3月20日
吉祥寺アトレ地下一階に素敵な空間ができていました。

3月26日
昨夜ツイッターで神田の天理ギャラリーで蹴鞠展が開催されていて今週中というので急遽行ってきました。RTして下さった方、ありがとうございます!何をどう書いていいか迷ってしまうくらいに充実した内容でまだ余韻に浸っています。

今まで蹴鞠というと公家文化と思っていたのですが、たしかに始まりはそうだったのに現在の蹴鞠は武士の意志が反映していて多分に武士的なのには驚きました。四隅の懸木や装束も武士の時代に入ってから定まったそう。蹴鞠の装束は直垂でつまり武士の衣服。武士の公家文化への憧れでしょうか。
どうりで『吾妻鏡』に蹴鞠の記述が多く、それを「鎌倉でも蹴鞠が行われていた!」と感動して読んでいたのですが、「鎌倉で蹴鞠をするくらいに武士が公家文化を踏襲するのに躍起になっていた」と読みなおすと意味が変ってきますね。
蹴鞠展のチラシに「日々の訓練によってのみ鞠の変化に対して瞬間的に足が反応して動くようになる事を足魂が生まれる」と13世紀の貴族が秘伝に綴ったとあります。それは飛鳥井雅有でした。雅有は子息を亡くした為に養子をとります。その養子に蹴鞠を伝える為に書いた「内外三時抄」にあるそうです。
雅有の妻は北条実時の娘です。雅有の父二条教定が宗尊親王に仕え、北条実時はその宗尊親王御所の小侍所別当。そこに「河内本源氏物語」の親行がいてという源氏物語が蔓延する環境で雅有は育ち、実時娘と結婚したのでした。二人の間にできた雅顕の早世を悼んで雅有は『右近少将雅顕集』を編みました。
3月27日
@鎌倉市図書館
鎌倉市のホームページで(仮称)鎌倉歴史文化交流センター整備基本計画が公開されております。http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sekaiisan/kouryucenter.html … 今の鎌倉って~、鎌倉の歴史全体を見渡せる施設がないんですよね~(ノд-。)クスン
@鎌倉市図書館
発掘されたものも、なかなか見られないし…きれいな漆皿とか、素敵ないいものあるんですよ~。この施設がそういうものを、いつでも身近に見られて、鎌倉の歴史を俯瞰できる場所になるといいなあ…と、個人的に思います。
昨日の蹴鞠展で現在行われている蹴鞠のしきたりは武士の時代に入ってからと知り、それでは女三宮と柏木の蹴鞠シーンは今見る蹴鞠と違うんだ~と。なんとなく違和感を覚えていたのです納得。すっきりしました。現在の蹴鞠は直垂。柏木が着用していたのは狩衣でしょうか。そんな絵を探しています。
私は雰囲気でものを見るから細かい違いには目がいかないのですがかえって違いには敏感のよう。でも認識が遅くて理論で納得するまで疎いことこの上ありません(笑)。やっと納得したら昨日と今日でまったく違う世界を生きている感。しきたりに捉われない時代の蹴鞠は『源氏物語』の中にでしょうか。
そうだ!と思い出しました。まだ曖昧な記憶ですが、後鳥羽院が式子内親王の邸を訪れて蹴鞠をされた記述が家長日記にあったような。賑やかなその間も式子内親王がいられる室内はひっそりと奥ゆかしくいられたと。こういう蹴鞠の情景が私にはあってこれはもう古典の世界なのだなあと昨日以来の認識。
『家長日記』は、家長が自分をとりたててくれた後鳥羽院に対する恩を忘れずにいて、紫式部が道長を讃えるために『紫式部日記』を残したのに倣って書いたのだそう。源氏物語世界の浸透は美しいです。
3月28日
「蹴鞠」展に展示されていた絵巻「鳴門少将物語絵巻」に興味を持ちました。蹴鞠を観にきていた鳴門少将の妻が後嵯峨院に見初められて寵愛を受け少将が出世したという物語。絵巻に描かれた蹴鞠の人達がまだ武士風の蹴鞠装束になってなく公家姿でした。
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/8/
それにしてもと思ったのでした。後嵯峨院は『源氏物語』を愛好されたのですが、女三宮と柏木の不義密通の発端が蹴鞠の場面。後嵯峨院はもしかして意識的にこの構図を踏襲された?と思ってしまいました。お子様の後深草院が『源氏物語』若紫を踏襲して『とはずがたり』二条を寵愛されたように。