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2014.11.24 ツイッターから転載…15日/鎌倉の湘南邸苑文化祭で旧満鉄総裁山本条太郎邸の文化の贅を堪能、17・18日/建長寺様開山蘭渓道隆生誕800年法要とその前日の記念講演会でのパークホテル宿泊、22日/鎌倉ペンクラブの講演に行って等、ほぼ一週間のうち三回も鎌倉に

11月13日
『北条時頼と源氏物語』の原稿。第七章は漠然と蘭渓道隆が残した常楽寺の文殊菩薩像と建長寺の宝冠釈迦如来像について書きたいと思っていたのだけれど、頂いたご本を拝読していたら自ずと思考が整って「時頼と建長寺の文化」となりました。建長寺建立当時の鎌倉は今と全く違った文化と賑わいです。

11月14日
『東アジアのなかの建長寺』(勉誠出版)。建長寺様で毎月行われている禅研究会が今年100回を迎え、また今年が開山蘭渓道隆の生誕八百年の記念の年にあたるために企画・刊行されました。村井章介先生はじめそうそうたる執筆陣でいられます。http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100397

11月15日
鎌倉に向かっています。今月に入って何回目の鎌倉だろうと思いながらこれで終わりでなくまだあと最低二回は。しかも今度は大変な事になりそうでどうしようと緊張しています。毎年11月は私にとって特別な月なのだけれどやはり今年も何かありそうです。

今日も金沢文庫研究を持って出たのだけれど、途中留守電に入っていた用を聴いたら緊張して、ぼうっと車窓を眺めています。晴れた秋の空に空気が澄んでさわやか。逆光に薄が銀の輪郭を描いて綺麗です。

今日は鎌倉のいつもは非公開の邸宅、旧満鉄総裁山本条太郎邸を建築の先生のお話を伺いながら見学。それにしても見事な別荘文化でした。

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旧山本条太郎別荘から相模湾遠望。茜色もほのかな夕暮れです。

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今日の鎌倉はいつもの連続講座と無関係なのだけれどいらして下さった方やチラシでご存じの方が何人かいらして講座の話題に。当日伺えなかったご感想を頂いたり、来月も行きますとおっしやって頂いたり。ある方からはあまり聞いた事のないテーマばかりですねと。三回やって少しずつ浸透してきています。

11月16日
そう何回も鎌倉には行けないし、だからといってスニーカーの場とヒールの場を一日でこなすのは無理と悩んでいましたが、ふっと逆にすればいいと思いついて、スニーカーとカジュアルな上着をケースに詰めていくことにしました。これで午後の有効活用ができるかなと。

11月17日
朝から昔書いた小説が心に浮かんで離れないのは主人公の白拍子が貴顕に推参するのに萎縮したがる自分を一生懸命励ましたから。それと同じだと。知らない世界に入っていくのはいつになっても嫌ですね。できるなら逃げたい。でもここを乗り越えなければ次はないから白拍子のように自分を鼓舞しています。

鎌倉に向かっています。つい二、三日前に来たばかりなのに、あの時はまだまだだったのに、車窓から見える木々が大分色づいてきました。

鎌倉の海。今日は夜の海が見られます!

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建長寺様開山蘭渓谷道隆の生誕800年記念講演、蘭渓道隆語録を作られた佐藤秀孝先生と、『東アジアのなかの建長寺』を監修された村井章介先生のお話を拝聴した後夕食会に。終わって今は皆様それぞれたぶん夜明かしの二次会。私は部外者だからお邪魔にならないよう一人部屋に帰ってきました。

村井章介先生もおっしゃっていましたが、時頼の時代の文化を今の視点で見たら間違うと。禅宗とか律宗など宗派分裂は江戸時代になってから。時頼の時代には交流し助け合っていたと。日本で禅といえば東山文化、そしてわびさび。時頼の時代はその前なんです。

それにしても今日の夕食会のお坊様方率の高かったこと。八割方はお坊様だったでしょうか。それもそうそうたるご面々。私が思うのは、こういう時のお坊様様方の所作の美しさです。日常では絶対に遭遇できない美しさがそこにはあって、日本はこれを忘れてはいけないといつも反省します。

念願の鎌倉の海を眺めてきました。スマホではこれが限界。

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『東アジアのなかの建長寺』を読んで納得した事。元寇の時、鎌倉幕府は宋から渡来した僧侶から元のリアルな情報を得ていたから、予想もついたし判断が的確だったと。鎌倉幕府が鎮西探題を設けて必死に対処したから難を逃れたまでは知ってたけど、その陰に禅僧の存在ありとは!

禅というと宗教の問題に思ってしまうけど、村井章介先生もおっしゃってましたが、時頼の時代を知るには歴史の文献だけではだめ。宗教も美術も文化も全部見渡して初めて全体像が見えます。そうして見た時頼がなんと従来の時頼像と違う事!華やかです。

11月18日
有明の月かなと思う月がのぼる鎌倉の暗い海を眺めています。北斗七星がくっきり見えています。日の出はまだ。

鎌倉の海の日の出。光の道ができました。

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建長寺開山蘭渓道隆の生誕800年記念法要のために飾られた五色の布が靡く三門です。

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建長寺様を出て鎌倉駅のロッカーに入れていたスニーカーを出してヒールと履き替え、いざこれから写真撮影モード。お寺様の法要は別天地。もっと浸っていたいけど、そうもいかないから、気持ちの切り替えにしばし休んで始動です。

ずっと撮りたかった亀ケ谷切通の鎌倉駅側入口。反対の建長寺様側は撮ってあるのですが。それと、浄光明寺様との位置関係を把握したくて訪ねました。背中合せだけど近かったです。

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11月19日
11月18日の有明の月です。

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11月18日の建長寺様開山蘭渓道隆生誕800年法要開始前の法堂内の様子。昼に建長寺様がアップされた法要の動画をRTさせて頂きましたが、それは時頼が見て体験した禅宗のほぼそのものと思ってご覧頂けたらと思います。

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『吾妻鏡』に建長寺は建長5年の創建落慶供養の記事しかありません。その為に従来の時頼像からは禅宗文化が欠落しています。が、村井章介先生が言われてますが、建長寺は当時の高等教育の場、つまり学問の場でした。蘭渓道隆は日本に正式の禅宗を伝え、時頼は二人で相談してこういう高度な文化を鎌倉に現出させたのでした。『吾妻鏡』だけでは見えてこない時頼像です。それを把握するためには建長寺様に伝わる文化や人間の交流を加味しなければいけません。今回私が『北条時頼と源氏物語』を書いているから、それなら実際の法要をと観る機会を頂いたのでした。時頼の高度な知性がそこにありました。

11月22日
時頼没の日に鎌倉。これも因縁かしらと。今朝「一大文化の潮流」という言葉が閃いて、時頼がもたらした禅文化はまさにそうだと愕然。鎌倉は今まであまりに武士の都の範疇に囚われて、こんな凄い文化の潮流を築いた人を矮小化してしか紹介してない。鎌倉の源氏物語と同じ事がここでも起きていました。

文化は文化の価値を知る人にしか理解できない。これは鎌倉の源氏物語をしてきていろんな方に訴えてそのご反応で知った実感。源氏物語がなんだとか文献に書いてないからと一蹴され続けましたが、心ある方は即座に反応して下さった。書かれていない事を読むのが文化の力です。

安達泰盛邸跡という鎌倉の御成小学校。機会がなく撮ってなかったから、今日は早く出て午後の用の前にまわりました。

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そうしたら、なんと、道を隔てて問注所跡碑が。やはりここは当時の一等地ですね。位置関係がわかるように撮りました。

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鎌倉駅に戻ってきました。疲労が溜まっているから賑やかな観光客の方たちのなかで満身創痍の武士みたいにとぼとぼ歩いてます(笑)。これから鎌倉ペンクラブの講演で浄智寺ご住職の朝比奈恵温師のお話を伺います。

講演が終わって鎌倉国宝館に行く途中です。昨年開催の「北条時頼とその時代」展の図録を買いに。昨年は関心なかったのに、今頃になって重要になりました。鶴岡八幡宮に夕陽が映えて綺麗。この太鼓橋は中世の文献では赤橋となっています。昔は登って渡れたのに。

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朝比奈恵温師のお話は素敵でした。鎌倉の建長寺・円覚寺という修行道場を持つ寺院には、今も、何百年も前と変わらない厳しい修行の生活を続けている人がいるというお話。私たちの目に見えないところにある奥の深いお話には感銘などといった常套句で片づけられない感慨を覚えました。

蘭渓道隆が常楽寺から建長寺に移るのに三時間かけての盛大な行列だった小袋坂の道を通りたくて鎌倉から大船行きのバスに。時刻表を見て15分待つ覚悟したのにすうっと目の前に。週末の渋滞で前のバスが遅れたのかも。ラッキーとばかりに乗って大船に着きました。のんびり帰ります。

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