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2014.10.22 大船の常楽寺を訪ねてと、それまでの逡巡…ツイッターから転載

10月16日
「『とはずがたり』二条のいた鎌倉ー『親玄僧正日記』との関係を巡ってー」。書きたいと思っている論文のタイトル。時頼の原稿に戻るか、一ヶ月こちらに集中するかまだ考えあぐねています。親玄はなんと二条の従兄弟。しかもかの京極為兼と親しい!しかもそれが当時の政治情勢と絡んでと、興味津々。

来月の講座のテーマにとはずがたりを決めたら突然見えてきた当時の政治情勢の裏側。それを論文に書いても歴史では発表の場を持ってないしとあきらめていたら、とはずがたりと絡めたら国文学で投稿できると思いついて書く気になっているのですが、時頼の原稿にまだ戻りたい気も。気が多すぎ?

朝のツイートの続き。結局とはずがたりの論文にかかるか、時頼の原稿に戻るか決着ついてません。禅研究会でどっぷり禅に浸かって、ちょうど時頼の原稿も蘭渓道隆の登場にさしかかっているからこのまま進みたい気分。とりあえず大船の常楽寺には行っておこうと思います。蘭渓道隆が最初に住した寺院。

10月17日
朝起きたらすっかり気分が時頼の原稿になっていました。場の力って凄いですね。昨日一日建長寺様にいたからモードがそうなってしまって。とはずがたりの方は11月末に聴きたいご発表があるのでその後にします。で、年表を調べたら、蘭渓道隆登場の項。これは大変と先送りしていたのを思い出しました。

先送りしている間にいろいろ聴聞すること多く、以前より大変感がなくなりました。建長寺様開山というと書くのも憚られる畏怖を覚えますが、開山様にしても人間。来日された初期の頃のどうなるかわからない不安を覚えられている書状など、拝読すると人として親近感を覚えたりします。書けるかも。

夕景の雲が綺麗@吉祥寺

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10月18日
気まぐれに、檻の中のコンクリートの上を歩く孔雀をphotoshopのスタンプツールを使って加工してみました。

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10月19日
日暮れて一日の終わりが近づきやっとほっと一息つく。出かける日が多かったから滞っている事多くさらに予定表を見ると準備しなければならない事も幾つか近づいている。気が焦りながら返却に行った図書館で禅と唯識という本を見つけて借りて心が潤って、ああ、こういう事で救われていると思う。楽しみ。

10月20日
昨夜の読書は禅と唯識。不立文字といいながらなんと難しい文字の羅列の本とその皮肉さに圧倒されつつ。人を介すと意味が深まるというけれどただこれを読んでもお勉強に終始するしかないところを、最近少し禅の環境に親しんでいるから懐かしい気が。引用される正法眼蔵の文章の美しさに目を瞠りました。

聴いていたところの道元の歌について、道元は歌を作るのを戒めたから歌そのものにいいものはないと。でも正法眼蔵を見ると道元の文学的感性は凄いですね。さすが通親の血筋と思ってしまいました。でもこんな時になって道元に関心をもつことになるとは。時頼の原稿からの延長です。

何故だかわからないけれどさっさと済ませてしまえば終わる用を先送りにして道元の本を読んでいる。時頼の原稿ではもう道元は終わっているから先に進むものを読めばいいのにそれができない。蘭渓道隆や時頼の本は事象の羅列に過ぎないものしかなく精神に触れた内容が得られない。だからかも。

10月21日
大船の常楽寺を案内して頂きました。三代執権泰時が建ててお墓もあります。その後時頼が建長寺を建てるまでのあいだ、蘭渓道隆がここにいらして、時頼が政務の合間を縫って頻繁に訪れた寺院です。

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常楽寺の案内板。境内はひっそりして、雨に濡れた茅葺きの風情が素敵でした。ホトトギスが満開でそれも素敵でした。いつもは一人なのにツイッターに大船の方がいらして案内して頂いたので、一人だったら見過ごした事も教えて頂けて助かりました。

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大船の常楽寺(1)仏殿。常楽寺は第三代執権泰時建立の寺院です。

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大船の常楽寺(2)仏殿を別の角度から。しっとりした風情の静かな境内でした。

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大船の常楽寺(3)仏殿内部。阿弥陀三尊像が安置されています。天井には雲龍図が。右下に蘭渓道隆像も。

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大船の常楽寺(4)北条泰時公墓。御成敗式目を制定した方のお墓です。雨が降っていたのがあがって、まだ曇っていたのですが、撮り始めたら突然陽が射してきてお墓が輝きました。離れたらまた曇って一瞬の晴れ間でした。不思議でした。

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大船の常楽寺(5)境内にはホトトギスが咲いていました。もうサザンカも。目立って華やかな花のないのがまたいかにも禅宗寺院らしく質実で素敵でした。禅宗寺院になったのは時頼が蘭渓道隆を迎えてからで、建長寺ができるまでここに住されていました。

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10月22日
とはずがたり準備を気にしながらでも結局『北条時頼と源氏物語』の原稿にかかってしまいました。第六章「時頼と蘭渓道隆・建長寺建立」。時頼を書いていて楽しいのは従来の時頼本が時頼の心の部分に踏み込まれてなくてそれを解明できるという新鮮さ。剛腕時頼にも軟な若さの時代があったわけで、それが禅との出逢いで精神の屹立に至った結果の剛腕。蘭渓道隆に出逢った頃はまだ必死に心ならずも三浦氏を滅ぼしてしまった宝治合戦への良心の呵責に耐えかね救いを求めていた時。蘭渓道隆は合戦をした時頼を諫めています。時頼はほっとした事でしょう。その道隆に時頼は建長寺建立を思い立ったのでした。

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2014.10.17 フェイスブックより転載…【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫 歴代当主の人々」と、建長寺様禅研究会のことなど

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10月15日
台風19号の通過で朝まで開催が危ぶまれた【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫 歴代当主の人々」ですが、朝になったら台風一過の雲一つない快晴。鎌倉文学館もご覧のとおりの晴れやかさでした。

ただご参加者様はさすがに気を削がれたのでしょう、行くと仰って下さっていた殆どの方がお見えにならなくて残念でした。が、それでもいらして下さった方は、本当にこのテーマを聴きたいと思っていらした訳で、その分会話が濃密になりました。

面白かったのは、鎌倉と金沢文庫とそれぞれでボランティアガイドをされている方が大半でいらしたのですが、ご感想が相対したこと。全く対局にいられるのです。金沢文庫のガイドの方は、普段から馴染んでいる世界を深められたと喜んで下さり、一方で鎌倉のガイドの方は、金沢文庫の当主がこんなに鎌倉に深く関わっていたとは知らなかったと驚かれ、これから勉強し直しますと。

金沢文庫というと今は行政区分で横浜市になってしまっているし、鎌倉とは朝比奈の峠を隔てているから、向こうの人のように意識から外してしまっているんですね。でも、それは金沢文庫だけで考えているからで、初代実時が金沢文庫を造ったのは晩年になって病気で今の地に隠棲してからの事。本宅は鎌倉市内にあって、しかも歴代執権の側近中の側近ですから、他の御家人よりもメインの場所に邸宅があった。だから、全くの鎌倉の中枢にいた方々なんです。陰で執権を支えたというより、執権の殺伐とした政治家部分を、金沢北条氏特有の学識と見識でもって、執権を正しく補佐し導いた人達。それが金沢北条氏なんです。

私はそれを鎌倉の方に知って頂きたいと思ってこのテーマを設けたのですが、台風で一般の方のご参加が少なくて残念とは思うものの、ボランティアガイドの方が真剣に受け止めて下さった事は今後に繋がる事になったかと密かに喜んでいます。講座を聴いていてもメモしきれないから本にして欲しいと複数の方に仰って頂いたりして楽しかったです。

10月16日
向かいのホームに停車中の列車が素敵です。

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北鎌倉駅ホームに隣接するトンネル。歴史遺産と思っていましたが、ネットでなくなってしまうかもしれないと聞き、今度行ったら撮っておかなくてはと思っていました。それで撮ったホームからの金網越しの写真。まだ降りて歩いた事はありません。

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建長寺様では今年が開山蘭渓道隆の生誕八百年なのを記念して『東アジアの中の建長寺』(勉誠出版)を出版されます。禅研究会で講演なさった歴代の研究者さん方が執筆者にお名前を列ねてられて、来月には出るご様子。今日の禅研究会ではその印刷見本みたいなのを見せて頂き感動でした。巻末に歴代講演者の一覧が載るらしく、そこに私も名前を列ならせて頂けるようです。それが今日のニュース。光栄の限りと思いました。

今日の建長寺様の空。禅研究会が終わって外に出たら、金色の雲が綺麗でした。禅研究会はいつも閉門後の境内を歩く事になるので、ちょっぴり好きです(笑)。禅研究会は誰でも参加可能の開かれた学問の場です。中世の寺院の役割がそうであったなあと、建長寺様のこういうご配慮を嬉しくありがたく思いつつ参加させて頂いています。

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http://www.facebook.com/odayuriko.f

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2014.10.13 ツイッターより転載…満月の皆既月食と赤い月、【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の編集、虹色の幻日が見えたことなど

最初にお知らせ:

台風が近づいています。明日の【鎌倉の歴史を楽しむ会】の会場となる鎌倉文学館は、災害状況次第では閉館になります。従って講座も中止になります。

けれど、今のところの台風の進路を見ると、明日朝には東北へ去っているので、おそらく開催できると思います。ご参加を予定されている皆様は情報をご配慮の上、安全第一で無理のないようお越し下さいますようお願い申し上げます。

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以下、ツイッターから転載

10月8日
月食が始まりました。

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月は雲に隠れて見えません。雲の広がりが月の動きと連動しているようでなかなか出てきてくれません。これは少し前の月。今はもっと欠けています。

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皆既月食の赤い月、ぎりぎりで雲が切れて撮りました。でも、なぜか一枚もピントが合ってません(泣)

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その後の満月。雲がかかって幻想的でした。

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こういう写真も撮れました。なかなか満月の日にいい具合に雲がかかることがないので昨夜は絶好とばかりにシャッターを。こういう写真をスライドで内乱など不穏な情勢のときの背景に使います。

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10月9日
鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の編集は昨日二代顕時が終わって今日から三代貞顕。いよいよ鎌倉滅亡です。ラストは貞顕子息の貞将の勇壮な最期を太平記から引用する予定。気高い精神が引き継がれた金沢北条氏の中でも白眉の章と思います。

研究者さんでなくあくまでも一般市民の方にという前提で、とはずがたりは鎌倉であまり知られていないですね。読んだ人ならその衝撃的内容で引きつけられるのはともかく、二条という歴史に翻弄されながらも自身の真実を貫いた女性の魅力に嵌まるのに。実在の女性の日記で、しかも鎌倉に滞在してるのに。

鎌倉文学館の講座室をお借りしての講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回のテーマを『とはずがたり』にしたのですが、反応があまり伝わってこなくて、先程話のついでに訊ねたら一般の人にこの日記は殆ど知られていない事がわかりました。その方も驚いて、これから鎌倉にとはずがたりを広めましょうよと。

前から思っているのですが、とはずがたりはNHK大河にならないのでしょうか。実在の天皇や摂関家の人達の頽廃的な恋愛模様は無理なのかしら。でもそういう中だからこそ二条の哀しみや真実の愛が浮かびあがるのだし、何よりも男たる男の全てを魅了してしまう二条という女性を画面で観たいなあと。

10月10日
鎌倉文学館講座室をお借りしての講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の編集は最後の三代貞顕(さだあき)。長く六波羅探題に就任し京都に滞在していた貞顕は後深草院崩御に立ち逢います。『増鏡』から引用しました。

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この『増鏡』の記事は二条の『とはずがたり』が参照されています。後深草院は二条の生涯を根底から左右した人。二条は翻弄されながらも心の底では終始院を思っていました。院の葬列を二条が裸足で追いかける場面は圧巻です。『増鏡』が参照した箇所を。

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太陽の右側に虹色の幻日ができていました。

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幻日のアップ。スマホしか持ってなくて残念です。

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10月11日
台風が14日に来そうな鎌倉文学館講座室をお借りしての講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】。その場合は鎌倉文学館は閉館との連絡を頂きました。主宰者さんともお話してこちらは臨機応変・安全第一で考える事にしていますが、とりあえず発表の編集だけは終わらせておかないとと終日かかって今終了しました。

称名寺の浄土式庭園は三代当主貞顕によって完成しました。昭和の頃鬱蒼と木立に埋もれていたのが発掘によって結界図の通りの境内跡が確認され復元されたのが今の境内です。その説明のスライド。発掘されるまで今の景観はなかったなんて嘘のよう。

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10月12日
鎌倉のある方が、貴方はこれから五山文学をやりなさいとおっしゃられたので、え、それは大変ですとお答えしたら、隣にいらした方が五山文学なら加藤周一が凄いとおっしゃられたので伺うと、特に一冊にはなってなくあちこちで語られてると。それを探すのも大変と思いつつ加藤周一を借りてきました。

歴史にばかり没頭していると無性に文学が恋しくなります。

10月13日
明日の鎌倉文学館講座室をお借りしての講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」。台風で中止と思っていたら開催できそうになってきましたので急遽配布資料を作成。なお鎌倉文学館は場合により閉館なのでその情況次第です。Bzzwoojccaavuyq_3

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2014.10.7 ツイッターより転載…クロード・シモン『アカシア』のこと、【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の編集で顕時の項

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10月3日
クロード・シモン『アカシア』が復刊されていた。かつて苦労して読んだ文章はもう自分そのものになっているらしく開いただけでもう地平が広がる。衝動買いしたいのを抑えて平積みに戻した。帰ったら読もうと思う。鎌倉をこんな文体で書いてみたいとは密かな願望。

10月4日
台風で月曜日の予定が中止になり、発表担当だったのが一ヶ月後に延びて思いがけず余裕が。鎌倉の歴史を楽しむ会の編集は実時の項が終わって次に行く間の息抜きにシモンのアカシアを。台風は心配。

アカシア解説よりシモンの言: 頼るものはない。本源的なもの、基礎的なもの、物質、事物にもどろう、と。手本はポンジュだ、と……ポンジュ、懐かしい響き。まさにポンジュだ、と思う。「あらゆるイデオロギーは失格となった」と、歴史をやっているとそんな事を実感する昨今。

『アカシア』のアカシアの葉群を描写するラストは何回読んでも感動的。解説で「作家としての自分の起源に遡ろうとした結果、アカシアの葉群に回帰した作品」とあり「それはプルースト・サルトルら何人もの作家が手を染めた《小説の小説》的循環構造に、またしても到達したということ」と。

10月5日
『アカシア』:作家が自分の起源を求めて書く作業を続けると回帰に至る。その循環がとても大切。回帰、いいなあと思う。鎌倉の源氏物語にひとまず終止符を打ち今は一段大きな鎌倉の歴史そのものに足を踏まえているのだけれど、回帰ということはどんどん迫って感じられてくる昨今です。

と、しばし『アカシア』に浸りましたがまた【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫 歴代当主の人々」の編集に戻ります。今日から第二代顕時。アカシアで気分をリフレッシュさせながら顕時を考えていると顕時がまた新鮮に。『吾妻鏡』の成立にちょっと踏み込もうと思います。持論があって。

【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の実時最後のスライドです。文永の役後、病を得て金沢文庫がある六浦に籠居。称名寺本尊弥勒菩薩立像を造立したその年に53歳で亡くなりました。宋風の雅な美しいほとけさまです。

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自分でおかしくてしょうがないのですがまた孔雀経のスライドを作ってしまいました。金沢文庫歴代当主のテーマと関係ないのに孔雀経の文字を見出すと無視できなくて。二代当主顕時が『親玄僧正日記』に登場するのですがその日記に孔雀経法の記載が。

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10月6日
十三夜だそうですね。ふっくらした感じの月です。 台風が過ぎたあとに見る月には感謝を覚えました。

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井の頭公園の夕暮れ。綺麗です。

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灯りを消した部屋の畳に皓皓と十三夜の月が射し込んでいるのを発見し思わず息を呑みました。

就寝前の読書。現代語訳『吾妻鏡14 得宗時頼』に入り、「本巻の政治情勢」を拝読したら、建長七年の『吾妻鏡』は欠巻と。知らなかったのでびっくり。親行の「河内本源氏物語」完成が建長七年。それが載っているかもしれない巻が欠巻だったなんて。だからこれまで取り上げられてこなかったのかと。

10月7日
武者震い!っていつかも使ったけど、今日は顕時の大詰め。金沢文庫歴代当主をご紹介するといっても通常知られている逸話をお話してもつまらないから独自の視点を心がけています。そうしたらなんと孔雀経を介して第一回のテーマの佐々目遺身院と繋がってくるのが見え、編集の過程で明白になるかなあと。

佐々目遺身院は十年以上も前に手掛けたテーマで、その時は歴史にも精通していなかったから頑張ったけれどそこまでという状態でした。それが先月テーマに据えて編集したら明白に把握できたことがあり、それが安達氏との関連。顕時は安達泰盛の娘婿だからそんなところで佐々目遺身院と繋がるのでしょう。

連ツイ済みません。それにしても孔雀経。どうしても好きでこだわってしまうのを続けていたら、その孔雀経が顕時と佐々目遺身院を繋いでくれました。ぞっとしていますというのが本心。それくらいの驚きのなかにいます。孔雀経を介したこのあたりの政治史的人間関係を書いてみたい気分。

顕時の項のスライドの一枚。好きな一枚ができました。顕時は父実時が将軍のお世話をする役だったから少年の頃から宗尊親王に近侍して御所の雅な高度な文化の中で育ちます。なので武士というより文人。妻の安達泰盛娘と二人で禅に帰依したそのスライド。

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コロンボではないけれど佐々目遺身院と親玄僧正日記と顕時の関係を考えあぐねて詰まって仮寝して起きたらやっと構図が見えてきました。編集を再開して顕時の項を終えられそうです。金沢文庫歴代三人の当主の内、顕時は地味ですが私は一番好きかも。たぶん少年時代から宗尊親王に仕えた人だから。

安達泰盛が滅ぼされた霜月騒動。泰盛の娘婿顕時は、宗尊親王御所の雅な文化に染まって成長したから、幕府内の抗争に巻き込まれて苦悩。それが泰盛娘との夫婦一緒の禅への帰依になったそうです。

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2014.10.2 鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫 歴代当主の人々」のスライドの作成をしています

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9月28日
木曽の御嶽山噴火に心を痛めつつ、でも私はこれをしなければならないのだからとスライドの編集。鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回は「金沢文庫歴代当主の人々」。タイトルスライドです。

9月29日
金沢文庫歴代当主の方々と鎌倉将軍の関係を大雑把に図式化したら、鎌倉将軍は、源家三代・頼経親子・宗尊親王親子・久明親王親子の、四組の親子にくっきり分かれたのには今更ながらびっくりしました。

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9月30日
鎌倉文学館の講座室をお借りしての講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫 歴代当主の人々」用スライド「金沢北条氏系図」です。初代実時の娘が飛鳥井雅有と結婚し、二代顕時の娘が足利貞氏と結婚して、それぞれ興味深い歴史をなしていきます。

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10月1日
【鎌倉の歴史を楽しむ会】の編集に気持ちが集中してきました。原稿の同時進行ができなくて私はよほど頑固か不器用。面倒な性分です。(性分って老人語だそうですね。笑)称名寺と金沢文庫の位置をご説明するのに境内にある看板の写真を使いました。

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10月2日
鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」用スライド。称名寺の名前の初出は、叡尊下向滞在記『関東往環記』でした。金沢文庫創設者の実時が叡尊に称名寺を滞在中の宿にと申し出た記事です。

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講座が14日に迫ってきているのでスライド編集を急いでいるのですが、当主お三方のうちのまだ初代実時で時間を半分以上使いそう。二代顕時の人生も霜月騒動が絡むし、三代貞顕はもう鎌倉滅亡が絡む。無視できない方々なのでどう省略していくかの問題になってきました(泣)

鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第四回は12月2日に決まりました。年末だし無理のないよう主宰して下さる方に申し出たのですが「折角始めたのだから私も楽しいし勉強になるからやりましょ!」と。頼もしい方について頂いています。テーマを考える励みにも。たぶん阿仏尼…。

鎌倉の方にも鎌倉にかかわる国文学関連の楽しさが伝わっていません。折角地元に住んでいられるのだから、阿仏尼といえば、ああ、あの碑の~、のような楽しみ方をして頂きたいし、阿仏尼ほど知られていない京極為兼のような素敵な人物も鎌倉にいらしてるし、両統迭立問題等テーマは尽きません。

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