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2011.2.9 図書館で『万葉集註釈』をみつけて・・・久しぶりに仙覚のことを 

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『吾妻鏡』の発表のための資料を探しに図書館に行って、たまたま全集の棚に揃った『万葉集』を見て、その最後に索引と並んで別巻のようにして『万葉集註釈』があったので、思わず借りてきてしまいました。

『万葉集註釈』は晩年近くなった仙覚が埼玉県比企郡小川町で成した大部の『万葉集』の註釈書です。『万葉集』の四千五百首全部に訓点をつけ終わったのが鎌倉時代の万葉学者仙覚です。それまでもずっと頑張って万葉仮名を読めるように読み下しの労は成されていたのですが、鎌倉時代になってもまだ百五十何首かが読めないままでした。それを完成させたのが仙覚なのです。ですから、現代活字化されて全集などに収められている『万葉集』の底本は全部仙覚の校訂本です。

それほどまでに功績のある仙覚ですが、その人物が一体誰なのか、明確にわかっていません。鎌倉の比企ケ谷新釈迦堂で『万葉集』の校訂をし、埼玉県比企郡で『万葉集註釈』を成したことから、比企氏に関係があるといわれているだけです。それを記念する碑が鎌倉と小川町の両方に建っていますのでご紹介しますね。

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上が鎌倉は比企ケ谷の妙本寺境内、新釈迦堂跡に建っている碑。下が小川町の碑です。

小川町で『万葉集註釈』を成したというのは、この『万葉集註釈』のなかの奥書に仙覚が記しています。先年、仙覚を調べていたときにこの『万葉集註釈』のことを知り、興味をもっていました。それで、こんな身近な図書館にこれがあったのが嬉しく、思わず借りてきてしまいました(*^-^)。数冊の『吾妻鏡』関連の著作といっしょに・・・

でも、これは副題に「本文扁」とあって、私が読みたい仙覚の生涯に迫る文章は省略されてるみたい・・・。探せど探せどなくて、ちょっとがっかり。でも、なんとなくこの本が家にあることで心なごんでいます。

これ、いいかも・・・、と思うのは、何しろ四千五百首全部の歌と詞書が、口語訳や説明なしにずらっと、ほんとうにずらっと並んでいるのです。小さな活字で、全部・・・

全集本で註釈がついているのは有難いけれど、ついそちらに気をとられて、歌に専心することを忘れてしまいますよね。だから、これだけ無機質に活字だけが並んでいるのは豪快!! 期限までしばらく借りていて、ぱらぱらと眺めさせていただこうと思っています。

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