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2014.6.20 ツイッターから転載…講演「北条実時と源氏物語」用スライドの作成、鎌倉に泊った翌日の七里ガ浜の海と藤沢遊行寺のこと

6月11日
講演「北条実時と源氏物語」用パワポのスライドです。やっと実時が登場するところまできました。実時の誕生は承久の乱の三年後。「青表紙本源氏物語」完成の前年だったんですね。こうして毎回テーマ毎に編集を重ねていくと重層性が見えてきます。

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6月12日
中古文学会図書販売で購入の森幸夫先生『六波羅探題の研究』(続群書類従完成会刊)が届きました。六波羅探題は承久の乱後設置され、足利高氏に滅ぼされるまで百十年以上に亘ったと序章に。私が手掛けている範囲は結構六波羅探題に行っている人が多いので詳細をみるのに助かりそうな一冊です。

講演「北条実時と源氏物語」用スライド。四代将軍頼経室の竹御所が難産で薨去した時、実時が葬儀をとりしきりましたが、これが実時が小侍所別当に僅か11歳で就任したばかりの初仕事。竹御所の人生と実時を重ねたら奇しくもこんな事実が。

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∞音∞ a.k.a. 風*月
満月に近づきゆく十五夜のパワーはすごいですね。
明日もまたいざよいながら昇る十六夜が見れますように。

仁治二年(1241)道家の命で漢学者清原教隆43歳が下向。将軍頼経に仕える任務だったのだろう。頼経には「河内本源氏物語」を校訂中の親行54歳が歌の師として仕えていた。小侍所別当の実時は18歳。『源氏物語』の会話を介して教隆・親行が親密になってゆくのを実時は眩しく見ていたのでは?

6月13日
講演「北条実時と源氏物語」用スライドで宗尊親王までの皇室の系図。父帝後嵯峨天皇は土御門天皇皇子。承久の乱の後鳥羽院孫でいられますから鎌倉に忌避され帝位の可能性はありませんでした。が、四条天皇の崩御で幕府の意向で選ばれ即位されました。

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『増鏡』にあるように後嵯峨院の時代はとても華やか。王朝復古といった感じですが、佐藤恒雄先生「後嵯峨院の時代」によると、承久の乱で絶えてしまった王朝の文化を復活させるのを使命と心得られてのことと。後嵯峨院が目指されたのは白河院の時代で、長い院政もそのとおりでした。

宗尊親王はそういう父帝の下に育った方。みずからも文学的資質ゆたかで、鎌倉将軍として下向されても、京の後嵯峨院と密に連絡をとりあって鎌倉に鎌倉歌壇なるものを隆盛させたり、そういう中で『源氏物語』のブームも起こされたのでした。

6月14日
講演「北条実時と源氏物語」用スライド。華やかな白河院政時代の王朝文化を踏襲された後嵯峨院建立の亀山離宮跡碑です。足利尊氏によりその地に天龍寺が建てらたそうですが、この碑は天龍寺とは離れた場所。離宮はかなり広かったよう。

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講演の主催者様にレジュメを送付してひと安心。先日中古文学会図書販売で八木書店様に分けて頂いた『尾州家河内本源氏物語』影印本のチラシを同梱。実時の奥書がある写本だから、実時のオーソリティーのような方々には夢のようでしょう。メールでお知らせしたら「嬉しい」とお返事頂きました。

6月15日
鎌倉で迎えた朝に山中裕先生の訃報を知りました。山中先生は金沢文庫の傍に住んでいらして文庫の国文学関係を論じて下さっている殆ど唯一といっていい学者さんでした。『北条実時と異本紫明抄』を送らせて頂いた時、こういうのを読みたかったんだとお電話を下さってそれから本を出すのを楽しみにして下さっていました。だから『源氏物語と鎌倉』はとても喜んで下さって。でもその頃からお具合が悪くなられたのか、だんだん今日の事を予感しはじめました。お目にかかる事は叶いませんでしたが先生の事はお電話口でのお声と共に一生忘れません。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

昨夜は福島泰樹先生の『中原中也の鎌倉』ご出版記念コンサートが夜だったのでそのまま鎌倉に泊まりました。それで終電を気にする事なく鎌倉の方々といっぱいお話して。今日はなかなか機会がなくて撮れなかった写真を撮って帰ります。

6月16日
鎌倉駅のホームから見えていて一度泊まってみたかったホテルニューカマクラ。岡本かの子と芥川龍之介が会ったという歴史あるホテルです。

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七里ヶ浜の海。江の島が見えています。

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七里ヶ浜の海。ただ広がる水平線。朝の海を撮りたかったのでした。

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藤沢の遊行寺、正しくは清浄光寺に行きました。写真は境内に建つ一遍上人像。冷泉為相や為兼が他阿上人真教と親交を結んだ寺院。さらに仙覚の弟子由阿もいたりして、前から訪ねたく思っていました。

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藤沢と鎌倉では江の電の終点と終点。藤沢の遊行寺を鎌倉に住む為相や京都の為兼がどうやって訪れたのだろうと悩んでいましたが、どうやら二人は京・鎌倉の往還の途次に立ち寄ったのだと、今日行ってみて感じました。わざわざ行ったのではなく。二人は頻繁に往還してますから。

七里ガ浜で。波が引いていくときに砂浜に残す形が衣のように拡がって綺麗だなあとズームで狙ったのですが、なかなか上手く撮れてなくてまたチャレンジしたい写真です。

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こちらの方が狙いどおりかも。済みません、連ツイで。

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6月17日
藤沢の遊行寺は踊り念仏の一遍上人の寺と思っていましたから、絵巻のあのみすぼらしい黒い衣服の僧侶に似つかわしい寺院のイメージ。が、訪ねたら大違い。本堂は東海随一の木造建築というし、何よりあの後醍醐天皇の御影。印象の落差を考え中です。

時宗寺院を訪ねたのはたぶん初めてで、それで建築の装飾に密教でもない、浄土系でもない、なんなのだろうとふしぎだったのですが、はっきり言えるのは雅。そして品格。宝物館には天皇の宸翰が幾通も展示されています。有名な一遍上人絵巻のイメージに寄りすぎて本来の歴史が隠れている気がします。

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遊行寺の件。一遍上人絵巻の全国行脚のみすぼらしいイメージを一掃して、後醍醐天皇や皇室ゆかりの寺院というスケールから見ると、為相や為兼が二世上人真教と親交を結んだというのもただ歌繋がりというのでなく、当時の社会ではもっと権威ある事に感じられてきました。これは凄い収穫!

講演「北条実時と源氏物語」用パワポの編集、強引にひとまず終了。あとは詰めるだけにしてとにかくこれでひと安心です。今回は実時に詳しい方々が聴いて下さるので娘婿の飛鳥井雅有まで入れました。それでこれが鎌倉滅亡前の最後の一枚です。

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