とりあえず、一挙にいきます・・・。とても充実した日々でした。
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8月7日
ブログ更新・・・ようやく未整理だった今年の桜終了。気持ちが落ち着いたところで『尾州家河内本源氏物語』の発表に向けて頑張ります/2011.8.7 2011年の桜・・・深大寺の枝垂れ桜をFacebookページのアルバムにしました! http://t.co/UGfhBVD
8月8日
これからは細やかに心の襞に分け入ってつぶやこう・・・少なくなるかも・・・
「豊臣秀次の古典籍蒐集」(『中世史料学叢論』)を書かれた藤本孝一氏、拝読したことのない学者さんと思っていたら、著者略歴に『明月記 巻子本の姿』『定家本源氏物語 冊子本の姿』とあってびっくり。どおりでなにか懐かしい感触で読めていると納得しました。至文堂の日本の美術シリーズです。
8月9日
以前松岡正剛氏の、たぶん『空海の夢』だったと思いますが拝読していて、空海の凄いところは「エディトリアル感覚」と書かれていた。う~んと打たれて「これだ!」と肝に命じました。また井筒俊彦氏的言い方をすると、阿頼耶識における自由奔放な種子が「あれだ!」と思う物に時空を超えて飛びつく事
昨日からこの事がずっと頭から離れなくてつぶやこうと思いつつ時間がなくてそのままになってました。そうしたら今夜の空海に真言七祖が出てまた再燃。空海に密教を授けたのは恵果ですが、空海がそのエディトリアル感覚で崇敬したのは恵果の師の不空。テレビではテロップで名前だけでて懐かしかったです
原稿を書く時、書こうとしても書けない。でもとにかく書かなくてはならないから書く。理性ででも何でも書き続ける。その段階はまだエディトリアル感覚が働いていないから、書いていてダメと自分でわかっています。が、その内に意識がおりていって何かに繋がった感覚がくる。と、私の松岡氏論の実践です
『尾州家河内本源氏物語』の考察の件、いろいろな方に訴え、お話して、「小説家はいいなあ。想像力を働かせて。学者は文献がないとそうは書けない」と言われ続けてきました。でも、私の根底には松岡氏のいわれる空海のエディトリアル感覚信奉があるので、いつかこれが正しいと認められるまで頑張ります
研究発表に使うパワーポイントの編集をしています。短い時間なので緻密にお伝えする為には口頭でと思っていましたが、貴女の発表はあの綺麗な絵がわかりやすくていいと推薦して下さった方に言って頂き急遽使ってすることに。まだ試作品ですが http://twitpic.com/63b9zy
続いてもう一枚・・・。二枚とも本番で使うかどうか未定です。私のデータが会場で実際に起動するかの確認に試作品を送って確かめることになり、作りました。先方では担当の院生さんが待機して頑張ってくださってます。感動ですね! http://twitpic.com/63bcj6
8月10日
昨夜のBS「空海」に出演された真鍋俊照先生は、「北条実時と『西本願寺本万葉集』」を載せていただいたご論集『密教美術と歴史文化』のご著者です。五月に京都で出版記念会を持たれてお会いしたときも、つい最近お手紙を頂戴したけれど、出演の話は伺っていなかったからいきなり登場されてビックリ
先生はいつもそうで、観ましたとお伝えしても、あ、そう、といつも素気ない。達観されているのはわかりますが、私としては教えて頂いてたら見逃さないのにと思います。密教は厳しい宗教で(当たり前ですが)、自力でそこまでの力に及んでいないものには授けられない。だから、自力で「観る」のが正しい
なので、今回も「ああ、観ることができてよかった。まだご縁が繋がっている」とほっとしたのでした(笑)。ちなみに曼荼羅の写真集解説をされていた杉浦康平氏は『密教美術と歴史文化』の装丁をされた方。先生が描かれた仏画と私が撮った称名寺の浄土式庭園の写真を組み合わせてデザインされています。
真鍋先生は東京にいらした時、金沢文庫の文庫長をされていました。私は一時期先生の密教の講座を拝聴させて頂いていて、それで金沢文庫に通うようになり、隣接の称名寺の浄土式庭園に魅せられて撮るようになったのです。数年くらい、撮影後は文庫にお訪ねし、展示を解説して頂いて過ごしました
密教は血脈といって、教義は師から弟子へ直接伝授されます。真鍋先生の教え方にそれはいつも感じられました。自分で感じとらない限り、見放されるのです。でも、自力で及べば開かれる・・・。そして自力で繋がったとき、それは血の流れのように濃い伝授となる。そんな感じをその数年に頂きました
その金沢文庫に『尾州家河内本源氏物語』がありました。源氏物語が好きでたまらない私には夢のような遺産。なのに文庫の学芸員さんや鎌倉の研究者の方に政治史と関係のない源氏物語は放置されてたのです。それで先生からご還暦記念論集に書く機会を頂いたとき、迷わず尾州家本をテーマにしました
そうして書いたのが「北条実時と『異本紫明抄』」。それが私の鎌倉の源氏物語文化との関わりの発端です。これを私は真鍋先生という「人」を介しての伝授と思っています。鎌倉の源氏物語はまだ中々認知して頂けませんが、この「人から人へ」の伝授が根底にあるから、何があっても私は強くいられます。
『異本紫明抄』の時、まだ私は『尾州家河内本源氏物語』を実時の書写と思っていました。そして今回古稀記念のご論集の機会を頂き、『西本願寺本万葉集』との関係で探ったらそれは違うとなり、宗尊親王の制作という結果になりました。初めて文庫をお訪ねしたのが1999年正月。ほぼ10年かかりました
ちなみに空海プロデュースという高雄曼荼羅、赤紫地に金銀泥の曼荼羅ですが、同じような両界曼荼羅が横浜市の弘明寺さんで近年発見されています。調べれば公開される日があるのでは?
曼荼羅のことで昨夜書き忘れたことをひとつ。赤紫地に金銀泥描線の高雄曼荼羅。真鍋先生がテレビでもおっしゃっていましたが、暗い堂内で行者がひとり蝋燭の灯りだけで行をしていると、焔が揺らいでほとけが浮かびあがる。それを湧現というと。その言葉が好きで、文章もそうありたいと思っています
Facebokkページに、北条実時創建の称名寺の浄土式庭園のアルバムを作成しました。『尾州家河内本源氏物語』が収められていた金沢文庫(これも実時創建)に隣接する寺院です。http://t.co/dhlmWeg
8月11日
今日はずっと発表に使うパワーポイントの編集をしていました。頭のなかで構成して取りかかろうと思っていても中々絞られてこないのでひとまず起動させて写真を配置しながらしていたら、ん?、この写真の次はあれが来なくちゃ…と芋づる式に繋がる。原稿といっしょなんだなあと。こうなるまでが大変
微妙な空のあわいが好き。ターナーの絵のような空が好きで夕焼けに近い空をよく撮ります。綺麗な水色が残り、白い雲に混じって薄いグレーの雲。そこにオレンジが配されて・・・。写真を投稿できるようになったらしいので試みにアップしてみます http://t.co/0FRNwZP
怖いですね。こんなに上手くいって。これでもうお世話になっていたtwitpicを使わなくなるのは確実。あんなに苦労して探して使えるようにしたのに・・・。最近のIT関連の進化の度合いが怖い。もてはやされていたかと思うとじきにライバルが出て王座から陥落。肝に銘じて考えることしばしばです
8月12日
発表用のパワーポイントの編集、ひととおりの作業終了。流れに任せて作ってみました。で、スライドは何枚になった?と見たら、25枚。持ち時間は25分。1枚につき1分。なんてちょうどいいんでしょう・・・とびっくり!
タイトルスライドをご紹介させていただきますね。いろいろな写真で試みましたが、最終的にこれに決めました。鎌倉から流出するまで『尾州家河内本源氏物語』が収められていた金沢文庫に隣接する称名寺浄土式庭園の橋です。 http://t.co/P0KwKH9
おはようございます。昨夜パワーポイントの編集をしていて気がついたこと。現在の鎌倉には六浦の文化が全く反映されていないことに気がつきました。六浦は東京湾側。北条実時創建の称名寺・金沢文庫はこの地にあります。六浦湾は鎌倉の外港として、往時は唐船も停泊していたほど繁栄をしていました
当時、鶴岡八幡宮から鎌倉霊園のある峠を通って東京湾に抜ける六浦路は、六浦湾で荷揚げされた宋との交易の物資を運ぶ重要な道でした。大江広元や和田義盛等そうそうたる幕府の重鎮の館も軒を連ねてました。現在の鎌倉は若宮大路だけしか幹線路がないような印象ですが、それでは当時の実態が見えません
実時は六浦湾を杭州に見たてて繁栄させていたようです。私はまだ杭州を知りませんが論文等で拝見する絵図で比較するとたしかに似ています。実時は宋版大蔵経を輸入したり、称名寺のご本尊弥勒菩薩は華麗な装飾の宋風の彫刻だし、称名寺には楊貴妃の簾という名宝も伝わっています。
北条実時を説明するスライドをご紹介させていただきますね。このあたりのスライドを作っていたら、かつて夢中になって六浦の歴史に嵌まっていた当時が懐かしく甦りました。称名寺境内にあった実時の邸宅は寝殿造りで襖には唐の文人画が描かれていたそうです http://t.co/OMaDM6u
それから、昨日とうとう禁断の書に手をのばしてしまいました・・・(笑)。歴史をやっているあいだは封印していた文学。その最高峰のプルースト。高遠弘美先生の『失われた時を求めて』・・・。もうすうっと浸透してきて涙ぐみたいほどなのですが・・・。パワポを終えたらツィートさせていただきます
8月13日
発表用のパワーポイントの編集、ほぼ完成・・・。と今夜はもう寝ようと思って支度してたら、ふっと頭に浮かんでまた手を入れることが・・・。完成と思った時点がそうでなく、時間をおくと見えてくることの繰り返し。もうほんとうに終了と思うときまで。
昨夜思い浮かんだことをスライドに作りました。参考文献は配布資料に載せていたのですが、自分の論文を入れてなかったんです。それがなかったらこの発表はなかった三つの論稿。追加資料は不可なので最後のスライドにしました。 http://t.co/IKs6Iau
写大出身の私がよくやったとこの一覧を見たらほめてあげたくなりました(笑)。鎌倉を撮って歩いていて遭遇したこのテーマ。家の事情で写真の道に進みましたが、好きな国文科にそのまま進んでいたらふつうに文献研究に勤しむ人になっていたでしょう。人生、迂回って大切ですね!
昨日、歴史時代作家クラブの第一回会報届く。六月に行われた発足式を兼ねた懇親会の報告に異色の参加者として源氏物語研究の…と載せられてました。これから文学に戻って作家活動をしようと思っての入会だったのですが、まだ異色なんですね。でもこれからの目標は鎌倉の公家文化のドラマ化です!
ありがとうございます。10年近くストイックに研究に没頭しておりました。最終段階にきて文学に戻ろうとして、どうしたら感性が甦るか模索していた時に先生のツイッターへのご投稿に接しました。それだけでもう充分でした。嬉しかったです RT @Thouartmore ご発表の成功を祈ります。
今日は満願の日かもしれない。験をかついでいざという時覗く星占い。多分いい日の予感がして見たらトータルで最高でした。満月も明日だし・・・。今日はかねてこういう日にととっておいた仕事を仕上げて、そうして光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて』に浸らせていただきます!
8月14日
昨夜「汽車の汽笛が聞こえてくる」を懐かしく通過しました。私は井上究一郎氏の全集で拝読していてそれを最高峰のように本棚に並べているものですから、以降の新訳には手をだす気がなく過ごしてきました。でもツイッターでの高遠先生の呟きにはプルーストの文章の極意のようなものが秘められていて
それで?となったのでした。文章には情報の伝達でない装置があります。それを感じる文章、作家は少ないのですが、翻訳にもそういうのがあるらしいと感じたのです。光文社版の「訳者前口上」「読書ガイド」にはそれが余すところなく披露されていて、私はまずそこで感激して立ち止まってしまいました。
たゆたうような文章は意識のうねりです。「斜め読みせずに、一行一行を丁寧に読んでゆくこと」、「私たち読者の義務はそこにしかない」、これを忙しさにかまけて随分忘れていました。でも作者は一言一句を自分を振り絞って書いている訳ですから、読者もそうしてこそはじめて作者と一体になれる、こんな
単純なことができなかったんですね。忙しいと。世の中も忙しすぎるから長い文章が忌避されるのでしょう。でも丁寧に読むことは時間を大切にすること。ゆたかです。なんだか眠りの質も違ったのは冒頭が眠りの記述だから(笑)。「森のなかで一羽の鳥が…」、この部分大好きで何回読んでも嬉しくなります
8月15日
関東でもあまりご存知のない方が多い鎌倉の幻の寺院。それを京都の方に呟いていただいて感激しました。で、2005年に撮ったすすき野原の永福寺(ようふくじ)跡をアップさせていただきたくなりました。その年度の発掘調査終了時の現地説明会での撮影です http://t.co/8Zb5eAH
地震が多いですね。こんなときに呑気に文学?歴史?…と気がとがめることしばしば。でも、貞観地震のあとも、方丈記記述の地震のあとも、日本は続いて、平和な世に文化は人々の心を潤してきました。文化は継承しなければ絶えてしまいます。そんな事を必死に思う昨今…
8月16日
おはようございます(もう昼?)。発表が近づいているので今週から正常な時間帯の生活を心がけたのですが、昨夜は読書に浸って4時過ぎまで。寝なくちゃという気にもならない貴重な時間に思えてほんとうに眠くなるまで活字を追いました。こういう読書、いつから忘れていたのかしらと思いつつ
本は、書いた人と、訳した人と、読む人が、活字を通じて一体になれるふしぎな装置…と、改めてそんな当たり前のことを思う。読み飛ばせば情報は残るけれど、活字が温存している関わった人の思いや気遣いに気づかず通過してしまうことなのだなあと
活字が、満天の夜空に瞬く星々のように思える読書・・・
下のツィートで鎌倉の妙本寺がいいと取り上げられていた。小林秀雄と中原中也が語らったことで人気の境内。でも私にとっては仙覚が万葉集の校訂をした歴史の地。碑も建っています。編集中のパワポからスライドを二枚。最初は妙本寺の碑 http://t.co/ML4Ntbd
次に埼玉県比企郡小川町に建つ仙覚顕彰碑。和紙の里として有名な小川町。これは近くに慈光寺という、鎌倉時代関東で最大の天台宗寺院があり、その文化の名残りとか。慈光寺には慈光寺経という日本三大装飾経の一つがあり、仙覚が関わっています http://t.co/ZYlzkLw
ちなみに三大装飾経を成立年順にいうと、久能寺経(待賢門院璋子制作か)・平家納経(平清盛制作)・慈光寺経(九条家の人々の制作)。待賢門院璋子は国宝源氏物語絵巻の制作者といわれ、久能寺経ともに華麗な遺産。それを清盛が継承し、後鳥羽院も結縁者の一人として参加する慈光寺経にとなった経緯
装飾経・・・、平家納経は有名で誰もが知るところですが、久能寺経も慈光寺経も素敵です。是非ネットで検索してご覧になってください。それから、久能寺経にも待賢門院璋子を思慕したという西行が深く関わっているようです
8月17日
寝ようとして思い出したように最近放置状態のブログをみたらいつのまにかアクセス数が10万を超えていました。こんなにたくさんの方に見ていただいて。その時々に関心のあることを載せているのですが、圧倒的に反響があるのは空!雲の写真です。「空を見るようになった」と言って頂いています
Thouartmore 高遠弘美 odayurikoがリツイート
今朝も五時半に目覚める。寄る年波のせゐか。すでに太陽はのぼつて、夏の日差しをはなつてゐる。しばし窓辺で空をみる。けふの雲も眺めて愉しい。いつたい何が好きかと云はれて、J'aime les nuages...と答へた詩人に思ひを馳せる。
震えるような感覚。感動とも違う。最初の三行といえば何も読んでいないに等しい。なのに伝わってくる。なんだろう、これ。とずっと考えている。意識の流れというと陳腐だけれど、長い文章は意識なんだと思う。短い文章は伝達機能として意味をもたせられる。でも、長い文章は意味でなくたどることが共有
意味を明白にすることばかり正しいとされてきて、現代人は意識に心かたむける作業を忘れてしまっているのかもしれない・・・。また、森敦氏の『意味の変容』へ・・・かな?
大空の下、大地の上に立って、ひたすら雲を眺めていると、自分が人間であって社会に生きていることの窮屈さから解き放たれ、透明になる。雲の上の荘厳な世界に思いを馳せ、自然への畏怖に心かたむけ…。それが好きだった。でも、その先に震災があった…。今日は地震が多い…。気になっています