2月28日
尊いものは見るのを憚る。TVから流れてきたフレーズ。ほんとうにそうだと思うけど現代ではもう薄らいでいる感覚なのでは。かえって携帯カメラの普及で、見なくちゃ、撮らなくちゃ、の我も我もの慢心みたいなものがはびこっているのが現代の気がする。
図書館にくる途中『仙覚と竹御所』のタイトルが浮かぶ。ペンクラブの打ち上げで竹御所を小説にしたらと勧められ、そんなに竹御所が人の心を掴むならいっそ時頼の原稿より先に小説を書いてしまおうかと迷ったのだけれど、時頼の原稿は待っていて下さる方もいるしと思いとどまりまし。
でも気持ちの中では竹御所を書くなら仙覚は入れたいし、そうしたら仙覚は竹御所よりずっと長く生きているから竹御所の小説ではなくなってしまうし、竹御所の小説は当分お預けだなあといよいよ諦めた。と思ったのですが、私の中ではまだ続いていてタイトルまで浮かんだよう。やはり早く時頼を仕上げて!
また気分が増殖して仙覚と竹御所が繋がりました。タイトルは『ー比企の遺児ー仙覚と竹御所』。比企の乱の年に生まれた同い年の二人ですが生涯一度も会ってません。ただ仙覚にとって竹御所は主筋の姫。その人が将軍頼経の正室になって全国に散っている比企氏残党の帰省を許したから仙覚も比企に帰れた。
その人が早世した為に仙覚は頼経に呼ばれて竹御所の菩提を弔う新釈迦堂の住持になり、頼経から万葉集の研究の端緒を戴けた。仙覚にとって竹御所は同じ比企の乱で孤児となった一心同体の存在であり、主筋の姫であり、万葉集の恩人。仙覚が成した万葉集には竹御所に捧げる思いが込められている、と。
通底する思いがあると小説に書けます。
3月1日
公園の枝にとまって一羽のツグミ。寒いからふくら雀みたいにほわほわ膨らんでいました。いつも地に降りてエサを啄むツグミは凛としてるのに。
鎌倉十三仏特別拝観で海蔵寺様に行って来ました。あいにくの雨と思いましたが、かえって風情あって素敵でした。梅の境内が。

海蔵寺様をもう一枚。背後の建物は仏殿で薬師三尊像が安置されてます。

薬師三尊像です。昨秋から何回か海蔵寺様に来ていますが、萩の寺。竜胆の寺。芙蓉の寺。そして今日の梅の寺。というふうになにかゆかしいお花の風情あるお寺様です。

海蔵寺様の雨の池。

海蔵寺様は最初宗尊親王が家臣に命じて七堂伽藍を建てたのが鎌倉滅亡時に焼失し、後に上杉が再建して今があると。その宗尊親王時代の寺院を感じたくて最近訪ねているのですが、今日和尚様に伺ったらそれは今の境内よりもっと上だったでしょうとのことでした。
今日公開された庫里から見た庭。この背後にある木立の下あたりに宗尊親王時代の七堂伽藍はあったのかと拝察しました。

3月2日
今日は吾妻鏡を読む会の日。無事に向かっています。というのも昨日海蔵寺様に満足してうっかりするところでした。月代わり早々の予定は危ない。講演講座を忘れたら大変だから一年が一枚で見通せるカレンダーを買って貼ってあるのだけれど、私的な用は書き込んでないからまたうっかり事件は起きそう。
物凄く注意して何度も確認してどこにも途中抜かされる掲示がないのを見て乗ったのに二本も急行に抜かされました(泣)。こんなならさっきの駅で乗り換え喚起のアナウンスをするべきでは?湘南ラインで鎌倉に行く時は、大船だとホームが変わるから戸塚でお乗り換え下さいまで言ってくれるのに。
小山市の寒川尼ちゃん。今日の吾妻鏡の条に寒川尼が登場するからと講師の先生が持ってきて下さいました。寒川尼の功績は3つあって、頼朝の乳母、旗揚げした頼朝に駆けつけて息子を従わせた、北関東での源氏を頼朝一人に集中させたと。どうぞご贔屓に!

今日の吾妻鏡。好きな条がありました。文治三年十二月一日「戌辰 雪降。雷一声被催雪興(?)。二品欲歴覧山岳邊給之処、依驚雷鳴給令留給云々」
図書館に建長寺で典座をされていた藤井宗哲様の『男は黙って精進料理』があったので拝読中。精進料理には流派がなく、あえていえば京都では公家社会にとりいれられたから雅。道元の永平寺のは土地柄山菜を入れるからひなびかと。特筆するのは高野山料理で武家との交流を通して武家風と。
もう、可笑しくて。けんちん汁を作りました。一度本格的に作ってみたいと思っていたら『男は黙って精進料理』に出てたので。でも料理本のようなレシピでないから、先ず書かれているとおりに家中で一番大きい鍋を出し、それから一口大に切った根菜類・干し椎茸・蒟蒻を胡麻油で炒める。と、それだけ
なのだけれどひたすら炒める。それが大鍋いっぱいの根菜類は重いからじきに疲れてなのに野菜からだし汁が出るまで炒めなくてはならなくて、これは大変と。本には炒めるのが重要だから修行と思ってとあり、本当に修行だわと思ったら可笑しくて笑いがとまらなくなってしまいました。でも、美味しかった!
初めて料理する訳でもないのに、そんな大鍋で作ってどうするのと実は内心訝りながら、でも本のとおりに忠実に作ったから、いったい何人分?みたいなのができて、それも可笑しくて。でも本当に野菜だけで作っているから体に優しいのは喉を通る感触で驚くほどわかりました。
3月3日
何人分かしらというくらいたくさん作ったけんちん汁。具が減らないのに汁ばかりなくなって何度も何度も水を足すのだけれど、少しも味が変わらない。野菜からしっかりだしが出てるから。凄いなあと思う。今朝も美味しく頂いてます、修行だったけんちん汁(笑)。最後は雑炊にするのだそう。
けんちん汁ネタの最後: 鎌倉の方に伺うと建長寺様で戴くけんちん汁は修行中の雲水さんのより高僧の方の作られたのが格段に美味しいと。それをある方にお話したら、炒める野菜のタイミングだよと。根菜類は固いものから順に入れていきますが、次にどのタイミングで入れるかが勝負のようです。
3月4日
スマホなので残念ながら写ってませんが、朧な月に紅彩が。その外側にもう1つ大きな緑のカサができています。綺麗。

3月5日
今日は鎌倉。出がけにポストに気になる封書を見たのだけれど帰ってからのお楽しみに。道中のお伴は例の小川先生の万葉集。歌の解釈に合わせての歴史の読み取りが新鮮です。今はまだ人麿のヒンガシノのところですが。このヒンガシノの歌、見ることについての佐佐木幸綱さんの人麿ノートが凄かったなと。
鎌倉は郵便局も風情あります。一遍上人絵伝で、時宗が一遍上人の鎌倉入りを阻止した小袋坂の道筋にありました。大船行きのバスの車窓から。

その時出ていた気になる雲。地図でみるとこの先は東京湾なんですが。

先程の雲の写真。北鎌倉の鉢の木さんの背後でも見たのですが、地図で見たら、やはりその先は東京湾。北鎌倉駅前の通りから鉢の木さんを見るそのずっと先が東京湾だなんてと新発見気分です。雲を見てるとこういう方向感覚が育ちます。

寝ようと思ってTLを見たら「只今満月」に大満足。出がけにポストに入っていた気になる手紙は実時の筆跡に関するお返事。鎌倉ペンクラブの講演にいらした書家さんが興味を持たれて資料が欲しいと言われて送っていたもの。お返事次第でまた一考となりかねないと思っていたらまさにそうなりました。
3月6日
昨日の建長寺禅研究会は現金沢文庫長永村眞先生と元文庫長高橋秀栄先生のお話。同じ文庫長でもタイプが全く違うお二人でした。永村先生のお話は「建長寺と称名寺ー清規・規式ー」。東大寺大勧進職の条件として廉直な僧侶という意味の禅律僧。そして更にその条件を満たす者として「関東」が冠されたと。
その方たちが栄西(寿福寺)・行勇(浄妙寺)・忍性(極楽寺)・心恵(覚園寺)。つまり鎌倉の僧侶は不正をすることがない廉直な人物だったと。京都との地盤の違いが出てますね。高橋先生のお話は仏名会について。仏名会は源氏物語をやってると馴染みの法会ですが、鎌倉では少ない。その一つに称名寺に
残る三千仏絵があり、これは軸装で軸の中にぎっしりと女性の髪の毛が詰まってることで有名です。結縁者の名前もびっしりで夜叉が。大河ドラマの太平記で宮沢りえさんが花夜叉の役名だったのはこれが元と。私も小説で主人公に夜叉を使わせて頂きました。鎌倉の仏名会は浄智寺・浄光明寺・称名寺の三例。
連ツイ済みません。朝から友と長電話。昨夜ツイートの実時の筆跡の件をメールしたらお電話を頂き、そこまできたらもう論文に書いた方がいいと。私はそこまで考えていなかったのではっとしました。ここが詰まってるから時頼の原稿が進まなかったのです。時頼の原稿を書きながら論文の準備とします。