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2012.6.25 ツイッターの呟きを転載…歴史時代作家クラブ懇親会のこと、6月16日は承久の乱の日だったこと、承久の乱で捕まった源光行のことなど

6月16日

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昨夜出席した会の終了後に頂いてきた芍薬…、見事です!

レセプションに参加したあとに頂くお花が楽しみです。殿方は二次会のお酒に気が行ってますから欲しがらなくて昨夜は頂き放題でした。これは会がはじまる前の会場風景。芍薬もまだ花籠に…

歴史時代作家クラブの会長は津本陽先生です。時代小説の作家は繋がりがなく孤独だからとこの会を立ち上げられました。昨夜のスピーチでもこういう会場にいるだけでも嬉しいと。時代小説だからでしょうか、なんとなく他の文学の会と違う情緒というのか、人情というのか、親しい雰囲気が感じられます。

6月16日  吉川弘文館営業部official
【今日は何の日】1221(承久3)年 6月16日 北条時房・泰時,六波羅館に入る(六波羅探題の始め)(吾妻鏡)。『日本史総合年表 第2版』より。

現代語訳『吾妻鏡』で承久の乱を拝読中ですが、まさに昨日今日の日付なんですね。吉川弘文館様のツイートで気がついて我ながら相変わらず疎いとあきれつつ、内容には展開の臨場感に圧倒されっぱなし。『海道記』では読んでいましたが『吾妻鏡』ははじめて。海道記は資料にされてたかしら…と。

乱はすべて人の人生を狂わしますが、承久の乱は目下私が取り組んでいる方々と無関係ではありません。光行は後鳥羽院方について捕まり鎌倉に護送されて斬首されるところを子息親行の奔走で助かり、仙覚は佐渡に流された順徳院を追って越後に移り住む。「花の蹴鞠」もこのあたり書くのがとても大変そう。

承久3年8月2日 大監物光行は清久五郎行盛が伴って(鎌倉に)下向し、今日の巳の刻に金洗沢(七里ヶ浜の内)に到着した。(行盛は)まず子息の太郎を遣わして右京兆(義時)に知らせた。速やかにその場所で誅殺せよと、義時の命があった。これは関東から数箇所の恩恵を受けながら、院に参じて

東国武士の交名を注進し、宣旨の副文を書いた罪科は他に異なるためである。ところで光行の嫡男である源民部大夫親行は、以前から関東にいて功を積んでいた。父のことを漏れ聞いて死罪を赦されるよう泣いて訴えたが赦されなかった。(親行は)重ねて伊予中将(一条実雅)に依頼したので、羽林(実雅)が

これを伝えた。そこで誅殺してはならないとの書状が与えられ、親行がこの書状を持って金洗沢に急行し、父の命を救った。(以上、現代語訳『吾妻鏡8 承久の乱』より)

↑ 『吾妻鏡』のこの条、異常です。というか、不可解。院加担の人間は殆どが鎌倉に護送される途中で誅殺されています。しかもそれらの記述はただの一行。光行の顛末を記すこの条は『吾妻鏡』の中でも例外的な長さ。殆ど政治の中枢にでてこない光行がなぜこんな特例を受けているのか…

『吾妻鏡』における光行の扱いには以前から不可解が多かったので先日仕上げた論文ではそれを取り上げました。書き終わった今、この条の異例さもさもあろうと納得。光行は特異な任務を帯びた立場の人間でした。恩人の三善康信をも裏切ってと非難されますが、光行の立場を熟知していた康信は納得かと。

6月17日
空の状況がざわめいているので撮ってきました。地下で岩盤破壊など活動があるとピエゾ効果といって電磁波が発生するそう。それが大気中にのぼると雲が攪乱されてざわめきます。電磁波が湯気のように湧き上がるのが目に見えるようです。(→06/18 05:32 38.9N 142.1E  40k  M6.1  宮城県沖)

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玉川上水では葛の葉が繁茂中。「葛の花踏みしだかれて色あたらし。この山道をゆきし人あり」の迢空の歌が大好きで、上水を通るたびにこの歌が浮かびます。花はこれから…

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雨に濡れる未央柳。ビヨウヤナギ。俊成本源氏物語で、見せけちになって消されていた芙蓉と対句の花。気づかないあいだに咲いていました。きちんと撮っておきたいけど晴れるまでもつかしら。

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2012.6.20 【夏季特別展 京三条せともの屋町】のお知らせ

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仁木宏様からのメールを転載させていただきます。

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下記の通り、展覧会を開催いたします。

伝世品と出土品を比較して頂くのと同時に、当時の茶の湯の様相に触れて頂け
ればと思います。

 また、京都市考古資料館では「ひょうげた器‐三条せともの屋出土茶陶‐」
(会期:7月14日~12月2日)

と題し、本年京都市指定文化財に指定された中之町の資料(970点)を中心に三
条界隈の各地点の出土遺物を展示されます。

会期は異なりますが、京都市考古資料館と茶道資料館とが連携して展示を行い
ます。

 会期中には講演会も開催しますので、合せてお聞き頂ければと思います。

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夏季特別展 京三条せともの屋町

会   期:6月23日(土)~9月17日(月・祝)

開館時間: 9時30分~16時30分(入館は16時まで)

休 館 日:月曜日(但し7月16日、9月17日は開館)

主    催:茶道資料館  協    力:京都市考古資料館

展観概要:平成元年、京都三条通の中之町から、織部や志野を中心とした美濃、そして信楽・伊賀・備前などの桃山陶器が大量に出土しました。

なかでも織部や志野に関しては、出土量全体の半数以上を占めており、都市部での流通・消費状況や流行を探る上で、注目される発見となりました。

また、その後の研究で、三条界隈に「せともの屋」が集中していたことが明らかになってきています。

今回の展観では桃山時代から江戸初期にかけての京都のやきもの屋の様相、特に茶道具に視点を当て、今日まで伝来してきたものと出土したものとを比較し、当時の茶の湯の様相の一端をご紹介します。

<主な出品作品> 

伊賀水指/信楽水指/鳴海織部水指/伊賀花入/備前花入/織部獅子香炉/志野香合/志野茶碗/黒織部茶碗/高取茶碗/黄瀬戸向付/織部向付/赤楽茶碗 銘曲水長次郎作/黒楽茶碗 長次郎作など約70点、京都市内出土の茶道具約60点。会期中陳列替えをいたします。

入館料  一般800円、大学生500円、中・高生300円

        小学生以下無料 団体割引 20名以上



<講演会> 

7月21日(土)「京三条「せと物や町」の茶道具-中之町を中心に-」

          平尾 政幸氏(元財団法人京都市埋蔵文化財研究所)

9月15日(土)「桃山陶生産の背景」

          張替 清司氏(財団法人土岐市埋蔵文化財センター)

会場  裏千家センター1階講堂  いずれも13時30分~15時

電話申込先着100名まで。聴講無料・入館料のみ※詳細はお問合わせ下さい。



茶道資料館

〒602-8688 京都市上京区堀川通寺之内上る 裏千家センター内

TEL 075-431-6474

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2012.6.19 ツイッターの呟きを転載…川端康成学会(於鎌倉)で伊井春樹先生のご講演を拝聴して六浦路を

6月10日
六浦路探訪再開。感覚が遠のいているので現代語訳吾妻鏡を読んでいる。貴志正造訳で頑張っていたのだけれど現代語訳にしたら小説のように楽。実朝の時代から頼経まで、大慈寺から明王院まで、寺院から探る鎌倉の歴史。と、こう書いていてやっと感覚が戻りそうな感。鎌倉に向かっています。

建永元年6月16日、公暁、鶴岡若宮別当の坊から尼御台所の御邸宅に渡られ、着袴の儀式があった。→たしかこのとき公暁は七歳。三年前比企の乱で両親を殺され、若宮別当の尊暁に預けられた。竹御所は妹。このとき竹御所は政子に育てられていたから、この儀式の時兄妹はほぼ三年ぶりの再会?

宗尊親王の御所があった一帯に拡がる空@鎌倉若宮大路

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川端康成学会、伊井春樹先生の川端康成と源氏物語を拝聴。終わって出てきたところです。充実したいいお話でした。帰ったらご紹介させて頂きます。思いかけずまだ明るいのでどこかに回ろうか、思案しています。

鎌倉からバスに乗って六浦路を。朝比奈の峠にさしかかっています。

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六浦湾が見えてきました。ちょっと暗い…もうこちらは横浜市金沢区です。

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途中下車して上行寺東遺跡に寄り道。京急線を見下ろす高台にあります。遠くに見える尾根の中央のV字に切り取られたところが朝比奈切通。その向こうが鎌倉です。

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↑の写真ので、右手に写っている山中に吉田兼好が庵をあんで住んでいました。徒然草に六浦という海のかねさわというところに、というような段があるその六浦です。兼好は金沢文庫で研鑽を積みました。

帰宅しました。先程携帯からアップの吉田兼好の庵跡がある山中…、コンデジですがもう少し見やすい画像を。左下は日蓮上人ゆかりの上行寺。右手上がライオンズマンションでその前に遺跡のレプリカがあります。

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上行寺東遺跡のレプリカです。樹脂でかたどられて設置されています。保存運動が叶わず遺跡は破壊されてしまい、わずかにこのレプリカが残されました。中世の一大墳墓群です。網野善彦先生・石井進先生方が大集結の保存運動だったのですが。

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6月12日
しばらく動の世界で動いていたらやはりどうにも路頭に迷う感。充実は澄んだ言葉の中にしかないかのよう。今日は終日スラヴァを聴いて過ごしました。思い出すことあって…。日々の記録、なんということもないけれど書いています。ふと気づいて見たら五月中旬から真っ白。それを埋めて過ごしました。

日曜日の鎌倉に意味もなくたまたま手近にあったコンデジを持って出て、またたまたま六浦路を通って帰りたくなり、そうしたらかつて通った懐かしい上行寺東遺跡に立ち寄ることになり…、こんなことなら一眼レフを持って出るのだったと、まだ画質の悪い写真の気分の悪さを引きずっています。

上行寺東遺跡には岩盤で彫られた阿弥陀様があって、西を背に座しておられます。遺跡で判明した常行堂からその阿弥陀様を拝すると沈みゆく太陽に向かって行をすることになり、日輪観の場でした。阿弥陀様は発掘時から首がなく、その阿弥陀様が鎌倉を背に座しておられるのを見ると実朝のような気分に…。

この遺跡も、鎌倉も、写真を撮る目的で撮ったことがないからすべてスナップ。いつかゆっくり写真を撮るだけの目的で周りたいと改めて思いました。

采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたずらに吹く(志貴皇子)…最近呟いている上行寺東遺跡、私にはこの歌と切り離せない思い出が。遺跡を辞める決意をしたとき最後に一人この遺跡を訪ねました。遠く朝比奈切通を見遣っていたら突然風に煽られ、立っているのも危うくヒヤッとしたときにこの歌が

脳裡をかすめたんです。そうしたら突然「白拍子の風」という小説のタイトルが浮かんで、采女の時代と白拍子の時代と、遺跡の室町期、そして現代の、四代にわたる、三島由紀夫のような輪廻転生の構想が浮かんで…。そこには全編通しで風が吹きわたっている、というような。

白拍子の時代はもう書きました。そのときに吾妻鏡を読み京都を調べてそれから中世に嵌りました。嵌り過ぎて采女の時代や室町期にはとても及びそうもありませんが、人の頭上を吹きわたる風への思いは今も。その日地上に戻ったらどこにも風なんか吹いてなくて、一体あれは何だったのだろうと怪訝でした。

あまり考えたことなかったけど通史的な中世史に嵌ったのは小説を書き出してからだったんですね。必要で取材したり調べたから。遺跡にいたときはもっぱら陶磁器に嵌っていました。貿易陶磁といって宋の青磁・白磁など。毎年青学で行われていた貿易陶磁研究集会に行くのが楽しみでした!

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2012.6.16 平安京・京都研究集会連続シンポジウム【中世京都と室町政権の首府構想①〝北山〟エリアの歴史的位置】のご案内

仁木宏様からのご案内です。

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平安京・京都研究集会
連続シンポジウム 中世京都と室町政権の首府構想①〝北山〟エリアの歴史的位置
 
14世紀末~15世紀初頭にかけて足利義満が確立した公武融合型の統一政権=室町政権については、様々な学問分野・切り口に基づいて近年特に著しく研究が進展してきました。しかしその一方で、全く新たな問題点・論点や通説の書き換えを迫る多様な成果が数多く現れ、一般にはもちろん、研究者でさえ全体像を把握・共有するのが困難になりつつあるのが現状です。

そこで本年度は平安京・京都という前近代都市を読み解こうとする立場から、室町政権の2大拠点(首府)であった〝北山〟エリアと〝室町〟エリアを2回にわたって取り上げ、その歴史的位置を歴史学(特に政治史・宗教史)・文学・考古学という3分野から多角的に、最新の研究水準に基づいて総括的に位置づけ直すことを試みます。そして最前線の研究者による報告・コメントや参加者との討論を通じて、各分野が学際的に協働する方法論や、その先に見えてくる新たな歴史像を展望します。

    日時:2012年7月15日(日) 13: 00~17:00
    会場:機関紙会館 5F大会議室
       京都市上京区新町通丸太町上ル東側(日本史研究会事務所の建物)
・市バス「府庁前」バス停から東へ、1筋目を北へ。徒歩1分。
・地下鉄「丸太町」駅下車、2番出口より西へ、3筋目を北へ。徒歩6分
http://homepage2.nifty.com/kikanshi-keiji/kaizyou.html

〔研究報告〕 
桃崎有一郎氏(立命館大学、中世史)
   「足利義満の首府「北山殿」と室町政権形成期の内乱
        ─北山・北野・内野・洛中の地政学的関係と明徳・応永の乱─」

西山美香氏(公益財団法人禅文化研究所、中世文学)
   「北山殿金閣の造形イメージ ─足利将軍の舎利信仰を手がかりに─」

前田義明氏(財団法人京都市埋蔵文化財研究所、考古学)
   「北山第・北山殿の考古学的研究の現状」

〔コメント〕 髙橋昌明氏(神戸大学名誉教授、中世史)

〔質疑・討論〕
  (コーディネート:桃崎有一郎氏)

事前の申込不要。一般来聴歓迎(当日、資料代〔数百円程度〕をいただきます)
主催  平安京・京都研究集会(http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/niki/kenkyu/staff.html
後援  日本史研究会
問合先 連続シンポジウム事務局(桃崎方) 090-5761-7304

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2012.6.14 ツイッターの呟きを転載…『家庭画報』で特集のクリムトのこと、『週刊新潮』にあった鳥葬の写真からチベットのこと、ダ・ヴィンチ展「ほつれ髪の女」を観たことなど

6月5日
家庭画報発見! クリムトの時代にカラー写真もあったのです! http://twitter.com/san_minamikawa/status/209822837324787714/photo/1
織田百合子さんがリツイート

クリムトのベター・ハーフ、エミ―リエ・フレーゲが着る彼女自身のディザインによるドレス。 http://pic.twitter.com/2iOiVr2z
織田百合子さんがリツイート

6月6日
@san_minamikawa フォローして頂きありがとうございました。まさかと驚きました。『景徳鎮窯のやきもの』以来たくさんのお仕事を見させていただいています。クリムトの時代にカラー写真があった…、面白いですね!

@odayuriko 徳川時代末期、ヨーロッパでは”黄金の国ジパング”ブームで、公私にわたって各界の人々が長崎の出島を経て日本各地に旅行し、その記録を残しています。ちょうどこの時代に写真が発明されたので、冒険者たちはそれぞれお抱えの写真技師を帯同して日本各地を旅行したのです。

@odayuriko しかし、まだその時にはカラー写真というものはなく、モノクロームだけでした。ヨーロッパの人たちは、これまで見たこともなかった日本の美に魅入られ、美しい光景を乾板に焼き付けて、帰国後それに彩色を施したり、三色の色に分けて版を重ね刷りしたのだと思います。

@san_minamikawa めくるめくようなお話をありがとうございました。聞いたこともないような色彩論にわくわくしました。平安時代の襲の色目に魅せられ色彩こそ日本の美、世界で唯一の文化の国のように浸っていましたが、すでにそれが流出してクリムトに至っているとはと驚きました。

@san_minamikawa たったこれだけのツイートでもう南川様のこれまでのご業績の絢爛たる文化の色彩がはじけわたったかのようです! 凄いですね。目の覚めた思いでこれから学ばせていただきます。まず、今日は家庭画報を購入に…

時間のまどろみ…昨日小川町の男性からいただいたメールの中の言葉。何気ない話のなかにこんな言葉が使われる…。さすが仙覚さんの町の方と思う。先程のヨーロッパ美術を撮り尽くされている南川様のツイートで衝撃を受けましたが、やはり人は浸っている文化でゆたかにも貧しくもなる。文化は大切です

@odayuriko 日本は沖縄を除いて外国から侵略されたことはなく、純粋に日本独自の文化で栄えてきた国と思います。織田様がお書きになっている日本の中世の文化がもう少し海外に紹介されるようになれば、もっと深淵で神秘的かつ高貴な日本文化にびっくりすることでしょう。

@san_minamikawa 有難うございます。さらにびっくりしています。どうしてフォローして頂いたのかふしぎでした。まさかお読み頂いてるなんて。白状しますが私は南川様の後輩です。写真に挫折して籠って今の文学に至ったのですが、写真家だったからこそ見えた世界を書いています。

@odayuriko  え!写大で学んでいらしたんですか?織田さんの目に、心に映ったものを文章で表現する・・・素敵なお仕事です。心よりのエールを送ります。フレー,フレー!!

@san_minamikawa それからもう一つ白状しますと、逃避で逃げ込んだ小説講座の講師の先生が仏文のヌーボーロマンの日本の旗手のような方でした。なのでいつも中世を書いていても仏文の視野が私の中にはあります。その方はもう他界されましたが私の小説が翻訳されてフランスの書店に

並ぶのを夢見ているとおっしゃって下さっていました。ご自身で翻訳されて…。それはもう叶いませんが、フランスの書店に並ぶ夢を私は見続けています。海外の方の日本文化への関心の深さは国会図書館にいたときにも実感しました。マイナーとは思っていず頑張ります!

@san_minamikawa 今家庭画報を買いに出てきました。良妻賢母育成の女子高から家の事情で写大に行ったものですから馴染めなくて大変でした(笑) 入試の面接で穂積先生に卒業したらいいお嫁さんになるんだね、なんて。そんな二年は辛かったですよ。でも挫折したから今があります。

6月7日
今朝から店頭に並んだ週刊新潮の巻末グラヴィアに、先にベルリンに行って取材・撮影した国立美術館展(6月13日から、国立西洋美術館で開催)の見どころを紹介しています。
織田百合子さんがリツイート

レオナルド・ダ・ヴィンチ展《ほつれ髪の女》を観てきました。午前中に行ったのですがなんていうのでしょう、それから言葉がでないでいます。何も呟きたくない、というより思考そのものをまとめる気にならない…。ただ頭のなかにほつれ髪の女と岩窟の聖母とダ・ヴィンチ自身の肖像画とがあるだけ…

夜になれば言葉が戻ってくるかな…と思っていたのですがまだ…。ダ・ヴィンチが描く女性で好きな絵はみんな俯いている。そんなことが目に焼き付いて私まで上を向きたくないような。思考を深める絵ですね、ダ・ヴィンチ。今日はこのまま何かに浸って過ごします。

6月8日
@san_minamikawa 家庭画報のクリムトを拝見した後ですから可愛らしいこのお写真に思わず微笑んでしましました。家庭画報、堪能させて頂きました。クリムトは観ていましたがそれは展覧会で展示されていた単独の作品でしたから、ウィーンでそんなに大きな作家だったとはと驚きました。

@san_minamikawa 「特設の足場が設けられ、眼前に展開する“クリムトの美学の粋”を彼と同じ目線で見る」…、凄いですね。それから絵はがきのページは素敵でした。愛とパッションを頂きました。日本の古い歴史のなかに埋没していますが人間の生き方という意味では共通と思います

Facebookページを整理しました。今まで使い方を絞れずに放置状態でした。が、これからは『源氏物語と鎌倉』をテーマに据えていこうと決めました。まずは25人の方のいいね!を頂いてオリジナルURL取得を目指します。よろしくお願いいたします。http://www.facebook.com/pages/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90/188841407807114

@odayuriko クリムトが活躍した時代は美術史美術館のフリーズに見られるとおり、ちょうどハプスブルク帝国の終焉の光に輝き、新興勢力が力をつけてきて『接吻』などに見られる、新時代の幕開けの時代でした。クリムトはその”ゼセッショーン”の旗手となって活躍したアーティストです。

ショッキングな写真を見ました。一瞬目にしただけで何の写真かわかったので慌てて閉じて、でも見なくてはいけないと自分に言い聞かせて静かにそれとなくあまりはっきり見えないよう目をそらしながら見て…。鳥葬。チベットの青い空の下、大きく羽根を広げ群がる猛禽たちの下で何が行われているか…

鳥葬は文章では読んでいましたが写真を見るのははじめて。たしかキャプションにもはじめての写真とあった。目をそらしたくなる光景だけど、それはなんと敬虔な印象だったことか。そして美しかった。空が美しく猛禽の羽根が美しく見守る番人の顔がたんたんとして美しく…。荘厳としかいいようがなく。

チベットに憧れていた時期があって鳥葬という儀式自体にも関心をもち読んでいました。風化という言葉と相俟ってとても自然なことに思えるのです。今日の写真でも決してそれは残虐でなく自然で美しかった…。たぶん私のなかでの理想…とまで思います。宗教や経済と無縁の自然のままの崇高な儀礼だから…

鳥葬の写真は週刊新潮6月14号に。南川三治郎様が巻末に「先どり ベルリン国立美術館展」を載せてらしてそれを拝見するために購入した雑誌。お蔭で鳥葬のような貴重な写真を見ることになりました。この号、大切に保存します。

南川三治郎様のお仕事は今更私が言うことでもないけれどどうしてこんなにと驚くことばかり。でもこの週刊新潮は美術展の完璧な紹介でなく「先どり」だから、日本へ美術品を発送する直前のあちらのキュレーターの方々のヒューマンなお写真にあふれていて素敵でした。最初の一枚が最後の一枚に呼応して。

@dkusunoki チベットに行かれたんですか。そして鳥葬の見学?びっくりしました。河口慧海師はチベットに入るのにそれは苦労されてでしたよね。私もいつかチベットにと思いつついつかしら忘れていました。心が風化して…。強烈にそれが蘇りました。

@dkusunoki 嬉しく拝読させていただきました。つい先日もこのTLでチベットへの入国はまだ駄目と読んだばかりなのにと不思議でした。映画「Seven Years in Tibet」も思い出しました。ラストのシーンで涙が止まらなく…。あの青い空の世界…、ですね。

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2012.6.11 ツイッターの呟きを転載…ランボーの詩、プルーストの鐘塔、そして満月とアラジンの魔法のランプ

6月4日
おはようございます。久し振りに井の頭線に乗ったら沿線の紫陽花がもう咲いています。

プルースト、弍を持ってきたつもりが、いざ読もうとしたら壱。折角今日からスワンと覚悟を決めて出てきたのに…

6月5日
満月とアラジンのランプ…これを撮りたくて買ってしまいました。ユベール・ロベール展のときの会場で売っていた飾り用のランプ。満月の下でどう写るか、今夜を待っていました。

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@YUMIX_free 素敵なコメントをありがとうございました。

@fskipft りな様にそういって頂くとほんとうに素敵なんだって、嬉しいです!

人との交流は素敵だし楽しいけれどそれは一種のざわめきだから波が鎮まるまで本質が見えてこない。小川町の印象がまとまらなくて困っていたのだけれど昨夜の満月に照らされて鏡面のようになった心に浮かんだもの。それは仙覚の万葉集も慈光寺経も一級なんだということ。一級の文化だから私は…と。

昨日いつも応援して頂いている先生とお会いすることがあったらあちらから近づいていらして「頑張りましたね」と。光行の鎌倉下向を書いた先日の論文を見て頂いていたから。私の中でもこれで光行関係の追及は成就と思っている。昨日の満月…、頂いたお言葉がしみじみ嬉しく満願の気分でした。

夕焼けが凄いです@武蔵野市

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6月6日
青き夏の宵や…。毎年この時期この時間になると浮かぶ詩句。ランボー。高校の教科書にあった…。こんなにも沁みて覚えている。教科書の影響って凄いとその時々に思う。なほ冴ゆるの永福門院もそう。偏差値の教育ではこんなゆとりは育たないでしょうね。とりあえず、これからやっと自分の時間です。

6月7日
@Hirosh_athene 古典を古典としてでなく文学として感じたいと思います。たぶん、キーン先生も、高遠先生がプルーストのあとがきに引用された吉田秀和先生も、源氏物語は文学だったのだと思います。そうすると時空を超えた高みの世界で精神の高揚を楽しめますものね。

やがて、鐘塔の輪郭線や表面が、まるで何かの皮のように破れ、その中に秘められていたものが少し私に見えたこともあって、一瞬前には存在していなかったのに、いまや言葉で表現しうる、ある考えが浮かんだ。そして、つい先ほど鐘塔を見て感じた喜びが…(今日のプルースト 第一部コンブレーより1)

ますます大きくなったので、陶酔に包まれた私はもうほかのことを考えることができなかった。そのときである。すでにマルタンヴィルから遠く離れたところで振り向くと、もう一度鐘塔が目に入った。日が沈んだあとだったので、今度は鐘塔は黒々として見えた。ときどき、道を曲がると(プルースト2)

見えなくなった。それからもう一度姿を現し、ついにはまったく見えなくなった。(プルースト3

↑光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて』壱を終わり弐に入ろうとして、先日間違って壱を持って出かけてしまいました。実はこの鐘塔の部分、ツイートしたくてたまらなかったのですがおこがましいからとひそかに見送っていたもの。間違ったお蔭で改めて読み直してやはりと引用させて頂きました。

『失われた時を求めて』弐は、スワンの恋。壱と違って文章の引用など悠長なことをしていられそうにありません。この小説が時間をテーマに書いていて、壱と最終章が呼応しているなら、それがどのような文章になっているのか、途中を飛ばして早く見てみたい気も…

6月9日
@odayuriko 大学二年の村上菊一郎先生の授業で最初に覚えたランボーの原詩でした。Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers.Picoté par les blés, fouler l'herbe menue...
織田百合子さんがリツイート

@Thouartmore 息がとまるかと思うほどびっくりしました。RTありがとうございます。この呟きのあと丸善で他の方の訳をみて同じ詩とはとうてい思えず何度もほんとうにこれ?と読み返したほど。如何に翻訳が訳者の方で違うかを思ったのでした。この詩、ほんとうに好きです。

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研究会《大阪城を解剖する 地下・石垣・建物―新技術による復原の試み―》のお知らせ

仁木宏様から以下のようなお知らせをいただきました。

みなさんへ
 添付ファイルのような研究会を催します。まだ確かな成果を出すところまではゆきませんが、城郭研究の方法論としては結構おもしろいのではないかと思います。

 会場の都合で、ネットでの事前予約が必要です。たいへんお手数ですが、所定のHPからお申し込みください。昨日から申し込みを受け付けています。市民向けにも広報していますので早く定員が埋まるかもしれません。参加される方は早めに申し込んでください。

とのことです。以下、添付ファイルの内容です。

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大阪城を解剖する 地下・石垣・建物
―新技術による復原の試み―

日時 2012年6月23日(土) 13:30~16:30
会場 大阪市立住まい情報センター 5階研修室
    大阪市北区天神橋6-4-20   TEL   06-6242-1160
                     ・地下鉄「天神橋筋六丁目」駅下車 3号出口よりすぐ
 ・JR環状線「天満」駅から北へ約650m
    http://www.sumai.city.osaka.jp/data_upload/1298958113.pdf

主催 大阪市立大学都市問題研究
    「大阪城学術総合調査のための基盤的研究」
    大阪くらしの今昔館

開催趣旨
 大阪城といえば、その研究は尽くされていると思われているかもしれない。しかし城内は、特別史跡であるため発掘調査は容易ではなく、地下にどのような遺構が残っているのか、実はよくわかっていない。大阪市立大学では、地中レーダ探査、石垣のレーザー測量、過去のボーリングデータの再検討などを通じて、豊臣期大坂城の城郭構造や徳川期大坂城の建物構造の解明を試みている。本報告会では、そうした一連の探査・測量調査の内容について中間報告するとともに、本丸御殿復原の最新の成果もあわせて公開する。
 必ずしもいまだ十分な結果が得られているわけではないが、新しい技術によって今後どのような研究が進むのか、その可能性を明らかにしたい。

趣旨説明
仁木 宏(大阪市立大学大学院文学研究科教授・研究代表)

報 告
三田村宗樹(大阪市立大学大学院理学研究科教授)
   「大阪城の地盤構造の再検討―地中レーダ探査とボーリングデータを用いて」
岸本直文(大阪市立大学大学院文学研究科准教授)
   「大阪城本丸の現状記録・御殿探査・石垣調査の試み」
谷 直樹(大阪市立大学大学院生活科学研究科教授・大阪くらしの今昔館館長)
   「徳川再建の大坂城―本丸御殿とその障壁画の再現」

参加費 無料

申し込み   先着50名
インターネットか往復はがきで要申込。締切りは6月17日(日)
詳細は、大阪くらしの今昔館のHPをご覧ください。
  https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/30629

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2012.6.3 埼玉県比企郡小川町の図書館に設置された「おがわ仙覚万葉コーナー」…ツイッターの連投を転載

埼玉県比企郡小川町の図書館に昨年設置された「おがわ仙覚万葉コーナー」の写真を10枚連投させていただきます。

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↓ 展示壁面1 @おがわ仙覚万葉コーナー

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↓ 展示壁面2 @おがわ仙覚万葉コーナー

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↓ 展示壁面3 @おがわ仙覚万葉コーナー

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↓ 昭和三年、仙覚は宮内省より従四位を贈られました。仙覚の偉業がこの時代になってもまだ認められ称えられるなんて!贈位を伝える宮内省からの通知の写真です。

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↓ 昭和三年に贈られた従四位の位記の写真。これだけの偉業の人、仙覚…。私たちはもっと仙覚を知り価値を共有すべしと痛切に思ってやみません。

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↓ パンフレットのなかの「仙覚の偉業」のページ。晩年の仙覚が鎌倉の北条実時に夏梨を贈った自筆書状の写真が載っています。小川町で『万葉集注釈』を完成させた後ですからきっと小川町周辺の梨なのでしょうね。

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↓ 仙覚が後嵯峨天皇に『万葉集』を奏覧した奏覧状の復刻版も展示されたという展示の新聞記事…この復刻版の存在、知りませんでした。いつか見せて戴きたいもの…

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↓ 展示壁面4 @おがわ仙覚万葉コーナー…仙覚顕彰碑と万葉の花の写真パネルが飾られています。

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↓ 最後に小川町図書館の全景を! 新しい綺麗な図書館です。小川町ではNPO法人の方々による仙覚万葉まつりが毎年開催されていて、参加者は小川町特産の和紙で作った万葉の衣装を着て歩きます。

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↓ これは昨日小川町で見せていただいた紫草の原種です。二年目のものだそう。

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2012.6.2 ツイッターの呟きを転載…プルーストの文章とユベール・ロベールのこと、雪舟「山水長巻」のこと等

5月22日
久しぶりにプルーストを読みました。今まで何回も読もうとしては入っていけなくて中断していたもの。原稿が終わって思考回路が修復されたらなんでこれが読めなかったんだろうと。光行の件がぎっしり詰まっているあいだは物理的に他が入る隙間がなかったみたい。この世は結構物理なんだと思います。

で、今日印象に残った文章は「小説家の着想がすばらしいのは、魂が入り込むことのできない部分を、同じ量の非物質的部分、つまり、私たちが同化しうる部分に置き換えることを考えついたという点にある」。結構プルーストも物理的思考をします。だから好きです。スワンの恋はまだ入るには余裕が足りず…

5月24日
実人生であれば、そのうちのいくつかを知るだけでも何年もの時間が必要だし、最も強烈な幸福や不幸などは、あまりにゆっくり形成されるために私たちには知覚することすらできず…今日のプルースト「第一部コンブレー」より

↑ そうなんだなあ~って、しみじみ思いました。この前後で風景についても同じように語られるのですが、作家によって切り取られた風景が現実の風景より「はるかに大きな影響を私の思考に与える風景」と言っています。先日のユベール・ロベールの絵が私に与えた強烈な印象と相俟って納得しました。

そういえば、ユベール・ロベール展以来、私が見るあたりの景色は、ロベールの絵のような切り取り方で認知されています…。これってとても不思議です。

風間賢二 ?@k_kazama
今日はユベール・ロベールの誕生日。18世紀フランスの画家。廃墟や古代建築物のある風景画で有名。彼に関するドキュメンタリーを発見。監督は名匠アレクサンドル・ソクーロフ。廃墟の監督タルコフスキーに見出されたソクーロフらしい内容と映像だ。英語字幕http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=hubert+robert+a+fortunate+life&source=web&cd=3&ved=0CGYQtwIwAg&url=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DxagQeWt12lQ&ei=EF27T5DsFOaDmQWwlJ3XCQ&usg=AFQjCNHnJljKyPYydPYSLcYrA9kPtaw_6w

5月25日
それぞれの庭では、月光が、ユベール・ロベールの絵のように、崩れかけた白い大理石の階段や噴水、半開きの鉄柵を撒き散らしているかのようだ。月光は電信局をも破壊してしまった。もはや、半ば折られた柱一本しか残っていない。だが、そこには不滅の廃墟の美しさがあった。(第1部コンブレーより1)

駅前大通りは、そっくりコンブレーの公園として造り直されたときに、犬の鳴き声の間に身を潜めたに違いない。どこにいようと、犬が吠えはじめ、それが反響して互いに吠えあう声が聞こえてくると、すぐに私は駅前大通りの姿を認めるのだ、月光に照らされたあの菩提樹の歩道とともに。(コンブレー2)

↑ この美しい文章に逢うために読み進んできた…と絶句するような文章。遠いどこかに響きあうものがあるような広がりあるプルーストのこういう文章には、ほんと、どきどきします。

雪舟の山水長巻を観てきました。会期が原稿の締切と重なってたので場合によってはと諦めていたのですが、今日無事に。16m一挙公開、しかも見逃したら山口県まで行かなければなりません。行けて良かった…

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雪舟の破墨山水図は小品だから展示しやすく何回も観ているけれど、山水長巻はそうはいかなくてはじめて。これを観たいと思ったきっかけの文章が何だったかどなたのだったかどうしても思い出せないでいる。でも、その文章のお蔭で山水長巻が私にとって特別のものになっている。その文章に感謝!です。

破墨山水図が好きで等伯の松林図が好きでそれが水墨画と思っていて山水長巻図を見るとその荒削りにびっくり。でも購入してきた別冊太陽の「不合理なところも腕力で乗り切る。それが雪舟」で納得。先ほどの忘却の彼方の文章も絵画論でなく人物論だった。さらに水墨画関連でなく何かの継承者として…

5月26日
@Thouartmore 恐縮してしまいました。ありがとうございます。そしてパリの空も嬉しいです。ロベールの空の水色が忘れられなくてそれが能裡にあったものですから、先日の引用のあとPCを閉じてから気がつきました。プルーストはロベールの絵のようといいながら月下の光景なんですね。

それをずっと引きずっているのですが、ロベールの絵の抽象性は時空を超えた遺跡が描かれていること。対して失われたでは現実の散歩道だから現実を超越するのに月光が必要だったということ?など考えています。どちらも素敵です。

あれほど入っていけなかった失われた時を求めて…、再開して今はすいすい進んでいます。といっても時間の合間合間をみてなので僅かずつですが、それでも文章につまづくことはなく、というより、長い長い文章の息継ぎに歩調を合わせてたどれるくらいに。プルーストは余裕回復のバロメーターみたいです。

6月1日
たぶん知的生活というのは、私たちのなかで少しずつ進展している。生活の意味も見かけも変えて」しまい、私たちに新たな道を開いたのが真理だとすれば、私たちはそうした真理をみつけ出すべく、久しい前から準備していたのだ。ただ、私たちはそれに気がつかなかった。(続く)

真理が私たちにとって真に意味を持つのは、それが目に見えるものとなった日、ないし瞬間からである。当時、草の上で戯れていた花々や日の光に照らされて流れて行った川の水――(今日のプルースト「第一部コンブレー」より)

かくして現在まで運ばれたそんな光景の一片は、ときとして他とまったく孤絶しているために、私の思考のなかでは、花咲くデロスの島のように定めなく浮遊するばかりで、それがどこの土地から、その時期から――あるいは単にどの夢から――来たのか言うことができなかった。さりながら、(続く)

私は、自らの精神の土壌の奥底にある鉱脈や、私が依然として自分の基盤を置いている鞏固な地層に思いを馳せるように、メゼグリーズのほうとゲルマンとのほうのことを考えているはずなのである。(今日のプルースト2 同じくコンブレーより)

↑ ずっと以前ドキッとした文章というのはふたたび読んでもドキッとするものなんですね。文章に好きな質感というのがある気がします。久しぶりにこんな時間まで起きてしまいましたが、堪能。贅沢な気分で少し就寝します。

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2012.6.2 ツイッターの呟きを転載…論文「源光行の鎌倉下向と一時上洛」の完成まで

5月14日
久しぶりに、昨年の『源氏物語と鎌倉』の刊行以来本当に久しぶりに真剣に原稿と取り組んでいます。あまりの多忙で神経がすり減っていて書く態勢に入っても螺旋状に入っていかなくて苦しみました。やっとここ数日糸の端緒をつかんだかな?と。こうなればあとは手繰り寄せるだけなので楽です。

源光行の鎌倉下向と建仁二年の一時上洛について書いています。これはもう結果を『源氏物語と鎌倉』の第一部書き下ろしで書いていますが、その論証。単行本にするのが先で論証が後というおかしな展開ですが、それだけ『源氏物語と鎌倉』の刊行が異例な状況だったということ。勢いがあったので乗りました

@beautyrancontre ありがとうございます。思いがけない方からの励まし、思わず目を疑って涙ぐみそうになりました。書くことは孤高で覚悟していますが、いつのまにか活字が広がってくれていたのですね!ここでもまたツイッターに感謝です。

5月19日
@hmikann 仙覚本のRTありがとうございました。今光行の建仁二年の一時上洛について書いています。私の中では論証が終わっていたのですが『源氏物語と鎌倉』には載せられなくて第一部書き下ろしに結果だけ先に書き流していたものです。今日が大詰め。頑張れば終わるので頑張ります(笑)

光行の一時上洛の時期についての原稿、ざっと書き終わりました!これからプリントして校正します。二日くらい寝かせて送付します。作者は最初の読者だから謎解きの醍醐味にたっぷり浸っています。

もう10年も「河内本源氏物語」の歴史に関わって光行の人生をみているのだけれど、光行その人の人物像が浮かんでこなくて俳優さんを誰にするかまったくお手上げでした。今回具体的な活動や立場がわかったら俄然イメージも浮かびそうです!

光行は地下の役人で時代に翻弄されて捕まったり、子孫が光行の功績を奪い合って争ったりしているから侮られて、定家が盗まれたと書いている源氏物語を盗んだ犯人にされたりで、私はずっと憤っていました。ネームバリューが低いと低く評価されるのは現実でも同じかもしれませんね。光行は立派でした!

5月21日
原稿を校正しています。今日発送の予定でしたが金環日食でペースが乱れてまだ。令着六波羅新御亭 故池大納言頼盛卿旧跡→これは初上洛した頼朝が宿所に到着した『吾妻鏡』の記事。上洛時の宿所は六波羅でした。頼盛卿旧跡…、大河清盛が重なりなんかリアルで胸が痛みます。論文が大河と重なるなんて…

「河内本源氏物語」の源光行は祖父忠盛の代から平家に仕えていた家柄。家貞に祖父の姿を重ねて大河を見ています。もう少ししたら清盛に仕える叔父季貞が出るかもしれません。源大夫判官季貞です。大河はそろそろ定家と光行が誕生する時代。清盛が太政大臣になったとき、定家は六歳、光行は五歳です。

原稿の資料に「六条若宮社」を使いました。為義の屋敷跡に頼朝が石清水八幡宮を勧進した社だそう。久保田淳先生によると光行は歌合を勧進してここに奉納したと。光行と頼朝を繋ぐ線です。ここでも為義に大河の俳優さんが重なって…。私はまだ行ってませんので今度はと思っています。

@fskipft ありがとうございます。久しぶりに籠って書いて出版以来の疲労がとれました(笑) 書く行為はいっときは苦しみですが入ってしまうと何よりの思考整理術・精神安定剤ですね。

5月23日
もう発送完了のはずの原稿、昨日終日タイトルの件で右往左往していました。私としては当初の目的の難問解決で満足しているから、途中で派生してわかった別の新事実は付録の気分。でも昨朝ある方にタイトルは中身は予測されるものにと指摘されて…。でも最初のタイトルが気に入っていて動かし難く…

客観的にみれば別件で浮上した新事実のほうがはるかに重要。なのに、そうですか、なら…とは簡単に変える気にならないんですね。終日考えて、あきらめがついたところで、結局変更。『源氏物語と鎌倉』でも論考の一つに「タイトルに現れていない仙覚の人生が面白かった」と感想を頂いたことが。私の癖?

というか、書くことで深まって追及の度も深まって、日常次元では考えてもみなかったことが意識の深層から浮上してくるということなのでしょうね。だから深層に沈んでいたものの方がはるかに重要なのも致し方ないこと。書く本人には不本意でも読者の方にはなんの痛痒もなく新しいタイトルが当たり前に…

@mayumi_nishino ありがとうございます!締切日とにらめっこで攻防しています。思い込んでいると自分では気づかないんですよね。何故光行が鎌倉に来たかもわかったんですよって申し上げたら、相手の方が?となって、それはタイトルに入ってないの?と。風穴を開けていただきました。

↑ ひどい話ですよね。自分の感情を優先して客観的に重要な史実の解明には価値を置かないなんて(笑)今返信を書きながら吹き出してしまいました。やっと皆様と同じ地平に立ちました。(笑いがとまらなくなりそう…)

5月24日
とてもたらたらして過ごしているけれど頭のなかではずっと原稿の着地点を考えている。脱稿してあとは送るだけになっても要旨を書く気にならずそうしたらタイトルの変更問題に。原稿も少し書き変えて一日たった今日、気がつくと頭のなかに要旨の文章が流れている。ああ、これで完成とようやく思う。

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2012.6.2 ツイッターの呟きを転載…5月21日の金環日食

5月21日
7:43のようす:黒いフィルムとカメラをもってのいい加減な撮影ですが

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金環日食:@三鷹市です 観ていて涙ぐみそうになりました。

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太陽の黒点が写っています…。写真を撮る行為は一旦機械を介在させるので日食は撮らずに浸ろうと思っていました。なのに家人が直前になって真っ黒に現像した4×5のフィルムを出してきて、それから一挙に撮影モードに入って…

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撮影はふつうのコンデジにその黒い4×5のフィルムをレンズの前に密着させてというもの。わたしとしては木叢にそよぐ三日月形の影…のようなものなら撮りたいと思っていたのに…。でも黒点の写真は嬉しい…。黒点がない三日月形の太陽は三日月を撮ったのと区別がつかずうっかり三日月と…

これが三日月形の太陽…。金環になってゆくときのなので上の方が欠けています。黒点の写真は終わっていくときなので下が欠けています。各地の金環日食の写真を拝見していると、多摩地区はほぼ中心線の下だったよう。金環のなかの太陽の位置が真ん中でした。

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