2月2日
【鎌倉武士と源氏物語】パワポの編集。やはりサブタイトルとして「―鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで―」を入れることにしました。鎌倉武士に限った編集にしようと思っていたのですが、鎌倉の源氏物語を語るにはどうしても証拠品の写本が重要で。

パワポの編集。イントロ部分のスライドも背景を変えてみました。今までの講演では紫式部の画像が背景でした。でもなんとなく「鎌倉武士と源氏物語」ではこちらのほうがしっくりあう気が。やはりTPOで気分が変わるのですね。

文字色を自在に使って楽しんでいますが、現代っ子の娘には「信じられない!」と大いなる顰蹙を買っています(笑)でも私はこんなところでひそかに襲の色目を楽しんでいます。ご覧頂く方からは時々読みづらいとのご指摘も。なので今回は写真をできるだけ暗めに仕上げることにしました。
2月4日
パワポの編集。前にもご紹介したことがありますが、今回もこのスライドを入れることにしました。『源氏物語』54帖の巻名一覧。

2月5日
「鎌倉武士と源氏物語」用パワポの編集。北条実時の紹介スライドを作りました。これを実時の奥書スライドの後に入れます。やっと今までの源氏物語世界中心から離れて鎌倉武士風に気分が乗ってきました。

「鎌倉武士と源氏物語」用パワポの編集。若い光行が福原京造営に携わって都を離れていたとき、残してきた恋人へ送った歌のスライドを作りました。これは初試み。鎌倉武士というふうにテーマが限定されて少し人の心情に肉薄してきました。

2月6日
昨日は終日「鎌倉武士と源氏物語」のパワポの編集に終始。定家・光行の時代が終わっていよいよ親行がいる鎌倉武士の世界に突入です。建長寺様の講演では丁寧にと心がけて資料を一々スライドでご紹介したら難しかったというお声も。それでそれらを無くしとにかく分かりやすくを心がけています。
2月7日
「鎌倉武士と源氏物語」用パワポの編集。実朝が将軍に就任し、鎌倉の寺社奉行を制定した時、光行は永福寺の阿弥陀堂担当になっています。早速先日の永福寺三堂基壇復元現地説明会の時の写真を使ってそのスライドを作りました。ナイスタイミング!

2月8日
嘉禎元年1月26日。光行は頼経の歌会に列席。頼経は18歳。前年正室の竹御所を亡くしたばかりの将軍です。そしてさらに有職者として頼経の御願堂の五大堂(今の明王院)の位置について幕府から諮問される。光行が頼経とこんなに近くいたなんて…。源氏物語だけを追っていた時には見えなかった世界。
2月9日
「鎌倉武士と源氏物語」用パワポの編集。最近の読書から今まで考慮外だった記事をスライドに入れてみました。まず、親行が頼経に供奉して永福寺を訪れていた記事のスライドを。

「鎌倉武士と源氏物語」用パワポの編集からもう一枚。光行が頼経の歌会に列席した事実と、有職故実家として幕府に重用され、頼経の御願堂である明王院の位置について諮問を受けたスライドです。写真は明王院を使いました。

2月10日
「鎌倉武士と源氏物語」用パワポの編集の第一段階が終わりました。117枚のスライドになりました。連休中にこれを詰めて完成させ講演を主催して下さる会社に送ります。これは実時が『源氏物語』の勉強会をしていたスライドです。

2月11日
おはようございます。今日は「鎌倉武士と源氏物語」用パワポを完成させ配布用レジュメを添付して発送します。どれくらいかかるかな。また夜までかかって本局に持ち込みとなるかも。こんなことを繰り返していたらそれも苦でなくなりました。というか、それも楽しみ、みたいな。
終わりが近づくともう次にするべきことが頭のなかで動いている。逆にこれが起きると、あ、完成が近いな、と思う。今朝の目覚め時に次にするべきことが浮かんで、もうそれをしたくてたまらなくなっています。だから、パワポの校正はたぶん順調にいきます。
「鎌倉武士と源氏物語」用パワポ、編集を終えて無事講演先の担当者様宛に送りました。結局また夜になって本局に持ち込みましたが、今夜の空気の冷たさといったら。こういう皮膚感覚がこの講演の思い出になってゆきます。幾つこの思い出を重ねたことでしょう。そしてこれからまた幾つ…
スライドは全部で116枚。繰り返す度に充実していきます。そして、こなれて。今日は突然最後になってこの一枚を入れました。今まで口頭で説明させて頂いていたこと。でも今回は歴史や源氏物語に詳しくない方もいられるので。

2月12日
今度の講演は自発的に聴きにいらした方でなく鎌倉にも源氏物語にも興味がないかもしれない一般の方がお相手なので、源氏物語を説明するスライドを一枚挿入しました。源氏物語をひと言で表すなんて無謀ですが(笑)

2月13日
先程講演先の担当者様からパワポデータを入れたUSBが届いて無事に会社のPCに落とせたとメールを頂きほっとしました。先週まで私が頑張っていたところ、今度はあちらで担当者様方が頑張って下さいます。講演の度に私一人の力でないなあと実感します。
2月16日
『吾妻鏡』ふうに、二月十六日晴れ、今日は講演。終了後に懇親会あると云々…、です。どんな方たちとお話できるのか、鎌倉武士の『源氏物語』受容をどのおうにどれくらい受け止めていただけるのか誠意を尽くして頑張らせていただきます。
講演が終わってほっと一息。今日聴いて下さった方は皆様レベルが高くて話が浸透していった感は半端でなく。やはり企業で一線の活躍をされていると無関係の分野でもご自分の分野での問題点に即して判断されて、これは重要と関心をもたれたよう。懇親会でも皆様に今日は楽しかったと頂きました。
2月17日
おはようございます。昨日講演を済ませて反芻に頭が冴えています。今回のスライドでは人間模様を中心に、定家光行の友人関係、平家との主従関係、光行親行の親子関係、頼経竹御所の夫婦関係、実時の文学仲間をお話しました。思いが伝わってきましたと感想を頂いたのが嬉しかったです。
2010年末に最初の講演させて頂き、その時は調べてわかったことをお伝えするのに必死でした。何しろやっと『尾州家河内本源氏物語』が宗尊親王の制作という事にたどりついたばかりでしたから。それから二年を経てやっと内容が人間模様になってこなれてきたのを思います。様々機会を頂いて感謝です。
頂いたご反応の一つ。光行が子息親行を俊成の下に遣わし質問させるのですが、11歳の親行は完全にそれを遂行できず厳しく叱責される。それで親行は源氏物語を熟読して自分でそれを解決するという親行の学者としての原点のエピソードに、「父親としてのあり方を思いました」と感じ入って頂きました。
このエピソードは未央柳の花の写真も好評で「孫の名前にすればよかった」「家の庭にあるのに名前を知らなかった」と。私も長恨歌で読んでいる時はどんな花か知らなかったのですが、講演用に写真が欲しくなって調べてやっと知った次第です。
