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2013.6.26 ツイッターから転載…比企に行って仙覚さんと慈光寺の関係を改めて熟考したくなったこと、歴史作家クラブ賞授賞式のことなど

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(比企の宗悟寺境内にある比企一族の顕彰碑です。)

6月6日
比企の方からお借りした本を読んでいます。「慈光寺は、鎌倉時代には源頼朝や畠山重忠、そして比企一族などの信仰を集めて全盛をきわめ、一山七十五坊を数えた寺です。東国における宗教・学問・教育・文化の一大拠点が、この慈光寺だったと言えるでしょう。」そして、

「仙覚律師が晩年住んでいたと言われる槻川沿いです。なぜかと言えば慈光寺が近いからです。小川から慈光寺は山道を通るとすぐ目の前なんですね。だから比企氏の宗教は、慈光寺を抜きにしては考えられないと思うんです」と、これは対談の中のご発言ですが、文献だけでは見えてこない生きた受容感。

『源氏物語と鎌倉』の中で仙覚が出家したのは慈光寺かと推測しましたが、最近他の可能性も?と迷い始めたところ、先日比企を巡って慈光寺の存在の大きさを改めて感じ、やはり出家は慈光寺と思い直しました。そしてこの「仙覚が晩年住んでいたと言われる槻川」! そんな特定された場所があったなんて。

比企の地元の方々には仙覚さんがとても身近に親しまれています。今までどうしても国文学的に難しい問題のように避けられたのと正反対です。それと、今日気づいたのですが、比企氏といっても、比企尼や若狭局と、仙覚の問題は別ということ。いっしょくたに「比企」としてしまうと混乱します。

6月8日
比企の方からお電話を頂き、先日青鳥城(おおどりじょう)を案内できなかったから今度と。青鳥城を知らなかったので検索。比企丘陵と岩殿丘陵にはさまれた台地上の中世城郭。小田原攻めの時に前田利家が陣を敷いた城と。ここかあ、土地の人が「あの有名な前田利家が比企に来たのよ」と言われた場所は。

大きくて立派な板碑が建っていたり、二の郭、三の郭とあって巨大。中世城郭研究者にはたまらない場所かも。かの西股さんには周知の城でしょう。今度お会いしたら訊いてみます。でも、私の仙覚探究にはあまり……、という気も。現地は行ってみなければわかりませんね。

一人で図書館等の文献を渉猟して論を組み立てていた私には地元の方の広範囲な「当たり前」が豊饒過ぎて取捨選択に時間がかかりました。が、見えてきたのはその中でもただ一粒でいい、きらっと光る原石を見いだせればと。今、もしかしたら新発見史料を教えて頂いているのかもと、そんな気が。

まもなく朔日也。

6月10日
比企の講演、8月より先に都幾川で10月にすることが決まっていてテーマを検討中でした。仙覚さんが出家したと思われる慈光寺の麓なので仙覚さんと万葉集の方向で考えていたのですが、8月の流れでそれを深めて「万葉学者仙覚と慈光寺経」にしようかと、今主催者さんとメールで確認したところです。

慈光寺を訪ねて慈光寺経の存在を目の当たりにして疑問に思ったのは、どうしてこんな華麗な文化があったのにほとんど知られていないのかしらと。メールで「慈光寺はあまりにも位が高く、地元の人も近付きがたかった結果だそう」と。地元の方にも興味をもっていただける機縁を作れたらいいです!

イベントは主催さんの意向で深まりますね。最初8月の講演も鎌倉の『源氏物語』でする予定だったのですが、『源氏物語』では男性の集客が見込めないとの事で考えて、九条家と慈光寺経をメインにのアイデア。そうしたらおのずと10月も慈光寺経にと、深まっていってます。

6月11日
おはようございます。先日の横浜港のみえる丘公園で撮った葉に斑が入った清楚な紫陽花です。試みに九条家の方々と比企の関係図をパワポで図式化しています。はじめてしまったら嵌まって止められなくなりました(笑)

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吉祥寺ジュンク堂に来たら目的の本はなく、なのに棚が充実しているから見ていて三冊も購入。二冊は新典社さんの影印校注シリーズで、一冊は万葉集。なんと西本願寺本巻一・二。仙覚校訂の文永三年本を底本にした写本です!もう一冊は飛鳥井雅有の春のみやまぢ。中に驚愕のキーワードをみつけて。

出がけに見たポストに日頃励まして頂いている歴史の先生から七月のブックフェア、行きますよの葉書。準備に頑張っている頃と思いますが、あまり頑張り過ぎないようにと。歴史の先生方は普段からフィールドワークで脚を鍛えてられるから国文学畑の方々と動きが違います!ほろっとする事がよくあります。←ブックフェアの同じ会場の「クリエイターEXPO東京」に私も参加します!

6月12日
外村展子氏『鎌倉の歌人』を拝読していたら、鎌倉の歌人に仙覚さんが挙げられていました! まだ鎌倉と『万葉集』の関係にたどりつかなかった頃読んだ本なので、どのページもぎっしりマーカーが引かれたなかで、仙覚さんのところだけ真っ白。改めて別色の黄色のマーカーで埋めました(笑)

6月13日
今、FBを開いたらメッセージがあって『源氏物語と鎌倉』を成すのに大変お世話になったご論考の著者のご家族から。直接お礼を申し上げるには間に合わず故人になられて忸怩たる思いを抱えていたのですが、ツイッターを通してご家族の方と繋がることができました。凄い時代!と感銘を受けています。

6月14日
やっと吉祥寺。夜の会合は出掛けるのに余裕があっていいと思ったらありすぎていろいろ用をしてぐったり。やはり朝から出た方が気分の一新にはいいかもなどと勝手なことを。出がけにポストにあったお葉書に新たな織田さんのテーマですねと。そう隠りたくなってきています。まずは今夜の用を済ませたら。

今は新宿。ここまできたら全天を覆う灰色の雲のところどころに綺麗な水色の空が。グレーと対比の水色はほんとうに綺麗!次は四ッ谷。乗り換えです。

6月15日
昨日は歴史時代作家クラブ賞の授賞式でした。実績功労賞を授賞された高橋克彦先生です。左から見守られるのは会長の津本陽先生と秋山駿先生。贈呈は岳真也先生です。

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高橋克彦先生は『炎立つ』の作家さんなんですね。案内で読んで拝見するのを楽しみに出席しました。東北にお住みだそうで昨日は授賞式の為に上京されたとの事でした。実はこの写真、昨夜アップしたかったのですがスマホだとエラー。ツイッターの仕様の変更で使っていたアプリが使えなくなったためのようです。TLに公式アプリをのアドバイスを頂いてそうしようと思っています。

昨夜の、第二回歴史時代作家クラブ賞を授賞された方々です。左から高橋克彦氏、帚木蓬生氏、伊東潤氏、藤原緋沙子さん、仁志耕一郎氏。他に、直前に亡くなられた会の名誉顧問の北原亜以子さんに特別功労賞。

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歴史時代作家クラブ賞のシリーズ賞を授賞された藤原緋沙子先生。お着物姿がとても素敵でした。「隅田川御用張」シリーズでのご授賞。現在15巻。10年かかったとの事に感銘を受けました。

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昨夜は著書を一冊持参とあったので『源氏物語と鎌倉』を持っていきました。会場の一画に置いて好きに読めるようにと。でもその後どうするのかわからないうちに全部なくなっていて、どうやら好き勝手に持ち帰ってよかったみたい。私の本を持ち帰って下さったのはどなたでしょう。興味深く感じています。

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2013.6.10 ツイッターから転載…有明の月のこと。《七夕は鎌倉の源氏物語の日宣言》。キンドル本のこと。神奈川近代文学館「井上ひさし展」のこと。

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6月5日
月齢君・ぴったりさんが今の月が有明の月と教えてくださっていたので深夜にベランダに出て撮りました。もう過ぎて二十六夜の月に入っているかもしれませんが、だいたいこういう月かと。歌で読んでいるのにやっとはっきり認識しました。

源親行が河内本源氏物語の完成を七夕にこだわって奥書に記した事から『七夕は鎌倉の源氏物語の日』という宣言をしようと考えています。目標は鎌倉市がそういう制定をして全国の源氏物語ファンの方が七夕になると鎌倉に集まって親睦する事。一人で始める覚悟でしたが賛同して下さる方ができそうです。

折角なら今年からと思っていましたが、公には無理でしょうから個人でネットで募って僅かな人数でもいいから始めようと考えていました。賛同して下さる方からの詳細が決まったらまたお知らせさせて頂きます。武士の都でも源氏物語は愛好されていた事をみんなが楽しめればいいなと思います。

6月7日
iPadにKindleアプリを入れてダウンロードしてみました。無料版でこういうものがと驚きです。高神覚昇『般若心経講義』、薄田泣菫『独楽園』。スマホに『チベット旅行記』を入れて持ち歩いていますが、電子書籍は字が綺麗で読みやすいですね。

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6月8日
昨夜キンドル本をダウンロードして寝たのですが、世界が変わったようなふわふわした感じが続いています。今さらではないですけれど電子書籍はやはり変革をもたらすのでしょうね。分厚い百科事典がiPadに入ってしまって本棚が空いた変革。重たい辞書を持ち運ばなくて済む変革。これって大きい?

私はふつうの人以上には紙の本礼賛の人ですが、電子書籍は紙の本と比べてどうこうの次元の話ではなく意識の変革に繋がる問題、という気がします。ネット利用で国文学の学生さんの研究が安易になった弊害とは別の話で、もっと深いところで大切に受け止めていったら何かが生まれると、そんな気が。

プレゼン用に手製の本を一冊作ろうと思っています。『源氏物語と鎌倉』の表紙は蓮華でした。これは曼珠沙華にしようと思ってデザイナーさんに写真を渡したら、曼珠沙華ってトレースするには凄い複雑なんですね。彼女、悲鳴をあげていました。

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6月9日
薔薇の香りがいっぱい@横浜 港が見える丘公園に向かっています。

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横浜。外人墓地のなかのマリア様。通りすがりに撮らせて頂きました。

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薔薇のなかで一番好きなバレンシア。芳香がとてもいいんです。これもクラシックタイプの薔薇ですが、横浜は流行に左右されてなくて私が好きなタイプの薔薇でいっぱいでした。

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神奈川近代文学館で井上ひさし展を観てきました。綺麗な花いっぱいの洋風庭園もさすが。案内板を囲むこの花はアカンサスとか。

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横浜では薔薇とラベンダーの共演でした。

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神奈川近代文学館の井上ひさし展が最終日でぎりぎり間に合って行ったのですが、行ってよかった。会場に入った最初に目にしたパネルに、「東北の震災の前年に彼は他界したのですが、生きていたら彼はどんなことを言っただろう」(正確に覚えてなくて恐縮ですが、というような意味の文章でした)とあって、そこからもう胸が切なく背筋を正す思いになっていました。

井上ひさし文学と縁がなく、チケットを頂いたので行っただけなのですが、井上ひさし世界がこういうものだ...ったとは! 彼は震災後の今の日本を予測していて、人間としてこれではいけない、もっと自然にかえって地道に美しい生活をと訴えていたのです。

その為に取材して書いた本が『ボローニャ紀行』。パネルをメモしてきました。打たれた言葉です。「未来が見えにくくなったら過去に学んでもう一度はじめからやり直す。古いものは捨てない。むしろそれらを大切にして現在に生かす。そして互いにやさしくしながら、みんなで共に生きてゆく。みんな平凡なことだが、その平凡さが大事なんだよ。」

今更に、今の日本に大切な人を失ったと思いました。立松和平先生も、生きていらしたらあの震災直後にどうおっしゃったか、あのときも同じ思いをしたのです。

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2013.6.7 ツイッターから転載…比企周遊のことなど←比企の方のご案内で万葉学者仙覚さんゆかりの地を巡ってきました。

6月1日
昨夜の半月は下弦の月。正確な「まさに半月」は四時そうですが、これは1:50の撮影です。今まで月は満月のときしかカメラを向けていなかったのにFBやツイッターのお陰で興味が拡がりました。

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明日は比企氏ゆかりの方々とお会いします。文献と実地踏査で進めてきた考察からこのようなことに。仙覚さんの研究にどう関わっていくのかまだ皆目見当がつきません。ただ、『源氏物語と鎌倉』に書いたことよりは新しい展開をお知らせできると思います。

6月2日
おはようございます。無事、比企に向かっています。というのも原稿にかかっていて頭がいっぱいいっぱいでしたから、終わったあとの山積した用をこなすのに昨日はフル回転。寝不足で起きるのにやっとでした。でももう出てしまったから、あとは流れのままにです。

川越通過。父の友人にSさんという方がいらして川越にお住みでした。有楽町の日劇でカメラマンをされていて、私には日劇のおじさんでした。父に連れられて日劇を訪ねた時、舞台の下の通路を案内され、華やかな舞台衣装のままの踊り子さんとすれ違う度に挨拶された事が今ふっとおもいだされました。

どういう記憶かというと、私が父におじさんは偉い人なのねというと、父が、ダンサーはいい写真を撮って貰わなければいけないからSさんにはみんな礼儀正しいんだよと。子供ながらに華やかな衣装のお姉さんたちの人生を垣間見た気がして忘れられない思い出です。

やっと新宿。戻ってきました。と思ったらなんと反対側に乗って危うく東京へ。また新宿に戻ってきました(笑)。今日は帰りに小川町の仙覚顕彰碑に寄って頂き、仙覚が万葉集注釈を為したとされる増尾の地と顕彰碑の位置がどんななのか、一周して頂きました。遠くに慈光寺のある山が見えて素敵でした。

『源氏物語と鎌倉』では仙覚さんが出家した寺院を慈光寺と推測して書いたのですか、以前比企の方との交流で別の可能性ある寺院が浮かびあがり、今日はまたもしかしたら仙覚さんを育てた家の方かも知れない方とお会いし、資料だけでは見えない仙覚さんの生きた足跡が感じられるのが比企です。

疲れているので休みたいのですが勢いのあるうちに書いておきます。八月の講演のこと。比企の方ならどなたでも感じる魅力的なテーマをと話し合って詰めました。今までみたいに「仙覚と『万葉集』」では地味すぎて。そうしたら突然閃いて、九条兼実からはじめよう!と。比企は兼実ゆかりの地です。

6月3日
朝、電話を頂いて、来年1月19日に多摩地区で『源氏物語と万葉集の鎌倉』を日曜講座として講演させていただくことになりました。ずっと先ですが、11月に詳細を詰めるとのこと。そのときにまたご報告させていただきます。

昨日の一枚。比企の方々に案内して頂いて東松山市を周りました。これは日蓮宗寺院妙昌寺。日蓮の祖師像が一本の木から三体造られていて、鎌倉の妙本寺と池上本門寺とこちらのだそう。日蓮宗寺院は参道の正面に祖師堂があり、妙本寺もそうでしょというご住職様の説明が新鮮でした。

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祖師像を拝ませて頂きました。若く凛々しいお姿でした。両手で経文を広げて読んでいられるお姿で、妙本寺・池上本門寺ともそれぞれ違うポーズとか。佐渡へ流される道筋が資料に残されている行程だと日数が合わず、妙昌寺様を通ったとするとぴったり適うことがわかったそうです。

比企で八月にさせて頂く講演を九条兼実からはじめるとツイートしましたが、比企には慈光寺に平家納経・久能寺経と並ぶ日本三大装飾経の一つの慈光寺経があります。九条家による制作です。その慈光寺経が東博常設展で展示されるそう。6月25日からです。

6月4日
こんな時間に起きてしまいました。疲れが溜まっているので早々に休んだのですが。でもこれで徹夜したらまたペースを乱してしまうのでやりたい気持ちは山々なのですが寝ることにして、一昨日の一枚を。宗悟寺様の欄間。龍の彫り物です。

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宗悟寺は比企能員館があったとされる一帯にあります。前に行った時境内に比企一族顕彰碑が建っていて、え?、比企氏って滅んだんじゃなかったのと驚きました。今回の訪問はその碑を建立された方々とご一緒。不思議なご縁です。そうそうこの寺院は扇谷山宗悟寺といいます。まさに鎌倉の地名です。

扇谷山宗悟寺の山門の写真もアップしておきますね。前回訪ねたのは正月明けの真冬でした。今回は花の季節で山門を縁取るように紫の花が咲いていました。この寺院には頼家のご位牌が祀られていました。

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小さな水辺の植物園@井の頭公園  中程に鴨が飛び立っています。

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先日夜空を撮っていたら夏の大三角形が見えて久しぶりにロマン溢れる雄大な気分に。それで検索してたら白鳥座のレダの神話になって、ここのところ日本の中世にひたすら関わってきたから、なんと対極的に壮大な危うくも美しい世界なんだろうと。それで中世に戻ってもそれとはなしに感化が残っています。

不思議なのですが時間がたつにつれ先日巡った比企が忘れられなくなっている。当日と次の日あたりはまだお会いした方との会話の残像が邪魔してこうではなかった。薄らいでいくにつれて純粋な芯のように見てきた比企の映像が心に拡がりはじめた。特に慈光寺……。仙覚が出家したのはやはり慈光寺と。

仙覚が出家したかもしれないと情報を頂いた比企の名も知られていない寺院は、だんだん理解できてきたのですが、芦名の和田義盛の浄楽寺のような存在では?浄楽寺は私も訪ねているので規模的に想像がつく。その芦名で誰かを出家させる僧侶がいたとは思えない。あくまでも和田義盛の持仏堂に近いから。

連ツイ恐縮ですが、『源氏物語と鎌倉』を出したように、仙覚と『万葉集』もまとめなくてはと思っています。もう資料は出尽くしたと思っていたのに、比企を訪ねたらまだこれからという感。何もかも放って仙覚に専念したい気持ちが募ってきています。こんなのはじめて。巡り合ったのかな、テーマに。

@soshi_kuwata 比企は不思議です。滑川町もあって、鎌倉ではなめりかわですが比企はなめかわ。木曽義仲の生誕地大蔵館は、やはり鎌倉にもあるおおくら。他に長谷・岩殿・腰越など。比企の方は「こっちが先だ」なんておっしゃってられます(笑)。鎌倉の方もそういわれるでしょうね。

仙覚が引き取られて育ったかもしれない館のあった場所から遠く慈光寺がある山を望む一枚。尖った山が笠山で、慈光寺はその左側の平たい山の上にあります。小川町の仙覚がある碑の小高い丘からも同様に慈光寺のある山が望めました。

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6月5日
おはようございます。といってもこんな時間……。思考が浸透して再び浮かびあがってくるのが遅いので先日の比企訪問の価値が今頃になって認識されてきました。生まれたばかりの仙覚さんが岩殿観音正法寺に預けられたと系図で読んで、それですっかりお母さんと離されて育ったと思いこんでいたのですが、

いくら偉い僧侶とはいえ乳呑児を預かって寺で育てるなんてできっこないですよね。私が仙覚が如何に孤独だったか心を痛めていたのに、比企の方は預かった僧侶の家にはお母さんがいてちゃんと育てたはずですよと。文献だけしか頼りのない無味乾燥な私には目から鱗でした。昨夜の写真がその館跡一帯です。

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2013・6・5 ツイッターから転載…大宮八幡宮御鎮座950年祭の流鏑馬神事と、称名寺と兼好の原稿のその後→完成して送付しました。

5月26日
おはようございます。昨夜突然原稿突入モードに入ってしまいました。称名寺と兼好の問題は簡単にメドのたつものでなく、これは時間をかけてやっていくしかないと決めて。月末までに仕上げる原稿は物凄く短い問題提起とします。で、目下初心にかえって「鳳来寺本源氏物語」のことで頭がいっぱいです。

杉並区大宮八幡宮の流鏑馬神事は御鎮座950年祭だそう。こんな近くで(全国規模でいえばピンポイントです!)流鏑馬なんてと撮らせて頂きに参りました。目的はパワポのスライド編集用の武士の写真。これは開始前のお馬さんたちが集合したところです。

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今まで写真は撮りこぼしたら大変とばかりにがむしゃらにシャッターを切っていました。でも最近気づいたのですが使う写真は一枚。いくらたくさん撮っても選ぶのに時間と労力がかかるし、写真そのものがたくさんの中の一枚でしかなくなります。一枚撮れればいいと決めて家を出ると楽です!

帰宅しました。大宮八幡宮の流鏑馬神事、とり急ぎの一枚を。流鏑馬ではなくパワポの編集に使う武士の画像として。

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大宮八幡宮の流鏑馬神事。一眼レフで撮ったのをPCに取り込みましたので数枚アップさせていただきます。一枚目は武者行列の馬上の宮司さま。

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二枚目は美しい白拍子さんが先導されています。

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三枚目。この写真が撮りたかったという一枚です。

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四枚目。白い馬はやはり美しい!

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最後は流鏑馬の一枚。相図がなくて出発したのがわからず、目の前には石燈篭があるしで、馬の脚が見えて、あ、と思ったときには駆け抜けていました。そのなかでこれが一番まともかな?

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5月27日
おはようございます。昨日の大宮八幡宮流鏑馬神事の的です。たまたま立っていた位置の目の前に的が立てられました。えっ、と思って、これでは疾走してくる馬の角度的にいい写真が撮れない……と咄嗟に思いました(笑)。五人中四人的中でした。

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昨日はさすがに疲れて吉田兼好にとりかかれず就寝しましたので、今日これから奮起です。一気呵成にできるでしょうか。照りつける陽射しの下を撮って回るのは疲れます。でも最後はすずやかな木立の中での流鏑馬で深呼吸できました。

5月28日
おはようございます。昨夜称名寺と卜部兼好の原稿を書き終わりました。論文をあきらめて問題提起にしたので十数枚です。今日発送します。筆は正直ですね。描いていた論どおりには進まず、勝手に文章を繰り出して意外な方向に。タイトルも変って「鳳来寺本源氏物語」から『尾州家河内本源氏物語』に。

娘に「また『尾州家河内本源氏物語』になっちゃった」と言ったら大笑いされて「ママ、一生離れられないのかもよ」と。残念なのは兼好と仁和寺の関係を入れられなかったこと。称名寺来訪の時期とずれているんです。兼好の件は一年取り組んでみます。見えてくるものがあったらそのときは論文に。

『徒然草』を読むといつも湧く思いがあります。私だけかなと思ってネットで検索したらありました。「兼好は出家しているのにどうしてあんなに仁和寺の法師の悪口を書くんですか?」と。ずっと疑問だったのですが、称名寺との関係でその謎が解けて、それを書きたかったのです。

昨夜書いていて思い出したのですが、称名寺をはじめ、現在の寂れた感じのする寺院を胸においたまま中世を考えても事実は浮かび上がりません。兼好が訪ねた当時の称名寺は栄えていて、宗派を超えて各地の僧が集まり勉強する一大中枢センターでした。栃木の足利学校も仙覚が万葉集に目覚めた岩殿観音も。

5月29日
お早うございます。未明に南房総南方沖でM5の地震があったのですね。昨日は兼好の原稿があるから気を張っている筈なのに終日眠くて眠くて横になれば爆睡。もしかして地震が?と情報を見たら発生していました。関東での地震は体調に響きます。嫌な場所での発生とのこと。連動しないよう祈るばかり。

今日はこれから比企の方とお会いしに。比企の方が仙覚さんの普及にいろいろ心を砕いてくださっています。

5月30日
おはようございます。いろいろあって延びていましたが兼好の原稿、今日は本当に投函です。明日必着なので(笑)。関東も梅雨入りしたそうですね。私は雨にあいませんでしたが昨日の帰り、舗道が濡れていました。昨日は楽しい時間を過ごしましたが、いい問題点が浮かび上がりました。それは、(続)

大河で仙覚さんを主人公にしたら俳優さんは誰にということ。私は若いイケメンさんをもう決めているのですが、比企の地元に住んでいられる昨日の方は、晩年に比企に籠って万葉集註釈を完成させた顕彰碑の仙覚律師というイメージが強いから、お爺さん。互いに、え?、っとなりました。

考えると、光行さんも親行さんもみんな皆様の自覚的には初登場なんですよね。キャラクターをイメージする根拠がまだないということ。これからの講演ではその手助けになるような展開が大切と思いました。仙覚さん、皆様は誰をイメージされているのでしょう。光行さんも、親行さんも。

コメントありがとうございます! 比企の乱の年の生まれとして、13歳で万葉集を志し、16歳で上洛、19歳で承久の乱に遭い、竹御所の菩提を弔うための妙本寺新釈迦堂で最初の『万葉集』校訂をしたのが44歳、宗尊親王に献上したのが63歳、万葉集註釈は67歳です。

5月31日
兼好と称名寺の関係を探った原稿で見えてきたこと。10年ほど鎌倉の『源氏物語』を探って見えてきたのは仙覚さんの『万葉集』。と思ったら、鎌倉に下向した兼好は称名寺で『尾州家河内本源氏物語』に触れ、それが『徒然草』の『源氏物語』のような雅な段に。鎌倉の古典に『徒然草』が加わりました!

今日の夕方、見たことのある雲の空。いつのだったかしらと気になりながら思いだせず、用が終わって外に出たら西の空に真っ赤に焼けた夕焼けの名残が見えて、そうだ!あの雲はこういう焼け方をする雲だったんだと。しばらく見てなかったけれど、中越地震のあった年などに見ていました。

今日の夕焼け、ネットで各地で撮られた写真を見れば見るほど見逃した感が募ります。雲の撮影が生活の中心だった時は見逃すなんてあり得ず、先回りして待って撮ったもの。今は原稿中心だから本心をいうと見逃してよかった。知ってたら撮りにでなければならなかったものと。撮りに出るのは結構疲れます。

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2013.6.3 この六月に慈光寺経が国立東京博物館で展示されるそうです!

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埼玉県比企郡都幾川にある慈光寺には、平家納経・久能寺経と並んで日本三大装飾経の一つである慈光寺経が残されています。制作は、後京極良経の逝去を悼んで九条家の方が関わったとされていま
す。

法華経を一品ずつ書写して奉納する際、巻頭の第一巻は奉納される人物(慈光寺経では後京極良経)に最も近しかった人か高貴な方が担当されます。慈光寺経ではそれが後鳥羽院です。

こういう由緒ある国宝の宝物が残る比企。今ではすっかり文化が朽ちてしまったように忘れ去られていますが、慈光寺経の存在がかつての輝きを誇っています。でも、滅多に観られないところ、この六月に国立東京博物館で常設展展示されるそう。昨日、比企の方から教えていただきました。

会期は、6月25日~8月4日、です。

写真は、以前訪ねた時に撮った境内の般若心経の陶板(?)です。慈光寺経も陶板になって展示されていますが、撮る機会を逸しています。今度行ったら集中的に撮ってきたいです!

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