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2012.11.22 11月20日の雲の掲示板への投稿を転載…19日に発生した、新潟県の地震の前兆雲と三陸沖の気になる雲の経過

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↑ 先程ツイッターで「11月20日01時22分頃 新潟県上中越沖 M3.6 震度2 」が発生したと読んで、慌ててこちらに来ました。事後報告になるのか、後発があるかわかりませんが、19日日中、新潟方向に顕著な雲を撮っていました。画像を送らせていただきます。

中心がとぐろを巻くように噴き上がる巨大なコマのようでした。その両側に帯状放射の雲がありました。一枚目はまだそれほど顕著でない全貌で、14:26撮影。二枚目はその30分後の15:15撮影。三枚目はそのときの中心部です。

「1:22のM3.6」の前兆ならいいのですが、雲の大きさに比べて発震が早い気がします。

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↑ 実は、新潟の雲よりも気になる雲があって、それを撮りに出て新潟方向の雲を観たのでした。

最初に気になって撮りにでたのは三陸沖注意の雲です。北東と南東に架橋した雲が東の空に五線譜のように並ぶと警戒というのが私の経験です。久々にそれが顕れました。画像は左から「北東―東―南東」です。14:22頃の撮影です。通例では先に小笠原諸島方向でM5くらいの発震があります。そうしたら三陸沖注意と思います。(20日3:41記)

追記:22日11:24記
11/22 4:06に、伊豆諸島でM5.0の深発地震が発生したようです。
http://jishin.b5note.com/xn-cesq99l/11701/

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注:南東にM5クラスの地震が発生しましたので、三陸沖を懸念しています。

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2012.11.16 「11月16日17時26分頃 千葉県東方沖 M5.5 震度3 」が発生しました←11月14日に震源地方向に現れた雲

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↑ 11月14日14:30頃の東の空です。下から噴きあげるように雲が湧いて広がっていました。その少し前(30分前)に通ったときにはなくて、戻ってくる道すがら、あら、さっきはなかったのに、と驚きました。

こういう発生で連山のようになった入道雲は、だいたいM5規模の地震前兆です。これは入道雲の形状にならずに、とにかく噴き上がっていたので、どういうことかなあと思っていました。

今日、【11月16日17時26分頃 千葉県東方沖 M5.5 震度3 】が発生してこの雲を撮っていたのを思い出しました。

↓ この日は、30分ほど前に北北東(三陸沖方向)から北東(宮城県沖・福島県沖方向)にかけて、やはり噴き上がるように湧く雲が発生しており、東へ流れてきていました。上の写真の雲はこの空が一掃されたあとに発生したのです。

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【11月16日21時41分頃 宮城県沖 M3.9 震度2】が発生していますので、まだ要注意と思います。

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追記:11月22日記
その後の北の地震の発生状況は以下の通りです。M4規模以上が多発しているのが気になります。

■気象庁地震情報より

11月22日02時42分頃 宮城県沖 M4.8 震度4
11月21日09時22分頃 択捉島南東沖 M5.1
11月21日09時02分頃 岩手県沖 M4.1 震度3

11月21日03時55分頃 福島県浜通り M2.9
11月20日21時23分頃 宮城県沖 M3.6 震度2 
11月20日00時21分頃 岩手県沖 M3.7
11月19日19時01分頃 福島県沖 M4.2 
11月19日10時37分頃 釧路沖 M4.1 震度2
11月19日10時08分頃 根室半島南東沖 M4.2 震度2

11月19日05時01分頃 福島県沖 M4.1
11月18日23時51分頃 釧路沖 M3.3
11月18日22時11分頃 宮城県沖 M4.0
11月18日11時29分頃 宮城県沖 M3.8
11月18日01時41分頃 岩手県沖 M2.9
11月17日04時24分頃 宮城県沖 M3.4 
11月17日03時25分頃 青森県東方沖 M4.2

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2012.11.16 ツイッターから転載…10月後半、『世界遺産登録推進三館連携特別展 武家の古都・鎌倉』、フェルメールのカメラ、緑化フェア最終日のことなど

10月22日
朝から感動。『世界遺産登録推進三館連携特別展 武家の古都・鎌倉』の図録が届きました。知り合いの学芸員さんが思いがけず送ってくださって。いい図録ができたと噂には聞いていましたが、まさか頂くなんて…。三館がA4三面の屏風畳になっているチラシも素敵です!

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図録『世界遺産登録推進三館連携特別展 武家の古都・鎌倉』の目次は、第Ⅰ部「古都鎌倉と武家文化」鎌倉国宝館会場、第Ⅱ部「鎌倉興隆―金沢文庫とその時代」金沢文庫会場、第Ⅲ部「再発見!鎌倉の中世」歴史博物館会場、の構成。

10月24日
フェルメールのカメラ箱「カメラ・オブスキャラ」のファインダーに写る部屋。逆さまに写っています。右上がレンズと被写体の部屋がある方向です。簡易組み立てキットがマウリッツハイス展のミュージアムshopにあって思わず買ってしまいました。

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フェルメールのカメラ箱「カメラ・オブスキャラ」組み立てキットの状況。ボール紙でできていて簡単に組み立てられたのですが、本当に写しだされたファインダーを見たときには感動!しました。

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私がカメラ・オブスキュラに興味を持ったのはフィリップ・ステッドマン『フェルメールのカメラ―光と空間の謎を解く』から。フェルメールの描く部屋の構図の下絵はこのカメラによると綿密な考証がされていました。事実かどうかはわかりませんが面白かった。カメラが普及した現代の感覚からみると

(続)ファインダーに写った遠近そのままを下図にするなんて許せないと思ってしまいがちですが、フェルメールの時代の写真は高度な芸術。選ばれた人たちにしかカメラは手にできなかったはず。安易ではなく積極的に誇りをもってしたことも有り得るかなあと。写真が芸術であり哲学であった時代だもの。

写真がこんなに身近にしかも簡単すぎるほど簡単なものとして普及するなんて思ってもみなかった時代を経ているので、「写真」と思うと、即座に「古きよき時代」の言葉が浮かぶ昨今です。

10月25日
久しぶりにこの時間まで起きています。FBに武生の紫式部公園の写真を数枚upしました。http://www.facebook.com/odayuriko.f これはその一枚で、紫式部も眺めていた日野山。紫式部公園の見事な借景になっています。

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10月26日
鴛鴦が木の枝にいっぱい!信じられない光景 @井の頭公園

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10月27日
昨夕木の枝にいっぱい鴛鴦がとまっていた公園に、今日もいるかな?と思って行ってみました。半分ほどですが、いました!昨日はスマホでよく撮れなかったので今日はコンデジで。でも、望遠だと鴛鴦の動きについていくのが大変!

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十三夜の月が十五夜に次いで重要とTLで知りました。樋口一葉の十三夜、石垣りんの十三夜、と文学的な意味で感じてはいましたが。今日の十三夜の月は朧月。丸い暈がかかったり風情ありました。が、カメラの都合でこんなアップに。風情なくてすみません。

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10月28日
東京緑化フェアも今日が最終日。この素敵なチョコレートコスモスのガーデニングも見納めです。

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最後の今日になって今更ですが、このエリア素敵でした。

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今日はこれを撮りに行きました。野に咲く桔梗。緑化フェアの一画に桔梗と撫子、女郎花が植えられていました。フェア開始早々の時はまだ蕾。いつか撮らなくてはと思っているうちに最終日。女郎花はもう枯れていました。

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薄ってこんなに綺麗だったんですね。

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チョコレートコスモスのガーデニング。撮ったら壁紙みたいになりました。

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10月29日
帯に「万葉集以来、歌に詠まれ多くの歌人が住み、訪れた古都鎌倉を再発見」の『かまくら歌枕』鎌倉歌壇編(冬花社)。現代歌人108人が詠まれた歌が瑞泉寺・段葛など歌枕ごとに収録されています。面白い視点!

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ご恵送いただいた本ですが、今まで鎌倉は古典と歴史の観点でみてきました。歌枕にはその地に関わっている人々の思いがあって、遠くから鎌倉を見ているしかなかった私には深く心に響きます。「目をとじて比企を思えば滅亡の谷は湖底のごとく鎮もる 住正代」

10月30日
ほんとうは原野に出て満月の夜の月光浴を撮りたくてたまらないのですがそれは無理なので二階の窓から白い蔓薔薇を撮りました。あいにく条件のいい場所に花がなくかろうじてこの一輪が撮れました。茎側のオレンジの色は窓の灯りの人工光です。

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10月31日
昨日図書館でふと手にとった伊井春樹氏の『世界文学としての源氏物語 サイデンステッカー氏に訊く』、興味深く拝読中。川端康成学会のときのご講演で伊井先生から直接伺っていましたが、伊井先生とサイデンステッカー氏の関わりは驚きです。

一番『源氏物語』らしいと思うのは、文章ですね。文章の雰囲気と言いましょうか。文章のまわりと言いましょうか。(川端康成の作品のなかで一番『源氏物語』らしいのは?とに答えて。伊井春樹編『世界文学としての源氏物語 サイデンステッカー氏に訊く』より)

サイデンステッカー氏は、谷崎潤一郎訳『源氏物語』が一番紫式部の『源氏物語』に似ていると言われるけど、それは文章が長いだけで違うと明言。それより氏は川端康成の方が紫式部に近いと感じていられて面白く読みました。ここのところ川端文学が気になってきています。

ずっと鎌倉の『源氏物語』の問題にかかわっていたから文学の感性をどこかに押し込めていて、今その問題が解決をみて自由になったから、押し込められていた文学的感性の妖しさが胸のなかで解き放たれたがって疼いています。

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2012.11.16 ツイッターから転載…武生【源氏物語アカデミー】での大和和紀先生のご講演と高岡の大伴家持のこと

10月20日
越前市中央図書館でコピーしてきた『大伴家持と万葉集』の越中の章を拝読。初めて家持の作品と時代の関係を知りました。万葉集巻19の巻頭の春の苑の明るさ、対する巻末のうらうらとに見る翳り。その間にそんな大変な政変があって、それゆえの作品だったなんて。教科書で習っただけではダメですね。

越前市中央図書館でコピーした片桐洋一氏「『源氏物語』三条西家本を論じて別本に及ぶ」より…以上、縷々述べて来たことは、現在一般に用いられている定家自筆本の系統が中世においては全く驚くほどに影響を持っていなかったということの指摘に尽きる。

定家本の価値が上がっていくのは定家を崇める連歌師が全国に写本を売って歩くようになってからと三田村雅子先生が記憶の中のに書いてらしたけど、そういう歴史を知らずに定家信奉一辺倒の人がとても多いと思います。

武生での大和和紀先生のご講演から。連ツイになるかもしれません…『源氏物語』では光源氏と姫君の恋の出逢いは書かれていません。でも大和先生は漫画家としての習性で出逢いと終わりをきちっと書かなくては気がすまなくて、その姫君に相応しい出逢いのエピソードを一生懸命考えて描かれたそう。

その背後には大和和紀先生が一篇を描かれるのに事前に現代語訳源氏物語を数冊読んで、それから『源氏物語』原文を十回音読して、そうして原作がご自分のなかにすんなり入ってから始められているから。ここで重要なのが音読なのだそう。難しくてわからない原文も音読するうちに感じられてくると。

『あさきゆめみし』で『源氏物語』に書かれていない姫君たちの心理も描写されています。それも大和和紀先生がその姫君らしさを考えて、読者が納得するようなエピソードで補足されていると。例えば、レジュメにあったのが朝顔の君で、彼女が何故結婚をしようとしないかの原因として、雅楽の蘭陵王を

下敷きに、陵王が類まれな美貌だったために恐ろしい面で顔を隠して戦に臨んだ。姫君の母は陵王とは反対に心の鬼を隠して優しい貞淑な妻を演じていた。が、夜中に母が陵王の面を被って舞う姿を見て母の本心を知り、姫君は結婚しないことを決意したエピソードに。何度も雅楽を観て描かれたそうです。

昨日アップしたレジュメの写真右ページがその場面で、右上のコマが蘭陵王の絵です。「ああ、母は決して心静かではなかったのだ。陵王とは反対に母は……すべての妻たちは怒りや涙を面にかくして女の戦をたたかわねばならなかったのだ」と朝顔の君のセリフ。

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『あさきゆめみし』では白楽天や和漢朗詠集からの詩や歌が随所で引用されています。レジュメにあったのは光源氏と若紫の出逢いの場面で、朗詠集から野草芳菲たり・遊絲繚乱たり・虚しく上陽の春を管領することなかれ、が引かれていて、そこに若紫が駆けてきてという出逢いの場面のエピソードに。

この引用は『源氏物語』にはなく、それらしいくと思って試みに入れられたそうです。和漢朗詠集は如何にもそれらしい雰囲気を作るのでいいなと思ってよく読んでいられるそうです。

最後にもう一つレジュメから。それは薫を産んだ女三宮と柏木の思いの場面。産みの苦しみの中で女三宮は「あの人がとつぜんあらわれて、わたしに教えてくれるまでは、ほんとうに愛されるとはどういうことか……。あの人が教えてくれた」と女三宮の内心の声。これは大和先生の創作です。でも、凄い!

そして生まれたのが男の子だったと知った柏木には、58歳にして初めて子を授かったときの白楽天の詩を「全文」引用し、父に似るなとの思いを重ね合わせさせたそうです。この詩を私は知らなくて、タイトルもよく聞き取れなかったのですが、じちょう…と聞えました。

最後にしますが、『あさきゆめみし』が、和漢朗詠集も白楽天もそして『源氏物語』本文もほんとうに読み込まれての作品だということに心から敬服。さらに大和先生のご創作の部分を知った今、改めてあさきゆめみしを拝読したくなりました。

補足:でも、漫画家さんの世界はほんとうに厳しくて、あさきゆめみしの大和和紀という一枚看板など通用せず、どんなにヒットしても次に失敗したら終わりですからねと、いつも厳しく制作に臨んでいられるそうです。でも、にこやかに穏やかに話していられて素敵な方でした。

10月21日
FBに、大伴家持関連の高岡へ行ったときの写真をアップしはじめています。それほどの数ではありませんが、記事も載せていますので。http://www.facebook.com/odayuriko.f

大伴家持が越中国守として赴任した高岡の史跡や景観をFBにアップしています。まだ途中ですが、記事と歌を添えています。この写真は立山連邦をはるかに望む渋谿。こういう景観は世界でこの海岸だけだそう。

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2012.11.12 ツイッターからの転載…10月前半分です。高岡の大伴家持関連の史跡や、武生の紫式部公園を訪ねたことなど

10月11日
一年のうちで決まっていいことのある月がある。私にとってのそれは11月。毎年この月が近づくと何かあるかな?と期待。スケジュールが満載になってきたのでエクセルで12月までの一覧表を作って家族に配りました。家族はあきれ顔。一つ一つ楽しみなのですが、もう何がどう重要なのか、こなすしか…

10月15日
私の好きな鳥は? ―――燕。…二十歳のプルーストが問いに答えて、燕と。一瞬、目がとまりました。ガレの作品を思いだして。燕って、フランスでは特異な鳥なのかな、と。モーロワのプルーストを求めて、なかなか進みませんが折に触れ持って出ています。

おはようございます。八王子に向かっています。午後は立川。たまたま方向が一緒なので1日でこなせます。

源氏物語を受講。堪能しました。春以来だから本当に久しぶり。匂宮が浮舟と逢って帰って中君と交わす会話。中君の悲しむ風情を紫式部は匂宮の視点から「らうたげなる御けはひ」と書き、また「きよげ」とも。きよげは当時最高の品格を表す誉め言葉。こういうところに紫式部の品位がよく出ていると。

普通なら直訳してさっと通過して終わりの何事もない箇所の文章。でも心理描写として言葉を探ると意味深い。特に倫理観とか美的なものが浮かびあがってきます、と。中君は浮舟への思いで一杯の匂宮が悶々として真面目に語りかけるのを「いとほしう」と見る。この場面に現代ではあり得ない語の使用。

これこそが平安朝的美学で、相手が一生懸命真面目に話しかけてきているときに、中君は逸早くその真面目を受け取っている。これは人間として最も基本的な事で、それを大事にしたのが紫式部であり、平安朝なのだと。源氏物語はそういう文学です。(と、忘れないうちにメモ代わりに書かせて頂きました。)

10月16日
大好きな絵がポスターに。なんか畏れ多い。けど、嬉しい@吉祥寺

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昨日「貴女の本の表紙を描いた河内成幸氏が紫綬褒章を受章されたのよ」と河内氏の大学の同窓会記事を頂きました。新人賞を頂いた小説が載っている『潮香』。帯は立松和平先生が書いて下さっています。過去の栄光としないよう今を頑張っています!

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装丁家さんにお任せしたので河内成幸氏とはお目にかかっていません。ただ本ができたとき、たまたま小説の恩師の方も河内氏の表紙で出版されていてご縁を感じて嬉しかった思い出。立松和平先生はお会いする度に頑張ってますねと優しく声をかけて頂いたのですが…。多くの方のお力の上に今があります。

10月17日
二月の講演が正式に決まりました。最初は某会社OBサークルの歴史研究会の方をお相手にだったのですが、会議にかけたら会社全体でとなったそう。鎌倉武士も源氏物語もメジャーだから、機会さえいただければ関心をもっていただけるんですね。

10月18日
東京駅駅舎北口ドーム

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おはようございます。北陸に向かっています。せっかく東京駅に来たので駅舎北口ドームを撮って中に入りました。車窓は台風の影響で雲が綺麗!

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越後の車窓からツマリ・トリエンナーレ。拡大してご覧になって下さい。草間彌生さんの「花咲ける妻有」とまつだい「農舞台」、奥にカバコフの「棚田」。一瞬にして通りすぎてこの一枚しか撮れませんでした。ちょっと残念。

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越後の車窓から。このあたり多分糸魚川市。この一帯の地中深く翡翠が眠っていて、糸魚川静岡構造線が走っています。

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越後の車窓から。多分、親知らず通過。親知らずは、糸魚川静岡構造線の日本海側の突端です。

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遠くに海が見えます。深い碧。富山県に入っているから富山湾でしょうか。家並みになんとなく北前船で栄えた街の香りがします。

雨晴し海岸@富山県 弁慶が岩を持ち上げて義経を雨宿りさせたことからの命名とか。真っ青な空に白く連なる立山連峰が撮りたかったので、天候に恵まれラッキーでした。

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大伴家持像@高岡の二上山にて 鎌倉の古典曼陀羅万葉集の制作に必要になって。

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紫式部像@越前市武生 こちらも鎌倉の古典曼陀羅源氏物語の制作に必要になって。

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武生の紫式部公園は、自然の山を借景に、寝殿造りの釣殿を造って、さながら紫式部が住んでいたそのままの場所のよう。高岡から回ったので夕方近くなり、それがかえって陽射しの関係で雰囲気よく撮れました。

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越前市武生、源氏物語アカデミー会場です。今、オープニング始まりました! このあと、朧谷寿先生のご講演です。

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高岡の万葉歴史館では「越中国と万葉集」という企画展が開催中で見応えあって素敵でした。源氏物語アカデミーの朧谷寿先生のご講演は祇園女御は清盛の生母かというテーマ。明日も朝から講座がありますが、私は午後の大和和紀さんのお話から参加します。レジュメに絵が載っていてお得な気分です(笑)

10月19日
おはようございます。武生の朝です。とてもいい天気。朝食を頂きながら紫式部が眺めて過ごした日野山を見ていました。昨日、来年5月に写真展をする会場がとれたと都幾川の方からメールを頂きました。たくさんの比企の方にご自分たちの誇りとして仙覚さんの万葉集を知って頂きたいと願っての写真展です。

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武生の街。紫式部が暮らした街は京都の他は日本中でここしかない。その地にいる事が感慨でなくじわじわとひそかに実感されるのが不思議です。タクシーの運転手さんも「そうでございますねえ」などと。

越前市の図書館に来たらまだ開いていなかったので、隣接する菊人形会場の観覧車に乗りました。今年の菊人形のテーマは清盛と越前。清盛のお人形さんはもうすっかり松山ケンイチさんです。武生…、紫式部が見て暮らした日野山が見えています。

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越前市中央図書館。源氏物語関係の蔵書が半端でなく目がくらくら。一目見て鳥肌がたちました。コピーして頂けるといってももうどれを手にしていいやら。少し落ち着こうと思って呟いています。

源氏物語アカデミー二日目。これから大和和紀先生のご講演が始まります。なんとこれが レジュメです!あさきゆめみし…。朝の 図書館ではたっぷりコピーさせて頂きました。帰りの新幹線のお楽しみです。

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敦賀の夕景です。

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琵琶湖の夕景です。

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