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2011.8.31 京都(その三) 正法寺と【声明 「日想観」】のお知らせ

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正法寺は、京都は東山、清水寺と高台寺の中間にある時宗の古いお寺です。近代的に舗装された高台寺近辺とまったく空間を異にしていて、古びた急な石段を息を切らしてのぼったところにありました。

ここは、古来、日想観が行われていたところとか・・・で、この10月に再びその予定があると知り、お知らせさせていただきます。写真はお堂の前に立って京都市街と見下ろしたもの。綺麗なパノラマが広がっています。が、ここが真西を向いているのですね。それで、昔、日想観の道場となっていたようです。今は近世の移築したお堂になっていて面影はありませんが、中世当時は清水寺のような舞台があったりしたのではないでしょうか・・・

こちらには宗教家、思想家の他、歴史家、文学者、そして、地質学者の方も関心を示してお出でのよう。京都は昔海底だったんですってね。知らないでびっくりしましたが、正法寺はその海底が隆起して盛り上がった岩盤の上に建っているのだそう・・・。それで地質学者の方が調査にお見えになるのだそうです。

そして、ここが今は忘れられたようにひっそりしていますが、歴史的に歴代有名どころのそうそうたる方が訪ねたり、お籠りになってらしたりします。足利家、豊臣家、徳川家、幕末の新撰組関係・・・。裏山には足利○○将軍?が籠ってたった三日しかもたなかったという三日城の石垣もあるとか・・・

観光地化していないのが歴史を守っていいのでしょう。でも、この日想観の行事、素敵ですのでお知らせさせていただきます。

■音絵巻 夕陽の祈り■
【声明 「日想観」】
 心をひとつに 東日本大震災被災地復興への祈りを込めて

プログラム:
   声明 時宗有志僧侶
   音楽 朝倉彩作曲「幽山の月」他

日時:  2011年10月10日(月・祝日) 雨天決行 午後5時開演(受付は4時)
入場料: 前売2000円、当日2500円
      (皆様の入場料は義援金として東北の被災地にお届けします)

アクセス
   京都市東山区清閑寺霊山街35 (ホテル霊山の隣)
   JR京都駅からタクシーで約10分

ご予約、お問い合せ 霊山正法寺 075-561-8194
             info@asakuraaya.com
                            http://www.asakuraaya.com/(去年のプログラムが載っています)

前売チケット取扱/京都ラジオカフェ(株) 080-6209-0797(担当者直通携帯)

「日想観」は西方に沈む太陽の彼方に浄土を観し極楽浄土を喜びしたうことに起源。明日への願い、平和への願いを込めて、声明による幽玄な祈りと、三十弦の音色が響きます・・・

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2011.8.30 京都(その二) 平家の庭園跡積翠園・平安宮内裏跡案内板・聚楽第石碑

平重盛館跡といわれる庭園が三十三間堂近くの東山武田病院の敷地内にあると、ツイッターで教えていただきました。これは是非!と思い、訪ねました。その方は、無料開放されているので病院の受付を通って庭に出られるとまで教えてくださったんですよ! 

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それから、一日、平安宮内裏跡だった一帯を歩いてまわりました。これは、豊臣秀次邸が聚楽第の敷地内にあったと知り、それなら『尾州家河内本源氏物語』は一時京都の聚楽第のあの場所にあったんだ・・・、ということで、これも是非撮りたかったもの。そうしたら、聚楽第は平安宮の内裏跡に造られたということで、あちこちに内裏跡の看板に遭遇。思いがけなく楽しい散策となりました。

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さて、いよいよ聚楽第跡の石碑を!!

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修学旅行も京都でなかったし、観光でまわってもいないし、かなり京都には行っているのですが、金閣寺を観たのもずっと最近。研究発表会場の立命館大学衣笠キャンパスの近くには(ほんのバス停が隣・・・)龍安寺があるのに、まだ入っていないし、今回もあきらめました。

代わりに、観光案内には出ていない、積翠園のような、平家の方々が実際に生きて呼吸した空間を巡る醍醐味・・・。聚楽第跡の石碑も通り一本を間違えて曲がってしまったので探し当てるのに大変でしたが、それが災い転じてこんなにたくさんの内裏跡の看板を目にし、当時の空間を歩いているのだという実感がじかに感じられてラッキーでした。

綾綺殿跡は喫茶店になっていて、あまりの暑さと疲労に救われる思いで入ったのですが、古民家でいただいたのは樹齢数百年という店長ご自身のお庭で収穫した杏のスムージー。もう、ほんと、おいしかったです!!

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2011.8.29 京都(その一) 法金剛院・建仁寺・六波羅蜜寺

8月23日の解釈学会での研究発表のために京都に行きました。会場は立命館大学衣笠キャンパス。仁和寺の近くです。で、あいまを縫って仁和寺と待賢門院璋子ゆかりの法金剛院を撮ってきました。ここでは法金剛院をご紹介しますね。夕刻近い時間でしたが、まだ開いている蓮がありました。

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前日と翌日と二泊して時間がありました。ここからは翌日回った平家ゆかりの地を・・・

まず、建仁寺から

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下の門は勅使門といい、平重盛の六波羅の門を移築したと伝えられています。凄いでしょ! 平家の方々が実際にくぐって通った門なんて!
ここから六波羅蜜寺になります。

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今まで京都は何回か行って撮っていましたが、「鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで」の講演をさせていただくようになって、はっきりと「欲しい」写真が限られてきました。それと、「欲しい構図」が・・・

六波羅蜜寺は以前も撮っていましたが、フィルムカメラの時代・・・。フィルムを探しだすのも、それをスキャンするのも面倒で、講演用にパワーポイントで編集しながら仕方なく省略していました。

でも、今回はしっかり撮ってきましたので、これから使います! 法金剛院も、あと仁和寺も、そうです。

建仁寺は今まで訪ねていませんでした。今回、ツイッターで、建仁寺の勅使門が平家の六波羅にあった家の門だったのを移築したものと教えていただいて、是非撮りたいと思って訪ねたものです。実際に平家の方々が目にし、くぐった門・・・、平家文化の実際を感じることができます。

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2011.8.28 久しぶりのブログ更新(その2)・・・ツイッターからの転載/8月17日から8月28日まで

8月17日

意味を明白にすることばかり正しいとされてきて、現代人は意識に心かたむける作業を忘れてしまっているのかもしれない・・・。また、森敦氏の『意味の変容』へ・・・かな?

畏れ多くて震えてしまいました。少しずつ私のなかで確認作業ができてきています。すっかりたゆたう心地よさは取り戻せました @Thouartmore 深く首肯しつつ、RTいたします。

それでもホタルは瞬く…タイトルを目にした瞬間思わず涙ぐんでしまいました。小原玲氏撮影の飯舘村のホタル。原発事故避難区域、大震災被災地のホタルが載る今日発売の週刊文春が見たくて、吉祥寺に出てきました。今は一人一人が自分が一番大切と思う事を必死にやり通そうとする世の中の思い

8月18日

終わりました!パワポの編集。もうこれで完成…と思っても時間がたつと思い浮かぶことが出て追加。またもうこれで完成と思っても、の繰り返し。もう全くこれでいいと思う時がくるまでそれを続けるしかなく続けて、今、もうこれでいい!と。おそらくもう浮かばない

追加したものは、結局最初の骨子を組み立てる段階で必要ないと省くことに決めたもの。その時点で記憶の彼方に押しやってしまっていた。それが骨子ができて肉付けとなったら、必要に応じて闇の中からおのずと出てきて構成を有機的に膨らませてくれる。意識の重層構造なのでしょう

スライドは全部で30枚になりました。最初の段階では25枚だったから結局5枚の追加。この30枚をもとに25分で話すよう明日から練習です。最後に加えたのは「鎌倉の万葉学者仙覚とは誰か」の件。その2枚をアップします http://twitter.com/odayuriko/status/103890774231490560/photo/1

二枚目。慈光寺の写真を背景に使いたかったのですが、当時関東最大の天台宗寺院という風貌をもつ写真が撮れず、仕方なく広い寺域を描いた看板の写真にしました http://twitter.com/odayuriko/status/103894240437870592/photo/1

そろそろ旅の支度をと思うけれど、明日から気温が下がるらしいのでそれは明日以降に。カメラの準備が、震災前に買ったレンズ、一度試し撮りしてからと思いながら実行できず、六月の京都・神戸もいつものレンズで行った。今度こそ新しいレンズで行きたいけど、いきなりぶっつけ本番は・・・

日中の猛暑を避けて夜の吉祥寺へ。さすが夜風が心地よかった。パワポは配布資料として文字入力分だけを印刷できるので、それを持ってカフェの一画で校正。シンポジウムでよくA4の上下二段に印刷したものを頂くけど、自分用だから小さくA4に六枚。パワポは考えるツールというけれど本当ですね

8月19日

井伏鱒二さんに『厄除け詩集』にあること、疑問に思っていたのですが、あるとき氏がまだ大成されてなくて生活に厳しかったとき、師にあたる方かどなたかが漢和辞典か何かの仕事を与えてくださり、その経験がこの詩集に生きたと読んで、いくら才能ある方でもこの詩集は…という謎が氷解したのでした。

高遠弘美先生の「プルーストと暮らす日々14」下訳についてのブログを拝見してそんなことを思い出しました。それから文学を志す者はどんなに脇道と思うものも無駄はないを肝に命じて、遺跡の発掘調査もそういう下心的に積極的に関わり、結果として報告書作成の経験から論文の文体を得させて頂きました

翻訳などの下訳は、させていただく若い人にとってとても力になることでしょう。昔の徒弟制度みたいなことがネットで簡単に打ち破られてどんどん若い方の研究態度が変わっていっている世の中、文化の質も変わるんだなあと危惧することしきりです。

それにしても、この杯を受けてくれ、どうぞなみなみ注がせておくれ・・・、好きです。でも、さよならだけが人生かなあ、別れても思いが残っていたらほんとうの別れとはいえない・・・、とも思っています。思いは宇宙に遍満する・・・などと。きっとなみなみ注ぐ人の心はそうだったと・・・

8月20日

終わりました! といってもデータを会場になっている大学の院生さんに送っただけですが、これで完璧にパワポが手から離れました(笑)。発表はこれからなのになんだかすべて終わった気分・・・。くつろいでいます

8月21日

@takasehitoshi 大変貴重な番組を有難うございました。神社が建つ地、そして古い地名、二つともに重要な意味が込められているとは感じていました。史跡もそうですが、開発のためにもとあった位置をずらしてしまう(地名を変えてしまう)など、怖れを知らない人の身勝手でしかありません

やっと静かな時間をもてました。ここのところ時間がなくて読書に浸れるのは就寝前の一時間弱…。以前だったら省いて寝てしまってました。日常のざわついた思考から書物に移行するのはかなりの気力が必要。それで充実した読書から何年遠ざかっていたことでしょう。考えたら恐ろしくなりました

曲りなりにですが研究ということをやっていて、書籍に触れているから読書から遠ざかっている意識はまったくありませんでした。でも、光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて』を拝読しはじめたら、何年こうした時間を忘れていただろうと…。研究と読書はまったく違うのだと気づき、愕然としています

読書などという夏休みの宿題みたいな言葉が、こんなにも深い薫りをもっていたなんて。昨夜やっとマドレーヌのくだりを通過。余りにも有名な箇所に思わずドキッとしてしまい、一人で苦笑。その楽しかったこと。でも、忘れていたのですが、ここはただ単に記憶についての記述でなく、小説の暗転への装置…

それから、その装置が私の思考そのものへ入り込んで来て、暗転して章が変わるのを機に本を閉じても意識の阿頼耶識みたいなものが自由勝手に遊びはじめて、悶々として5時半過ぎても眠れずに…。小説のなかの話でなく、自分自身が記憶を甦らされている…。まさに…

「プルーストを読む時間は、必然的に私たち読者ひとりひとりの過去の時間と結びつく。この感覚を味わうことができる小説はじつはあまり多くない。プルーストは中でもそれが際立つ小説家であった」高遠弘美先生【読書ガイド】より

そして、「あの最初のページの眠りと目覚めの数行を読んだ途端に、私の中で目覚めるもの、それが彼の眠りの世界に私をひき入れる。(略)。眠りの深さと目覚めの全一性。これは、私の乏しい読書経験でいえば、『源氏物語』に匹敵する始りである」同じく【読書ガイド】より吉田秀和氏の引用

いろいろなことが呼び醒まされてジュリアン・グラック『シルトの岸辺』に嵌ったことが思い出されている。震災があり天竜川の事故があり、自然は厳しいけれど、人はその自然の中に生きている。ツイッターのお蔭で毎朝地質学者の方の例えば柱状節理のリアルタイム画像など見せて頂け日々感動しています

@Thouartmore 私のところにも今夜最後の号が届きました。もったいない気持ちで手にとらせていただきました。終わるのは惜しいと思いますがとても至福のひとときでした。ありがとうございました。

昨年の講演でお世話になった鎌倉の方からメール。「ご上洛おめでとうございます」・・・。そうか、鎌倉時代だったらこういう言い方になるんだ・・・と感服。「きっと光行様、宗尊親王様方が見守っていてくださいます。存分にお力をご発揮くださいますよう・・・」と。明日、出発します・・・

8月25日

昨日夜京都から戻りました。学会発表を一昨日に終えて昨日は必要な撮影ポイントを撮って周りました。思う事いろいろあって帰宅しても昨夜は思考がまとまらず何もしないで就寝。今朝起きたら「あ、自分に戻った」との感慨。文学の言葉と学問の場の言葉の違いに試行錯誤していた一カ月だったようです。

言葉はよどみなく溢れるとき流れになります。私にとって…。でも発表用にレジュメを作ったりパワポを編集して練習しているとき、流れがでなくてとても苦しかったんです。説明しようとするから無理がでたんですね。思いを素直に述べられる「文学」の場に戻ったのを実感した今朝の目覚めでした。

@sukemori_t いつも有難うございます。昨日六波羅の地を回ってきました。建仁寺の勅使門、東山武田病院の苑池…、平家の方々が実際に生きて目にしていた空間や実物の体験、観光案内にない貴重な情報をお教えいただき本当に有難うございました。ツイッターをしててよかった!

8月26日

@Thouartmore リツィート、心から恐縮に存じます。出発前にamazonに発注しておいた『プルースト研究―言葉の森のなかへ』が帰宅したら届いていました。早く京都の整理を終えてと楽しみにさせていただいています。芳醇な文学の言葉がとても懐かしいです…

学会発表での結果をツィートしなければと思いつつ一日が経ってしまい、今さらの思いに。ただ質疑応答である方が「僕は普段おべんちゃらを絶対言わない質なのですが、今日だけは教えられました。勉強になりました」と言われたこと、名誉教授の肩書もあるその方の謙虚さ敬虔さに打たれています

人は多くの雑多な日常のなかに生きているからどうしてもその余韻を引きずっているあいだはそれに囚われてしまう。でも時間の経過とともに余分な情念は淘汰され、大切なことだけが意識に残る。昨夜から今日一日にかけてはその淘汰の時間だったようです。中心が絞られたのでこれからまた集中に戻ります

8月27日

昨夜ゆっくり時間をとって白水社『ふらんす』連載の高遠弘美先生「対訳で楽しむ失われた時を求めて」を通しで浸らせて頂きました。一回ずつその都度拝読したのとはまた別の感慨がありました。ちょうど光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて』の一冊をダイジェストで駆け巡ったかのよう…

とりあげられたエピソードは一回二回が冒頭の目覚め、三回四回がマドレーヌの挿話、五回がスノッブ、最後の六回は悩まれて結局ヴァントゥイユ嬢の同性愛。悩まれた揚句落とされたなかにリラや山査子の花との出会いやゲルマンとのほう、マルタンヴィルの鐘塔などがあって、これらこそ伺いたかったと…

マドレーヌの挿話、対訳で挙げられた箇所を光文社古典新訳文庫に「」してみました。それはまず《直前に置かれた一節》としてケルトの信仰をいう部分で始まり、それから《いよいよ》として半頁ほど後の「母は溝の入った」からを《名文中の名文です。長いですが、一気に参ります》と1頁半ほど

ここで私も一気に緊張して文章をたどったのですが、こういう体験ってないですね。やはりリアルタイムで訳されている方の迫真が伝わってくる醍醐味です。その後「私は精神の行く手を」と途中省略して「いまはもう何も感じられない」の短い文章が一緒にとりあげられて三回目は終わります。

それからなのですが、なんと、マドレーヌの挿話の対訳部分の後半、四回目は、「そのとき突然、思い出が」の部分と、「そして、叔母が私にくれた菩提樹の」の部分で、それは先の「いまはもう」の続き。二つの部分も繋がってます。つまり後半は第一章の最後の部分が省略なしに取り上げられていたのでした

改めて文庫の文章を「いまはもう」から一気にたどらせていただいたのですが、この取り上げられ方自体に先生の思いが伝わってくる気がしてどきどきしました。この挿話の核に一気に運んでいただいたという思いです。翻訳作業の現在進行形の方の対訳…貴重な経験をありがとうございました

@Thouartmore もったいないです。高遠先生のご文章はどこか『源氏物語』に匂いがします。蝋燭の一語についてのご考察など、『ふらんす』を目にされていない方にご一報したい思いがたくさんありました。ほんとうにありがとうございました。

私も、『源氏物語』のというところを『源氏物語』に、と変な変換でだしてしまいました。どうぞ、いつかマルタンヴィルの鐘塔についてのご考察に触れさせていただけますように

Thouartmore 高遠弘美 odayurikoがリツイート@

@odayuriko 恐れ多いお言葉ですが、師と仰ぐ中村真一郎先生がプルーストと源氏をともに語つておいででした。末席につらなる不肖の弟子ですけれど、いつかマルタンヴィルの鐘塔について書く機会が頂けたらと思ひます。お心遣ひ、忝く存じました。

8月28日

蓮の花咲く法金剛院・・・待賢門院璋子さんのお寺。研究発表会場が近くの立命館大学でしたので時間のあいまを見て撮ってきました http://twitter.com/odayuriko/status/107534640629288961/photo/1

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2011.8.28 久しぶりのブログ更新・・・学会での研究発表を控えて時間がとれずに滞っていました。ツイッターには呟いていましたので大切な日録として転載しておきます

とりあえず、一挙にいきます・・・。とても充実した日々でした。

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8月7日

ブログ更新・・・ようやく未整理だった今年の桜終了。気持ちが落ち着いたところで『尾州家河内本源氏物語』の発表に向けて頑張ります/2011.8.7 2011年の桜・・・深大寺の枝垂れ桜をFacebookページのアルバムにしました! http://t.co/UGfhBVD

月8 

これからは細やかに心の襞に分け入ってつぶやこう・・・少なくなるかも・・・

「豊臣秀次の古典籍蒐集」(『中世史料学叢論』)を書かれた藤本孝一氏、拝読したことのない学者さんと思っていたら、著者略歴に『明月記 巻子本の姿』『定家本源氏物語 冊子本の姿』とあってびっくり。どおりでなにか懐かしい感触で読めていると納得しました。至文堂の日本の美術シリーズです。

8月9日

以前松岡正剛氏の、たぶん『空海の夢』だったと思いますが拝読していて、空海の凄いところは「エディトリアル感覚」と書かれていた。う~んと打たれて「これだ!」と肝に命じました。また井筒俊彦氏的言い方をすると、阿頼耶識における自由奔放な種子が「あれだ!」と思う物に時空を超えて飛びつく事

昨日からこの事がずっと頭から離れなくてつぶやこうと思いつつ時間がなくてそのままになってました。そうしたら今夜の空海に真言七祖が出てまた再燃。空海に密教を授けたのは恵果ですが、空海がそのエディトリアル感覚で崇敬したのは恵果の師の不空。テレビではテロップで名前だけでて懐かしかったです

原稿を書く時、書こうとしても書けない。でもとにかく書かなくてはならないから書く。理性ででも何でも書き続ける。その段階はまだエディトリアル感覚が働いていないから、書いていてダメと自分でわかっています。が、その内に意識がおりていって何かに繋がった感覚がくる。と、私の松岡氏論の実践です

『尾州家河内本源氏物語』の考察の件、いろいろな方に訴え、お話して、「小説家はいいなあ。想像力を働かせて。学者は文献がないとそうは書けない」と言われ続けてきました。でも、私の根底には松岡氏のいわれる空海のエディトリアル感覚信奉があるので、いつかこれが正しいと認められるまで頑張ります

研究発表に使うパワーポイントの編集をしています。短い時間なので緻密にお伝えする為には口頭でと思っていましたが、貴女の発表はあの綺麗な絵がわかりやすくていいと推薦して下さった方に言って頂き急遽使ってすることに。まだ試作品ですが http://twitpic.com/63b9zy

続いてもう一枚・・・。二枚とも本番で使うかどうか未定です。私のデータが会場で実際に起動するかの確認に試作品を送って確かめることになり、作りました。先方では担当の院生さんが待機して頑張ってくださってます。感動ですね! http://twitpic.com/63bcj6

8月10日

昨夜のBS「空海」に出演された真鍋俊照先生は、「北条実時と『西本願寺本万葉集』」を載せていただいたご論集『密教美術と歴史文化』のご著者です。五月に京都で出版記念会を持たれてお会いしたときも、つい最近お手紙を頂戴したけれど、出演の話は伺っていなかったからいきなり登場されてビックリ

先生はいつもそうで、観ましたとお伝えしても、あ、そう、といつも素気ない。達観されているのはわかりますが、私としては教えて頂いてたら見逃さないのにと思います。密教は厳しい宗教で(当たり前ですが)、自力でそこまでの力に及んでいないものには授けられない。だから、自力で「観る」のが正しい

なので、今回も「ああ、観ることができてよかった。まだご縁が繋がっている」とほっとしたのでした(笑)。ちなみに曼荼羅の写真集解説をされていた杉浦康平氏は『密教美術と歴史文化』の装丁をされた方。先生が描かれた仏画と私が撮った称名寺の浄土式庭園の写真を組み合わせてデザインされています。

真鍋先生は東京にいらした時、金沢文庫の文庫長をされていました。私は一時期先生の密教の講座を拝聴させて頂いていて、それで金沢文庫に通うようになり、隣接の称名寺の浄土式庭園に魅せられて撮るようになったのです。数年くらい、撮影後は文庫にお訪ねし、展示を解説して頂いて過ごしました

密教は血脈といって、教義は師から弟子へ直接伝授されます。真鍋先生の教え方にそれはいつも感じられました。自分で感じとらない限り、見放されるのです。でも、自力で及べば開かれる・・・。そして自力で繋がったとき、それは血の流れのように濃い伝授となる。そんな感じをその数年に頂きました

その金沢文庫に『尾州家河内本源氏物語』がありました。源氏物語が好きでたまらない私には夢のような遺産。なのに文庫の学芸員さんや鎌倉の研究者の方に政治史と関係のない源氏物語は放置されてたのです。それで先生からご還暦記念論集に書く機会を頂いたとき、迷わず尾州家本をテーマにしました

そうして書いたのが「北条実時と『異本紫明抄』」。それが私の鎌倉の源氏物語文化との関わりの発端です。これを私は真鍋先生という「人」を介しての伝授と思っています。鎌倉の源氏物語はまだ中々認知して頂けませんが、この「人から人へ」の伝授が根底にあるから、何があっても私は強くいられます。

『異本紫明抄』の時、まだ私は『尾州家河内本源氏物語』を実時の書写と思っていました。そして今回古稀記念のご論集の機会を頂き、『西本願寺本万葉集』との関係で探ったらそれは違うとなり、宗尊親王の制作という結果になりました。初めて文庫をお訪ねしたのが1999年正月。ほぼ10年かかりました

ちなみに空海プロデュースという高雄曼荼羅、赤紫地に金銀泥の曼荼羅ですが、同じような両界曼荼羅が横浜市の弘明寺さんで近年発見されています。調べれば公開される日があるのでは?

曼荼羅のことで昨夜書き忘れたことをひとつ。赤紫地に金銀泥描線の高雄曼荼羅。真鍋先生がテレビでもおっしゃっていましたが、暗い堂内で行者がひとり蝋燭の灯りだけで行をしていると、焔が揺らいでほとけが浮かびあがる。それを湧現というと。その言葉が好きで、文章もそうありたいと思っています

Facebokkページに、北条実時創建の称名寺の浄土式庭園のアルバムを作成しました。『尾州家河内本源氏物語』が収められていた金沢文庫(これも実時創建)に隣接する寺院です。http://t.co/dhlmWeg

8月11日

今日はずっと発表に使うパワーポイントの編集をしていました。頭のなかで構成して取りかかろうと思っていても中々絞られてこないのでひとまず起動させて写真を配置しながらしていたら、ん?、この写真の次はあれが来なくちゃ…と芋づる式に繋がる。原稿といっしょなんだなあと。こうなるまでが大変

微妙な空のあわいが好き。ターナーの絵のような空が好きで夕焼けに近い空をよく撮ります。綺麗な水色が残り、白い雲に混じって薄いグレーの雲。そこにオレンジが配されて・・・。写真を投稿できるようになったらしいので試みにアップしてみます http://t.co/0FRNwZP

怖いですね。こんなに上手くいって。これでもうお世話になっていたtwitpicを使わなくなるのは確実。あんなに苦労して探して使えるようにしたのに・・・。最近のIT関連の進化の度合いが怖い。もてはやされていたかと思うとじきにライバルが出て王座から陥落。肝に銘じて考えることしばしばです

8月12日

発表用のパワーポイントの編集、ひととおりの作業終了。流れに任せて作ってみました。で、スライドは何枚になった?と見たら、25枚。持ち時間は25分。1枚につき1分。なんてちょうどいいんでしょう・・・とびっくり!

タイトルスライドをご紹介させていただきますね。いろいろな写真で試みましたが、最終的にこれに決めました。鎌倉から流出するまで『尾州家河内本源氏物語』が収められていた金沢文庫に隣接する称名寺浄土式庭園の橋です。 http://t.co/P0KwKH9

おはようございます。昨夜パワーポイントの編集をしていて気がついたこと。現在の鎌倉には六浦の文化が全く反映されていないことに気がつきました。六浦は東京湾側。北条実時創建の称名寺・金沢文庫はこの地にあります。六浦湾は鎌倉の外港として、往時は唐船も停泊していたほど繁栄をしていました

当時、鶴岡八幡宮から鎌倉霊園のある峠を通って東京湾に抜ける六浦路は、六浦湾で荷揚げされた宋との交易の物資を運ぶ重要な道でした。大江広元や和田義盛等そうそうたる幕府の重鎮の館も軒を連ねてました。現在の鎌倉は若宮大路だけしか幹線路がないような印象ですが、それでは当時の実態が見えません

実時は六浦湾を杭州に見たてて繁栄させていたようです。私はまだ杭州を知りませんが論文等で拝見する絵図で比較するとたしかに似ています。実時は宋版大蔵経を輸入したり、称名寺のご本尊弥勒菩薩は華麗な装飾の宋風の彫刻だし、称名寺には楊貴妃の簾という名宝も伝わっています。

北条実時を説明するスライドをご紹介させていただきますね。このあたりのスライドを作っていたら、かつて夢中になって六浦の歴史に嵌まっていた当時が懐かしく甦りました。称名寺境内にあった実時の邸宅は寝殿造りで襖には唐の文人画が描かれていたそうです http://t.co/OMaDM6u

それから、昨日とうとう禁断の書に手をのばしてしまいました・・・(笑)。歴史をやっているあいだは封印していた文学。その最高峰のプルースト。高遠弘美先生の『失われた時を求めて』・・・。もうすうっと浸透してきて涙ぐみたいほどなのですが・・・。パワポを終えたらツィートさせていただきます

8月13日

発表用のパワーポイントの編集、ほぼ完成・・・。と今夜はもう寝ようと思って支度してたら、ふっと頭に浮かんでまた手を入れることが・・・。完成と思った時点がそうでなく、時間をおくと見えてくることの繰り返し。もうほんとうに終了と思うときまで。

昨夜思い浮かんだことをスライドに作りました。参考文献は配布資料に載せていたのですが、自分の論文を入れてなかったんです。それがなかったらこの発表はなかった三つの論稿。追加資料は不可なので最後のスライドにしました。 http://t.co/IKs6Iau

写大出身の私がよくやったとこの一覧を見たらほめてあげたくなりました(笑)。鎌倉を撮って歩いていて遭遇したこのテーマ。家の事情で写真の道に進みましたが、好きな国文科にそのまま進んでいたらふつうに文献研究に勤しむ人になっていたでしょう。人生、迂回って大切ですね!

昨日、歴史時代作家クラブの第一回会報届く。六月に行われた発足式を兼ねた懇親会の報告に異色の参加者として源氏物語研究の…と載せられてました。これから文学に戻って作家活動をしようと思っての入会だったのですが、まだ異色なんですね。でもこれからの目標は鎌倉の公家文化のドラマ化です!

ありがとうございます。10年近くストイックに研究に没頭しておりました。最終段階にきて文学に戻ろうとして、どうしたら感性が甦るか模索していた時に先生のツイッターへのご投稿に接しました。それだけでもう充分でした。嬉しかったです RT @Thouartmore ご発表の成功を祈ります。

今日は満願の日かもしれない。験をかついでいざという時覗く星占い。多分いい日の予感がして見たらトータルで最高でした。満月も明日だし・・・。今日はかねてこういう日にととっておいた仕事を仕上げて、そうして光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて』に浸らせていただきます!

8月14日

昨夜「汽車の汽笛が聞こえてくる」を懐かしく通過しました。私は井上究一郎氏の全集で拝読していてそれを最高峰のように本棚に並べているものですから、以降の新訳には手をだす気がなく過ごしてきました。でもツイッターでの高遠先生の呟きにはプルーストの文章の極意のようなものが秘められていて

それで?となったのでした。文章には情報の伝達でない装置があります。それを感じる文章、作家は少ないのですが、翻訳にもそういうのがあるらしいと感じたのです。光文社版の「訳者前口上」「読書ガイド」にはそれが余すところなく披露されていて、私はまずそこで感激して立ち止まってしまいました。

たゆたうような文章は意識のうねりです。「斜め読みせずに、一行一行を丁寧に読んでゆくこと」、「私たち読者の義務はそこにしかない」、これを忙しさにかまけて随分忘れていました。でも作者は一言一句を自分を振り絞って書いている訳ですから、読者もそうしてこそはじめて作者と一体になれる、こんな

単純なことができなかったんですね。忙しいと。世の中も忙しすぎるから長い文章が忌避されるのでしょう。でも丁寧に読むことは時間を大切にすること。ゆたかです。なんだか眠りの質も違ったのは冒頭が眠りの記述だから(笑)。「森のなかで一羽の鳥が…」、この部分大好きで何回読んでも嬉しくなります

8月15日

関東でもあまりご存知のない方が多い鎌倉の幻の寺院。それを京都の方に呟いていただいて感激しました。で、2005年に撮ったすすき野原の永福寺(ようふくじ)跡をアップさせていただきたくなりました。その年度の発掘調査終了時の現地説明会での撮影です http://t.co/8Zb5eAH

地震が多いですね。こんなときに呑気に文学?歴史?…と気がとがめることしばしば。でも、貞観地震のあとも、方丈記記述の地震のあとも、日本は続いて、平和な世に文化は人々の心を潤してきました。文化は継承しなければ絶えてしまいます。そんな事を必死に思う昨今…

8月16日

おはようございます(もう昼?)。発表が近づいているので今週から正常な時間帯の生活を心がけたのですが、昨夜は読書に浸って4時過ぎまで。寝なくちゃという気にもならない貴重な時間に思えてほんとうに眠くなるまで活字を追いました。こういう読書、いつから忘れていたのかしらと思いつつ

本は、書いた人と、訳した人と、読む人が、活字を通じて一体になれるふしぎな装置…と、改めてそんな当たり前のことを思う。読み飛ばせば情報は残るけれど、活字が温存している関わった人の思いや気遣いに気づかず通過してしまうことなのだなあと

活字が、満天の夜空に瞬く星々のように思える読書・・・

下のツィートで鎌倉の妙本寺がいいと取り上げられていた。小林秀雄と中原中也が語らったことで人気の境内。でも私にとっては仙覚が万葉集の校訂をした歴史の地。碑も建っています。編集中のパワポからスライドを二枚。最初は妙本寺の碑 http://t.co/ML4Ntbd

次に埼玉県比企郡小川町に建つ仙覚顕彰碑。和紙の里として有名な小川町。これは近くに慈光寺という、鎌倉時代関東で最大の天台宗寺院があり、その文化の名残りとか。慈光寺には慈光寺経という日本三大装飾経の一つがあり、仙覚が関わっています http://t.co/ZYlzkLw

ちなみに三大装飾経を成立年順にいうと、久能寺経(待賢門院璋子制作か)・平家納経(平清盛制作)・慈光寺経(九条家の人々の制作)。待賢門院璋子は国宝源氏物語絵巻の制作者といわれ、久能寺経ともに華麗な遺産。それを清盛が継承し、後鳥羽院も結縁者の一人として参加する慈光寺経にとなった経緯

装飾経・・・、平家納経は有名で誰もが知るところですが、久能寺経も慈光寺経も素敵です。是非ネットで検索してご覧になってください。それから、久能寺経にも待賢門院璋子を思慕したという西行が深く関わっているようです

8月17日

寝ようとして思い出したように最近放置状態のブログをみたらいつのまにかアクセス数が10万を超えていました。こんなにたくさんの方に見ていただいて。その時々に関心のあることを載せているのですが、圧倒的に反響があるのは空!雲の写真です。「空を見るようになった」と言って頂いています

Thouartmore 高遠弘美 odayurikoがリツイート

今朝も五時半に目覚める。寄る年波のせゐか。すでに太陽はのぼつて、夏の日差しをはなつてゐる。しばし窓辺で空をみる。けふの雲も眺めて愉しい。いつたい何が好きかと云はれて、J'aime les nuages...と答へた詩人に思ひを馳せる。

震えるような感覚。感動とも違う。最初の三行といえば何も読んでいないに等しい。なのに伝わってくる。なんだろう、これ。とずっと考えている。意識の流れというと陳腐だけれど、長い文章は意識なんだと思う。短い文章は伝達機能として意味をもたせられる。でも、長い文章は意味でなくたどることが共有

意味を明白にすることばかり正しいとされてきて、現代人は意識に心かたむける作業を忘れてしまっているのかもしれない・・・。また、森敦氏の『意味の変容』へ・・・かな?

大空の下、大地の上に立って、ひたすら雲を眺めていると、自分が人間であって社会に生きていることの窮屈さから解き放たれ、透明になる。雲の上の荘厳な世界に思いを馳せ、自然への畏怖に心かたむけ…。それが好きだった。でも、その先に震災があった…。今日は地震が多い…。気になっています

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2011.8.17日 今朝の地震【8月17日9時23分頃 茨城県南部 M4.4 震度4 】の雲だったのでしょうか・・・

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8月15日の夕方、北東に現れた雲です。最初に見たのが17:46、一枚目です。大きいなあ、でも遠く・・・と思っていました。

二枚目は別の場所から見た18:15。え、こんなに巨大になって!と驚きました。別の場所からだから見え方が違うのかもと思ったのですが、一枚目の場所に戻って撮った三枚目(18:20)も同じく巨大。たった30分でこんなに大きくなるのですね。

方向は福島県へのライン。なんとなく内陸の気がしていました。見慣れた福島県沖震源の雲と違うからです。

夜、気象衛星画像を見ました。それがこれ、18:00のものです。

1800

私が思う方向に幾つか白い丸い雲が発生しています。雷雲です。今朝の地震【8月17日9時23分頃 茨城県南部 M4.4 震度4 】の位置、茨城県か埼玉県?と思う場所に小さなものがあります。その向こう、福島県にも複数。

どの雲だろう、茨城? 福島? と様子を見ていました。今朝の地震の雲だったとすれば発震終わりです。終わってよかった・・・と思いたいし、そうでなくて福島の雲だったとしたら白い丸の雲はもっと大きいから嫌な気分ですし、それ以上に、茨城県南部、北部の内陸でM4規模が連続しているのがもっと嫌です。

そういうこととは別に、もっとシンプルに、雲は雄大で圧倒されて好きです。見ても見ても見飽きません。以前はきちんと一眼レフで撮っていたのですが、最近は疲れ果てて(笑)、(雲を追っていると天は休んでくれませんから、変化を追い切れないんです)、携帯でいい!と決めて撮っています。

で、これも携帯。撮りながら、こんな見事な雲、一眼レフで撮りたいなあ・・・と思ったのですが、以前なら家に帰って出なおすところ、そのまま用に突っ走ってしまいました。

雲は家にいては気づきません。これもたまたま用があって出たからみつけました。知らないまま自分の家の屋根の上に凄い天変地異の雲が出ている・・・んですよね。あまりの雄大さに圧倒されて、映画の1シーンを観終わったときのように感動して、ふっと我に返ると周辺ではなんにも気づかないでいつもの日常に暮らす人ばかり、という経験がしばしばです。

■気象庁発表から、最近の茨城県内陸での地震

8月17日09時23分頃 茨城県南部 M4.4 震度4
8月16日19時16分頃 茨城県北部 M4.6 震度3
8月15日15時26分頃 茨城県南部 M4.7 震度4
8月15日13時56分頃 茨城県北部 M3.2 震度1
8月15日00時59分頃 茨城県北部 M3.0 震度1
8月15日00時53分頃 茨城県北部 M2.7 震度2
8月 15日00時27分頃 茨城県北部 M3.0 震度2
8月14日16時38分頃 茨城県北部 M4.3 震度4

たった4日間でこんなに頻発しています。

それから、茨城県ではなく東海地震関連で気になる発震がありました

8月15日20時45分頃 小笠原諸島東方沖 M5.9 震度1
8月12日21時04分頃 駿河湾 M3.9 震度1
8月12日04時37分頃 遠州灘 M5.2 震度2

あと、ついでに書いておきたいのですが、三月の震災前だったか、直後か、削除したらしくて画像がみつからないのですが、今思うと、あれは東北の前兆だったんだ、という現象がありました。知らない街のことでしたので方向がわからなくて、ピンときてなかったんです。

それが、最近、同じ場所を通ったら、それは北東から流れてきている現象だったことに気づきました。低空に台風のような吹き荒れる雲があり、その向こうに青空が覗いていて、そこに綺麗な白い筋雲があって、その筋雲の一部分が彩雲になっていたんです。

その彩雲が、こんなに強烈な色の彩雲、観たことがない、といった状況。メキシコの絵画を思ったくらいの原色の赤と緑の彩雲でした。それが東北から流れてきて、めまぐるしく彩雲になる部分が変化していました。流れのようすはちょうどよくテレビで見る血流のようでした。そういう「流れる彩雲」もはじめてでした。地震前兆では、赤が強い虹が要注意といわれています。が、これはどう見ても彩雲・・・。よほど、と思った記憶があります。

どきどきしながら夢中になって撮ったのですが、携帯・・・。携帯でいい!と決め込んで、コンデジを持ち歩かなくなったことを、この時ばかりは後悔しました。で、その携帯もまだカメラ機能を使いこなしてなくて、望遠はピンボケ。彩雲の色は周囲のコントラストに負けて真っ白・・・

あまりのショック、というか、二度とないだろう光景を残しておけなかったもったいなさに、たぶん、画像を削除してしまったんですね。最近、東北の前兆と思いついて日付を調べたかったのですが、どうしてもみつかりません。

雲も、光学現象も、外に出てさえいればみつけることしばしば、家にいてはわかりません。きっと見逃している前兆って、山のようにあると思います。

追記(8月19日):
【8月19日14時36分頃 福島県沖 M6.8 震度5弱】がありました。昨夜、深夜にも関わらず空が薄い水色のとても明るい夜空でした。大き目の地震があると予測できたのですが、ここ2,3日空を見ていませんので方位を知る手掛かりを得ていませんでした。ただ、深夜なのに明るい水色の空は要注意の経験として記しておきます。

追記(8月20日):
気になる地震が続いていますので追記します・・・
8月20日18時12分頃 千葉県東方沖 M3.5 震度1
8月20日14時15分頃 茨城県北部 M3.5 震度1
8月20日09時05分頃 茨城県北部 M2.4 震度1
8月20日05時13分頃 千葉県北西部 M2.9 震度1
8月20日00時52分頃 群馬県北部 M2.0 震度1
8月19日21時14分頃 千葉県東方沖 M3.1 震度1
8月19日13時43分頃 茨城県北部 M3.4 震度3
8月19日07時02分頃 千葉県北東部 M3.0 震度1
8月19日00時39分頃 茨城県南部 M4.0 震度3
8月18日18時25分頃 千葉県東方沖 M3.2 震度1
8月18日10時11分頃 茨城県北部 M4.0 震度2
8月18日03時25分頃 山梨県中・西部 M2.7 震度2
8月18日01時32分頃 栃木県南部 M4.1 震度2
8月18日00時20分頃 茨城県北部 M2.9 震度2
8月17日21時41分頃 千葉県東方沖 M3.7 震度1
8月17日20時44分頃 関東東方沖 M5.9 震度2
8月17日17時46分頃 千葉県東方沖 M4.5 震度2
8月17日17時05分頃 千葉県東方沖 M3.0 震度1
8月17日16時55分頃 千葉県東方沖 M4.6 震度2
8月17日12時40分頃 茨城県北部 M3.2 震度1
8月17日10時51分頃 茨城県南部 M3.7 震度2

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2011.8.8日 来年のNHK大河ドラマ「平清盛」の第三次出演者発表・・・源頼朝は岡田将生さんに!! ツイッターではあまりの頼朝のイケメンキャストに平家ファンから悲鳴が(笑)

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来年のNHK大河ドラマ「平清盛」の第三次出演者発表がありました。今回は源頼朝、北条政子など、源氏の関係者・・・。ツイッターでは平家ファン、源氏ファン、入り乱れて悲鳴や歓喜! それを拝見しつつぐいぐい来年の平家ドラマへの関心が高ぶっています。

詳細は以下のとおりです。(敬称略で失礼します)

源頼朝 岡田将生
北条政子 杏
平時忠 森田剛
兎丸 加藤浩次
平忠正 豊浦攻補
平正盛 中村敦夫
舞子(清盛母)吹石一恵
白河法皇 伊東四朗
平盛康 佐戸井けん太
平維綱 尾美としのり
鎌田通清 金田明夫
鎌田正清 趙 珉和
藤原忠通 堀部圭亮
藤原家成 佐藤二朗

■↓是非、こちらを!!

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/06/index.html

↓ちなみに第一次、第二次の発表はこちら

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/03/index.html
第一次出演者発表 清盛を取り巻く男たち

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/04/index.html
第二次出演者発表 平安を彩る女たち

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2011.8.7 ツイッターへの呟きを転載・・・4日の鎌倉、デルフトの眺望に触発されてプルーストと紫式部の文章のことなど

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■8月4日
odayuriko 織田百合子
歩いている頭上で西は灰色の雨雲、東は青空。家を出た時はどしゃ降り。途中から止みはじめ、東の青空がのしてきた。遠くの高台から眺めたらゲリラ豪雨のあのカッコいい写真のような光景かも、と。渋谷に着いたら快晴! 長傘なのに(泣)

odayuriko 織田百合子
湘南新宿ライン。多摩川を渡って。また雲が多い。 http://yfrog.com/h8lk4lpj

odayuriko 織田百合子
雲が凄くて本を読まずに車窓ばかり眺めてます http://yfrog.com/h4uxfmuj

odayuriko 織田百合子
藤木孝一氏「十六夜日記『波の上』試論」を拝読してデッキに出たら、横須賀線線路脇の阿仏尼さんのお墓の前を通過。思わず黙礼してしまいました。(『中世史料学叢論』所収)

odayuriko 織田百合子
鎌倉鶴岡八幡宮の源平池の蓮。もう大分蓮の実になっていました。盛りに来たかった! 私の武運(?)をお祈りしてきました。 http://yfrog.com/gzn2zdxj

odayuriko 織田百合子
やっぱり今日は雲が凄い! 北鎌倉です。帰りの湘南新宿ライン線 http://yfrog.com/gytvvhkaj

odayuriko 織田百合子
虹が! 大船にて http://yfrog.com/keq5hcj

■8月6日
odayuriko 織田百合子
下で高遠弘美先生がフェルメールの絵について呟かれたのを拝見し、書きたくなりました。一昨日の鎌倉への行き帰り、湘南新宿ラインの車窓から眺めた空、雲が綺麗で雄大で、携帯で撮って投稿して、「デルフトの眺望のよう」とコメントしようとしたのですが、あまりに図々しいようで止めました(笑)

odayuriko 織田百合子
こんなにも深く意識のなかに入ってしまっている文学って他にあるだろうかと、プルーストを思います。それは文章の力と思うのですが、文章はただ伝達するだけの機能でなく、意識に食い込む力をもつと強い。源氏物語が原文でないとただの色好みの小説になってしまうのは紫式部の文章の力と思います。

odayuriko 織田百合子
それは井筒俊彦氏的解釈で思うのですが、人の意識の根底には阿頼耶識というすべての人に物に通底する地下水のような流れがあって、そこに到達した文章だけがプルーストや紫式部のように人の意識に食い込む。そうなると言語の境界がなくなる・・・ということで書かれたのが森敦氏『意味の変容』・・・

odayuriko 織田百合子
とか、最近ずっと携わっていた鎌倉の源氏物語文化の象徴である『尾州家河内本源氏物語』についての考察が決着をみた余裕で、情緒の世界に還るべくあえていろいろ逡巡。源氏物語も読み返したいと思いながら、ツイッターで高遠弘美先生が呟かれるのを拝見しているとどんどんプルースト熱が再燃・・・

odayuriko 織田百合子
研究発表を控えてパワーポイントの編集もしなくてはならないのに、もう心がその先へ浮遊しています(笑)。発表は学会らしく真面目な論調ですることになっていましたが、一昨日鎌倉へ伺って幹部の方とご相談してきて、パワーポイントを使っての実演となりました。11月の講演を聴いて下さっていて。

■8月7日
odayuriko 織田百合子
そうなんです。最初は私もビビって関係のいろいろな方に訴えました。でもどなたもとりあって下さらず仕方なく独りで続けてきました。数年になります。知ってしまった者の務めとして最近ようやく覚悟ができました。サイト拝見させて頂きます  RT@yukufumu 尾州家河内本とは、また凄い題材

odayuriko 織田百合子
『尾州家河内本源氏物語』に私が思う意義は「鎌倉で成立した」ということ。鎌倉の滅亡とともに流出して足利将軍家→豊臣秀次→徳川家康と渡り、現在は徳川美術館に併設する蓬左文庫の所蔵となっているから、鎌倉で成立したことは影が薄く、鎌倉ではひっそりと忘れられた存在になっていた。

odayuriko 織田百合子
でも、写本とは人が作るもの。しかも高速の印刷と違って料紙を作り一字一句を墨で書き写し。こうした写本が成立した鎌倉がただの「武士の都」だけであるはずがない、と私は感じていました。いったいに書物の存在を忘れるということは、その書物が包括する文化を忘れるということではないでしょうか。

odayuriko 織田百合子
『尾州家河内本源氏物語』の成立の謎を追って私は第6代将軍宗尊親王の制作と結論しました。鎌倉には京都から下ってきた第4代摂家将軍、第6代宮将軍による公家文化が栄えた時期がありました。仙覚の『万葉集』研究も摂家将軍の下命です。人と人、時間と空間を追うことでそれらは浮かびあがりました。

odayuriko 織田百合子
今月私は『尾州家河内本源氏物語』宗尊親王制作説を学会で発表させて頂きます。これは鎌倉歴代将軍と京の文人の関係図。未完成ですがupしますね。鎌倉の公家文化のありようをご理解頂けますでしょうか http://twitpic.com/61zrbm

odayuriko 織田百合子
これも配布資料として作った年譜。「人と人、時間と空間」を追ったことを一覧にしたものです。『尾州家河内本源氏物語』の制作された年代が従来言われていた実時書写の正嘉二年でないことがわかります。 http://twitpic.com/61zu6j

odayuriko 織田百合子
『尾州家河内本源氏物語』の河内本を最初にはじめた源光行は、平家一門に仕える家の出身。幼い頃から平家の王朝文化に浸って育った人です。源平の争乱で平家が滅亡。鎌倉に移住してそれで鎌倉で河内本が成立します。というように、写本には人の動きや時代の心が込められていると強く実感しています。

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2011.8.7 2011年の桜・・・深大寺の枝垂れ桜をFacebookページのアルバムにしました!

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http://www.facebook.com/media/set/?set=a.250623091628945.67800.188841407807114&l=61b9ac98e3&type=1

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.250629588294962.67801.188841407807114&l=8c141ae230&type=1

これで気になっていた未整理の桜の写真が終了。震災も含めて大変だったこの日以降・・・、ようやく私のなかでこれから復興へはじまります!!

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2011.8.6 2009年の野川の桜のライトアップを、Facebookページのアルバムにしました!

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下の記事に今年の野川の桜をアップして、例年ならライトアップされるのですが、今年は震災で自粛と書いたら、是非、そのライトアップされた桜の見事さをFacebookページのアルバムに残しておきたくなりました。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.250362011655053.67773.188841407807114&l=04fe63fe0a&type=1

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2011.8.6 2011年の野川の桜・・・忙しくて撮ったままになっていた満開の桜、今頃になって整理してFacebookのアルバムにしました!

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Facebookページのアルバムに8枚アップしました。非情な世の中ですが、花の美しさには心を洗われます。整理できないでいたあいだ、花がこの瞬間を待っていてくれたかのような気になりました。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.250011008356820.67708.188841407807114&l=8875faf31c&type=1

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2011.7.31のツイッターへの呟き・・・情報社会優先の昨今、情報を入手するのに長い文章は無用として、短い文章礼讃のツィートへの反論

ツイッターを使っていると、使い方で二つのタイプの人がいることに気がつきました。一つは「短い文章派」、そしてもう一つは「140字を目一杯使って呟く、長い文章派」です。

「短い文章派」の中にも二つタイプがあって、ただの呟きの方と、端的に情報を発信する方。

「長い文章派」もタイプは分けられますが、それは議論派と思惟派、というような科学・情報系か文学・哲学系かの内容の問題であって、思考を大事にするという意味で私は一つに感じています。

私は科学も文学も好きなので、長い文章でその方の人柄に惹かれると分野に関係なくフォローさせていただくので、私のタイムラインは「この人の趣味って、いったい何!」といった感じです。

短い文章で情報発信されるのはいいのですが、それが高じて長い文章は駄目となると、私は疑問を感じます。往々にして文学系でない方は長い文章が苦手。長いだけで「オオ、嫌!」とばかりに閉じてしまわれます。

仕事で秒単位を争ってお仕事されている方は、それは手短に要領よく情報発信・入手も必要でしょう。ですから、お仕事系の方に長い文章をお勧め、なんて野暮なことを言おうとしているのではありません。

人間は生きた生身の人間です。情報だけでない思考という分野が肉体には備わっています。それを表現するのが長い文章。

ツイッターの140字制限が、いつのまにか短い文章の正統性に成り変ってしまっている気がします。だから短い文章の方は微塵もご自分たちの短い思考の危うさを感じていられません。でも、思考は、長い長い変遷を経て結実しますから、ツイッターも140字を断章的に連投で、思考を続けられる方が文学・哲学系の方には多くいられます。私もその派です。

ほんとうに短い文章派の方は、長い思考がお嫌いらしく、下のツィートを載せた途端DMを頂いて、「ツイッターはただの呟きなんだから140字でも長いと思っている」とありました。それで「私はツイッターを呟きとは思って使ってはいません。双方向の頼もしい情報収集の機能です」と返信したら、即座にフォローを取り消されました。他にも、三回連投するとフォロワーさんが減る・・・って呟かれた方もいらっしゃいます。

私なんて三回どころか六回に及ぶときがしばしば・・・。でも、一線で活躍されている方の連投って多いです!! 二十何回というのも見たことがあります。

私にしては珍しく、短い文章礼讃の世の中に反旗をかかげてしまいました。以下、140字を目一杯使っての連投です・・・

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odayuriko
最近放射能対策の身体のことで気になったことを読んだ。歩いていた昔と違って現代は車や飛行機を使うから身体が適応に間に合わず対策力が弱っているとか。以前から私は思考にそれを感じていた。私は取材で車を使わない。鉄道とバスと乗り継いであえて不便を楽しむ。そうする中で思考が整うから。

odayuriko 
以前ツイッターで短い文章を礼讃するツイートを読んで愕然としたことがある。情報社会ではそうかもしれないけれど、長いからダメという考え方に怖いと思った。そうしたらプルーストも源氏物語もない。意識は、思考は、芋づるのようにぐだぐだ繋がっていて最後に心の底に到達する。そういうことも大切。

odayuriko 
私はこれからも相変わらず不便な生活を好んでいくだろうし、それを止めたらたぶん書けなくなると思う。放射能対策の身体のことで思いがけず意識がいろんなことに反応してしまったけれど、最近、「世間から遅れている」身の狭い感覚が、「これでよかったんだ」と素直に感じられてきました。

odayuriko
さっきのツィート、読み返して気がついた。不便とは無駄のことだったんだ、と。忙しい現代では必要な情報や物資を受け取るのにできるだけ無駄を省く。それが便利で垢ぬけた生活、と。私は随分無駄なこと(失敗してはやり直し、みたいな)をしてきたけれど、今はみんなそれが血肉になっていると感じる。

odayuriko 
NHKスペシャル「幻の霧~摩周湖 神秘の夏~」・・・凄かったです! 摩周湖の神秘性は聞いていたけど、滝霧というのは知りませんでした。巨大な海霧が500kmの内陸を渡って摩周湖に達し、取り巻く山を越えて湖面に滝のように雪崩れ込む・・・。最後は満杯になった湖の霧が今度は逆に溢れ出て。(と、これは反論とは無関係ですがあまりに凄かったので!)

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後日談ですが、この連投をご覧になられたある高名な先生が、「以前ツイッターで短い文章を礼讃するツイートを読んで愕然としたことがある。情報社会ではそうかもしれないけれど、長いからダメという考え方に怖いと思った。そうしたらプルーストも源氏物語もない。意識は、思考は、芋づるのようにぐだぐだ繋がっていて最後に心の底に到達する。そういうことも大切。」のツィートをRTしてくださって、ご自分のフォロワーさんに拡散してくださったんですよ!

嬉しかったです!!

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2011.8.3 【8月1日23時58分頃 駿河湾 M6.1 震度5弱 】の地震について・・・7月13日夜空に前兆が?

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我が家から南西、駿河湾方向の空です。駿河湾に異変があるとこういう空になります。一枚目の低空中心部がうっすらと赤くなっているがおわかりでしょうか。ここで坩堝のような撹乱が起きていて周囲に雲を立ち上らせています。二枚目も同じです。

雲は広大に広がって南から西にかけて一帯に壁のように立ち上るので、ああ、また駿河湾に異変が・・・と思います。ずっと以前、もっと顕著な兆候で中心部がどろどろと中でうねるような紫色の状態になったのも観ています。雲観測初心者の時期で、慌てるばかりでしっかりした写真を取り損ねていますが・・・

写真は7月13日未明。経験でこういう空は直後の地震に繋がらず、一か月前後の様子をみるのが必要と思っていました。

でも、駿河湾に「7月19日5:22にM4.0」の地震が起きて、これが該当?、でも早い気もするし、規模も小さい・・・と警戒を続けていました。

【8月1日23時58分頃 駿河湾 M6.1 震度5弱 】が発生しました。やはりまだ継続していた・・・との思いです。ただ、以前の駿河湾からはじまってM6規模の3連発があったときよりは、前兆が小さかったので、たぶん、ひとまずこれで終わりと思います(と、これも希望?)

ここ2、3日、当地では雲がべったりと空を覆っています。こういうとき、前兆雲の直下ということがよくあります。発生の中心や全貌が見えないので危機感を覚えにくいのですが、駿河湾からのもあるような気がしたときがありました。

■この写真を撮った以降の駿河湾の地震を「地震発生量の信号機」様より
07/11 12:55 35.1N 138.7E  浅い M2.1  静岡県駿河湾**
07/19 05:22 34.7N 138.7E  20k  M4.0  静岡県駿河湾****
08/01 19:01 34.9N 138.4E  30k  M2.5  静岡県駿河湾***
----- 23:58 34.7N 138.6E  20k  M6.1  静岡県駿河湾******
08/02 00:03 34.7N 138.6E  20k  M3.4  静岡県駿河湾***
----- 00:14 34.7N 138.6E  20k  M3.0  静岡県駿河湾***
----- 00:48 34.7N 138.5E  20k  M3.1  静岡県駿河湾***
----- 04:44 34.7N 138.5E  20k  M3.3  静岡県駿河湾***

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2011.8.1 Facebookページに神々しい朝焼けの写真をアルバムにしました。

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Facebookページのアルバム機能に、7月に撮った朝焼けの写真を10枚アップしました。

http://www.facebook.com/pages/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90/188841407807114

ブログは私にとってノートのようなもの、ツイッターはメモ感覚、そしてFacebookはポートフォリオ?、かな?

Facebookには、登録した人とだけコミュニケーションできるふつうのページと、登録していない外部の人も見ることのできるFacebookページとの、二つの機能があります。

登録した人とだけコミュニケーションする方は、なんとなくツイッターと同じ。ただ文字制限が長いだけといった感じで、私にはあまり・・・・

私がFacebookを始めたのは、後の方の機能のFacebookページを使いたかったから。ここに、写真や原稿など、作品を載せておけば、ポートフォリオとして、名刺代わりの自己紹介に使えると思ったからです。なので、ここには日々の呟きみたいなものは載せていません。

流れてもいい情報発信やコミュニケーションはふつうの方に・・・

Facebookページには、きちんとした意図でもって保存したいものを、

と使い分けています。

でも、作品や残しておきたい活動記録がないと、ついそのままになってしまいます。で、思い立って、溜まっていた写真から綺麗な朝焼けを選んでアルバムにしてみました。

登録をしていない方にもご覧いただけます。 Facebookをお試しください!!

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