2011.2.16 称名寺の白梅・・・まぶしいくらいの青い空に映えていました! 「運慶」展の図録では、運慶があの永福寺の造像に関わっていた可能性も? と。
雪が降った翌朝の空気のすがすがしさはそれはもう素晴らしいものです。雪景色を撮りに頑張って出たものですから、いつも訪れる時間帯よりも早く称名寺境内に入って、それを満喫しました。
実時の邸宅があった平場の隅の、たぶん三重塔が建っていただろうあたりに一本の白梅の木があって咲いていました。白梅と青い空のコントラスト、素敵でした!
三枚目は称名寺から金沢文庫に繋がるトンネル。奥に「運慶」展の大きな看板が見えています。実時の当時、御所はこの奥にありました。実時は鎌倉市街にも住居をもっていて、そこが火事にあって大切な蔵書を灰燼に帰した苦い経験から、文庫のある御所と称名寺とを尾根一つ隔てて作り、隧道をつくって行き来したそうです。
「運慶」展の図録に興味深い記事が! 運慶には時政・義盛祈願の造像のあと、奈良での活動が知られるまで、一時期空白の期間があって謎とされていた。それがオークションで話題となった真如苑蔵の大日如来像(足利義兼造像)の出現で、この時期運慶が関東で活動していたことが知られ、もしそうだとすると、運慶は頼朝建立の永福寺の造像に携わっていたかも知れない推測が可能とのこと・・・
永福寺は焼失しているのでご本尊のほとけさまが残っていません。その焼失したご本尊が、もしかしたら運慶作だったかも・・・とは!
永福寺からは寺院関連の遺物が少量ですが発掘されています。鎌倉の展示で見たことがあるのですが、ちいさなほとけさまの手があって、それは繊細なカーブを描きながらも丸みを帯びた肉付きのいいものでした。私はそれが好きで、平泉で永福寺展が行われると聞いて日帰りで見にいったことがあります。その後あまりそれが展示に出てこないので残念に思っているのですが・・・、もしかしたらあのちいさな手も運慶作?