2012.4.27 埼玉県比企郡ときがわ町にある慈光寺を訪ねました→国宝「慈光寺経」のことなど・・・ツイッターの呟きを転載
4月24日
慈光寺さん入り口にきました。桜が映青えています。やっと晴れました!
今日訪ねた慈光寺は埼玉県比企郡ときがわ町にあるのですが、「ときがわ」は以前「都幾川」と書きました。それは慈光寺が昔は関東一の古刹でまるで「都」のような繁栄。去る人は飽かずに「幾」度も振り返ったからと。安易な町名変更はよくないですね。http://bell.jp/pancho/travel/saitama/jikoji.htm
4月25日
慈光寺はかつて山内に75坊もあったそう。手前の二つの山の向こうに頭だけ覗いている山に慈光寺はあります。天台宗寺院です。
4月25日
私は慈光寺を仙覚が出家した寺と見ています。慈光寺はたぶん比企氏の庇護もあっての繁栄。頼朝も寄進しているし、範頼の子息も入寺して別当になっています。仙覚も比企氏ゆかりです。それで、仙覚さんも眺めただろう山頂からの風景を…
4月25日
帰り、小川町駅近くの小川町のアンテナショップに立ち寄りました。仙覚祭りのことや仙覚の万葉顕彰碑、その他お話したり質問すること一々に淀みなく意志の疎通ができて、仙覚の事でこんなに話が通じたのははじめて!『源氏物語と鎌倉』の話をして送らせていただくことに。資料もたくさん頂きました。
4月25日
慈光寺へ上る山道の入り口にお店を構えていられる寧々房さんの写真を二枚、アップします。最初は店先を。定休日だったのを偶然いらした群馬の四人組の方のために開けたところに山から下りてきた私が到着。一緒に入らせていただきました。
4月25日
そして、全景。この建物は昔、庄屋さんだったところとか。一揆にあって、梁や柱に刀や鉈のあとが残っています。二階を仏像のお作品のギャラリーにされています。垂直くらいに切り立つ怖い木の階段でした。
4月25日
慈光寺情報1 ご住職様のお話では国宝慈光寺経は三大装飾経の一つだけれど、平家納経・久能寺経のようには研究がほとんどされていない。今まで東博に収納されていたが展示の機会がないので奈良博に移されると。奈良博の方が装飾経の研究が進むそう。←私にとっては近くの東博にあったのが奈良へなんて
4月25日
慈光寺情報2 国宝慈光寺経の結縁者が京都の九条家の人々で、その一覧目録が一枚残されています。それを書いた人物が誰かまだわかっていないのですが、仙覚の可能性も。書かれた時期ちょうど仙覚は比企にいました。目録は現在京都で修復中で完成が四年後。その後どこに収蔵されるかは未定とのこと。
4月25日
慈光寺情報3 http://www.temple.or.jp/freepage_20_1.html←慈光寺経。このページのtopにある右側のお堂が観音堂。非常に華麗な彫刻が施され往時の慈光寺の様子が窺えます。ご本尊は十一面千手千眼観世音菩薩像。左側は現在の本堂で阿弥陀堂です。
4月25日
慈光寺情報4 仙覚が慈光寺で出家したとしても歴史の中で慈光寺は比叡山のような焼打ちにあってそれ以前の記録が一切残っていないのでわからない。別当格ならわかるがとのこと。もしかしたら仙覚は75坊のうちのどこかの坊での出家とも考えられそう。
4月25日
慈光寺情報最後 75坊あったというお堂は残っていませんが、山のあちこちに見かける平場が皆そうだということで、下山中、あ、ここも、と思って撮りました。
慈光寺境内は至るところシャガの群生地でした。アップで暗めに撮ったら貴婦人のドレスのよう…
4月26日
山の霊場の守り神?(ほとけさまですが…)。慈光寺から山道を下りてきて最後のところにあった巨大な岩の露頭。その頂に村をみはるかすように石仏が置かれていました。宝冠の阿弥陀様? ふしぎな思いで立ち止まりました。
4月26日
そのアップです。
4月26日
国宝「慈光寺経」は、国宝「久能寺経」、国宝「平家納経」についで鎌倉時代初頭につくられた三大装飾経の掉尾を飾る優婉華麗な名品である。元久3年3月7日、太政大臣藤原良経の急逝を後鳥羽上皇がいたく悲しまれ、中宮冝秋門院を中心に営まれた一品供養経といわれている。(慈光寺百七世明了識)
4月26日
上のツイートは慈光寺で頂戴したパンフレットより。慈光寺では現在その中の「信解品」を拡大陶窯焼成して本堂に展示されています。中宮冝秋門院任子の御筆。ちなみに序品は後鳥羽院、他に兼実、道家等九条家ゆかりの方々がそれぞれの品を分担されています。
4月26日
国宝「慈光寺経」には「一品経書写次第」という書写した人の目録が一枚残されています。この作成時期が、仙覚が比企にいて『万葉集注釈』を成した時期と重なるので、仙覚が書いたのでは?という方もいられます。写真は週刊朝日百科日本の国宝89より。
4月26日
仙覚の側から追及する私としては仙覚の作成であって欲しい訳ですが、お訊ねした慈光寺のご住職様のお話では、まだ紙がいつの時代のものかも特定されていないとのことでした。それにしても九条家ゆかりのこんなに華麗な文化財が関東の山奥にある不思議。それを謎解くのは楽しいのですが個人では限界…。
4月26日
私の推測は『源氏物語と鎌倉』に書きましたが、国宝「慈光寺経」は将軍頼経が関東に下向したときに父道家が持参させた宝物の一つで、後鳥羽院崩御に際し頼経がその供養に関東最大の古刹だった慈光寺に奉納。それはその時頼経に仕えていた仙覚のアドバイスによるものでは?という流れです。p140。
4月26日
それにしても国宝「慈光寺経」が九条家という由緒がありながら、他の久能寺経(待賢門院璋子と西行)や平家納経(平清盛)に比べて研究が進まず、知られてもいないのはひとえに関東にあったためでしょう。関東の歴史家は文化・文化財に対して意識のレベルがほんとうに低いとつくづく思う。
4月29日
埼玉県比企郡ときがわ町にある慈光寺さんの古代瓦を型押しして造った文鎮です。山道の登り口に店舗を構えていられる寧々房さんの作。手にしたときのずっしりした重みが歴史を…
文鎮の表面です。
文鎮の裏面です。古代瓦は遺跡発掘で年代特定や産地・流通を調べるのにとても重要な遺物。それとはべつに井上靖さんの天平の甍のイメージがあって古代ロマンそのもの。史跡に行くと、つい、落ちていないかなあなんて足元ばかり見て歩いてしまいます。
慈光寺さんから霊山院さんへ向かう途中の山道脇のこの空間でおにぎりを。慈光寺の写真をまとめたいのですが執筆に入りたいので遅くなりそう。そのうちに季節が変わってしまいますね(泣)
霊山院さんのお庭がそれは素晴らしいと会う人ごとに言われて行ったのですが…。わぁっ、と思わず声にしたほど素晴らしかったです! 写真の整理ができないのであきらめて一枚だけ…
今日慈光寺さんで知り合った寧々房さんからメールを頂き仙覚さんの出家した寺院について考えることが。仙覚という法名に何かふしぎを感じていたのですが慈覚大師門人というその覚の字をとったのかなと。仙の字は順徳院仙洞の仙では?と以前から感じているのですが…。あくまでも私の感です。