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2011.5.3 東日本大震災・・・空と雲からみる地震前兆の検証(1)

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2003年10月から地震予知を目的とした前兆の空と雲を撮っています。きっかけはコンパクトデジカメを購入したことからでした。何を撮ろうかな・・・と考えて、身近な被写体として空にレンズを向けたのがはじまり。秋ですから、それは澄んだ綺麗な青空に白い筋雲が広がっていました。

それからはっきり地震雲を意識したのは、阪神淡路大震災を経験されて、事前に知っていたら逃げるなど準備して、被害を軽減できたのではないかと考えて立ち上げられた神戸の方のサイト「KS SKY REPORT」を閲覧するようになったこと。びっくりするような発想でしたが納得できるものがありました。

そしてその掲示板に撮った雲の画像を投稿するなどして経験を重ね、多くの先人の方からの知識や経験則をいただき、どんどん深みにはまるようにして撮り重ねてきました。地震予知とはいっても、被害地震など滅多に起きませんから、当面は空の美しさ、雲の変化の雄大さに魅了されて、撮るのが楽しくてたまらなかったのです。

そして一年経った2004年の10月、新潟県中越地震が起きました。それから12月にスマトラ島沖大地震が起きました。私は予知を目指しながら、直前前兆を捉えられなかったことに忸怩たる思いを抱きつつ、大変なことになったとの思いで撮り溜めた一年分の雲の写真の検証をしました。

すると、前兆は一年前から少しずつはじまっていて、経過をたどれば「これはおかしい」「これは何かある」と空が教えてくれていたことに気がつきました。小さな地震は小さな雲前兆の一回で終わります。でもそれで終わりでなく、それが同じ地域で長く繰り返されるとき、それが要注意のシグナルだったのです。

M3かM4の雲ははっきりわかります。ほぼ確実に24時間の範囲でその方向の震源で発震するからです。でも、M6以上の地震は、直前前兆を捉えるのは難しい。それは、雲を撮ってから数日、一週間、時に一ヶ月等の日数をおいて発震するからです。いくら前兆を撮っても、雲は毎日出ますし、撮りに出れば日々空の荘厳さに圧倒されたり感動したりで気分が変わってしまいますから、それ以前の雲から思考が抜けてしまうのです。

では、記録をつけていて日々検証すればいいと思いますが、私も一時専念してそれをしました。ノートはびっしり溜まっています。その蓄積があるから経験則で撮った雲の検証ができます。でも、それを続けるには相当な暇人でなければ無理です。なにしろ、撮る時間や撮った画像の処理と整理だけでも凄い精力と時間をとられますから。

私は地震雲の検証から予知は可能と思っています。でも、個人の範囲では絶対に無理です。私は以前羽田空港のなかで仕事として写真を撮っていました。なので思うのですが、政府が空港の管制塔のようなものを各地に建てて、そこに人を常駐させ、雲を監視するシステムを造ればいいと思っています。専門の雲観測人を育てれば、絶対に予知はできます。

そうすれば今回の東日本大震災のような地震を予知したときに、事前に防波堤を造る、村人を避難させる、などの処置ができます。個人だと、例えば私が「東北に1000年に一度の地震が来ますよ」「危ないから逃げてください」と、このブログでいくら叫んでも、絶対にどなたも信じてはくださらない。でも、政府の指示なら、それができます。だから、国家規模をと願うのです。

こんなことをいうのは、中越地震のときの経験から一年前の雲前兆をさかのぼって検証した結果、最大前兆が出たのは昨年の夏だったという結果になったからです。夏といえば半年も前です。半年あれば、警戒の準備はできます。すくなくとも福島の原発に最大限の防波堤を築くことはしたでしょう。

私が地震雲を撮り始めたのは、コンパクトデジカメを入手したのがきっかけと最初に書きました。これには意味があって、デジカメが普及する以前の地震雲観測の世界はほぼ職人さん並の極めて精度の高い、それ故に容易に素人の入り込むことのできない難しい世界でした。雲の角度も単に「東北」や「南東」などと書き込むと注意されるのです。磁石で測って正確に○○度と書きなさいと。

それは無理のないことでした。フィルムカメラの時代に地震雲を撮っていた方たちは、フィルムを買って、カメラ屋さんに持ち込んで現像してもらい、写真に焼きつけて、そうして検証していたのです。とてもお金がかかっていますし、撮ってから2,3日とか一週間は写真にできるまでに時間もかかっています。その上、ネットがまだ盛んになっていませんでしたから、それはもう大学の研究室に埋もれて一人作業するような厳しい世界でした。研究者それぞれの情報交換も郵便で写真を送って・・・だったのです。

そのお陰で今の地震雲の体系ができあがったわけですが、デジカメとネットの普及は、観測を一般の人が誰でも簡単に参加できるレベルにおろしてくれました。さらに携帯の普及がそれに拍車をかけて、観測のリアルタイム報告を可能にしました。私がはじめた2003年のころに比べると、それはもう比較にならないほどの膨大な量、そして簡易さでもって、掲示板に投稿がされています。正確さに欠けますが、私はこの広大な広がりこそが大事と思っています。

私の観測も、フィルムカメラだったらまず経済的無理だったでしょう。デジカメだから、どんどん撮って、撮り溜めて・・・がいとも簡単にできました。

前置きが長くなりましたが、東日本大震災が起きて以来、しばらくは打ちひしがれる思いで検証も手につきませんでしたが、ようやく、「やらなくては!」の思いが湧き、ここ一週間ほど、2010年1月からの写真をみていました。整理がつきましたのでここにまとめてご報告させていただきますが、物凄い量が多いので何回かに分けます。

冒頭にあげた二枚は、最初が2010年7月、二枚目の朝焼けが8月の撮影です。一枚目に文字を入れましたが、当地から見て「北~北東」にかけての一帯です。一枚目の雲はひと目見て「これは危ない」とぞっとしました。中越地震のときに関西の方が前兆として撮られた雲に酷似していたからです。それで、いつもは日付だけしかつけない画像保存のタイトルが「三陸沖の強い震源の雲」となっていました。(検証のためにさかのぼって発見して驚愕したのですが・・・)

経験則で「岩手県沖震源」「宮城県沖震源」「福島県沖震源」「茨城県沖震源」の方向がわかっています。一枚目にそれを書きこみました。正確な方位はカメラを構えて立つ位置によって微妙に変わりますので、だいたいの目安と思ってください。(こんなところが私のアバウトさです・・・)

これからこの東北一帯に発生した雲の一年間分をご紹介させていただきます。よく地震雲というと顕著な形状がたった一枚の写真としてとりあげられますが、私の検証方法は空全体で考えますので、「たった一枚」の世界ではないことをご了承ください。

それで、冒頭の二枚が、私が撮ったなかでのこの方向の最大の危険な空でした。細かいことは今後順を追って説明させていただきますが、撮ったときのことは今でもはっきり覚えています。でも、その近辺にそれなりに中規模な国内の地震、あるいは海外での大きな地震が起きていて、それが該当の地震とばかり思ってしまって、まさか半年後にこんな震災になるなんて思ってもいませんでした。ただ、今にして思えば、「この雲の結果がこの程度?」という疑問は残っていて、震災が起きてはじめて腑に落ちたという状況です。

なので、あえてここに記録として残します。デジカメの普及も、ネットの広がりも、地震雲観測の世界ではまだまだ初期です。ですから、「たった一枚」の雲を追うのでなく、「空そのものの異変」に気づくことの重要性として、この記録がこれからのすべての方々の意識の下敷きになっていくよう願って。

追記:一枚目の写真に書き入れた方向を訂正しました。岩手県沖を三陸沖と曖昧に書いていたからです。それに伴い、方向と記事も少し訂正しました。本文にも書きましたが、デジカメ・ネット・携帯の普及による地震雲観測の世界ははじまったばかりです。そして私の検証方法は前例のない仕方ですので、私自身まちがった解釈をしていることはたくさんあると思います。事実、この検証をはじめてすでにここに揚げた画像の雲の結果を違って解釈していたことに気づいています。これらは途上のこととしてこれからの経験の蓄積になっていけばいいと思います。誤りに気付いたらすぐに直しますが、それは隠蔽ではなく、はじめてご覧になった方が混乱しないよう見易さを優先するためですので、訂正→加筆の手順をとらないことをお許しください。(2011.5.5)

■私の地震雲専用のもうひとつのブログ【ゆりこの銀嶺日誌】
http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/

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