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2014.4.18 ツイッターから転載…建長寺の「鎌倉禅研究会」に行きました。

4月17日
今日の建長寺の庭は散り残る枝垂れ桜の手前に開き始めた牡丹。綺麗でした!

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写真は、撮っていると奥へ奥へと深まります。今日は特にその思いを強くしました。建長寺法堂の中で。最初別の場所で射し込んでいる夕陽が綺麗!と撮っていたら眼が次第に奥へ行って、あ、あちらにも…と。順に三枚アップさせて頂きます。

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最初は全体が眼に入って、驚きが鎮まると部分的に撮る余裕が出て…。

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最後に撮った一枚です。この時すでに閉門時間を過ぎていて、僅かに射し込む夕陽に夢中になって撮っていたら時間を忘れて、扉を閉めるギギギ~っという音。危うく法堂の中に取り残されそうに。慌ててシャッターを切って飛び出したその一枚です。

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4月18日
昨日の建長寺の一枚。今まで枯山水の撮り方がわかりませんでした。が、昨日方丈の廊下にゆっくり座って庭園を観ながらまだ撮り方がわからないでいたのですが、ふっと、あ!と思って撮った一枚です。何気ない構図ですが要は心を鎮める事に尽きるかも。

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2014.4.12 講演【膨大で華麗で波乱万丈の歴史絵巻 ―鎌倉の源氏物語と万葉集―】のお知らせ

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【膨大で華麗で波乱万丈の歴史絵巻 鎌倉の源氏物語と万葉集】という講演をさせていただきます。

日時: 4月23日(水) 13:30から
会場: 国立女性教育会館(ヌエック) 研修室・部屋番号110
参加費: 1,000円
お申込み・お問合せ:  080-5020-1184(澤井)
主催: 比企を考える「多羅の会」
後援: 嵐山町教育委員会、ときがわ町教育委員会

はじめて鎌倉で講演をさせていただいてから十数回こなしてきて歴史絵巻の思いが深まりました。同じ内容の《鎌倉の源氏物語》《鎌倉の万葉集》を、各回毎に違うテーマで追究させていただいたということは多角的視野で深めることになり、最近になって「膨大で華麗で波乱万丈の歴史絵巻」というフレーズが突然湧きました。今までの講演の集大成のような講演にさせて頂きます。

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2014.4.12 ツイッターから転載(3)…建長寺様の花祭りなど

4月6日
今日でひととおりの私事が終わったので吉祥寺に。ジュンク堂書店でぶらぶらしながら意識を日常に戻しました。目的あった国文学のコーナーを堪能しつつ、購入したのは結局人物叢書北条義時と泰時。これからは不自由なく時間を使えると思うので目下見えているテーマの追求を楽しみます。

4月7日
「桜満開! 木藤が芽吹き鎌倉は花浮島のようです」と鎌倉の方からメール。もうこれだけで心浮き浮きです。木藤って、山に自然に咲いている藤のことと勝手に思ったのですが、鎌倉を歩いていると山の所々に薄い紫の藤の木が混じっていて、あの風情がなんともいえず好きです。

早春の柳の芽吹きが好きです。しばらく撮影してないからカメラテストに公園を回ってきました。散りゆくとはいえ華やかな桜に眼を奪われたあと最後に撮ったのがこのショット。ああ、早春だなあと。

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4月8日
やっぱり鎌倉は遠くて頑張って早く出たのですが2つ回るのは諦めました。ゆっくり主目的だけ堪能する事にし、途中下車して軽い朝食。諦めた目的地は桜の季節を撮りたかったのでまた来年に。

鎌倉七口の一つ、亀ケ谷切通しは聞きしに勝る急坂でした。

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亀ケ谷切通、その2。先刻の投稿は鎌倉駅側を望んででした。海蔵寺のあたりに出るそうです。これは反対側を望んで。北鎌倉は建長寺のあたりに出ます。崖に菫が咲いていました。

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今日の一枚。建長寺様花祭り法要で行われた散華のあとの空になった華籠(けこ)。これを撮れて幸せ!という一枚です。今日は建長寺様の花祭りに伺いました。別の写真は後程アップさせていただきます。

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上手く撮れてなくて残念なのですが、散華をご覧になったことない方もいらっしゃると思いアップさせて頂きます。私自身何回か眼にしてはいても、法要の中で突然散華が始まって、予期してなかったものですから慌てました。それで上手く撮れてません(泣)

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建長寺様の花祭り1・桜に囲まれた三門

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建長寺様の花祭り2・法堂の中のお釈迦様

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建長寺様の花祭り3・法堂の中のお釈迦様

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建長寺様の花祭り4・三門前の法要

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建長寺様の花祭り5・山門前の法要のようす

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建長寺様の花祭り6・三門前のお釈迦様

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2014.4.12 ツイッターから転載(2)…荒木浩氏『かくして源氏物語が誕生する』を拝読して

4月1日
荒木浩氏『かくして源氏物語が誕生する』を拝読しました。《鎌倉の源氏物語》誕生の陰に「長恨歌」があります。このご著書ではそれに触れてらっしゃるので興味津津でした。桐壺更衣だけでなく藤壷にも言及されて。ただ私の鎌倉の源氏物語とは論点が違って、私のは書誌学的なのかもと思いました。

『かくして源氏物語が誕生する』では『源氏物語』の楊貴妃関連の研究史がよくわかります。根が深いのに驚きました。私の鎌倉源氏は「河内本源氏物語」を完成した源親行が奥書に紫式部と玄宗皇帝・楊貴妃の触れて書いている事によります。親行が何故長恨歌にこだわってかという親行の個人的な問題です。

鳳来寺本『源氏物語』奥書:嘉禎二年二月三日ニ校書ヲ始メ、建長七年七月七日、其ノ篇ヲ果ツ。時ニ雁字終点ノ朝也。更ニ紫式部ノ往情ヲ暗ンズ、牛女結交ノ夜也。遥カニ驪山宮ノ昔ノ契リヲ思ヒ、翰ヲ染メ、牋ヲ操リテ、慨然トシテ記ス。朝儀大夫源親行 (花押)

親行の奥書について:建長七年七月七日の朝、「河内本源氏物語」の完成をみた親行の胸に去来したのは、まず紫式部のことであり、それから七夕の夜に関わって玄宗皇帝と楊貴妃のことでした。何故これほどまでに長恨歌に親行がこだわるかは、父光行とのエピソードが根底にあるからというのが私の論です。

とても細い三日月。はじめて撮りました。観たのもはじめてかもという気がして検索したら、三日月は日没直後しか見えないとあり、道理でと思いました。

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地球照というのでしょうか、三日月でない陰の部分の月もはじめて撮りました。前々から撮ってみたかったのですが時間的に縁がなくて。今までと違う時間帯の写真という世界がありそう。

夕暮れの桜が満開の井の頭公園。今年はいつもと違った時間帯の桜を撮ろうと思い、日没時を狙って行きました。そのお陰で先程投稿した三日月に出逢えたのでした。

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2014.4.12 ツイッターから転載(1)…天理ギャラリーで蹴鞠展を観たことから、蹴鞠をする人たちの装束について

3月20日
吉祥寺アトレ地下一階に素敵な空間ができていました。

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3月26日
昨夜ツイッターで神田の天理ギャラリーで蹴鞠展が開催されていて今週中というので急遽行ってきました。RTして下さった方、ありがとうございます!何をどう書いていいか迷ってしまうくらいに充実した内容でまだ余韻に浸っています。

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今まで蹴鞠というと公家文化と思っていたのですが、たしかに始まりはそうだったのに現在の蹴鞠は武士の意志が反映していて多分に武士的なのには驚きました。四隅の懸木や装束も武士の時代に入ってから定まったそう。蹴鞠の装束は直垂でつまり武士の衣服。武士の公家文化への憧れでしょうか。

どうりで『吾妻鏡』に蹴鞠の記述が多く、それを「鎌倉でも蹴鞠が行われていた!」と感動して読んでいたのですが、「鎌倉で蹴鞠をするくらいに武士が公家文化を踏襲するのに躍起になっていた」と読みなおすと意味が変ってきますね。

蹴鞠展のチラシに「日々の訓練によってのみ鞠の変化に対して瞬間的に足が反応して動くようになる事を足魂が生まれる」と13世紀の貴族が秘伝に綴ったとあります。それは飛鳥井雅有でした。雅有は子息を亡くした為に養子をとります。その養子に蹴鞠を伝える為に書いた「内外三時抄」にあるそうです。

雅有の妻は北条実時の娘です。雅有の父二条教定が宗尊親王に仕え、北条実時はその宗尊親王御所の小侍所別当。そこに「河内本源氏物語」の親行がいてという源氏物語が蔓延する環境で雅有は育ち、実時娘と結婚したのでした。二人の間にできた雅顕の早世を悼んで雅有は『右近少将雅顕集』を編みました。

3月27日
@鎌倉市図書館‏
鎌倉市のホームページで(仮称)鎌倉歴史文化交流センター整備基本計画が公開されております。http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sekaiisan/kouryucenter.html … 今の鎌倉って~、鎌倉の歴史全体を見渡せる施設がないんですよね~(ノд-。)クスン

@鎌倉市図書館‏
発掘されたものも、なかなか見られないし…きれいな漆皿とか、素敵ないいものあるんですよ~。この施設がそういうものを、いつでも身近に見られて、鎌倉の歴史を俯瞰できる場所になるといいなあ…と、個人的に思います。

昨日の蹴鞠展で現在行われている蹴鞠のしきたりは武士の時代に入ってからと知り、それでは女三宮と柏木の蹴鞠シーンは今見る蹴鞠と違うんだ~と。なんとなく違和感を覚えていたのです納得。すっきりしました。現在の蹴鞠は直垂。柏木が着用していたのは狩衣でしょうか。そんな絵を探しています。

私は雰囲気でものを見るから細かい違いには目がいかないのですがかえって違いには敏感のよう。でも認識が遅くて理論で納得するまで疎いことこの上ありません(笑)。やっと納得したら昨日と今日でまったく違う世界を生きている感。しきたりに捉われない時代の蹴鞠は『源氏物語』の中にでしょうか。

そうだ!と思い出しました。まだ曖昧な記憶ですが、後鳥羽院が式子内親王の邸を訪れて蹴鞠をされた記述が家長日記にあったような。賑やかなその間も式子内親王がいられる室内はひっそりと奥ゆかしくいられたと。こういう蹴鞠の情景が私にはあってこれはもう古典の世界なのだなあと昨日以来の認識。

『家長日記』は、家長が自分をとりたててくれた後鳥羽院に対する恩を忘れずにいて、紫式部が道長を讃えるために『紫式部日記』を残したのに倣って書いたのだそう。源氏物語世界の浸透は美しいです。

3月28日
「蹴鞠」展に展示されていた絵巻「鳴門少将物語絵巻」に興味を持ちました。蹴鞠を観にきていた鳴門少将の妻が後嵯峨院に見初められて寵愛を受け少将が出世したという物語。絵巻に描かれた蹴鞠の人達がまだ武士風の蹴鞠装束になってなく公家姿でした。
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/8/

それにしてもと思ったのでした。後嵯峨院は『源氏物語』を愛好されたのですが、女三宮と柏木の不義密通の発端が蹴鞠の場面。後嵯峨院はもしかして意識的にこの構図を踏襲された?と思ってしまいました。お子様の後深草院が『源氏物語』若紫を踏襲して『とはずがたり』二条を寵愛されたように。

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