« 2014.11.2 ツイッターより転載…『北条時頼と源氏物語』原稿の蘭渓道隆の件で開けました! 2月にさせていただく講演のテーマも「北条時頼と源氏物語」にします。 | Main | 2014.11.24 ツイッターから転載…15日/鎌倉の湘南邸苑文化祭で旧満鉄総裁山本条太郎邸の文化の贅を堪能、17・18日/建長寺様開山蘭渓道隆生誕800年法要とその前日の記念講演会でのパークホテル宿泊、22日/鎌倉ペンクラブの講演に行って等、ほぼ一週間のうち三回も鎌倉に »

2014.11.12 ツイッターより転載…鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回「『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち」まで

11月1日
十一月になりました。私にとって特別な月です。運気があがるという。今年は何があるかなと毎年楽しみに待っています。と思ったら今朝もう素敵なメールを頂きました。それからお電話も一本。幸先いいスタートでこの一か月乗り切ります! 撒いてきた種が着実に芽を出してきています。

『北条時頼と源氏物語』の原稿。第六章「北条時頼と蘭渓道隆・建長寺建立」終了。一週間別件で手間取り予定が狂ってしまったので焦っています。とりあえず一稿終了。ほっとしたところです。壮大な宇宙感覚のような建長寺建立を追体験できて幸せです。それにしても時頼は凄い!です。

11月2日
お茶の花が咲いています。

B1awzflcmaardrr

『北条時頼と源氏物語』第六章「時頼と蘭渓道隆・建長寺建立」脱稿。一日置いて書き忘れていた文章が浮かんだのを挿入。これを忘れてはダメじゃない!と苦笑しつつ。建長寺建立の詳細ははじめて読んだので新鮮でした。常楽寺から建長寺までの蘭渓道隆入寺の三時間にも及ぶ荘厳な行列、観たかったと。

『開山大覚禅師伝』より:入仏式当日は、大覚禅師は百人の警固の武士に守られ三百五人の僧徒と三人の庵者を従えて辰の刻常楽寺を出発、途中行列を作って巨福山に入った。時に午の一刻である。本日のこの盛大な入仏式の練供養に、参加することのできた警固の武士、及び令人(楽人)は、一般参加者と共に、今更の如く大覚禅師の徳を称えると共に、この建長寺造営の大事業を完成した、施主時頼公の偉勲を称賛せざるを得なかった。… こんな行列のあった事を今まで私は鎌倉が舞台のドラマで見たことも聞いたこともありませんから驚きました。時頼のイメージが一新しています。

時頼はたった一人で、といっても蘭渓道隆と相談しながらですが、見た事もない巨大な中国禅の伽藍を建立する事を決め実現したのです。頼りとしたのは京都で東福寺を完成させて開山になっている円爾。殆どこの三人で鎌倉に今では普通になっているあの建長寺の光景を出現させたのでした。

今、私の頭の中で時頼は、殆ど織田信長です(笑)。大胆で決断力があって、行動力があって迅速で。違うのは、時頼が宝治合戦のような事を二度としないために建長寺を建てたという事。求道の人、時頼ならではの行動でした。

謎。(これで連ツイ最後)。あれだけの大伽藍の建立を躊躇なく殆ど一瞬にして決断し、京都の円爾に相談をかけ、日本にはまだない建築様式、禅宗文化だから、建築も調度も恐らく全て輸入。財政に懸念が全くない。こういう事業家時頼のイメージが、廻国伝説とただの質実剛健で固まっているのは何だろう。

11月3日
リンドウの紫が綺麗でした@海蔵寺

建長寺様宝物風入。初めてなので鎌倉国宝館の学芸員さんが解説して下さる講座に参加して拝聴してから宝物を拝観。時頼の原稿で深まっている思いに重ねての学芸員さんのお話は興味が尽きなかったです。外に出たら屋根の緑青がいつになく目に入りました。

今日心に残った一つ。蘭渓道隆は眼光が鋭いと誰もが言っていて、それを表現したからか、頂相の目の部分に金泥を塗っている。頂相の目に金泥を使うなど、蘭渓道隆以外にないと。実際の宝物ではそこまで確かめられませんでしたが。

建長寺様仏殿ご本尊の地蔵菩薩様。だいたい何かが終わった帰り道に通ると夕刻も遅い時間で、西陽が射し込んでいたり日中に見るのと違う光景。今日はもう灯が灯されていて初めて見る仏殿内でした。

B1gy5n2ceailhh_

11月4日
昨日の海蔵寺様のリンドウ(1)

B1kw_bbceaealk6

昨日の海蔵寺様のリンドウ(2)

B1kwl_eciaexcwl

昨日の海蔵寺様のリンドウ(3)

B1kwnmyciaavsxh

昨日の海蔵寺様のリンドウ(ラスト)

B1kxqabccaaglwk_2

昨日の海蔵寺様のリンドウは手入れの行き届いた境内の艶やかな緑の苔に映えて素敵でした。寺院にはその寺院特有の植栽がありますね。

昨日の建長寺様宝物風入では中国からいらした観光客のグループと一緒になりました。そうしたら皆様が突然ご本尊と両脇に並ぶ一対の蘭渓道隆像に向かって五体投地の拝礼をされはじめたんです。蘭渓道隆は宋からいらした方だから中国の方にとっては「ご自分の国の」なのでしょうね。それを実感しました。

吉祥寺がクリスマス仕様になっていました。

B1luqocaaas6iw

はじめました。来週火曜日に迫った鎌倉文学館講座室をお借りしての講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回「『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち」。タイトルスライドです。特異な人生を送った二条に敬意を表して青い薔薇の写真を使いました。

B1mubogcaaag0nn

前回使用した歴代将軍図に、二条を入れ込みました。七代惟康将軍更迭を見送り、八代久明将軍を迎える準備に右往左往する鎌倉の人達を補佐します。久明将軍は二条を翻弄した後深草天皇の皇子。微妙過ぎる二条の立場です。とはずがたりは実話です。

B1mu9ddcyamybmk

11月5日
昨日無事にとはずがたりにとりかかったものの時頼の原稿終了直後から気にかかって離れない疑問。『吾妻鏡』に建長寺の記事は落慶供養のみ。従来の説では時頼が旧仏教と分けていて禅は政治に関係なかったからとか。が、この時実時は?とか金沢北条氏は?と思うと『吾妻鏡』の編纂とも関わってくる気が。

もう少し後に時頼が実時と一緒に西大寺叡尊を迎えた時は、実時が使者となって頻繁に宿泊されている新釈迦堂の叡尊を訪ねます。実時は禅とは関係なかったようで、金沢北条氏が禅と関わってくるのは二代顕時から。ここのところ、とはずがたりが終わったら突き詰めて考える必要ありかも。

メモ:血気盛んな経時は危なくて祖父泰時が冷静沈着な同い年の実時を補佐につけた。でも三歳下の弟時頼は彼自身が冷静沈着だから実時の必要はなく、時頼政権の間実時はあまり出番がなかった? 若い時宗政権になり蒙古襲来の対処に重鎮として実時が再び重要になった、とそんな構図が見えてるのですが。

『金澤文庫研究』をご恵送頂いてしまいました。しかも高橋秀栄先生「称名寺の二代長老釼阿と『関東往環記前記』」所収。なんとタイムリーな!と感動しています。釼阿は表白文や廻向文に『前記』の実時の言葉を忠実に引用していたそうです。

仮寝して起きてとはずがたりの編集に集中していますが、今回は歴史ではなく日記なので、まずは日記そのもののご紹介をと本文引用スライドをたくさん作っています。第一部「とはずがたりの全容」第二部「時代や人物など背景説明」第三部「鎌倉の二条」といった構成。久々の国文学、やはり楽しい!

11月6日
原稿を書いたあとにひきずる余韻は二日酔いなんだ!と思った昨夜。やっととはずがたりに集中して時頼が抜けました。今は、実兼……。雪の曙ですが、まったくこういう人に出逢ってしまったら人生変わりますよね。二条にしてもただ後深草院だけが相手だったらふつうなのに。でも、有明の月が現れるか……

【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回「『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち」用スライドの一枚。14歳の二条が後深草院の寵愛を得てそのあまりの溺愛ぶりに周囲の妬みを買います。東二条院は後深草院中宮。二条が鎌倉に来た時にまた話題にのぼります。

B1vrx9bciaiaqzj

二条の家系と雪の曙の西園寺家を図式化しました。二条は源通親の曾孫なんですね。国文学的に大納言雅忠の娘と読んだだけでは理解できず最近知ったばかり。雅忠の父が通光と知り、え!、と遡って確かめて。通光は源光行の源氏物語研究の恩人です。

B1vtynbcuaafzoy

作成が後先になりましたが【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回「『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち」用スライドの冒頭です。とはずがたりの衝撃性は昭和に入ってからの発見ということも。やっと時頼の二日酔いから抜けたので構成が動きだしています。

B1vlyowcmaafnho

11月7日
『とはずがたり』は時代でいうと後嵯峨院崩御で始まり後深草院崩御で終わります。その両方に「両六波羅参る」とあって六波羅探題の凛々しさが描かれます。後嵯峨院の時の南方が北条時輔。その直後時輔は二月騒動で滅び、二条は人生の無常を感じます。後深草院崩御の時の北方が金沢北条氏の貞顕です。

大宮院は後嵯峨天皇后で後深草・亀山両帝の御母。とはずがたりに大宮院が静養に嵯峨の大井殿にいかれた時に女房として召された二条の記事が。二代の国母としての感慨を述べられてます。ちょうど錦の大井川の写真がありましたので作ってみました。

B10bj2rimaatais

大宮院は西園寺実氏と北山准后の娘です。『増鏡』に華麗な北山准后九十の賀の章がありますが、大宮院の計らいで二条はそれに出ます。北山准后は二条にとって祖父の姉。二条の人脈はとても華麗です。図式化しました。

Photo_2

『とはずがたり』の編集。ようやく二条が宮中を追い出されました。というと非情ですが、追い出されなかったら出家して女西行を志さなかったし鎌倉にも来てません。それにしても妬み,コンプレックスは怖い。今夜から鎌倉部分の編集に入ります。

正応二年(1289)32歳の二条は鎌倉に入ります。極楽寺の僧は京と違わずと書いてから、有名な「袋の中に物を入れたるやうに住いたる」と、鎌倉の第一印象が書かれた箇所をスライドにしました。化粧坂から見た写真は撮ってなくて海の写真を。

Photo_3

11月8日
鎌倉で『とはずがたり』二条が親しくなった資宗は、霜月騒動で安達泰盛を滅ぼし、平禅門の乱で貞時に討たれた平頼綱の子の一人。兄の宗綱を二条は関白にも劣らない威風堂々と評価。弟の資宗は平禅門の乱で父と一緒に討たれます。図式化しました。

Png

平頼綱は大河時宗で北村一輝さんが演じられて強烈でした。『とはずがたり』二条が頼綱邸に招かれて会う場面があります。頼綱邸のけばけばしさもとはずがたりの中では異色の強烈さです(笑)。後深草院や西園寺実兼といった一流中の一流の男性を相手にしてきた二条にかかっては鎌倉はかないません。

【『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち】用編集ひとまず終了。今回は古典を味わって頂く構成なので本文引用が中心。なのでいつもは写真を130枚位使う処今回は55枚です。ふつうなら字が多いと嫌がられるのに、講座にいらして下さる方は知りたい一心の方が多く、文章が多いといって有難がられます。

11月9日
今お電話を頂いて『とはずがたり』についてのご著書を出されている先生とお話しました。鎌倉で私が語るのも僭越ですからご挨拶のお手紙をさせて頂いてのお電話。とはずがたり、いいですよ、どんどんおやり下さい、と言って頂きました。一先ずほっとしました。貴方のは比較論なのがいいと。

そういえば、比較論という事を別のどなたかからも仰って頂いた事が。いろんな事をしてきたからなあと思います。

前からこだわっている孔雀経ですが今回のとはずがたりがテーマでも出てきます。鎌倉で孔雀経を修した記録の『親玄僧正日記』の親玄が実は二条の従兄妹。このあたりの人間関係と政治的背景、面白いです。略系図を孔雀の写真を背景に作りました。

Photo_4

11月11日
おはようございます。今日は鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回。「『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち」をテーマにお話させて頂きます。一時からです。もったいないくらいに知られていない古典『とはずがたり』の魅力をお伝えできるよう頑張ります!

鎌倉が近づいて車窓には薄が風に靡いています。

鎌倉文学館の講座の後お茶して皆様と別れて鎌倉駅です。とはずがたり、こんな文学だったの!と鎌倉の方に驚きと共に関心を持って頂きました。鎌倉の方にはまた独特な感想がお有りと思うのですが、ゆっくり伺えなかったのが残念です。来月は十六夜日記。来月も来ますと言って頂いたのが心強かったです。

車内の女性のファッションが今年初めて見るコーデュロイにニットという素材。秋というよりもう冬近しの感。

11月12日
昨日は鎌倉文学館講座室をお借りしての講座、【鎌倉の歴史を楽しむ会】第三回「『とはずがたり』二条と鎌倉の人たち」の日でした。鎌倉文学館では秋の薔薇が満開。観たいところですが、パソコン一式を持っての移動では土を踏み歩く園内は無理。それで、遠くから一枚。遠くに薔薇園が見えているのがわかって頂けるでしょうか。歩けばすぐなのですが。

10405231_877479378943310_4400704308

『とはずがたり』は二条という女性が心の機微を交えながら当時の状況を書き連ねているのが特徴。後深草院の愛人という優雅な経験を積んだ人なのに、何でも興味津津で、自分で歩いて目で確かめないと気がすまない質のようです。ジャーナリストの資質があるのかなあなどと思っています。機微がわかって読むと、鎌倉の章は物凄い楽しいです。それが鎌倉の方に伝わったでしょうか。

昨日たまたま刷り上がったばかりのご本を頂いて読み始めたらたちまちもう心は時頼に。とはずがたりも重要だけれど、今の私はやはり時頼と源氏物語の原稿を仕上げるのが最重要課題だなあと思いました。

ジブリの森付近の紅葉@三鷹市

Jiburipng

|

« 2014.11.2 ツイッターより転載…『北条時頼と源氏物語』原稿の蘭渓道隆の件で開けました! 2月にさせていただく講演のテーマも「北条時頼と源氏物語」にします。 | Main | 2014.11.24 ツイッターから転載…15日/鎌倉の湘南邸苑文化祭で旧満鉄総裁山本条太郎邸の文化の贅を堪能、17・18日/建長寺様開山蘭渓道隆生誕800年法要とその前日の記念講演会でのパークホテル宿泊、22日/鎌倉ペンクラブの講演に行って等、ほぼ一週間のうち三回も鎌倉に »