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2011.7.31 ツイッターへの呟き・・・大河ドラマ「江」再放送で秀次を観て:「河内本源氏物語」伝来の中継ぎの人です!!

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時期はずれですが、今年の枝垂れ桜です。これを撮った直後から私的に忙しくなって撮ったことも忘れていました。すべてが一段落して、ほっと一息ついて、今日31日は4:00に新月を迎えるので、新しく仕事をはじめる前にちょっと整理を・・・なんてしていたら、出てきました。

ツイッターへの呟きを転載させていただきます。『尾州家河内本源氏物語』は現在名古屋市徳川美術館に併設の蓬左文庫に所蔵されていますが、もともとは鎌倉で成立し、金沢文庫に収められていました。

それが鎌倉の滅亡とともに流出して足利将軍家のものとなり、次に豊臣秀次が手にし、それから徳川家康の所蔵となり、それが現在の蓬左文庫に繋がります。

大河ドラマ「江」では、江の嫁いだ豊臣秀勝の兄が秀次。ということで、最近秀次が登場していたらしいのです。あいにく私はこのドラマを観ていないので知りませんでした。

そうしたら、先週日曜日の夜、ドラマが終わったあとですよね、知人が「貴女がやっている秀次が出てたわよ。最後の紀行では菩提寺をとりあげて、貴女がいつも言っている『河内本源氏物語』のことも言ってた・・・」と教えて下さったのです。彼女は歴史通の人でなく、私の論文を一生懸命読んで理解して、それでドラマを観たとき「あ、あのことだ!」と思いつつご覧になってらしたとか・・・。頭がさがりました。

でも、こんなふうに私の周りでは、「河内本源氏物語」の認識が少しずつ広がっています。千葉に住む妹はずっと「江」を観ていると聞いていたので、知人の電話のあとメールしたら、その日はたまたま観ていなかったそう。で、「じゃ、再放送観るね」って言ってくれました。

昨日土曜日がその再放送の日。見逃さないよう頑張って、「観ました!」。妹からも放送が終わった直後に電話がかかってきて、「観たわよ! 河内本のこと、いつ言うのかと思ったらドラマの中でなく、紀行でだったね。でも、ドラマの中での写本のやりとりなんか、様子がわかって面白かった。こんなドラマの観方もあるのね」、だそうです(*^-^)

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大河ドラマ「江」の再放送、観ました・・・

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さっきの「江」の再放送が頭から離れない。秀次がごろごろ寝ながら写本を読んでいたり、訪ねてきた秀忠に本を渡して「これ面白かったら続きがあるよ」なんて。『尾州家河内本源氏物語』は金沢文庫→足利将軍家→秀次→家康と渡るから、多分脚本家の意図は、秀忠に渡したのは『源氏物語』・・・

odayuriko 
鎌倉だけでも精一杯で手が回らなかったから、中継ぎの秀次は今まで考えたことがなかった。なので非常に新鮮。もちろんドラマだから虚構があるにしても、例えばドラマのように聚楽第に秀次邸があったなら、『尾州家河内本源氏物語』も一時そこにあった。そしてそれが家康の手に渡った。ということは、

odayuriko 
聚楽第も秀次邸も悉く破壊されたとき、『尾州家河内本源氏物語』は事前に持ち出されていた。それを家康が手にしたということは、家康もそれに加担、功労があったということ? 向井理さん扮する秀忠が「面白いから続きを」と言った訳でないことは確かでしょう(笑)

odayuriko 
ともあれ今回の秀次編、古典籍蒐集で有名な人物とはいえ、終始それを伏線や小道具に使っているので面白かった。足利将軍家から秀次に渡ったのは平和裏でのことだったのでしょうか、等々、余裕ができたら変遷もきちんとおさえなくては!

odayuriko 
白水社さんの「ふらんす」、高遠弘美先生が4月から半年「対訳で楽しむ『失われた時を求めて』」を連載されているので購読。小説自体意識の中に入っていく作品なのに、それを翻訳される先生のまた意識下に入れる夢のような時間。とても贅沢! http://twitpic.com/5y9g5n

odayuriko 
『解釈』が届きました。発表要旨を載せて頂いています。 http://yfrog.com/khh7whgj

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2011.7.27 鎌倉投信社長鎌田恭幸様が『日本でいちばん投資したい会社』を出版されました・・・今日夕方、ライブ公開生放送があるそうですので、急遽お知らせさせていただきます

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昨年11月に鎌倉で湘南邸苑文化祭【紅葉賀】というイベントがあり、そこで【鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで】という講演をさせていただきました。そのとき会場を提供して下さったのが鎌倉投信の鎌田恭幸社長です。この度、鎌田様は『日本でいちばん投資したい会社』というご著書を出版されました。

この15日に出版記念講演会があり、私も【紅葉賀】でご一緒してお花を活けてくださった宮内信江様と二人、拝聴させていただきました。久々にお目にかかりましたが、懐かしさもあってふっと和むものを感じ、ご講演もとても有意義に楽しく拝聴させていただきました。

ご著書のご刊行祝いの講演会でしたので、先行発売のご著書をその場で購入させていただき、なんと、図々しく(笑)、宮内様と二人で並んで、サインをしていただいて帰りました。

ほんとうは内容のご紹介をさせていただきたいので、拝読してからブログにと思っていたのですが、ツイッターで今日の夕方、ライブ公開生放送があると知り、急遽載せさせていただきます。

会場を提供していただいたからというのでなく、鎌倉投信様、鎌田社長様の理念、ご姿勢には、現代の日本が失いつつある日本本来の美徳があり、敬服するとともに見守らせていただくことで私自身への勉強になっています。

例えば、鎌倉投信様では頻繁に投資先の会社訪問ツアーを実践されています。投資されている方々を率いての現地見学会です。そのひとつに未来工業様があります。壁に設置しているコンセントをさすときのプラスチックのプレートなどを作っている岐阜県の会社です。

http://www.mirai.co.jp/

その社長の「ケチケチ」ぶりと、「社員本来のやる気」で有名な会社です。この会社では毎年社員旅行に海外旅行があって、それを社員の企画で盛り上げて実行しているのですが、三月の震災発生で、一年間かけて作ったそのエジプト旅行だったか、クーデターで変更になってタイだったかの旅行を、社員の自発的意思で取りやめて、その費用を震災被害者の方々への義援金に回された・・・という素晴らしい会社です。

「ガイアの夜明け」で取り上げられたので見ましたが、社員の方々の目がきらきらしているんです。こんなに見事に社員の顔が輝いている会社なんて、見たことがない・・・、そう思ってしまう会社です。でも、社屋内は暗く、まるで手さぐりで歩かなければならない・・・、社長が履くサンダルは破れてガムテープが貼ってある・・・、そんなケチケチ社長さんです。

でも、社員のやる気にはおおいに報いがあって、アイデアを一枚出すと、その一枚につき500円頂ける・・・、採用にならなくても出せば500円・・・、枚数次第なので、一枚の紙に何個も書かないで、分けて提供すればその枚数分だけいただける・・・という訳で、社員の方々のお小遣い稼ぎがやる気に繋がっているんです。(もちろん、これはほんの一例ですが・・・)

そういう会社を幾つも鎌田社長はこのご著書のなかでご紹介されています。金融というより、二宮尊徳か何かを思わせるような人生哲学がここにあります。目下私は文学から気をそらせないので、金融的な社会学的なことは考えず、人生論として拝察させていただいているのですが、ほんとう、かつて二宮尊徳といったら道徳の教科書に載っていましたよね、そんな感じのする鎌倉投信様です。

ご著書のなかで、思い出の残る行事として【紅葉賀】のことも紹介していただきました。嬉しく読ませていただきました。表紙の玄関先に紅葉が活けられた写真はその日のもの。活花は宮内様です。

前置きが長くなってしまいましたが、今夕のライブ生放送は以下の通りです。石田和靖様という方のブログを転載させていただきます。

http://ameblo.jp/kzspecial/entry-10966507488.html

2011年07月27日(水)
【WITV66ライブ】本日のゲストは鎌田恭幸さん「日本でいちばん投資したい会社」
テーマ:WITV

さて、本日のワールドインベスターズTV66ライブ公開生放送のゲストは・・・

ゲスト:鎌田恭幸さん 鎌倉投信
テーマ:「外資金融では出会えなかった 日本でいちばん投資したい会社」
関連サイト:鎌倉投信

<ここに注目!>
「いい会社」への投資で生き方、働き方、お金の使い方まで変わる!「投資はまごころであり、金融はまごころの循環である」これが鎌倉投信の投資哲学鎌倉投信代表の鎌田恭幸さんをお招きして、日本でいちばん投資したい会社について語ります。

本日17:50オンエアー!ぜひご覧ください!六本木ワールドインベスターズトラベルカフェから公開生放送です。当日お店に直接いらしてドリンク1杯ご注文いただければどなたでもご観覧いただけます。お店に来れない方はこちらの生放送配信ページからライブ放送をお楽しみください。

ワールドインベスターズTVの配信スケジュールやゲストの裏話(笑)などは、「FacebookワールドインベスターズTVファンページ」でもアップデートしています。ぜひ「いいね」ボタンをクリックしてみてください。

ワールドインベスターズTV66ライブ生放送は、こちらから毎週月・水・金の夕方17:50から放映 また、再放送は無料視聴期間一週間でこちらから放映

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2011.7.27 7月26日朝の荘厳な朝焼け!

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上から、東北方向、千葉県方向、南東方向、最後は部分のアップです。こういう朝焼けは滅多に観られません。たまたま徹夜して空を観ていたら、なんとなくなんとなく朝焼けしてくる気配・・・。輪郭が染まりはじめた頃、カメラを持って撮りにでました。でも、まさか、ここまでの光景になるとは・・・

昨日26日は朝のこの空にはじまり、終日妖しい空でした。これから整理しますが、かなり要注意、大き目の地震が控えている空です。一枚だけ先にご紹介しますね。大規模な「天使の梯子」です。

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2011.7.27 7月25日の環水平アーク(水平虹)・・・とても現実とは思えない不思議な光景!! 夜に千葉県東方沖で M5.7を含む3連発がありましたが、その前兆だったのでしょうか

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7月25日11:30頃の南東の空に顕われた環水平アークです。最初は彩雲でした。それが雲の変化で形を変えて出たり消えたりしていたら、いつのまにか水平虹に。天女の羽衣が舞うってこうなんだろうなって感じの、とても現実とは思えない不思議な光景です。ずっと眺めてしまいました。

こんなに綺麗なのですが、実はこの虹、大きな地震の前兆です。海外の地震前兆といわれる方もいらっしゃいますが、私は国内のと思っています。

以前、東北で頻繁に観測されたとき、岩手県の内陸地震が起きました。その後、西の方で観測されたときには、やはり関西で大き目の地震がありました。私が最初に観たのは新潟県中越地震前。なので、本州中部という意味で、やはり該当すると思います。

25日のこの虹、どのように影響するのだろうと思っていましたが、夜になって千葉県東方沖で大き目の地震が3回、連続してありました。この前兆で該当として終わりであって欲しいです!

■気象庁発表より
7月25日21時04分頃 千葉県東方沖 M4.6
7月25日20時55分頃 千葉県東方沖 M5.7 震度3
7月25日20時03分頃 千葉県東方沖 M4.5

千葉県東方沖のこれらの地震前兆は、22日未明に顕われていました。以下、3:00から3:30頃までの震源地方向発生の雲の状況です。

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■追記
彩雲は、低空の入道雲の奥に見えるベールのような薄い筋雲にできました。この構成で思い出したのですが、冬だったと思いますが、出先で似た経験をしました。

そのときも、前面に重たい雲があり、その奥に透明感ある綺麗な筋雲・・・、と、その筋雲に虹色が顕われているんです。物凄い強烈な緑色と赤の・・・。あまりに綺麗で目を瞠って立ち尽くしたのですが、あいにく携帯しか持ってなくて、一応撮ったものの望遠はピントが甘いし、色の再現はほぼ不完全。

あんな光景、2003年から空を撮ってきてはじめてなのに、それを撮れなかったなんて悔しく思っていました。たぶん、東北大震災の予兆だったのだと思います。出先で方向感覚がなく、まったくどの地方の前兆か判断つかずにいたのですが、昨日、偶然同じ場所を通って、「ああ、あの空に」と思ったら、それが「北東からの雲」だったことがわかりました。撮れていたらと思うと、空の奇瑞として残しておきたかったのにと、改めて惜しく思っています。

カメラはいつも携行しておくべきですね・・・。私のはコンデジでも前にレンズが出るタイプ。かさばるから携帯で撮れるよう、一応携帯はカメラ機能のいいのを持っているつもり・・・。でも、空の微妙な表情はやはり一眼レフですね。コンデジも太陽に向いて撮ると、もう、無理! となります。

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2011.7.26 ツイッターへの呟きを転載・・・研究発表当日配布のレジュメ作成奮闘のこと

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八月に学会で研究発表させていただくときの配布資料を作っていました。最初は発表用の原稿を作ってから、それに必要な順に資料を並べようと思っていたのですが、提出期限が迫って間に合わなくなりそうなのでとりあえず資料作成からはじめました。

が、今度の発表は、私がその都度関心をもって調べていた数個のテーマが、いつのまにか数珠繋ぎにつながって、一つの大河のようになり、最後の一個に集結したというもの。時間にして10年間に及んでいます。

その一個ずつのテーマが、それぞれあまりに内容が違うので、とりかかっていたときの気分はすっかり記憶の彼方です。手前のほうのはまあまあ思い出せたのですが、最初の頃のはもう、思い出そうと思っても気分が戻ってこない・・・

そんなこんだで、とにかく一応形にしよう・・・、と頑張った一週間でした。ツイッターに呟いていましたので、転載してまとめておきます。

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八月に研究発表させていただくための配布資料を作成中。一昨日大学院ゼミを聴講させていただいた教授の方とお話してたら、「宗尊親王の歌は」という話になり、私の論は歴史という外側の動きだけで済むので親王自身については除外していたことに気づいた。それで少し親王についてひもどいていたら・・・
7月20日

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正嘉二年、17歳の宗尊親王は「勝長寿院三重塔・一切経蔵上棟に密かに臨む。薄暮に帰還」と。勝長寿院は頼朝が父義朝の菩提を弔うために建てた寺院。そして今その地域に私が昨年講演をさせて頂いた鎌倉投信がある。鎌倉の源氏物語文化を訴えてもなかなかどこにも掬いあげて頂けなかったのを・・・
7月20日

odayuriko織田百合子
鎌倉投信の鎌田社長が「講演で」と社屋を会場に使わせて下さった。そしてその講演から今少しずつ鎌倉の源氏物語が浸透しはじめている。私にとっていわば鎌倉投信は鎌倉の源氏物語の中興の発祥地。そして鎌倉の源氏物語は宗尊親王によるもの。その宗尊親王がその地を訪ねていた記事を発見したのでした!
7月20日

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しかも、正嘉二年は、鎌倉の源氏物語の象徴的存在である『尾州家河内本源氏物語』にある奥書の、「実時が親行から借りて河内本源氏物語を書写した」というまさにその年です!! 
7月20日

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熟睡して起きたらすっきり。これからしばし打ち込みます・・・宗尊親王のことで思い出した大切な一つ。それは親王は高峰顕日の弟君でいられたのです。お二方ともに後嵯峨天皇の皇子。親王は鎌倉将軍となり、高峰顕日はのちに浄智寺の住持となり、ここで夢窓疏石に印可を授けることになった方です。
7月21日

odayuriko織田百合子
高僧で歌を残していられる方は傾倒しやすい。慈円がそう。そして高峰顕日、夢窓疏石ともにそう。特に高峰顕日の歌は徹底して厳しく惹かれます。それで鎌倉を去って那須に籠り開山された雲厳寺を訪ねたりしたのですが、まだフィルムカメラの時代。あれをデジタルに処理しないと、と思い立ったのでした。
7月21日

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那須雲厳寺を訪ねたとき、たまたま出ていらした作務衣姿のお坊様とお話した。冬は寒さが厳しいから、素足の僧侶の生活は指が凍傷になると。高峰顕日も、と思わず思ったのだった。那須の山間の気象は激しい。夕方になると突然豪雨になり雷鳴が轟いた。怖いほどの自然。なんだかまざまざ思い出しました。
7月21日

odayuriko
発表のための配布資料、やっと核心をつく文言を入れ込めるようになってきた。「河内本源氏物語」→『尾州家河内本源氏物語』の成立についての発表。何故河内本が鎌倉で成立したかを探っていた時期と、仙覚と万葉集を探った昨今とであまりに領域が違いすぎて、私自身のなかで過去が薄れてました。
7月22日

odayuriko織田百合子
提出期限が迫っているのでとにかく形だけでも整えなければと頑張ったけれど、肝心の「心」が入っていかない(泣)。それに苦しんででもとにかく作って昨日規定の120部コピーをとった。そうしたら夜中に「そうだ、これを入れなければならなかった」と気づいたことが。それが「核」。補足しなくては!
7月22日

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核がつかめると燃えてくる。やっと資料に「心」が入りました。そして、やっと楽しくなりました。
7月22日

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大会発表用のレジュメ、今日終わる予定がホチキスする段階になって突然もう一枚挟みたくなって中断。明日こそ! http://yfrog.com/kj38117170j
7月23日

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私事をちょっと・・・。昨夜ホチキス止めして完成という間際でもう一枚差し挟みたくなったレジュメ、今日はもっと変更がはじまって、ついに最初にとったコピー2枚分(120部入用なので240枚)を破棄、新しく3枚(360枚)作って、やっと完成。今夜こそホチキス止めします!
7月24日

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やっと終了! レジュメの作成。明日発送できます。何を手間取っていたかというと研究が10年に及び、その間に手掛けたテーマが数個。領域が違うので最初のころの記憶が私の中に戻ってこなかったこと。終盤になってやっと全貌が甦り、不足を追加するはめになったのでした。
7月25日

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その忘れていた最初の頃のテーマが源光行の『原中最秘抄』。「河内本源氏物語」の原点。光行が源氏物語註釈書『水原抄』を成すにあたって後京極良経、後徳大寺実定、久我通光、藤原俊成の四人の協力があったという。こんな大事なことをレジュメに入れそびれるところでした(泣)
7月25日

odayuriko
前のツイートを打っているときに福島県沖M6.2の地震。3.11の時を思い出す揺れ方で緊張しました。このせいかキーボードの文字変換が異様に遅い。まだ後続があるのでしょうか。さっきの続きですが、光行の源氏物語研究は平家文化と共にあった、つまり河内本源氏物語は平家文化の残照なのです!
7月25日

odayuriko
もう寝なくてはと思ったのですが、忘れないうちに打っておきます! さっき大河ドラマ「江」を見た友人から電話。「貴女がやっている豊臣秀次が出てたわよ。本を集めたりしてたってやってた。最後の紀行では菩提寺の京都瑞泉寺をとりあげて、河内本が伝わっているって」と。有り難かった情報。
7月25日

odayuriko
あまりご存じない方にひと言。河内本源氏物語を金沢文庫創設者の北条実時が書写したという奥書がある『尾州家河内本源氏物語』。鎌倉の滅亡時、金沢文庫から持ち出されて足利将軍家の所有となり、次に豊臣秀次、そして徳川家康にと渡って、それで現在徳川美術館併設の蓬左文庫所蔵となっています。
7月25日お気に入り返信削除  引用して返信   @関連

odayuriko
整いました、120部。資料5枚、関係図1 枚、年表2枚です。どんな方が受け取って、どれほどの方が興味を示して下さるでしょう! http://yfrog.com/h3775qpj
7月25日

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中の1枚、関係図です。エクセルで頑張って作りました。「鎌倉歴代将軍と京の文人の交流関係」です。 http://yfrog.com/h2g2iqqmj
7月25日

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吾妻鏡の宗尊親王の記事だけを抜粋して読んでいます。吾妻鏡は親王が更迭されて帰洛する処で突然終わります。そこに編纂の謎を解く鍵が潜んでいるかも! http://yfrog.com/kintubrj
7月25日

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井の頭文化園前。動物園にはぞうの花子がいます。引っ越して来て驚いた事の1つです。身近に象がいるなんて!解放感からちょっと散策してます。 http://yfrog.com/kezp0ajj
7月25日

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武蔵野の雑木林。ちょっと暗いけど http://yfrog.com/kk42897709j
7月25日

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2011.7.25 東北に大きな地震がまだ続いています・・・23日の雲を載せさせていただきます

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この形状の雲が出ると東北に大き目の地震がある・・・という雲が23日にまた観られました。上から、「南―東―北東」の空です。ただ、この日はいつも出る「南東(小笠原諸島方向)」ではなく、「南(伊豆諸島方向)」でしたので、どういう違いがあるのか、まだわかりません。この日の雲自体は、ほぼ真北に近い北北東にありました。

気象庁発表よりM5以上を抜粋:
7月25日20時04分頃 宮城県沖 M5.1 震度3
7月25日03時51分頃 福島県沖 M6.2 震度5弱
7月25日00時07分頃 宮城県沖 M5.2 震度3

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2011.7.19 ツイッターを転載・・・八月に研究発表するときの配布資料作成中のこと

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ツイッターでの呟きを転載させていただきます。

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鎌倉将軍と京の文人の関係図をエクセルで作成。土台部分完了。あと説明を手書きするか切り貼りすれば完成。来月研究発表するのでその配布資料です。 http://yfrog.com/klwlfzij

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続いて年表。定家と光行の誕生から仙覚の万葉集までほぼ100年。青表紙本・河内本源氏物語の位置が一目瞭然。これから校正です。 http://yfrog.com/kkn0tgj

●7月19日

odayuriko 
八月に研究発表させていただくための配布資料を作成中。一昨日大学院ゼミを聴講させていただいた教授の方とお話してたら、「宗尊親王の歌は」という話になり、私の論は歴史という外側の動きだけで済むので親王自身については除外していたことに気づいた。それで少し親王についてひもどいていたら・・・

odayuriko 
正嘉二年、17歳の宗尊親王は「勝長寿院三重塔・一切経蔵上棟に密かに臨む。薄暮に帰還」と。勝長寿院は頼朝が父義朝の菩提を弔うために建てた寺院。そして今その地域に私が昨年講演をさせて頂いた鎌倉投信がある。鎌倉の源氏物語文化を訴えてもなかなかどこにも掬いあげて頂けなかったのを・・・

odayuriko 
鎌倉投信の鎌田社長が「講演で」と社屋を会場に使わせて下さった。そしてその講演から今少しずつ鎌倉の源氏物語が浸透しはじめている。私にとっていわば鎌倉投信は鎌倉の源氏物語の中興の発祥地。そして鎌倉の源氏物語は宗尊親王によるもの。その宗尊親王がその地を訪ねていた記事を発見したのでした!

odayuriko 
しかも、正嘉二年は、鎌倉の源氏物語の象徴的存在である『尾州家河内本源氏物語』にある奥書の、「実時が親行から借りて河内本源氏物語を書写した」というまさにその年です!! 

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さっき、このツイッターで鎌倉投信についての記事をみつけましたのでご紹介させていただきます。社屋は懐かしい気のする昭和の古い建物。その写真をご覧になっていただきたいな。実をいうと私のアイコンはその講演の日のもの。鎌倉投信邸の中です。http://t.co/Y0WULvK

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鎌田恭幸社長は、この度『日本でいちばん投資したい会社』という本を出版されました。15日に出版記念講演会があって、そこで先行発売のそのご著書を私も購入させていただいて拝読中です。表紙に12月の講演【紅葉賀】のときの写真を使っていただき、中でご紹介もしていただいています。配布資料を作り終わったら、このご著書をご紹介させていただきますね!

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2011.7.18 今日は早朝、綺麗な朝焼け雲が観られました! 台風が近いと大気が赤く染まる不思議な夕刻になりますが、早朝のも同じ理由なのでしょうか・・・

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神々しい黄金色の朝焼けは太陽があるから・・・。同じ朝焼けでも反対側の西は下のような状況でした。4:30頃の東の空。

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徹夜すると朝焼けがとれるというメリットがあります。しばらく徹夜をしないでふつうの生活をしていると全く撮るチャンスを失いとっても損した気分になります。そのためにも夜昼逆転の生活に戻そうかと考えるくらい・・・(笑)

この西側の焼け方は台風が近いときに染まる空の色です。大型の台風が近づいています。どうぞお気をつけください!

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2011.7.15 【7月15日21時01分頃 茨城県南部 M5.5 震度5弱 】の直前雲だったのでしょうか・・・

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今日(15日)、18:15頃の空です。北から南東にかけて白い大きな雲が発生していました。渋谷のビルの谷間にそれを観て、全貌を観たいのだけれど地元につくまで消えないでいてくれるかしらと思ったのですが、案の定消えずにこの通り、撮ることができました。

案の定というのは、地震性なら滞空時間が長いからと思ったのです。さすがにもう少し後には小振りになって、ピンクに染まった夕焼け雲になっていました。

危惧したのは三陸沖方向。こういう大きな雲を何度か観ているからです。でも、それにしては質感が違う・・・

三陸沖の場合、ぼてっとした入道雲的な質感。それに比して今日の雲はなんとなくすずやか・・・、さらっとして微粒子のような感触の雲です。違うのかなあ・・・と、三陸沖震源に疑問をもっていました。しかも、三陸沖震源とは位置がちょっとずれて、北東上空・・・。これは、また、福島県沖? でも、なんか違う・・・、と迷う雲でした。

【7月15日21時01分頃 茨城県南部 M5.5 震度5弱 】が発生し、もしかしてと衛星画像を調べたら、震源地あたりに大きな雲の塊が発生しています。三陸沖には見当たりません。これは震源地の雲だったんだと思いつつ、それにしても大きな雲でした。そして、当地での揺れも震度3、三月の震災を思い出させる長い揺れが不気味でした。

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2011.7.14 7月11日夕刻は綺麗な「薄明光線―反薄明光線の架橋」が観られた珍しい空でした→更新! 9日の薄明光線追加しました。

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一枚目は北西から放射される薄明光線、二枚目はそれが延びている天頂、三枚目は南東から延びている反薄明光線です。天頂で繋がっています。

薄明光線というのは、太陽が低い位置にある早朝や夕方に起きる現象。太陽の前に雲があると光を遮ります。その雲の隙間から洩れた光線を薄明光線といいます。反薄明光線は、太陽がない側の薄明光線のことです。現象が強いと長く延びて反対側の地平線まで達した状況です。架橋したようすは虹と同じ、この日はそれがとても顕著でしたので、一瞬「白い虹?」と目を疑いました。

一枚目の写真の低空に、ビルに遮られていますが、軍艦のように横たわる巨大な黒い雲が写っています。夕陽はこの雲の背後にあって、そこから光芒が延びています。

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これは移動した場所で撮ったもの。一枚目の写真の光芒を正面から撮ったことになります。とても綺麗でした。

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さらに移動したら一枚目の写真の低空に写っていた雲の全貌が観えたので撮りました。ほんとうに巨大な雲・・・、左側が夕焼け空になっています。光芒はそこから延びていたようです。最初にここにいて光芒を撮ったならどんなに凄まじかったでしょうと、惜しい気がしました。

いつも撮る場所でないと勘がつかめないのですが、自宅近くに戻ってきて雲の位置を確かめたら北西(新潟県方向)でした。そして、気象衛星画像を見たら、たしかに新潟県から北にかけて巨大な雷雲の塊がありました。それがこの画像です。↓

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雷雲の発生した場所ではよくその後地震が起きます。薄明光線は10日にも観られていて、その時も新潟県方向に巨大な雲の塊がありました。そして【7月11日11時02分頃 新潟県中越地方 M2.2】が発生。今日また【7月15日01時35分 15日01時29分頃 新潟県中越地方 M1.8】が発生しました。小さな地震ですが、ここのところ東北地方の地震ばかりで、そういう中での中越の地震は非常に珍しい発生です。薄明光線を起こした雲との関連を思っています。

10日の雲は後程ここに追加します。両日とも出先で携帯しか持っていないのが残念。鮮明な記録として残しておきたい現象だったのに・・・

■追記(7/15):
記憶違いで、9日、10日、11日と連日薄明光線が観られたのですが、10日のは撮っていなくて、以下、9日分を追加します。

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全部同じ雲です。上四枚が同じ場所からです。一枚目は雲に遮られた夕陽の光芒が薄明光線となって延びている空。二枚目から四枚目は同じ雲の「南西―西―北西」で、パノラマ風に繋げた感じでご覧になってください。

最後は移動して別の場所から観た同じ雲。新潟県中越方向に発生しており、気象衛星画像でもそこに雲の塊が発生していました。↓

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三月の震災前兆として、前年の夏に異様に連日薄明光線が観測された時期がありました。なので、連日続く薄明光線は私には不気味です。綺麗で神秘な空が実は怖いというのは、一層強く自然への畏怖を思います。

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2011.7.12 一ヶ月も前の6月8日の空ですが、大きな余震を感じさせる雲が出ていましたので懸念していました・・・

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6月8日、17:50頃の三陸沖方向発生の放射状雲と、その後その雲が焼けて夕焼けになった19:00頃の空です。

この形状の雲の発生は、三月の震災前兆として撮っていますので、大きな余震が迫っているのだと危惧しました。その後、私事にとり紛れて撮影したままになっていたのですが、下の記事(9日分)を書くために、撮り溜めた画像をカメラからPCに取り込んだので出てきました。そして、これに見合う地震は起きていないなあと懸念し、デスクトップにファイルを作って、時間ができたらブログに載せようと準備していたのです。

【7月10日09時57分頃 三陸沖 M7.1 震度4 】が発生しました。これはすぐに上方修正されて、M7.3になりました。すぐにこの写真の雲を思いました。必ずしもこの雲の該当地震と主張する訳ではありませんが、撮っているときの危惧が結果として顕われていますので、記録として残しておきたいと思います。

でも、この地震の発生後はもっと顕著に三月の震災前に似た空が頻出しています。大きな余震を危惧し続けています。

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2011.7.9 7月5日は後光のような光芒の夕焼けでした・・・強烈な夕焼け後にM7規模の地震がよく発生しますが、7日に南太平洋でM7.8が起きました→10日三陸沖M7.3が発生しました

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後光のような光芒は神々しいのですが、大気中に磁気が満ちているから起きる現象・・・どこかに電磁波を発生させている震源があるということです。身近な宏観がないことから、それは海外・・・。国内だったら神々しいなどといって夕焼けを見ていられる状況ではなく、さまざまな支障が起きて世情が緊迫するでしょうあい、体感的にもきついでしょう。

この夕焼けを撮りながら、海外でM7規模の地震が発生するのかなあと思っていました。【7月7日04時03分頃 南太平洋 M7.8】が発生しました。

所用で空は見ているものの撮れないでいます。昨日7日はとある6階のレストランで懇談中、窓の外に広がる雲が気になって気になって・・・、それは遠くに新宿の高層群が見える窓でしたが、東北のある一点を中心に雲が発生していて次第に広がっていく光景でした。動画のように目に焼き付いているのですが、それがその後明確な広範囲の前兆雲になったらしいですね。

その後観たのは暗くなってからで、外に出たらやはり東北を中心とする怖い雲が広範囲に広がっていました。それから地元に帰って、その通りすがりにいつもの撮影場所を通ったら、東北一帯にいろいろ不審な状況・・・。一番顕著だったのが、夜空が薄く青白んで、そこから発生している雲が昼間の雲のように真っ白・・・

これは今夜大き目の地震がある・・・と見ながら帰宅したのでした。「明るい夜空に白い雲」は直前前兆です。そうしたら、深夜、寝入りばなに、【7月8日03時35分頃 福島県沖 M5.6 震度4】。これは3月11日の再来をふっと予感させる揺れでした。幸いすぐ収まりましたが、緊張しつつ、日中からの東北の雲を思っていました。撮れていたら皆様にご報告できたのにと残念です。

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と、過ぎたことを書いていますが、実は今日8日もまた強烈な夕焼けが観られたようなのです。観られたというのは、私自身はビルの中にいて観ておらず、外に出たら西に焼け残りの赤い空がありました。これは焼けたのだな・・・とツイッターや地震予知のサイトを見ると、物凄い強烈な夕焼けになっていました。

写真は17時頃の東北の空です。広がった雲を撹乱する塊状の状況ができていて、やはり余談を許さない空でした。この直前、西の空はこの雲の端が太陽を背景にしてぎらぎら輝いていました。磁気性の強い雲です。そういう時の夕焼けは坩堝のような強烈な夕焼けになりますが、ほんとうに他のサイトで拝見した空はまさにそうでした。

追記:
【7月10日09時57分頃 三陸沖 M7.1 震度4 】→修正されてM7.3となりました。でも、最大余震M8がまだ懸念されています。

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《ふんばろう東日本支援プロジェクト》・・・必要なものを必要な場所へ、必要なだけ送る。被災者と支援者を直接結ぶプロジェクト、です!!

昨夜の「ガイアの夜明け」で紹介されていた《ふんばろう東日本支援プロジェクト》、ネット時代ならではの当然といえば当然のとても必要な、画期的なアイデアと思います。昨夜、ご紹介するのが遅くて間に合わなかった方もいられると思い、サイトをご紹介させていただきます。

必要なものを必要な場所へ、必要なだけ送る。被災者と支援者を直接結ぶプロジェクト、です!!

http://fumbaro.org/

◎こうして "ふんばろう" は始まった!!

http://fumbaro.org/about/achieve/2011/06/miura1.html
http://fumbaro.org/about/achieve/2011/06/miura2.html

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取り急ぎ!! 本日22時からの「ガイアの夜明け」・・・≪ふんばろう東日本支援プロジェクト≫!! 是非ご覧ください。

T.HIRASHIMA

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2011.7.5 ツイッターに呟く・・・論文の抜刷を作ったときのこと

Y9wra

ツイッターに呟きました。

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odayuriko 
何となく気持ちをリセットしたくなってデスクトップの壁紙をモノクロの厳しい山の写真に変えた。それで思い出して、そうだ、私はアンセル・アダムスが好きだったと。特に「ムーンライズ」の逸話。私の原点の一つ。http://t.co/RcysafS

odayuriko 
論文の抜刷を作ってお世話になった方への発送終了。抜刷を自分で作ったのは、以前、院生さん達が大学近くの印刷所に頼んで作ると聞いていたから。自宅近くにそういう所はないので、検索してオンデマンド印刷でできると知り、飯田橋のバンフー印刷に持ち込みました。無事に出来上がり満足しています。

odayuriko
オンデマンド印刷には以前から興味を持っていたので、この際経験してみようと思ったのです。本を解体するのはちょっと勇気を要しました。でもワード原稿をインデザインで組み直す労力を考えたら結局オンデマンドが楽と決断。持ち込みに行った飯田橋で印刷博物館のポスターを見て空海展に寄りました。

odayuriko 
抜刷は一般の印刷所に持ち込む人はあまりいないみたい。バンフーさんにこちらの要望を説明しながら訊いたら、前に一人受けた事があって、ああ、あの事かとわかったと言われました。

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論文の掲載とともに頂く抜刷は、今まで当然のことのように思っていました。でも、今回、自分で作るしかなくなってみると、頂いていた事の有難さを痛感。それとともに、自費で作った抜刷はまた格別です!!

写真の背景は、印刷博物館で買ったファイルです。高野山の曼荼羅がデザインされていて凄い豪華! 迷わず購入してしまいました。曼荼羅・・・、もうずっと以前、密教がブームになって、今はもう無い池袋の西武美術館で石元泰博さんの写真で満喫したころを懐かしく思い出しました。曼荼羅の基本は、コンピューター言語と似ているそうです! 

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2011.7.3 ツイッターに呟く・・・印刷博物館【空海からのおくりもの ―高野山の書庫の扉をひらく―】展図録のことなど

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昨日からのツイッターへの投稿です。

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odayuriko 
こんな展覧会が!今年は法然と親鸞のお二人の御遠忌なんですね。なんだか京都の宿泊が大変そうと思ってました。東京国立博物館の展示、前期に早来迎が出展されるそうです! http://yfrog.com/h3k0iyqj

odayuriko 
東博は空海と密教美術展と思っていたので驚いたのだけれど、空海展は7月からで、法然と親鸞展は10月からとわかって納得。しばらく忙しいので空海展だけなら行かれそう。

odayuriko 
吉祥寺の夕焼け。7月に入り、秋までのイベント資料作成に入った合間のお出かけ。たっぷり道草を楽しみました。 http://yfrog.com/gyb0omxj

odayuriko
この図録、凄い! 印刷博物館「空海からのおくりもの ー高野山の書庫の扉をひらくー」展。背表紙がこんな! 表紙は経典の版木の再現。印刷博物館ならではの贅沢な装丁。お得です(笑)。今月中旬まで。 http://yfrog.com/h86i9johj

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2011.7.2 平清盛ゆかりの神戸を訪ねて(2)・・・平清盛が日宋貿易で活躍した大輪田泊一帯(兵庫の港側)

5月16日に訪ねた神戸・・・平清盛ゆかりの史跡を撮って歩いたのですが、先日一門の邸宅があった北の山側一帯の写真をアップしたまま、海側一帯の写真をそのままにしているのを忘れていました。急遽、アップさせていただきますね!

最初に海・・・、史跡の写真は記録としては有意義ですが、やはり私は当時の人がその目で見て生きた風景そのものを撮りたい! それで、とにかく、今回の神戸では「海」が撮りたかったのです!!

神戸市を神戸駅をはさんで山側が邸宅のあった地とすると、海側が源光行が後徳大寺実定や源通親のもとで宮城制定のために「丈尺をとってはたらいた」大輪田泊の地です。

まず、海の写真から・・・

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次に、清盛塚と呼ばれる十三重の石塔。隣に清盛像と琵琶のかたちをしているために平経正にちなんで琵琶塚と命名されている石塔が並んでいます。

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それから、萱の御所跡碑が建つ薬仙寺。清盛が後白河院を幽閉した場所といわれます。

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最後に、清盛が得度した寺院・能福寺。お墓もあったはずですが、今は不明です。代わりに清盛の廟が建っています。大河ドラマ「平清盛」で清盛役になられた松山ケンイチさんも、撮影開始にあたって訪れてらして、新聞記事が貼られていました。

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能福寺で驚いたのですが、本堂が黒漆造りのような素敵な建築なのです。それもそのはず、もとは京都東山の月輪御陵の九条侯爵家にあった拝殿で、それを移築したのだそうです。「月輪影殿」という額がかかっていました。そして、京都は粟田の青蓮院旧院家の格式…、立派なのことこの上ないのが頷けました。

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これでひとまず今回の神戸旅行の写真アップを終了します。震災があった三月からずっと、心を文学にだけ傾けられる状況でなく、あれをしたりこれをしたり、一見集中しているようで、実は一件一件をこなしているのがやっと・・・という日々でした。

七月に入って、学会発表の為の配布資料の提出期限も迫ってきますし、その原稿も書かなくてはならない!! 突然、こうしてはいられない思いが湧いてきました。それで今日からは心を新たにして集中することにします。その為にやり残したことはないかなあと考えて、「そうだ、神戸の写真!」と思いだしたのでした(泣) 

神戸の史跡についてはもっともっと詳しく正確に書きたいところですが、割愛させていただきます。神戸市兵庫区のHPに詳細がありますのでご覧ください。

http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/hyogo/shoukai/kiyomori.html

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2011.6.30 今朝の松本地震【30日08時16分頃 長野県中部 M5.5 震度5強 】の前兆雲だったのでしょうか・・・

今朝、震度5強を観測した松本の地震、【30日08時16分頃 長野県中部 M5.5 震度5強 】 を知ったときに、あの雲だ・・・と思った雲がありました。24日の記事に載せてありますが、「ごつごつした質感」の赤くレリーフ焼けした雲です。

「ごつごつした質感」の「赤くレリーフ焼け」する雲は危険と、24日の記事にも書きました。それで警戒し、あえて当日記事として載せました。ただ、あのときは全天に広がることもなく、M5規模の単発地震と思って、大丈夫・・・と、あまり警戒しませんでした。方角は低空がはっきりつかめている訳でなく、漠然と「浅間山方向」と書いています。(もちろん、浅間山の火山の噴煙でないことは自明として・・・)

でも、震度5強の地震から今現在まで、以下のような群発が起きています。体感やPC異常など、まだ直前前兆が報告されていますので、これで終わりのわけでなく、一層注意が必要のよう。近くの方はお気をつけられますように。

30日23時45分頃 長野県中部 M2.3 震度2
30日22時03分頃 長野県中部 M2.0 震度1
30日21時13分頃 長野県中部 M2.1 震度1 
30日15時35分頃 長野県中部 M2.0 震度1
30日14時17分頃 長野県中部 M1.7 震度1
30日14時14分頃 長野県中部 M1.6 震度1
30日14時11分頃 長野県中部 M3.9 震度4
30日13時54分頃 長野県中部 M3.1 震度3
30日10時07分頃 長野県中部 M1.8 震度1
30日09時21分頃 長野県中部 M2.5 震度2
30日08時45分頃 長野県中部 M2.2 震度1
30日08時30分頃 長野県中部 M2.5 震度2
30日08時21分頃 長野県中部 M5.1 震度4
30日08時16分頃 長野県中部 M5.5 震度5強

では、写真をUPさせていただきますね。時間経過順に説明させていただきます。

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↑① これは24日の記事にも載せましたが、別の雲を撮りに移動する途中にみつけた北西の雲。赤くレリーフ焼けしているのでぎょっとしました。

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↑② 撮りたかったのは下の方に見えている小さな黄金色の雲です。黄金色に焼けた雲は神々しくて好きなんです。このとき、①の雲はこの場所からは見えていません。

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↑③ 24日の記事にも書いたとおり、「一瞬の夕焼け」のように、北東(茨城方向)から発生した薄いベールのような雲が、みるみる頭上を通過し、突然見事に夕焼けしました。

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↑④ 雲の検証は、結果から読み解くとわかりやすいのです。このとき、「なんかぐんぐん凄いスピードで延びている雲」と見ていたのですが、それは逆で、「強烈な震源に引き寄せられている雲」なのでした。

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↑⑤ あっという間の出来事でしたが、夕焼けが消えました。と、北西に黒い雲の塊が発生しているではありませんか。立ち上がって膨らんでいるのがわかりました。②の写真と比べて下さい。何もなかったところにあるのがおわかりいただけますでしょ。

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↑⑥ そのアップ。

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↑⑦ これは①の場所に戻って撮ったようす。①の雲が北へ延びています。東北の余震がまだ続いていて、その震源へ引き込まれていっているのです。

以上ですが、今朝の地震はM5規模でも内陸だったために外壁が崩れる等の被害をもたらしました。ごつごつした質感のレリーフ焼けした雲は要注意なのですが、内陸という特徴にもなるのでしょうか。

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