2011.5.19 真鍋俊照先生古稀記念論集『密教美術と歴史文化』(法蔵館)を拝受してきました・・・「北条実時と『西本願寺本万葉集』」を載せていただいています
5月15日、京都で真鍋俊照先生の『密教美術と歴史文化』のご刊行記念の集いがあり行って参りました。本来ならご刊行の祝賀会となるところですが、東北の震災がありましたので執筆者の会とされたのです。 ここで完成なったばかりのご本を頂戴しました。執筆者も皆会場ではじめて手にして、皆様席につかれると興味津津でページを繰っていられました。
上二枚の写真がその表紙と裏表紙。仏画は真鍋先生ご制作です。
表紙の上辺に配された称名寺の赤い橋の写真は私の撮影。浄土式庭園に惹かれてずっと称名寺を撮っていますので、使っていただきました。撮影はもう10年位前で、現在の称名寺の光景ではありません。私が通うようになってから橋は二回塗り替えられていて、写真はその最初のもの。真鍋先生がまだ金沢文庫にいらした当時のものです。現在のと微妙に趣が違っています。平安の情趣がこちらの方があるでしょうか。とにかく剣菱の金色が夕陽を浴びて池に映えるとかがやいて綺麗でした。
『密教美術と歴史文化』には「北条実時と『西本願寺本万葉集』」を載せていただいています。従来、実時書写といわれてきた『尾州家河内本源氏物語』とまったく同じ装丁をもつ『西本願寺本万葉集』についての考察です。結論は、『尾州家河内本源氏物語』は実時の書写でなく、実時が仕えていた宗尊親王の制作。宗尊親王が更迭されたあと、御所に残されていた『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』を実時が金沢文庫に収めたものとなりました。
ここでは『西本願寺本万葉集』の底本となっている「文永三年本万葉集」を仕上げた仙覚についてかなりの分量で考察しました。これははからずもそういう内容になってしまったのです。
仙覚は万葉集についての貢献大なのに、実際に誰だったのか、まだ特定されていないのです。比企氏のゆかりとされていますので、比企氏の系図から年代・軌跡の合う人物を割り出しました。これは本邦発公開の説です!(*^-^) こんなに著名になっても誰なのか不明だったのは、比企氏ゆかりだったから・・・、何故なら、比企氏は比企の乱で滅ぼされて、その残党とわかると北条氏によって殺される危険があったから・・・、と状況が理に適っていますから、結構自信もっています。
その仙覚が宗尊親王に『万葉集』を献上したのが「文永二年本」。『西本願寺本万葉集』はその翌年の「文永三年本」が底本。そのあいだに宗尊親王が更迭されて帰洛しています。実時は鎌倉幕府の重鎮で宗尊親王のお世話をする立場でした。更迭の評議にも参加しています。おそらく親王が帰洛されたあと、御所を整理していて、残されていた『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』をみつけたのでしょう。
このとき『尾州家河内本源氏物語』は第一次的に完成していました。『西本願寺本万葉集』は未記載で、料紙だけの状態だったのだと思います。「文永二年本」は宗尊親王が帰洛の際に持っていかれたのでしょう。仙覚はまた校訂して「文永三年本」を成し、それを『西本願寺本万葉集』として書写します。
この書写、『西本願寺本万葉集』の完成を仙覚にさせたのが実時と思います。仙覚は前にも書きましたが比企氏の残党ですから、本来なら実時にみつかってはまずいのです。でも、もう仙覚も晩年近くなっていますし、実時は仙覚の万葉学者としての才能を見抜いて重用したのだと思います。おそらくここで仙覚と実時の交流がはじまって、10年後ほどには埼玉県の比企郡から仙覚が実時に「夏梨」を贈るような関係になっていました。
とざっと書きましたが、これが「北条実時と『西本願寺本万葉集』」の結論です。ここにただりつくまで原稿は相当の枚数をこなしています。できあがったとき、ある歴史の先生にみていただいたのですが、「まるでサスペンスのようだね」とおっしゃっていただきました。ほんとうに犯人は誰かの謎解きです!
下二枚の写真は、ほぼ10年前になりますが、真鍋俊照先生のご還暦記念論集『仏教美術と歴史文化』です。同じく仏画は真鍋先生のご制作。上辺に私の写真を使っていただいていますが、いわき市の白水阿弥陀堂です。平泉からこの地に嫁いでこられた奥州藤原氏の女性が、平泉を偲んで、泉という字の「白と水」を冠してつけた寺院名です。こちらも浄土式庭園で有名な史跡ですが、先だっての震災ではいわき市も被害に遭われていてどうなってしまったか心を痛めました。
このときは「北条実時と『異本紫明抄』」を載せていただきました。私の鎌倉の『源氏物語』文化探究の端緒となったものです。『異本紫明抄』は鎌倉で編纂された『源氏物語』の註釈書です。素寂の『紫明抄』と関係がありそうなのでその異本とされて『異本紫明抄』と呼ばれていますが、実際は違って、編纂者が誰かわかっていませんでした。
それで、笠間時朝説が長くいわれてきましたが、その後北条実時説が打ち出され、それを目にして私が奮起したという事情です。私は国文学専門ではなく、称名寺の側から歴史をみていますので、文献だけでは見えない当時の状況や歴史、人脈などが把握できています。それらからたどっていったら、自然と実時の『源氏物語』との関わりが浮かび上がりました。『異本紫明抄』は実時の編纂です!
それを受けて『西本願寺本万葉集』も実時の書写とばかり思ってはじめた「北条実時と『西本願寺本万葉集』」でしたが、はからずもこちらは否定の結果になってしまいました。でも、そのとき立ち会っていた実時がどう動いたか、どうこれら二つの写本に対処して、仙覚に対応したかが浮かび上がって、これも文人政治家実時あっての知的遺産の保護という結果になりました。
私事ばかり書きましたが、両方のご論集、素晴らしいものです。裏表紙の写真に執筆者のお名前が一覧になっていますのでどうぞご覧になってください。そういえば、15日の会、執筆者の方の大半がご還暦記念論集にも書かれていますから10年ぶりの再会です。なんとなく会場が年を重ねた雰囲気になっているのが実感され、お隣の席の方とこっそり笑い合ってしまいました。スピーチで皆様が真鍋先生を称えられつつ、「卒寿記念論集も是非」とおっしゃられ、先生は苦笑されていましたが、そうなったときにまた記念会がもたれて集まったらを考えたら・・・でした。
■カバー図版について
●『密教美術と歴史文化』
真鍋俊照先生の仏画は
≪表紙≫普賢菩薩と荼喜尼天、≪裏表紙≫長谷寺式十一面観音
デザインは
杉浦康平+佐藤篤司
●『仏教美術と歴史文化』
真鍋俊照先生の仏画は
≪表紙・裏表紙≫応徳涅槃図
デザインは
杉浦康平+佐藤篤司+副田和泉子