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2012.6.19 ツイッターの呟きを転載…川端康成学会(於鎌倉)で伊井春樹先生のご講演を拝聴して六浦路を

6月10日
六浦路探訪再開。感覚が遠のいているので現代語訳吾妻鏡を読んでいる。貴志正造訳で頑張っていたのだけれど現代語訳にしたら小説のように楽。実朝の時代から頼経まで、大慈寺から明王院まで、寺院から探る鎌倉の歴史。と、こう書いていてやっと感覚が戻りそうな感。鎌倉に向かっています。

建永元年6月16日、公暁、鶴岡若宮別当の坊から尼御台所の御邸宅に渡られ、着袴の儀式があった。→たしかこのとき公暁は七歳。三年前比企の乱で両親を殺され、若宮別当の尊暁に預けられた。竹御所は妹。このとき竹御所は政子に育てられていたから、この儀式の時兄妹はほぼ三年ぶりの再会?

宗尊親王の御所があった一帯に拡がる空@鎌倉若宮大路

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川端康成学会、伊井春樹先生の川端康成と源氏物語を拝聴。終わって出てきたところです。充実したいいお話でした。帰ったらご紹介させて頂きます。思いかけずまだ明るいのでどこかに回ろうか、思案しています。

鎌倉からバスに乗って六浦路を。朝比奈の峠にさしかかっています。

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六浦湾が見えてきました。ちょっと暗い…もうこちらは横浜市金沢区です。

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途中下車して上行寺東遺跡に寄り道。京急線を見下ろす高台にあります。遠くに見える尾根の中央のV字に切り取られたところが朝比奈切通。その向こうが鎌倉です。

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↑の写真ので、右手に写っている山中に吉田兼好が庵をあんで住んでいました。徒然草に六浦という海のかねさわというところに、というような段があるその六浦です。兼好は金沢文庫で研鑽を積みました。

帰宅しました。先程携帯からアップの吉田兼好の庵跡がある山中…、コンデジですがもう少し見やすい画像を。左下は日蓮上人ゆかりの上行寺。右手上がライオンズマンションでその前に遺跡のレプリカがあります。

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上行寺東遺跡のレプリカです。樹脂でかたどられて設置されています。保存運動が叶わず遺跡は破壊されてしまい、わずかにこのレプリカが残されました。中世の一大墳墓群です。網野善彦先生・石井進先生方が大集結の保存運動だったのですが。

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6月12日
しばらく動の世界で動いていたらやはりどうにも路頭に迷う感。充実は澄んだ言葉の中にしかないかのよう。今日は終日スラヴァを聴いて過ごしました。思い出すことあって…。日々の記録、なんということもないけれど書いています。ふと気づいて見たら五月中旬から真っ白。それを埋めて過ごしました。

日曜日の鎌倉に意味もなくたまたま手近にあったコンデジを持って出て、またたまたま六浦路を通って帰りたくなり、そうしたらかつて通った懐かしい上行寺東遺跡に立ち寄ることになり…、こんなことなら一眼レフを持って出るのだったと、まだ画質の悪い写真の気分の悪さを引きずっています。

上行寺東遺跡には岩盤で彫られた阿弥陀様があって、西を背に座しておられます。遺跡で判明した常行堂からその阿弥陀様を拝すると沈みゆく太陽に向かって行をすることになり、日輪観の場でした。阿弥陀様は発掘時から首がなく、その阿弥陀様が鎌倉を背に座しておられるのを見ると実朝のような気分に…。

この遺跡も、鎌倉も、写真を撮る目的で撮ったことがないからすべてスナップ。いつかゆっくり写真を撮るだけの目的で周りたいと改めて思いました。

采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたずらに吹く(志貴皇子)…最近呟いている上行寺東遺跡、私にはこの歌と切り離せない思い出が。遺跡を辞める決意をしたとき最後に一人この遺跡を訪ねました。遠く朝比奈切通を見遣っていたら突然風に煽られ、立っているのも危うくヒヤッとしたときにこの歌が

脳裡をかすめたんです。そうしたら突然「白拍子の風」という小説のタイトルが浮かんで、采女の時代と白拍子の時代と、遺跡の室町期、そして現代の、四代にわたる、三島由紀夫のような輪廻転生の構想が浮かんで…。そこには全編通しで風が吹きわたっている、というような。

白拍子の時代はもう書きました。そのときに吾妻鏡を読み京都を調べてそれから中世に嵌りました。嵌り過ぎて采女の時代や室町期にはとても及びそうもありませんが、人の頭上を吹きわたる風への思いは今も。その日地上に戻ったらどこにも風なんか吹いてなくて、一体あれは何だったのだろうと怪訝でした。

あまり考えたことなかったけど通史的な中世史に嵌ったのは小説を書き出してからだったんですね。必要で取材したり調べたから。遺跡にいたときはもっぱら陶磁器に嵌っていました。貿易陶磁といって宋の青磁・白磁など。毎年青学で行われていた貿易陶磁研究集会に行くのが楽しみでした!

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