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2014.9.27 フェイスブックより転載…ご講演、伊藤幸司先生「博多と鎌倉 ー鎌倉時代の日本禅宗界ー」を拝聴して

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昨日の建長寺様禅研究会のご講演は伊藤幸司先生「博多と鎌倉 ー鎌倉時代の日本禅宗界ー」。建長寺様開山の蘭渓道隆をはじめ中国僧の方々が来朝されてまず上陸するのが博多でした。と、そういうふうにだけ今まで思っていたのですが、実際の時代で考えると、凄い流動的なものがみえて面白く思いました。

それは、博多はまず宋の貿易商人の街で、博多の禅宗寺院は彼らによって建てられ、そして彼らはそこを拠点に禅宗も貿易もしていたと。

宋の貿易商人にとって禅宗は貿易の最大の売り。日本に禅宗寺院を建てれば、日本にない文化の寺院だから、調度から何から何まで一切を新しく購入しなければならず、そのための輸入という功利性。禅僧もそのための生きた文物だったのです。

そして、禅僧の存在は、人ができているから何でも相談にのれるし、貿易の拠点として頼れる存在だったそう。日本の各地から宋に渡りたくて集まる禅僧は、博多のまずそういう寺院に入って伝を得て渡海したのでした。

貿易の街の活気と功利性に目を丸くしつつ、非常な魅力を覚えました。禅宗というと世の権勢から離れて静かに座禅というのと正反対の世界がそこにはあって、でも、人がそうして集まり互いにいい意味で利用しあいながら向上していく、というのはいいなあと思ったのでした。

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2014.9.23 ツイッターより転載…『北条時頼と源氏物語』第五章「時頼と道元」を書きました。ダンスフェスティバル:Whenever Wherever Festival 2014《発する身体 when a body utters》のお知らせ。

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9月19日
メモ: 建長寺開山の蘭渓道隆が道元に宛てた書状。蘭渓道隆が道元に礼節をもってみずからを若輩と卑下する内容を見て、今まで建長寺開山という威光だけで考えていたから、ん?となって、年齢を確認。道元が鎌倉に滞在した時、49歳。蘭渓道隆は、36歳。こういう上下関係は把握しておくべき。

メモ2: 蘭渓道隆が建長寺開山になるのはその数年後。41歳。

9月20日
今日「鎌倉の歴史を楽しむ会」第二回の編集を始めれば楽なのだけれどいつもの天の邪鬼がむっくり起きて時頼の原稿を書きたくてたまらない。邪魔されればされるほど先鋭になるからこれも自分の中での自然かも。理より感性にかな。道元の歌を拝読中です。

9月21日
『北条時頼と源氏物語』第五章時頼と道元、書き進んでいます。従来道元の鎌倉滞在の目的が不明でしたが、書いていたら忽然として浮かび上がりました。淡々と状況を書き進めていて次の文章になったらそれを書いていたのです。言葉は有機的な繋がりでもって意味を成します。あくまでも情況証拠ですが。

9月22日
とりあえず時頼と道元の原稿を書き終えて校正に入ります。なんか、明るく広々した現世に戻ってきた気分。

9月23日
おはようございます。昨夜時頼の原稿を送付し終わって今日から新たな段階。人はいくら立派に大成した人物でも若い時には失敗もあるし苦しみもある。そんなことを思った時頼の原稿。後世の人は結果からみて大成した人物像だけで歴史を語るけど、それでは真実はみえてこないですね。昨日の時頼は21歳。

原稿が手を離れたらしたかった事をしました。部屋の片隅にホリゾントを。といっても白い模造紙一枚を吊るしただけですが。ホリゾントが常設してあると何かと便利です。試しに孔雀の置物を撮ってみました。これからライティングとかいろいろ調整。

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ダンスフェスティバル:Whenever Wherever Festival 2014《発する身体 when a body utters》のお知らせ。期間:9月16日(火)~30日(火)。会場:森下スタジオ、こどもの城。

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知人の有賀眞澄さんは25日に出演されます。《連歌とパフォーマンス ぬれのヒステリス 影向(ようこう)の光と波(ことば)》:9月25日(木)19:00~。2000円。森下スタジオB

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2014.9.19 ツイッターから転載…鎌倉の道元禅師碑を訪ねて、海蔵寺の萩や、映画「イヴ・サンローラン」を観てなど

9月14日
今日見た景色。京王線百草園駅方向。年一度の百草八幡宮の秘仏公開に行きました。秘仏は安達景盛子息の義景の妻が施主。阿弥陀仏座像は、自分の両親甲斐源氏小笠原氏と舅の景盛の供養のための造立です。

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9月15日
『関東往環記』を借りに来て道元を四冊も借りてしまう。時頼の原稿と吾妻鏡発表準備と楽しむ会二回目準備で時間がないなあと思っていたので、これは落ち着いて道元を読みなさいとの啓示と受けとめ時頼の原稿を諦めました。時頼と道元の関係、できる事ならスルーしたかったのですが。今は覚悟かと。

時頼はほんとうに求道の人。宋の禅僧に帰依して建長寺を建てる前、鎌倉に半年滞在する道元を訪ねて熱心に教えを乞います。結局道元は鎌倉を去りますが、そこのところの経緯の真意がわからない。時頼の側からは只座っているだけの道元の教えが物足りなかったとか、道元の側からは権力に近づくのを避けて

断ったとか、うかつに書けばどちらかを傷つけかねない状況。私の手に負える主題でないからパスを決め込んでいました。が、気になっている事を曖昧に過ごして本物が書けるわけがない。道元の本が飛び込んできたのはここのところをしっかりやりなさいとの叱咤でしょう。感謝して成り行き任せにします。

9月16日
富岡幸一郎先生『川端康成 魔界の文学』読了。凄まじいばかりの文学世界に圧倒されました。ずっと鎌倉の源氏物語のために文学を排除しひたすら研究に打ち込んでいたから全身全霊という事では同じはずなのに、文学世界における全身全霊は命懸けで怒涛のように押し被さってきます。生還した気分です。

『川端康成 魔界の文学』は川端が好きだからというだけでなく文学の本質に触れていてこれは読まなくてはと久々に耽読。時間の合間をぬって読んでいたのですがどんどん精神が侵食されていくのがわかりました。ヤバイと思いながらそれもいい、文学に戻ろうとまで。そんな時に道元をやらなければという

事態になり、川端を読みながら道元は無理なので昨夜からとにかく読了をと読み耽っていました。この衝撃経験はたぶん命懸けだったその命を吹き込まれた事に。道元も時頼も命懸けだからそのつもりで始めなさいという事なのでしょう。それにしても時頼。道元の後は蘭渓道隆。気が抜けません。楽しみでも。

雲が綺麗!

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9月17日
書棚から『道元禅師全集17 法語・歌頌等』を出して見ています。これは昨夜ご示唆を得て。時頼が道元に教えを乞うた歴史を知った最初がこのご著書でした。貴方にねこれを渡したいと思ってと頂戴した本。ざっと見ただけで過ぎていたのがこんな時になって戻ってくるなんてと感涙の趣。しばし浸ります。

道元禅師の歌「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪きえですずしかりけり」は川端康成が「美しい日本の私」で揚げていてそれは「冬雪さえて」でした。奇しくも『川端康成 魔界の文学』でこのあたりを徘徊したばかり。なので道元の歌の澄んだ境地が身に浸みます。文学から道元に入るなら私には楽かもの気が。

それから、『道元禅師全集17 法語・歌頌等』には道元と蘭渓道隆の往復書簡が。蘭渓道隆は道元が鎌倉に滞在した前年に来朝。道隆の方から道元に宛てて書状を出し、道元が返したもの。図書館で道元の解説書を何冊か借りましたが、こうした歌や書簡からの方が道元その人と歴史背景が浮かびあがりそう。

9月18日
鎌倉に向かっています。時頼の原稿と鎌倉の歴史を楽しむ会第二回のための写真を撮りに。いつもより一時間も早く出られて自分で驚いているのですが、山場を越え溜まりに溜まっていた疲労も癒えて身が軽くなっているのかなと。今日はゆとりの散策だから、主人に干物を買って来てと頼まれました(笑)

建長寺様から巨福呂坂のトンネルを抜け、鶴岡八幡宮につく手前に建つ道元禅師顕彰碑です。前から知っていたのですが、素通りしてました。今日撮りに来たら百日紅が咲いて華やか。ラッキーでした。

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鎌倉の海蔵寺では滝のように雪崩落ちる萩が見事。TLで宗尊親王の寺院があったと読んで訪ねたかったのが、やっと叶いました。

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今日の散策コースは北鎌倉で下りて道元禅師顕彰碑→横須賀線踏切を渡り、海蔵寺→隣りの谷戸の、廃寺「新清涼寺」跡→鶴岡八幡宮前まで戻って干物を買って、小町通りのカフェエチカで葡萄ジュース。これは本当に美味しい。しばし寛いで鎌倉を後にしました。新清涼寺は下向した叡尊が止宿した寺院です。

今日また谷戸の奥にあった廃寺後を訪ねたけれど進むほどに狭くなる奥まった風情が、先日訪ねた笹目の佐々目遺身院跡と同じだった。すっかり住宅地になっているけれど、たまたまそこにいらした方に伺ったら家を建てる時に瓦が出土したそう。寺院があった証拠です。いい一日でした。帰宅しました。

改めて今日撮った写真を。
横須賀線の線路下に咲いていたひとむらの彼岸花が綺麗でした@北鎌倉

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北鎌倉の第六天社の阿部清明大神碑です。阿部清明のことはよくわからないのですがご紹介。

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道元鎌倉御行化顕彰碑と百日紅。碑の文字は「只管打坐」

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海蔵寺庭園の吾亦紅。

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海蔵寺は紅葉がそれは見事ですが、その紅葉が少しはじまっていました。萩の花と。

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9月19日
懐かしのスペイン坂。源氏物語をやっていたあいだ現代から遠ざかっていたから今は何もかもが懐かしい感じ。おかしな事に鎌倉が今の私の現実だから、懐かしさと相俟って現代が逆にレトロに覚えられて。イブ・サンローランを観てきました。

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イブ・サンローラン。もっとファッション業界的かと思っていたらそれは単なる背景で、ジュネの小説を読むような深い味わい。好きな映画になりました。

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2014.9.13 ツイッターから転載(4)…鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第一回《佐々目遺身院》は無事に終わりました。そして第二回のお知らせ。

9月9日
鎌倉に向かっています。佐々目遺身院をやっていて私はいつもマイナーな歴史にばかり関心を持つなあと思ったのですが、それは滅びた一族の歴史だから埋もれていたのであって、その一族がマイナーな訳ではないと気づきました。勝ち残っていたらこちらがメジャーです。仙覚さんの万葉集が比企一族の残存

だったように、佐々目遺身院は安達一族の残映でした。通史を見て釈然としないところに隠れた歴史が埋もれているのだなあとまた実感しました。それにしても武力で相手を倒せても、文化は残っていつの時代かに掘り起こされて復活します。これが文化の真の力と思います。

今日の鎌倉文学館です。鎌倉の歴史を楽しむ会の第一回が無事に終わって帰宅の途についています。鎌倉でスーパームーンを観たかったけれど、もっと大きなものを見たのかも。感慨に浸っています。たくさんの方の励ましと応援を頂きました。

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鎌倉文学館での連続講座という機会を頂いて、私自身も放置していた問題にとりかかれるし、鎌倉の方にとっても今までと違う取り組みにかかるいい機会と思うし、そういうきっかけの場になればと思う。今日は鎌倉の文化を考えるいろいろな方面で活躍されるそうそうたる方がお見えになって有難かったです。

9月10日
本当に思いがけない展開でみんなビックリでしたとメールを頂きました。昨日の鎌倉文学館での講座。思いがけない方から祝電を賜り思いがけない方のご来賓を仰ぎ思いがけない方にご挨拶頂くなど最高の旗揚げになりました。鎌倉ガイドに従事される方のご参加も多く、勉強の仕方が今日から変わりましたと。

昨日のテーマの佐々目遺身院は、残っている資料だけを調べていても実態は見えてきません。血筋人脈政情仏教などいろんな事情を交差させると接点として浮かび上がります。その為に昨日は用いた参考図書やその引用を明記して綿密にお話させて頂きました。それで本当に思いがけない展開でというご反応。

9月12日
【鎌倉の歴史を楽しむ会】第一回は《佐々目遺身院》でした。鎌倉にはないといわれていた邸宅風の寺院だったことが指図の間取りからわかっています。え、どんな建築?と思って調べたら東寺の御影堂がそうでした。鎌倉にもこういう寺院があったのでした。

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これから【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回の編集に入ります。その前に第一回の結論をと思い東寺御影堂をアップさせて頂きました。仁和寺御流を伝える寺院だったために亀山天皇皇子の益性法親王が下向されるなど京都さながらの雅な空間が笹目ケ谷に繰り広げられていました。安達盛長が関係しています。

【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回は10月14日(火)13時~。於鎌倉文学館講座室。テーマは《金沢文庫 歴代当主の人々》です。金沢文庫というと歴史史料の宝庫ですからどうしても難しいイメージがあります。でも実時・顕時・貞顕という当主お三方の人間を知って訪ねるとまた味わいが違います。

で、これからその編集にかかるのですが、お三方を編年体でたどっていくと、これは鎌倉の歴史の後半をカバーすることになるのだなあと。まずその辺りの図式化からはじめます。

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金沢北条氏歴代当主三人が仕えた天皇・将軍・執権を図にしたら大変な時代が浮かび上がりました(泣)。鎌倉の中だけの当主の人生という訳にいかなそうですが、それでは一般通史と同じになってしまうのでしません。あくまでも個々の人生を。

でもこうして眺めるといろんな人生いろんな場面が一挙に浮かび上がりました。叡尊下向に関与した初代実時。霜月騒動に巻き込まれた二代顕時。とはずがたり二条に書かれた久明将軍。『増鏡』に登場する貞顕。貞顕は為相と親交あるし等々。通史には書かれないけれど人間ドラマは文学的で楽しいです。

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2014.9.13 ツイッターから転載(3)…鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第一回《佐々目遺身院》用に作ったスライドを何枚かご紹介させて頂きます。

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9月3日
地震や噴火情報が散見するTLを気にしながら一週間後に迫った鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第一回のスライド作成にかかりました。まだタイトルだけですがご紹介。第四代執権経時墳墓から発展した今はなき寺院の雅な歴史です。

9月4日
閑話休題的に一枚ご紹介させていただきます。

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9月6日
スライドの編集。昨夜やっと甘縄神社にかかり登場人物たちが動き出す。ここまできて私の編集に熱が入るのは登場人物に息が吹き込まれるからだと気づく。成程と納得しつつこれは当たり前だなあと。今度からは最初から人間模様でいこうなどと。今はあまり知られていない甘縄神社。でも、ここで安達景盛が

松下禅尼が、執権経時・時頼・時宗が、生まれ育ったんです。鎌倉後期の歴史を率いるそうそうたる人物を輩した地。安達盛長邸跡ということはそういうこと。安達氏が滅びた一族だから隠れた歴史みたいになっているのでしょうか。時宗産湯の井がありますが。こんなことをご紹介のスライドです。

朝一番に主宰の方からビッグニュース。驚きとともにしみじみ嬉しく心からの感謝を覚えました。まだここでは書けないので当日ご報告としてお伝えさせて頂きますね。その方もツイッターをされているから、その方にここで心からのお礼を述べさせて頂きます。ありがとうございます!

昨夜作成した松下禅尼のスライドです。『徒然草』のお陰で質素で地味な印象の彼女ですが、夫の六波羅探題赴任に従って京都に滞在中に時頼たちを出産。定家とも交流したり華やかな若い時代を送っています。

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六波羅探題の任を終えて鎌倉に下向する時氏の行列を見送りに行った為家の報告を記した『明月記』の条をスライドにしました。七歳の経時が小さな馬に乗って従ったという可愛い条です。

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9月7日
鎌倉文学館講座室をお借りしての講座【佐々目遺身院】の「孔雀経法」のスライドです。佐々目遺身院でこの修法が行われた記録はないけれど仁和寺御流を伝える寺院なら行われていたはずと思って作りました。

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スライドの作成が最終段階に入って佐々目遺身院そのものにスポットをあてたら密教世界が専門過ぎてたぶんご参加者様から難しいと悲鳴。それで考えてせめて絵だけでも美しいものをと考えての選択です。多摩動物園で撮った孔雀です。

佐々目遺身院のスライド、編集終わりました。あとは見なおすだけ。最後は安達泰盛でした。こんな結末になるなんてと一人で堪能しています。

9月8日
佐々目遺身院の編集を終わって壮大な旅をしてきた気分。心ゆくまで堪能しました。この寺院に惹かれたのはもう十年以上も前。当時は寺院建築や歴史など新しい知識にわくわくしていましたが、時頼の原稿で幕府の人間関係を解明したあとだから、佐々目遺身院にもそれが反映。濃厚なドラマになりました。

来年のことですが、2月14日(土)に鎌倉ペンクラブのペンサロンで「鎌倉と源氏物語」のお話をさせて頂くことが決まりました。添付の写真はそれと関係なく、珍しい飛ぶ孔雀です。昨日孔雀の写真を探していたら出てきましたので。

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2014.9.13 ツイッターから転載(2)…鎌倉文学館講座室での連続講座【佐々目遺身院】のための下見に行きました。甘縄神社・鎌倉文学館・笹目谷。写真いっぱいです!

8月29日
【デュラスより】「ものすごく強烈な、エロティックな経験で───なんて言ったらいいのかしら───危機を通過していったのよ・・・自殺に通ずるような・・・(略)あのときからね、わたしの書くものが変わってきたのは」

上のRTの、あの時からね、私の書くものが変わったのは、を私も今年の春に。それはそれまで尾州家本がどうの、写本がどうと、調べて行き着いた結論に執着する研究者的態度をやめて、文学者に戻り、文学として時頼と源氏物語を書こうと決めた事。そうしたらグッと世界に肉薄してきました。

目的の場所を撮り終わって和田塚の駅に着いたら雨が降ってきました。よかった!そして鎌倉に戻ってきました。たっぷりと撮りたい所を撮って満足しています。少しずつアップさせて頂きます。まずは一服一休み。よく歩いたから。

安達盛長邸跡の甘縄神社。松下禅尼の実家です。父時氏が早世し、母松下禅尼が実家に戻ったため、執権経時・時頼兄弟はここで育ちました。

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ご由緒。

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甘縄神社は江の電の長谷駅で降りて歩きます。今日は今にも降りそうな曇天だからか光が柔らかく、神社の扉の金が神々しく輝いていました。こんなの初めて!

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鎌倉文学館。三島由紀夫「春の雪」の舞台とか。九月から講座室をお借りして連続講座をさせて頂きます。今日はそのご挨拶とチラシを置いて頂きに。ご本を出されたばかりの館長の富岡幸一郎先生がいらして『川端康成 魔界の文学』のお話をたっぷり伺いました。

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『川端康成 魔界の文学』は必読です。川端康成の源氏物語観が魔界の言葉に。館長のお話を伺いながらなんだかその部屋に川端と源氏物語の魔界が漂っている気配でぞっとしました。文学に戻ったといってもまだ時頼を仕上げる間はひっそりいようと思ったのに突然文学世界に引きずり出された感。文学は魔物です。

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鎌倉文学館がある場所は長楽寺ケ谷といって、今は廃寺の長楽寺という寺院が建っていました。甘縄神社の隣の谷戸です。長楽ケ谷の隣の谷戸が佐々目遺身院があった笹目の谷戸。つまりこの一帯は安達氏エリア。

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鎌倉文学館でももう秋の気配が。

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笹目の谷戸に続く道。たぶん佐々目遺身院はこの道の奥まった突き当たり一帯にありました。最初経時の墳墓堂として。それが発展して亀山天皇皇子が住持になってお住まいになられた寺院に。鎌倉文学館の講座の九月のテーマです。

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最初鎌倉文学館の講座室をお借りする話はただお借りできるから申し込んだもの。何をテーマにしようか考えてたまたま佐々目遺身院に決めました。そうしたら時頼の原稿が歩み寄ってきて甘縄神社との絡みで一帯が安達氏のエリアと判明。鎌倉文学館もそこに入るのです。土地の霊!とぞっとしました。

そしてさらにぞっとしたのは、ここに川端康成と源氏物語が入ってくる事。川端康成が住んでいらしたのが甘縄神社の近くなんです。そして『川端康成 魔界の文学』は川端の源氏物語観。九月の講座の締めは川端です!時頼から川端へ。なんという展開でしょう。まさに文学の魔の力。今日は偶然が重なりました。

写真の追加。甘縄神社境内にある時宗産湯の井。時頼の妻は甘縄の安達邸で時頼を産んだのでした。この関係を知らなかったから、以前訪ねた時は、なんでここに時宗の産湯が?と謎でした。知らなかったという事は恥でなく知った時の感動が大きい楽しみ。

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8月30日
昨日の甘縄笹目散策の写真です。一枚目…甘縄神社境内の万葉集歌碑。

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二枚目…甘縄神社境内から鎌倉市街地がこんなふうに望めます。

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三枚目…歩いているとよく黄色い蝶を目にしました。『吾妻鏡』では不吉の前兆のように書かれていますが単体で飛んでいましたから安心です。コンデジで蝶を撮るのは難しいです。

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四枚目…佐々目遺身院があった谷戸の黒揚羽。百合を撮っていたら舞い込んできて、シャッターを押したらもう飛び去っていて、まるで私を撮って!のようでした。頼助さんかな、益性法親王さまかな、などと。

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五枚目…佐々目遺身院があった笹目ケ谷。今ではすっかり住宅地になっています。でも鎌倉文学館からこの谷戸へ向かうにあたり、いよいよの思いが増したら胸が迫って緊張しました。やはり寺院があった地の気配は荘厳。奥へ行くほど狭まって。

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ラスト…谷戸の一番奥まで行って、引き返す時に目に入る光景。この先をずっと行くと、江ノ電やバスが通る長谷の大通りに出ます。

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笹目を歩いて土地の力を頂いたのでしょうか。昨夜ずっと吾妻鏡を読んでいたら、経時墳墓にまつわる謎が解けました。やっと原稿が進みます。残っている史料だけで実態に迫るのは無理。でも研究に想像は許されない。だから詰まっているこの辺の歴史。でも文学で有機的整合性のつく流れがつかめました。

8月31日
武者震い(笑)。積年の謎だった経時から時頼への執権委譲、そして経時墳墓の問題が解決しました(といっても私なりにですが)。これは鎌倉の源氏物語に絡めて鎌倉の万葉集をやり数年かけて将軍頼経の動向と寄り添ってきたからこそ見えてきたもの。たぶん新しい見解です。今日中に仕上げたいのですが。

将軍頼経が京都に送還される宮騒動にかかわっていく北条氏の略系図を作りました。

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『北条時頼と源氏物語』第三章「第四代執権経時から第五代執権時頼」を書いていたら九月に入ってしまいました。たぶん今夜最後は粗削りだけれどともかく脱稿。あんなに書けなくて苦しんだのに書けたら自分で怖いよう。たぶん喜んで頂けます。明日は外出だからとにかく今夜のうちにと。

9月1日
源氏物語の孕む魔界そのもの…。今日の車内の読書は富岡幸一郎先生『川端康成 魔界の文学』。引用されている「東海道」の一節が凄い。川端は源氏物語を物語としてでなく「物」として捉えている。その「物」の力の魔界。川端の家は北条泰時まで遡れるのだそう。その川端の家が甘縄にあるなんて。

『北条時頼と源氏物語』第三章「第四代執権経時」は長くなったので分けて後半を第四章「第五代執権時頼へ」として終了。去るべき所に送って手から離れました。まだ余韻に浸っていますが、今日中には連続講座の準備に入ります。これも楽しみ。テーマの佐々目遺身院は経時墳墓から発展した寺院です。

終わったら小林秀雄の本居宣長を読みたい。これは小林の源氏物語論とか。やってみる価値があるというよりやらなければいけないのかなあと。高校の時に何度か講演を拝聴しました。いつも酔って壇上に出てらしてしばらく何も話されなくてその間会場はシーンと静まり返って。カッコイイ!と憧れました。

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2014.9.13 ツイッターから転載(1)…『北条時頼と源氏物語』と鎌倉文学館講座室での連続講座第一回のテーマ「佐々目遺身院」から、執権経時の墳墓に関して

8月25日
今日は新月。九月からの連続講座用パワポを始める事に。「鎌倉の隠れた歴史」。第一回は佐々目遺身院。鎌倉時代、笹目にあった今は廃寺の真言宗寺院です。そうお知らせをしたある方から「益性法親王ゆかりの遺身院の歴史に光彩を加えて下さい」と。亀山天皇の皇子でいられます。そんな方が鎌倉に。

たった今ようやく思考が流れて後嵯峨天皇即位のあたりの経緯と時頼が結びつきました。この辺の劇的な歴史は読んでいて面白いのに、時頼の原稿で書いてもつまらなくて2,3日腐っていました。なぜかわかりました。それは時頼と結びついていなかったから。人間に結びつかない文章は私にはダメです。

四条天皇の急逝で誰を即位させるかという問題が起きた時、時頼は16歳。鎌倉幕府が天皇の即位を決断するという重圧に苦悩する執権泰時と伯父義景とのやりとりを間近に見ていた時頼には、執権職は鎌倉地方だけでない全国規模の重責だと見えたはず。それが後年の執権時頼に影響したことでしょう。

書いたら見えてきました。経時が何故佐々目谷に葬られたのか。それは安達氏のエリアだったんですね。以前佐々目遺身院という廃寺を調べていて、それが経時の墳墓堂から発展した寺院と読んでも関係がわからずにいました。今回時頼の原稿を書くにあたって、それが解決できたらいいなあと思ってたところ、

たまたま『鎌倉廃寺事典』を借りてきていたから、この一帯が安達氏エリアだと読んだばかり。それが結びついたんです。佐々目遺身院自体、安達氏が有力パトロンです。経時は安達氏として葬られたという訳。これは経時の暗殺説にも関わりますね。経時は暗殺されていないというのが私の結論です。

ちなみに、祖父泰時の墓は大船常楽寺。父時氏の墓は実朝建立の大慈寺です。時氏を大慈寺に葬ったのは泰時で、泰時の墓は自身が建てた常楽寺。つまりここに安達氏の系統は入ってません。時氏と結婚した松下禅尼が安達氏で、だから経時から安達氏の血が入る訳。妹の檜皮姫も経時墳墓の隣に葬られました。

8月27日
図書館に向かっています。なんだかなんでも自分の意志では出かけられなくて、さぼろうと決め込んでいたことを雨やなんやからで自然とするはめになる。いつからかこうで、結局自分の意志なんて大したことでないのだなあ、自然の流れに運ばれていたほうが正解なのだなあと思うこの頃。

今日は水鏡が綺麗です@都立有栖川宮公園

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今日はちょっと感動もののコピー。目的ではありませんでしたが、来たついでにと思いついたら、ありました!帰ったらご紹介させて頂きますね。

昼に呟いた感動もののコピーです。『明月記』寛元2年3月28日。六波羅探題の任を終えて鎌倉に下向する時氏を為家が見送った条の注。「関連記事が再三後出し、影響の大きさがうかがえる」。定家と時氏(松下禅尼夫)の交流が裏付けられました。

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思ったのは、こんなに明確に定家との交流が示されているのに、鎌倉の歴史で全く取り上げられてきていなかったふしぎ。時氏は執権になる前に亡くなっているので重要視されていないからですが、文化面では定家とこんなに明確に交流しているのに、それが無視されてきたところに疑問を覚えます。

2001年撮影だからデジタルにあるはずないのにひょっとしてと経時の墳墓が造られた笹目の写真を探してたらこれが出てきました。石清水八幡宮にあった谷崎潤一郎『蘆刈』の石碑です。淀川の中州が舞台で石碑のある場所から淀川が見えました。

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今日はこれから「執権経時」を仕上げます。経時の墳墓問題から引き続き宮騒動。これはもう私の手に負えないというのでなく文化の問題でないからスルーしたかったのですが、根本問題として把握しなければ始まらなくなって図書館に行きました。少し読みましたがやはり無視し切れなくて大変!の心境です。

10001回目のツイートです。気がついたら10003ツイートとなっていましたので、3ツイート削除して10000回という記念の数字を目にし、そして新たにはじめることにしました。

8月28日
もうすっかり秋@三鷹市

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書店でスチームパンクの本を見ながらなんか郷愁。写真学生だったからどちらかといえばこういう世界が好きだったのに歴史に入ってどうして今ここにいるのだろうというふしぎ感。でも通常ではあり得ない発想というのはどの世界でも重要なのだなあと実感。久しぶりに血が騒ぎました。

8月29日
自分でいうのも変ですが『北条時頼と源氏物語』は面白い本になると思う。なにしろ十年かけて築き上げた鎌倉の源氏物語の歴史を、その最盛期の将軍宗尊親王を鎌倉にお呼びした執権時頼の歴史と重ね合わせて書いているのだものと自負。と、車内の気楽さにかこつけてツイート。外は薄日。

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2014.9.13 『源氏物語と鎌倉』の表紙デザインをして下さったcoccoさんが入選されたブックカバー展のお知らせ

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約300人のブックカバー展、入賞しました。全都市ロフト会場です。

http://bookcoverten.com/

是非見に来て下さい。 cocco

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