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2013.9.28 埼玉新聞(9月23日)に、8月25日の比企古民家ギャラリー「かぐや」での講演の記事を載せていただきました。

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2013.9.27 ツイッターから…多摩交流センターの講演のタイトルや内容を決めたこと、都幾川で開催する写真展のパネル準備のことなど

9月23日
おはようございます。昨日よみうりカルチャーからお電話で十月からの講座のお申し込みが少ないとご相談を受け中止と決めました。実は十月は二回講演があってその準備が長引き講座の為のテキスト作成ができずにどうしようと悩んでいましたので内心ほっとしました。来年一月にまた募集して頂きます。

鎌倉の源氏物語の問題は、知れば知る程楽しいし、日本文化の問題としても重要と思うのですが、まだまだマイナー過ぎて普及にはほど遠いです。そんな中でお少しでも私の講座に応募して下さった方がいらした事実に感動しました。それを励みに頑張らせて頂きます。

今日は南西からの勢いある雲が気になりました。

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9月24日
おはようございます。昨日23日付埼玉新聞に、8月25日の比企かぐやの講演を載せて頂いているそうです。写真入りで。メールでお知らせ頂いて私はまだ見ていないのですが、埼玉の方、お手近にあったらご覧になってください。私は……、どうやったら埼玉新聞を入手できるか思案です(笑)

来年1月の多摩交流センターの講演タイトルを考えています。だいたい「鎌倉武士たちの『源氏物語』~実は、雅だった鎌倉!~」まで絞りました。8月の比企かぐやでの講演「あのとき、比企は輝いていた!」は地元の方ならではの血の通った発想。私は固くなりがちなのでそれを思い出して考えています。

9月25日
おはようございます(といいつつこんな時間ですが)。今、多摩交流センター日曜講座のチラシ用原稿を送ったところです。【鎌倉武士たちの『源氏物語』~実は、雅だった鎌倉!~】というタイトルにしました。昨日は都幾川の写真展用のパネルの配送を考えたり、着々と時が進んでいます。

10月2日から28日まで都幾川のやすらぎの家2Fギャラリーで開催する写真展「写真でたどる源氏物語と万葉集の歴史」の準備をしています。2008年の八王子での写真展パネルを基に作ります。2011年に10枚程入れ替え、今回は4枚追加です。

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9月26日
昨夕の空です。神奈川の方のツイートでも拝見しましたが、紫色の不思議な空でした。台風が近いときによく観られます。

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昨日は終日頑張って都幾川の写真展のパネルにかかりました。新しく作ったパネルは一枚。「仙覚の生涯」がテーマです。パネル一枚に写真が四枚。パネル毎にテーマがあって、それを時系列に並べて展示するとちょっとした絵巻みたいになります。

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都幾川の写真展のパネルを発送しました。あとは10月に入って設置に行くだけ。それまでにご挨拶のボードを作ってその時持って行きます。間に合うか心配しつつも、こうして順次整って時が過ぎて行きます。今日、記事を書いて頂いた埼玉新聞が届きました。

吉祥寺、ヨドバシ前の空。今日の空は雲が騒然としていますが、水色がとっても綺麗。

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9月27日
写真展のパネルを発送して気が楽になり、昨夜手帳を見たら十月のスケジュールの書きなぐりがあまりにひどく、修正ペンで消しても汚いので、朝一番に吉祥寺ロフトに来て2014年の手帳を購入。いよいよというか、やっとというか、間もなく十月の到来です。何というのではなしに楽しみです。

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2013.9.26 ツイッターから…湘南邸園文化祭2013のオープニングイベント、北鎌倉の旧い別荘跡「明月荘」における薩摩琵琶と篠笛のコラボコンサートに行きました。そして、人物叢書北条時頼のこと

9月21日
おはようございます。今日は鎌倉。久々なのでいそいそと支度しています。11月のかまくら学府、タイトルは「鎌倉と比企―二つの万葉集研究碑 ~『万葉集』の訓読は鎌倉で完成した!その碑が妙本寺境内に建つ」に決まりました。短い中に盛りだくさん(笑)。主催者さまのご意向を詰め込みました。

車内で人物叢書時頼拝読中。以前金沢文庫の聖教から将軍家と執権経時の関係を、経時の墓所のあたり(笹目)を歩きながら考えた事がありましたが、複雑過ぎてお手上げでした。仙覚から竹御所に関心がいって将軍頼経が身近になった今、改めてかつての疑問と向き合って興味津々に読んでいます。

北条時頼公墓所。たまたま近くにきたので明月院に立ち寄ったら、時頼公の墓所が。建長寺の中にとばかり思っていました。偶然にしても出来すぎと思いつつ参拝させて頂きました。

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明月院の萩の花。やはり萩は鎌倉の風情に合います。

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明月院は、時頼が建てた最明寺を、時宗が再興した禅興寺の塔頭だったのですね。だから墓所が。紫陽花の寺としか認識なくて。

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北鎌倉明月荘の開設イベントに出席します。湘南邸園文化祭のオープニングでもあります。神奈川県の所有ですが、市民団体神奈川まちづかい塾が県と協定を結び、昭和20年建築の建物と庭園を見事に修復しました。...

↑ 湘南邸園文化祭のオープニングに来ました。明月院が近かったので立ち寄ったのでした。

蝋燭の灯のお出迎えです。

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鎌倉の湘南邸園文化祭オープニングイベント、古民家明月荘における薩摩琵琶と篠笛の演奏。だんだん黒ずんでいくあたりの光景に楽器の音色がすみ上って、虫の音が負けじと合奏して、それはゾッとするような、凄まじささえ覚えるような、素敵さでした。

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帰りです。また車内で時頼を読んでいます。経時の早世を今まで毒殺のように感じていましたが、高橋慎一朗氏の説はそうではないと名越氏が主導権を握る前に、は説得力がありまね。しかも、この時はまだ時頼は二十歳。みずから指示して経時を亡き者にするほどの権力者ではなかったとは。

人物叢書時頼。降りる直前に読んだ箇所のことでツイートさせていただきます。P54。それは寛元四年、宮騒動の結果、七月に頼経は帰洛。高僧数人が頼経と共に帰洛した。→この時、仙覚は頼経に万葉集の校訂を命じられて作業の真っ最中でした。が、帰洛には同行せず比企谷に残って校訂を続けます。

そして12月に完成させます。「寛元四年十二月廿二日於相州鎌倉比企谷新釈迦堂僧坊以治定本書写畢」。宮騒動を読むといつもその背後に仙覚がいるのになあと思います。私もここまで仙覚さんを調べていなかったら、宮騒動は単なる歴史の一部分でした。歴史と国文学、その行間に人の動向があります。

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2013.9.23 ツイッターから…講座「仙覚律師の研究と生涯」用パワポの編集、写真展用プリントの依頼に代官山のプロラボへ、蔦屋書展代官山店にて人物叢書北条時頼購入など

9月14日
講演を始める時間になってパワポ一式を持参してこなかったことに気づいた夢を見て気にしていないようで気にしてるんだなあと。たしかに10月をこなし切れるか不安ではあるけれど重圧ではない。でも私の講演はパワポがないと価値がない。それを忘れて惹きつけるお話ができるか試されたような夢でした。

講座「仙覚律師の研究と生涯」用パワポの編集。これまでの仙覚研究一覧のスライドです。仙覚は資料が出尽くしているのか、近年になって小川靖彦先生がされるまで殆ど研究されていませんでした。

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仙覚研究のおさらいをしていたら佐佐木信綱博士編『仙覚全集』の序言にぐっときてしまいました。これに尽きると思いました。で、これをタイトルの次の画面にとスライドにしました。

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仙覚研究のおさらいをしていて気づいたこと。研究は絶対ではなく相対的なもののよう。佐佐木信綱博士がいらした時代、仙覚研究は熱い学問だった。それが遠い過去になって仙覚その人への関心も薄らいでしまったんですね。要は学問は牽引する人がいるかどうかの問題って、なんか違う気がするのだけれど。

9月15日
講座「仙覚律師の研究と生涯」用パワポの編集。仙覚の万葉集についての項が終わって、仙覚は誰かの項に入りました。山積みになっていた資料ですが、仙覚の万葉集についての研究は佐佐木信綱氏。仙覚は誰かは井上通泰氏。と、分けて見えてきました。

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9月16日
台風は我が家では無事でしたが京都のあり得ない惨状に被害にあわれた方のご心痛を思います。どうあっても進めなくてはならないパワポの編集をこういう時でも進めていました。それで気づいたこと。仙覚の父時員は頼家の蹴鞠の主要メンバーでした。

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パワポのスライドをもう一枚。仙覚は誰かを考察されたのは柳田國男の兄井上通泰氏。比企系図から竹御所がらみで該当する人物を探しだされました。が、問題があって確定には至りませんでした。それを図式化してみました。

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南東の空の朧な夕焼け雲の中に月をみつけました。珍しいピンクの空の中の月。このとき西の空では灼熱色の強烈な夕焼けがはじまっていました。

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9月18日
17日夕刻の北の空です。一本の太い丸太状の雲が長く延びていました。

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写真展用の写真の焼付けにプロラボさんに向かっています。源氏物語と鎌倉がテーマのこの写真展は三回目。2008年の源氏物語千年記が最初でした。二回目は本を出した記念に銀の鈴社ギャラリーで。その時に妙本寺の章を追加。今度は会場が都幾川なので仙覚さんの章を追加です。楽しみです。

東横線のホームはヒカリエの底の底。ネットが通じるかしらと試しにツイート。

渋谷。東横線が終点でなくなって私には迷路です。ネットが使えたようです。

今朝急に今日しかないと思いついて、選んであった写真の露出補正をして出てきたので朝食抜き。代官山についてまずはとカフェにいます。ずっと比企の中世の仙覚さんに籠り地上に浮かび出る事のない生活だったから久々の現代。こういう感性の取り戻しも時には必要。というより、楽しい!

焼付け依頼は一瞬で済んでまた代官山駅前に戻って来ました。ほんとうはTSUTAYA代官山店に寄りたいのだけれど我慢してこのまま帰ります。

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9月19日
「仙覚律師の研究と生涯」用パワポの編集。研究篇が終わり一息ついて急に写真展の準備に気が回りました。不思議ですね。思考って物体。一杯のときはどう足掻いても思考が回らない。一息つくと物事が浮かぶ。という訳でこれから仙覚の生涯篇に入ります。

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どんぐりが落ちています@玉川上水

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彼岸花が咲いています@玉川上水

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彼岸花は至るところに@玉川上水

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満月のこの日にタイトルと講演内容を決めて送る件が二つ。一件は11月16日、鎌倉【かまくら学府】。鎌倉の『万葉集』について。もう一件は来年の1月19日、多摩交流センター。こちらは鎌倉の源氏物語についてです。

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ただいま《望》です《現在の月齢 13.98》(at 20:12)

9月20日
【かまくら学府】11月16日の講演タイトル。満月の日に決めました。「鎌倉と比企 ― 二つの万葉集研究碑 ~『万葉集』の訓読は鎌倉で完成した~」。一応これで提出してみます。鎌倉と比企を繋げる!これは私の夢です。だって、文化を共有しているのです。中世には仙覚さんが行ったり来たり。

再び代官山。頼んでいたプリントが出来ているはずなので取りにきています。

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蔦屋書店代官山店。折角遠路はるばる(笑)出てきたら是非寄りたい場所。目的もなくただぐるぐる回って。文庫の棚にユリシーズなどみつけて少し立ち読み。やはりいいなあと引かれながら結局購入したのは人物叢書北条時頼。今の私にはこれが必読書です。

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2013.9.12 ツイッターから…10月22日の大東文化大学東松山キャンパスのオープンカレッジ「仙覚律師の研究と生涯」のパワポの編集に入りました

9月8日
老朽化で改装中だった吉祥寺いせや総本店公園店の今の状況です。千と千尋の舞台モデル?と思いかねないほど古かった二階建木造の店舗がこんなに垢ぬけた瀟洒なお店に(左端)。これでは以前の客層が入るのに躊躇しそう。オープン間近です。

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9月9日
秋色近い玉川上水@三鷹市

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葛の花が咲いていました@玉川上水

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12年目の9.11、2年半目の3.11。思いが詰まった昨日11日は私の気もとどまって何も手につかず過ごしました。仮寝して起きたら日付が変っていて気がつくと心が動いている。次にすることが見えている。意識するとしないとに関わらず意識下の大きな流れのなかに生かされている事を感じました。

というわけで、10月22日の大東文化大学東松山キャンパスのオープンカレッジ「仙覚律師の研究と生涯」のパワポの編集に入ります。こちらは開講が決まりました。

備忘録として:10月に迫っている幾つかの仕事の何を優先して取り組むべきか、一昨日身辺整理的雑事をこなしたあとずっと考えていたのですが、浮かんで来なくて、どうして心が留まってしまったのだろうと不審で仕方なく仮寝したのでした。起きたら見えてきたのがあってよかったです。

番外編:備忘録。私は忘備録と覚えていたのですが、変換ができない。変だなと思って調べたら、備忘録が正しいのでした。備忘録はすぐ変換できます。忘備録で調べると備忘録ともいう、と。忘備録は間違って覚えている人がたくさんいるうちに市民権を得たもののようです。

9月10日
夕暮れの好きな光景@吉祥寺  焼き鳥のいせやがある公園入口です。いせやは明日11日夕刻にオープンのよう。

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9月11日
来年の話をすると鬼が笑うといいますが、その来年の話。1月に多摩交流センターで鎌倉の源氏物語の講演をさせて頂くことになっていました。今日、チラシを作るので講座名と講座内容の説明をとの通知。一般の方に興味をもって頂けるような親しみやすい文言でとのことで四苦八苦して考慮中です。

パワポの編集は一篇の小説を書くのと同じで切口をみつけるまでは苦しむけれど始めたらするすると芋づる式。そうなると楽しい。と、目下編集中のパワポ「仙覚律師の研究と生涯」のスライドです。『万葉集』の訓点を「お勉強」しつつ作りました(笑)

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もう一枚。仙覚が『万葉集』の歌約4500首の内、最後まで残っていた152首の訓点を付け終わった人という功績を説明するスライドです。それまでの訓点には古点・次点があって、仙覚の付けた訓点を新点といいます。

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そういえば毎回講演の後にどなたかが寄ってらして「横書きと縦書きと使い分けてるのは、説明が横書きで引用が縦書きなんですね」と嬉しそうに声をかけられる。見ていて謎で、疑問が解けた喜びでいらっしゃるのでしょう。でも、と私の内心。本質とは違うところで楽しんで頂いてもそれはそれでいいかも。

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2013.9.11 よみうりカルチャー青山教室の講座【写真でたどる 源氏物語と鎌倉】のご案内

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10月からよみうりカルチャー青山教室で講座を持たせていただきます。【写真でたどる 源氏物語と鎌倉】という講座です。

【内容】
世界に誇る日本の文学『源氏物語』。それは京だけの文化と思われがちですが、鎌倉時代の鎌倉でも、鎌倉武士たちが真剣に『源氏物語』と取り組んでいました。この講座では、《何故、鎌倉で『源氏物語』が?》という謎を、写真を見ながら歴史を追うなかで解きほぐしていきます。
雅とはほど遠い武士の都といわれてきた鎌倉。でも実際は、源平の争乱によって運命を狂わされ、鎌倉に下向した源光行により『源氏物語』がもたらされ、第四代将軍頼経、第六代将軍宗尊親王の下向に伴って流入した京の文化で、牛車が行き交うなど華やかな都でもありました。

【プログラム】
1. 『源氏物語』享受の歴史—「青表紙本源氏物語」と「河内本源氏物語」
2. 平家の王朝文化と藤原定家・源光行
3. 源平の争乱と源光行の鎌倉下向
4. 頼朝・頼家・実朝の源家三代将軍に仕えた源光行
5. 第二代将軍頼家と比企の乱
6. 後鳥羽院による『新古今和歌集』の時代と承久の乱

【日時】
第1・3週 水曜日 13:00~14:30
10/2、10/16、11/6、11/20、12/4、12/18

【受講料】
会員: 3か月 6回 16,380円

【お問い合わせ、お申し込み】
恵比寿センター(03-3473-5005)】

http://www.ync.ne.jp/aoyama/2013/08/post_23.html

追記:
残念ですが、この講座はお申込み者の人数が足りないために中止になりました。来年一月に、今度は月一回の講座として再度募集して頂きます。

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2013.9.11 ツイッターから…国学院大学【万葉花の会】に参加、『歌帝 後鳥羽院』読了のことなど

9月4日
おはようございます。窓を開けているので虫の音が賑やか過ぎるくらい。涼しい朝です。すっかり秋だなあと。明日が新月なので今日中に済ませる用は済ませて明日から都幾川の講演用パワポの編集にかかるつもり。昨夜「都幾川役場の本庁と第ニ庁舎にチラシを置かせて頂いた」とメールを頂きました。

この頃忙しくて心ここにあらずなので、したことのない失敗ばかり。寺泊の前夜料理中に火傷。流水で冷やして傷ドライのスプレーをかけて大きな傷バンを巻いて出かけました。水膨れが破れたらさぞ痛いと覚悟してたのですがどうやら無事治りそう。昔の軟膏ではこんなに早く治らなかったと驚いています。

9月5日
おはようございます。昨日は国学院大学の万葉花の会に。そこでも失敗をしてそれで火傷ツイートになりました(泣)。国学院大学はたまプラーザキャンバスでした。こちらには万葉の小径があって珍しい万葉の植物を存分に撮ることができます。知らなかった穴場でした。

万葉の花と源氏物語の花では違うのですね。もちろん源氏物語の花も人の魂と関わっていますが、万葉の花は人と一体なのでした。辰巳正明先生の「桜児と縵児の物語」はそういうお話でした。ふつうには二人の男に愛され苦悩して亡くなった女性の物語ですが、桜児は桜の化身で人の桜への憧憬と。

「桜児の妻争いからは、美しい桜の花を人々が競って愛でることの起源が読み取れる」。縵(かづら)児の物語も、縵は挿頭とする材料であることから宴楽の大切な採り物であり、人々が挿頭として宴のときに風流を楽しんだ蔓への哀惜がある。(蔓の挿頭の文化、いいなあと思いました!)

昨日はもう一つ、高遠弘美先生の『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』を購入させて頂きました。プルーストの翻訳で拝読することになった高遠先生ですが、実は中村真一郎に師事してらしてそれは大変な日本文学通。美麗なご文章の根源がそことは驚きでした。このご著書、刊行を待たせて頂いていました。

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%83%E4%B8%96%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E5%A4%A7%E5%A4%AB-%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8D%E8%97%9D%E3%81%AE%E9%81%93-%E9%AB%98%E9%81%A0-%E5%BC%98%E7%BE%8E/dp/4062177587

棗の実。昨日の国学院たまプラーザキャンパスの万葉の小径に落ちていました。歩いているとぽとんぽとんと落ちてきます。茶器の棗の名前の由来というのでそれらしく立てて撮ってみました。3㎝くらいの小さな実です。

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棗の木です。実はこんなふうになっています。

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9月6日
『歌帝 後鳥羽院』をようやく読了。都幾川の講演に直接関わる訳ではないけれどこの時代の黒幕です。特に順徳院との関係で、『新古今和歌集』成立のあと順徳帝の内裏歌壇開催を許すあたり、愛息とはいえ複雑な胸中。臣下に勧められてわかっていてもしばし沈思黙考のところなどドラマティックでした。

それから、隠岐に流された後鳥羽院が到着したくだり。「隠岐では海の彼方に確認できるものが何もない。海面が遠くまで波立ってけむるように見えるとき、東西の区別もまたつかなくなる」は、寺泊で佐渡を見遣ったばかりの私には痛切な描写。順徳院もと思ったのでした。そういう背後に仙覚さんがいます。

メールを転載させていただきます:BS朝日の番組「いのちを語る」に福島泰樹氏が出演、鎌田實氏と言葉の力、死生観、そして命について語り合います。
BS朝日
 前篇 2013年9月8日(日)
 後篇 2013年9月15日(日)
 午前11:00~11:30

9月7日
おはようございます。国学院大学たまプラーザキャンパス万葉の小径で撮った枸橘の実です。大きな棘!カラタチの棘は痛いよ、がよくわかりました。枳殻は、カラタチの別名だったのですね。

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桜の季節まで鎌倉の方達と過ごしそれ以降ずっと仙覚さんの万葉集関連で比企の方々と交流していましたが、ここにきて秋のイベントで鎌倉の方々とまたお会いする機会が増えそう。源氏物語の気分にも戻しつつあります。

寺泊に行く時上越新幹線で東京駅を発車してすぐ上野到着にびっくり。かと思ったら次の大宮まで時間がかかったこと!地図を見たら比企はさらにもっとその先。比企ってこんなに遠いんだあっと驚いたのでした。我が家は比企と鎌倉のほぼ中間に位置していて通うのに同じくらいの時間がかかります。

一本の電話、そこから変わった。となるとサスペンスですが、この頃こういう事が増えました。十月の都幾川の講演は慈光寺という鎌倉時代の天台宗としては関東最大の寺院。その麓の正法寺さんが会場です。今の電話で思いがけない方がご住職様と知己とのこと。慈光寺の威光に包まれての思いになりました。

9月8日
早く都幾川の講演のパワポ編集に入りたいのですが、その前に片づけておきたい諸々の用でまだかかれません(泣)。気分だけでもそちらに持っていきたいから、タイトルスライドをアップさせて頂きます。

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2013.9.9 ツイッターから…佐渡に流された順徳院を追って寺泊に移住した仙覚を追って寺泊へ!

8月29日
只今新幹線の中。虎視眈々のよからぬ企み実行中です(笑)。台風発生で天候の崩れないうちにと。

佐渡に流された順徳院が、佐渡に渡られる前にしばしとどまられた行宮に跡の碑です。

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佐渡に流された京極為兼が、しばし寺泊に滞在したときに慰めた遊女初君。いよいよ佐渡に渡るとなった時に交わした歌を為兼は玉葉和歌集に収めました。その歌の碑です。

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帰宅しました。寺泊を歩いている間は写真家として撮りこぼしてはいけないと必死。撮ったあとも満足の充実感でしたが、東京駅に降り立って改札を出たらふっと我に返り、佐渡に渡ったが最後、二度と人生をやり直せなかった順徳院の悲痛さがこみあげて今もその沈痛さの中にいます。これが現地!なのです。

8月30日
綺麗な朝焼けでした@三鷹市

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以前から佐渡に流された順徳院を追って仙覚が移住したという寺泊を撮りに行きたく思っていたのですが昨日やっと叶いました。比企かぐやの講演が終わり都幾川のイベント準備にかかる前のエイっとばかりの決行でした。寺泊は気になっていながら調べるのは始めて。順徳院の行宮跡の存在には驚きました。

今まで気にしながら行かなかったのは、仙覚が本当に順徳院を追って寺泊に移住した人物その人なのかに自信がなかったから。これは『源氏物語と鎌倉』の中で比企系図の中から私が特定した人物なのです。論文は認知して頂いていてもまだ一般認知に至っていません。が、最近比企の方々とお会いして、その

方々の家に代々伝わる歴史的資料を拝見させて頂くに及んで、私の中で、比企系図の中から私が探りあてた人物こそ仙覚さんの確証が持ててきました。それで撮りに行ったのでした。写真は10月に都幾川で行う写真展に加えて飾ります。比企の方々の新資料による仙覚さんの論文もまとめなくては、ですね。

FBページに【寺泊、仙覚さんの足跡を追って(1)】をアップしました。昨日の寺泊の記事を逐次アップしていきます。最初は寺泊から見た佐渡島です。寺泊に移住した仙覚さんが日々眺めていただろう「順徳院のおわします佐渡」です。http://www.facebook.com/odayuriko.f

比企滑川の講演が終わり気持ちを10月の都幾川正法寺の講演に移しています。が、突発的に寺泊に行ってしまったので中断。それで今朝連絡を頂いてしまいました。都幾川でも待っていて下さる方がいて、もう正法寺の場所を確認にいらしたそう。なにしろ無事にたどり着くか心配な都幾川です。

8月31日
松本章男氏『歌帝 後鳥羽院』を拝読しています。都幾川の講演では慈光寺経との関連で良経が重要になるので新古今の復習にと思って借りていました。なのに寺泊で順徳院の悲痛に触れたらそれどころでなくほんとうに新古今が重要に。帰宅して以来順徳院のことが胸を突いています。

TLで夜空がプラネタリウム状態と拝読し、こちらはどうかしらと観たら、凄いです!東京でこんな夜空はじめてかもくらい。というのも皓皓と輝く有明の月がオリオンと向かい合っているんです。寝ようと思っていたのですが、しばし見惚れます。

寺泊での順徳院御製のお歌三首の看板。承久の乱のあと佐渡に流された順徳院は寺泊ご到着が晩秋だったために風待ちで数ヶ月間ご滞留されたそう。当地の五十嵐家が行宮をしつらえ手厚くおもてなしをされたのでした。

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順徳院御製のお歌の碑です。

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看板に「奥の越ノ浦神社は、帝の御神霊を奉祀したもので遥か佐渡の真野御陵に正対している」とある越ノ浦神社と歌碑。

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穂が実り始めたら新潟の田んぼ。ぶり返した東京のあまりの暑さに、そういえば新潟は暑くても風がさわやかだったなあと思い出しています。あの風は都会人が忘れ去った風。田を渡ってくる自然の風です。

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『歌帝 後鳥羽院』を拝読していると、今までなんとなく感じていた「じつは後鳥羽院が新古今歌人中最大の歌人ではないか」の思いがふつふつとたぎります。帝だから、定家のような専門歌人でないからと、理によって妨げられていた思いが。ただあらましの夕暮れの空。こんなふうな言葉の使い方!

FBページに【寺泊、仙覚さんの足跡を追って(2)】として、順徳院行宮御遺跡碑などをアルバムにしてアップしました。https://ja-jp.facebook.com/odayuriko.f

9月2日
TVを見ていたらスーパーセルと言ってこの雲が写し出されました。これは14:06の撮影。吾妻鏡を読む会の帰りの車内で撮った雲です。竜巻はこの直後に発生したのでしょうか。とにかく今日は雲が凄く気になって仕方ありませんでした。

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9月3日
おはようございます。FBページに【寺泊、仙覚さんの足跡を追って(3)番外編/義経と弁慶・日蓮上人】をアップしました。https://ja-jp.facebook.com/odayuriko.f

FBページに【寺泊、仙覚さんの足跡を追って(ラスト)番外編/京極為兼と遊女初君の歌碑】をアップしました。https://ja-jp.facebook.com/odayuriko.f

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2013.9.9 今日は重陽の節句。大宮八幡宮では【菊被綿】を再現・公開されるそう

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今日は重陽の節句。大宮八幡宮では《菊被綿》を再現、敬老の日まで公開されます。「菊被綿は重陽の前日の9月8日に菊の花を白、赤、黄の真綿で覆って菊の香を移し、9日の朝、朝露で湿ったこの真綿を顔にあてて若さを保とうとするものです」とのことです。

http://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/hachimangu/info/original-event.shtml

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2013.9.7 ツイッターより転載…8月25日の比企古民家ギャラリー《かぐや》での講演その後

8月26日
@komimai 昨日はありがとうございました。DM頂いてたのに今朝になって拝見。会場でいきなりお会いしたので一瞬どなたかわかりませんでした(笑)。かぐや、素敵でしたね。スクリーンがあった低いところは馬小屋と土間だったのをオーナーさんがご自分で板を敷かれたんですって。

@komimai ほんと、こんな身近に!でしょ。探るともっともっと出てきそう。質問タイムで守邦親王の名前まで出ましたよね。鎌倉最後の将軍です。どうやら比企に逃げて匿われたみたい。伝承かもしれなくても、そういう伝承の残る事自体が妖しい気がして探りたくなります。

昨日は青森の友人がかぐやまで聴きにきて下さいました。知らなかったので、かぐやでいきなり挨拶されてビックリ。彼女は国文学の教授だから、仙覚の話をもっとすればよかったと。『源氏物語と鎌倉』に書いた比企能員の孫説をさすがにあの会場の雰囲気の中で堂々と語れなくてスルッと通過してました。

今まで私は講演の度に「写本とは何か」「源氏物語には二大写本がある」を説明してから始めていました。が、今回は月輪の謎解きからで写本に入ったのは後半です。大丈夫かなあと心配してたら皆様ついてきて下さって、ふんふんと。流れに乗って私と皆様が一体化すれば国文学的説明などいらないんですね。

昨日の比企かぐやの講演を主催して下さった方からメールで「知らなかった比企の歴史や国文学の世界に触れて中世の時代にタイムトリップする体験は新鮮でした…というような感想が寄せられてます。比企歴史遺産タイムトリップツアーの企画をして欲しいとの声も上がってます」と頂きました。

比企歴史遺産ツアー、これは前にもツイートしたことがありますが、私も考えています。比企は交通の便が悪いのでバスツアーでないと普通の人は行きにくいから。慈光寺を訪ねて慈光寺経に思いを馳せ、小川町で和紙を見学しながら昼食。仙覚律師顕彰碑を見て帰るのようなコースはどうでしょう。

8月27日
おはようございます。涼しくてさわやかな朝です。かぐやの講演を聴いて下さった比企氏ゆかりの方からメールを頂きました。「織田さんのプレゼンは華麗でした。滑川の人達は、自分たちはこれほど沢山の華麗な物を持っていたのだと気付いたことでしょう」。ありがとうございます!

あちこち分散し切った資料を整理しているとちょうど今必要なものが出てきたりします。そんな一つの慈光寺の絵図(地図)です。慈光寺は見事に山頂。十月に講演させて頂く正法寺は中腹にあります。

Photo

またよからぬことを思いついてワクワクしつつ検索しております(笑)

アイコンとヘッダーの写真を変えました。都幾川のチラシ用に料紙をデザインして頂きましたので使ってみました。

Ryou

8月28日
和様の書展、今までなら何をおいても駈けつけるのだけれど今はあきらめ。先日も常設展に行って慈光寺経を見た後よほど周りたかったのだけれど帰りました。今はとにかく体力の温存と思考回路に余分なものの入る隙がない。一つ一つクリアしていって時間が過ぎています。

けれど、日中に呟いたまた思いついた「よからぬこと」。頭から離れずに実行を狙って虎視眈眈です(笑)。和様の書から背を向けて……の感。

今届いたメール。かぐやの講演に寄せられたお声です。「新鮮なタイムトリップツアーを体験しました…、比企の仙覚が残した万葉集の経緯の資料が欲しい…、これを期に滑川の再生を興して欲しいと祈ります…、子供達(青年も)に教え伝えて行って欲しいと願います…、探せばまだまだ何かでてきそうな

比企、みんなで宝探ししていにしえの町をつくるのも?高齢者の宝箱が消え失せない内に!…歴史発掘は学者ばかりでなく、織田さんや斎藤さんのような方々の地道な熱意の追求によってなされるのだなあと思いました…、源氏物語写本や万葉集のお話の続きを聞きたい…、

素晴らしい講演で比企の歴史を知る事が出来、とても楽しい時間をすごしました…、歴史は全くダメですが良い経験ができ良かったし場所も良かった…、等など  」  → 比企の方がご自分たちの歴史の素晴らしさを受け止めて下さいました!

そういえばパワポのスライドの文字に色がついているのが見難いというご感想。背景のカラー写真とかぶるから仕方ないのだけれど、極力目立つ色にと気をつけています。毎回このクレームは頂いていますが、私は文字色も含めて講演の雅趣と捉えているので今後も白黒にするつもりはありません。(頑固?)

TLに琵琶湖疏水の文字を散見して、先日東福寺から九条通へと歩く途中に渡った琵琶湖疏水を思い出しました。地図を見て鴨川を渡るのを目印に歩いていたので、最初、これが鴨川?と思ってしまいました(笑)東京人は琵琶湖疏水の文字に狂喜でした。

Sosui

今日の夕焼けは綺麗でした。昨日呟いた虎視眈眈のよからぬこと、目下着々と進行中です。

Sora

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