8月29日
今日は新月。去年の九月に「新月に物事をはじめるサイクルを」と教えて頂いて、そうしたら何もかもうまく運んでいます。今日のうちに十月に控えている講演のパワポの編集と、学会で発表した件を論文にまとめる「最初の一歩」を印し、ご利益を!(笑) 講演のスライド用写真も京都で撮ってきた事ですし
8月30日
昨日最初の一歩を記したパワポの編集。そうしたら急に真剣になって今日から本格的に取り組もうという気持ちになる。昨日は図書館に行って目的の資料を得、久々に見てまわった文学の棚から石川淳を。今『紫苑物語』読了。昨夜来「言葉」に埋もれ、堪能。文学は無から生まれるのでなく触発されて、を思う
8月31日
鎌倉から講演の正式の書類が届きました。準備はしていたものの改めて通知を手にするとやはり緊張。時間は70分。参加者280人。坂麗水さんの琵琶と二部構成です。募集はもう始まっているのでしょうか。励まして頂いた先生方が日程を開けて待ってますといってくださってるのだけれど…
9月1日
プルーストと源氏物語は浸っている分には豊穣なのだけれど、自分が何かを成そうと取り組んでいると例え源氏物語が相手でも体力を大量に消耗。エッセンスの補給に逃亡を企てて吉祥寺に出てプルースト研究を拝読させて頂いています。いずれ小説を書く場に戻った時のためにきちんと蓄えておきたいから
「全体的なリズム」というのはエロスなのかも。ずっと学術的言葉の世界にいてプルーストに戻ったら何も危ないことは書いていない頁でさえ危ない匂いがする。え?と思って読み返すとそれ自体に具体的な何もないけれど、伏線が…。小説世界に戻るってこういうことだった…と新鮮だけど、かなり覚悟が…
学術的言葉ではどんどんいくら深めていっても、危ない、なんて感じたことはなかった。深めれば深めるほど深淵になって心地よく…。でも、小説的世界にちょっと戻ると…。先日久しぶりに作家クラブの懇親会に出てやはり学術世界の懇親会との違いに「危険」の匂いを嗅いだものだった・・・
小説は、というか文学は、深まれば深まるほど生の根源におりてゆく。それがリズムになるのだし、それがつかめたときに文体…。源氏物語や紫式部を研究することと、紫式部の生の根源におりてゆくこととは違うのだなあと。ほんのわずかプルーストに戻っただけでもう生の根源ということに気づかされました
プルースト研究の『ジャン・サントゥイユ』と『失われた時を求めて』の描写の違い、「書いた当人にとって如何に切実であろうと、それが普遍的なものまで達していないのであれば、読む者を感動させることはできない」…、面白かった。ふつうの小説と文体をもった小説の違い…、文体とはエロスなり…かも
話は飛ぶけれど、現在の万葉集の基礎を作った鎌倉の万葉学者仙覚。こういっても名前に親近感はないし古臭い感じで誰も惹かれない。でも彼の人生をドラマにして三浦春馬さんか誰か若手のイケメンさんに演じてもらったらみんな熱狂するだろうなあ。学術的世界と小説世界はこれほど違う。面白いですね
9月2日
今日は一日パワポの編集。振り返ったら去年の今頃、11月27日の最初の講演に向けてこの作業を始めていた。その後3月15日に再び鎌倉でとなっていた時に震災が起きて延期。そしてこの10月8日が決まる。その間論も深まったし足りない写真を撮ってまわったから、昨年とはまた違う味わいで作業…
講演は今日から募集がはじまっていて、お申し込みの電話がもう届いているそう。今、たまたまプルーストを読んで文学の感性が甦っているからか、導入部分の『源氏物語』についてが前より楽しく進めてます。スライドを一枚。長恨歌の引用です http://twitter.com/odayuriko/status/109310228624973824/photo/1
今日、2013年の世界文化遺産登録を目指す「富士山」と「古都鎌倉12 件の寺院・神社ほか」がユネスコに推薦されることが決まったそうですね。今月下旬に正式決定し、月内に推薦書をユネスコに提出とか。武家文化だけでは弱いから古都鎌倉になったのでしょうか。ずっと「武家の都鎌倉」だったのに
どうして【『源氏物語』もあった鎌倉】としないのか、ずっとあらゆる機会を捉えて訴えているのですが個人では届かないですね。せめて講演でいらして下さった方に直接訴えて心に感じて帰っていただいています。聴いて下さった方には思いが通じて反響は大きいのに…
貞観津波と「末の松山」の関係、明治時代から論じられていたと…→http://bit.ly/oYKyDH RT@ryu_
昨夜末の松山と貞観津波の関係を書かれたツイートを発見して、私も気になっていましたのでやはりの感。検索したら今回の津波でも無事だったと。近くの沖の石へは津波が届いていたそう。末の松山は周囲より少し高台です。2008年撮影 http://twitter.com/odayuriko/status/109443866964402176/photo/1
全体の写真をもう一枚。高台のようすがわかります http://twitter.com/odayuriko/status/109445372333662209/photo/1
しつこくて済みません。「末の松山」・・・。老松の苔むした木肌がとても素敵だったので http://twitter.com/odayuriko/status/109446879070265345/photo/1
まだ末の松山を引きずっているのですが、訪ねた時に感じた違和感、こんな海から離れた住宅地に、波こさじ、とはどういう事だろうと。津波と知って納得。些細な違和感って結構正しい!
鎌倉は由比ガ浜のかいひん荘に行きました。今年の湘南庭苑文化祭のキックオフです! ここは前に網野善彦先生のご講演で来たところ。ちょうど由比ガ浜の発掘調査で大量の人骨が見つかって、講演前に網野先生が見学に行かれるのについて行ったけど、さすがに中へ入るのはためらわれた思い出の地です
今日はその時調査していた場所も歩いたし、琵琶の坂さんの演目が鎌倉滅亡時のこと。さすがの迫力でやはり鎌倉は武士! 源氏物語を訴えても伝わりそうがない…と。でも、そんなこと言ってられないから頑張ります!
9月3日
台風の水難被害に心を痛めながら講演のためのパワポ編集を続ける。たくさんの考えなくてはならないことしなくてはならないことを抱えながら、でも一人でできることの範囲は限られていて、今とにかく自分がしなくてはならないことに優先順位をつけては進む毎日・・・、すごく少しずつしかできない
パワポの編集…、今日は第一章「紫式部と源氏物語の世界」を終わって第二章「源氏物語に生きた人々―平家の王朝文化」へ。第一章の終りのスライドを! 何故こうも源氏物語が人の心を惹きつけて止まなかったかは紫式部の苦悩の深さによるのでは http://twitter.com/odayuriko/status/110064545237700608/photo/1
定家と光行は平家の王朝文化の真っただ中に育ち、恩恵をたっぷり浴びている。しかし二人が二十歳のころ、突然平家は都落ちし滅亡。親しかった公達方は朝敵となり、語ることさえ憚られたその後の人生。二人が成した写本の根底には平家の方々への追慕追悼があると思う。他の写本とは根本的に成立が違う
紫式部の苦悩の深さが、定家や光行の平家の方々への鎮魂の思いを受け止め、それによって「青表紙本源氏物語」「河内本源氏物語」はできた。今年、三月の震災で私自身心の底から恐怖を覚え人の世を思ったとき、動乱に生きて翻弄された光行たちの思いが理解できた。講演ではそんな思いを語らせて頂きます