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2013.7.31 ツイッターから転載…比企氏ゆかりの方々と畠山氏ゆかりの方をお引き合わせした楽しい一日と、真慈悲寺のことなど

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7月29日
今日手紙を三通書いて溜まっていたいわゆる「しなければならないこと」の終わり。しなければならないとわかっていても他のことでいっぱいいっぱいだと不義理を重ねてしまいます。でも、昨日送らなければならない書類等をこなして全部終わったから、これでもう心置きなく仙覚さん研究に勤しめて楽しい。

久々の雨の朝。肌寒いくらいですがさわやかです。今日は比企の方々とお会いします。比企氏ゆかりの方もいられます。知人で畠山氏ゆかりの方がいられるのでお誘いしてお引き合わせ。どういう一日になるか楽しみです。「ゆかり」という方は皆様しっかりしていられます。歴史の重みですね。

今日比企氏畠山氏ゆかりの皆様方と集ったのは多摩の霊場真慈悲寺を調査される先生のお宅。たっぷりお話した後、近くの真慈悲寺発掘調査事務所を見学。そこでの発見。吾妻鏡に鎌倉の御願寺として、慈光寺が真慈悲寺と並んでいます。

今日の集い。今帰りの車内なのですが、まあ、なんというか凄い盛り上がりの会話。私は比企といっても仙覚さん関連の国文ですが、比企氏畠山氏の方々は所謂歴女。耳を傾けて下さり方法論まで指導して下さる優しい先生に、卓上はみるみる埼玉県史や荘園研究書などの山。大学院ゼミのようでした。

7月30日
おはようございます。昨日は比企の方々を真慈悲寺を調査されている先生のお宅にご案内して歓談したのですがあまりの熱気に帰宅して気がついたらぐったり。程良いを超えた充実だったのでした(笑)。今朝、メールで先生も楽しかったと。皆様をお誘いしたことに感謝されました!

真慈悲寺について。鎌倉時代に多摩にあった頼朝の御願寺です。『吾妻鏡』の記載にあるだけで長く「幻」のとされてきましたが、京王百草園がトイレの改修工事をした時に大量の中世瓦が発見されて、ここに寺院があったと判明。それが真慈悲寺でした。今は風流な百草園も中世にあっては山岳寺院でした。

私が遺跡発掘調査の仕事をしていた時はまだ「幻」の寺院。それに憧れていたらどんどん調査が進んで、今や建物の復元図までできてました。昨日調査事務所で頂いた報告書に伽藍図が載っていて感無量でした。重たい中世瓦を葺いた屋根の伽藍です。現在の萱葺き屋根の百草園とまるで違う中世の光景。

昨日伺った先生のメールに「真慈悲寺と慈光寺のコラボで何かやりたくなりました」と。実現したらいいです!

FBページに真慈悲寺の写真をアップしました。アルバムにしてコメントで解説させていただいています。真慈悲寺はかつて今の百草園がある場所にありました。山岳寺院です。近くには高幡不動もあり、中世鎌倉にあって多摩丘陵は霊場でした。http://www.facebook.com/odayuriko.f

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2013.7.30 ツイッターから転載…よみうりカルチャーの講座12回分のテーマをFBにアップのこと、小川靖彦氏『萬葉学史の研究』から仙覚さんのこと、など。

7月24日
おはようございます。今日は涼しいですね。こんな日はと出掛けたい気持ちを抑えて提出物の作成を。10月開講のよみうりカルチャーの講座のチラシ用の原稿です。講座名は「源氏物語と鎌倉」に決まりました。目下、イメージイラストの考案中です。それから12回分のテーマも今日中にと思っています。

昨夜は久保田淳先生の玄覚についての論文を拝読して就寝。玄覚は仙覚以上に知られていませんが、仙覚の『万葉集註釈』を書写して後世に残した功績の人物。研究する人がほとんどいない中での久保田先生のご論。光行のときも「頼朝と和歌」で光行と頼朝の関係をご示唆頂きました。光行研究をなさる方が

池田利夫先生以外ほとんどいられない中での久保田先生でした。なので昨夜は、また久保田先生!と不思議な気持ちでした。久保田先生のご研究はどこか文学の香りがあるので、研究の対象にもそういう選び方がおのずとされるのでしょうか。

葛の葉と甘草の花@三鷹市玉川上水

E

イメージイラスト用に写真を探していたら、称名寺のこんなに綺麗な朱塗りの橋の写真が。2003年撮影ですから、塗り替えてもう古くなっている現在のより前の塗り替えの時のです。この時の塗り替えの方が綺麗でした。

F

称名寺(金沢文庫)は《鎌倉の源氏物語》の原点の地。その意味で、平安の趣を呈す称名寺庭園は象徴的です。

こんな涼しい日にはやはりと急遽出て来ました。東博の常設展に展示されている国宝慈光寺経を観に。慈光寺の宝物館に展示されてたのが複製だったから、本物に接するのは初めて。三品展示されていました。帰って三品それぞれのを担当されたのがどなたかあって、それを作成したのが仙覚さんかもしれないのです。自筆書状の文字と比べれば筆跡鑑定できるのでしょうけれど、一覧表はどうも草稿のようで走り書きのような文字だから簡単な比較はできません。でも、一覧表ができた年には仙覚さんは比企にいたから可能性は大。比企の華麗な歴史です。

7月25日
小川靖彦『萬葉学史の研究』序章より。「仙覚自筆本の『萬葉集』は今日現存しないが、鎌倉時代後期の写本である西本願寺本などにより、その成果を知ることができる。西本願寺本では訓が漢字本文の傍らに片仮名で記され、しかも仙覚以前からの訓が墨、仙覚が改めた訓が紺青、新たに付けた訓が朱

という、色分けがなされている。仙覚が、どこまで旧来の訓でどこから自身の新しい訓(新点)かに関して、極めて意識的であったことが知られるのである。」「仙覚の方法が飛躍的に深化するのは古代が決定的に遠くなる江戸時代に入ってからである。仙覚同様に密教を教養基盤としつつ、古人の心になって

『萬葉集』に対すべきことを主張した契沖、理想的な古代への復帰を夢見た賀茂真淵、『古事記』を通して古代精神に至ろうとした本居宣長らが古語の復元とそれによる精細な訓読を展開していったのである。『萬葉集』を「訓む」ことの歴史は、『萬葉集』を「読む」ことの歴史に他ならなかった。」

7月27日
おはようございます。昨日は10月開講の講座の予定表作り。チラシ用です。12回を6回ずつ二回。当面6回分のテーマを決めればよかったのですが、無造作に前半だけというわけにいかないから12回分作って半分だけ送りました。その後仙覚さんに戻って論文に浸って就寝。仙覚さんの偉業、凄いです!

10月開講の講座の各回のテーマをFBページにupしました。http://www.facebook.com/odayuriko.f
1. 『源氏物語』享受の歴史―「青表紙本源氏物語」と「河内本源氏物語」2. 平家の王朝文化と藤原定家・源光行3. 源平の争乱と源光行の鎌倉下向、という内容の12回分です。

7月28日
おはようございます。起きて小川靖彦氏『萬葉学史の研究』から仙覚についてのご論を拝読しています。仙覚は萬葉集を「道理」で押さえたと。道理といえば慈円ですよね。?と思ったら仙覚と慈円は同じ時代を生きた人でした。そうですよね、二人とも承久の乱を経験しているのですから。しかも仙覚は

順徳院に仕えていたとしたら、後鳥羽院に仕えた慈円とは至近距離。道理を慈円が説いたとするなら、仙覚は慈円から影響を受けた事になる。同じ時代に同じ場所にいた事がわかっていても、別々に研究していると中々顔見知りとまで思いが至らない。人の空間は有機的なのだとこういう発見の度に思うのに。

『萬葉学史の研究』より、慈円の道理とは「ものの本来の姿を求めてやまぬ、強い理念性と実践性を備えたものであった」。この時代の萬葉集研究は錯綜していて、そうした中で仙覚は慈円のいう道理を「主体的に選び取った」のでした。後に仙覚は慈円ゆかりの将軍頼経に仕えるのですが、この辺りの関係は?

仙覚が頼経室の竹御所の菩提を弔う為に新釈迦堂に呼ばれた縁が、単に仙覚が竹御所と同じ比企氏だったからだけでなく、九条家ともっと密接な繋がりがあったからなのでは?と気になってきました。道家とも繋がっている節がありますし。

今日は立教大学で源氏物語絵のシンポジウム。予定していたのだけれど疲れが溜まっいて明日もまた大事な外出があるのであきらめました。それで仙覚さんについて落ち着いて読み耽ることになって、かえってよかった。こうならなかったら読み飛ばすところでした。忙しすぎると精神が摩耗します。

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2013.7.24 ツイッターから転載…大宮八幡宮の七夕飾り《乞巧奠(きっこうでん)》、建長寺様の蓮、大東文化大学オープンセミナー、比企の古民家ギャラリー「かぐや」での講演のことなど

7月15日
杉並区の大宮八幡宮では9月9日の重陽の節句に、菊に真綿を被せて不老長寿を祈願する「菊被綿」が再現され、毎年公開されているそうです。

A

源氏最初の白旗。大宮八幡宮は、鎮守府将軍源頼義が奥州に赴きこの地にさしかかった時、大空に白雲がたなびいて源氏の白旗が翻るような光景になったのを、これは八幡大神の御守護のしるしであると喜び、神社を構えることを誓ったと由緒にあります。

B

大宮八幡宮の七夕飾りは、平安時代様の乞巧奠(きっこうでん)。毎年飾られていたそうですが、FBで写真をアップされた方がいらして今年はじめて知りました。しかも今日まで。私は《鎌倉の源氏物語》の象徴としてこの写真を撮りたかったのです。

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7月16日
沿線だから大宮八幡宮のポスターは目にしていたけれど七五三や結婚式には無縁で素通り。平安様式の七夕飾りを探して鶴岡八幡宮まで出向いたのにまさか大宮八幡宮にあったとは。神社の風格をどうしても鎌倉に基準を置いてしまうけれど、昨日はじめて由緒を知って気持を改めました。

今年行われている当宮御鎮座950年祭は、奥州を平定して凱旋した源頼義が石清水八幡宮を勧請した年からの950年だったのですね。それで先日流鏑馬神事まで行われて。撮らせていただきながら、こういう歴史に無頓着でした。庶民の七五三と厳粛な神事と共存しているのが神社だったのです。

7月17日
こんな時間になってしまいましたが今日のうちにご報告。夕方お電話をいただいて、某カルチャーセンターで10月から講座を持たせていただくことになりました。タイトルは『鎌倉武士も愛した源氏物語』。来週打合せで詳細が決まります。

7月18日
何年ぶりかの腕時計。携帯になって止めて以来。ブレスレットをしようと思ってふと、じゃあ腕時計でもいいわと。手巻き式のアンティークな腕時計は気に入ってたのだけれど、撮影の時嵌めていると引っ掛かる事が多く遠ざかりました。久々の腕が拘束されている感覚。何でも自由すぎる今、これ、いいかも。

鎌倉に向かっています。現代語訳『吾妻髪13親王将軍』を持って出ました。ブックフェアで買ったばかりの最新刊です。道草ばかりで心が煩雑になっていたからなかなか戻れませんでした。でも昨夜やっともう回り道はいいかな?自分の事に専念しようという気になって。鎌倉までしばし浸ります。

水琴窟?と振り返ってもあるはずがなく、そこは広い木造建築の方丈の間。しばらくしてまたカラカラと綺麗な木簡の響く音がして小壁にかかった木札が棚引いて触れ合ってする音とわかる。仏は森羅万象あらゆる手だてでもって人に法を伝えていると教えられた。木簡の音も仏の声。届いてきた事が嬉しい。

今日の鎌倉で撮った建長寺さんの蓮。午後だったのにこんなに見事に開いて。思いがけず嬉しかったです。

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7月19日
先日比企の方から頂いたメール。九条家領があった滑川市の月輪神社の隣に、やはり九条兼実ゆかりの勢至堂があり、そこでフルートのコンサートがあったそう。その時ご住職様が兼実についてお話され、その後主催者さんが8月25日の私の講演を告知して下さったそう。ご住職様のお話、私も伺いたかった。

8月25日の講演は滑川市のかぐやという古民家ギャラリーで行うのですが、比企の歴史は深いところで九条家と密接に繋がっているという内容。兼実の曾孫の頼経が第四代鎌倉将軍になり仙覚という万葉学者を育てたという。八月に京都に行くので兼実陵を参拝したく思っています。

7月20日
おはようございます。大東文化大学東松山キャンパスのオープンセミナーで講座を持たせて頂く事になりました。10月22日「仙覚律師の研究と生涯」です。昨日、パンフレットに載せる講座の内容とプロフィールを送りました。《埼玉の古典》という全体テーマの中の仙覚さんです。隣に岩殿観音がある大学です。

講演の機会を頂く度に論が深まる。これまでの経験で一回の講演は一冊の本をまとめるのと同じ。私の場合は時系列の写真を追ってお話するので歴史的時間の齟齬が許されない。ということは逆に「ここでしかあり得ない」という絶対性も見えてくる。大東文化大の講座で改めて仙覚さんをまとめます。

7月21日
おはようございます。【8月25日の古民家ギャラリーかぐやの講演】、HPに載せていただいてました。タイトルが仮題となっていますが「あのとき比企は輝いていた!」。テーマは九条家と繋がる比企の歴史です。竹林の中の風格ある古民家建築です。http://g-kaguya.com

【古民家ギャラリーかぐやの講演】、詳細をFBページに書きました。http://www.facebook.com/odayuriko.f

今日は揚羽蝶をよく見ます。黒揚羽に茶色い輪郭線に水色が入ったアールデコ模様のようなとか。昨日までは見なかったので一斉に孵化したのでしょうか。

何故か地元の図書館の地方史コーナーに『東松山市の歴史』。借りてきましたが、埼玉県には多くの市町村があるにも関わらずほとんど棚にない中で東松山市のが。昨夜岡田潔氏『東松山の地名と歴史』で、高坂とか岩殿とか唐子とか、地域の相互関係をやっと把握したばかりなので因縁めいてしまいました。

7月22日
莫■圓隣之 大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本(■はIMEにもない喧しいの意の漢字)← 澤瀉久孝『萬葉集注釋』より。「静まりし 浦浪さわく 吾が瀬子が い立たせりけむ いつ橿が本(イツカシガモト)」。

上にご紹介の『万葉集』の歌は、仙覚さんがはじめて訓を加えたいわゆる新点歌の最初の作だそう。万葉仮名はそれとなく雰囲気で察することのできる歌もありますが、これは~(泣)ですね。仙覚さん、こんな大変なことをされてたのですね。はじめて業績の実際に触れて胸詰まる思いがしました。

昨日は澤瀉久孝『萬葉集注釋』を見に図書館に。棚に並んであるのを知ってましたので。仙覚さんの『万葉集註釈』の活字版とばかり思っていたのですが、澤瀉先生の新たな註釈書でした。でも、一々の歌への膨大な量にのぼる註釈に接し、仙覚さんもこういう事をされていたのだと思いを馳せたのでした。

今日は都内で10月からのよみうり文化センターでの講師の打合せ。月二回、隔週で6ヶ月講座を持たせて頂きます。その後、広尾の図書館に回ってコピー。しばらく充実した読書をしてないから、早く帰って読みたくてたまりません。

月齢君・ぴったり‏@sekki_getsurei37月23日
ただいま《望》です《現在の月齢 14.46》(at 03:16)

7月23日
昨夜は広尾の図書館でとってきたコピーを拝読しつつ就寝したのですが、めくるめくような新しい資料の発見に、起きてノートをとりたいくらいでした。でも、ぐっと我慢して寝て、今地元の図書館にきています。広尾になくて国会図書館に行かなくてはと思っていたのが、論文集に入っていると知って。

「ぬばたまの夜のふけゆけばひさ木おふる清き河原に千鳥しば鳴く」 図書館の資料請求で待つあいだ、昨日の続きの沢潟博士『万葉集注釈』を見てたら、好きな歌に遭遇。なるたけ歌に引きずられまいと仙覚さんに触れる箇所だけ追うようにしているのですが、豊饒な歌群には負けます(泣)

もう一首。「こもりくの泊瀬の山に照る月はみちかけしてぞ人の常無き」

『冷泉家時雨亭叢書』が地元の図書館にあって、しかも貸出可なんて!

昨夜の満月は雲が流れてきていて、見え隠れする月にかかる雲が赤く染まってとても幻想的でした。FBページに写真を載せました。http://www.facebook.com/odayuriko.f

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2013.7.22 ツイッターから転載…《今、比企が熱い!》。EXPOによってもたらされたもの

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7月11日
EXPOの効果が比企になるなんて想定外でしたが、比企に燃え始めています。如何に「比企」がマニアックかを痛感してのこと。鎌倉とこんなに深い繋がりがあるのにこんなに無視されているなんてという楽しい義憤。今、比企がまるでブラックホールであるかのような感じで覚えられています。

いくら無視されていても、その地にはその地に生きた人の歴史があるわけであり、その歴史は遡れば例えば比企では鎌倉の歴史と繋がる。そして現在生きている方たちはしっかりとそれを語り継いでいる。しかも比企の歴史には底に『万葉集』の存在があるんです! 凄いことと思います。だから、楽しい。

EXPOへの参加は『源氏物語と鎌倉』のアピールが目的でした。それで、表紙を拡大した大きなポスターを作って設営したら、壁に余白が。急遽「今、比企が熱い!」のポスターを作って初日の開始前に間に合わせました。それが冒頭の写真です。

結果は、見事スルーでした。『源氏物語と鎌倉』だけだったらもう少し足を止めて頂いた気がしないでもなく。でも、このお陰で私の中で比企への認識が高まったのでした。もし余白がなく、『源氏物語』のポスターだけで終わってたら、まだ私は「鎌倉の源氏物語」から先に進むことなくいたでしょう。

だんだん比企の原稿を書きたくなってきていて、昨夜タイトルが浮かびました。「比企万葉幻想 ー仙覚は誰か」。出版・学会・講演と外に出ることばかりが続き、しばらく隠ってなかったので、久々のこの充実した感覚、楽しみです。

先だって籠って原稿を書くときのこもるを変換したら下のような「隠る」がでて、あ、と思い、籠るは隠るだったんだと。籠るに違和感を覚えながら使っていたのですが「隠る」にはピタッと。隠りくのは泊瀬にかかる枕詞。大好きでした。調べたら泊瀬は山に囲まれて隠るからと。ますますピタッとです。

十月に埼玉の或る大学のオープンセミナーで一回、仙覚さんの講座を持たせていただくことになったのですが、連絡を下さった教授の方のお名前に見覚えが。『源氏物語と鎌倉』所収の「北条実時と『西本願寺本万葉集』」を執筆中に拝読した方でした。出発点に帰った気分。巡り巡って、ですね。

7月12日
八月の比企での講演「あのとき、比企は輝いていた!」(九条家と比企・仙覚の関わりがテーマ)を企画して下さっている方が頑張って、比企一帯の、小川町・滑川町・嵐山町・ときがわ町・東松山市の後援の承認が頂けたそう。とにかく「比企」が燃えていて、いろんな方が聴きにいらして下さりそう。

それから、比企氏ゆかりの方ともご縁ができて、ミーティングと称して何回か会って情報交換させて頂いているのですが、現地の方ならではの深い情報と見地に感銘。いつも励まして頂いている歴史の先生にお伝えしたら関心を持って下さって、今度お引き合わせすることになりました。

先程のツイートの追加:『吾妻鏡』を読む会の繋がりで畠山氏ゆかりの方とも知り合いになっていて、彼女に比企氏の方々の話をすると彼女も会いたいと言ってらしたので、今度の集まりにお誘いします。比企氏と畠山氏って、歴史上では敵対したりしてなかった?なんて、歴史に疎い私は思ったりして。

写真集『万葉東歌の世界』。図書館にあって借りてきたのだけれど、万葉仮名で地名が記されていて、写真も今ではもう開発されてこの景色はないだろうなといった感じ。とはずがたり二条が見た景色にむしろ近いのでは? 昭和52年刊なのにと。仙覚が見た万葉の駿河、そんな景色を追っています。

仙覚は誕生の年に比企の乱。順徳院北面の武士だった19歳で承久の乱。『万葉集』の校訂をさせてくれた将軍頼経は宮騒動で更迭。『万葉集』を献上した宗尊親王も更迭。と、翻弄され続けた人生。庇護者を失ったその都度、比企に帰省したり駿河の旅に出たり上洛して後嵯峨院に奏覧したりしています。

比企の方と話していると文献だけでは到底想像のつかない「生活」が見えていて驚く。例えば生まれたばかりの赤ちゃんを男の別当が寺院で育てるなんて無理。お母さんがついていたはずよとか、北面の武士になったからには相当な家の後盾があったはず。仙覚は孤独なみなし子ではなかったと思う、など。

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上の写真は仙覚が預けられた比企の岩殿観音ですが、系図にそうあったので私はここで育ったとばかり思っていたのですが、現地の人の案内で別当だった人の屋敷跡を訪ね、ここで育てられていたと思うと説明されて、机上の学問の薄っぺらさを痛感したのでした。

7月13日
久曾神昇氏『古今和歌集への道』を拝読してたら山岸徳平先生のお写真が。『尾州家河内本源氏物語開題』でお世話になりながらお写真に接するのははじめて。大学の学長をしてらした関係で付属の中高時代からお名前に接していました。今は歴史にばかり関わっているからこのご本の国文学の薫りが嬉しい。

何だろう。詩的な言葉を紡ぎだすために詩的な事を書いた詩や文章を読んでもかえって心が萎えてくる。でも、昨夜ツイートの久曽神昇先生の『古今和歌集への道』を拝読しているとどんどん活気が満ちてくる。結局私はやっぱり国文学が好きなんだなあと、潤いを取り戻した感じです。

でも、国文学といっても、私が好きな領域は写本とか絵巻の料紙の世界。久曽神先生のお名前はよく拝見していてもあまりご論に接しないと思ったのはご研究が文学的な内容でなく、『国宝西本願寺三十六人集』『古今和歌集総覧』のような古筆の集大成の出版だったからなんですね。これはとても貴重。

『古今和歌集総覧』の総は正しくはツクリが違いますです。スマホで変換できなくてすみません。これは、古今集の主要な古筆切をすべて集めて翻刻したものだそう。これ一冊で古今集の古筆のことが全部わかると喜ばれているそうです。見てみたいです。

朝から連ツイ恐縮ですが、久曽神先生が古今集を研究対象にされたのは、当時万葉集研究が盛んで古今集の研究がされてなかったからと。古今集といえば源氏物語と並ぶ日本の二大古典なのにこれではいけないと思われたそう。万葉集は万葉仮名の解読が研究にし易いからだったそう。今でこその古今集なのに。

久曾神昇先生『古今和歌集への道』、拝読やめられずにいます。私は西本願寺三十六人集が好きで、徳川美術館の石山切展には日帰りで名古屋まで行きました。その基となったのが久曾神先生の『国宝西本願寺三十六人集』の出版だったとは!このご刊行でこの素晴らしい料紙の歌集が全国的に広まったそう。

ご著書から。「西本願寺本三十六人集は、国宝中の国宝で、普段は秘庫に収蔵されており、晴天でなければ開けられず、慎重の上にも慎重に用心して扱うのです。田中親美翁が取扱う以外は、誰も手を触れることさえできない」。久曾神昇先生はその田中親美翁の信頼を得られてのお仕事なのでした。

田中親美は、国宝西本願寺本三十六人集のみならず、国宝源氏物語絵巻、国宝平家納経の復元模写をされた方。『古今和歌集への道』にはその目利きの凄さが描かれていて、あまりの凄さに胸がすうっと晴れる思いがしました。お写真もはじめて。こういう世界、ほんとうに好き!と心酔しています。

7月14日
明日までの展示で撮りにいきたい所があって予報では今日から少し暑さも和らぐとあったから今日の予定をしていました。なのにいろいろあって出る時間がこんなになったらもうこの猛暑。外の撮影だから身がもたないと思うので明日に。いつも予定していてはずれてぎりぎり。

ようやくぽつぽつとお礼状やらご報告のお便りを書ける状況に戻りました。これをクリアしないと先に進まないとわかっていて、どこか避けて過ごしている時間が長いです。でもできるようになると思考も整ってきて集中態勢に。気分屋さんなのです。結構頑固(笑)。あきれ果てています。

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2013.7.10 EXPOの疲れのなか、たらたらと仕事してます(笑)。でも、いろいろと嬉しいことが!

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7月6日
今朝の朝焼けの空はちょっと変でした。4:40頃の東の空です。山梨の方が朝にやはりおかしな雲を投稿されていましたが、昨夕のビッグサイトからも同じ雲が観られ、気になっています。

7月7日
建長七年七月七日、其ノ篇ヲ果ツ。時ニ雁字終点ノ朝也。更ニ紫式部ノ往情ヲ暗ンズ、牛女結交ノ夜也。遥カニ驪山宮ノ昔ノ契リヲ思ヒ、翰ヲ染メ、牋ヲ操リテ、慨然トシテ記ス。朝儀大夫源親行 (「鳳来寺本源氏物語」識語より)

七月七日長生殿/
夜半無人私語時/
在天願作比翼鳥/
在地願為連理枝/(「長恨歌」より)

 

今日は《鎌倉の『源氏物語』の日》。それは、鎌倉の『源氏物語』である「河内本源氏物語」完成の日付を、源親行が七月七日にこだわって奥書に記しているから。親行は、紫式部が光源氏の両親の愛を、「長恨歌」の玄宗皇帝と楊貴妃に譬えて桐壺巻に引用したのを象徴的に捉えていたのです。

 

七夕にちなんだ訳もないのですが、偶然この日に行くことになって、池袋サンシャインにあるプラネタリウム満天に行きました。

ヒカリエになってしまってなくなった渋谷東急文化会館のプラネタリウム。何回行ったでしょう。グリーンスリーブスの音楽とともに日の入りから夜明けまでの星空が眺められるプラネタリウム。それが原点の私には、サンシャイン満天の上映はプラネタリウムというよりミニシアター。ショコタンが案内する宇宙と、ブラックホールの二回観ましたが、どちらも迫力満点でした。

陽がさして、それは強烈な陽差しで窓から見えるかぎりの空は凄い真夏の青空で。なのにとても間近に雷鳴が。だんだん近づいているのかも。@三鷹市

降ってきました。大粒です。雷鳴も轟いて。なのに、窓から見える南の空は晴れてます。

雨と雷鳴は去って綺麗な青空の広がりとともに虹がでました。アーチにはなりませんでしたが、七夕の日の虹は格別。真っ白な巨大な雲に目をみはりつつ。

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今、真上に夏の大三角。もやっと薄い雲がかかっていて星空は望めないと思ったのに目を凝らしたらさすが、明るいベガとアルタイル、デネブだけは見えました。デジカメの手持ちの撮影ですが。

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7月8日
おはようございます。クリエイターEXPOが終わって七夕が過ぎ、ずっとどれもどれも重要で気が抜けなかったことの二つが終わりました。今日から心機一転、比企に重心を移して励みますが、また何かするべきことが重なってくるかもの気配。動いています。今日は新月、取り急ぎこれから図書館に。

朝EXPOにいらして下されなかった出版社さんの方からお電話。鎌倉の源氏物語が如何にマニアックかを認識したいい学びの場になりましたとお伝えすると、その方もそうなんですよねぇと。でも鎌倉時代の写本はそれ以降のと違うしと、その方。今後も頑張って普及に努めさせて頂きますとお伝えしました。

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ただいま《朔》です《直前の月齢 29.64》(at 16:15)

図書館への往復の動作でEXPOの疲労が溜まっていると実感。精神的に充実してるから疲労なんてないとばかりに動いていましたが、帰って少し横になったら吸い込まれるように眠ってしまい、その心地よかったこと。そこに天地が炸裂したかのような雷鳴。飛び起きました。そして、今降ってきました。

昨日行った池袋サンシャインからスカイツリーが見えました。どこに行っても見えるのがなんだかおかしい。スマホで撮ってツイートしようとしたら何故か失敗。最近また送信できませんでした事件が続いています。これは画像縮小したもので改めて送信。

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7月9日
今日も出かけるのでそれを考えたりして寝たから、起きた時に、あれ、ここはどこ? と一瞬戸惑いました。EXPOの疲れがだんだん出てきているのか、まだ非日常が抜けないのか、感覚が現実に戻りません。そうしたら、八月の講演に使う写真の最初の一枚がふっと浮かび、気分は一気に比企に突入です。

7月10日
昨日は比企氏ゆかりの方々とお目にかかりいっぱいいっぱいになりそうなくらいの情報を頂きました。帰宅してメールを見たら、EXPOでお話した劇団主宰の方から仙覚主役の舞台を考えると。もう一通、大学の公開講座で仙覚さんのお話をと。二件とも実現したらいいな!というところです。

昨朝目覚めとともに浮かんだ八月の講演に使うスライドの最初の一枚をご紹介させていただきます。キャプションはまだ練ってなくて中途半端です。講演のテーマが「九条家の人々が主軸となった比企の歴史」なのでここからはじめようと。

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2013.7.6 第二回クリエイターEXPO東京への出展。昨日無事終了しました。

7月2日
ビッグサイトにいます。クリイエターEXPO東京の設営を終わって、ブックフェアのエリアを見てきました。同じフロアなんです。クリイエターは明日から三日間、ブックフェアは四日間、はじまります。今年はクリイエターに出展するので中の人。大手出版社さんの設営を見て回ってドキドキしています。

ビッグサイトで明日からはじまるブックフェア。同じ会場のクリエイターEXPO東京に出展します。先程設営して帰宅。小さなスペースですが三日間詰めています。設営はこんな感じにしてきました。

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7月3日
@komimai いらっしゃるの?驚き!でも、一度は観ておいていいイベント。私はお勧めです。無料招待券をお持ちの方は初日から入れます!私は今向かっているのですが、昨日の疲れで出るのが遅くなって、テープカットに間にあわなさそうで、あ~あ、です(笑)

出掛けにある方からお電話。秋にある大学の公開講座で仙覚さんについての講座をさせて頂けそう。ブックフェア初日の朝にブックフェアより先に素敵なご縁を頂きました。

東京国際ブックフェアのテープカット直前のようすです。ファンファーレと共に開幕しました。私は何とか間に合って汗だくです(苦笑)

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クリイエターEXPO東京の絵本ゾーンに、立松和平先生のお嬢様が出展されていて、お母様から携帯に私が出展していると連絡あったからとご挨拶頂きました。絵本ゾーンのCー9、山中桃子様です。

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今、静岡県からご来場の方とお話しました。富士川の合戦で飛び立った水鳥の音に驚き平家が退散した、そのときの源氏軍を案内したご子孫様でした。浅間神社の流鏑馬もご子孫の奉納がはじまりとか。びっくりしながらおうかがいしました。

休憩に出てきています。一時半までと紙を置いて。座っていると見張り番みたいで立ち止まるのをためらわれるような感じの方も。案外、席を外すのもいいかも。

出口を出るとき振り返ったら、早速一人の男性が立ち止まってチラシを手にゆっくり読まれていました。もとろうかな?と思ったのですが、私も寛ぎたかったし、出てきました。

戻ってきました。

午前中、劇団の主宰者という方が興味を持って下さって、長々と話し込んでしまいました。元国語の教師をしてらしたから国文学はお手のもので、でも、定家がこんなだとは知らなかったと。面白がって下さって、こういう事があるからやった甲斐がと思いました。

ビッグサイト、ロビー。ブックフェア入口とクリイエターEXPO東京の入口が並んでいます。三時の休憩に出てきました。でも、珈琲の注文に並んでいたら時間が経ってしまい、ガックリ(笑)

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ブックフェアと同時開催の電子出版EXPO、私が毎年通うようになった初期の頃は電子出版といえばパピルスくらいしかなく、Googleとシャープが二大大手みたいに賑わってました。何年か前にGoogleが出展しなくなり、今年の会場で配られる紙袋を見ると楽天ばかり。変化多いです。

安土桃山城の映像を作ってられる方が立ちどまられて、織田、だから興味を持ってと。八王子城のレースガラスの話をしたら、知らなかったと面白がって下さいました。人生にはいろいろなアプローチがありますね!

鎌倉がミニシリコンバレー化している噂は聞いてたけど、カマコンバレーというのだそう。しかも、鎌魂バレーとか。鎌倉らしくていいですね。と、これもクリイエターEXPO東京で入手した情報。

今、ツイッターをご覧になってられる方が、出展していると書いてあったのでとわざわざいらして下さいました!嬉しかったです。

クリイエターEXPO東京、初日が終了して出てきたら、ビッグサイトのガラスの壁面に夕陽の雲が映っていて綺麗!

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国際展示場駅はまだ遥か!

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7月4日
おはようございます。クリイエターEXPO東京二日目。ビッグサイトに向かっています。終日詰めているのはハードだろうなと覚悟していたのですが、いろいろな方とお話していると刺激的でいつの間にか時間が経っていました。今日はまたどのような展開になるのでしょう。楽しみです。

何かのご参考に昨日の経験を。未出版の長編があるので、いらして下さった方に見て頂くために、最初kindleで電子書籍にしてiPadで用意しようと思ったのですが間に合わず、急遽自分で刷って製本した紙の本にしました。結果として紙の本で正解でした。紙の本は勝手気儘に見て頂けます。が、

iPadではそうはいかないですよね。紙の本には手持ちぶさたを埋める気楽さがあるよう。物体がもつ存在感が安心なのかも。この歴史随想、久しぶりに読み返して自分でも面白く思ったのですが好評でした。三冊用意したのですが、三冊共差し上げてしまったので、昨夜また刷って持ってきました。

東京国際ブックフェアと同時開催のクリイエターEXPO東京、二日目がはじまりました。写真は受付があるロビー。ブックフェアとクリイエターは一階で、電子出版EXPO等は二階です。

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朝にツイートした歴史随想『寺院揺曳ー幻の廃寺を訪ねてー鎌倉佐々目遺身院』。HPに載せてあります。よかったらご覧下さい。

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座っていると時々関心を持って下さる方がいらっしゃっいます。しばらくしてわかるのですが、出版社さんか編集者さんで、ライターを探しているそう。分野があるので社に帰って検討してみますと資料をお持ち頂いています。私の分野はマイナーでと申し上げると、そうですねと皆様笑われます!

13時45分まで休憩に。私のは難しそうだから、余程関心がないと、目があったら大変!みたいに、瞬時にして目をそらされること多いです(笑)。なので、たまに居なくなる事にしました。

クリイエターEXPOには、私のような作家の外、デザイナー、イラストレーター、絵本作家、音楽家、書道家、漫画家、写真家、占い師等々いろんな方が出展されています。視覚系のゾーンは華やかで賑わっています。作家ゾーンは渋いです(笑)。作家も、軽い書き物の方には皆様足をとめられます。

今日の空。ビッグサイト、二日目終了。あっという間に時間が経ちます。

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7月5日
おはようございます。目ざましが鳴って目が覚めて、?、なんでこんな時間に起こされたの?と。しばらくして覚醒して、あ、ビッグサイトへ行くんだったと。三日間通勤のように通うなんてほんとうに久しぶり!今日で終わりなのだと思うと寂しい。イベントは楽しいですね。

やっと渋谷。今日は遅刻。恐い(笑)私がブースにいるより離れていた方が皆様じっくり足を止めてポスターを読んで下さるとわかったので呑気です。こんなに弛いイベントもはじめて。規則さえ守れば何の管理もありません。この弛さ、楽しんでいます。

昨日もたくさんの方とお話したし、ご紹介させて頂きたい事もあるのですが、ツイートする余裕がなくて、折を見てまたさせて頂きますね。

昨日、源氏物語を紹介するアプリのシナリオ書けますかという方が。はいと答えるといきなり、報酬は出来上がった時に一括で、それとも印税方式に?と。商談が苦手な私はそこで困惑。でも内心、これを引き受けたら控えている論文や比企の講演準備に差し支えるなあと。そんなおかしな状況です(笑)。

ビッグサイトの駅に到着しました。雨が降っています。

比企のルポ企画。連載させて頂くところを探しています。最初『源氏物語と鎌倉』をアピールするのが目的の出展でした。が、設営した時ポスターを貼ってみたら余裕があって、じゃあ、と思い立ち、急遽、比企の企画の新連載の場を探す事にしたのでした。

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@5656rock 有難うございます!思いがけないエールにびっくりしました。

さっきまでブックフェアエリアを回って目星の本を二割引で購入しながらいろいろな出版社さんのブースを見て楽しんで、また今もお昼の休憩に出て、今日はまだ営業活動(?)をしてません。12半までのんびりします。このイベント会場特有の雑然した活気の空間、好きなんです。

ロラン・バルトのタンジールではないけれど、自分とはまったく関係のない周囲の雑然とした音と気配。それを感じながら一人座っているという贅沢な孤独の空間。日常を離れて。

二階の電子出版EXPO会場にきました。これは見下ろして撮ったロビーの光景。左端にクリイエターEXPOの入口。

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ビッグサイト二階テラスから見た東京テレポート方向。

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戻ってきました。これから通常営業モードに入ります。電子出版EXPOエリアは活気があってもっとゆっくり見て回りたかったです。戻ったら貴名受にお名刺が三枚、すみません(泣)。

吉川弘文出様からご挨拶頂いてしまいました。恐縮。私から伺うべきところ、人見知りなので遠慮しました。先程ブースを訪ねて二割引の現代語訳吾妻鏡を購入したときも、こそっと(笑)。光行さん押しには燃えるのですが、自分押しにはよわいんです。

今日から一般の方も入場されているので混んできました。でも私のブースには昨日までの方のほうが立ち止まって下さったかも。源氏物語も万葉集も大切な日本の文化なのに、耳を傾けてうんうんと頷いて下さった方も、最後には、マニアックですねぇと(笑)。そのマニアックを普遍にするのが私の使命です。

クリエイターEXPOのビッグサイトから帰ってとにかく何よりも先に寝て疲れをとりました。終わってしまったのが名残り惜しいような気持ちです。楽しかったし勉強になりました。2,3,ツイートさせて頂きます。

まず何よりも痛切に見えてきたのが『源氏物語と鎌倉』が如何にマニアックな本かということ。関心をもって聞いて下さった方のほぼ全員が最後に口に出されたのが「マニアック」の言葉でした。「マイナー」ではなく「マニアック」なんです。これは新鮮な発見。これって凄いことですよね!

それからコンテンツを探しているという方と接触。『源氏物語』に関係なさそうな男性が立ち止まられたので?と思っていたら、「これをスライドショーにしたものありますか」と。DVDを作るコンテンツを探してられるそう。YouTubeを見ていただくことにしましたが、成程と、時代を感じました。

YouTube 【万葉集と源氏物語の鎌倉】http://www.youtube.com/watch?v=TaFtZ4cGlw4 …と【双子の写本がたどった運命~仙覚と『万葉集』の歴史~】http://www.youtube.com/watch?v=ev1vVqCLfl8 …です。

最後に比企の方がいらして下さって八月の講演の打合せ。「仙覚さんの故郷比企」から始まった企画の講演ですが、比企には九条家領があって兼実を祀る月輪神社があるほど。でも今では地元の人でさえ月の輪熊がでるの?みたいな状況だそう。で、九条家を主軸にした内容の講演にしました。

九条家といえば、兼実と俊成・『源氏物語』との関わり、良経と後鳥羽院・『新古今和歌集』との関わり、逝去にまつわる慈光寺経との関わり、第四代将軍頼経と仙覚・『万葉集』との関わり、慈光寺経の奉納と、華麗な文化の満艦飾。それが比企に集結しました! あまり知られていない歴史です。

7月6日
ある絵画展。EXPOの準備で行かれなかったから終わったら是非と考えていましたが無理みたい。明日が最終日なんです。昨夜終了のご報告がてら、これから比企に全力投球ですと歴史の先生にご報告したら、比企と仙覚の問題、僕が生きているあいだに仕上げて書評を書かせて下さいと。それ程の問題です。

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2013.7.2 ビッグサイトで明日から始まる東京国際ブックフェア。その同じ会場内のクリエイターEXPO東京に出展します。

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ビッグサイトで明日からはじまる東京国際ブックフェア。
その会場のなかのクリエイターEXPO東京に出展します

今日はその設営。こんな感じに仕上げてきました。
『源氏物語と鎌倉』の蓮華をアピールです。

考えてみると、文学を挫折して歴史に入り、論文を書いたりしているうちに
今度は歴史小説というかたちで文学に回帰したのですが、
一旦ご縁を切っているから、
私の周辺には思索を深めて下さる先生方はいられるものの、
広めて下さる出版関係の知人は皆無。
そんなことに気がついての出展です。

明日からどんなご縁があるでしょう。とりあえず、挑戦してみました。

追記:京国際ブックフェア・クリエイターEXPO東京は明日からはじまりますが、無料招待券の請求が間に合わなかった方はこちらを印刷してお持ちください。e招待券です。共通でどちらにも入場できます。http://www.creator-expo.jp/RXJP/RXJP_Creator-Expo/documents/2013/CET13_e-INV_J.pdf

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2013.7.1 【七夕は鎌倉の源氏物語の日】宣言!

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【七夕は鎌倉の源氏物語の日】宣言

 紫式部は、光源氏の両親の桐壺帝と桐壷更衣の愛を、唐の玄宗皇帝と楊貴妃に譬えて書きました。『源氏物語』桐壺巻に、

  朝夕の言ぐさに翼をならべ枝をかはさむと契らせたまひしに

とあるのがそうです。これは、白居易「長恨歌」の、

  七月七日長生殿

  夜半無人私語時

  在天願作比翼鳥

  在地願為連理枝

を引用したものです。七月七日の夜、誰もいない長生殿で、玄宗皇帝は楊貴妃に「比翼鳥」「連理枝」であろうと囁いたのでした。

 建仁二年、すでに鎌倉に下って一人『源氏物語』の校訂をはじめていた源光行は、子息親行を藤原俊成のもとに遣わし、俊成から借りた『源氏物語』本でみつけた不審の箇所について尋ねさせました。

 これは、当時光行が仕えていた鎌倉の第二代将軍頼家が、京都に建仁寺を建立しようと決め、光行が他の御家人らと一緒にその采配や下準備に一時上洛していたときのことです。光行が鎌倉に下向して十年前後の歳月が経っていました。

 その間に最初に仕えた頼朝が亡くなり、引き続き頼家に仕えて、光行は鎌倉での地位を固めていたのです。そして、建仁寺の作業の合間の少ない時間を縫って、鎌倉にいてはできない『源氏物語』の権威を訪ね、溜まっていた疑問を晴らすことに奔走したのでした。

親行を代理に出したのは、一時上洛という限られた時間のなかでの止むを得ない措置だったのでしょう。おそらく光行は上洛してすぐ俊成を訪ね、俊成の所持する『源氏物語』を自身の校訂のために借りたのだと思います。

 そして、とりかかって早々に、親行を遣いに出した質問の箇所に突き当たったのでした。それはやはり桐壺巻での「長恨歌」の引用部分で、「大掖ノ芙蓉 未央柳」とあるべきところを、俊成の本では「未央柳」が見せ消ちになっている。楊貴妃を芙蓉と柳に譬え、桐壺更衣を女郎花と撫子に譬えて、二句ずつ並べてこそ聞こえがいいのにわざわざ消したのは何故かというものでした。

 見せ消ちというのは国文学用語で、訂正するのに線を引くなどしてもとの文字が見えるように消すことを言います。俊成の答えは、行成自筆の本がそうなっていたからで、自分が勝手にそうしたわけではない。何故なら、行成は紫式部が生きていた時代の人だから申し合わせたこともあろうからでした。

 俊成もまたこれについては訝しく思ったので探したところ、若菜巻に答えがあったと親行に言いました。親行がそれを伝えると、光行は若菜巻のどこかと問い、親行がそこまでは尋ねなかったと答えると、光行は激しく怒って勘当までしたといいます。親行はそれから若菜巻を何度も読んで自分で問題を解決しました。

 後に鎌倉で「河内本源氏物語」を完成させた親行の、『源氏物語』の権威となる原点のエピソードです。

 光行は藤原定家と一歳違いで、祖父が平忠盛に、叔父が平清盛に仕え、父は中宮職に近い位置にいて後白河院寵愛の建春門院滋子や、高倉天皇中宮の建礼門院徳子のためにはたらくなどする家系でしたから、感受性ゆたかな思春期を、定家ともども平家の王朝文化の只中に生きて、優雅なその恩恵にどっぷり浸って過ごしました。

 『源氏物語』は紫式部自身が書いた本は残っていず、私たちが今読むことができるのは昔の人が書き残してくれた多くの写本があるからです。

 『源氏物語』の写本には二大写本といって、「青表紙本源氏物語」と「河内本源氏物語」があります。「青表紙本源氏物語」は定家の校訂で京都で成立。「河内本源氏物語」は光行がはじめて鎌倉で成立しました。

 平家が朝敵となって滅亡したために光行は鎌倉に下ります。そして頼朝・頼家・実朝の源家三代の将軍に仕えるのですが、武士に囲まれ雅とはほど遠い鎌倉の地で、親しかった平家の方々を偲ぶよすがとして『源氏物語』の校訂をはじめたのでしょう。

 しかし、光行の代で「河内本源氏物語」は完成せず、親行が引き継いで、それからなお二十年近い歳月を要して、建長七年七月七日に完成しました。親行は六十歳半ばに、時代は第六代将軍宗尊親王の世になっていました。それを記す識語を鳳来寺本『源氏物語』からご紹介させていただきます。

  建長七年七月七日の朝、「河内本源氏物語」の完成をみた親行の胸に去来したのは、まず紫式部のことであり、それから七夕の夜に関わって玄宗皇帝と楊貴妃のことでした。

  嘉禎二年二月三日ニ校書ヲ始メ、建長七年七月七日、其ノ篇ヲ果ツ。時ニ雁字終点ノ朝也。更ニ紫式部ノ往情ヲ暗ンズ、牛女結交ノ夜也。遥カニ驪山宮ノ昔ノ契リヲ思ヒ、翰ヲ染メ、牋ヲ操リテ、慨然トシテ記ス。朝儀大夫源親行

                       (「鳳来寺本源氏物語」識語) 

『源氏物語』なのですから、例えば光源氏とか紫の上が挙げられてもいいところを、親行の胸に浮かんだのは玄宗皇帝と楊貴妃なのです。これほどに深く親行に染みついた「長恨歌」。そして、七夕。これが冒頭の引用と、十一歳の折のエピソードに繋がっていることはいうまでもないでしょう。

その後も親行は細かいところに手を入れ、実際の完成は七月七日を過ぎたのですが、識語の日付は変更しませんでした。それほどにこだわった七夕。そこに親行の意思がなくてなんでしょう。「河内本源氏物語」は七夕の夜に完成したのです。

 『源氏物語』は日本が世界に誇る文学です。二〇〇八年九月現在の数で、英語は周知の如く、他にアラビア語、イタリア語、スペイン語、中国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語等、日本語も含めて二十三種類の言語に翻訳されているといいます。

 先日亡くなられた元英首相のサッチャーさんも、来日される際に『源氏物語』を読破され、平安時代の文化がいかに洗練されていたかを周囲に熱弁をふるっていられたと、駐日英大使の方が会見で語られました。

 私は、この世界に通用する『源氏物語』の文化が鎌倉にもあったことの記念に、【七夕は鎌倉の源氏物語の日】という制定を鎌倉市がなさったらいいと思います。毎年七月七日にシンポジウム等式典を催して、全国から『源氏物語』ファンの方が鎌倉に集まり、紫式部から、源光行・親行親子や宗尊親王、北条実時といった方々の偉大なる業績を称え合えたらどんなに素晴らしいでしょう。これはまだ私一人の思いに過ぎませんが、いつか熱いうねりとなって実現するように頑張ろうと決意してこの文章を記しました。

 ですので、これはたった一人の【七夕は鎌倉の源氏物語の日】宣言です。

                           (2013.4月記)

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2013.7.1 ツイッターから転載…七夕の鶴岡八幡宮を撮らせていただいて参りました。途中、甘縄神社に立ち寄ったりして。

6月29日
今日のこれから七月七日まで大忙しです。やっと思考が覚醒しました。あまりに大きなことが重なると人は思考がストップするみたい。スケジュールを見ながら当面処理すべきことを片づけていましたが、緊急にすべきことを片づけてあと何日というところまできたら最後のダッシュ。覚醒、遅いです!(笑)

赤トンボ@井の頭公園の小さな水辺の植物園 分かりづらいかもしれませんが、真ん中の花の蕾にとまっています。他に塩辛とんぼも。

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6月30日
遠出するのに急いで出て車内で読む本を入れ忘れました。と、今気づく。東松山の地名と歴史、佳境に入ってるのにとガックリ。スマホで何か探します。久々に鎌倉に向かっています。

鶴岡八幡宮の七夕飾りを撮りに来たのですが、晴れて日曜日で、しかも茅の輪くぐりの日で鎌倉は大変な賑わい。鶴岡八幡宮の七夕吹き飾りはなんとなく武士の雰囲気でした!

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華やかな七夕飾りの鶴岡八幡宮の本殿と舞殿。毎年鶴岡八幡宮の七夕さまを撮らせて頂きたく思っていたのですが、なかなかタイミングが合わず今年やっと叶いました。

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鶴岡八幡宮本殿の扁額にかかる七夕飾りの吹き流し。いい具合に風に靡いて。望遠で撮りました。

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間違って長谷で降りてしまったので戻る途中に立ち寄りました。甘縄神社。安達盛長邸跡です。ここを訪れたのはもう何年も前。写真も小さな画素数のしかないから、ちょうどいいので撮り直しています。紫陽花が咲いています。

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ツイートしてたら風で枯れ葉が吹き寄ってきました。史跡で風に吹かれると往時の人と交感しているようです。

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甘縄神社境内に建つ万葉歌碑。この神社は高台にあって往時は見越の崎といい、鎌倉の海と市街地が遠くみはるかす事ができます。

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紫陽花と甘縄神社本殿。安達盛長邸跡といわれています。『吾妻鏡』には頼朝が何度も訪ねた記述が。でも、最近の研究では霜月騒動で泰盛が滅ぼされたときの甘縄邸は別のところらしい。こことどういう関係でしょうか。

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鎌倉でよく見かける水の光景。鎌倉特有の岩盤に地下水が滴り落ちて崖が濡れ、周囲の緑と相まって綺麗です。昨夜富士山も雨や雪が地下水となって湧水になってという特集をしていましたが、地下水の文化ってやはり特殊なもののよう。鎌倉文学館にて。

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2013.7.1 ツイッターから転載…比企での講演、概要がまとまるまでの一連の経緯

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(仙覚さんのコーナーがある小川町図書館)

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(小川町の仙覚律師顕彰碑がある光景)

6月16日
比企の都幾川の方から頂いたメール。「小川も都幾川も鎌倉街道があるくらいですから、そして入間の鎌北湖も、鎌倉由来です。都幾川周辺の町はほとんど慈光寺があって文化が発達したのです。慈光寺建立に当たって京都や滋賀からどれだけの職人が来たことか。慈光寺の裏から小川へ抜けるんですから」

10月に「万葉学者仙覚と慈光寺経」を講演するにあたって彼女が一生懸命地元の方に参集して頂こうと頑張ってくださっています。「地元の人が聞かなければ意味ないから」と。都幾川と小川町と滑川と……、比企で化学反応が起きはじめています。次第に大きな文化のうねりとなって鎌倉に届きますように。

最近知った「小川町から慈光寺に通じる山道」、行ってみたくてたまらないのですが、もう体力的に無理でしょうね。もっと早く知っていたら挑戦したのに。

6月17日
比企郡と仙覚・慈光寺経の関係を、パワポで、九条兼実から曾孫の第四代将軍頼経までの九条家を主軸に図にしてみました。比企郡に九条家領があったことから月輪神社があり、慈光寺経は良経の急逝を悼んで制作されたものです。

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(東武東上線に「つきのわ」という駅があり、?と思ったのがはじまり。中世の比企は九条家領だったんです。九条兼実を祀る月輪神社があります。)

国宝「慈光寺経」は平家納経・久能寺経と並ぶ日本三大装飾経の一つ。国宝の実物は滅多に拝観できませんが、比企では最新の工業陶窯技術で影印した拡大焼成版を見ることができます。人の訪れの少ない山中に埋もれさせておくにはあまりに惜しい文化です。

http://www.temple.or.jp/treasure/national_treasure.html

先日お目にかかった比企の方からのご封書に「比企の地に一条の光がさす思い」といただきました。『源氏物語と鎌倉』のなかの仙覚さんの部分、比企の方には驚きをもって迎えられたようですが、私も地元の方がどう受け止めて下さるか心配でしたからまずはほっとです。

光といえばここのところ慈光寺が私のなかで威光を放って片時も離れなくなっています。先日の比企の知人のメールに「慈光寺の建立に奈良や京都からたくさんの職人が来た」とあったそれが蠢きだして。戦乱で堂宇が焼失した今の景観とは違う華麗な慈光寺文化が当時あった、それが目下の私の課題です。

6月20日
企の方から送られた岡田潔氏『東松山の地名と歴史』拝読中。中に「江戸時代になり、日光に東照宮が造営され、幕府は八王子の千人同心に日光火の番を命じた」と。先日東松山を訪ねた時、道がまっすぐだったので?と思い伺ったら、ここを千人同心が通ったんですよと。知ったばかりの歴史がリアルです。

その後幕府は彼らに日光での新しい任務を与えた。それは山内の見廻り、火の見櫓の見張り、出火の際の消火。この為に新たに整備された街道が八王子街道。八王子→拝島→東松山市→館林→佐野→日光というルート。……八王子に縁が深いので八王子同心に親近感を持っていて歩く音が聴こえてきそう。

こんなところに「浄光明寺敷地絵図」が。東松山市高坂の地名になった高坂氏は室町時代の河越氏の親戚で、この絵図の中に高坂兵部大輔の広い屋敷跡が描かれているそう。

浄光明寺敷地絵図ですhttp://amigokamakura.sakura.ne.jp/ishibumi/301-fugiya-koomon-iseki/ezu/301-ezu.html …。左上段に高坂の名が。大三輪龍彦氏『浄光明寺敷地絵図の研究』は興奮して拝読しました。行方不明になっていたのを大三輪先生が発見。北条高時邸跡や鎌倉幕府最後の執権赤橋守時屋敷跡なども。

「御中跡」は北条得宗家の谷地で、この時代は高時邸だったとのこと。幕府滅亡後、寺領の確認に描かれた絵図のようです。

6月24日
比企三姫という日本酒。比企で比企氏を広める運動をしている方が造られています。送って頂いたらこんなに綺麗。頼朝の愛人丹後局、頼家側室若狭局、義時正室で重時母の姫の前。妖艶なばかりの比企氏の女性!冷酒で頂きたいと思います。

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6月28日
たった今比企の方からメール。8月25日の講演のチラシを作ってらっしゃいます。そのコピー試案が幾つか。吹き出してしまいましたが、成程!です。「比企人(ひきじん)鎌倉・京都を行く」「平安・鎌倉時代、あのとき比企は輝いていた!」「平安・鎌倉時代   そのとき比企が動いた!」等々。

さすが、現地の方の発想は主体が明確で地に足ついてます!!

6月30日
8月25日の講演会のチラシ、概要が決まりました。【あのとき、比企は輝いていた!】京・鎌倉と繋がり華麗なる文化を育んだ武蔵の国比企/九条家奉納の国宝慈光寺経/万葉集仙覚と源氏物語写本誕生秘話/鎌倉武士達の知られざる相貌など、織田百合子が比企の地で比企人を語る。語り継ぐのは 私達。

最後の「語り継ぐのは私達」がいいですね! 文化はこれが大切と思います。この講演の話が持ち上がるまで、地元の方は比企のこうした文化や歴史をご存知なかったんです。ただ何故地元に月の輪の地名があるのか不思議には思ってらして。チラシのコピーを考えながら一生懸命勉強されての結果です。

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2013.6.30 ツイッターから転載…半月からスーパームーンの満月、そして立待月の月のサイクルのなかで。綺麗な空、夜光雲から高層の雲のことなど。

6月16日
半月をちょっと過ぎた月@吉祥寺。井の頭公園口

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月齢君・ぴったり?@sekki_getsurei36月17日
ただいま《上弦》です《現在の月齢 8.06》(at 02:24)

6月17日
今の空@三鷹市 奥の林の中にジブリ美術館があります。

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半月と基地へ帰る?軍用機の列@三鷹市 空を撮っているといろんなものが入り込みました。別のショットには鳩とか。

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鳩が入った一枚@三鷹市  こんな時間に空を見るなど滅多にないし、それもたまたま上弦の月の写真をとれるなんてとしつこくスマホを空に向けていました(笑)。しかもたまたま電線のない場所に遭遇して。

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6月21日
貴婦人と一角獣展、ようやく観てきました。不思議な空間でした。金曜日の夜間開館で終了ギリギリまでただ佇んでずうっと。絵が(タペストリーですが)向こうから入ってくるようになるまで。会場の中央に立って。

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6月22日
鎌倉の方たちが出演されたクイズ100人力を楽しく見終わってTLを見たらその頃虹が出ていたよう。すでに消えた時間でしたが窓外を見たら水色の空に黄金色の雲。大好きな色合いの空です。傘をさして撮りに出ました。

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6月23日
月齢君・ぴったり‏@sekki_getsurei36月23日
《月齢 14.70になりました》 ――《十五夜》《月相 13.87・輝面比 100.0%》―《ほとんど満月》
スーパームーンです!!

6月24日
吉祥寺。丸井の裏の井の頭公園に抜ける途中のビルにある行々子という居酒屋さん。カウンターだけの小さな店内ですが、詩人の清水昶さんの行きつけのお店でした。ネオンがついているからまだ営業されてるのですね。昶さんは亡くなられても。

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6月26日
立待月。日没後、立って待っているうちに昇ってくるからそう呼ばれるという。十七日の月のこと。今夜の月が立待月とTLで読んで撮ってみました。

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今夜は朧に雲がかかり月に風情があります。

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6月27日
東京国際ブックフェアのFacebookページができました。https://www.facebook.com/bookfair.tokyo

片岡龍峰‏@ryuhokataoka6月27日
モスクワ上空の夜光雲キレイ http://apod.nasa.gov/apod/image/1306/noctilucentMoscow_lisakov0.jpg

綺麗な空でした@三鷹市

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「父は96歳という長寿で亡くなりましたが、主治医に生きているのが不思議と言われるくらい満身創痍で、ここまで生きることができたのはひとえに学問への情熱だったと思います」。ここの「父」は角田文衛先生。ご家族の方から頂戴したメッセージです。私信ですがご紹介させて頂きます。(続)

角田文衛先生は「80歳を越えてなお学問の奥はあまりに深く、遠く及ばない」とおっしゃられていたそう。PC上の短いこのメッセージでも角田先生のお姿が彷彿とします。角田先生のご業績に預かって『源氏物語と鎌倉』もできました。ご家族を通じて墓前に感謝の意と共にご報告させて頂きました。

ネットの時代の不思議を思います。私のブログをご覧になった角田先生のご家族からご連絡を頂き、こういう展開になりました。先日来交流させて頂いている埼玉の比企氏ゆかりの方ともブログをご覧になって頂いてのご縁です。ひたすら忘備録的に続けてきたブログですが、こんなふうに生きてきました。

付記:一度ご家族の方と音信がとれなくなり角田先生が創設された古代学協会の方をお煩わせして復活しました。そういうなかで古代学協会様からも『源氏物語と鎌倉』を正会員用の資料閲覧室に置いて下さる旨のご連絡を頂きました。京都の皆様、よろしくお願いいたします。

6月28日
夜光雲に魅せられています。存在を知ったのはツイッターのTLからですからほとんど最近の知識。世の中にこんなに美しい現象があるんですね。地球上で最も高い高度に発生する雲だそう。国際宇宙ステーションから撮影された写真を見るとたしかに。

夜光雲は氷なのだそう。だからあんなに綺麗なんですね。雲を撮っていて高層の雲、低層の雲と、雲にも違いがあるのを知りました。低層の雲は湿気を含んでいるのでぼてっとして大きな塊に。(ふわっとして可愛いともいえます)。高層の雲はとにかく繊細・緻密で透明感あります。これも氷だったのですね。

以前撮った写真で高層の雲を探しました。たぶんこういうときに条件が合うと夜光雲の出現になるのでしょうという空に思えます。好きな空とそうでない空。キーポイントは氷!でした。

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