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2014.5.28 ツイッターより転載…建長寺様の鎌倉禅研究会に行きました。

5月22日
渋谷はどしゃ降りの雨。しかも雷まで。

本をもって出るのを忘れたので青空文庫で夕霧。与謝野晶子訳で私はこれで源氏物語に馴染んだからとても読みやすい。読みたい読むべき本は他にあるのだけれどそうすると自分の研究と異質の世界で相互に出たり入ったり浸る事ができない。でも与謝野晶子だと安心なのは血肉になっているからでしょう。

まるで川霧が発生しているようでした。建長寺様境内。

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あがりかけた雨が熱せられたアスファルト?に触れて蒸気のようになって流れてきて。

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建長寺様で山家浩樹先生の京都五山・鎌倉五山・尼寺五山についてのお話を聴いてきました。全般のお話だったので特に思った事はないのですが、その後の先生が五山は難しい、結局禅宗が如何に武家政権と結びついているかって事なんですよねとおっしゃられて、やっと私もわかった気がしました。

講義の名残。建長寺様応供堂はもう人が去ったのに灯りはまだ消されていません。七月にここで鎌倉の源氏物語と七夕についてお話させて頂きます。建長寺様のお計らいで特別例会として。そんな事をふっと思ったら緊張が湧いてしまいました。

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鎌倉を出発した横須賀線前方に巨大な積乱雲が見えたのですが、渋谷に着いたら上空は真っ黒な雲。そして三鷹に向かっている今車窓が激しい雨に。一連の空ですか?

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帰宅した三鷹は澄んだ星空。と、遠くを見ると都心上空は巨大な積乱雲のなかで巨大な稲光が頻発。天地創造のスクリーンを見るよう。真下の人はどんなにか怖いことでしょう。スマホでよく撮れてませんが。

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5月24日
遥けく憧れ。ふっとこんな言葉が。今年は世事にいろいろあって読むことも書くこともままならず思っている研究も進まない。今月末の締切を守れば今年発表できる論文もまだ取材に行きたいところが。という訳で来年まで見送り必定。でもその取材を考えたら遥けく憧れと。夢は居座ってくれています。

先日の禅研究会で「鎌倉に地蔵菩薩が多いのは何故」という質問をされた方がいらして、そういえばと私も思ったのでした。阿弥陀様は聖衆来迎等で多くの菩薩を従え迎えに来て下さるけど、お地蔵様は一対一で対して下さるから鎌倉武士によかったのではと。あまり違いを考えた事がなかったので成程と。

遥けく憧れを手にすべく図書館に来ました。笠間時朝集、無事に入手。冬から何度も借りてはそのまま読まずに返却。今度こそ役立たせたいと思います。

先日の六浦幻視散策。ずっと谷崎の吉野葛を思いつつ歩いたと感想を頂いて読み返したいと思いつつ叶わないでいるうちにまたその方から「読み返したらあの幻視の旅も小品に」とお葉書。そうっかと思う。だとしたら六浦湾に昇る月を見ながら蘆刈も書けるなあと。たしかにそこにあったのに今はない光景。

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2014.5.27 ツイッターより転載…六浦幻視散策を終えて

5月16日
19日の散策のレジュメを殆ど平成10年刊の『金沢ところどころ』をもとに作っています。まだ頻繁に金沢文庫に通っていた頃の刊行。懐かしいのと新たな視点とで読み返していますが、なんか昔に還ったみたい。こういう機会を頂く事が新たなステップに繋がります。頭のなかではもう別の発想が。

今日はこの階段を上りにきました。

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先程ツイートした階段を昇ったところにある遺跡。といってもこれはレプリカで、本物の遺跡は背後に建つマンション建築で壊されました。が、鎌倉時代の貴重な中世墳墓遺跡として一部レプリカ保存。

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上行寺東遺跡といいます。金沢八景駅から歩いて数分の六浦にあります。岩に阿弥陀様が彫られているのですがお首がありません。

遺跡がある高台から朝比奈峠を遠望。金沢街道こと六浦道が朝比奈峠に向かって走っています。遠くに見えているのは朝比奈峠。切通がくっきりV字形になって見えます。今日は19日の散策の下見にきました。

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遺跡の全体のようす。こうして残されたレプリカの遺跡は本物のほんの一部です。

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六浦道には実朝が建てた大慈寺がありました。金沢八景からバスで金沢街道を行き、峠を過ぎてすぐの十二所で降りて歩きます。分かりにくい所なので当日迷わないよう確認しました。

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5月17日
昨日はシーサイドラインに乗って広重の浮世絵で有名な金沢八景の景勝を感じながら巡りました。八景のひとつ「称名の晩鐘」は金沢文庫がある称名寺です。昨日は行きませんでしたが、シーサイドラインでは海の公園南口下車徒歩15分です。

シーサイドラインで巡ることができた幾つかをアップさせていただきます。最初に「瀬戸の秋月」。これは金沢八景駅に近い瀬戸神社前にある琵琶島弁天の場所。瀬戸神社が頼朝の勧請で、琵琶島弁天は政子です。

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これは瀬戸橋。「洲崎の晴嵐」はもう少し先かな? 瀬戸橋は、昔は平潟湾は瓢箪のように内海と外海になっていて、袋を絞ったようなその中間に架けた橋。急流で危ない工事の為に人柱をたてたという伝承もあります。今はそんな面影もなく穏やかです。

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「平潟の落雁」はこのあたり。平潟湾です。

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「乙舳の帰帆」は海の公園のあたりでしょうか。

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「野島の夕照」の野島です。こうして現代の風景をご紹介してしまうと、広重の絵の風流さからかけ離れて幻滅ですが、訪ねれば気配を感じることができます。今回はじめてこんな巡り方をしました。

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今回散策のお手伝いをさせて頂くのは鎌倉で詩等の読書会をされている方々。お話やメールを交わさせて頂くと言葉が深い!詩の言葉っていいなと、今のところそういう言葉を使っていられない私はちょっとやっかみ気分です。いわゆる詩的というのでない詩の言葉は哲学。世の中の理解と直結しています。

5月19日
おはようございます。今日は六浦道の散策。金沢八景を巡って朝比奈峠を通り、実朝建立の大慈寺跡を見学して鎌倉に。素敵に感性鋭い方たちばかりなので、枯渇している私のいい刺激になるでしょうと期待。晴れてよかった!

今日のお伴は増鏡。終日歩くから軽い本をと探したので文庫本。久しぶりだけど案外これが今の私には必須本なのかも。西園寺公経あたりから知る必要が。突然ここから展開の予感がしました。

散策の途中に。こんな風流な風景。六浦の平潟湾です。

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今日の六浦道散策は素晴らしい方々とご一緒できて、歴史はロマン、歴史は想像力、を改めて思いました。何も残っていなくても、かつてここにそれがあったと知るだけで想像力を膨らませて楽しめる方たち。私もご案内のし甲斐があって楽しかったです!まもなく都内。

結崎 剛:きょうの六浦道散策、織田さんの引率によるルート、見所はほぼすべて《いまここにないもの》。碑の他なにもない地帯、遺跡、埋めたてられた海、バスの車窓から《一瞬しか》見えない、もはやただの岩壁と化した岩彫地蔵、六浦湾。古地図を頼りに「幻視」することによってのみ感じる、素晴らしい遠足。

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帰宅したら今日の遠足の主催者さんからメールが届いていました。「予想を上回る地味なコース。教えていただかなければ、決して気づかなかった処ばかりでした。雑然ととしたなかに何気ない姿で紛れている中世の欠片。意を止めて見つめ、耳を澄まし、想いを馳せたとき、ようやく見えてくる幽かな光。けれどもひとたびその光が発せられれば、その欠片の耀きは、辺り全体をまったく異なる世界に映し出しました。例えば上行寺の遺跡から織田さんが指さした朝比奈の切通し。はつなつの逆光を背に、彼方の稜線に刻印されたV字が見えた、小さくしかし明瞭に示された鎌倉への入口。あの向こうが鎌倉なんだ。その後峠を越えるバスの後部車窓から一瞬覗いた平潟湾は名残惜しく、初めて訪れたはずなのに既にして懐かしい、中世世界への別れを告げたのでした。」とあって、何度か呟いていますが、詩的なこういう感性を素敵だなと思うし羨ましいと思います。

結崎 剛:無いものを見る。無いことを見る。という物凄く特異な、一種の挑戦ともいえるような織田さん考案の鎌倉遠足ルート、ほんとうになんにもない所へ連れてゆくの(笑)。なんて危険なことを、軽々と、平然とやってのけて、しかもすっかりぼくらを乗せてしまう織田さんの力量は、考えてみると凄い(笑)

5月20日
昨日の散策に使った六浦の古地図です。現代に当てはめると最上部の能見堂が京急線能見台駅。右上中央にある称名寺が金沢文庫駅。真ん中の瀬戸橋あたりが金沢八景駅です。これを見ると今はもう平潟湾は瀬戸橋より上の内海は埋め立てられているんですね。

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5月21日
19日の六浦道散策の写真を何枚かアップさせて頂きます。最初にこれは瀬戸神社境内にある謡曲「放下僧」の史蹟。鎌倉の外港六浦湊は当時大変栄えていて賑わっていたそう。そんな中で曽我兄弟のような敵討ち事件が起きました。

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瀬戸神社が新しくなって輝いていました。軒に彫刻も。大分行ってなかったから、いつ新しくなったのかなあとしみじみ。

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瀬戸神社は頼朝が水運の無事を祈って伊豆の三島大社を勧請しました。それで平潟湾に向いて建てられています。その前に琵琶島弁天があり政子の勧請。竹生島の弁天様を。弁天様から見たら料亭千代本の裏手に船着き場がありました。千代本は広重の金沢八景の浮世絵「瀬戸の秋月」にも描かれている老舗。明治時代には伊藤博文ら元勲が訪れて平潟湾で船遊びをし、そして裏手の船着き場から千代本にあかって宴会をしたのでしょう。

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六浦から朝比奈峠を越えたところに酔鯨館という彫刻家の方の家があって寄ったら、そこは梶原景時の館があった場所でした。奥に井戸もあるそう。六浦道は大倉幕府と外港を繋ぐ主要な道路だったから、重要な後家人の館はみんなこの道沿いにありました。

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鎌倉に入って歩いていたらこんな碑が。北条時房邸跡。若宮大路にはこういう幕府の重鎮の邸宅が軒を連ねていた訳ですから、その一々を知りたく思っていました。

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それから時房邸跡碑の脇に幕府の重鎮の邸宅地図かあって、金沢文庫二代当主顕時の邸宅もありました。ここからは定窯の白磁が出土していて、遺跡調査では有名な遺跡です。

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案内板に「将軍は源氏三代、公家二代、親王四代」とあります。鎌倉の将軍は源氏だけしか知られてないのに、それ以降の方が多い。公家二代の時代から鎌倉にはお公家さんたちが多く移り住んで公家文化が武士文化と共存しているのに、それがまったく拡がっていないなあと思います。

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2014.5.25 吉祥寺店ロフトの展示は今日までです! 【旅する約100人のブックカバー展 in KICHIJOJI】

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私の『源氏物語と鎌倉』の表紙デザインをして下さったデザイナーcoccoさんの作品が展示されています。

それは【旅する約100人のブックカバー展 in KICHIJOJI】という企画で、各自がそれぞれ架空の本屋さんを設定して、そのブックカバーをデザインしたもの。coccoさんも応募して見事入選され、全国の巡回展で売られています。coccoさんのお店は【BOOKS 黒い瞳】。昨年からはじまっていて、関西の出版社さんの企画だったから見ることができませんでした。それが、全国を回ることになって吉祥寺にも。早速行ってきました。でも、ご紹介が遅れましたが今日までです。以下、予定を。

■東日本篇
5/12(月)ー 5/25(日):吉祥寺ロフト《開催中!》
5/12(月)ー 6/1(日):大宮ロフト《開催中!》
5/30(金)ー 6/12(木):札幌ロフト
6/6(金)ー 6/19(木):そごう横浜店7階 

■東日本篇(続き)
6/17(火)ー 6/30(月):立川ロフト
6/28(土)ー 7/13(日):有楽町ロフト
7/18(金)ー 7/27(日):池袋ロフト
8/1(金)ー 8/14(木):仙台ロフト

■西日本篇
4/22(火)ー 5/15(木):京都ロフト《終了》
5/26(月)ー 6/15(日):神戸ロフト
6/23(月)ー 7/13(日)※予定:あべのロフト
7/21(月)ー 8/17(日)※予定:天神ロフト
8/26(火)ー 9/15(月)※予定:ロフト名古屋

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2014.5.12 ツイッターより転載…「頼家・実朝期における京下の鎌倉幕府吏僚─源仲章・源光行を中心に─」という論文に私の「源光行の鎌倉下向と一時帰洛」を参考文献として使って頂きました。他、鎌倉浄妙寺を訪ねたことなど。

5月4日
太陽にかかる雲の端が彩雲になっています。画面中央の木の間ですが、わかるでしょうか。さっきから出たり消えたり。最初に見た時は濃いオレンジの 水平虹のようでした。

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この日は西日本の各地で環水平アーク出現。特に出雲大社にかかる水平虹は荘厳でした。

源実朝?@m_sanetomo・5月4日
野口実先生のHPで公開されている京都女子大の機関紙『紫苑』第12号に、「頼家・実朝期における京下の鎌倉幕府吏僚─源仲章・源光行を中心に─」という論文が掲載されてるよ。http://rokuhara.sakura.ne.jp/organ/ ←と、ツイッターで教えて頂いたのです。拝見したら岩田慎平という方のご論文で、参考文献に二か所揚げていただいていました。

5月5日
河内入道覚因の許へ、揚名介事とひ侍るとて/君ならでたれにかとはんゆふがほの花のあるじは知る人もなし 飛鳥井雅有…昨夜から原稿を書きはじめています。これは冒頭。雅有の『隣女集』にある歌です。河内入道覚因は源親行。宗尊親王の時代に「河内本源氏物語」を完成させた鎌倉の源氏学者。雅有の父

二条教定は宗尊親王に仕えていましたから、雅有は親行には可愛がられて育ったはず。後年伏見宮廷で「源氏のひじり」と呼ばれるほどの源氏学者になったのは鎌倉仕込みです。なにしろこの歌のようにちょっと疑問が湧いたら親行に頼れたのですから。雅有の子息に雅顕がいて二十歳前後で亡くなって

います。母は金沢文庫創設者の北条実時。実時も小侍所別当として宗尊親王に仕えていました。だから教定とも懇意で子供どうしを結婚させたという訳。雅顕の早世を悼んで父雅有が編んだのが『右近少将雅顕集』。ちいさな歌集ですが雅顕の辞世の歌が痛々しく胸をうちます。そんな事を書いています。

補足:揚名介は名を揚げるだけで実質を伴わない官職のこと。『源氏物語』にある語で、鎌倉時代にはすでに意味不明の語になっていたらしく、雅有も「君ならで誰にか問はん」と親行に訊ねたという事情です。

5月7日
薔薇が咲いたので望遠で撮ってPCに取り込んで見たら蜘蛛が這っていました。

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5月8日
道すがらの読書に中断していた人物叢書義時。頼朝の死因が稲毛重成が相模川にかけた橋の落慶供養に赴いた際の落馬とは知ってたけど、それが稲毛重成の亡妻の為の追善で、その亡妻が義時の妹だったなんて。義時は華々しく戦果をあげて歴史に残る武将でないから知られてないけど、人間的に深そう。

浄妙寺さんで足利貞氏公の写真を撮ってこれから鎌倉に向かいます。金沢文庫で兼好展を観て、バスで金沢街道を下って途中下車。久しぶりの六浦はやはりいいなあと堪能ています。

足利貞氏公の宝きょう印塔は満開の躑躅で華やいでいました。

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今日鎌倉で驚いたこと。小町通りの電線地中化が完成していました。なんか空が広いと思って気づいたのですが、それより驚いたのはこれがツイッターでもフェイスブックでも伝わってきてなかったこと。

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これは凄いことなのに誰も感動してないのでしょうか。お会いした鎌倉の方にそう言ったら、小町通りを歩く人は空を見ないんですよと。両側のお店を見るから…。でもそれは旅行者さん。鎌倉の方はこれをもっと騒いで喜ぶべきと思います。外部に伝わるように。写真の赤い旗は完成記念とあります。

西陽にはなにかこの世ならぬものがある。そう思った時の写真です。浄妙寺にて。足利貞氏公の墓の写真を撮って本堂に戻ってきたとき、本堂の入り口に陽が射しこんでいてなにかの訪れを感じたのでした。射し込むといったかたちのせいからなのでしょうか。昔の人はこうして来迎を感じたのだなあと思いました。

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今日は素晴らしいものに立ち会いました。浄妙寺さんでは本堂の裏手に小さなお堂を建立中で銅の瓦を葺いているところでした。背後に本堂の緑青を吹いた緑色の屋根を控えて、新しい銅の瓦はまだ赤銅色。まばゆい光を放っていました。

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2014.5.5 調布市の市民講座四回目【冷泉為相と称名寺】のこと、高幡不動に行ったことなど

4月25日
マルケス訃報に接した日、TLで『族長の秋』は冒頭で結果がわかっているにも関わらずとあり、え?と思っていて、先程開いてみたらのっけから結末が。興奮して読んだにも関わらずこの驚くべき展開が記憶になくて、私は文学に何を読んでいるのだろうと自信喪失。まさに文学は何を書いてもいい!ですね。

鎌倉の源氏物語の問題がひとまず決着ついて、後は小説にまとめなければと考えているから、文学についての思考が楽しい。はからずも昨夜出版記念会で久々に文学者の方々と交流して、ハチャメチャな文学をやりたくなりました(笑)。光行さんはしかつめらしく書いても面白くないから。

ようやくPCに取り込みました。23日のヌエックでの講演です。これは先日アップした足立遠元娘の婚姻関係のところ。こんなふうに部屋を暗くしてスライドを次々と上映し、解説させて頂いています。自分では講談師とかトーキーみたいと思っています。

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先程ヌエックに来て下さったかつての上司の方からメールを頂きました。パワポを伝授して下さったのもその方です。どんなご感想を頂くかはらはらしていました。「何が良いって織田さんがパワフル。私もパワフルのつもりですが、負けてます」だそうです。いえいえ何の、その方のパワフルさは凄いです。

と、冗談は置いて「織田さんが一番訴えたいポイントは何なんでしょうか。歴史的検証?源氏物語・万葉集の素晴らしさ?みんなに文化に触れてほしい?あるいは郷土史に触れて郷土を愛してほしい?あるいは全部?最後にでも訴求ポイントをあえて言ったほうが良いのでは」は有難く拝聴しました。

実はこれは鋭い突っ込みで、私自身最近わからなくなってきているのです。最初は埋もれていた鎌倉の源氏物語という問題を訴えるだけでシンプルでした。そこから派生していろいろな状況に対応していたら自分で何が一番重要かわからなくなってしまいました。答えもその場に応じるのかもしれません。

4月26日
調布の講座が迫っているので早々に片付けものを終わらせて準備にかからなければならず手は他のことをしていてもテーマを何にしようと思案がぐるぐる。今朝になってそうだ「冷泉為相と称名寺」にしようと定まりました。写真は撮っていてもフィルムだったりで足りないのが多く鎌倉に撮りに行きたいです!

とりあえず作ってみました。【冷泉為相と称名寺】のタイトルスライドです。副題は「謡曲六浦を巡って」。鎌倉の源氏物語とは全く別の話なので今までのパワポは使えず編集は一から。時間が足りないといいつつ結局いばらの道を選び取ってしまいました。

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【冷泉為相と称名寺】の補足:称名寺には一人の公卿が訪ねたという謡曲六浦の青葉の楓伝承があります。それが冷泉為相だと。でもそれはあり得ないとされて伝承と言われていたのを「有りうる」と論証させて頂いた事があり、それをパワポでご紹介しようかな、と。

吉祥寺の新しい空。キラリナオープンでこんな光景が見える事に。

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北条氏の中の金沢北条氏の系図スライドを作りました。金沢北条氏は、二代執権義時の孫の実時からはじまります。実時が称名寺と金沢文庫を造りました。

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4月27日
早起きしたので玉川上水べりの藤を撮りに行ってきました。満開の房もありましたがまだ蕾のも。でも満開になっても藤棚に造っていない藤は山里のような近しさがあります。

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姫ライラックです。

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躑躅が見事で街を歩くとどこに行っても外科室を思い出すのですが、この一本はふしぎでした。これ、花の色が白かったり赤だったり斑だったりしていますが同じ一本の木です。

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【冷泉為相と称名寺】用系図の三枚目、「御子左家と宇都宮氏の関係」です。これでだいたい登場人物が揃いました。これをレジュメにして送って、そうしたらパワポの編集にかかります。小説を書くような楽しみ。時間に余裕があればですが…。

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昨夜から【冷泉為相と称名寺】の本編スライドの作成にかかりました。最初に謡曲「六浦」の説明をします。四枚続けてご紹介させて頂きます。背景の写真は称名寺で撮ったものです。その1。

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その2。

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その3。

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その4。

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4月28日
【冷泉為相と称名寺】の編集で宇都宮氏についてまとめました。栃木県益子町の尾羽寺は頼朝に仕えた三代当主朝綱建立。唯一残る堂宇の地蔵院は創建当時の阿弥陀堂で重要文化財。本尊阿弥陀三尊像は鎌倉時代作です。

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こちらは地蔵院の本尊地蔵菩薩。特別に拝観させて頂いた時の撮影ですが真っ暗な中ブレてて済みません(泣)。こちらも鎌倉時代作です。

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宇都宮氏の系図です。宇都宮氏は初代宗円が前九年の役の功で下野一宮二荒山神社の別当に任じられ代々神職に。それで後に御子左家と婚姻関係をもつような教養高い一族になったのでしょうか。宇都宮歌壇には後に仙覚も関わってきます。

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4月29日
昨夜の驚き。【冷泉為相と称名寺】の編集で。文永六年に飛鳥井雅有が『嵯峨の通ひ路』にある為家に源氏物語の教えを受けた時、阿仏尼が同席していた。その時為相が七歳だったなんて。それならこの会談の最中にちょろちょろと現れたかもと。

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今まで『嵯峨の通ひ路』の記述どおりにしか読んでいなかったので為相の存在にまで考えが至りませんでした。僅かに雅有が子息を同伴してるのでそれなら母親の実時娘もとまで。そこに少年為相が登場。俄然嵯峨の地が賑やかに。親たちが勉強会をしている間、少年達が竹林の中を駆け回っていたりして。

今日は出かけるので編集が夜になってしまいますが、これまで漠然と為相が称名寺を訪ねた可能性を探っていたのが、案外主役は阿仏尼で、為氏との訴訟が中心だと感じてきました。これから『十六夜日記』を投入していくのが楽しみです。早い時期に書いた論文は見直すと意外な深みに。

編集も後半にきてやっと為相が生まれテーマが浮かぶなど、それなら宇都宮氏の歴史まで遡る事はなかったと思いますが、私はいつもそう。鎌倉の源氏物語も光行が下向したところからでいいのに平家の王朝文化の更にその根幹まで探らないと気が済まない。因縁とか仏教的な感覚があるのかなと思うこの頃。

高幡不動に行きました。五重塔を撮ってみました。何度か行っているのに撮る気になったのははじめて。

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高幡不動五重塔の相輪です。

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それから、朝、麦の穂が綺麗でした。今は雨が降っているからこういうふうに撮れるのももうないでしょうね。

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4月30日
【冷泉為相と称名寺】の阿仏尼邸跡碑のスライドです。阿仏尼は弘安二年(1279)に二条為氏との訴訟で鎌倉に下向。その道中記が『十六夜日記』ですが、中学の頃この美しいタイトルの日記がそんな大変な背景をもつなど知らずただ憧れていました。

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阿仏尼碑は江ノ電に乗っていても車窓から見ることができます。鎌倉駅を出発して極楽寺駅を過ぎたらすぐの踏切脇。藤沢に向かって右の車窓です。そのあたりが月影ケ谷一帯でしょうか。海が近い風情ある感じはしません。

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明日の講座【冷泉為相と称名寺】の編集がまだ終わりません。最近は核心に至るまでが長くて、やっとテーマをつかんだと思うと時間が迫っている、あとは徹夜の体力勝負、の繰り返しです(泣)。永仁元年の為兼の鎌倉下向が二人に記録されています。そのスライドを作りました。二枚ご紹介させて頂きます。

最初は『沙弥蓮瑜集全釈』です。沙弥蓮愉は宇都宮氏七代景綱。為家と結婚した頼綱娘は景綱の叔母にあたります。為兼は彼女の孫。景綱と為兼はそういう関係です。『沙弥蓮瑜集全釈』も面白いです!

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次に『親玄僧正日記』から。同じ為兼の下向が別の人にも記録されているなんてと驚きました。親玄僧正が将軍久明親王を訪ねたら先に為兼が来ていたという内容です。為兼は伏見天皇の命を受けて下向してますから、何かいいつかって来たのでしょう。

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5月1日
編集は未明に終わりました。昨夜の呟きの「核心に至るまで長い」は考えてみれば起承転結そのものなんですね。平坦な長い思考の先に深まりがあって核心に至る。それが作る事の醍醐味。体力や眠気との戦いは別ですが(笑)。ともかく無事に出かけられます。感謝です。

早めに出たので駅前のカフェで寛いでいます。初めて源氏物語や万葉集でない鎌倉の歴史を辿りました。結構嵌まって映画を観てきた後のような余韻。これは写真で進行しているからです。金沢文庫の三代当主に絡む冷泉為相や禅宗の僧侶さんたち。最後は夢窓疎石なので鎌倉滅亡後の天龍寺で終わらせました。

それにしても、金沢文庫二代当主顕時の娘が足利貞氏に嫁いで、その貞氏が中興開基なのが浄妙寺だなんて。そこから一挙にほぐれた謎解きでした。

終わってまたさっきの駅前カフェ。楽しんで頂きました!鎌倉は結構歩いてるけど、今日のお話のような歴史は知らなかったからまた歩きたくなったって、皆様がおっしゃいます。ツアーを組んだら参加しますから是非って。称名寺や建長寺などポピュラーな寺院しか登場しないんですけど、視点が違うから。

皆様がいつも写真が綺麗だとおっしゃって下さるから、称名寺の池の水面が青く綺麗に撮れてる時、水面を撮る時は青空が写りこんでいるところを撮るといいですよって一言添えたら、お茶の席でそれが話題に盛り上って、何がどういうふうに受け止められるかわからないなあと、おかしかったです!

あと、この教室から先日の埼玉での講演にいらして下さった方がいられるのに今日気がつきました。先月チラシをお配りしたからです。今度は七夕の建長寺様。こちらは鎌倉だからかなりなパーセンテージでご反応を頂きます。再会の楽しみみたいになりますね。また頑張って編集しなくては!

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2014.5.1 ツイッターから転載…4月23日の国立女性教育会館(ヌエック)での講演【鎌倉の源氏物語と万葉集】のことなど

4月18日
23日の講演【鎌倉の源氏物語と万葉集】用パワポの編集をしています。紫式部から始まって鎌倉の宗尊親王まで、各時代にいろいろな人物が関わってきます。比企の地でする講演なのでまず最初に大蔵合戦をと思い、関係図を作りました。

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この関係図、私には不慣れな領分で、大蔵合戦を講演に入れるのは初めてです。会場が比企なので、地元でもあまり歴史に馴染みのない方にわかりやすいようにと。野口実先生『源氏と坂東武士』を参考にしました。作ってみてやっと私にも相互関係がわかりました(笑)

4月19日
23日の講演用スライド「大蔵合戦の結果」を作りました。『源氏物語』に浸って過ごしたい私としては坂東武士の争いはずっと理解を先延ばしにしてきたのですがそれでは済まなくなり、野口実先生のご著書を参照しつつ頑張りました。

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講演用スライド「保元の乱」です。今まで講演では頼朝の旗揚げから始めていてそれで済んだのですが、今回は比企の方々にまつわる歴史ということで義朝から始める事に。なので保元・平治の乱を避けて通れなくなりました。大河清盛を思い出します。

系図を作る時、最初は誰をどう並べたらよいのかさながら神経衰弱状態です。が、だんだん整ってくると今まで理解していたと思う事がそれほどでもなかったと気づき、こんなに明快だったんだぁと自分で驚きます。結構醍醐味です。

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4月20日
最初に疑問をもったのは御子左家との関連で宇都宮氏を調べた時だった。早い時期に京から妻を迎えていて京風の暮らしをしていた。鎌倉が中心と思っていた通念では鎌倉より華麗な文化が関東の奥地にあったなんてと謎でした。どういう経緯で坂東武士が京との関わりを持ったのか気になっていました。それが

最近になってやっと理解できたのは野口実『源氏と坂東武士』を拝読して。大番役が平治の乱後に定まって、でもそれ以前から源氏に仕えて武士たちは在京していたのですね。その中に足立遠元がいて、鎌倉の『万葉集』関連で目下私はこの人物を調べてみたく思っています。そんな事も講演に盛り込みます。

玉川上水べりの藤です。民家の庭先に植えられているようなのですが延ばし放題なので山藤みたいです。でも私はこの山里の風情が好きで、去年みつけた時はもう花が終わりかけだったので、今年はと忘れないうちに行ってみたらまだこれからでした。

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足立遠元のスライドです。23日の講演までに遠元の邸跡とかいろいろ比企を巡って写真を撮って使いたかったのですが、私事で時間をとられる事あって叶いませんでした。今年は仙覚の論文を書きたいので取材旅行はこれからです。

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4月21日
パワポの編集、ようやく前半の京都が終わりました。不慣れな坂東武士世界を整理しつつでしたので四苦八苦。時間をとりましたが、お陰で視界が晴れてすっきり。これから後半。いよいよ光行が鎌倉に下向して鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』の主題に入ります。

メドがたって一段落したので吉祥寺に。これ以上続けたら目が切れてしまいます。この頃は頑張るのと体力との兼ね合い勝負です。吉祥寺では新規オープンのキラリナ招待日。そうか、23日はキラリナオープン当日でオバマ大統領来日の日。私は世間に背を向けてひたすら北上?なんて思って楽しんでいます。

根津美術館の応挙「藤花図」のポスター。最近は圧巻といえるほどたわわな藤棚情報ばかり見ているので気がつきました。応挙の藤がすっきりしているのはまだ蕾が多いからなのですね。

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4月22日
足立遠元娘を主軸に、鎌倉武士の婚姻関係をまとめました。時政・遠元・能員世代が親とすると、子の時房・重忠世代が一様に足立遠元娘をめとっています。比企能員息の時員はどうだったでしょうか。一説に可能性がありますので。

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明日の講演【鎌倉の源氏物語と万葉集】用のスライド、最初の六枚です。全部で196枚になりました。紫式部の源氏物語から始まるので最初のは華麗と思っていたら本当に華麗でした。

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今まで《鎌倉の源氏物語》か《鎌倉の万葉集》のテーマで講演していたのですが、今回初めて二つをドッキングさせました。同じ時間の流れの中なんですが、それぞれに関わった人物が違うので別個のテーマなんです。今まで120枚で90分でしたから今日はどうなるでしょう。

4月23日
皆様のご質問や疑問、ご反応からとても多くのものを頂きます。研究や学問はただ文献を漁るのでなく、人と人の繋がりで整うのだなあというのが実感です。今は向かう車内です。

畠山重忠居館跡の史跡嵐山博物館からはこの道を通って講演会場の国立女性教育会館に抜けられます。二月の武蔵観音霊場の講演会が大雪で来られなかったので、先に博物館に寄ってその日のレジュメを頂いて来ました。欲しかったのでやっとです。

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4月24日
昨日の講演、スライド196枚はスピードをあげてお話したのですが二時間半に。でも皆様眼をきらきらさせて最後まで聴いて下さいました。有難うございました。ヌエックは自分のPC持参でしたのでまだ荷物から出してなく、これはスマホ入力。写真などご報告は後程ゆっくりさせて頂きます。

国立女性教育会館がヌエックという呼称になっていて、なんだろうと思ってたら、昨日行って国際女性教育センターの略称とわかりました。

昨日の比企の夕暮れ。講演の終了後、同伴して下さった方に大蔵館跡を見ていただこうと向かっている途中、車窓は心に浸みる夕景でした。大蔵館跡の神社の境内はもう真っ暗。さすがに降りて中に入るのは気が引けました。撮るのも。

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昨日の講演では足立遠元を語るので事前に遠元館跡を撮ってスライドでご紹介したかったのですが行く事ができずあきらめました。そうしたら桶川市からいらした方がいて今度案内して頂く事に。来月講演予定の金沢文庫ボランティアの方もいらして打合せ。「北条実時と源氏物語」というタイトルにしました。

4月24日
装丁家間村俊一さん。第二句集『抜弁天』の出版記念会にて。この句集は贅沢な活版印刷。さすが装丁家さんのご本です! 本っていいなあの極みと堪能。こういう本は今時ないので、書店で手にとるだけでも眼福なのではと。

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