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2012.7.18 ツイッターの呟きを転載…「花の蹴鞠」執筆再開→構想がだいたい見えてきました。竹御所を書けることに気がついて!

7月15日
朝焼けでした。撮っているあいだに地震がったよう。帰って知りました。お蔭でテレビをつけてあって「ママが好きな清盛の人が出てる番組やってるよ」と。白峯御陵を参拝される井浦さんを観ることができました。

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7月16日
永井晋氏『鎌倉源氏三代記 一門・重臣と源家将軍』所収の写真。比企氏生き残りの円顕が…。仙覚とは一歳違いの叔父で、『万葉集』研究を志して上洛した仙覚を順徳院北面の武士に推薦した人物と私はみています。『源氏物語と鎌倉』P.128

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7月17日
おはようございます。中央線から見る今朝の車窓は青空です! 遠くの白い雲は北の空です。

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応挙の藤花図と近世の屏風展ポスター

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不思議な色の空でした:7月17日の夕景

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宮城県美術館ポスターコレクションシリーズのブッククリップ:今日お土産に頂きました。

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ひとつひとつ用が片付いて身軽になってくる。今日またひとつ無事に用が終わった。ほんとうは専念したいことがあっても果たさなければならない責任がある分遠のく。でもそのあいだ頭のなかでは必死になって何をどう書くか探っている。結構これがいいのかもしれない。醸造ということで。理でなくなって。

中断した最後が比企の乱だったから次は実朝と光行を書くと決めたのは一昨日。どうそれを料理するか一生懸命考えていたのですが、なんと結論は、竹御所を書く! 比企の乱が終わって実朝→なら、同時期赤ちゃんだった竹御所が政子に引き取られて御所にいた。実朝・光行・竹御所が一堂に会する空間です!

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2012.7.15 ツイッターの呟きを転載…「花の蹴鞠」執筆再開に向けて

7月11日
気持ちを「花の蹴鞠」に切り替えるべく、連載のコピーを冊子のかたちにして持ち歩くことにしました。11回まで進んでいます。これを書いている途中に仙覚とは誰かの解明があったりで、いずれ大幅に手を入れなくてはならないようです。

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玉川上水の山百合と甘草。歩くと出会います。

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7月12日
「花の蹴鞠」を再読中です。一回8枚の連載で11回だから88枚。いっぺんに読みとおすにはちょっと。自分で書いておいて忘れていることも。最後の方は仙覚が誰かなど論文や講演準備の合間に書いているから情が入ってなくて理が。これからどう繋げるか昨日は暗澹とした気分で眺めていました。

主人公飛鳥井雅経は源平の争乱の時20代。鎌倉で結婚して後鳥羽院に召されて帰洛して『新古今和歌集』撰者に。と、ここで中断。で、これから『平家物語』編纂の話になるのだけど、仙覚がそろそろ順徳宮廷にくる頃。順徳院も読まなくては。今日は後鳥羽院を読もうかな、それとも慈円?という状況です。

今春聴氏『順徳天皇』。仙覚を調べていたときにとったコピー。改めて出してみました。

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先のツイートの今春聴氏『順徳天皇』。今東光氏でした。略歴に「感ずるところ有りて仏門に入り、即ち東光を改めて法号春聴を名乗り、天台宗権律師たり」とあります。仙覚も権律師でした。仙覚が登場するか期待しつつ拝読したのですが身を隠して生きる仙覚が表舞台に登場するはずはありませんでした。

「花の蹴鞠」、蹴鞠で召されて後鳥羽院寵臣になった雅経だからこのタイトルにしたものの、『新古今和歌集』選集に巻き込まれて蹴鞠が影を潜めてしまったと思っていたら、後鳥羽院の『承元御鞠記』はこれからでした! 院は新古今が終わったあと蹴鞠に熱中されたようです。

7月13日
【承元御鞠記】承元二年後鳥羽上皇第の蹴鞠の宴の盛儀を伝える絵詞(『群書類従19 管弦部 蹴鞠部 鷹部 遊戯部 飲食部』)→いずれ図書館でコピー!

溜めていた資料を見ています。だいたいは把握していても正確には掴んでいないから、いざ出して詰めてみると、そうだったのかと、俄然時代が新しく見えてきます。そういうなかで雅経夫妻が生き生き動き出してくるといいのですが…

7月14日
第11回で中断している「花の蹴鞠」。再読しているのですが第10回と第11回は年代が前後していると判明。これは昨年の執筆で鎌倉生涯学習センターでの講演やそれに続く出版で大変だった時。冊子に綴じて読んでいて?となり、入れ替えたら筋が通る。これで少し先の目処がつきました。次は実朝です。

気持ちがはやって、『新古今和歌集』編纂を書いたから次は後鳥羽院の蹴鞠と、そして承久の乱へと思いましたが、入れ替えて最後になった第10回は比企の乱。実朝はまだ将軍に就任していず、光行もまだ鎌倉。そんな訳で当分まだ鎌倉を書かなくてはなりません。でも竹御所を書いた直後なので楽しみです。

ほんとうに気持ちがはやって、早くこの華やかな大河の流れを完成させたく思うのですが、京・鎌倉を文化の交流で繋ぐ小説は今まであまりなくて、事件や人の心の暗部を探り出すのにひとつひとつ時間がかかる。そんな訳で完成は予測からどんどん離れて遅くなるばかりです。

7月15日
今日は終日雲を撮っていたいような空でした。

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もう一枚空の写真を@井の頭公園

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先日都幾川に行ったときに、周囲を取り巻く山々に霧が発生していたりして霊気を感じ、同じように木々がいっぱいでも公園は都会化して霊気を感じたことがないなあと寂しくなりました。が、ここのところふっといつも通る便利な道を迂回してみたら、少しはあると思いました。少し、迂回を楽しみます。

花の蹴鞠」は、終日源家将軍について読んでいて思いを集中。少し書く気分が乗ってきました。たぶん、実朝と光行を書きます。永井晋氏『鎌倉源氏三代記』など拝読していますが、私が関心を寄せる光行や竹御所についてはあまり書かれてなくて、やはりこれは私が書くべき方々なのだなあと。

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2012.7.12 ツイッターの呟きを転載…都幾川の帰り、「花の蹴鞠」執筆再開へ、歌枕「沖の石」「末の松山」などのこと

7月7日
都幾川と小川町で午前と午後に一回ずつ仙覚さんのミニプレゼンをさせて頂いて今は一人珈琲タイム。くつろいでいます。ここ何回かこの町に通ったのに毎回用事をこなして帰るのが精一杯。今日は皆様と別れたあと、思いついて雨の中、仙覚さんの顕彰碑に行って撮ってきました。心がほっとしました。

往路は読む気分でなかったけど、やっと落ち着いて持ってきた本を読みたくなりました。小川靖彦氏『万葉集 隠された歴史のメッセージ』。ゆっくり拝読する時間がなく棚に飾ってありました。仙覚さんの事はあまり出てきませんが、私の好きな学問探究の世界です。

吉祥寺に帰ってきました。なんか、とてもはるばる旅をしてきた気分。そうよね、万葉の時代にトリップしてきたのだもの、と。

疲労感はないのですが思考が停止しています。で、残しておきたいことを少し書いて休みます。午後のプレゼンのあと、男性が一人寄ってらして、「今まで合戦というと誰と誰が戦って…ばかり見ていた。合戦によって運命が変わった人がいて、その人たちが作った文化があるという話はとてもよかった」と。

そしてまた別の男性も、「貴女の視点はとてもいい」と。「思いが伝わってきた」とも。私は「思い」を伝えたかったし、当時の人の思いを共有することでその人たちの過酷な人生を理解できるし、その上の「文化」の凄さを知ることができると思っているので、そう言って頂くことができてよかったです!

文化は守らなくてはいけないと思う。芸術はパトロンがあってはじめて豊かになるもの。歴史を見ても豊饒さはみんな時の権力者がバックアップしたからこそ芸術家が技能を活かし、私たちがその恩恵を湯浴みしている。今の世の殺伐とした行政をみていると、このままでは恐ろしいと思います。

万葉集でいうと、仙覚が最後の152首に訓点をつけ終わって今の『万葉集』になった訳だけれど、仙覚がそうできたのも将軍頼経に万葉集の校訂を命じられたから。個人では入手不可能な諸本を与えられてかかることができたからです。仙覚がいなければ今の万葉集はないけれど、その上の頼経もまたです。

7月7日  Hiromi TAKATO
まつたく正論だと思ひます。御礼申し上げます@odayuriko 文化は守らなくてはいけないと思う。芸術はパトロンがあってはじめて豊かになるもの。歴史を見ても豊饒さはみんな時の権力者がバックアップしたからこそ……。今の世の殺伐とした行政をみていると、このままでは恐ろしいと思います。織田百合子さんがリツイート 

織田百合子
高遠先生、ありがとうございます。日々心を痛めています。微力ですがとにかく「文化」を訴えていかせていただきます。

7月9日
7日にプレゼンさせて頂いた埼玉県比企郡ときがわ町。お昼を頂いたのがやすらぎの家といううどん店。冷汁のたれで頂いたうどんのおいしかったこと!このお店で7月21日に小室等さんのコンサートがあります。

やすらぎの家は「100年以上前に建てられた古民家を移築した農山村体験交流施設」だそう。風格ある大きな古建築で思わずワァと歓声をあげてしまいました。うどん店でコンサートと聞いていたときは???でしたが、土間も広いギャラリーもあるここならと納得しました。

冷汁(ひやじる)は地元の方々の日常食とか。作り方を伺いました。擂鉢で大量の胡麻を摺ってそこにお味噌を入れて混ぜながらさらに摺る。そこに刻んだ胡瓜や茗荷などたくさん入れてそれを摺りコギでとんとんとんとん潰すのだそう。朝作っておいてお昼にご飯にかけて頂くそうです。

都幾川では「木のむら」という洒落た手書きの看板をあちこちに見ます。山の中のひっそりした佇まいが素敵で古民家を買って移住される方が多いよう。鎌倉的文化人の方が増えているのかも。たぶんこれからそうやって移られた丹後局の子孫という方にお会いさせていただけそう。歴史は歴史を呼びますね。

やっと7日の疲れが抜けそう。充実した手応えがあったから直後の疲労はなかったのにだんだん頭が満タンでずっしり重くなって思考停止状態でした。こうやって今朝のツイートで情緒が戻ってほっとしました。新しくまた活動開始です。

寧々房の澤井さんが撮ってくださったプレゼン中のスライドの一枚。『源氏物語と鎌倉』のP.50の部分です。「さすがカメラマン。ご自分で撮られた写真で、実況中継? わかりやすいんだな、これが。^^v 難しかった活字の世界が、一気に絵巻物を解いたようになりました。」とは店主澤井さんのコメント。そうなんです。漢字だらけの本を読むのと大違い。映像と語りで聞くと『源氏物語と鎌倉』は決して難しい学問の世界ではありません。

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7月10日
講演や本のこと等ひとまず一段落したので久しぶりに「花の蹴鞠」を読み返しました。第一回が2008年6月の執筆。飛鳥井流蹴鞠の祖雅経が頼朝に仕えるところからはじまっています。頼朝と比企尼の長女丹後局の関係を書く必要から比企の乱を調べたのが2010年。それが奇しくも仙覚研究の発端に。

それは「北条実時と『西本願寺本万葉集』」の論文になり、そのあいだに「花の蹴鞠」の雅経は上洛して『新古今和歌集』の撰者に。といったところで2011年になり、講演・出版と多忙が続いて「花の蹴鞠」は第11回で中断していました。

読み返して、最初期はこんなことを書いていたのかと、我ながら興味津々に読み耽ってしまいました。丹後局の魅力が大きいかも。やはり文学はファム・ファタルの存在にかかるといっていい。その後の「花の蹴鞠」に魅力ある登場人物はなく、少々理が勝っているなあと反省。軌道修正しなくては!

丹後局は比企尼が頼朝の乳母だったことから頼朝とは筒井筒の仲。頼朝が伊豆に流されたあと二条宮廷に女房として出仕。結婚して島津忠久を産むが、頼朝に呼ばれると離婚して忠久を連れて鎌倉に下向。安達盛長と結婚したあとも頼朝の来訪は続き景盛を産む。と、比企氏の女性はどなたも魅力的です。

ちょうど大河清盛が二条天皇の時代で、画面に帝が写しだされる度に丹後局の存在を思ってしまいます。二条院には讃岐という女流歌人がいて、彼女は源頼政の娘。やはり画面の平治の乱で頼政が出ると讃岐を思う、といったように大河清盛は「花の蹴鞠」と暗に同時並行して面白くなっています。

わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなしの歌で「沖の石の讃岐」と称された二条院讃岐は、後年出家し余生を静かに暮らしたいと思っていたのに後鳥羽院に「新古今集に女流が足りない」と呼び出されます。念仏の妨げになると仲間とぶつぶつ言い合う様子が長明の無明抄にあって面白いです!

7月11日
昨夜二条院讃岐の沖の石のツイートをしましたので、歌枕「沖の石」の写真を。宮城県多賀城市にあります。写真のように住宅地のなかにある海浜のような石の一画。ふしぎな光景でした。

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「沖の石」の近くに同じく有名な歌枕「末の松山」があります。徒歩で行き来できる距離。でも昨年の震災では沖の石に津波は到達たけれど、末の松山は無事だったとか。これは末の松山が高台にあるからです。その高低差は記憶にも目に鮮やかです。

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「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」の清原元輔の歌は従来比喩のように言われていたのが、昨年の震災で俄然リアルな津波を歌っているとなりました。現地に行けば直感でわかりそうなものを文学をただ文学として扱っていることのもったいなさを思いました。警鐘がそこにあったのに。

朝焼けの名残りの空

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水色の空に白い月:早朝の半月。5時3分の撮影です。

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青い空に白い筋雲。綺麗ですが風が吹き荒れて空も荒れて見えるので撮ってきました。そうしたらもうトンボが群れていました。でも左上に一匹、蜂がまぎれて。

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空が吹き荒れる日は注意しています。それで撮りに出たのですが、太陽にかかる雲にも虹色の暈ができていました。

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今日の夕方の空は雄大でした。ちょっと騒然…@井の頭公園

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吉祥寺駅から丸井の脇を通って井の頭公園におりる階段、だいぶ前から工事中だったのが完成して広場みたいになっていました。

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今日の空2:西の空にレンズ雲が。当地でレンズ雲を見るのは珍しいです。

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2012.7.11 プレゼン用に編集したスライド【双子の写本がたどった運命~仙覚と『万葉集』の歴史~】をYoutubeにアップしました。

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7月7日に埼玉県比企郡の都幾川と小川町で、午前と午後のそれぞれ一回ずつ、30分ほどのミニプレゼンをさせていただきました。

スライドは全部で42枚。それをスライドショーにしてYoutubeにアップしました。ご覧になっていただけたらと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=ev1vVqCLfl8&feature=youtu.be&a

タイトルは、【双子の写本がたどった運命~仙覚と『万葉集』の歴史~】。仙覚さんの地元で、仙覚さんの偉業をご紹介し、普及して、地元の皆様に仙覚さんを称えて喜んでいただきたい一心のプレゼンです。

午前に行った都幾川の会場は、春に慈光寺を訪ねたときに知り合った寧々房さんのお店。店主の澤井かやさんが都幾川や隣町の嵐山、秩父の方々に声をかけてくださって、18名もの方を集めてくださいました。

澤井さんがブログに当日のようすを載せてくださいましたので、写真を転載させていただきます。

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と、上が店内でのプレゼン光景。
下は、春に行ったときに撮った写真です。

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↑ この仏像さんは澤井様のお作です。この店内が会場になりました。

午後は小川町図書館で。NPO法人仙覚さんの会の皆様に向けてお話させていただきました。

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終わったあと、一人の男性が寄っていらして、「今まで合戦というと誰と誰が戦って…ばかりに興味を持ったけど、合戦によって運命を狂わされた人たちがいて、その人たちによって作られた文化、というお話がとてもよかった」と言っていただいたのが嬉しかったです。

また、他の男性からは、「貴女の視点はとてもいい。思いが伝わってきた」とも。

思いが伝わっていただけたなら大成功!と思いました。

終わって、時間があったので、図書館から近くの仙覚さんの万葉顕彰碑まで行って撮ってきました。論文を書くための取材で一番最初に行ってから何回か小川町を訪ねているのですが、いつも用事を済ませるだけでいっぱいいっぱいで顕彰碑を訪ねる余裕がありませんでした。

久しぶりの再訪。雨のなか、重いプレゼン用の機材を引きながらの登頂(かなりきつい上り道です!)はふうふうしましたが、濡れた初夏の緑がしたたるようなすがすがしさに心も洗われました。

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仙覚さんの顕彰碑の場所を検索すると、たいてい「テニスコートを見下ろして建つ」とあります。その状況です。

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2012.7.8 『石山切 西本願寺本伊勢集』が・・・

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7月3日
書道店のワゴンに原色かな手本「石山切伊勢集」が。徳川美術館での展示図録は見開きで見るのが見辛くつい用があるときしか。これは屏風畳みの掌サイズでとても楽。こんなものが手に入るなんてと感動しつつ眺めています。

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綺麗なのでもう一枚ご紹介しますね。西本願寺本三十六人集のうち伊勢集は一番綺麗→なので資金調達のための断裁にあい断簡になって全国に散らばっています。

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2012.7.7 ツイッターの呟きを転載…フェルメールからプルーストへ

6月12日
霧が流れる湖面をさまよっていて岸辺に着いた気分、とこんなふうに書いてみたくなりました。プルースト『楽しみと日々』。高遠先生のご対談で豪華さに目をみはり、検索して文庫になっているのを発見し取り寄せました。スワンの恋にいく訳にいかないから思いついて持って出ました。心が落ち着きました。

悔恨・夢想・時の色…、この標題だけでもうときめいています。

時の色…。ユベール・ロベール展の副題は時間の庭、でした。なんて、時は、時間は、考えるだけでこう身を震わすのでしょう。

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日本初公開、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」をはじめ、レンブラント、クラナーハなど、ヨーロッパ美術の流れを網羅し、綺羅星のごとく光り輝くコレクション107点が展示される「ベルリン国立美術館展」が明日から始まります。

6月13日
今日の夕空 1:綺麗な水色の空に白い雲、オレンジがかった雲に灰色の雲、私の好きな空の出現です。

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今日の夕空 2:夕焼けも黄金色に輝きました。

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6月14日
今日の夕焼けは荘厳でした@井の頭公園

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6月24日
BSフジフェルメール特集で…。「デルフトの眺望」は、描かれた5分前では雨が降っていて屋根に光がなく、5分後では乾いて湿ってないから屋根が光を反射していない、という特別の時間を捉えた劇的な絵と。とにかく細かい部分の至るところに反射する光が描かれているからこその「デルフトの眺望」…

この発言の映像監督の人の言葉がまるでプルーストの文章を彷彿して、この方、プルースト論に影響されて?とか、プルーストはデルフトの眺望からこの言葉通りのことを受け止めて文章にしたの?とか、コロンブスの卵のようなことを考えてしまいました。

でもとにかくフェルメールの絵の反射する光の魔法。水面に反射する光、陽光にきらめく木々に、葉に、そして家々に、とはナレーションの言葉。画面がなぞる絵にはたしかにスーラの点描のような細かな反射する光が…。そんな視点で観たことなかったけど、たしかにあの光景は輝いていると思っていました。

デルフトの眺望で雨あがりの光景が光っているのは当たり前といえば当たり前だけど、例えば牛乳を注ぐ女でも、光るはずのない買い物籠やパン、テーブルクロスに至るまで、と、これもナレーション。そういえば光るはずのない籠にもスーラの絵のような点描の光。成る程と見入ってしまいました。

そして、これらナレーションが語る言葉に、ずっとスワン家の方へで読書する主人公が見た雨上がりの庭の光景や、鐘塔の西陽を浴びての繊細緻密な描写の文章が思い合わされ、とてもゆたかな気分でした。

BSフジフェルメール特集の件、続き。オランダの画家は光を追求した。レンブラントは劇場型の照明でメインにスポットライト的な光。顔の表情もすべて日常でなくドラマティック。フェルメールは映像作家型。日常の何気ない動きの一部分を切り取る。光も自然光的。牛乳を注ぐ女が典型的と。

たぶんその映像監督のコメントだったと思いますが、真珠の首飾りの少女には目と真珠と唇の3点に反射する光があって、そのどれ一つを無くしても絵の精彩が欠けると。実際に見せて下さいましたが、反射する光が3点すべてないもともとの絵はほんとうにただの上手な絵でしかありませんでした。

それで思ったのですが、文章にも上手だけれど訴えかける力の全くない文章ってありますよね。プルーストの文章はどこをとっても精彩を放っている。これって、文章にもフェルメールの反射する光のような魔法がどこかにあるのかも、と。それは何だろうと、具体的に何かあるのかしらと考えています。

これは最近ずっと考えていることです。単純に考えて、まずプルーストは花をよく使う…。カトレアは特異だけれど、山査子やリラ。男性作家には珍しいくらいにそれが柔らか。いい雰囲気を醸し出している。でも、誰でも花を描けば文章が輝く訳でないし、ダイレクトに花が反射する光ではないようです…

余談ですが、プルーストの好きな花ってみんな素敵。あるところで菊が流行っているので菊が飾られているのを見てスワンが不快に思う場面がありましたが、スワンの=プルーストの審美眼の繊細さを思ったのでした。

今日の一枚:夕暮れ近い井の頭公園の森

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ある方から頂戴したご文章を拝読していたら森有正氏『バビロンのほとりにて』を読んでいるときのような気分でした。なんか、今日はいろいろ懐古しています。

6月28日
今日は終日よんどころない事情で動いて情感ゆたかな生活とはすっかり縁遠い生活。仕方ないな、こんな日もあるとあきらめの境地でツイッターを覗いたら、アラヤ識の語。嬉しい衝撃。懐かしくなって隣の『意識の形而上学』を手に。大乗起信論…、わからないままに憧れました。薫習という言葉、好きです。

池の水面に射し込む夕陽が綺麗です@井の頭公園

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6月30日

真珠の耳飾りの少女のポスター@マウリッツハイス美術館展 東京都美術館 …印刷技術の時代って凄いですね。名画をコピーするのでなく壁にかかった本物を撮るような気分で撮るなんて。ポスターといえどみつめられてちょっと緊張

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スコットランドで夜光雲 http://spaceweather.com/submissions/pics/a/Adrian-Maricic-Forth-Bridges-NLC-1200_1340617800.jpg

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2012.7.4 7月7日に埼玉県比企郡の仙覚さんの故郷で『源氏物語と鎌倉』のプレゼンをさせていただきます!

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7月7日(土)に、埼玉県比企郡小川町とときがわ町で、午前と午後の二回、「仙覚と『万葉集』の歴史」のプレゼンをさせていただきます。一回30分のミニ版です。

今日はそれに使うパワーポイントの編集の仕上げをしました。上の写真がタイトルスライド。下は最後のスライドでご挨拶です。

内容は鎌倉のときの「光行と『源氏物語』の歴史」と同じですが、光行さんの部分を減らして、仙覚さんをメインにしました。

作っていて、同じ歴史なのに『源氏物語』をメインに作っていたときと、今回の『万葉集』が中心のとでは、作っている気分が全然違うのに驚きました。古典そのものの雰囲気が作用しているんでしょうね。『万葉集』を意識して撮ったり考えたりはしてこなかったので、イメージの膨らませようがなく困りました。

2010年11月に鎌倉で最初の講演をして、2011年10月にやはり鎌倉で同じく講演をし、そして『源氏物語と鎌倉』の刊行。

2010年のときにはまだわかっていなかったり、もしかして…と曖昧に浮かびはじめていたことが、2011年のときには結論としてお話できたり、そして、今回、比企の方々に向けて作ったパワポでは、前の二回と格段の差がついて深みと自信をもってお話できます。

思考は、発表の機会をいただいて成長するかのようです。『源氏物語と鎌倉』は学術書なので難しいとの苦情噴出でしたが、難しいだけでなく、私のなかでもこなれていなかったことは事実。刊行後に論文と掌編と二本、原稿を書いて、ようやく私のなかでもこなれて柔らかくふくよかになってきました。

今回のタイトル「双子の写本のたどった歴史」が浮かんだ今、『万葉集と源氏物語 双子の写本の謎』というのを軽いタッチで書いたら、結構面白くなるのではないでしょうか。「双子の写本」の語は今回はじめて使いました。これも、こなれた結果です!

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2012.7.2 ツイッターの呟きを転載…掌編「竹御所~花、萎れるままに~」を仕上げました

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6月20日
保留にしていた竹御所の短編。今日が〆切なのに気分を取り戻せなくてひたすら吾妻鏡を読んでいました。昨夜ふっと、あれを書いておかなくてはならなかったんだあ、と思い出した事が。これが詰まっていて先へ進まなかったよう。原稿は正直です。それにしても思考が融通効かなくなっています。

吾妻鏡は政子が亡くなったところ。その直後から二条教定が登場。飛鳥井雅経の次男です。母は大江広元娘。雅経と結婚して京に上るまで政子に仕えていたから葬儀に下向して、その際教定を伴ったのだろう。以後教定は鎌倉にとどまって親行や北条実時と交わり鎌倉の源氏物語を盛り上げていきます。

6月21日
安貞2年12月30日 朝から夜中にかけて雪が降り、一尺余り積もった。午後になって輿に乗られ、将軍家(頼経)は急に竹御所に出かけられた。御騎馬であった。駿河守・陸奥四郎・同五郎(北条実泰)…源式部大夫(親行)らが御供した。廻廊から帰られ、近辺の山中の建物を見て回られたという。

↑こんな条があったなんてと私には驚きの条。現在竹御所の掌編を進行中。竹御所は15歳年下の将軍頼経と結婚前から関係があったとするのがわたしの説。そこにこの条。このとき二人は26歳と11歳。二年後に正式に結婚するのですが、頼経は帰っても帰りたくなく近くを放浪なんてこの日恋に落ちた?

そして、供奉している人物に面白い発見。まず北条実泰は実時の父。病気で早く引退して実時に家督を譲ります。そして、こんなところに我らが親行の登場。伊賀氏の乱で一条実雅の上洛に勝手に従って幕府の逆鱗に触れ所領没収にあっているのに、いつのまにか許されて鎌倉に戻っています。

竹御所の掌編、未明まで頑張ったのですが今日はこれから出かけるので中断して少し寝ました。小説は論文と違って妖しいことを書くのでのってきたらもう異次元世界。これってこんな目的だった?と自分で目を白黒させつつ耽溺を楽しんでいます。帰って完成させて送信の予定。ほんとうに書き下ろし…

寛喜元年2月21日 風は静かであった。三崎の海上で来迎講が行われた。走湯山の浄蓮房が駿河前司(三浦義村)の招きにより、(中略)十余艘の船を浮かべてその上で来迎講を行った。見事な装飾は夕陽の光に照り映え、伎楽の音は夕暮れの波の響きに添うかのようであった。(現代語訳『吾妻鏡9』より)

↑ 『吾妻鏡』には珍しく美しい描写の条。竹御所が招かれて乗っています。27歳。頼経と結婚するその前年です。このあたり、美しい条が続きます。なにか二人の結婚に向けて鎌倉がほのめいているかのよう…(あくまでも個人的見解ですが)。この時期、竹御所は政子に代わる鎌倉殿の立場として君臨中。

同じく寛喜元年から綺麗な条をあと2例ほどご紹介。 3月15日 将軍家(頼経)が花をご覧になるために永福寺に出かけられた。水干で御騎馬であった。駿河守(重時)・陸奥四郎(政村)・同五郎(実泰)・周防前司親実・式部大夫(源)親行以下の二十余人が供奉した。

10月26日 将軍家(頼経)が蹴鞠をご覧になるために永福寺に出かけられた。御布衣で、御輿に乗られた。(略)これは相州が紅葉の林の中を選び定め、事情を申されて特別に準備したものである。(略)源式部大夫(親行)らが祇候していたので、蹴鞠が終わった後、その場で和歌の御会が行われたという

今日中に仕上がるはずの竹御所の掌編、日中はどうにも気が乗らなくてこれから。小説はどうしても夜、気配が魑魅魍魎とざわめいてからになってしまう。丁寧に吾妻鏡を読むことで見えてきた竹御所と頼経の不自然な結婚の真実。でも不自然なんかではぜんぜんなく、そこには真摯で美しい愛がありました。

6月22日
終わりました! 竹御所の掌編。我ながら一大スペクタクルシーンを観たあとのよう。最後はほんとうに苦しみました。書けなくて。でも『吾妻鏡』を読んでいて見えてきた世界。どうして今までこういう見方がされてこなかったのかしらと不思議です。ともあれ、これでやっと全部を放出し身動きとれます。

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