2014.10.7 ツイッターより転載…クロード・シモン『アカシア』のこと、【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の編集で顕時の項

10月3日
クロード・シモン『アカシア』が復刊されていた。かつて苦労して読んだ文章はもう自分そのものになっているらしく開いただけでもう地平が広がる。衝動買いしたいのを抑えて平積みに戻した。帰ったら読もうと思う。鎌倉をこんな文体で書いてみたいとは密かな願望。
10月4日
台風で月曜日の予定が中止になり、発表担当だったのが一ヶ月後に延びて思いがけず余裕が。鎌倉の歴史を楽しむ会の編集は実時の項が終わって次に行く間の息抜きにシモンのアカシアを。台風は心配。
アカシア解説よりシモンの言: 頼るものはない。本源的なもの、基礎的なもの、物質、事物にもどろう、と。手本はポンジュだ、と……ポンジュ、懐かしい響き。まさにポンジュだ、と思う。「あらゆるイデオロギーは失格となった」と、歴史をやっているとそんな事を実感する昨今。
『アカシア』のアカシアの葉群を描写するラストは何回読んでも感動的。解説で「作家としての自分の起源に遡ろうとした結果、アカシアの葉群に回帰した作品」とあり「それはプルースト・サルトルら何人もの作家が手を染めた《小説の小説》的循環構造に、またしても到達したということ」と。
10月5日
『アカシア』:作家が自分の起源を求めて書く作業を続けると回帰に至る。その循環がとても大切。回帰、いいなあと思う。鎌倉の源氏物語にひとまず終止符を打ち今は一段大きな鎌倉の歴史そのものに足を踏まえているのだけれど、回帰ということはどんどん迫って感じられてくる昨今です。
と、しばし『アカシア』に浸りましたがまた【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫 歴代当主の人々」の編集に戻ります。今日から第二代顕時。アカシアで気分をリフレッシュさせながら顕時を考えていると顕時がまた新鮮に。『吾妻鏡』の成立にちょっと踏み込もうと思います。持論があって。
【鎌倉の歴史を楽しむ会】第二回「金沢文庫歴代当主の人々」の実時最後のスライドです。文永の役後、病を得て金沢文庫がある六浦に籠居。称名寺本尊弥勒菩薩立像を造立したその年に53歳で亡くなりました。宋風の雅な美しいほとけさまです。

自分でおかしくてしょうがないのですがまた孔雀経のスライドを作ってしまいました。金沢文庫歴代当主のテーマと関係ないのに孔雀経の文字を見出すと無視できなくて。二代当主顕時が『親玄僧正日記』に登場するのですがその日記に孔雀経法の記載が。
10月6日
十三夜だそうですね。ふっくらした感じの月です。 台風が過ぎたあとに見る月には感謝を覚えました。
井の頭公園の夕暮れ。綺麗です。
灯りを消した部屋の畳に皓皓と十三夜の月が射し込んでいるのを発見し思わず息を呑みました。
就寝前の読書。現代語訳『吾妻鏡14 得宗時頼』に入り、「本巻の政治情勢」を拝読したら、建長七年の『吾妻鏡』は欠巻と。知らなかったのでびっくり。親行の「河内本源氏物語」完成が建長七年。それが載っているかもしれない巻が欠巻だったなんて。だからこれまで取り上げられてこなかったのかと。
10月7日
武者震い!っていつかも使ったけど、今日は顕時の大詰め。金沢文庫歴代当主をご紹介するといっても通常知られている逸話をお話してもつまらないから独自の視点を心がけています。そうしたらなんと孔雀経を介して第一回のテーマの佐々目遺身院と繋がってくるのが見え、編集の過程で明白になるかなあと。
佐々目遺身院は十年以上も前に手掛けたテーマで、その時は歴史にも精通していなかったから頑張ったけれどそこまでという状態でした。それが先月テーマに据えて編集したら明白に把握できたことがあり、それが安達氏との関連。顕時は安達泰盛の娘婿だからそんなところで佐々目遺身院と繋がるのでしょう。
連ツイ済みません。それにしても孔雀経。どうしても好きでこだわってしまうのを続けていたら、その孔雀経が顕時と佐々目遺身院を繋いでくれました。ぞっとしていますというのが本心。それくらいの驚きのなかにいます。孔雀経を介したこのあたりの政治史的人間関係を書いてみたい気分。
顕時の項のスライドの一枚。好きな一枚ができました。顕時は父実時が将軍のお世話をする役だったから少年の頃から宗尊親王に近侍して御所の雅な高度な文化の中で育ちます。なので武士というより文人。妻の安達泰盛娘と二人で禅に帰依したそのスライド。
コロンボではないけれど佐々目遺身院と親玄僧正日記と顕時の関係を考えあぐねて詰まって仮寝して起きたらやっと構図が見えてきました。編集を再開して顕時の項を終えられそうです。金沢文庫歴代三人の当主の内、顕時は地味ですが私は一番好きかも。たぶん少年時代から宗尊親王に仕えた人だから。
安達泰盛が滅ぼされた霜月騒動。泰盛の娘婿顕時は、宗尊親王御所の雅な文化に染まって成長したから、幕府内の抗争に巻き込まれて苦悩。それが泰盛娘との夫婦一緒の禅への帰依になったそうです。






