います。

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2011.2.16 称名寺の白梅・・・まぶしいくらいの青い空に映えていました! 「運慶」展の図録では、運慶があの永福寺の造像に関わっていた可能性も? と。

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雪が降った翌朝の空気のすがすがしさはそれはもう素晴らしいものです。雪景色を撮りに頑張って出たものですから、いつも訪れる時間帯よりも早く称名寺境内に入って、それを満喫しました。

実時の邸宅があった平場の隅の、たぶん三重塔が建っていただろうあたりに一本の白梅の木があって咲いていました。白梅と青い空のコントラスト、素敵でした!

三枚目は称名寺から金沢文庫に繋がるトンネル。奥に「運慶」展の大きな看板が見えています。実時の当時、御所はこの奥にありました。実時は鎌倉市街にも住居をもっていて、そこが火事にあって大切な蔵書を灰燼に帰した苦い経験から、文庫のある御所と称名寺とを尾根一つ隔てて作り、隧道をつくって行き来したそうです。

「運慶」展の図録に興味深い記事が! 運慶には時政・義盛祈願の造像のあと、奈良での活動が知られるまで、一時期空白の期間があって謎とされていた。それがオークションで話題となった真如苑蔵の大日如来像(足利義兼造像)の出現で、この時期運慶が関東で活動していたことが知られ、もしそうだとすると、運慶は頼朝建立の永福寺の造像に携わっていたかも知れない推測が可能とのこと・・・

永福寺は焼失しているのでご本尊のほとけさまが残っていません。その焼失したご本尊が、もしかしたら運慶作だったかも・・・とは!

永福寺からは寺院関連の遺物が少量ですが発掘されています。鎌倉の展示で見たことがあるのですが、ちいさなほとけさまの手があって、それは繊細なカーブを描きながらも丸みを帯びた肉付きのいいものでした。私はそれが好きで、平泉で永福寺展が行われると聞いて日帰りで見にいったことがあります。その後あまりそれが展示に出てこないので残念に思っているのですが・・・、もしかしたらあのちいさな手も運慶作?

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2011.2.15 雪の称名寺・・・とはいきませんでしたが、撮ってきました。久しぶりに!

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昨夜の積雪で、これは称名寺の雪景色が撮れる! って勇んででかけたのですが、すでに雪はむら消え。二枚目のような場所がところどころに見られただけでした。

が、空気が澄んで綺麗な青空。午前の陽射しはカメラにとてもいいんです。三枚目のように橋の欄干も水面に綺麗にゆらいで、一日中撮っていても飽きない楽しみを満喫しました。

久しぶり・・・と考えて、そういえば去年は一回も撮りにでかけてなかったなあ・・・と思って、いや、違う。昨年は埼玉県・群馬県・栃木県と、関東北部を網羅して撮ったのだったと思いだしました。撮ってなかったのは南部・・・。称名寺も、鎌倉も、撮ってなくて、南部は講演のためのパワーポイント編集で復習みたいなことをしてたのでした!

称名寺・・・、隣接する金沢文庫ですが、ここは私の【鎌倉の『源氏物語』】の出発点。金沢文庫に『尾州家河内本源氏物語』が収められていて、どうしてこのようなものが武家の文庫に?、と疑問をもったのが最初でした。

称名寺は関東では数少ない貴重な浄土式庭園です。阿字の池の中央に橋が渡り、その橋を渡った先に本堂がある・・・という形式です。

鎌倉の庭園といえば禅宗様の枯山水がメイン。それが鎌倉市街を少し離れた六浦の地には、京都風に優雅な浄土式庭園が造られていました。これは第三代当主金沢貞顕の作庭です。貞顕は六波羅探題として長く京に滞在しましたから、京の雅がわかる人だったんですね。あえて当時流行の禅宗様でない、平安様を造園したところに金沢北条氏の意識の高さがあるといわれます。

現在、金沢文庫では「運慶―中世密教と鎌倉幕府―」という、夢のような特別展が開かれています。何が夢のようって、残されているのが数少ない運慶作の仏像が一堂に会していいるのです。期間中展示入れ替えがあるので、前期にあたる目下のところは奈良円成寺の国宝大日如来座像・真如苑の大日如来座像・浄楽寺の毘沙門天立像と不動明王立像・・・など。

ふつう、展覧会というと、「運慶」と銘うっていても「派」や「時代」の括りで他の作者のが混じりますが、金沢文庫では展示室の関係上、先にあげたほとけさま方の他を展示しようがないために、ほんとうに運慶作だけ・・・。じっくり、運慶の作風だけに浸って堪能させていただけました。ふくよかで柔らかで心に浸みる充実感、です。

今日はテレビの撮影隊が入っていて、本堂前の称名の鐘のあたりでずっと撮影をしていました。神田正樹さんと竹下景子さんがいらしてました。最後の一枚はそれを遠望したものです。レフ板が光っていますでしょ!

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2011.2.12 ツイッターへの呟きを転載・・・照明デザイナー石井幹子さんをTVで見て再確認!

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テレビで照明デザイナー石井幹子さんが取り上げられているのを観ました。何年か前に同じ内容の番組を見て思いだしたことがあります。それをツイッターに呟きましたので転載させていただきます。

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odayuriko 照明デザイナー石井幹子さんをTVで見る。何年か前この方の生き方に勇気を得て私も今がある。ライトアップが日本になかった時代、ヨーロッパで盛んなこの文化を日本でもと懇願しても理解されない。石井さんは自費で発電車や機材を持って地方を回り、実験だからとさせて貰って本物を訴えたという。

odayuriko 鎌倉に高度な源氏物語文化があったと訴えても伝わらないジレンマの中にいた私は石井さんの行動に促されて、私も個人で活動を始めればいいんだと思った。そしてHPを一新し、ブログに書込み、写真展をして今がある。行政や学者さんが流布すれば簡単なのにと怒りや迷いが生じる度に石井さんを思い出す。

odayuriko 文化はどうしても現実の価値観の外におかれる。今貧困で悩んでいる人がいるのに何が源氏物語だというような。でも文化こそ人間の崇高さの原点。大戦の最中、谷崎潤一郎も三島由紀夫も源氏物語や新古今和歌集に埋没して精神を保った。戦後の彼らの働きがあるのは文化が彼らを守ったから。

odayuriko 今の時代、現実の目先の利益や反応を重視し過ぎる。そしてみんなが殺伐としていると感じる。心潤うのは物質的な豊かさだけではない。心に和やかなものが浸透すればおのずと人は変わる。文化にはその力がある。特に古典は心を扱う文学だからもっと大切にと思う。何故個人の私がと悩んでも普及させたい。

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吉祥寺の花屋さんで桃の花をみつけ買ってしまいました。ピンクの色がなんというか形容し難いくらいにとてもふくよか。桃色って、桃色の花はほかにもたくさんあるけれど、桃の花の名前が使われているのもだからなのだなあと感心しています。

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2011.2.9 図書館で『万葉集註釈』をみつけて・・・久しぶりに仙覚のことを 

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『吾妻鏡』の発表のための資料を探しに図書館に行って、たまたま全集の棚に揃った『万葉集』を見て、その最後に索引と並んで別巻のようにして『万葉集註釈』があったので、思わず借りてきてしまいました。

『万葉集註釈』は晩年近くなった仙覚が埼玉県比企郡小川町で成した大部の『万葉集』の註釈書です。『万葉集』の四千五百首全部に訓点をつけ終わったのが鎌倉時代の万葉学者仙覚です。それまでもずっと頑張って万葉仮名を読めるように読み下しの労は成されていたのですが、鎌倉時代になってもまだ百五十何首かが読めないままでした。それを完成させたのが仙覚なのです。ですから、現代活字化されて全集などに収められている『万葉集』の底本は全部仙覚の校訂本です。

それほどまでに功績のある仙覚ですが、その人物が一体誰なのか、明確にわかっていません。鎌倉の比企ケ谷新釈迦堂で『万葉集』の校訂をし、埼玉県比企郡で『万葉集註釈』を成したことから、比企氏に関係があるといわれているだけです。それを記念する碑が鎌倉と小川町の両方に建っていますのでご紹介しますね。

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上が鎌倉は比企ケ谷の妙本寺境内、新釈迦堂跡に建っている碑。下が小川町の碑です。

小川町で『万葉集註釈』を成したというのは、この『万葉集註釈』のなかの奥書に仙覚が記しています。先年、仙覚を調べていたときにこの『万葉集註釈』のことを知り、興味をもっていました。それで、こんな身近な図書館にこれがあったのが嬉しく、思わず借りてきてしまいました(*^-^)。数冊の『吾妻鏡』関連の著作といっしょに・・・

でも、これは副題に「本文扁」とあって、私が読みたい仙覚の生涯に迫る文章は省略されてるみたい・・・。探せど探せどなくて、ちょっとがっかり。でも、なんとなくこの本が家にあることで心なごんでいます。

これ、いいかも・・・、と思うのは、何しろ四千五百首全部の歌と詞書が、口語訳や説明なしにずらっと、ほんとうにずらっと並んでいるのです。小さな活字で、全部・・・

全集本で註釈がついているのは有難いけれど、ついそちらに気をとられて、歌に専心することを忘れてしまいますよね。だから、これだけ無機質に活字だけが並んでいるのは豪快!! 期限までしばらく借りていて、ぱらぱらと眺めさせていただこうと思っています。

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2011.2.8 昨日は『吾妻鏡』を読む会の発表担当、元暦2年2月小の頃は、『平家物語』では屋島の戦い・・・そのとき鎌倉では?・・・という状況は調べ甲斐がありました!

075 テキストは寛永本を使っています。担当は各自1ページずつ・・・というので、今回の私の担当はP79、写真の状況です。元暦2年2月小12日から19日まで、というもの。この年はじきに改元して文治になります。なので、改元前のこの時期も文治元年とされることもあります。

ざっと見て19日に南御堂事始とありますから、平和な、あまり緊迫した担当ではなさそう・・・と思ってレジュメ作りをはじめたら、それが大変、なんとかの屋島の戦いとまさに表裏一体の時期でした。

それで『平家物語』を出して読んだんです。それはまさに『吾妻鏡』の記事の裏側の状況ということになりますね。義経が船を出そうとしているのを梶原景時が逆櫓をつけるよう提言して激論になり、それがゆくゆく景時が内乱で追い込まれて滅亡する伏線になる、といったことは『平家物語』に書かれていますが、『吾妻鏡』では義経が船を出したということだけ。

『吾妻鏡』は知っていて書かなかったのでしょうか、それとも、そこまでは知らなかったというのか・・・

その激論があったのは大阪湾の渡部という港。義経は暴風のなか「追討使として暴風など待っている時間の方が結果が恐ろしい」と、あえて危険を顧みず船を出します。そして阿波の国の勝浦に着きます。そのルートが下の図です。

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これは徹夜して作った(毎度の如くなんでも直前にしかとりかからないので・・・)レジュメです。上の地図は小学館古典全集の『平家物語』からとりました。平家はこの時期、讃岐の屋島と、門司の彦島の両方に陣を構えていたんですね。屋島を守っていたのが平宗盛、彦島を守っていたのが知盛です。海上ルート図はインターネットからの借用。左の図は担当箇所の『吾妻鏡』と『平家物語』の記事を並べたものです。

このときはまだ宗盛たちは屋島の内陸に構えた陣にいました。義経の奇襲で慌てて安徳天皇を擁して船で海上に逃げます。それで屋島の戦いは海上という訳なのでした。ふつう屋島というと海、と思っていますがこういう事状だったんですね。19日の南御堂事始の日がまさにその屋島の決戦の日。那須の与一の扇の的を射るエピソードのこのときです。

ここで敗れた平家は門司関の彦島へ逃げのび、そこで壇ノ浦の戦いとなり、滅亡する・・・という、その前哨戦のような状況を、今回の発表で奇しくも明確に把握するところとなりました。発表はできるなら避けたいものですが、結構、やってみると収穫は大きいし、楽しいです!!

南御堂こと勝長寿院は頼朝が鎌倉に建てた最初の大きな寺院。鎌倉は雪ノ下にありました。レジュメの写真はずっと以前撮っていたもの。引っ張り出して載せました。ここは昨年の鎌倉での講演会場「鎌倉投信邸」のすぐ近く。その事始の条が発表の順番に巡ってくるのも奇しくもの不思議な縁と思います。

義経が屋島を担当したちょうどその時期、兄の範頼は九州を担当していました。それで、範頼に関する情報も随分書かれてますので、ちょうどいいので日頃思っていた範頼への関心をまとめました。範頼は比企尼の孫娘の、丹後局の娘と結婚しています。「花の蹴鞠」で丹後局を書いた私としては無視できない人物です。

その結婚によってか、或いはそれ以前の平治の乱で流されたのか、埼玉県比企郡吉見町には範頼ゆかりの伝承がたくさん残っています。ちょうど一年前のこの時期に、仙覚と『万葉集』の原稿を書くために訪れて、それを知りました。そのときの写真もまとめてレジュメに作成しました。徹夜で作って間に合わなくなりそうで、最後は手書きの書込み・・・、思っていることが多いのでひどい走り書きです(^-^; (これが私の実態です!!)

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2011.2.5 野口聡一さんのツイッター呟きから・・・新燃岳の写真が凄いです!! NASA投稿の動画まで

Astro_Soichi    NASA video of volcanos. RT @NASA[Video] #Volcanoes! amazing images of eruptions in Japan & Russia this week. http://cot.ag/fSzBmU

Astro_Soichi    Shinmoe-dake Volcano Erupts on Kyushu, #Japan http://bit.ly/fStc3A 噴煙を上げる霧島、新燃岳の様子です。

Astro_Soichi    Crescent, croissant, 朏. Third moon tonight. 今宵は三日月です。 #moon http://twitpic.com/3wsg0z

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2011.2.4 Facebookファンページから転載・・・2008年に開いた写真展【写真でたどる『源氏物語』の歴史―鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで―】の会場風景をまとめました!

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Faceboookに【鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで】の講演を私がするに至るまでの経緯を載せはじめました。

これは、HP→ブログ→ツイッターとしてきて、またFacebookで同じようなことをするなら、何かもっと特色を生かした有効利用は?と考えてのこと。もともとFacebookをはじめようと思ったのは、個人でも全世界に発信できるというFacebookの可能性に魅せられたから。ここで鎌倉の『源氏物語』文化をもっとたくさんの方に知っていただこうとの思いです。

Facebookにはブログにツイッター機能をつけたような個人掲示板のほかに、ファンページといって、ネット上のオフィスのような利用が可能なページがあります。これをオバマ大統領やリーバイス、コカコーラといったそうそうたる個人・企業が利用して人気や販売促進に役立てているのは知られています。

それは個人でも利用可能で、アーティスト・作家さんが、自身の活動や作品を発信するページとして多く活用されています。

私はこれまでホームページやブログ、そしてバーチャルでなく実際の写真展と、鎌倉の『源氏物語』について随分訴えてきました。でも、いくら発しても思いが届かない・・・、普及しない、認知されない、のです。

そうしたもどかしさの内にいた私にとって、個人での発信能力の優れたFacebookの出現は輝いて見えました。それで、はじめたという訳です。

で、Facebookはテーマを【鎌倉の『源氏物語』】に絞って書いていきます。これは今までもブログでしたきたことですが、今後は、このテーマに限っては最初にFacebookに書いて、これをブログに転載。ブログにはその他の記事を書いていくことにします。

それで、今回も【鎌倉の『源氏物語』】ですので、ここに転載させていただきます! 経緯を振り返るのにちょうどいいで発端となった写真展からはじめています(o^-^o)

Facebookより■ファンページのアルバムに、2008年に開いた写真展【写真でたどる『源氏物語』の歴史―鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで―】の会場風景の写真をまとめました。http://www.facebook.com/pages/zhi-tian-bai-he-zi/188841407807114?v=wall

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2011.2.3 フェイスブックの【織田百合子 ファンページ】を作りました! まず最初に源氏物語千年紀の年に開いた写真展のパネル10枚をアルバムとして載せました・・・

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下のURLをクリックしてご覧になって下さい。

http://www.facebook.com/pages/zhi-tian-bai-he-zi/188841407807114#!/pages/zhi-tian-bai-he-zi/188841407807114?v=wall

フェイスブックには「いいね」ボタンがあって、これは共感された方に押していただくもの。ファンページの初期URLは長くて、ほんとうはオリジナルの短いのを作りたいのですが、「いいね」ボタンが30回押されるまで変更できないんです。なので、どうぞよろしくご協力をお願いしま~す・・・

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