2011.6.29 「花の蹴鞠」第10回を編集部に送りました・・・震災以来の久々の文学的執筆、やはりこれを完結させなければと思う・・・鎌倉成就院の紫陽花の写真を添えて
三月の震災で被災地の方を思う辛さと、地震の心配、原発への不安、等々・・・で、しっとりした文学的感性で文章に取り組むことができずにいました。書いてはいてもエッセイとか報告とか感慨とか、とにかく創作とは程遠い境地でした。
が、編集部から締切をいただいて、今度こそ番外編でなく正編を書かなくてはという気持ちになり、取り組みました。
実はこれ、三月の震災直前にもあった締切で、そのときに書こうとしていたものなんです。「花の蹴鞠」第10回・・・比企の乱編・・・
最初の一行は書きだしていて、取り組んだらその先を続ければいいというふうに、ほぼ構成もできていました。そこにあの震災・・・。急遽創作をとりやめて、震災に対する思いを文章にしました。
あれから3ケ月、また締切をいただいて、では、その書き出していた最初の一行を続ければいいかというと、そうはいかない・・・。気持ちが変わっているのです。では、何を書こうか苦しんで、吾妻鏡を読んで、そうしたら見えてきたのが仙覚の父時員は頼家の近習だったこと・・・
「北条実時と『西本願寺本万葉集』」が刊行になって、仙覚を書いていた当時が強く甦っていたからその事実が衝撃的に飛び込んできたのでしょう。
時員を書かなくては!の思いではじめ、相関図を作ったら、今度は頼家世界と表裏一体にして実朝世界があることが見えてきて、筆は一気に、思いもかけず、最初の一行から書き直して、実朝を書いてしまいました!!
光行が実朝の家庭教師的立場だったことは薄々感じていて、人にも伝えたりしていたのですが、相関図+年齢関係から見えてきたことは、もっと深い繋がり・・・
実朝の『金槐和歌集』の万葉調が光行仕込みだという事も私の直感ですが、なんと、実朝の京文化への志向も光行の影響ということになってしまいました。
12歳の実朝と、40代になった光行のコンビ・・・優雅で高度な文化に憧れる少年実朝にとって、平家文化の只中で生きた光行の話はどんなに輝いて聞こえたでしょう・・・、とそんなことを「花の蹴鞠」第10回では書いてしまいました! 新しい実朝論!です(笑)
と、冗談めかした話はともかく、これは「花の蹴鞠」の新展開です。雅経―頼家路線で進んできた物語が、突然光行―実朝路線になります。光行が生きてきて、これから実朝を棄てて上洛し、慈円と共同で『平家物語』の編纂に携わるという、いわば歴史の闇に埋もれた世界を書くのに、その背後に鎌倉に残された実朝の悲しみがある・・・、光行にしても苦しんだのです。実朝をとるか、歴史的編纂物をとるか・・・、実朝もその価値がわかるからあきらめて送りだしたと思いたいです!
私はやはりこれを完成させなければ! 完成させたい!! と強く思った次第です。
■写真は紫陽花で有名な鎌倉の成就院。紫陽花越しに由比ヶ浜の海を遠望できる素敵なスポットです。2006年撮影で大分古いですが、紫陽花の写真をと思って探し出しました。