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2012.2.24 ツイッターの呟きを転載…『源氏物語』の桜について~王朝継ぎ紙のこと

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2月12日
odayuriko 
『源氏物語』のなかの桜、『源氏物語図典』では紫の上関連で「御法」と「幻」。南殿の桜の宴の「花宴」。柏木が女三宮を垣間見した蹴鞠の折の「若菜上」が紹介されていて、家にあるのは岩波の赤い全集本なので小学館の白い全集本を借りに図書館に。でも「花宴」が借りられていて、赤い本でコピー?と。

2月14日
odayuriko 
物きよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しほれたる枝すこしをしおりて、御階の中のしなの程にゐ給ぬ。督の君つづきて、「花乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」などの給つつ… (『源氏物語』若菜上より)

odayuriko 
『源氏物語』のなかの桜。Facebookページに下のtwに写真をつけました。『源氏物語』の時代、桜は山桜のみだったとか…http://www.facebook.com/pages/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90/188841407807114?sk=notes#!/note.php?note_id=358314880859765

odayuriko
twitterのデザインが突然変わりました。直前に調子が悪かったのは変更途中だったからでしょうか。深夜『源氏物語』から桜が描写されている場面として六条院の夕霧と柏木の蹴鞠を引用しました。鎌倉の源氏物語に没頭して本文から遠ざかっていましたので、こういうことがとても懐かしい…

odayuriko 
たまたま桜を研究される方から『源氏物語』の桜についてお訊ねがあり本文をあたっていました。そうか、これからはひとつひとつ丁寧にこなしていこうと決意しました。こういうことを書こうとしたらそれに合わせたようにtwitterの仕様が変わるなんて、幸先いいかもですね…

odayuriko 
まだ浅読みの段階ですが、『源氏物語』のなかに桜の描写は殆どなくて意外。『源氏物語図典』から御法・幻・花宴とあるのを見て本文をあたっているのですが、語られているだけで描写ではない。紅葉賀の紅葉のようにはらはらと散る桜の描写があるものと思っていたのですが…

odayuriko 織田百合子
私のなかでは『源氏物語』というと華やかな桜が象徴でした。でももしかしてそれは桜の襲など装束の華やかさからくるイメージだったのかもしれませんね。当時の桜は山桜とか。山桜は染井吉野のような花吹雪にならないのでしょうか。梅の方が多く実感をもって書かれているのも多分そんなところに一因が。

odayuriko 
調べ物が一段落しましたので、少し本文にあたっていこうと考えていた矢先にこんな桜の描写に関する疑問が。思い込んでいたこととの違いが浮かび出るかも…

2月15日
odayuriko 
昨日、ある方が鎌倉で、先日の私のお話会のレジュメ【写真でたどる鎌倉の古典散歩】を土台にミニ卓話をしてくださったら、皆様身を乗り出すように聴いて下さったそう。その方は「少しずつでもこれから伝道していきます」と。私も友人の手紙に「伝道師として頑張ります」と書いたばかり。偶然が嬉しい。

odayuriko 
ちなみに【写真でたどる鎌倉の古典散歩】は、『源氏物語』と『嵯峨の通路』の称名寺・『万葉集』と妙本寺・『とはずがたり』と若宮大路・『十六夜日記』と月影ケ谷・『徒然草』と六浦・冷泉為相と浄光明寺・高峰顕日と浄智寺・夢窓疏石と横須賀、です。ブログに写真を載せています。

odayuriko 
@mcshinok その後本文をあたっていたら藤の花の匂いについて触れてありました。梅も馥郁とした匂いが愛でられていますし、桜の描写の少なさは匂いの無さと関係するのでしょうか。まだ浅読みの段階ですが…。意外と王朝人の感性は肉感的なのかも。なのに不思議と桜が君臨して感じられます。

2月16日
odayuriko 
王朝継ぎ紙は手順は似ていても紙と糊と染料の世界なのでほんと!ステンドグラスとは対極のまさに平安時代です。完成楽しみにさせていただきますね 

odayuriko 織田百合子
憧れの王朝継ぎ紙(http://homepage2.nifty.com/tsugigami2/menu021.html)。伊勢集などの技法を近藤富枝先生が復元されて教えてらっしゃいます。これは鎌倉の源氏物語に専念する前にちょっとだけ入会して作ったときの最初の作品。左側が完成した葉書。 http://pic.twitter.com/x2ohGFSO

odayuriko 織田百合子
やはりそれほど大変なのですね。私は今は無理だけれどいつか老後の楽しみに紙を染めてすごすというのを目標に(笑)。薄様の和紙を好きな色に染めてそれでお便り書きたいな、とか。老後に恋文は必要ないでしょうけれど…

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