8月29日
【デュラスより】「ものすごく強烈な、エロティックな経験で───なんて言ったらいいのかしら───危機を通過していったのよ・・・自殺に通ずるような・・・(略)あのときからね、わたしの書くものが変わってきたのは」
上のRTの、あの時からね、私の書くものが変わったのは、を私も今年の春に。それはそれまで尾州家本がどうの、写本がどうと、調べて行き着いた結論に執着する研究者的態度をやめて、文学者に戻り、文学として時頼と源氏物語を書こうと決めた事。そうしたらグッと世界に肉薄してきました。
目的の場所を撮り終わって和田塚の駅に着いたら雨が降ってきました。よかった!そして鎌倉に戻ってきました。たっぷりと撮りたい所を撮って満足しています。少しずつアップさせて頂きます。まずは一服一休み。よく歩いたから。
安達盛長邸跡の甘縄神社。松下禅尼の実家です。父時氏が早世し、母松下禅尼が実家に戻ったため、執権経時・時頼兄弟はここで育ちました。

ご由緒。

甘縄神社は江の電の長谷駅で降りて歩きます。今日は今にも降りそうな曇天だからか光が柔らかく、神社の扉の金が神々しく輝いていました。こんなの初めて!

鎌倉文学館。三島由紀夫「春の雪」の舞台とか。九月から講座室をお借りして連続講座をさせて頂きます。今日はそのご挨拶とチラシを置いて頂きに。ご本を出されたばかりの館長の富岡幸一郎先生がいらして『川端康成 魔界の文学』のお話をたっぷり伺いました。

『川端康成 魔界の文学』は必読です。川端康成の源氏物語観が魔界の言葉に。館長のお話を伺いながらなんだかその部屋に川端と源氏物語の魔界が漂っている気配でぞっとしました。文学に戻ったといってもまだ時頼を仕上げる間はひっそりいようと思ったのに突然文学世界に引きずり出された感。文学は魔物です。

鎌倉文学館がある場所は長楽寺ケ谷といって、今は廃寺の長楽寺という寺院が建っていました。甘縄神社の隣の谷戸です。長楽ケ谷の隣の谷戸が佐々目遺身院があった笹目の谷戸。つまりこの一帯は安達氏エリア。

鎌倉文学館でももう秋の気配が。

笹目の谷戸に続く道。たぶん佐々目遺身院はこの道の奥まった突き当たり一帯にありました。最初経時の墳墓堂として。それが発展して亀山天皇皇子が住持になってお住まいになられた寺院に。鎌倉文学館の講座の九月のテーマです。

最初鎌倉文学館の講座室をお借りする話はただお借りできるから申し込んだもの。何をテーマにしようか考えてたまたま佐々目遺身院に決めました。そうしたら時頼の原稿が歩み寄ってきて甘縄神社との絡みで一帯が安達氏のエリアと判明。鎌倉文学館もそこに入るのです。土地の霊!とぞっとしました。
そしてさらにぞっとしたのは、ここに川端康成と源氏物語が入ってくる事。川端康成が住んでいらしたのが甘縄神社の近くなんです。そして『川端康成 魔界の文学』は川端の源氏物語観。九月の講座の締めは川端です!時頼から川端へ。なんという展開でしょう。まさに文学の魔の力。今日は偶然が重なりました。
写真の追加。甘縄神社境内にある時宗産湯の井。時頼の妻は甘縄の安達邸で時頼を産んだのでした。この関係を知らなかったから、以前訪ねた時は、なんでここに時宗の産湯が?と謎でした。知らなかったという事は恥でなく知った時の感動が大きい楽しみ。

8月30日
昨日の甘縄笹目散策の写真です。一枚目…甘縄神社境内の万葉集歌碑。

二枚目…甘縄神社境内から鎌倉市街地がこんなふうに望めます。

三枚目…歩いているとよく黄色い蝶を目にしました。『吾妻鏡』では不吉の前兆のように書かれていますが単体で飛んでいましたから安心です。コンデジで蝶を撮るのは難しいです。

四枚目…佐々目遺身院があった谷戸の黒揚羽。百合を撮っていたら舞い込んできて、シャッターを押したらもう飛び去っていて、まるで私を撮って!のようでした。頼助さんかな、益性法親王さまかな、などと。

五枚目…佐々目遺身院があった笹目ケ谷。今ではすっかり住宅地になっています。でも鎌倉文学館からこの谷戸へ向かうにあたり、いよいよの思いが増したら胸が迫って緊張しました。やはり寺院があった地の気配は荘厳。奥へ行くほど狭まって。

ラスト…谷戸の一番奥まで行って、引き返す時に目に入る光景。この先をずっと行くと、江ノ電やバスが通る長谷の大通りに出ます。

笹目を歩いて土地の力を頂いたのでしょうか。昨夜ずっと吾妻鏡を読んでいたら、経時墳墓にまつわる謎が解けました。やっと原稿が進みます。残っている史料だけで実態に迫るのは無理。でも研究に想像は許されない。だから詰まっているこの辺の歴史。でも文学で有機的整合性のつく流れがつかめました。
8月31日
武者震い(笑)。積年の謎だった経時から時頼への執権委譲、そして経時墳墓の問題が解決しました(といっても私なりにですが)。これは鎌倉の源氏物語に絡めて鎌倉の万葉集をやり数年かけて将軍頼経の動向と寄り添ってきたからこそ見えてきたもの。たぶん新しい見解です。今日中に仕上げたいのですが。
将軍頼経が京都に送還される宮騒動にかかわっていく北条氏の略系図を作りました。

『北条時頼と源氏物語』第三章「第四代執権経時から第五代執権時頼」を書いていたら九月に入ってしまいました。たぶん今夜最後は粗削りだけれどともかく脱稿。あんなに書けなくて苦しんだのに書けたら自分で怖いよう。たぶん喜んで頂けます。明日は外出だからとにかく今夜のうちにと。
9月1日
源氏物語の孕む魔界そのもの…。今日の車内の読書は富岡幸一郎先生『川端康成 魔界の文学』。引用されている「東海道」の一節が凄い。川端は源氏物語を物語としてでなく「物」として捉えている。その「物」の力の魔界。川端の家は北条泰時まで遡れるのだそう。その川端の家が甘縄にあるなんて。
『北条時頼と源氏物語』第三章「第四代執権経時」は長くなったので分けて後半を第四章「第五代執権時頼へ」として終了。去るべき所に送って手から離れました。まだ余韻に浸っていますが、今日中には連続講座の準備に入ります。これも楽しみ。テーマの佐々目遺身院は経時墳墓から発展した寺院です。
終わったら小林秀雄の本居宣長を読みたい。これは小林の源氏物語論とか。やってみる価値があるというよりやらなければいけないのかなあと。高校の時に何度か講演を拝聴しました。いつも酔って壇上に出てらしてしばらく何も話されなくてその間会場はシーンと静まり返って。カッコイイ!と憧れました。