2013.6.26 ツイッターから転載…比企に行って仙覚さんと慈光寺の関係を改めて熟考したくなったこと、歴史作家クラブ賞授賞式のことなど
6月6日
比企の方からお借りした本を読んでいます。「慈光寺は、鎌倉時代には源頼朝や畠山重忠、そして比企一族などの信仰を集めて全盛をきわめ、一山七十五坊を数えた寺です。東国における宗教・学問・教育・文化の一大拠点が、この慈光寺だったと言えるでしょう。」そして、
「仙覚律師が晩年住んでいたと言われる槻川沿いです。なぜかと言えば慈光寺が近いからです。小川から慈光寺は山道を通るとすぐ目の前なんですね。だから比企氏の宗教は、慈光寺を抜きにしては考えられないと思うんです」と、これは対談の中のご発言ですが、文献だけでは見えてこない生きた受容感。
『源氏物語と鎌倉』の中で仙覚が出家したのは慈光寺かと推測しましたが、最近他の可能性も?と迷い始めたところ、先日比企を巡って慈光寺の存在の大きさを改めて感じ、やはり出家は慈光寺と思い直しました。そしてこの「仙覚が晩年住んでいたと言われる槻川」! そんな特定された場所があったなんて。
比企の地元の方々には仙覚さんがとても身近に親しまれています。今までどうしても国文学的に難しい問題のように避けられたのと正反対です。それと、今日気づいたのですが、比企氏といっても、比企尼や若狭局と、仙覚の問題は別ということ。いっしょくたに「比企」としてしまうと混乱します。
6月8日
比企の方からお電話を頂き、先日青鳥城(おおどりじょう)を案内できなかったから今度と。青鳥城を知らなかったので検索。比企丘陵と岩殿丘陵にはさまれた台地上の中世城郭。小田原攻めの時に前田利家が陣を敷いた城と。ここかあ、土地の人が「あの有名な前田利家が比企に来たのよ」と言われた場所は。
大きくて立派な板碑が建っていたり、二の郭、三の郭とあって巨大。中世城郭研究者にはたまらない場所かも。かの西股さんには周知の城でしょう。今度お会いしたら訊いてみます。でも、私の仙覚探究にはあまり……、という気も。現地は行ってみなければわかりませんね。
一人で図書館等の文献を渉猟して論を組み立てていた私には地元の方の広範囲な「当たり前」が豊饒過ぎて取捨選択に時間がかかりました。が、見えてきたのはその中でもただ一粒でいい、きらっと光る原石を見いだせればと。今、もしかしたら新発見史料を教えて頂いているのかもと、そんな気が。
まもなく朔日也。
6月10日
比企の講演、8月より先に都幾川で10月にすることが決まっていてテーマを検討中でした。仙覚さんが出家したと思われる慈光寺の麓なので仙覚さんと万葉集の方向で考えていたのですが、8月の流れでそれを深めて「万葉学者仙覚と慈光寺経」にしようかと、今主催者さんとメールで確認したところです。
慈光寺を訪ねて慈光寺経の存在を目の当たりにして疑問に思ったのは、どうしてこんな華麗な文化があったのにほとんど知られていないのかしらと。メールで「慈光寺はあまりにも位が高く、地元の人も近付きがたかった結果だそう」と。地元の方にも興味をもっていただける機縁を作れたらいいです!
イベントは主催さんの意向で深まりますね。最初8月の講演も鎌倉の『源氏物語』でする予定だったのですが、『源氏物語』では男性の集客が見込めないとの事で考えて、九条家と慈光寺経をメインにのアイデア。そうしたらおのずと10月も慈光寺経にと、深まっていってます。
6月11日
おはようございます。先日の横浜港のみえる丘公園で撮った葉に斑が入った清楚な紫陽花です。試みに九条家の方々と比企の関係図をパワポで図式化しています。はじめてしまったら嵌まって止められなくなりました(笑)
吉祥寺ジュンク堂に来たら目的の本はなく、なのに棚が充実しているから見ていて三冊も購入。二冊は新典社さんの影印校注シリーズで、一冊は万葉集。なんと西本願寺本巻一・二。仙覚校訂の文永三年本を底本にした写本です!もう一冊は飛鳥井雅有の春のみやまぢ。中に驚愕のキーワードをみつけて。
出がけに見たポストに日頃励まして頂いている歴史の先生から七月のブックフェア、行きますよの葉書。準備に頑張っている頃と思いますが、あまり頑張り過ぎないようにと。歴史の先生方は普段からフィールドワークで脚を鍛えてられるから国文学畑の方々と動きが違います!ほろっとする事がよくあります。←ブックフェアの同じ会場の「クリエイターEXPO東京」に私も参加します!
6月12日
外村展子氏『鎌倉の歌人』を拝読していたら、鎌倉の歌人に仙覚さんが挙げられていました! まだ鎌倉と『万葉集』の関係にたどりつかなかった頃読んだ本なので、どのページもぎっしりマーカーが引かれたなかで、仙覚さんのところだけ真っ白。改めて別色の黄色のマーカーで埋めました(笑)
6月13日
今、FBを開いたらメッセージがあって『源氏物語と鎌倉』を成すのに大変お世話になったご論考の著者のご家族から。直接お礼を申し上げるには間に合わず故人になられて忸怩たる思いを抱えていたのですが、ツイッターを通してご家族の方と繋がることができました。凄い時代!と感銘を受けています。
6月14日
やっと吉祥寺。夜の会合は出掛けるのに余裕があっていいと思ったらありすぎていろいろ用をしてぐったり。やはり朝から出た方が気分の一新にはいいかもなどと勝手なことを。出がけにポストにあったお葉書に新たな織田さんのテーマですねと。そう隠りたくなってきています。まずは今夜の用を済ませたら。
今は新宿。ここまできたら全天を覆う灰色の雲のところどころに綺麗な水色の空が。グレーと対比の水色はほんとうに綺麗!次は四ッ谷。乗り換えです。
6月15日
昨日は歴史時代作家クラブ賞の授賞式でした。実績功労賞を授賞された高橋克彦先生です。左から見守られるのは会長の津本陽先生と秋山駿先生。贈呈は岳真也先生です。
高橋克彦先生は『炎立つ』の作家さんなんですね。案内で読んで拝見するのを楽しみに出席しました。東北にお住みだそうで昨日は授賞式の為に上京されたとの事でした。実はこの写真、昨夜アップしたかったのですがスマホだとエラー。ツイッターの仕様の変更で使っていたアプリが使えなくなったためのようです。TLに公式アプリをのアドバイスを頂いてそうしようと思っています。
昨夜の、第二回歴史時代作家クラブ賞を授賞された方々です。左から高橋克彦氏、帚木蓬生氏、伊東潤氏、藤原緋沙子さん、仁志耕一郎氏。他に、直前に亡くなられた会の名誉顧問の北原亜以子さんに特別功労賞。
歴史時代作家クラブ賞のシリーズ賞を授賞された藤原緋沙子先生。お着物姿がとても素敵でした。「隅田川御用張」シリーズでのご授賞。現在15巻。10年かかったとの事に感銘を受けました。
昨夜は著書を一冊持参とあったので『源氏物語と鎌倉』を持っていきました。会場の一画に置いて好きに読めるようにと。でもその後どうするのかわからないうちに全部なくなっていて、どうやら好き勝手に持ち帰ってよかったみたい。私の本を持ち帰って下さったのはどなたでしょう。興味深く感じています。