12月15日
実時の自筆奥書をみつけて鎌倉の源氏物語が新しい段階に入りました。一つの資料が展開をもたらしてくれました。光行さんの時と全く同じ。資料は過去からの囁きかけですね。虚心に耳を澄ませて訴えを聞き取れば当時の状況が見えてきます。二月のペンクラブの講演でお話させて頂こうとこれから詰めます。
井の頭公園、紅葉が綺麗です。

12月17日
東博が日に輝いていました。JPA展(日本写真作家協会展)を見ての帰りです。

12月18日
「北条氏の邸宅をさがせ」の見出しに誘われ、秋山哲雄氏『都市鎌倉の中世史』拝読中。なんと、山内にあった義時の「当時館」を泰時が継承して「巨福礼別居」となり、それをさらに継承した時頼がそこに建長寺を建立、と。北条氏は父の別荘跡に寺院を建立する倣いがあるらしいと。
「北条氏の邸宅をさがせ」の秋山哲雄氏『都市鎌倉の中世史』。拝読していますが文献史学者さんでいられながらどこか他の学者さんと違うと思っていたら、鎌倉で発掘をされていた経験がお有りと。道理でと納得。リアルな地面感覚があるからこその「北条氏の邸宅をさがせ」的発想なんですね。
12月19日
連なって飛んでいるように見える雲が出ています@下北沢付近 この写真ではよくわかりませんが、部分的にまさにそう見える雲です。

12月20日
メモ: 石田博氏「北条時頼と光泉寺切」拝読。國學院雑誌1983年。「光泉寺切」は『白氏文集』新楽府の巻3と4に限られる。挙げられているのは11例。小松茂美氏『平安朝伝来の白氏文集と三蹟の研究』による。時頼筆か否かには触れられず。宗尊親王が古筆の名家だからその関係が強いのではと。
メモ: 納富常天氏「道元の鎌倉教化について」拝読。駒澤大学仏教学部研究紀要1973年。檀越波多野義重の招請によるとして、義重のこの時期の在鎌倉事項が一覧に。これは確認できて嬉しい。他に道元の弟が鶴岡別当定親だったり三浦泰村室が妹だったりの係累から招請の背景が探られている。
水月観音は水辺の岩に座し、水に映る月を眺めている美しいを通り越して妖しいといってもいいような観音さま。東慶寺の彫刻の観音さまが有名ですが、建長寺にこの観音さまの仏画があります。元画か高麗画かという舶載の仏さまですがほんとうに綺麗。ただ傷みが激しく風入れで拝観した時もほぼ全面黒々。
建長寺様には同じく舶載の宋画宝冠釈迦三尊像かあり、こちらは仁和寺孔の雀明王像と並ぶ評価を得ているそう。でもやはり傷んで本来の彩色が観られません。仁和寺孔雀明王像の華麗さに惹かれて宋画ファンになった私としては、なんて惜しいことを、修復して公開して頂けないかしらと思ってしまいます。
林温氏「鎌倉仏教絵画考―仏画における鎌倉派の成立と展開」を拝読中です。これ程魅力的な仏画が二幅もあるのに何故京都の仏画のような脚光を浴びないのだろうと不思議でした。謎が解けました。禅宗では拝む対象を自らの心の外にもとめなかったから次第に禅宗特有の水墨画の観音像になっていったと。
たしかに修行される雲水さんに華麗な彩色の仏画は不用かもしれないけれど、時頼は、時宗は、その時代の鎌倉人は、華麗な仏画を見て宋の新しい文化を感じ、鎌倉に活気が溢れていたわけだから、現代のように「禅宗だから水墨画」的感覚でなく当時の活気を感じる手だてとして重要なのではと思います。
メモ: 高橋慎一朗氏「北条時頼と蘭渓道隆」拝読。禅文化228号。兀庵普寧が来日すると蘭渓道隆が建仁寺に移る。なぜ?誰の指図?と気になっていた部分を高橋先生は「この人事は蘭渓の配慮による」と推測。「あらゆる人の言葉に真摯に耳を傾ける時頼の性格を熟知していたから、二人の師がいては修行
に差し支えるからと」。→ 時頼があれほど慕った蘭渓を建仁寺に追いやり兀庵に師事したかなあという疑問が氷解。高橋先生の時頼に対する眼差しが優しいからこその推測。文献や事跡重視でなく人の心を読んでの推測に感銘。時頼が蘭渓に送った慟哭のような手紙を思いだして泣きたい気分になりました。
昨日駒澤大学図書館で十本近く論文をコピーしてきて終日拝読してやっと残り二本、川添昭二氏「鎌倉仏教と中国仏教」と村井章介氏「東アジアにひらく鎌倉文化」になりました。この二本は長いのでこれからじっくりとりかからせて頂きます。楽しみ。
12月21日
新春を待ちきれないで水仙が咲いています@三鷹市玉川上水べり

林温氏「鎌倉仏教絵画考」より。鎌倉武士層の立場からすれば、宋朝禅の宗教性、思想性に対する共感はもとよりあったであろうけれども、それだけでなく、宋朝禅とともに紹介された周縁文化物とでもいうべき文学・芸術についても大きな魅力を感じたに相違ない。伝統的な文化の上に君臨する京都朝廷を統制
しようとする鎌倉幕府にとって、やはり伝統的文化は憧憬の対象ではありつづけたけれども、京都にもない新しい文化を大陸から先取するということがどれほど重大な意味を持ったか、想像することは用意である。禅僧とともにもたらされた文物は彼らを驚嘆させ、魅了する新鮮さと共感性を伴っていた。
現在の北鎌倉の静謐な雰囲気とはほど遠く、鎌倉時代には進取の気鋭に満ちた活気がありました。禅という枠にとらわれて建長寺・円覚寺様を厳かで静粛なだけでみようとするのでなく、禅のもつ華麗で逞しい活気ある文化を追体験しようとする意識も必要なのではないでしょうか。