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2012.4.27 埼玉県比企郡ときがわ町にある慈光寺を訪ねました→国宝「慈光寺経」のことなど・・・ツイッターの呟きを転載

4月24日 
慈光寺さん入り口にきました。桜が映青えています。やっと晴れました!

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今日訪ねた慈光寺は埼玉県比企郡ときがわ町にあるのですが、「ときがわ」は以前「都幾川」と書きました。それは慈光寺が昔は関東一の古刹でまるで「都」のような繁栄。去る人は飽かずに「幾」度も振り返ったからと。安易な町名変更はよくないですね。http://bell.jp/pancho/travel/saitama/jikoji.htm

4月25日 
慈光寺はかつて山内に75坊もあったそう。手前の二つの山の向こうに頭だけ覗いている山に慈光寺はあります。天台宗寺院です。

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4月25日 
私は慈光寺を仙覚が出家した寺と見ています。慈光寺はたぶん比企氏の庇護もあっての繁栄。頼朝も寄進しているし、範頼の子息も入寺して別当になっています。仙覚も比企氏ゆかりです。それで、仙覚さんも眺めただろう山頂からの風景を…

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4月25日 
帰り、小川町駅近くの小川町のアンテナショップに立ち寄りました。仙覚祭りのことや仙覚の万葉顕彰碑、その他お話したり質問すること一々に淀みなく意志の疎通ができて、仙覚の事でこんなに話が通じたのははじめて!『源氏物語と鎌倉』の話をして送らせていただくことに。資料もたくさん頂きました。

4月25日   
慈光寺へ上る山道の入り口にお店を構えていられる寧々房さんの写真を二枚、アップします。最初は店先を。定休日だったのを偶然いらした群馬の四人組の方のために開けたところに山から下りてきた私が到着。一緒に入らせていただきました。

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4月25日
そして、全景。この建物は昔、庄屋さんだったところとか。一揆にあって、梁や柱に刀や鉈のあとが残っています。二階を仏像のお作品のギャラリーにされています。垂直くらいに切り立つ怖い木の階段でした。

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4月25日 
慈光寺情報1 ご住職様のお話では国宝慈光寺経は三大装飾経の一つだけれど、平家納経・久能寺経のようには研究がほとんどされていない。今まで東博に収納されていたが展示の機会がないので奈良博に移されると。奈良博の方が装飾経の研究が進むそう。←私にとっては近くの東博にあったのが奈良へなんて

4月25日 
慈光寺情報2 国宝慈光寺経の結縁者が京都の九条家の人々で、その一覧目録が一枚残されています。それを書いた人物が誰かまだわかっていないのですが、仙覚の可能性も。書かれた時期ちょうど仙覚は比企にいました。目録は現在京都で修復中で完成が四年後。その後どこに収蔵されるかは未定とのこと。

4月25日   
慈光寺情報3 http://www.temple.or.jp/freepage_20_1.html←慈光寺経。このページのtopにある右側のお堂が観音堂。非常に華麗な彫刻が施され往時の慈光寺の様子が窺えます。ご本尊は十一面千手千眼観世音菩薩像。左側は現在の本堂で阿弥陀堂です。

4月25日   
慈光寺情報4 仙覚が慈光寺で出家したとしても歴史の中で慈光寺は比叡山のような焼打ちにあってそれ以前の記録が一切残っていないのでわからない。別当格ならわかるがとのこと。もしかしたら仙覚は75坊のうちのどこかの坊での出家とも考えられそう。

4月25日   
慈光寺情報最後 75坊あったというお堂は残っていませんが、山のあちこちに見かける平場が皆そうだということで、下山中、あ、ここも、と思って撮りました。

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慈光寺境内は至るところシャガの群生地でした。アップで暗めに撮ったら貴婦人のドレスのよう…

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4月26日 
山の霊場の守り神?(ほとけさまですが…)。慈光寺から山道を下りてきて最後のところにあった巨大な岩の露頭。その頂に村をみはるかすように石仏が置かれていました。宝冠の阿弥陀様? ふしぎな思いで立ち止まりました。

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4月26日   
そのアップです。

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4月26日   
国宝「慈光寺経」は、国宝「久能寺経」、国宝「平家納経」についで鎌倉時代初頭につくられた三大装飾経の掉尾を飾る優婉華麗な名品である。元久3年3月7日、太政大臣藤原良経の急逝を後鳥羽上皇がいたく悲しまれ、中宮冝秋門院を中心に営まれた一品供養経といわれている。(慈光寺百七世明了識)

4月26日   
上のツイートは慈光寺で頂戴したパンフレットより。慈光寺では現在その中の「信解品」を拡大陶窯焼成して本堂に展示されています。中宮冝秋門院任子の御筆。ちなみに序品は後鳥羽院、他に兼実、道家等九条家ゆかりの方々がそれぞれの品を分担されています。

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4月26日   
国宝「慈光寺経」には「一品経書写次第」という書写した人の目録が一枚残されています。この作成時期が、仙覚が比企にいて『万葉集注釈』を成した時期と重なるので、仙覚が書いたのでは?という方もいられます。写真は週刊朝日百科日本の国宝89より。

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4月26日 
仙覚の側から追及する私としては仙覚の作成であって欲しい訳ですが、お訊ねした慈光寺のご住職様のお話では、まだ紙がいつの時代のものかも特定されていないとのことでした。それにしても九条家ゆかりのこんなに華麗な文化財が関東の山奥にある不思議。それを謎解くのは楽しいのですが個人では限界…。

4月26日 
私の推測は『源氏物語と鎌倉』に書きましたが、国宝「慈光寺経」は将軍頼経が関東に下向したときに父道家が持参させた宝物の一つで、後鳥羽院崩御に際し頼経がその供養に関東最大の古刹だった慈光寺に奉納。それはその時頼経に仕えていた仙覚のアドバイスによるものでは?という流れです。p140。

4月26日   
それにしても国宝「慈光寺経」が九条家という由緒がありながら、他の久能寺経(待賢門院璋子と西行)や平家納経(平清盛)に比べて研究が進まず、知られてもいないのはひとえに関東にあったためでしょう。関東の歴史家は文化・文化財に対して意識のレベルがほんとうに低いとつくづく思う。

4月29日
埼玉県比企郡ときがわ町にある慈光寺さんの古代瓦を型押しして造った文鎮です。山道の登り口に店舗を構えていられる寧々房さんの作。手にしたときのずっしりした重みが歴史を…

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文鎮の表面です。

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文鎮の裏面です。古代瓦は遺跡発掘で年代特定や産地・流通を調べるのにとても重要な遺物。それとはべつに井上靖さんの天平の甍のイメージがあって古代ロマンそのもの。史跡に行くと、つい、落ちていないかなあなんて足元ばかり見て歩いてしまいます。

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慈光寺さんから霊山院さんへ向かう途中の山道脇のこの空間でおにぎりを。慈光寺の写真をまとめたいのですが執筆に入りたいので遅くなりそう。そのうちに季節が変わってしまいますね(泣)

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霊山院さんのお庭がそれは素晴らしいと会う人ごとに言われて行ったのですが…。わぁっ、と思わず声にしたほど素晴らしかったです! 写真の整理ができないのであきらめて一枚だけ…

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今日慈光寺さんで知り合った寧々房さんからメールを頂き仙覚さんの出家した寺院について考えることが。仙覚という法名に何かふしぎを感じていたのですが慈覚大師門人というその覚の字をとったのかなと。仙の字は順徳院仙洞の仙では?と以前から感じているのですが…。あくまでも私の感です。

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2012.4.22 ツイッターの呟きを転載…六浦路の大江広元邸のことや、明王院の木造不動明王座像が国の重要文化財に指定されたことなど

4月15日
今日の雨で突然桜が終わりに。『現代語訳吾妻鏡』も次の「承久の乱」を借りてきてあるのですが、慌ただしく撮り溜めた写真の整理をしなければならないし、何より原稿を書かなくては。先ほど六浦路をYouTubeにアップしましたが、次に桜をまとめて、それが終わったらしばらく原稿に専念します。

おはようございます。「六浦路」をわかりやすく詳細に説明してくださっているサイトがありました。筋替橋…、碑があるのは知っていましたが、私も撮らなくては……

http://www.kcn-net.org/kama-michi/mutuuraji.htm

4月18日
『現代語訳吾妻鏡8 承久の乱』建保2年4月18日 御所で大倉新御堂(大慈寺)の供養について評議が行われた。「供養の導師には京都の高僧を招きたい」と(実朝の)御希望があった。ところが広元朝臣らは「今回は関東に住む僧侶を用いられることが最も徳政となるでしょう」と頻りに申したという。

建保2年4月21日 金剛力士像が造立された。これは大倉新御堂(大慈寺)の惣門に安置されるためである。←金剛力士像のある惣門はかなり立派?先日現地を訪ねて大慈寺が檜皮葺屋根か瓦葺か気になったけれど、『鎌倉廃寺事典』に大慈寺出土の丸瓦の写真が。田舎びた寺院ではなく瓦葺の伽藍があった寺院のよう

建保2年7月1日 民部大夫行光を御使者として、大慈寺供養の導師を勤めるよう(実朝が)葉上僧正(栄西)に命じたという。←栄西については建仁寺とともに年譜を作って考えます。

4月19日
@luv134_eyes 
4月20日(金) 建仁寺 栄西降誕会。明庵栄西(みんなんようさい)は日本に禅宗と茶をもたらした天台僧で、#鎌倉 寿福寺の開山(開基は北条政子)。京都では建仁寺の開山(開基は源頼家)として知られます。四頭茶会(よつがしらちゃかい)を催し生誕を祝します。
織田百合子さんがリツイート

建仁寺がある場所は六波羅で、平家が去ったあと鎌倉幕府の所有するところとなり、それを継いだ頼家が栄西を開山とする建仁寺を建立しました。『源氏物語と鎌倉』に建仁寺様のお写真を載せさせて頂きましたが、その時の許可を下さったお坊様のお声の凛としてからからとした清々しさが忘れられません。

4月20日
ここまで六浦路の大倉幕府や大慈寺をみてきて思うのだけれど、頼朝から実朝期までは文化の基点が雅。御家人に遠慮して表だってそれは出ていないけれど大江広元の影響が大きい。栄西に帰依してもだからといって禅宗にはならない。禅宗が武士文化に適うのは時頼以降なのですね。そこを分けて考えないと。

源家将軍期と時頼以降の執権期のあいだに将軍頼経、宗尊親王期がはさまるけれど、その象徴が明王院といえるかもしれない。執権も経時までは将軍家と対抗していなかった。だから経時の時代まで泰時も大慈寺を大事にしていたし、だから頼経も隣に明王院を。六浦路にある二つの寺院は文化の移行の象徴。

法華堂は、神仏分離によって(略)白旗社が建立された。白旗社の右上、頼朝の墓の左下の平地には鎌倉時代、瓦葺の建物があったことは過去における出土物によって明らかである。(『鎌倉廃寺事典』法華堂の項より)

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アップした写真は頼朝の墓を参拝して白旗社を見下ろしたときに、中間になんか気になる平場があって撮ったもの。そこに法華堂の何等かの建物あったのですね。廃寺事典にはこの法華堂も、大慈寺も明王院も出土瓦の写真が載っています。でもみんな場所的に狭い…。京都の大寺院という訳にいきません。

ここまでくると大慈寺の向かいに位置する場所に大江広元邸があったのも納得。ここがそうという確かな証拠はないとどこかで読んだけれど、私には確かに思えてきた。大倉幕府の前と大慈寺の前→六浦路の両端に広元邸。比企の乱の時の広元の不思議な記述など、これから広元がどう関わっていくのだろう。

4月21日
二階堂はことにすぐれたる寺なり。鳳の甍、日にかがやき、鳧の鐘、霜にひびき、楼臺の荘厳よりはじめて、林池のありとにいたるまで、殊に心とまりて見ゆ。(『東関紀行』より永福寺についての描写)

上のツイート、昼に六浦路の寺院は狭くて京都の大寺院という訳にいかないと書いてしまった訂正・補足です。永福寺は頼朝が奥州征伐から還って平泉の大長寿院を模して造った宇治平等院と同じ形式の伽藍。出土仏具からも繊細・優美が伺われて京都や平泉に引けをとらず、鎌倉にも華麗な寺院がありました。

@luv134_eyes
4月20日(金) 文化庁、新たに2件を国宝、46件を国指定重要文化財に追加と発表。#鎌倉 建長寺開山堂安置の木造蘭渓道隆坐像、明王院本尊の木造不動明王坐像の2件。#横須賀 曹源寺の木造十二神将立像の1件。#神奈川 県内では他に箱根神社の木造神像2躯も選ばれた。

@luv134_eyes
新たな国指定重文、木造不動明王坐像は鎌倉幕府4代将軍頼経発願のもの。昨年修復、明けて鎌倉国宝館「鎌倉×密教」展に五大明王として出展があったばかり。本堂安置で通常非公開ですが、毎月28日13時より営まれている不動縁日の護摩祈願法要終了後に拝観可。境内撮影不可。
織田百合子さんがリツイート

『尾州家河内本源氏物語』の実寸見本を作りました。大きい大きいと言われても見てみないと実感が湧きませんよね。こんなに大きいです! 寸法は『源氏物語と鎌倉』113頁に。『西本願寺本万葉集』も作って並べてスライドショーでご紹介しますね。

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昨夜思った事。どうして鎌倉は頼朝が頼朝がといいながら頼朝を顕彰する記念碑がないんだろう。歴史の地ならたいてい、あ、その人の所に来たと実感する何かがあるのに。銅像は好きでなかったけれど、先年太平記の里を歩く写真を撮って歩いて象徴的に思い出すのは新田義貞の銅像。分かりやすいから?

そうしたら気がつきました。頼朝が顕彰されていない事と六浦路がさびれている事は連動していると。六浦路の横大路に対して、若宮大路から北鎌倉の線は縦。観光がみんなこの縦のラインになっているんだなあと。横のラインは頼朝から実朝、縦は北条氏。と見ると省みられない横大路の歴史が浮かびます。

新しい仕事は新月にはじめるというサイクルを守って今日から論文に着手。頭のなかでは起承転結ができているのだけれど、まったくの白紙に書く最初の一歩が思ったより簡単に踏み出せずに戸惑う。新しい原稿に向かうときにいつも覚える逡巡。

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2012.4.18 井の頭公園の桜【花筏】と【枝垂れの夕まぐれ】【花吹雪】の写真、そして、『源氏物語と鎌倉』にいただいたご感想

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華やかだった桜…。それがもうすっかり過去のことに。写真を撮ってはいましたがアップする時間がないまま終わって、でも、綺麗だった盛りの写真を載せておきますね。

『源氏物語と鎌倉』は新聞に書評を載せていただいたり、いろいろしていただいていますが、ツイッターでもこういうコメントをいただきました。ありがとうございます!

★komai 

「源氏物語と鎌倉」を読み終える。 現存しない紫式部による「源氏物語」―この写本をめぐる研究書は、まるで約800年前の京都~鎌倉で繰り広げられた人間ドラマを覗いたよう。 生死が近いこの時代、人の喜怒哀楽はとても深いだろう。それこそが文学に繋がるのなら、現代を生きる励みにもできる。

komai

「源氏物語」および「万葉集」の写本に人生を懸けた人達の話は、平清盛~鎌倉幕府6代将軍の時代を生きた多くの人々の激動の人生と重なっていた。 平家の話を「おごれるものもひさしからず」なんだなとか、「源氏物語」を日本最古の恋愛小説かとか、そんなくらいにしか理解していなかった自分…。

komai

源氏物語人気=雅への憧れ…だけではないことがわかる。それは鎌倉武士のバイブルでもあったということを知り、目から鱗。 江戸幕府の役職、奏者番を思い出す。 社会で生きるには、最高のマナーを知っておく必要があって、位の上の人ほど学ぶ必要に迫られていたのかな。 歴史が長い国は大変そう。

komai

やっぱり、江戸時代の武士らしい武士にとっては、鎌倉時代は憧れがあったろうなあって思う。でも、私が好きな田沼~化政時代の武士といえば、町人の「粋」を真似する風潮もあったそうで、武士らしさは「野暮」とされそう。いや、本当のカッコよさはそのどちらでもなくて、なんかありそう。。

komai 

写本とは、原本よりも価値が低くされるのでしょうが、その写本にまつわる時代背景と人の生き方がわかると、価値感がぐっと広がると知りました。 歴史ミステリーみたいな研究書でした。 『源氏物語と鎌倉ー「河内本源氏物語」に生きた人々ー』織田百合子著

★hmikann
綺麗です~・・。そして、ようやく頂いた本を拝読しております。読みやすいです。今、頼経室・竹御所と仙覚さんの所を読んでいます。二人の意思の強さに感銘を受けております。

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2012.4.18 ツイッターの呟きを転載…『フェルメールのカメラ』と「芸術家の肖像~写真で見る19,20世紀フランスの芸術家たち」展のこと

4月6日

ブレてしまいましたがこの写真、好き。アンセル・アダムスがたった一枚のシャッターチャンスで月光の下の村を撮った写真にあやかりブレないよう祈りながら撮ったのですが(笑)


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4月12日

『フェルメールのカメラ』(フィリップ・ステッドマン 鈴木光太郎訳)を借りてきました。まだ最初ですがフェルメールはカメラ・オブスクラを使っていたと。といっても今のように誰でも撮れる写真でなく当時写真を使うこと自体が最先端の芸術だった時代。フェルメールは時代の先を行ってたのですね。

先日テレビでフェルメールの青い色についてフェルメールは光が粒子でできているのを見ることができた人と。窓から差し込む光が青い衣装に反射して、その角度にある影にはよく見ると青い微粒子が混在して描かれていました。驚嘆する思いで見ていたのですが、カメラを駆使する人ならと今日納得です。

それにしても、今のカメラのことを「明るい部屋」というのは、カメラ・オブスクラが「暗い部屋」だからそう。ピンホールカメラ(針箱)のようです。ロラン・バルトの『明るい部屋』をママ読んだんでしょ、とは娘の言。読後はバイブルのように崇めても内容についてはいつもすっかり忘れてしまう私です。

4月18日
「芸術家の肖像~写真で見る19,20世紀フランスの芸術家たち」展@三鷹市美術ギャラリーに行きました。写真は図録と絵葉書数葉。絵葉書はすべての人が揃っている訳でなく、ちょっと残念…。でもこんな凄い写真が手に入るなんて…と。

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展示には写っている芸術家についての解説と、それを撮った写真家の解説が付されていて、写真家の解説の方が詳しい。美術書やテキストで馴染んだ有名な写真が生でみられるなんてとふしぎでした。写真家の解説も面白かったし珍しいのでそれに気をとられてしまいました。

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2012.4.17 最近の異常な空とその後の地震…13日の空→福島県沖M5.9を含む群発、16日水色の夜空→父島M5.3やニューギニア付近 M7.0

ここのところ異常な空が時々あります。今日は午後、八王子で凄い雷雨でした。天地がどうかなっている感じです。

●↓ 4月13日17時ころ、全天がこんな状況でした。これは大きな地震が間近に控えている空です。しかも、ある方向という部分でなく、全天…。何があるんだろうと気になって撮っていました。

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■以下、気象庁の発表から。福島県沖の群発が、M5規模が2つ、M4規模が軒並み。続いているあいだこれ以上の規模にならないようにと祈るしかありませんでした。これ以降も続いていますが、少し収まってほっとしています。

4月15日19時36分頃 福島県沖 M4.7
4月15日02時26分頃 福島県沖 M3.5
4月15日00時08分頃 福島県沖 M4.4
4月15日00時05分頃 福島県沖 M4.4
4月14日23時13分頃 福島県沖 M4.0
4月14日22時17分頃 福島県沖 M4.3
4月14日19時51分頃 福島県沖 M4.6
4月14日19時48分頃 福島県沖 M4.5
4月14日18時57分頃 福島県沖 M3.9
4月14日17時46分頃 福島県沖 M4.3
4月14日01時52分頃 福島県沖 M4.3
4月14日00時57分頃 福島県沖 M4.1 
4月14日00時26分頃 福島県沖 M4.4
4月13日23時53分頃 福島県沖 M4.2
4月13日21時52分頃 福島県沖 M3.6
4月13日21時15分頃 福島県沖 M3.4
4月13日21時12分頃 福島県沖 M5.2
4月13日20時04分頃 福島県沖 M4.0
4月13日19時33分頃 福島県沖 M4.1
4月13日19時16分頃 福島県沖 M4.5
4月13日19時10分頃 福島県沖 M5.9

■他に、大きなもので気になるのがこの2件。その他、茨城県沖、宮城県沖もたくさんでした。
4月14日18時25分頃 茨城県沖 M5.0
4月14日00時55分頃 三陸沖 M4.8

●↓ 4月16日深夜、ふと見た夜空が明るく水色っぽく見えてぎょっとしました。すぐに撮ろうとカメラを準備しているあいだ、あっという間に雲が広がって水色は南西低空だけに。みるみる広がる不穏な雲は南南東か南の発生でした。

深夜の透明感ある水色の空は、どういう科学的事情によるのかわかりませんが、翌日に大きな地震を控えています。低空だけですと海外のM7規模ですが、昨夜は天頂一帯全部でしたので緊張しました。それで撮ったのですが、みるみる広がる雲の速さには驚きました。

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↑二枚目の下の方、低空が水色がかっているのがわかっていただけるでしょうか。深夜のこの透明感ある水色の空は要注意です。昨夜はこれが全天に広がっていて、ふと窓の外を見たその一瞬だけでも、ん、青い?、とぎょっとしたのでした。結果は、以下です。

■気象庁発表より

4月17日14時54分頃 三宅島近海 M3.0
4月17日11時15分頃 父島近海 M5.3

4月17日16時14分頃 ニューギニア付近 M7.0

●↓ 17日(今日)、八王子にいたら凄い豪雨と雷に遭遇。その後中央線で帰宅する車窓から見たのがこの空です。南南東に巨大な積乱雲が発生して、それが広がっての雷雲だったのではないかと思います。伊豆諸島方向注意でしょうか。

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追記:
4月18日 ツイッターからの情報ですが、「14:37頃小笠原諸島方面でM5.4発生」

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2012.4.15 銀の鈴社社長西野真由美様がテレビ神奈川「にほんごであいらぶゆう」で『源氏物語と鎌倉』について語ってくださいました→YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=VAnisYZ1nFE&context=C4825d53ADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJidoNcs44WN1FUDVZq2ArZPs=

銀の鈴社さまは鎌倉にある出版社。西野様のお祖父様は山口正様という万葉集の研究者でいらして、それで私の仙覚の『万葉集』、光行の『源氏物語』、の話にご理解くださって、売れるはずのない学術書の『源氏物語と鎌倉』を刊行してくださいました。

そして、のみならず、一生懸命ご自分でも理解に努めてくださって、鎌倉ロータリークラブでお話してくださったり、こうしてテレビで紹介してくださったりしています。これは大切なことなのだから、長い時間をかけてでも普及させていくとの強い信念のもとに。

私は大変な出版社さまと巡り合ったのだと日々実感しています。

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2012.4.15 ツイッターの呟きを転載(4)・・・YouTubeに【井の頭公園の桜 2009】をアップしました

http://www.youtube.com/watch?v=8lK098oWQr8&context=C4d8ecbdADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJic7se9puEJKp9hEjQ_WYWeQ=

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2012.4.15 ツイッターの呟きを転載(3)・・・YouTubeに【花筏に遊ぶ番の鴛鴦】をアップしました

Picasaの動画、プレゼンテーション用だったんですね。まさにそれ用に便利!と飛びついてしまった訳…。鎌倉の万葉集や六浦路等々、いろいろ作ってみます。とりあえず使い勝手を見るのに桜で作ってみました。花筏を泳ぐつがいの鴛鴦、身近な雅です!

http://www.youtube.com/watch?v=FUddchkfYTE&context=C402548dADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJiScGtjemTXwKHEranIjZw6Y=

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2012.4.15 ツイッターの呟きを転載(2)・・・YouTubeに【万葉集と源氏物語の鎌倉】をアップしました

3月24日

@YouTube 動画をアップロードしました

【万葉集と源氏物語の鎌倉】

http://www.youtube.com/watch?v=TaFtZ4cGlw4&context=C417afcbADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJiZ7KfUlD9AqUEF16seZqzWE=

Picasaで写真をスライドショーにしてYouTubeにアップロードできることがわかり、試してみました。去年10月に鎌倉の生涯学習センターで講演したときに作ったパワポから、テキストの入った画像を抜粋して並べたら、結構綺麗に流れもわかっていいかな? とは自画自賛でしょうか…

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2012.4.15 ツイッターの呟きを転載(1)・・・銀の鈴ギャラリー写真展「万葉集と源氏物語の鎌倉」をYouTubeにアップしました

3月23日

@YouTube 動画をアップロードしました

銀の鈴ギャラリーが面している六浦路】

http://www.youtube.com/watch?v=NJTRm8iggLg&context=C4eae446ADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJiZEsp2ImXXXnqHl7ZwpcH60=

Facebookに動画を載せようとして上手くいかなかったのでYouTubeにしました。手持ちでゆらゆら揺れていたのを「修正しますか?」と出たのでokしたらこんな具合に。途中変な歪みの入っているのがそれです。いろいろ駆使してしっかりしたご紹介できるよう頑張ります。

写真展開催中の219日の撮影です。開催中にご紹介したいと思いつつできずにいたら、大倉幕府周辺遺跡群のシンポジウムがあり、ここが幕府の南の境界だったと知り、YouTubeのキャプションにはそれを強調して書きました。おそらく南門はここから少し行った頼朝の墓に通じる道の入口あたり?

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2012.4.8 『源氏物語と鎌倉』の書評を書いていただきました : 神奈川新聞2月19日(日)読書欄です

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神奈川新聞2月19日(日)の読書欄に『源氏物語と鎌倉』の書評を書いていただきました。ありがとうございます!

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2012.4.4 井の頭公園の桜開花情報1&ツイッターの呟きを転載【YouTube光文社古典新訳文庫 プルースト『失われた時を求めて』対談 高遠弘美先生×古屋美登里氏】

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井の頭公園の桜、毎年「最初の一輪」から撮っていますが、今年はまだだなあと思っているうちに昨日の春の嵐というには凄すぎた爆弾低気圧で、今朝、青空が広がったのを見て撮りに出たら、なんと、もう、こんなに開花していました。今年は相当遅れているので、咲き始めたら一気に満開へいきそうです。

ここのところ、新しいテーマができて、そらが鎌倉の六浦路探訪なものですから、六浦路に関する話題を『吾妻鏡』の実朝の時代から拾って、ツイッターに載せています。

実朝の時代というのは、六浦路にある大慈寺が実朝の建立。明王院が第四代将軍頼経で正室の竹御所が実朝の猶子になっているからです。

まとまったらそれをここにまた載せます。

今日は、久しぶりにプルーストの話題を。『源氏物語と鎌倉』の上梓など鎌倉関連の仕事に携わっていて、それは疎かにできないからずっと時間と精力を注いでいますが、ほんとうは丹念にたどってプルーストに浸りたい…、で、なんとなくなんとなく、昨日一日、意を決してプルーストに時間を割きました。そうしたらなんて素敵なこと! 気分が一新しました。そんなことをツイッターに連投。転載させていただきますね。

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四月二日

高遠弘美 @Thouartmore
四月一日早朝にパリ着。すでに決めてあつた貸部屋に落ち着く。空はひろく、風爽やかに、木々の緑が美しい。窓からエッフェル塔の尖端が見える。今回のパリは、在外研究を頂いたゆゑである。大学の皆様に感謝を申し上げます。

四月三日
@odayuriko
@YouTube
動画をお気に入りに追加しました 【光文社古典新訳文庫】プルースト「失われた時を求めて」の魅力01
http://www.youtube.com/watch?v=ClcJ4_F1YEc&context=C4edee8eADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJidws8c_qTeaMouz2jg16rlI=

@odayuriko
@YouTube
動画をお気に入りに追加しました 【光文社古典新訳文庫】プルースト「失われた時を求めて」の魅力02
http://www.youtube.com/watch?v=E3NaD7mYyYY&context=C4b05327ADvjVQa1PpcFPTGsUWBJEJiZ70FvgGzcwBy555ruU6VIc=

@odayuriko
覚悟を決めてPCの前に座りYouTube【光文社古典新訳文庫】プルースト「失われた時を求めて」の魅力01を視聴。途中思わず悲鳴を上げてしまったのは高遠先生が惜しみもなくご自身がパリの古書店で購入された高価な本の数々を披露して下さったこと。プルースト自費出版の楽しみと日々など…

@odayuriko
ご講演を聴いたり文章を拝読したりでのプルーストに対するエピソードは知り得ても、御本の紹介は映像でしか有り得ない。そしてそれらの御本から今回のご新訳での解説に多用された絵の引用が成されているとははじめてしりました。先生の貴重なご蔵書に接するだけでも凄い価値のYouTubeです。

@odayuriko
中で紹介されていたセレスト・アルバレ『ムッシュー・プルースト』、綺麗な方だったんですね。ここにはプルーストの最後の頃の言葉が書かれていて僕が死んだら君はたくさんの質問にあうだろうけどと、まだ認められていないのに将来の失われたの価値を見据えた発言をしていて、私には心に残っています。

@odayuriko
とても大それた発言でおこがましいと思われそうで怖いのですが、『源氏物語と鎌倉』、これは私の作品というような私物化の本でなく、従来のままでは闇に埋もれたままの貴重な業績・真摯な思いを世に出したい一心の本です。価値は私が一番よく知っていると思うからプルーストの言葉が胸に響くのです。

@odayuriko
小林秀雄に真贋ということというのがありましたが、真実って恐ろしいですね。いくら本物を真似ようとしても偽物には力がない。そんなことを先日の大河清盛でも思いましたが、少なくとも『源氏物語と鎌倉』は歴史の真実です。まだまだ普及しませんがプルーストに励まされながらめげずに頑張ります。

@odayuriko
@Thouartmore 臆面もない呟きをリツイートしていただき恥じ入りますが、高遠先生のプルースト、ひいては文学に対するご姿勢の厳しさにいつも励まされ勇気を頂いています。今頃はまたセーヌ岸の古書店を歩かれているのでしょうか。まさかご蔵書を目にできるとは思いませんでした。

Thouartmore 高遠弘美
@odayuriko @thouartmore いつもありがたうございます。本をだしに使ひましたのは、話すのが苦手なので、一種のごまかしと申せばよろしいでせうか。ご海容のほど、お願ひ申し上げます。けふはパリ三日目。まだまだ買ひものに追はれてをります。

四月四日

@odayuriko
@Thouartmore 昨日はありがとうございました。だしに使ったなどとんでもないと恐縮しました。一夜明けた今もなお鮮明でより一層見せて頂いた贅沢感が募り楽しみと日々が忘れられなくなっています。プルーストの美意識にはほんとうに学びます。西洋美術館にも行くことにしました(笑)

@odayuriko
おはようございます。西脇順三郎さんの詩が浮かぶような綺麗に青空の広がる朝、有り得ないほどの春の嵐に桜の開花が遅れていたことが助かったという思いです。去年から日本は天変地異が何か変。古典にも残る稀有な時代に生きていることを有り得ない思いでみています。

高遠弘美 @Thouartmore
@odayuriko ユベール・ロベールは第五章、第六章と名づけられた部門が見どころがあると思ひます。いい時間でありますやうに。けふもパリは晴れです。
織田百合子さんがリツイート

@odayuriko
@Thouartmore ユベール・ロベール展、気になっていたのですがYouTubeでぐっと前に押し出されました。古典や芸術は自分の感性にこだわるより謙虚に先人の方のお声に耳を傾けて浸るほうがずっと豊穣ですね。教えていただいた本文を読んで出かけさせていただきます。高遠弘美さんへの返信

@odayuriko
前にガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』を読まれたツイートがあって気になっていました。今日久々に書店に行って思い出し手に。う~ん、と。これは読みたい、でも今その余裕はない、ということであきらめてあとがきを立ち読み。マルケスの作家としての姿勢に示唆されるものあって鼓舞されました。

@odayuriko
歴史を書いている文章は文学の文章と絶対的に違う。文学の文章には詩神がついている。歴史は客観。『源氏物語と鎌倉』が終わったから文学の文章に還りたくてたまらないのだけれど、今また大倉幕府周辺のテーマができてはじめているから還れない。そんなジレンマにいます。

@odayuriko 返信 削除 お気に入り解除お気に入りに登録 · 閉じる 開く 詳細 同様にクロード・シモン『農耕詩』も。芳川泰久氏訳。平岡篤頼先生の訳とどう違うのだろうと思いながらぱらぱらと。でもやはり、シモン…。フランドルへの道のような、アカシアのような。時間があったら読みたい。けれど…とこれもあきらめて帰りました。たたみかけるような文章をたまらなく書きたい…

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