2012.8.25 ツイッターの呟きを転載…8月3日~5日・シャルダン展のこと、うらわざ展に写真を出品と奮起など
8月3日
シャルダン展が開催されるのですね。三菱一号館美術館で9月8日から。シャルダンもプルーストに啓示を受けて心酔した画家。「ロココ時代を生きた、この孤高の画家を紹介する日本で初めての野心的な試み」とか。楽しみです。http://mimt.jp/chardin/
最近紀貫之botさんをフォローさせていただいたらTLに?と思って立ち止まると紀貫之の歌。やはり紀貫之は違うんだなあと毎回実感します。言葉が粒だっていて反応し連鎖する世界。こんな難しい歌が古典の原点だということはよほどそれをこなして引用した平安文学者たちの知的レベルは高いなあと。
所属している文学の会でうらわざ展というのを企画しているよう。絵画、彫刻、陶芸なんでも、と。久しぶりに写真に挑戦しようかと思ったらもうテーマや構図を考えて頭から離れないでいます。三点の連作で、などと。まだ要旨も発表されていないのに(笑)
8月4日
夢中になって読み耽ったシャルダン。取り出してみました。新潮美術文庫。解説は黒江光彦氏。これから「食器棚」の項を連ツイさせていただきます。
一七世紀のオランダの「朝食画」などと呼ばれる静物画ならば、小綺麗なテーブルの上に、食べかけたりたべ散らしたりした様が描かれる。ところがシャルダンは、彼らがそう描くことによって人生の「虚しさ」をその背後に感じさせたものを、台所の食器棚というか配膳台のところに雑然と片寄せられた(続)
日常生活の一断面を捉える絵に変えてしまっている。食堂から取り下げてきたまま、あるいは買物籠そのままの、ありのままの情景なのである。上におうむみたいな鳥が残り物をさがし、それを犬が見上げている。このペットたちのあいだに流れる気脈が、精妙な光や質感の描出のみごとさに加えて、
この絵の魅力となっている。→いつも思うのですが、精妙な光や質感のある作品には同じく精妙な文章が練りだされ、読むものをして唸らせる気がします。
同じく黒江光彦氏「解説」より……シャルダンは、手のぬくもりをこめて静物画を描いた。身近にある物たちが、かけがえのないものとして日々の営みのなかで光を放っている。日常的な親密さを失うことなく存在の重みを増し、物たちは絶対化されて威厳を帯び、
生命をいとおしむ情感にみちあふれる。たんなる物が内省化を深め、真に「物たち」となる。
巨大な積乱雲が発生していました。宮城県沖の発生のようです。
8月5日
うらわざ展用の写真。ほぼ案が決まりました。ほんとうにその企画が実現するかは別として挑戦し甲斐のある画風なので取り組みます!
@mayumi_nishino 雲を見て思い出していただくなんて光栄です! 何故かほんとうに雲が好きなんです。鬱屈したときは撮りに出て雲を追いかけて帰ると気が晴れています(笑)。壮大ですものね。それにしても稀にみる壮観な積乱雲でした。
雲の写真は薄いグレーの雲が入ると青い空に白い雲が引き立つ。ただ青空と白い雲だけではいくら綺麗な空でもダメ。(あくまでも私の基準ですが)。グレーの雲にはどこか不穏を孕んでいるからかな、と思う。文学も毒がない文学なんて面白くもない。それと一緒かな、などといつも思います。
久しぶりの大降りの雨に大地が草木が潤っています。考案中の写真、どんどん膨らんでいます。