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2011.9.30 九月尽・・・、ツイッターへの呟きを転載・・・9月27日から29日まで・・・講演用のスライド100枚を一挙にup

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9月27日

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今日は新月。ちょうどパワポの編集もひと息ついて、今日から新しく何かを始めるのはちょうどいい日。さて何をと考えて、ふっとmixiページを思いつき、勢いではじめてしまいました。http://page.mixi.jp/recent_page_feed.pl?module_id=752056&page_id=136686

9月28日

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おはようございます。源氏物語の講演が迫っているなか、パワポの編集も終えて次に成すべきことを考えています。原稿を書くことともう決まっていたのですが、それは講演後にしかとりかかれないので今は気分は中空。ぶらぶらと逍遥中。そんななか「ふらんす」のブラッサンス特集を拝読、人生を考えました

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むかし、何も知らないままゴダールの映画を追って、フランスの室内の白い壁に憧れ、家を建てる時漆喰にこだわって造ったりしたのだけれど、若いときに染みたそういう気分って消えないものだなあと思う。『気狂いピエロ』、大好きだったけれど、ブラッサンスを読みながらそんな当時を懐かしみました

odayuriko  

2012年文化財保存修復支援カレンダー募金。2012年のカレンダーは徳川美術館所蔵の「国宝 源氏物語絵巻」の現状模写作品だそうです。12500円以上。年内発送分の締切は129日。ご寄付頂いた全ての方に進呈。お問合せ:03-5685-2311。(芸大美術館で頂いたチラシより)

9月29日

odayuriko  

おはようございます。パワポで編集した100枚の写真を順に一挙公開するべく作業しています。編集途中で時々ご紹介していましたが、それは新聞記事の一つに過ぎず、繋がらずに忘れ去られます。流れでたどると時代が浮かび上がり長編小説になります。100枚の写真だからパワポ版『百年の孤独』と…

odayuriko  

(続)というのは、写真は時間と空間をカチッと固定します。活字は年号を余程明確に把握していないと曖昧なまま論が進められそれが通ってしまいます。100枚の写真は定家の誕生から平家文化、鎌倉将軍の時代を経て現代まで。壮大な大河の流れです。たぶんどなたも見たことのない流れと自負しています

odayuriko  

10月8日の講演【源氏物語と鎌倉】のために準備したパワーポイントのスライド100枚をmixiページのフォトにupしました。ひとコマ漫画のように流してご覧になって頂けたら嬉しいです http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=136686

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講演用の100枚のスライドの内、26枚「源氏物語の世界」の分を、Facebookページに up しました。mixiページともども使い勝手をまだよく把握していないので試行錯誤ですが、Facebookページの方がアルバムは見易いかもしれませんhttp://www.facebook.com/home.php#!/media/set/?set=a.276841762340411.73211.188841407807114&type=1

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冒頭の一枚はスライドの100枚目です。

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2011.9.28 国文学研究資料館「近衞家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承」展のお知らせ

◆特別展示「近衞家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承」 

会期:平成23年10月8日(土)~12月4日(日)
              ※期間中、月曜日は休室(10月10日を除く)

前期:10月 8日(土)~10月30日(日)
中期:11月 1日(火)~11月20日(日)
後期:11月22日(火)~12月 4日(日)

開催時間:午前10時~午後4時30分※入場は午後4時まで
場所:国文学研究資料館 1階展示室

http://www.nijl.ac.jp/pages/event/exhibition/2011/yomei.html

問い合わせ先:
TEL.050-5533-2910 
FAX.042-526-8604

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2011.9.27 急に思いついて mixiページを作ってしまいました! mixi版【孔雀のいる庭】・・・、よろしくお願いいたします

http://page.mixi.jp/recent_page_feed.pl?module_id=752056&page_id=136686

新月に新しい仕事をはじめるサイクルができて一年。ちょうどパワポの編集も終わり、次に何をしようかと考えていたときの新月。そうだ!と閃いて、勢いで作ってしまいました。

フォロワーさんがたくさんいないと固有のURLを取得できません。それまでこの数字が入った覚えられない長さのURL・・・。フォロー、よろしくお願いいたします。

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2011.9.27 来年の大河ドラマ「平清盛」は1月8日スタート! 岡田将生さんの「頼朝」の呟きからはじまります・・・

「源頼朝の目線から、創成期の武士たちの壮大なストーリーがつづられていく作品」だそうです。ナレーションも岡田将生さん・・・

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/09_okada/index.html

http://www.oricon.co.jp/news/movie/2002080/full/

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2011.9.27 ツイッターへの呟きを転載(4)・・・9月25日から9月27まで、NASAのUARS落下のこと、東京藝術大学美術館「国宝 現状模写 源氏物語絵巻に挑む」展のことなど

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9月25日

hashimoto_tokyo 橋本麻里 odayurikoがリツイート

米ミネソタ州で撮影された落下の光跡が迫力→ 【NASA】テレ朝:人工衛星「UARS」カリフォルニア沖太平洋に落下かhttp://tweetbuzz.jp/entry/69040183/news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210925006.html

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もしかして下のツィートされた方と同じ車両に乗っていたりして・・・

odayuriko 

誰かの何気ないつぶやきが頭から離れず一日楽しかったり、もしかして知らないけど知ってる誰かと同じ車両に乗車していたかもと夢想して嬉しかったり、そんな他愛ないことで心潤っている。こんなことが文学なんだろうなあ・・・

9月27日

fuhgetsu ∞音∞ a.k.a. 風*月 odayurikoがリツイート
宇宙天気ニュース「CMEによる太陽風の乱れが到来しました。激しいオーロラの活動が発生し、大きな磁気嵐になっています。」2011/ 9/27 11:29 更新 http://swnews.jp/ ニュージーランドのヨネト氏が撮影→ http://twitpic.com/6r7sh6

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色彩bot()様をフォローさせていただいてTLに流れてくる和の色の名前を楽しみ、どんな色か想像し当たりかはずれかわくわくしつつクリックする。名前自体がすでに芸術と新鮮! さっきのは珍しく具体的で夏虫色。どんな色だろうと開けたら… http://www.colordic.org/colorsample/2311.html

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国宝源氏物語絵巻は建礼門院徳子が所持していたと伊井春樹氏が述べていられ、私はそれは後白河院からの贈物では?とひそかに思っているのですが、こういう背景を知って絵巻に接したのは今回の芸大美術館での展示がはじめて。今まで観ていたのは美術品としてでしかなかったことに気づいて愕然としました

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それは会場の国宝源氏物語絵巻「柏木」「宿木」5点が陳列されたケースを覗いていたときのこと。突然、もしかしたらこれは実際に建礼門院徳子さんが手にされた絵巻?の思いが湧いたのです。遠い昔の宮中に生き、時代に翻弄され、『平家物語』に残る女性の生身の気息を記憶にとどめている絵巻…

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(続)思わず感涙しそうになってしまいました。小説を書いていると、生身の気息を感じる遺留品があるかないかでその後の文章に凄い違いがでます。建礼門院徳子さんも今まではいくら『平家物語』を読んでも遠い歴史の中の人でした。でも絵巻を通じてはじめて徳子さんを生きた人間として実感したのでした

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国宝源氏物語絵巻については三谷邦明・三田村雅子氏『源氏物語絵巻の謎を読み解く』に詳しく、鎌倉で宗尊親王が所持していたと。これを私なりに解釈して、白河院・待賢門院璋子制作→待賢門院璋子所持→後白河院所持→建礼門院徳子所持→都落ち際し都に残す→後嵯峨天皇所持→宗尊親王と共に鎌倉へ、と

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国宝源氏物語絵巻の絵の特異性は代々皇室の方々の手にだけ渡って一般の人の目に触れなかったからと。画風の広まりようがなかったと。私は源氏絵という言葉に惹かれて展覧会に行っても、いくら主題が源氏物語でも画風が平安期のものでないと好みません。国宝絵巻にだけ物語の精神性が感じられています

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今日は新月なんですね・・・。いろいろなことにかまけているとそれだけに意識がいって諸々おろそかになりっ放し。うっかり芸大美術館の源氏物語絵巻展最終日も忘れるところだったのを教えていただき間に合ったと思ったら、今日また他の方のツイートで「新月」を気づかせていただきました!

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冒頭の写真はパワポの編集の一枚目、タイトルです。ずっと集中してこれにかかっていたからか、この間のできごとが記憶のなかにありません。大型の台風があり、NASAのUARS落下があり、社会的にも大変でした。

でも、どれもその時点時点では大切なこと。忘れてはいけないからとの思いで、せめてツイッターには必死になって書き留めていました。

でも、私のなかで気分はブログで完了させないと承知しなくなっているよう。ずっとふわふわと空中遊泳をしているような半月でしたが、そうだ、ブログに転載したら着地感がでるかな?って、やってみました。

これで心置きなく次に進めます。ちょうど新月ですし・・・

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2011・9・27 ツイッターへの呟きを転載(3)・・・9月24日と25日、パワポの編集をほぼ終わって

9月24日

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パワポの編集、ようやくひととおりのスライドに文字を入れ終わる。スライドは100枚と決めて中で融通。しばらくチラシをお送りさせていただくのにご挨拶とか諸々あってパワポの編集からもプルーストからも離れていたから気分が文学に戻りたがって鬱積していました。これでようやく元に戻れます!

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二つの世界・・・、人の世に生きることと文学に生きること。その両方を行ったり来たりしている訳だけれど、ここにきて言葉の繰り出し方がその両者では正反対ということに決定的に気づく。拡がることと深まること。ベクトルは放射と螺旋状の下り・・・と思ったら、これって金胎両部の曼荼羅?・・・と

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パワポの編集。親行が「河内本源氏物語」を完成させた三年後に北条実時がそれを借りて書写したスライド。実時創建の称名寺苑池の写真です。称名寺境内は関東では珍しい浄土式庭園。沈む西陽に朱塗りの橋が水面に照り映えて、さながらこの世の浄土の光景


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帝王編年記を借りてきました。新訂増補国史体系12。なんか、ふしぎな書物…

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式子内親王bot様をフォローさせていただきTLに流れてくるお歌を日々眺めているとふしぎな気持ちになる。決して内親王の歌は描写的でない。なのに景が浮かぶ。でもひとつひとつの言葉を見ると難しい言葉や表現はひとつもなくすべて普通名詞の類。でも深い。なんなのだろうとほんとうに考えてしまう

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(続)最近思うのは式子内親王様のお歌は存在の深いところから繰りだされているのだと。視点が描写の次元にはないのだということ。描写の視点と情景が自身の痛みに融け込んでいる視点とは違う。そういえば和泉式部がそうだったと。あくまでも「おのれ」が視て「おのれ」が言葉を繰り出している

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(続)国文学の専門でないのでもう研究し尽くされたことで今更いうことでないかもしれないけれど、とにかく最近このツイッターのお陰で式子内親王の歌の言葉の繰り出され方というのが気になってならないでいます。つい先程流れてきた一首は「ながむれば木の間のうつろふ夕月夜ややけしきだつ秋の空哉」

9月25日

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パワポの編集から『紫式部日記』冒頭のスライドを。秋のけはひ入り立つままにではじまるこれだけで紫式部にとって、というより日本人の感性に秋が如何によきものとして受け入れられていたかがわかる。秋、私も好きです。そしてこの写真も。手前みそですが…

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いつからこうなったか把握できていないけれど、私にとって自然は靡くもの。好きな草花は萩や蔦のようにしな垂れるもの…。それが源氏物語絵巻からの影響かもと気づいたのはつい最近。庭に植えるのもその種の草花だからどちらかというと末摘花邸(笑)。西洋美術派の娘からは顰蹙を買っています

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Facebookページに、8月23日に行った仁和寺と法金剛院の写真をアルバムにしました。平安の優美な趣を残す大好きな空間。また訪れられて幸せでした

http://www.facebook.com/home.php#!/pages/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90/188841407807114

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武蔵野の雑木林に赤くひと群れ彼岸花が咲いていました

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2011.9.27 ツイッターへの呟きを転載(2)・・・9月15日から9月22日まで、主にパワポの編集終盤といろいろな情報

9月15日

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いつのまにか仲秋の名月を見送って十六夜の月も過ぎてもう立待の月…と、でも今夜も月が皓皓と照って綺麗。暗くなってから吉祥寺に出てタリーズでしばしのくつろぎ。タリーズは一人でPCをしている人が多い。私もパワポの編集に持ち歩いてみようかななどと思う。読書は『プルースト研究』・・・

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(続)「森のなかの一羽の鳥の鳴き声」の詳細な解説に、比喩というのは岩石のなかのあるかないかの貴重な原石のようなものと思う。原石を含まなければその岩石はただの石・・・。文章も、内に煌めく比喩や引用を持ってこそ文体・・・と。なんか自分勝手な解釈だけれど、比喩について物理的に納得

9月16日

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店内に迷い込み困り果てていた大きな黒揚羽。ラックにとまったので手をだすとふわっと指に移ってきた。飛んでいるときは下からしか見えないので黒一色と思っていたら、表面は綺麗な青い色がきらきらまたたく孔雀の羽根のような光沢。夢幻という言葉がぴったりの蝶が好き。蝶は魂とか・・・

9月17日

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虹色の日暈。今日は青空に筋雲がいっぱい! その筋雲に日暈ができていました

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映画「源氏物語 千年の謎
http://genji-nazo.jp/

9月20日

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図書館で『建仁寺』を借りて拝読中。先日書いた光行の建仁二年の一時上洛は建仁寺建立に駆り出されて?の説、当たってるらしい。京での活動が厳しいとみた栄西は建立が武士の支持を受けていることを強調する策として建築現場に有力武士を動員したとある。『帝王編年記』、光行の名はないでしょうけれど

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建仁寺が六波羅蜜寺に隣接しているのがなんだか不思議だったけれど、平家一門の跡地を六波羅探題として鎌倉幕府が使い、その地の一画を頼家が栄西に与えて建仁寺を建立となれば至極当然。建仁寺に頼家像があり、道元が栄西に学んだなど、知らなかった部分の繋がりが新鮮。年譜に書き足さなくては!

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パワポの編集。建仁二年に光行が一時帰洛をして子息親行を俊成のところに遣わし、俊成本『源氏物語』への不審を訊ねさせたスライド・・・、このとき光行は建仁寺造営に駆り出されていて、自分で行かれなかったのだと今にして納得

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パワポの編集2。俊成本『源氏物語』への不審の詳細。長恨歌からの引用の対句の部分が見せ消ちになっていることについてだった。役目を十分に果たせず光行から叱責された親行は自力で答えをみつける。研究者親行にとって長恨歌が原点となったスライド


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パワポの編集3100枚になった全体のなかで、「河内本源氏物語」が77日に完成したことを強調したくて長恨歌の部分をしつこく並べています。それでパワポの編集2のスライドは、最初の頃の「桐壺」巻引用のと同じ写真を使い印象を強くしました


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パワポの編集4。そして、終盤の「完成」スライドもこの写真です。70分のなかで最初と中と終盤とにおかれたこの写真を、聴衆の皆様が感じとってくださるといいのだけれど・・・

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追記: 建仁二年の翌年、俊成の九十賀がとり行われ、その翌年91歳で亡くなります。親行の遣いにもっと詳しく応えてあげればいいのにと疑問に思ったものですが、年齢を考えたらそういう成り行きになっても仕方なかったのでしょう

9月22日
ikebura_y 西秋ユキヲ odayurikoがリツイート

そしてこれは必見! 国文学資料館の陽明文庫展! 五摂家筆頭は格が違う、と痛感させられた東博での展示からはや数年。(ほぼ御物レベル)あの感動がふたたび! http://bit.ly/q6Pc3H

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2011.9.27 ツイッターへの呟きを転載(1)・・・9月12日から9月15日まで。パワポの編集、光行の実朝との関わりと建仁二年一時上洛について

9月12日

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パワポの編集、満月の今夜完成を目指し昨夜は骨子だけでもまとめてと最後の一枚を作って就寝。計101枚になりました。これから詳細を付していくのでまだ増えます。光行が少年実朝の教育にあたっていたというところを紹介するスライドを

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朝の京好みについて誰も疑問をもたないのがずっと不思議でした。13歳の少年が母の勧める東国の女性を断って京から正室を迎えるなど、誰かの影響があって当然。私はそれが光行だと思っています。実朝の万葉調、京から定家が万葉集を贈る等々、背景にみんな光行が介在していて不自然はありません

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定家が万葉集を贈ったからその影響で実朝が金塊和歌集を編んだなど、従来の学説はあまりに偉大な定家の視点でしか実朝をみないからくる誤り。光行は京の雲居寺で書写した万葉集を鎌倉に携えてきており、それを少年実朝の教育に使ったのでは?学説は表舞台にでた資料だけで論じるからおかしな事が多い

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とにかく光行は立場が「地下の役人」でしかないから、従来の学者さんの貶めた視点に私はしょっちゅう立腹しています。源氏物語研究に実定・俊成・良経・久我通光の四人から協力を得たとあるのに、「ありえない」の説。でも平家一門の中で育った光行には資料にでなくても充分に「ありうる」のです

9月13日

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国宝源氏物語絵巻というと尾州家河内本を思う。国宝源氏物語絵巻は長い間皇室だけに秘蔵されていたから一般に広まらず画風が特異だと。尾州家本も宗尊親王の所持本が底本なら、それは後嵯峨天皇より譲られて鎌倉に持参した本のはず。青表紙本より古い、もしかしたら紫式部の原形をとどめている本かもと

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尾州家河内本は実時の校合によって河内本になりもともとの本文は青表紙本も混じるとか。でも青表紙本が混じるのではなく宗尊本の方が先なのでは?実時の書き込みを除外した本来の尾州家本の研究をどなたかして下さいと目下ことある毎に訴え中ですが、まだ宗尊親王制作説は先月学会で発表したばかりです

9月14日

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パワポの編集、一応最後までできていて今はその詰め。100枚になりました。昨年の鎌倉投信邸での講演も100枚で70分。今回も持ち時間70分だからちょうどいいかも。定家・光行が世を去って親行の代になるスライド

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パワポの編集、親行の研究者としての原点となる逸話。11歳の頃父光行に俊成のもとへ疑問を正しに遣わされた。が、不十分だったので光行に叱られ、若菜巻を60回も読んで自力で答えを探り当てたという。長恨歌へのこだわりの原点でもあるスライド

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光行の事跡から俊成に疑問を正した一時上洛は建仁二年しかあり得ないことがわかっている。パワポの編集でその背景に建仁寺の写真をと思い歴史をみたら、なんと創建はまさに二年。光行の一時上洛はそれに関わった為だろうかと閃く。というのも光行は頼朝上洛の際にも事前に上洛して六波羅の宿舎を整えた

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光行は福原の新都造営の際にも通親・実定のもとで「丈尺をとって働いた」。光行にはその方面での才があったらしい。建仁寺の地は頼家の寄進。当時光行は頼家に仕えていたから可能性はある。もしかしたら重盛邸の門だったという勅使門の移築も光行の采配?などと考えたら暴走のし過ぎだろうか・・・

9月15日

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日中の閃き・・・、建仁2年の光行の一時帰洛は建仁寺造営に携わるためだったとの説が頭から離れない。ずっと何故この時期にが謎だった。しかも俊成に不審を正すなら自分が行けばいいのに、11歳の子息を遣わすなんてと。光行は造営に携わっているために余裕がなかったのだと目から鱗・・・

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2011.9.28 NASAの宇宙から地球を見る動画・・・凄いです!

http://apod.nasa.gov/apod/ap110927.html

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2011.9.25 9月24日の不審な夜空

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9月24日22:30から22:45くらいまでのあいだの空です。はっきり震源を示しているのは一枚目の洗濯板状のもようをもつ小笠原諸島方向発生の雲ですが、その他、どの方向ももやもやしておかしな空でした。

一枚目と最後の写真の左下低空が白く写っているのは東京湾方向の発光です。目視では雲が赤く染まっていました。

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9月24日 9月22日の夜空に浮かんだ真っ白な雲が刻々形を変えました

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9月22日0:52から1:46のあいだの空の変化です。一枚目を見ると小笠原諸島方向の発生かなと思うのですが、主に南西(駿河湾)方向で発生して流れてきているように思いました。

それがだんだん北東に届いて、下の三枚では福島県沖の前兆のようすを呈しています。

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2011.9.18 【9月17日04時26分頃 岩手県沖 M6.3 震度4】にはじまり、三陸沖にM5規模の地震が頻発しています・・・三月の震災前と似た状況にならなければいいのですが・・・。それでここ半月ほどの空をまとめてみました→その後の三陸沖発生の地震を追加しました(24日夜)

●8月30日 南西→東北と架橋するただれたような帯雲。この南西発生、東北集結の現象は三月の震災前にも何回か観られた状況です。最初は南西に震源が?と思っていたのですが、東北に引き寄せられていたのでした。東北では三陸沖方向が中心となる放射状雲が。この日、震災の余震が・・・?と危惧しました。

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●9月10日
「KS SKY REPORT」という地震予知のサイトで、「アラスカのハープに変な波形がでてきた」という報告があり、?と思っていると、「3月11日前もこんな感じだった」とのことで、警戒心を覚えました。

No.143706 ハープが異常を計測 投稿者:弥勒 投稿日:2011/09/11(Sun) 09:14
アラスカのハープが、東日本大震災に近い数値を計測しています。
地球上でまたプレート境界型巨大地震が起きる可能性が高い。

No.143621 HAARPやばい! 投稿者:HRRAP 投稿日:2011/09/10(Sat) 12:08
すごい振れ方だ!

No.143597 HAARPの振れが 投稿者:川崎中原 投稿日:2011/09/10(Sat) 04:24
激しいです。311前もこんな感じでした。

No.143593 HAARPに 投稿者:沼津在住 投稿日:2011/09/10(Sat) 02:41
変な波形出てきた

●9月12日

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澄んだ空にオーロラのようなたゆたう雲。綺麗ですが、天女の羽衣のようなこういう雲は大きな地震の存在を感じさせて警戒せざるを得ません。HAARPの異常波形と連動しているような気がしたのですが・・・

No.143855 HAARPの振れがハンパない 投稿者:川崎中原 投稿日:2011/09/13(Tue) 01:24
311前と同じくらい!

●9月16日 終日、高空の巻雲が席巻していました。余程強い震源が控えているのかと思わざるを得ない空。日暈もできていました。一枚目の巻雲は東北に収束する放射状でした。目視で福島県沖以北でしたので、三陸沖?と思いました。三枚目の東北から発生している積乱雲の列は宮城県沖震源です。

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9月16日17時55分頃 福島県沖 M3.5 震度1
9月16日14時32分頃 宮城県沖 M4.4 震度2
9月16日07時39分頃 宮城県沖 M4.0 震度2
9月16日01時38分頃 宮城県沖 M3.6 震度1
9月15日23時25分頃 岩手県沖 M4.1 震度2
9月15日21時17分頃 岩手県沖 M3.7 震度1

●9月17日 朝、強烈に朝焼け・・・。三陸沖―小笠原諸島方向を架橋する雲は、三月の震災前によく撮った現象。また三陸沖に地震が・・・?と危惧しつつ帰って、PCを開けたらすでに群発がはじまっていました。この撮影は5:16。同時刻の発震もあります。

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9月18日02時55分頃 三陸沖 M5.3 震度2
9月18日00時13分頃 宮城県沖 M4.3 震度3
9月17日16時34分頃 岩手県沖 M5.6 震度3
9月17日10時19分頃 三陸沖 M4.8 震度1
9月17日07時41分頃 三陸沖 M5.7 震度3
9月17日06時42分頃 宮城県沖 M4.2 震度2
9月17日06時36分頃 三陸沖 M5.7 震度3
9月17日06時28分頃 福島県沖 M3.9 震度1
9月17日06時08分頃 岩手県沖 M5.9 震度3
9月17日05時16分頃 三陸沖 M4.5 震度1
9月17日05時11分頃 三陸沖 M5.5 震度2
9月17日04時40分頃 三陸沖 M5.5 震度2
9月17日04時26分頃 岩手県沖 M6.3 震度4

No.144369 HAARP 投稿者:ペンペン 投稿日:2011/09/18(Sun) 02:52
本当に凄い荒れ具合ですね!

No.144362 ほんと、HAARPが凄いことにorz。 投稿者:@ORZ 投稿日:2011/09/18(Sun) 01:15
こうならないことを祈るのみです。

No.144360 HAARP 投稿者:沼津在住 投稿日:2011/09/18(Sun) 00:58
えらい事になってますね

No.144325 ハープデータが 投稿者:タケサン 投稿日:2011/09/17(Sat) 20:51
ハープデータが不穏な動き。H(North)の黒線が激しくマイナス。災いは北からか?

夜、再びオーロラのようにたゆたう雲が空に広がり、月暈ができました。これは開いたPCの「KS SKY REPORT」で月暈が、との報告があって知ったもの。時間がたっていたので消えかかっていましたが撮ることができました。地震予知のサイトは地震のみならず生きている自然を身近に感じ、アンテナをはたらかせることのできる貴重なツールです。

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下の写真右上に月暈の弧の下の部分が、右側にオリオンが写り込んでいます。

●9月18日 今朝です。深夜のオーロラ状の雲があるとき朝焼けしますので待ってみました。三陸沖発生の火焔状の雲が綺麗な金色に焼けました。

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追記:9月24日。三陸沖震源の地震がその後も発生しています。

9月24日12時29分頃 岩手県沖 M3.5
9月24日09時08分頃 岩手県沖 M4.6
9月23日22時12分頃 岩手県沖 M5.0
9月20日01時27分頃 岩手県沖 M3.8
9月18日16時04分頃 三陸沖 M5.9

●9月19日 オーロラのようにたゆたう雲がその後も出現しましたので載せておきますね。

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2011.9.15 10月8日の講演【源氏物語と鎌倉】のご案内・・・主催者様からチラシを送っていただきましたので

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平成23年度 男女共同参画フォーラム ~共に生きる未来~
【源氏物語と鎌倉】

講演: 鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで 織田百合子
薩摩琵琶: 「葵上」 坂麗水
舞台装飾: 花結び 倉田生子

日時: 10月8日(土) 午後1:30~4:00 (午後1:00開場)

場所: 鎌倉生涯学習センター ホール (鎌倉駅東口徒歩3分)

☆事前申込制

☆入場無料

☆定員: 250人

☆お申込・お問合せ: 鎌倉市 人権・男女共同参画課
      電話: 0467-61-3870
      FAX: 0467-23-8700
      Eメール: j-josei@city.kamakura.kanagawa.jp

「10月8日のフォーラム参加希望」・お名前・電話番号(市外局番から)を記載してください。

★託児をご希望の方は、9月27日までに電話でお申し込みください。
(0歳から未就学の児童。先着10名まで)

主催: かまくら男女共同参画市民ネットワーク「アンサンブル21」 ・ 鎌倉市
共催: 神奈川県立かながわ女性センター

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2011.9.14 【9月14日21時52分頃 千葉県北西部 M3.0 震度2】の地震・・・昨日のカナトコ雲が前兆?

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昨日、後楽園から南東にカナトコ雲ができていました。カナトコ雲は地震として発震してもだいたいM3くらいの規模ですから、ふつうはあまり気にしません。

ただ、ここのところ千葉県に地震が多発していますから、ひょっとしてその地域のだったら嫌だなあと思い、その場でグーグルマップを開き方向をたどると・・・、やはり最近気にしている「千葉県北西部」にドンピシャ・・・でした。

で、M3規模の地震はだいたい24時間くらいで発震しますから、昨日の今日ということで、「千葉県北西部にM3規模」の地震があったらブログに載せようと決めていました。

そして、やはりありましたので掲載します。【9月14日21時52分頃 千葉県北西部 M3.0 震度2】です。

■気象庁から気になっている千葉県の地震を転載しておきますね

9月14日21時52分頃 千葉県北西部 M3.0 震度2
9月13日18時10分頃 千葉県東方沖 M4.5 震度1
9月13日00時26分頃 千葉県東方沖 M4.4 震度2
9月12日06時48分頃 千葉県北西部 M3.7 震度1
9月11日19時09分頃 千葉県北西部 M4.2 震度3
9月11日03時35分頃 千葉県東方沖 M3.8 震度2
9月08日16時44分頃 千葉県東方沖 M3.2 震度1

なんとなくこの頻発、気になっています。

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2011.9.13 月光の会の野口綾子さんが朝日新聞に・・・「ラプンツェル」の歌

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ツイッターに「朝日新聞に綾子さんが出てる」と呟かれた方がいらして、なんとなくまさか野口さんとも思わずに写真を見たら、野口さん・・・。いつも月光の会の事務局で頑張ってらして、私もお世話になっている方です・・・

とても可愛らしい綺麗なお嬢さん・・・、水玉模様が好きでいらして、赤いパンプスがお似合いで・・・と、お目にかかったときは結構楽しんで拝見してしまうんですね、ファッションを

プロフィールにある『トウキョウ・ガーリーシック』も拝読させていただきましたが、彼女の作風、私は好きです。「女子カメラ」と似た感じ、ってお伝えしたら驚いてらっしゃいましたが・・・

「ラプンツェル」もいいですね。野口さん、おめでとう!!

今日は偶然月光の会の女性お二人の活躍を拝見した日になりました。月光誌に挿絵を載せてくださっている佐中由紀枝さんが写真展に出展してらして、文京シビックまで行きました。DMに「今回は3.11をテーマに制作しました」とあり、5点のうちには「東北」のタイトルの作品も

絵を描かれる方の写真には適わないといつも彼女の作品に接すると思います。画面がすでに作品になっていて・・・

写真から入った写真家の写真はまさに「撮る」から対象物が主体。画家さんの写真は頭のなかにある「絵」を写真に写そうとするから撮る作者が主体

どうしても対象物から逃れられない写真家の作品と違って、画家さんの写真には風が通っていく自由感、芸術性があります

私などは、写大に入学して早々、「作る」ことを徹底して潰されたので、今になって佐中さんのようにしたくても、できない・・・、佐中さんにそんなことをぼやいたこともありました

今回の5点、凄いと思います。この作風の連作で写真展をされて早く観せていただきたい思いです!!

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2011.9.11 【9月11日19時09分頃 千葉県北西部 M4.2 震度3】の地震がありました・・・6日の巨大な入道雲の結果でしょうか

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9月6日17:17撮影の茨城県から千葉県、東京湾方向一帯に聳えたっていた巨大な入道雲です。こんなに巨大な雲・・・、何かあると思わざるを得ませんでした。しかも、低空、地面からむくむく盛り上がる勢いが見えているではありませんか。

今日、【9月11日19時09分頃 千葉県北西部 M4.2 震度3】がありました。方向として中央に写っている鉄塔の方です。むくむく吹き出している天地創造のような状況の中心です。もしこの雲の結果の地震なら、数日後の発震となります。

必ずしも対応する雲と地震と主張するつもりはありませんが、あり得ない雲を観て、その近辺にあり得ない地震があって、そして方向が一致していた記録としてブログに残しておきたいと思います。千葉県北西部という内陸でM4.2とは・・・

地震と雲の検証結果は、デジタルカメラとインターネットの普及でまだはじまったばかり。当たっているとか否とかでなく、とにかく少しでも多くの事例を記録して残しておきたい一心です。後世の方が利用できるように、と。

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2011.9.11 ツイッターへの呟きを転載・・・9月10日、11日の分を・・・パワポの編集、平家の滅亡を経て光行の鎌倉下向に入りました

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ツイッターが日録代わりになってしまいましたのでまたまた転載しておきます。

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9月10日

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パワポの編集。やっと光行が鎌倉に下向しました。頼朝に仕え、没後は頼家に・・・。実朝まで仕えて帰洛します。私の感じでは光行が「河内本源氏物語」に着手したのは頼家の時代・・・。
12日の満月完成を目指してピッチをあげなくては http://pic.twitter.com/GbON673

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資盛様に間違いのご指摘をいただいて作り直しましたので改めて・・・。俊成・定家親子が平家一門の方々と密接に交流していた証として、勅撰集撰者になったときに入集させた薩摩守忠度と行盛の歌のスライド
http://pic.twitter.com/kCPUqX2

(ツイッターに最初にアップしたスライドに間違いがあったのを、平家に詳しいフォロワーさんの資盛様からご指摘をいただき、慌てて作り直しました。ツイッターではリアルタイムで教えていただいたり、訂正させていただいたり・・・、とても凄いツール。感謝・感心することしきりです)

9月11日

「#2001年9月11日何処で何してた」というハッシュタグへの呟き・・・↓
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鎌倉の廃寺を巡るエッセイ「寺院揺曳」を連載中で夢窓疎石について書いていた。疏石が庵だ泊船庵は現在米海軍横須賀基地内となっていて、その周辺を撮りに翌日訪ねるべく夜カメラの準備をしていた。その時テレビの画面に小型機がの第一報。基地にも即戒厳令が #2001年9月11日何処で何してた

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平和を志すあの穏やかな夢窓疎石師の庵だ泊船庵がよりによって何故横須賀基地にと唖然としたものでしたが、さらにそこが9.11と重なって当時何故何故を必死に考えたものでした。結論のでるはずありませんが、あえて危険に人々の目を向けさせ考えさせる為の疎石の先見の明だったという気がしました


odayuriko 
3.11の震災から半年。犠牲になられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。昨夜のパワポの編集が奇しくも平家滅亡のスライド。敬愛する平家の公達の悲報を刻々耳にしつつ絶えた定家・光行の無念と痛恨の思い。私には震災の思いと重なって止みません http://pic.twitter.com/5cpxdab

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二十歳までの感受性豊かな成長期を平家の王朝文化の真っただ中に生きた定家と光行。その二人が成した「青表紙本源氏物語」と「河内本源氏物語」。『源氏物語』の写本には種々ありますが、二人の写本には平家の方々に対する鎮魂・憧憬・回顧という、他の写本とは決定的に性質を異にする動機があります

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2011.9.8 ツイッターからの転載・・・ツイッターの日録的使用がほぼ定着してしまいました。9月5日~8日までのまとめ

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9月5日

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パワポの編集、『源氏物語』享受の歴史に入りました…、『源氏物語』の写本を作った定家と光行の誕生が、清盛が厳島神社に平家納経を奉納したちょうどその時代だったことのスライド http://pic.twitter.com/2CDwaFE

9月6日

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笠間書院様がブログで鎌倉の講演をお知らせしてくださいました。ありがとうございます。昨日の私のブログのアクセス解析「リンク元ページ・サイト」を見て知りました。一瞬、息をのみました。驚いて… http://kasamashoin.jp/2011/09/2011108_1.html

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茨城県から千葉県、東京湾方向一帯に聳えていた今夕の巨大な入道雲。 http://yfrog.com/kgm7jtjj

9月7日

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都心の集中豪雨の写真。一度撮ってみたかったのです。高層の建物がない地元にいては撮れないから・・・。携帯で今一迫力に欠けますが・・・ http://twitter.com/odayuriko/status/111102021570011136/photo/1

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12日の満月、今年は中秋の名月と重なるそう。満月完成をめざしてパワポの編集中。紫式部の源氏物語が白河院に受け継がれて清盛の王朝文化となり、その栄華に浴して育った光行・定家が『源氏物語』二大写本を成すという壮大な歴史の大河。今は平家文化の事項をまとめていますが大変過ぎて疲労困憊

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華麗な平家文化のひとコマ、17歳の平経正が奉幣使として訪れた宇佐八幡宮のスライドを  http://twitter.com/odayuriko/status/111291340867895297/photo/1

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『平家物語』の逸話から経正関係をとったら『平家物語』は随分殺伐としたただの軍記物語になるだろう。後徳大寺実定もしかり。編纂には熟知した人物が関わっているはずだから取り上げられる量、取り上げられ方に偏りがでる。経正、実定の艶な描かれ方に意図がある気がしてならない。光行の意図かも…と

9月8日

Thouartmore 高遠弘美 odayurikoがリツイート

光文社のサイトで、白水社「ふらんす」に連載した第四回分が読めるやうになりました。ご関心のある方はご覧頂きたくご案内申し上げます。http://www.kotensinyaku.jp/blog/

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「時間の作用を受けるなかで、陶磁器が窯変して思いもかけぬ釉色となるように美しく改変してゆき」…。一日の終わりの就寝前のひととき、無理にでも時間をとって高遠弘美先生の『プルースト研究』に浸らせていただいています。遅々として進まず毎回たった1頁、2頁。でもそれで限りなく芳醇・・・

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狂喜してとまさにそういいたいような鼓舞をいただいて、毎回ツイートしたいと思いつつそこまで手がまわらずもどかしい日々、でもやり過ごしっ放しはあまりに惜しいから、今日こそ1ツイートだけでも書いておこうときてみたら「プルーストと暮らす日々 17」のお知らせ。先に引用させていただきました

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ゆっくりですが、ゆっくりだからこそたぶん理解を深めていける『プルースト研究』。そこで引用の意味を教えていただいている最中の今回の「プルーストと暮らす日々17」・・・。引用の深みをさらに奥深く示していただいて、それがこんなに美しい芳醇なご文章でとやはり興奮してしまいました

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『プルースト研究』は将来私が書くべき小説の指針として心して拝読させていただいていますので決して通り一遍にはできないのです。私はどんな小説を書くのだろうという思いが常に脇にあります。記憶から呼び覚まされる効果として藤原定家や光行の平家憧憬など、和のロマン、になるかも、などと…

kotensinyaku 光文社古典新訳文庫 odayurikoがリツイート

高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々 17」(産経新聞夕刊(大阪版) 91日掲載分)をブログにアップしました。"プルーストの引用の特徴とは… " http://www.kotensinyaku.jp/blog/2011/09/17-1.html★毎週木曜日に産経新聞夕刊 大阪版で連載中

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私も心から恐縮に存じます。天国に行かれた先生が先生が翻訳された私の本をパリの書店でみるのが夢とおっしゃって下さいましたので書かない訳にいかないのです。例え心の中ででも。記憶は本当に記憶を呼びますね@Thouartmore 定家、光行の平家憧憬、と伺ふだけで心ときめきます

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パワポの編集。平家と光行の家系の密接な関係を表すスライド。前回はフローチャートで系図を作りました。背景を紫のグラデーションにして綺麗で気に入っていたのですが、今回はあくまでも流れでと。六波羅密寺は先月やっと撮ってきました http://twitter.com/odayuriko/status/111850339904393216/photo/1

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言葉が繰り出されたがって蠢いているのを感じる。でもまだこれはほんの上っ面で本物でないから日常の些細な引っかき傷ですぐ消え去る。でも心の底の奥深く燠火のようなものが棲みつつあるのは確かだからまた蠢いてくる。それを育めば本物の詩神・・・。それまで・・・

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2011.9.4 10月8日の鎌倉の講演【源氏物語と鎌倉】のお知らせ・・・鎌倉市役所HPのイベント情報です

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10月8日に鎌倉で源氏物語の講演をさせていただきます。

チラシが届いたらお知らせさせていただこうと思っていたのですが、まだありませんので、鎌倉市のHPを転載させていただきます。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/danjo/23forum.html

開催日時: 2011年10月8日  13時30分から16時00分

場所: 鎌倉生涯学習センターホール (鎌倉駅近くの若宮大路に面した建物です)

参加人員250人、無料、事前申込制です。

今回は、昨年11月の鎌倉投信邸、今年8月の学会発表を経て、私のなかで流れが堅固に把握できてきましたので、もう力説するといった説明口調をやめて、流動的に、映画の画面を観るように、流れで感じて帰っていただけたらとの思いでパワーポイントを編集しています。

内容に変わりはありませんが、回をこなしていくとこんなふうに自分でもゆとりが出るんだなあといった感じです。

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2011.9.3 ツイッターからの転載・・・、8月29日から9月3日まで。あまりにいろいろあってこなすだけで精一杯。ツイッターを日録代わりに使っているかの感です

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8月29日

今日は新月。去年の九月に「新月に物事をはじめるサイクルを」と教えて頂いて、そうしたら何もかもうまく運んでいます。今日のうちに十月に控えている講演のパワポの編集と、学会で発表した件を論文にまとめる「最初の一歩」を印し、ご利益を!(笑) 講演のスライド用写真も京都で撮ってきた事ですし

8月30日

昨日最初の一歩を記したパワポの編集。そうしたら急に真剣になって今日から本格的に取り組もうという気持ちになる。昨日は図書館に行って目的の資料を得、久々に見てまわった文学の棚から石川淳を。今『紫苑物語』読了。昨夜来「言葉」に埋もれ、堪能。文学は無から生まれるのでなく触発されて、を思う

8月31日

鎌倉から講演の正式の書類が届きました。準備はしていたものの改めて通知を手にするとやはり緊張。時間は70分。参加者280人。坂麗水さんの琵琶と二部構成です。募集はもう始まっているのでしょうか。励まして頂いた先生方が日程を開けて待ってますといってくださってるのだけれど…

9月1日

プルーストと源氏物語は浸っている分には豊穣なのだけれど、自分が何かを成そうと取り組んでいると例え源氏物語が相手でも体力を大量に消耗。エッセンスの補給に逃亡を企てて吉祥寺に出てプルースト研究を拝読させて頂いています。いずれ小説を書く場に戻った時のためにきちんと蓄えておきたいから

「全体的なリズム」というのはエロスなのかも。ずっと学術的言葉の世界にいてプルーストに戻ったら何も危ないことは書いていない頁でさえ危ない匂いがする。え?と思って読み返すとそれ自体に具体的な何もないけれど、伏線が…。小説世界に戻るってこういうことだった…と新鮮だけど、かなり覚悟が…

学術的言葉ではどんどんいくら深めていっても、危ない、なんて感じたことはなかった。深めれば深めるほど深淵になって心地よく…。でも、小説的世界にちょっと戻ると…。先日久しぶりに作家クラブの懇親会に出てやはり学術世界の懇親会との違いに「危険」の匂いを嗅いだものだった・・・

小説は、というか文学は、深まれば深まるほど生の根源におりてゆく。それがリズムになるのだし、それがつかめたときに文体…。源氏物語や紫式部を研究することと、紫式部の生の根源におりてゆくこととは違うのだなあと。ほんのわずかプルーストに戻っただけでもう生の根源ということに気づかされました

プルースト研究の『ジャン・サントゥイユ』と『失われた時を求めて』の描写の違い、「書いた当人にとって如何に切実であろうと、それが普遍的なものまで達していないのであれば、読む者を感動させることはできない」…、面白かった。ふつうの小説と文体をもった小説の違い…、文体とはエロスなり…かも

話は飛ぶけれど、現在の万葉集の基礎を作った鎌倉の万葉学者仙覚。こういっても名前に親近感はないし古臭い感じで誰も惹かれない。でも彼の人生をドラマにして三浦春馬さんか誰か若手のイケメンさんに演じてもらったらみんな熱狂するだろうなあ。学術的世界と小説世界はこれほど違う。面白いですね

9月2日

今日は一日パワポの編集。振り返ったら去年の今頃、1127日の最初の講演に向けてこの作業を始めていた。その後315日に再び鎌倉でとなっていた時に震災が起きて延期。そしてこの108日が決まる。その間論も深まったし足りない写真を撮ってまわったから、昨年とはまた違う味わいで作業…

講演は今日から募集がはじまっていて、お申し込みの電話がもう届いているそう。今、たまたまプルーストを読んで文学の感性が甦っているからか、導入部分の『源氏物語』についてが前より楽しく進めてます。スライドを一枚。長恨歌の引用です http://twitter.com/odayuriko/status/109310228624973824/photo/1

今日、2013年の世界文化遺産登録を目指す「富士山」と「古都鎌倉12 件の寺院・神社ほか」がユネスコに推薦されることが決まったそうですね。今月下旬に正式決定し、月内に推薦書をユネスコに提出とか。武家文化だけでは弱いから古都鎌倉になったのでしょうか。ずっと「武家の都鎌倉」だったのに

どうして【『源氏物語』もあった鎌倉】としないのか、ずっとあらゆる機会を捉えて訴えているのですが個人では届かないですね。せめて講演でいらして下さった方に直接訴えて心に感じて帰っていただいています。聴いて下さった方には思いが通じて反響は大きいのに…

貞観津波と「末の松山」の関係、明治時代から論じられていたと…→http://bit.ly/oYKyDH  RT@ryu_

昨夜末の松山と貞観津波の関係を書かれたツイートを発見して、私も気になっていましたのでやはりの感。検索したら今回の津波でも無事だったと。近くの沖の石へは津波が届いていたそう。末の松山は周囲より少し高台です。2008年撮影 http://twitter.com/odayuriko/status/109443866964402176/photo/1

全体の写真をもう一枚。高台のようすがわかります http://twitter.com/odayuriko/status/109445372333662209/photo/1

しつこくて済みません。「末の松山」・・・。老松の苔むした木肌がとても素敵だったので http://twitter.com/odayuriko/status/109446879070265345/photo/1

まだ末の松山を引きずっているのですが、訪ねた時に感じた違和感、こんな海から離れた住宅地に、波こさじ、とはどういう事だろうと。津波と知って納得。些細な違和感って結構正しい!

鎌倉は由比ガ浜のかいひん荘に行きました。今年の湘南庭苑文化祭のキックオフです! ここは前に網野善彦先生のご講演で来たところ。ちょうど由比ガ浜の発掘調査で大量の人骨が見つかって、講演前に網野先生が見学に行かれるのについて行ったけど、さすがに中へ入るのはためらわれた思い出の地です

今日はその時調査していた場所も歩いたし、琵琶の坂さんの演目が鎌倉滅亡時のこと。さすがの迫力でやはり鎌倉は武士! 源氏物語を訴えても伝わりそうがない…と。でも、そんなこと言ってられないから頑張ります!

9月3日

台風の水難被害に心を痛めながら講演のためのパワポ編集を続ける。たくさんの考えなくてはならないことしなくてはならないことを抱えながら、でも一人でできることの範囲は限られていて、今とにかく自分がしなくてはならないことに優先順位をつけては進む毎日・・・、すごく少しずつしかできない

パワポの編集…、今日は第一章「紫式部と源氏物語の世界」を終わって第二章「源氏物語に生きた人々―平家の王朝文化」へ。第一章の終りのスライドを! 何故こうも源氏物語が人の心を惹きつけて止まなかったかは紫式部の苦悩の深さによるのでは http://twitter.com/odayuriko/status/110064545237700608/photo/1

定家と光行は平家の王朝文化の真っただ中に育ち、恩恵をたっぷり浴びている。しかし二人が二十歳のころ、突然平家は都落ちし滅亡。親しかった公達方は朝敵となり、語ることさえ憚られたその後の人生。二人が成した写本の根底には平家の方々への追慕追悼があると思う。他の写本とは根本的に成立が違う

紫式部の苦悩の深さが、定家や光行の平家の方々への鎮魂の思いを受け止め、それによって「青表紙本源氏物語」「河内本源氏物語」はできた。今年、三月の震災で私自身心の底から恐怖を覚え人の世を思ったとき、動乱に生きて翻弄された光行たちの思いが理解できた。講演ではそんな思いを語らせて頂きます

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2011.9.2 今年もはじまりました・・・【湘南邸園文化祭 2011】開催のお知らせ!

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小田原市・二宮町・大磯町・平塚市・茅ヶ崎市・藤沢市・鎌倉市・逗子市・葉山町、の市や町が一丸となって繰り広げる文化祭・・・

それは、「相模湾沿岸地域一帯は、明治期から別荘・保養地を形成して、首都圏で活躍する政財界人・文化人らが滞在・交流する地域として発展し、さまざまな文化を発信・蓄積してきました」という地域です。

「私たちは、この地域の歴史・文化を育み、人々の心に残る景観をかたちづくってきた邸宅・庭園や歴史的建造物を、官民協働により、新たな文化発信や地域住民と来訪者による多彩な交流の場として保全活用し、地域の活性化につなぐ【邸園文化圏再生構想】の事業として、【湘南邸園文化祭】を開催します」

この文化祭では、上記の地区それぞれの市民の方が、ご自分たちの地域においてそれぞれのプログラムを組んで活動されています。

私は昨年、鎌倉市のプログラムのなかで、「鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで」という講演をさせていただきました。

今日、その文化祭がまたはじまりました。たまたま今年は鎌倉市の最初のプログラムが文化祭全体のキックオフ会場に決まりましたので、昨年のご縁もあり、参加させていただいてきました。

パンフレットから鎌倉会場のプログラムの部分をご紹介させていただきますね。他の地域をお知りになりたい方は
045-341-0087
http://teien-festival.seesaa.net/
にお問い合せください。

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2011.9.1 京都(その四 ラスト) 仁和寺

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『平家物語』にある平経正が平家の都落ちに際し、守覚法親王に賜っていた琵琶の名器「青山」を、「西海の藻屑にするのはしのびない。生きて帰ったらそのときにまた」と、一時返却を申し出て駆けつけた寺院です。

私はそのエピソードが切なくて好きで、仁和寺に対しては特別な思いでもって訪ねます。そしてその舞台が御殿の南殿の白砂…

白砂体験のできる貴重な空間です。

ほんとうは奥に金堂があって、そこは慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を移築したもので、現存する最古の紫宸殿。国宝に指定されています。今回は会場に戻らなくてはいけませんでしたので、訪ねるのはあきらめました。でも、源氏物語世界に浸るなら是非・・・という建造物です。

こちら仁和寺はそういう意味ですべて御殿、御所・・・、彫刻などすべての造作が高雅です。

http://www.ninnaji.or.jp/precincts.html

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