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2013.3.27 HP【孔雀のいる庭】を更新しました! 二年ぶりです。

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滞っていたHP【孔雀のいる庭】を更新しました。二年ぶりです。『源氏物語と鎌倉』の出版もまだ決まっていないどころか、これから書くぞ! という執筆宣言で中断。出版後は講演・学会発表といっぱいいっぱいでこんなに遅くなりました。やっと一段落しました。

http://www.odayuriko.com/

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2013.3.26 ツイッターから転載…有栖川宮公園の枝垂れ桜と都立図書館での資料コピー

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◇有栖川宮公園の垂れ桜。満開で晴れていたらそれは綺麗でしょうけれど小雨もまたしっとりといい風情。水鳥が池の中の島にあがったり泳いでいたりと全くの日本画の世界です。都立図書館に来ました。何年ぶりかみたいな久々の資料コピーを楽しんでいます。

◇都立図書館複写今日の収穫メモ順に:小川靖彦「萬葉集古写本の美」(高岡市万葉歴史館編『美の万葉集』)・永井晋『金沢北条氏の研究』・中野幸一編『源氏物語古註釈叢刊』・池田利夫『源氏物語回廊』・高遠弘美『乳いろの花の庭から』→メモが溜まっていろんな分野が。物凄い贅沢な気分です!

◇池田利夫『源氏物語回廊』は、『源氏物語と鎌倉』の準備がほぼ完了した時期に刊行を知り気になりつつも個人で入手する本ではないし図書館で購入しても書架に並ぶまでに時間がかかって拝読が間に合わなかったもの。明月記紙背文書に光行の自筆消息発見など、心して拝読したい内容です。コピーしたのは、

◇「鳳来寺本源氏物語の親行識語と書誌」「鳳来寺本源氏物語の伝来経路」「源光行における東邑」「源光行自筆書状の新出をめぐりて」。たぶん大丈夫と思うけれどもし『源氏物語と鎌倉』の論旨に不都合ができたらどうしようとは拝読するのを楽しみにわくわくしながらもいつも抱える一抹の不安です。

↑ 昨日は有栖川宮公園のなかにある都立中央図書館に資料のコピーに行きました。もうほんとうに久しぶり。『源氏物語と鎌倉』をまとめるまでどんなにか通ったでしょう。けれど、出版してからは講演などで忙しく、原稿を書くにももう資料は揃っていましたから行かないで済ませていました。

でも、この図書館は写真のように回遊式の大名庭園のなかにあり、行くと風情を楽しめるんですよ。くつろいで帰って来られるので、行けない日々が長く続くとどこか鬱屈が溜まって行きたくてたまらなくなります。少しずつコピーしたい資料のメモも溜まってきていましたし、枝垂れ桜の開花の報をツイッターで知って出向きました。

そんなわけで、昨日はほんとうに贅沢な一日でした。

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2013.3.26 『吾妻鏡』の読書から

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ブログの更新が滞っているうちに『吾妻鏡』の読書が随分進んでしまいました。これは、時頼が蹴鞠の指南を難波流に決めた記事。私の『源氏物語と鎌倉』関係では飛鳥井流がお仲間です。そんなことで一連の記事をご紹介させていただきます。フェイスブックからの転載です。

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連夜の『吾妻鏡』の読書で、昨夜は北条時頼が蹴鞠を嗜む条にさしかかりました。ツイッターから転載させていただきます。写真は飛鳥井雅経の邸宅があったという京都の白峯神社。毎年4月14日に蹴鞠の奉納が行われています。これは2009年の撮影。あいにくの雨で室内での競技になりましたが、そのお陰でこのアングルを撮ることができました。開始前の儀式で、鞠を鞠足の方に渡すところです。

◇昨夜の読書から『吾妻鏡』宝治2年9月9日、今日難波少将宗教朝臣が大鞠二つと韈(しとうず)一足を左親衛(時頼)に献上した。これは、ちょうどこの頃、蹴鞠を嗜んでおられたためである。11月13日、左親衛が難波少将羽林を招いて対面された。蹴鞠について、門弟となる約束をされたという。

◇16日、難波少将(香の狩衣)が一巻の書物(蹴鞠の秘伝書)を左親衛(時頼)御方に持参した。御所望があったためである。時頼(浅黄の直垂)は対面され、その書をご覧になった。羽林が読み申し、まだ巻の半ばに及ばないうちに、時頼は座を立つと自ら金(こがね)作の剣を取って宗教に授けられた。

◇↑ 時頼が難波流の蹴鞠に親しんだ記述。鎌倉の蹴鞠は、源平の争乱で、父頼経が義経に加担して頼朝の逆鱗に触れ、伊豆に流されたために、自らも鎌倉に下向した飛鳥井雅経にはじまります。頼朝に仕えて頼家に蹴鞠を教えました。その後、後鳥羽院に召されて帰洛し新古今の撰者になります。

◇難波流は雅経の兄宗長が祖です。雅経が帰洛したとき、宗長は後鳥羽院のもとですでに活躍していました。が、雅経の妙技は後鳥羽院の心を捉え寵臣になってゆきます。時頼に指南した宗教は宗長の子。雅経の次男二条教定がすでに鎌倉にいますが、将軍頼経に親しんでいた関係で召されなかったのでしょうか。

◇飛鳥井流と難波流では蹴鞠の作法が違い、鎌倉ではこの後、教定と宗長のあいだで優雅で知性高くありながら熾烈な勢力争いの様相を呈していきます。

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2013.3.8 就寝前に連夜『吾妻鏡』を読んでいます。徒然にはじめたのですが、いつかしら本気モードに突入してしまいました。

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毎日就寝前に『吾妻鏡』を読んでいます。「河内本源氏物語」ができた時代背景を正確に知りたいと思ってはじめました。

鎌倉の『源氏物語』は、平家に仕えていた光行が平家の滅亡後に鎌倉に下向したことに端を発します。それは源家将軍頼朝・頼家・実朝の時代でした。

が、鎌倉の『源氏物語』として「河内本源氏物語」が完成するのは子息親行の時代になってから。将軍は頼経・頼嗣・宗尊親王です。源家三代の将軍の時代と違い、この時代はほとんど知られていないといっていいでしょう。

それで毎日少しずつ『吾妻鏡』から頼経の時代を読んでいたのですが、昨夜の読書は衝撃的でした。ツイッターから転載させていただきます。

◇昨夜の読書から池田利夫『河内本源氏物語成立年譜攷』より、寛元4年1月、仙覚、親行の校合書き入れした『万葉集』一部と、校合に用いた三本を請け取り、見落しなどの確認を頼経に命じられる。→仙覚44歳。13歳で万葉集の研究を志した仙覚だったが31年後に望みが叶う。仙覚最初の校訂本。

◇『吾妻鏡』寛元4年3月21日、武州(第四代執権経時)が御病気で、たいそう危篤のため、治療・逆修などの処置に及んだという。23日、武州御方で内密の御審議などが行われたという。その後、執権を弟の大夫将監時頼朝臣に譲られた。→仙覚の最初の万葉集校訂の作業中に執権時頼が誕生!

◇5月26日、一日中、暴風。今日、左親衛(時頼)の御方で内密に御審議が行われた。右馬権頭(政村)・陸奥掃部助(実時)・秋田城介(安達義景)らがその参加者という。→北条氏嫡流を自負する名越氏が経時の死を契機に頼経を擁して起こした宮騒動。実時も加わる時頼側の勝利で頼経が京に送還される。

◇7月11日、入道大納言家(頼経)が京に帰られた。今朝方に出発され、夕方に酒匂駅に到着されたという。28日、(頼経は)寅の刻に粟田口を経て京に入られたという。→21歳のときの半年に渡る華々しい凱旋帰洛のあと何度も上洛を望みながら叶えられなかった頼経の二度目の上洛が送還とは。

このあいだも仙覚は万葉集の校訂を続け、頼経が鎌倉を出立した3日後の14日に、まだ訓点のついていなかった152首全部につけ終わる。その後も書写を続け12月に完成。その碑が鎌倉の妙本寺に建っています。

◇歴史と国文学と、それぞればらばらにたどっていては見えない世界が、重ねて見たらこんな大変な時代。親行・仙覚の万葉集校訂が、執権時頼誕生の時期とまさにこんなに見事に重なっていました。

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2013.3.3 昨日は鎌倉ペンクラブ主催の「鎌倉かるた大会」が建長寺様でありました。

昨日は鎌倉ペンクラブ主催の鎌倉かるた会でした。ツイッターを転載させていただきます。
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◇これから鎌倉かるた大会です。ピンクの枠内に札を並べます。選手のこどもたちが集まってきています。お手伝いに参集した私たち会員は審判のお役目を仰せつかって緊張……。お手つきを見逃さないでできるかしら、と
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◇鎌倉ペンクラブ主催の鎌倉大かるた大会、今年で11回目だそうです。四人一組で、今年は112チームが参加。小学校低学年のクラスメートチームが目立っています。可愛い! かるたは現在の鎌倉や歴史の句を公募したもの。絵札はペンクラブの会員さんが手分けして描かれたそう。いいですね。

◇鎌倉のこどもたちは小さい頃からこんなふうに建長寺さんに馴染んで育って、見ていて羨ましい限り。開始と終わりにきちんと正座して挨拶からはじまるなど。負けたチームはけんちん汁をふるまわれて帰ります。応援のパパママたちが廊下を埋め尽くし、白熱戦は目下二回戦に進みました。

◇表彰式です。決勝に残るだけでも大変ですが、みんな一生懸命に頑張って、負けたチームの子が片手で涙を吹きながら去ってゆく姿も感動的。みんな純粋です!

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◇夜の建長寺。鎌倉かるた会が終わって後片付けを済ませて外に出たら、法堂の真上にオリオンがかかって、清浄な空気にきらきら瞬いて綺麗でした!

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