2013.3.8 就寝前に連夜『吾妻鏡』を読んでいます。徒然にはじめたのですが、いつかしら本気モードに突入してしまいました。

毎日就寝前に『吾妻鏡』を読んでいます。「河内本源氏物語」ができた時代背景を正確に知りたいと思ってはじめました。
鎌倉の『源氏物語』は、平家に仕えていた光行が平家の滅亡後に鎌倉に下向したことに端を発します。それは源家将軍頼朝・頼家・実朝の時代でした。
が、鎌倉の『源氏物語』として「河内本源氏物語」が完成するのは子息親行の時代になってから。将軍は頼経・頼嗣・宗尊親王です。源家三代の将軍の時代と違い、この時代はほとんど知られていないといっていいでしょう。
それで毎日少しずつ『吾妻鏡』から頼経の時代を読んでいたのですが、昨夜の読書は衝撃的でした。ツイッターから転載させていただきます。
◇昨夜の読書から池田利夫『河内本源氏物語成立年譜攷』より、寛元4年1月、仙覚、親行の校合書き入れした『万葉集』一部と、校合に用いた三本を請け取り、見落しなどの確認を頼経に命じられる。→仙覚44歳。13歳で万葉集の研究を志した仙覚だったが31年後に望みが叶う。仙覚最初の校訂本。
◇『吾妻鏡』寛元4年3月21日、武州(第四代執権経時)が御病気で、たいそう危篤のため、治療・逆修などの処置に及んだという。23日、武州御方で内密の御審議などが行われたという。その後、執権を弟の大夫将監時頼朝臣に譲られた。→仙覚の最初の万葉集校訂の作業中に執権時頼が誕生!
◇5月26日、一日中、暴風。今日、左親衛(時頼)の御方で内密に御審議が行われた。右馬権頭(政村)・陸奥掃部助(実時)・秋田城介(安達義景)らがその参加者という。→北条氏嫡流を自負する名越氏が経時の死を契機に頼経を擁して起こした宮騒動。実時も加わる時頼側の勝利で頼経が京に送還される。
◇7月11日、入道大納言家(頼経)が京に帰られた。今朝方に出発され、夕方に酒匂駅に到着されたという。28日、(頼経は)寅の刻に粟田口を経て京に入られたという。→21歳のときの半年に渡る華々しい凱旋帰洛のあと何度も上洛を望みながら叶えられなかった頼経の二度目の上洛が送還とは。
◇このあいだも仙覚は万葉集の校訂を続け、頼経が鎌倉を出立した3日後の14日に、まだ訓点のついていなかった152首全部につけ終わる。その後も書写を続け12月に完成。その碑が鎌倉の妙本寺に建っています。
◇歴史と国文学と、それぞればらばらにたどっていては見えない世界が、重ねて見たらこんな大変な時代。親行・仙覚の万葉集校訂が、執権時頼誕生の時期とまさにこんなに見事に重なっていました。

