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2014.6.23 ツイッターから転載…建長寺様鎌倉禅研究会に参加してと、NPO法人横濱金澤シティガイド協会様での講演のこと

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(羽田空港 旧管制塔の夕景)

6月19日
月曜日に撮って回った疲労が今頃出て今日の外出を危うく忘れそうに。日曜日が講演なのに大丈夫?と苦笑。でもこの緊張感のなさは半端じゃない。かえっていいかもと思う。日曜日が終わったらそれこそ本気に建長寺様の七夕講演モードに入ります。気持ちは万全を期しているのになのに今日の緊張感のなさ。

今日は建長寺様の鎌倉禅研究会の定例会。来月の七夕が特別例会として私の源氏物語の講演です。こういうご縁がなければ禅を身近に感じる等なかったけど、和田有希子氏『鎌倉中期の臨済禅ー円爾と蘭渓のあいだ』を拝読したから、横内裕人氏「東アジアのをつなぐ思想ー禅」はその延長で楽しかったです!

同じ仏教なのに旧仏教と禅と、なんだか全然違うと不可解でしたが、最近少しそれが融けてきました。と思ったら、中世でも南都の旧仏教の僧侶の方々が招来された禅の資料がそれまでご自分達の馴染んできた資料と全然違うと戸惑った等というお話に俄然親近感を覚えてしまったのは不謹慎かな?すみません。

一献あけての鎌倉駅です。

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鎌倉の帰りの車中です。行きに緊張感の欠如ツイートして行ったのに、お名刺交換したらお二人も、ツイッター読んでます!と。それだけでなく、来月は私があの壇上にあがるのだと実感したら、途端に緊張感が蘇ってしまいました(笑)。でもその甲斐あって突然新しい構成が閃いて勇気出ての帰りです。

帰ったらツイートと思っていた事を。元文庫長の高橋秀栄先生のご講演「禅宗寺院の経蔵と守り猫」で、中世では【七月七日は虫干しの日】だったそう。『玉葉』や『明月記』に「書籍の蟲を払う」「文庫を開いて文書を払わしめる」とあるそうです。大江匡房が決めて、以来学問芸能に縁の深い日になったと。

建長寺様の今日の一枚。方丈の庭園です。池の水に青藻?が流れてきてマーブリングに。いつもは綺麗に澄んだ水。最近降った雨のせいでしょうか。はじめて見た水面の光景。

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6月20日
二つの大きな円が見えてきました、《鎌倉の源氏物語》。以前は二つの大きな四角でそれは京都と鎌倉でした。円はたぶん平安時代と鎌倉時代になるでしょう。四角は重なっていませんでした。光行が移行して空間が移行。が、今度の円は真ん中が重なります。円は文化です。円の中で人間が生きています。

今度の考え方の中では二本の線があります。以前は一本でした。それが「青表紙本源氏物語」+「河内本源氏物語」=『尾州家河内本源氏物語』の系譜の線。今度の二本の線は「青表紙本源氏物語」と「河内本源氏物語」。そして『尾州家河内本源氏物語』です。『尾州家河内本源氏物語』は別の系譜です。

この考え方はまだどなたもおっしゃっていません。《鎌倉の源氏物語》を追って、歴史を見て、浮かび上がった構図です。論文に書くといいのでしょうけれど、昨日、折角建長寺様が講演の機会を下さったのだから、この路線で発表しようと覚悟しました。これからパワポ。楽しみです。

『源氏物語と鎌倉』執筆時には見えていなかった光行の鎌倉下向の謎が解けたのは、光行の俊成への『源氏物語』写本の質問年が建仁寺建立年と重なっていた事から。光行は京・鎌倉を繋ぐ任務をもって鎌倉に下向し、頼朝・頼家・実朝に仕えた。鎌倉で平家の方々を偲ぶ為に『源氏物語』に着手したのでした。

というふうに、昨年も建長寺様で講演させていただいていますが、内容が深まっていますので全然違ったスケールでお話できると思います。

6月21日
明日はNPO法人横濱金澤シティガイド協会様のお招きでさせていただく講演。金沢文庫のボランティアガイドもされています。なのでテーマは「北条実時と源氏物語」。実時に絞って鎌倉の源氏物語を見直すいい機会をいただきました。今パワポの最終チェックを終わり、これから荷造りをしたら寝ます。講演は皆様と触れ合う素敵な場。楽しみです。

6月22日
おはようございます。無事に起きて講演会場に向かっています。なにはともあれひと安心。先日禅研究会に行って建長寺様の空気を吸ってからもうずっと七夕のパワポにかかりたい逸る気持ちを押さえています。今日が終わったら後二週間、七夕の講演に向けて、これまでの集大成として全力でかかります。

羽田空港を離陸したばかりの急勾配で昇っていく飛行機が見えています。羽田というと思い出すのが中上健次さん。羽田の整備工場で働いていらしたから、あるエッセイに原風景として機体が真上を飛んで過ぎるあの辺りの事を書いてらっしゃいました。私も羽田で写真撮っていたから、その感覚わかるなあと。

セッティング、無事完了。ここまでくると安心です。講演「北条実時と源氏物語」。初めて金沢文庫の地元に乗り込んできました!まずは地元の皆様にここに源氏物語があったという事の偉大さを知って頂きます。

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講演を無事に終えて帰りの車中。今日はこうやっていったい何回「無事に」を呟くのでしょうね(笑)。とにかくこんなふうに毎回無事にを祈る気持ちです。呟きたい事はあるけれど、やはりどっと疲れが出て車中少し休みます。

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2014.6.20 ツイッターから転載…講演「北条実時と源氏物語」用スライドの作成、鎌倉に泊った翌日の七里ガ浜の海と藤沢遊行寺のこと

6月11日
講演「北条実時と源氏物語」用パワポのスライドです。やっと実時が登場するところまできました。実時の誕生は承久の乱の三年後。「青表紙本源氏物語」完成の前年だったんですね。こうして毎回テーマ毎に編集を重ねていくと重層性が見えてきます。

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6月12日
中古文学会図書販売で購入の森幸夫先生『六波羅探題の研究』(続群書類従完成会刊)が届きました。六波羅探題は承久の乱後設置され、足利高氏に滅ぼされるまで百十年以上に亘ったと序章に。私が手掛けている範囲は結構六波羅探題に行っている人が多いので詳細をみるのに助かりそうな一冊です。

講演「北条実時と源氏物語」用スライド。四代将軍頼経室の竹御所が難産で薨去した時、実時が葬儀をとりしきりましたが、これが実時が小侍所別当に僅か11歳で就任したばかりの初仕事。竹御所の人生と実時を重ねたら奇しくもこんな事実が。

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∞音∞ a.k.a. 風*月
満月に近づきゆく十五夜のパワーはすごいですね。
明日もまたいざよいながら昇る十六夜が見れますように。

仁治二年(1241)道家の命で漢学者清原教隆43歳が下向。将軍頼経に仕える任務だったのだろう。頼経には「河内本源氏物語」を校訂中の親行54歳が歌の師として仕えていた。小侍所別当の実時は18歳。『源氏物語』の会話を介して教隆・親行が親密になってゆくのを実時は眩しく見ていたのでは?

6月13日
講演「北条実時と源氏物語」用スライドで宗尊親王までの皇室の系図。父帝後嵯峨天皇は土御門天皇皇子。承久の乱の後鳥羽院孫でいられますから鎌倉に忌避され帝位の可能性はありませんでした。が、四条天皇の崩御で幕府の意向で選ばれ即位されました。

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『増鏡』にあるように後嵯峨院の時代はとても華やか。王朝復古といった感じですが、佐藤恒雄先生「後嵯峨院の時代」によると、承久の乱で絶えてしまった王朝の文化を復活させるのを使命と心得られてのことと。後嵯峨院が目指されたのは白河院の時代で、長い院政もそのとおりでした。

宗尊親王はそういう父帝の下に育った方。みずからも文学的資質ゆたかで、鎌倉将軍として下向されても、京の後嵯峨院と密に連絡をとりあって鎌倉に鎌倉歌壇なるものを隆盛させたり、そういう中で『源氏物語』のブームも起こされたのでした。

6月14日
講演「北条実時と源氏物語」用スライド。華やかな白河院政時代の王朝文化を踏襲された後嵯峨院建立の亀山離宮跡碑です。足利尊氏によりその地に天龍寺が建てらたそうですが、この碑は天龍寺とは離れた場所。離宮はかなり広かったよう。

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講演の主催者様にレジュメを送付してひと安心。先日中古文学会図書販売で八木書店様に分けて頂いた『尾州家河内本源氏物語』影印本のチラシを同梱。実時の奥書がある写本だから、実時のオーソリティーのような方々には夢のようでしょう。メールでお知らせしたら「嬉しい」とお返事頂きました。

6月15日
鎌倉で迎えた朝に山中裕先生の訃報を知りました。山中先生は金沢文庫の傍に住んでいらして文庫の国文学関係を論じて下さっている殆ど唯一といっていい学者さんでした。『北条実時と異本紫明抄』を送らせて頂いた時、こういうのを読みたかったんだとお電話を下さってそれから本を出すのを楽しみにして下さっていました。だから『源氏物語と鎌倉』はとても喜んで下さって。でもその頃からお具合が悪くなられたのか、だんだん今日の事を予感しはじめました。お目にかかる事は叶いませんでしたが先生の事はお電話口でのお声と共に一生忘れません。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

昨夜は福島泰樹先生の『中原中也の鎌倉』ご出版記念コンサートが夜だったのでそのまま鎌倉に泊まりました。それで終電を気にする事なく鎌倉の方々といっぱいお話して。今日はなかなか機会がなくて撮れなかった写真を撮って帰ります。

6月16日
鎌倉駅のホームから見えていて一度泊まってみたかったホテルニューカマクラ。岡本かの子と芥川龍之介が会ったという歴史あるホテルです。

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七里ヶ浜の海。江の島が見えています。

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七里ヶ浜の海。ただ広がる水平線。朝の海を撮りたかったのでした。

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藤沢の遊行寺、正しくは清浄光寺に行きました。写真は境内に建つ一遍上人像。冷泉為相や為兼が他阿上人真教と親交を結んだ寺院。さらに仙覚の弟子由阿もいたりして、前から訪ねたく思っていました。

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藤沢と鎌倉では江の電の終点と終点。藤沢の遊行寺を鎌倉に住む為相や京都の為兼がどうやって訪れたのだろうと悩んでいましたが、どうやら二人は京・鎌倉の往還の途次に立ち寄ったのだと、今日行ってみて感じました。わざわざ行ったのではなく。二人は頻繁に往還してますから。

七里ガ浜で。波が引いていくときに砂浜に残す形が衣のように拡がって綺麗だなあとズームで狙ったのですが、なかなか上手く撮れてなくてまたチャレンジしたい写真です。

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こちらの方が狙いどおりかも。済みません、連ツイで。

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6月17日
藤沢の遊行寺は踊り念仏の一遍上人の寺と思っていましたから、絵巻のあのみすぼらしい黒い衣服の僧侶に似つかわしい寺院のイメージ。が、訪ねたら大違い。本堂は東海随一の木造建築というし、何よりあの後醍醐天皇の御影。印象の落差を考え中です。

時宗寺院を訪ねたのはたぶん初めてで、それで建築の装飾に密教でもない、浄土系でもない、なんなのだろうとふしぎだったのですが、はっきり言えるのは雅。そして品格。宝物館には天皇の宸翰が幾通も展示されています。有名な一遍上人絵巻のイメージに寄りすぎて本来の歴史が隠れている気がします。

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遊行寺の件。一遍上人絵巻の全国行脚のみすぼらしいイメージを一掃して、後醍醐天皇や皇室ゆかりの寺院というスケールから見ると、為相や為兼が二世上人真教と親交を結んだというのもただ歌繋がりというのでなく、当時の社会ではもっと権威ある事に感じられてきました。これは凄い収穫!

講演「北条実時と源氏物語」用パワポの編集、強引にひとまず終了。あとは詰めるだけにしてとにかくこれでひと安心です。今回は実時に詳しい方々が聴いて下さるので娘婿の飛鳥井雅有まで入れました。それでこれが鎌倉滅亡前の最後の一枚です。

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2014.6.11 ツイッターから転載…実践女子大学【宮廷の華 源氏物語】の二日目、「源氏物語の薫と装束」に行きました。空蝉の実演に感動!

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6月8日
空蝉。スルッと、ほんとうに一瞬にして十二単を着ていた女人が袴姿で抜け去って、後に残された人型の装束。瞬きをする間もないほどの一瞬。実践女子大【王朝の薫と装束】にて。

6月9日
空蝉の実演の後に残された桧扇。

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そういえば、昨日は十二単の現代と平安時代との違いを教えて頂きましたが、それは時間のある時にツイートさせて頂く事にして、桧扇の件で思い出した事。さすが実践と思ったのは実演に使用されたものが殆んど本物という事。平安時代の十二単のお方が持ってらしたのは江戸時代のものです、というように。

昨日の実践女子大【王朝の薫と装束】のこと。平安時代と現代の十二単は違って、着付けとして見せて頂いたのは現代のもの。平安時代は裳を唐衣の下につけるそうで、モデルさんが二人並ぶと平安時代の方はなよやかでおおらか。楽そうでした。

香は、源氏物語のは薫物という練香。対して香道のお香は室町時代にできたもので源氏物語の香とは別。香道は香木そのものを焚き、香りは10分ほどで消える。対して練香は瞬間にして「あっ」とわかるほど強く、なので装束に焚きしめると誰々が通ったとわかるほど、ということでした。

途切れ途切れで済みません。メモしてないので思い出してはのツイートです。現代の十二単では襟元に白い襟が覗きますが、平安時代にそれはなかった。平安時代では下着代わりの単衣は使い捨て。大き目にできていて上に重ねる五衣などが汚れないよう防ぐもの。汚れたら捨てたそうです。

6月10日
おはようございます。【王朝の薫と装束】からもう一つ。平安時代の女性は長い髪をそのまま垂らしていました。現代の鬢を横に張りだす形になったのは江戸時代後期。給仕などする女性たちが長い髪はうるさいので耳にはさんだのが好評で、宮中が取り上げて定着したそう。櫛を前にさすのもその名残とか。

実践の図録『宮廷の華 源氏物語』から補足を。『源氏物語』では薫物(たきもの)とその原料となる香は明確に区別されているそう。『源氏物語』では、薫物合わせたまふ、というふうに用いる練香。香はその原料。そんな明確な違いがあるなど知らずに今までどちらの漢字を使うかしょっちゅう悩みました。

6月11日
『源氏物語と鎌倉』を読んで下さった方から「流れての名だにもとまれ逝く水の哀れはかなき身は消えぬとも」というお葉書を頂きました。空蝉の写真をたくさんRT・お気に入りして頂きましたが、歌を下さった方もいらして、今RTさせて頂こうと思って探したらもう下の方で追えなくなっていて残念です。

日本人はこういう時に一首、歌で思いを告げられるという特殊な文化にいるのだなあと実感。散文はある意味説明だから、心柱のような思いが一首になっている歌の方が直接心に響きます。『源氏物語』の価値は歌物語だからという説が、最近拝読した岡野弘彦先生のお話にありました。

空蝉の写真にいただいた歌を二首思い出しました。「あらざらむこの世のはての思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」と「空蝉の身をかえてける木のもとになお人柄の懐かしきかな」。ありがとうございました。RTさせて頂けずに済みませんでした。

先程ツイートの「流れての名だにもとまれ逝く水の哀れはかなき身は消えぬとも」は、平行盛が平家の都落ちに際して定家に託した歌。定家は後に『新勅撰和歌集』を編んだ時そこに入れました。薩摩守忠度が俊成に歌を託したのと同じ事を、行盛は同世代で歌仲間だった定家にしたのでした。

◇実践女子学園創設者下田歌子先生の銅像

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20140.6.10 ツイッターから転載…伊原昭先生『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』、菊池威雄先生『鎌倉六代将軍宗尊親王―歌人将軍の栄光と挫折―』、講演「北条実時と源氏物語」用パワポの編集に入ったことなど

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5月25日
芍薬。昨日朱色がかったピンクのふしぎな色合いの花が目に入って購入しました。芍薬はほんとうに見事!

リポート笠間を拝読していたら伊原昭氏『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』という新刊案内が目に。『源氏物語』の色についてのご本かと思ったら『源氏物語』を読んで読んで読み込んだ京極派歌人たちが、宇治十帖の宗教的命題へと深化してたどりついた色についてのご論と。拝読したくなりました。

5月26日
先日訪ねた新潟県弥彦村の寺院門前にあった頼山陽筆の碑文。この地方に頼山陽が滞在していたことがあり村のあちこちにこういうのが残されているとのことです。綺麗な筆跡でした。孝経の「無念爾祖聿脩厥徳」だそうです。

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道って凄いと思う@井の頭公園雑木林

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5月27日
菊池威雄先生の『鎌倉六代将軍宗尊親王―歌人将軍の栄光と挫折―』を拝読したら、時頼は宗尊親王を支えていて、時頼の死がなかったら数年後の親王の更迭という不条理はなかっただろうと。『源氏物語と鎌倉』を送らせていただいてたら《注》にあげて下さっていました。

宗尊親王の正室となった宰子は道家の孫だったんですね。西園寺公経の娘綸子と道家とのあいだに生まれた仁子が母。ということは四代将軍頼経の姪でしょうか。今まで近衛兼経の娘とだけ読んできたから新発見でした。

宗尊親王に嫁いで宰子が下向したのは1260年。その約数年前の1252年に道家が、1256年に頼経が亡くなっています。ということは宰子は京にいて道家・頼経の鎌倉幕府との確執や失意の死因などを見ています。鎌倉将軍に嫁ぐとはそういうことと知っての下向。さぞ厳しい心境だったことでしょう。

5月28日
もうだいたい把握し終わったと呑気にしていても次の講演の準備にかかるとそのテーマに沿って深めるべき史実がまだ解明できていなかったことに毎回気づく。次の講演が一ヶ月後に迫ったから準備をはじめようとしたらまた。今度は時頼。今まで実時と宗尊親王の関係だけを追っていたけど時頼も重要でした。

5月29日
ゆっくりと家事をこなしながら今後するべきことを考えている。昨日までにメールやお礼状の滞っていたのをし終えて今日からは新しく成すべきこと必要なことを。今日は新月。一ヶ月後の講演とそのすぐ次の七夕の講演。それに向けて気持ちが集中し始めていていいサイクルです。

ちなみに一ヶ月後の講演は「北条実時と源氏物語」。実時のプロともいえる方々をお相手に講演させて頂きます。ご自分たちは実時は熟知していると思っていたが、源氏物語のことは知らなかったとのご依頼。実時を調べながら七夕の建長寺様講演に結びつける絶好のテーマとなりました。何故なら、時頼。

「北条実時と源氏物語」のパワポにかかりました。私にはこの時間が一番仕事が進むので最近は片付けもののあと一旦寝てそれから起きて未明まで。学生時代の習慣は生涯生きているようです。

たまたま四月の鎌倉禅研究会で時頼について考えさせられることがあり、そうしたらこの五月にツイッターで宗尊親王、そして六月には実時。みんな大河の流れのようになって七月の建長寺様の講演に収束していきます。運ばれているなあと思います。鎌倉の源氏物語。ようやく、ここまできました。

5月30日
安田徳子氏「後嵯峨院年譜(上)」を拝読しました。後嵯峨院の時代は強烈な個性の人物がいないからあまり知られてなく、拝読しても為家とか真観とかの馴染んだお名前に接するとほっとします(笑)。西園寺公経・九条道家の権勢とその推移が背後にあってそちらをもっと把握しなくては。

ぼんやりと井伏鱒二さんの『鞆ノ津茶会記』みたいに【鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』】を書いてみたいと思っています。←なんかここまでくると一篇の作品に仕上げないといけないなあという気がして。そうしないとほんとうのところが定着しなさそう。

伊原昭先生の『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』を購入させて頂きました。届いてはらっと中を見ただけでう~んと唸るような世界。『源氏物語』の色が哲学的な思索で語られていて素敵です。久しく途絶えさせていた読書の醍醐味に浸れそう。

5月31日
伊原昭先生の『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』を就寝前の読書に。網野善彦先生を思い出したのはその情熱。マニアックなほどにひとつのことにこだわりそれに愛着を持ち訴える。以前詩人の荒川洋治さんが網野先生のご文章の魅力を書いてらしたけど、情熱をもったご本というのは惹きつけられます。

伊原昭先生のこだわりは古典のなかの色。疎開先で万葉集を逐一手書きで写しとって文学に現れた色についての概念を覚えられたという。万葉集の時代の直接的な色。そして王朝文学になっての色との違いは明確。『源氏物語』は絢爛豪華な色の氾濫に思われているが、じつは紫式部の思いは無色に収斂と。

「リポート笠間」にあって私が宣伝文と思った「『源氏物語』を読んで読んで読み込んだ末…やがて『宇治十帖』の宗教的命題へと深化」は、このご著書の「はしがき」でした。後半の宗教的命題として語られる京極派歌人の『源氏物語』受容を楽しみに読み進ませていただきます。

「北条実時と源氏物語」用パワポのスライドです。最近《鎌倉の源氏物語》だけでなく《比企と万葉集》や《冷泉為相と六浦道》などテーマが広がっていましたので、久々に戻った《鎌倉の源氏物語》は新鮮です。原点に帰った思いで編集しています。

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これから散歩に。パワポに集中すると出かける気がなくなって不健康になります。体調など気にせず作業を続けたいのだけれど、そうすると講演当日久しぶりに出る事になり筋力が弱っているからどっと疲れる。健康的な生活を保ちながら執筆もという両立は結構至難の業です。見た目にも颯爽としていたいし。

吉祥寺。ビルの上に細い細い三日月。弱々しい感じで見えていました。カフェで寛ぎながら青空文庫の源氏物語。伊原昭先生『源氏物語の色』の読み方でたどってみたく。新しい読み方。今まで自然観とか宗教観で読んでいたけれど、色からとは。

確めていないけれど、光源氏の最後に描かれている装束の色は白で、以後色の描写はないらしい。光源氏登場の本編の巻々は絢爛豪華な色彩世界なのに、御法の紫の上も白で、それから宇治十帖になると色彩はない。伊原先生はそこに紫式部の人生観があるといわれます。ほんとうに描きたかった世界と。

私が源氏物語に惹かれるのは華やかな世界の背後に苦悩と哀しみが描かれているからだけれど、紫式部日記の水鳥にみずからの苦しい胸中を重ねる式部のそれが源氏物語の根幹だと思うのだけれど、それはあまり普遍的な読み方ではないなあと思っていました。だから伊原先生のご論に大きく鼓舞されました。

6月1日
@5656rock
実践女子大学の源氏物語といえば、折口信夫先生を抜きには語れない部分も。

教えていただきありがとうございました!【実践女子大学の源氏物語といえば、折口信夫先生を抜きには語れない部分】http://angel-zaidan.org/genji_history/

源氏物語全講会サイトより岡野弘彦先生のお言葉「紫式部は途方もない女流作家であるから、(中略)現代の我々の心のありようを比べたら、我々の心のありようは薄っぺらくてどうにもならない。」は、伊原昭先生『源氏物語の色』を拝読していて毎日これを痛感しつつ感嘆堪能しています。

綺麗な空。透明感ある群青の。マジックアワーだったのでしょうか。しばし佇んで見いってしまいました@吉祥寺

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恒例の宵の散歩。といってもまだ二回目ですが、笑。一日パワポに向かって、でも朝一番に源氏物語の素敵な情報を頂いて、しばしそれに浸っていたから終日豊か。パワポの編集は心が深くないとただのご紹介になってしまう。でも今回はとてもゆとりです。一巡したという思いでしょうか。

6月2日
FBを見ると鎌倉は濃霧に赤潮、夜光虫。住人だったらカメラを手に夜中まわってしまいそう。最近は隠って書くことを優先にしているからかえって住人でなくてよかったと。昨夜はラジオで道長の高野山参詣。伊原昭先生『源氏物語の色』は紫式部の徹底した反逆的色彩感覚からいよいよ京極派歌人たちへ。

講演「北条実時と源氏物語」用パワポのスライドです。鎌倉武士がご専門の方々がお相手なので源氏物語を丁寧に説明させて頂こうと。これは宇治十帖で入水した浮舟が横川僧都に助けられて小野に住んだという説明の1枚。修学院離宮の写真を使いました。

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6月3日
朧なぼうっとした夕陽でした。月のように輪郭まではっきり見る事ができて@吉祥寺

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6月4日
伊原昭先生『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』読了。にほふやすずしの言葉がそれまでの常套的使い方からずれて京極派固有になり、それが京極派歌壇の歌の独特さになっていると納得。今まで感覚的なこととばかり思っていたことが、論理的にしっかりと違うのだと教えて頂いて目から鱗でした。

それにしても現在京極派歌壇といえば岩佐美代子先生。なのに伊原昭先生の注には岩佐先生がたった一件しか登場しません。全部群書類従などからご自身で引用。伊原先生は岩佐先生よりご年配のようですが私などからすると同世代かな?と。この時代の女性陣の凄さを思います。すさまじきかな!です。

楊貴妃の花、未央柳が咲いています。

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未央柳をもう一枚。長恨歌では対句になっているのに、俊成本では未央柳が見せけちになっているのは何故かと、光行が子息の親行を俊成に遣わせたという事で調べて、この花の名前を知りました。

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