2012.3.18 ツイッターの呟きを転載…鎌倉の大倉幕府御所周辺遺跡群シンポジウムのことなど
今朝見た夢は暗示的でした。見知らぬ村に紛れ込んだら知られていないけど歴史上功績のある人物を村をあげて称える運動をしていた。見ながらふっと撮りはじめたらなんとなくいつもと違う手応え。シャッターを押すとスローモーションのよな時間が流れてこれぞと思う写真が撮れた実感というもの。
今までニュース的な写真ばかりを撮っていたから瞬間を逃さない事重視で構図とか効果を考えて撮る訓練ができてなく最近になってずっと私が撮りたい写真とは何かを考えていました。多分これと思うレンズも買ったし夢の中ではそれを使っていました。今度夢の中でのように撮ってみます。
それにしても夢の中での写真は人物だった。綺麗な写真を撮りたいと風景や花を撮ってもどなたかのを真似しているようで不満足。夢の中のはどこか昔学んだブレッソンとかピュリッツァー賞とかの名作に似ていてやはり私は報道から抜けないのだなあという気がします。
鎌倉の大倉幕府御所周辺遺跡群シンポジウム会場。これからパネルディスカッションです。文献から五味文彦先生、考古学から馬淵和雄氏方が並ばれています。 http://yfrog.com/h2zymljjj
馬淵和雄氏の報告も五味文彦先生の吾妻鏡の読みも大変興味深いものでした。帰ったらツイートさせていただきますね。Evernort で録音してみたのですができているでしょうか。
頂いたレジュメから大倉幕府御所推定地。左側一帯が鶴岡八幡宮です。現在 登録されている範囲より、横浜国立小の校庭まで実際の範囲は広かったそうです。 http://yfrog.com/oe84nhoj
書きそびれましたが推定範囲の長方形の底辺が六浦路です。
3月18日
おはようございます。鎌倉の世界遺産登録に向けての新しいパンフレットです。刷新されたニュースを見て欲しく思っていたのを昨日のシンポジウム会場で入手できました。 http://pic.twitter.com/J4b6xN7v
昨日のシンポジウムは大倉幕府御所とその周辺遺跡群の重要性を巡るものでした。御所だけでなく周辺というのは一帯に重要御家人の屋敷が軒を連ねていたから。昨日のレジュメでも御所の東隣の遺跡から巨大な柵列のある遺跡の発掘されている報告があって目をみはりました。それが御所のでないなんて…
昨日のシンポで謎が解けたのですが、私が遺跡の仕事に関わっていたとき中世考古学は全盛でした。石井進先生・網野善彦先生が牽引されて。ずっとそうだと思っていたのですが現在の鎌倉の考古学界は低迷なのだそうですね。天下の鎌倉が何をしてるのという怒りというかあきれた思いでした。もったいない!
朝から連投で済みません。『源氏物語』写本の問題から私はずっと鎌倉の公家文化を訴えてきたのですが聴き届けて頂けないのは武士の都のコンセプトに反するからという事情でと思っていました。それで一人戦っている気分でいました。が、そうではなく受け入れる土壌自体に熱がなかったなんて…
五味文彦先生もおっしゃっていられましたが、遺跡は地元の熱意と活気、行政の本気の姿勢がないと守られないと。今の鎌倉にそれはなくこのままでは単なる観光地になってしまう。もっと歴史を踏まえた意味ある鎌倉を目指さないとと。頼朝の大倉幕府御所でさえまだ遺跡が何もない状態だそうです。
30年鎌倉の発掘に携わってこられた馬淵和雄氏はこのままではいけないと思われ大倉幕府指定範囲を見直したら、発掘調査可能な土地が30%もあるのに気づきこれから運動されていくそう。長い道程と思いますが私も応援したいです!
そして私の公家文化…。馬淵さんに伺ったら公家文化は抹殺されているのでなく、住宅地は発掘不可能だから遺跡がない。だから知られていず関心ももたれてない。ということなのでした。唖然としました。私は何を相手に戦っていたのでしょう。娘に話したらドンキホーテって言われてしまいました(泣)
例えば実朝の大慈寺。六浦路にあって大寺院だったそうでも調査されていないから観光地にもなっていない。でも発掘調査されて発見されたら大ニュースになって鎌倉の観光イメージが変わりますよね。住宅地でもいいからそのあたりを桜が咲いたら撮りに行こうと目下私は虎視眈眈しています。
これで最後にしますが吾妻鏡に実朝の時代に中門ができたとあるのを五味先生が解説されて、寝殿造で中門は玄関のことで大変重要。それが今までなかったのが恥ずかしい。如何に田舎だったかと。実朝の時代にできたということは、実朝が京の女性と結婚したからの文化交流の結果だと。楽しいお話でした。
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昨日のシンポジウムは衝撃的でした。それで、イメージができるような土壌でないところで、いくら私が写本があるから『源氏物語』文化があった、遺跡が発掘されているからここに大寺院があったとお伝えしても、目の前に映画のように光源氏が浮かび上がるわけでなく、回廊をめぐることのできる現実の寺院が現出するわけではありませんから、ここは少しあきらめて沈潜し、綺麗な写真を撮って、鎌倉が華やかな文化の土地だったことをほうふつとするように努力しようと思いがはじめています。