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2015.3.28 ツイッターから転載…昨日の井の頭公園の桜開花状況

3月27日
真先に一本だけ咲いていた木はこんなに咲きました。公園におりてすぐの場所なので、いらした方は口々に「わァ、咲いてるじゃない」と歓声をあげられます。

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でもその先の全景を見るとこう。水辺の桜は近くで見るとちらほら咲き始めていますが、全体ではまだ蕾。今にも咲こうと頑張って枝がピンクがかっています。満開の白い花は辛夷です。

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マラルメは難解。今頃?といわれそうですが、『生成するマラルメ』、ノートをとりたくなってきました。仏文から離れて歴史書を出して今更だけれど、ここに文学の大切な事が潜んでいる気がする。突っ走ってばかりきてやり残していた事を今ここで突きつけられている感じ。こんな時間が帰ってくるなんて。

半月の周りに星がいっぱい。放射状の中心に月がいて星たちを従えているかのよう。オリオン座まで。明るめの華麗な夜空が繰り広げられています。

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2015.3.26 ツイッターから転載…井の頭公園花情報。柏倉康夫氏『評伝 ジャック・プレヴェール』『生成するマラルメ』のこと。

3月23日
井の頭公園花情報(1)
梅林の花は終わっていますが、枝垂れ梅がまだ華やか。奥の黄色い花は山茱萸です。

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辛夷が満開です。

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山茱萸です。

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三椏です。ジンチョウゲ科なんですね。

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ぐるっと廻って全部、桜はまだ蕾と思ってたら、最後に一本だけこんなに咲いていました。ここは満開の時期になると花筏ができて鴛鴦が泳ぐ場所です。特別なのかしら。

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公園のなかでも好きな光景。左側の水辺に枝を延ばしているのが辛夷です。

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雑木林の中を歩くと大地に自然のままに咲く菫を見ることができます。

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人や対象物や情況との偶然の出会いが引き起こす混乱こそがこの世界の秘密を垣間見せてくれる。ある人が他よりも優れているかどうかは、この混乱のなかに何ものかを感じ取りそれを表現できるか否かにかかっている。これこそがシュルレアリスムの根本的考え(柏倉康夫氏『評伝 ジャック・プレヴェール』)

『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』に引き続きプレヴェール伝を。今更シュルレアリスムでもないけれどと思いつつ、決定的瞬間の写真論と組み合わせて考えるととても新鮮。(ほんとうは時頼の原稿に戻ろうと思うのだけれど、でも引きずられてます…笑)

やっと見つけました。プレヴェールの詩。ジュリーが歌って、その歌詞がさりげない人生そのもののように耳に残っているのに、何という歌かずっとわからなかった。プレヴェールの詩ということだけがわかっていて。「朝の食事」でした。茶碗にコーヒーを注いだで始まる。もう一度聴きたい。

さりげない人生の一シーン。そこに人生の一瞬の真実がある。そんな詩。これも決定的瞬間。プレヴェールもブレッソンもシュルレアリズムを通過したこの人たちの共通する感性なのかしら。私は一枚の写真の決定的瞬間を通してこの時代の人たちの感性を注ぎ込まれたのかも。たぶんこれが私の歴史を見る眼。

3月24日
井の頭公園花情報(2)
昨日の桜がどれくらい咲いたか撮ってきました。少し増えてます。

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桜の季節は連翹も。黄色い縁どりになって華やぎを増してくれます。これは連翹越しに辛夷。

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辛夷と柳の饗宴。

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水辺の辛夷。今日は辛夷シリーズでした!(早春の風は冷たくて気持ちいいですね。)

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ジュリーの「朝の食事」。検索したら70年代のコンサートで歌ってらしたみたい。出て行く恋人の一挙手一投足を見てるというより肌で感じてて、恋人が出て言った時僕を見なかったと言い、最後の三行で頭を抱えて泣いたという詩。ジュリーはそれをずっと語りで続けてて、最後の三行だけ歌ったそうです。

私は一回だけTVで観て、心に食い込んで、なのに検索してもよくわからなくて、ずっともう一度聴きたいと思っていたのでした。

3月25日
メモ: では彼が理想とする詩とはどのようなものか。それは現実世界に霊感をうけ、それを抒情的にうたうのではなく、現実とは直接関係のない夢を伝えるもの、それ自身で独立した夢想の表現であるような詩…(柏倉康夫先生『生成するマラルメ』)

たくさん借りてきた柏倉康夫先生のご著作からブレッソン伝、プレヴェール伝と進んで、いよいよマラルメに。伝記にするか「詩作を中心にすえた本書」にするか迷いましたが、ブレッソン伝とプレヴェール伝の充実でもう伝記は終わりでいい、詩作に行こうとおのずと心が決まりました。

借りてきた当初はこのご著書は難しそうで(マラルメ特有に現実の匂いがしなくて)、『パリの詩・マネとマラルメ』や『マラルメ探し』を拝読しようと思っていたのですが、昨夜この『生成するマラルメ』を拝読しはじめたら面白くて夜更かししてしまいました。マラルメの詩はずっと改変されてるそう。

連ツイ済みません。柏倉氏はNHKのパリ支局長時代にマラルメの自筆原稿を入手したり博物館で資料を集めたりして手元にもってられる。マラルメの詩の生成をたどるのにそれら各時期のテクストを比較検討されてのご著作だそう。マラルメは変貌を続ける詩人だったのです。

私の夢は仏文的文体で歴史小説を書くこと! 小説作法を学んだ先生がヌーボーロマンの方でいらしたから、その文体が身についてます。だからマラルメ体験はそのための準備。というか仏文への回帰。竹御所を書こうと思っています。いつかフランス語に訳されるのを夢見て!

日を浴びて水仙が楽しそう@井の頭公園

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2015.3.22 ツイッターから転載…柏倉康夫『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』拝読のことと、円覚寺にて開催された小泉八雲のシンポジウムに参加のこと。

3月20日
アンリ・カルティエ=ブレッソンの最初の作品集『消え去る映像』が刊行されたのは1952年。以下柏倉康夫氏『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』より:フランス語版は「消え去る映像」という、いかにも詩的な言葉が使われていたが、アメリカの出版社はもう少しパンチの効いたものにしたいと考えた。

そのとき翻訳者の眼にとまったのが、カルティエ=ブレッソンが書いた序文の表題だった。写真家は序文全体のタイトルを「決定的瞬間」とし、エピグラフにレス枢機卿の「この世には決定的瞬間をもたないものはない」という言葉を引用していたのである。英語版のタイトルはこれからヒントを得て

「決定的瞬間」と決まった。そしてこれが以後、アンリ・カルティエ=ブレッソンの代名詞となり、さらに彼をこえて、写真を撮るという行為の究極の目的を指すまでになるのである。←タイトルは編集者の意向によるとして、もともと写真家のなかにあった「決定的瞬間」の語。これが写真家の生涯にわたる

たくさんの芸術家・文学者との交流・経験をとおして育まれた意志・感性でなくしてなんであろう。「決定的瞬間」と題された一枚の写真に感慨を得てずっとそれが心に底流している私にとって、この語が含んだものは膨大なそういうものだったのだと感銘を受けました。哲学的思索の写真家だから好き。

それにしても言葉には匂いがあるのだなあと今更に感銘。その言葉の背後にある膨大な知識・嗜好・思想を人は嗅ぎ分け、その言葉が選ばれ使われた世界に入ってゆく。

私は何にでもすぐに反応できなくて、日を経てからでないと気持ちがまとまらない。で、今頃からじわじわとブレッソン伝を読んだ感想が浮かんできてるのだけれど、どうやら私は写真に対して間違った姿勢をとってたみたい。写真に対して抱いていた懐疑はまったくの私の中途半端な姿勢の産物だったとしか。

父がカメラマンだったから何の疑問もなく写大に進み部活に広告写真を選びながら就職した分野が報道。これでは違和感ばかりが増殖して屹立した写真観を持てるはずがありませんでした。今更ですがライカで撮ってみたくなりました。(父が持っていたのに無くしたカメラ。あったら私の人生変わってたかも)

まだこだわってます、ライカ(笑)。そうか、ライカは横長の長方形で、最近のカメラは正方形に近い立方体。手にすっぽり収まるかどうかは馴染みの感覚として重要なのに、現代は違うのだと。理で走る現代には馴染みなんて必要ないのかな。(と、これでライカツイートは終わりにします)

3月21日
今年はじめての木蓮@鎌倉

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これはコブシ? とすると、さっきのも?

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円覚寺様三門。

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円覚寺様仏殿。

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今日は円覚寺様で鎌倉と小泉八雲についてのシンポジウム。玄関の室礼も木蓮。

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シンポジウムは円覚寺如意庵にて。演台です。

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今の若宮大路。 これから懇親会です。

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鎌倉の帰りです。しばらく都心で、都会派的な文学に浸ったから、鎌倉人でもないのに、鎌倉に帰りたい、鎌倉の人と話をしたい、思いが募っていたから、今日は満喫しました。地元の人ともこんなに交流してません。

私にとって珍しい円覚寺様。ここのところずっと建長寺様に通ってたから、これもまた変なのだけれど、建長寺様が懐かしいような。ニ、三枚、写真をアップします。

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ピンクの椿が落ちて。奥には赤い椿も。円覚寺様の境内は優しい風情。

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寺院は、一般参拝者がどんなに境内で賑わっても、奥では厳然たる修行の世界が繰り広げられているんですよね。そこに私たちは入る事はできないし、見る事さえ許されない。そんな事を思いながら撮りました。

3月22日
夢のような菫の群落。

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お酒が入ると寝てしまう質なので今頃覚醒(笑)。小泉八雲のシンポジウムが円覚寺で行われたのですが、主催の早稲田の教授の方も「今まで大学を会場にしかしてこなかったから、寺院でどうなるのだろう」と思われたとか。結果として深く充実した会になりました。それが鎌倉の深さと思いました。

最近連続して都心のシンポジウムに参加し鎌倉との対比を思うことがありました。それが今日の円覚寺での会で実証されたということ。やはり人間の感性には「自然」が必要です。どんなに発展した都会が素晴らしくても、「自然」がなかったら潤いは得られないと思いました。当然文学にも影響するでしょう。

寺院は存在するだけでいい。そう思いました。難しい教理は一般の方にはなくていいんです。ただ寺院がそこにあるというだけで人はどこか寛ぎを得ているのだと思います。さらに境内に入れば一層癒されます。鎌倉の方はそんなふうにして浄化されてるんでしょうね。皆様、深いです。

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2015.3.20 ツイッターから転載…フランス象徴主義のシンポジウムに行って、柏倉康夫先生の『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』を拝読など

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シラー ペルビアナというお花だそう。お星さまがいっぱいだから、星のソナタって。緑化センターに来る度に植木を買ってしまいます。珍しい品種を見る度に。今日は買わないと自分に厳命してたのに。

3月13日
ある方から「先日織田さんも短歌をやってたと知ったのは大きな収穫」とメールを頂き、?と思ってて、昨夜友人の解説で判明。どうやら私は難しい学問の人と敬遠されてたみたい。私もあの時歌会のあとの雑多な飲み会を思い出し、私にもそんな時代があったんだあ~と気が楽になったのも確かです。

ちょっと弾けました(笑)。十年籠って源氏物語の写本問題に取り組んでたから、社会性どころか自分の過去さえも忘れてて、自分らしさも忘れてました。これからやっと地で活動ができそう。鎌倉ペンクラブの講演の後の慰労会の席でのことだったのですが、あれから随分動きが軽くなりました。

3月14日
今日は文学のトークショー。歴史時代作家クラブ主催で岳真也先生×塚本青史氏。終わって出てきたところです。行く時から思ってたけど、鎌倉へ行く時と違って途中ツイートする気持ちにならない事!何だろうこの温度差はと可笑しい。強いていえば会場が文藝春秋ビル!これはちょっと嬉しい(笑)

文学に戻る気持ちになってるから試みに気配を感じるのもいいかなと参加したのですが、もともと私はプルーストのような心理小説派だから、時代小説世界にはまだ馴染めないなあと感じて帰ってきました。ちなみに時代小説を書く人や歴史をやる人は何々氏の子孫という方が多いんですね。驚き。

折角来たのだから町の雰囲気を一枚。麹町の地名の由来の案内板です。

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こんな夜の都会を風に吹かれるなんて久しぶりだから、早々に地下に潜るのも惜しくて。

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地下鉄構内の看板。

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そう言えば塚本先生のお話で司馬遷が書いたのは竹簡で、刊行されたのは亡くなってから→には驚きました。無人になっていた家を親族が壊そうとして竹簡の原稿をみつけ、王様に見せたら凄いものだからと刊行されたと。中国史に無関係にきたから新鮮。

3月15日
沈丁花の季節なんですね。

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今日はお誘いを頂いて文学。学習院大学が会場の「近代日本におけるフランス象徴主義―受容・模倣・創造」。午後だけ参加で詩人の野村喜和夫氏講演「ランボー受容史―中原中也から私の詩作まで」他を拝聴。他は研究発表で小林秀雄と象徴主義、田邊元とマラルメ、寺山修司とロートレアモン。楽しかった。

また帰りの車内の徒然ツイート。フランス詩は名詞構文。日本語詩は動詞構文。中也はくちずさむ言葉がすでに詩になっているくらいだから名詞構文のフランス詩を訳すのは相当エネルギーがいって、詩作と同じほどの心血を注いだと。小林の影響があったからかもしれないし、ライバル意識が働いたのかもと。

でも、それほど心血を注いだのに、完成したのは初期詩編と、ヴェルレーヌとの時代まで。イリュミナシオンや地獄の季節は訳してないそう。中也は日本のランボーみたいに言われるけど、実際はヴェルレーヌのほうに近いから自然な結末かもと勝手に納得。

帰ったら多摩交流センター市民塾の秋の開講に向けての書類提出が来ていました。一昨年決まった時は再来年と思って呑気にしてたのに、気がつくともう今年なんですね。(まだ呑気に来年と思ってました…泣)10月から来年3月まで「鎌倉の源氏物語と万葉集」をします。

3月17日
秋開講の多摩交流センターTAMA市民塾の講座内容を決めました。【鎌倉ゆかりの古典文学 『源氏物語』『万葉集』『とはずがたり』『十六夜日記』『徒然草』】。毎月一回。六ヶ月。計六回。最初の三回で源氏物語と万葉集をして、後の三回で残りの古典を1つずつします。無料です。

3月18日
昨夜赤いオーロラが見えたらいいなと空を見たら磁気嵐の日特有の雲、と私が勝手に思っている雲で空が覆われていました。何年か前に強い磁気嵐ニュースがあった時に見た雲と同じオーロラのように棚引いた雲です。私は毎晩雲をチエックしてるからわかるのですが、昨晩は少し赤みがかって見えました。

たぶんTLにあったように、肉眼では見えないけど、ISOを6800くらいにして30秒くらいシャッターを開けてたら、赤いオーロラが写ったと思います。

先日のフランス象徴主義のシンポジウムで講演された柏倉康夫先生。仏文の学者でいられるとばかり思っていたらNHK元パリ支局長のご経歴。ご著書にマラルメ論が多くそれを拝読させて頂くつもりだったのに、アンリ・カルティエ=ブレッソン伝を書かれていて、こちらを読み始めたら引き込まれています。

『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』が面白いです。例えばカルティエ=ブレッソンはマンディアルグと家族ぐるみの付き合いの仲だったり。さらに彼は「愛読する詩人ランボーのアビシニア生活を追体験するために」コート・ディヴォアールへ。そこで様々な仕事につき、病魔に襲われとそこまで追体験。

カルティエ=ブレッソンはコート・ディヴォアールでフランスの折畳式カメラを購入。これも家族に頼んで大型カメラを送らせたランボーを意識しての事。カルティエ=ブレッソンは一年間そのカメラでコート・ディヴォアールを撮り帰国してから現像。この時の写真に既に彼の構図への強い関心が現れている。

カルティエ=ブレッソンはアフリカから戻るとすぐにはパリに行かず、しばらくマルセイユで休養。これもランボーと同じ。が彼は入院の必要はなく休息を兼ねてマルセイユの街を歩き回った。そんな時にある店先で出会ったのが一台のライカだった。この時から生涯彼はライカを使い続けることになる。

「新しい手段を手にした彼は夢中になった。『マルセイユでは、楽しみながら仕事をした。私はライカを見つけたばかりで、それは私の眼の延長となり、以来いちども手放したことはない。繰りひろげられる生の一瞬を罠にかけて捉えようと、毎日街を緊張した気持で歩き回った。』」(柏倉康夫氏『伝』より)

3月19日
今日は悉く信号が目の前で赤!

やっと村井章介先生『北条時宗と蒙古襲来』を借りに来たのだけれど、書庫から出て来るのを待っている間に、先日の象徴主義シンポでお話された野村喜和夫氏『ランボー「地獄の季節」』とアンリ・カルティエ=ブレッソン『こころの眼』をみつけ、借りる事に。ブレッソンの伝記を読んでいると楽しくて。

柏倉康夫先生『アンリ・カルティエ=ブレッソン』読了。文学性たっぷりの青春時代の後は第二次世界大戦。ロバート・キャパ、マグナム等その後の展開は時代そのもの世界そのものの彼の人生。前半のお遊び気分はすっかり醒めてずしんと重たい読後感。私も現実に戻ります。久々のいい読書でした。

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2015.3.18 ツイッターから転載…東慶寺様にて薩摩琵琶とリュートの演奏会。境内では梅の花が満開でした。宝物館では水月観音像が公開されてました。旧太平寺本尊聖観音像の土紋は華麗でした。

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3月12日
早春の風。早春の陽当たり。

東慶寺様は梅が満開。宝物館で仏像展が開催されていて、水月観音様を拝観にきました。

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活け花でしょうか。地植でしょうか。宝物館前の片隅で。

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東慶寺様をもう一枚。

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東慶寺様でのもう1つの予定。方丈を会場に薩摩琵琶とリュートの演奏会。インドからヨーロッパに行ってリュートになり、東に来たのが琵琶。同じルーツの楽器だそうです。薩摩琵琶は鎌倉在住の坂(ばん)麗水さん。あでやかでした。

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東慶寺様方丈の庭の一画。格子のガラス戸が嵌まったこの奥が会場でした。外に出たら目に入ったこの風情。芍薬でしょうか。芽吹いてます。こういう縁側というか長い廊下の庭に面した風情、懐かしいですね。

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東慶寺様は風情ある表情の寺院ですね。折角なので何枚か送ります。

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昔、戸越の国文学資料館があったあたりの家で幼児期を過ごして、その家に廊下を二列並べた幅の縁側があって、ぽかぽかとした陽をガラス戸越しに浴びながら積み木をして遊んだ事を思い出しました。庭に八ツ手の木があったりして。

今日はお着物のご夫人が多かったのですが、いつも思うのは鎌倉のご夫人のお着物姿には鏑木清方の絵のような趣があると。素材の違いもあるのでしょうけれど、ぞろっとして長めなんです。コートの丈とかだけでなく、着方自体が。着付教室では絶対にああはならない。眼福と思って眺めてしまいます。

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2015.3.17 ツイッターから転載…鎌倉ペンクラブ主催・会場建長寺様の「鎌倉かるた大会」のようす

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3月6日
玉川上水べりの水仙。いつのまにか咲いていました。(昨年ツイートの白い八重の水仙とは別)

3月7日
今日は大変。鎌倉ペンクラブ主催の鎌倉カルタ会です。つまり昨夜鎌倉では四人一組で百組、計四百人の子ども達が奮闘目指して興奮の夜を過ごしたという事。午後、夕方暗くなるまで勝ち抜き線が繰り広げられます。鎌倉の文化の底力と思います。お手伝い、審判は嫌なんて避けてないで頑張ります。

北鎌倉。円覚寺様前の踏切の雨に濡れた梅がしっとりした風情。雨はあがっています。早く着いたのでのんびり。

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一昨日、この枝振りがいいなと思った梅。

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鎌倉カルタ大会会場。建長寺様です。ここに午後、子ども達と応援のご家族で千人の人が集います。

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二階会場。子ども達が続々と集まってきて、もう騒然。 ピンクの枠がカルタを並べる範囲です。

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鎌倉カルタ大会。第二回戦の二回目に突入。白熱してます。今まで審判をしてました。負けた子ども達はけんちん汁をごちそうになって帰ります。私もお昼に頂きました。雲水さん達が千人分、用意して下さってます。

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準々決勝。読み手は建長寺高井宗務総長様になりました。

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準決勝がこれから。時間が押せ押せになって、ひとまず4チームの子ども達は先にけんちん汁をごちそうになりに行ってます。

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準決勝、なんと一組が同点でじゃんけん。負けたチームは小学生の女の子チーム。涙をぬぐって退場しました。

決勝です。読み手は女優の小山明子さんです。

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優勝は何度目かの挑戦の手広中学三年生チームになりました。泣いて抱き合ってます。これから表彰式。

優勝チームは、小さい時からずっと出ていて、いいところまでいくけどじゃんけんで負けたりして優勝できなかったから、中学三年生はもうみんな進路が分かれて今年が最後になるので、優勝が嬉しいと。会場は笑いと涙。

表彰式。鎌倉ペンクラブ会長の伊藤玄二郎氏のお話。伊藤氏のお話はいつも身に滲みます。文学的でちょっと子ども達には高度かと思うけど、わかるわからないでなく、子どもの時代にこういう話をじかに聴くことのできる鎌倉の子ども達は恵まれています。

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鎌倉ペンクラブ主催の鎌倉カルタ会を無事に終え打ち上げも済んで外に出ると、真っ暗な夜の建長寺様境内。余程の事がなければ経験できない静謐を堪能しつつ帰途につきました。小山明子さんが打ち上げで仰ってたけど、私達はこんなに幸せだけど、東北の人達は今なお苦しんでいることを忘れたくないと。

3月8日
今お電話で鎌倉の女性の方とお話したのですが、鎌倉の女性の力は凄いって最近の感想を申し上げたら「政子の力じゃない?」って。そうか、鎌倉の男性は政子の呪縛にかかっていて、だからあんなに女性が活躍してもほかの社会のように足を引っ張ったりしないんだと妙に納得してしまいました(笑)

私が鎌倉で活動するようになった最初の時点で支援して下さる全部の方が女性でした。その気概のパワフルなこと! 煽られながらここまできました。その周りで鎌倉の男性は不承不承でもなくにこにこと見守ってられるといった構図。この頃では私にも男性の方の応援がつきましたが(笑)

先程の政子の件。昨日のかるた大会でも痛感しました。札を並べる時に政子の札を置くと「あ、政子があっち行った」と子ども達がざわつくんです。どの組も必ず。他の札にはない事なので可笑しく思ったのでした。政子さん、愛されてます!

3月11日
今日の夕方。一瞬だったけれど水色の空に黄金色の雲が輝き綺麗だった。思わずして命をなくされた方々の魂の輝き。あの日のことは今も現在形。二度と繰り返されることがありませんように。

資料の配置替えをしてたら悪党研究会編の『中世荘園の基層』が出てきました。佐藤和彦先生の七回忌に開かれたシンポジウムをまとめた本。奥様から送って頂きました。一日東北の震災で亡くなられた方を思っていたから佐藤先生も?と思ってしまいました。こらこらちゃんとしまいなさいと怒られのかも。

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2015.3.15 ツイッターから転載…「―比企の遺児― 仙覚と竹御所」のタイトルで小説を書きたくなった事。寿福寺本堂拝観の事。けんちん汁を作ったこと。建長寺鎌倉禅研究会の事。

2月28日
尊いものは見るのを憚る。TVから流れてきたフレーズ。ほんとうにそうだと思うけど現代ではもう薄らいでいる感覚なのでは。かえって携帯カメラの普及で、見なくちゃ、撮らなくちゃ、の我も我もの慢心みたいなものがはびこっているのが現代の気がする。

図書館にくる途中『仙覚と竹御所』のタイトルが浮かぶ。ペンクラブの打ち上げで竹御所を小説にしたらと勧められ、そんなに竹御所が人の心を掴むならいっそ時頼の原稿より先に小説を書いてしまおうかと迷ったのだけれど、時頼の原稿は待っていて下さる方もいるしと思いとどまりまし。

でも気持ちの中では竹御所を書くなら仙覚は入れたいし、そうしたら仙覚は竹御所よりずっと長く生きているから竹御所の小説ではなくなってしまうし、竹御所の小説は当分お預けだなあといよいよ諦めた。と思ったのですが、私の中ではまだ続いていてタイトルまで浮かんだよう。やはり早く時頼を仕上げて!

また気分が増殖して仙覚と竹御所が繋がりました。タイトルは『ー比企の遺児ー仙覚と竹御所』。比企の乱の年に生まれた同い年の二人ですが生涯一度も会ってません。ただ仙覚にとって竹御所は主筋の姫。その人が将軍頼経の正室になって全国に散っている比企氏残党の帰省を許したから仙覚も比企に帰れた。

その人が早世した為に仙覚は頼経に呼ばれて竹御所の菩提を弔う新釈迦堂の住持になり、頼経から万葉集の研究の端緒を戴けた。仙覚にとって竹御所は同じ比企の乱で孤児となった一心同体の存在であり、主筋の姫であり、万葉集の恩人。仙覚が成した万葉集には竹御所に捧げる思いが込められている、と。

通底する思いがあると小説に書けます。

3月1日
公園の枝にとまって一羽のツグミ。寒いからふくら雀みたいにほわほわ膨らんでいました。いつも地に降りてエサを啄むツグミは凛としてるのに。

鎌倉十三仏特別拝観で海蔵寺様に行って来ました。あいにくの雨と思いましたが、かえって風情あって素敵でした。梅の境内が。

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海蔵寺様をもう一枚。背後の建物は仏殿で薬師三尊像が安置されてます。

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薬師三尊像です。昨秋から何回か海蔵寺様に来ていますが、萩の寺。竜胆の寺。芙蓉の寺。そして今日の梅の寺。というふうになにかゆかしいお花の風情あるお寺様です。

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海蔵寺様の雨の池。

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海蔵寺様は最初宗尊親王が家臣に命じて七堂伽藍を建てたのが鎌倉滅亡時に焼失し、後に上杉が再建して今があると。その宗尊親王時代の寺院を感じたくて最近訪ねているのですが、今日和尚様に伺ったらそれは今の境内よりもっと上だったでしょうとのことでした。

今日公開された庫里から見た庭。この背後にある木立の下あたりに宗尊親王時代の七堂伽藍はあったのかと拝察しました。

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3月2日
今日は吾妻鏡を読む会の日。無事に向かっています。というのも昨日海蔵寺様に満足してうっかりするところでした。月代わり早々の予定は危ない。講演講座を忘れたら大変だから一年が一枚で見通せるカレンダーを買って貼ってあるのだけれど、私的な用は書き込んでないからまたうっかり事件は起きそう。

物凄く注意して何度も確認してどこにも途中抜かされる掲示がないのを見て乗ったのに二本も急行に抜かされました(泣)。こんなならさっきの駅で乗り換え喚起のアナウンスをするべきでは?湘南ラインで鎌倉に行く時は、大船だとホームが変わるから戸塚でお乗り換え下さいまで言ってくれるのに。

小山市の寒川尼ちゃん。今日の吾妻鏡の条に寒川尼が登場するからと講師の先生が持ってきて下さいました。寒川尼の功績は3つあって、頼朝の乳母、旗揚げした頼朝に駆けつけて息子を従わせた、北関東での源氏を頼朝一人に集中させたと。どうぞご贔屓に!

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今日の吾妻鏡。好きな条がありました。文治三年十二月一日「戌辰  雪降。雷一声被催雪興(?)。二品欲歴覧山岳邊給之処、依驚雷鳴給令留給云々」

図書館に建長寺で典座をされていた藤井宗哲様の『男は黙って精進料理』があったので拝読中。精進料理には流派がなく、あえていえば京都では公家社会にとりいれられたから雅。道元の永平寺のは土地柄山菜を入れるからひなびかと。特筆するのは高野山料理で武家との交流を通して武家風と。

もう、可笑しくて。けんちん汁を作りました。一度本格的に作ってみたいと思っていたら『男は黙って精進料理』に出てたので。でも料理本のようなレシピでないから、先ず書かれているとおりに家中で一番大きい鍋を出し、それから一口大に切った根菜類・干し椎茸・蒟蒻を胡麻油で炒める。と、それだけ

なのだけれどひたすら炒める。それが大鍋いっぱいの根菜類は重いからじきに疲れてなのに野菜からだし汁が出るまで炒めなくてはならなくて、これは大変と。本には炒めるのが重要だから修行と思ってとあり、本当に修行だわと思ったら可笑しくて笑いがとまらなくなってしまいました。でも、美味しかった!

初めて料理する訳でもないのに、そんな大鍋で作ってどうするのと実は内心訝りながら、でも本のとおりに忠実に作ったから、いったい何人分?みたいなのができて、それも可笑しくて。でも本当に野菜だけで作っているから体に優しいのは喉を通る感触で驚くほどわかりました。

3月3日
何人分かしらというくらいたくさん作ったけんちん汁。具が減らないのに汁ばかりなくなって何度も何度も水を足すのだけれど、少しも味が変わらない。野菜からしっかりだしが出てるから。凄いなあと思う。今朝も美味しく頂いてます、修行だったけんちん汁(笑)。最後は雑炊にするのだそう。

けんちん汁ネタの最後: 鎌倉の方に伺うと建長寺様で戴くけんちん汁は修行中の雲水さんのより高僧の方の作られたのが格段に美味しいと。それをある方にお話したら、炒める野菜のタイミングだよと。根菜類は固いものから順に入れていきますが、次にどのタイミングで入れるかが勝負のようです。

3月4日
スマホなので残念ながら写ってませんが、朧な月に紅彩が。その外側にもう1つ大きな緑のカサができています。綺麗。

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3月5日
今日は鎌倉。出がけにポストに気になる封書を見たのだけれど帰ってからのお楽しみに。道中のお伴は例の小川先生の万葉集。歌の解釈に合わせての歴史の読み取りが新鮮です。今はまだ人麿のヒンガシノのところですが。このヒンガシノの歌、見ることについての佐佐木幸綱さんの人麿ノートが凄かったなと。

鎌倉は郵便局も風情あります。一遍上人絵伝で、時宗が一遍上人の鎌倉入りを阻止した小袋坂の道筋にありました。大船行きのバスの車窓から。

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その時出ていた気になる雲。地図でみるとこの先は東京湾なんですが。

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先程の雲の写真。北鎌倉の鉢の木さんの背後でも見たのですが、地図で見たら、やはりその先は東京湾。北鎌倉駅前の通りから鉢の木さんを見るそのずっと先が東京湾だなんてと新発見気分です。雲を見てるとこういう方向感覚が育ちます。

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寝ようと思ってTLを見たら「只今満月」に大満足。出がけにポストに入っていた気になる手紙は実時の筆跡に関するお返事。鎌倉ペンクラブの講演にいらした書家さんが興味を持たれて資料が欲しいと言われて送っていたもの。お返事次第でまた一考となりかねないと思っていたらまさにそうなりました。

3月6日
昨日の建長寺禅研究会は現金沢文庫長永村眞先生と元文庫長高橋秀栄先生のお話。同じ文庫長でもタイプが全く違うお二人でした。永村先生のお話は「建長寺と称名寺ー清規・規式ー」。東大寺大勧進職の条件として廉直な僧侶という意味の禅律僧。そして更にその条件を満たす者として「関東」が冠されたと。

その方たちが栄西(寿福寺)・行勇(浄妙寺)・忍性(極楽寺)・心恵(覚園寺)。つまり鎌倉の僧侶は不正をすることがない廉直な人物だったと。京都との地盤の違いが出てますね。高橋先生のお話は仏名会について。仏名会は源氏物語をやってると馴染みの法会ですが、鎌倉では少ない。その一つに称名寺に

残る三千仏絵があり、これは軸装で軸の中にぎっしりと女性の髪の毛が詰まってることで有名です。結縁者の名前もびっしりで夜叉が。大河ドラマの太平記で宮沢りえさんが花夜叉の役名だったのはこれが元と。私も小説で主人公に夜叉を使わせて頂きました。鎌倉の仏名会は浄智寺・浄光明寺・称名寺の三例。

連ツイ済みません。朝から友と長電話。昨夜ツイートの実時の筆跡の件をメールしたらお電話を頂き、そこまできたらもう論文に書いた方がいいと。私はそこまで考えていなかったのではっとしました。ここが詰まってるから時頼の原稿が進まなかったのです。時頼の原稿を書きながら論文の準備とします。

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2015.3.9 ツイッターから転載…鎌倉文学館に行ったり、鎌倉の桜の写真展を見たりと、のんびり鎌倉を訪ねました。

2月24日
鎌倉に向かっています。午後に打合せがあるからその前に一件用を済ませたいのですが出るのに手間どってぎりぎりかも。お天気が今一だから撮影に時間をとられる心配がなくかえってよかった。それで荷物も重たいしカメラは持ってきませんでした。ほんとうにゆっくり対話するように鎌倉を撮りたいです。

今日の道中のお伴は小川靖彦氏『万葉集 隠された歴史のメッセージ』。というか、このご本はここのところずっとbagに入れていて継続して拝読中。気分屋だから鎌倉に終始している時は比企に気が向かず万葉集も無理。やっと鎌倉の源氏物語にも決着がついた余裕で今度は万葉集と。比企にも行きます。

時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける。←いいですね、このフレーズ。大好きです。時々何かあって苦しい時、このフレーズが浮かんで慰められます。こういう事があるから文学をするのは豊饒。

やっと撮れました。鎌倉の梅。江の電駅のホームから。

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江の電線路沿い。この写真の左端のこんなに細い道を歩いてきました。奥に見えている駅に電車が到着。もう少ししたらすれ違うのでちょっと緊張。

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今日の江の電。江の電・嵐電姉妹提携5周年記念、嵐電号。

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嵐電号の車両をもう一枚。(打合せが終わって帰途に。その前に一服してスマホを数枚送らせて頂きます。)

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鎌倉から長谷に向かう大通りに建つ銀行だった建物。今はbarだとか。入ってみたいですね。

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通りに面して活けられてました。特に何かの芸事のお師匠さん宅でもないような。さすが鎌倉と。

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吉屋信子記念館の塀。何だろう、この耀きはと。綺麗でした!

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鎌倉文学館がある谷戸にはかつて長楽寺がありました。佐々目遺身院の関連で調べた事があったけど、政子が建立した寺院の1つの認識がなかったので改めて碑文を。寿福寺もそうだけど、長楽寺も今からは想像できない規模だったよう。

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鎌倉文学館の前の道を笹目谷の道に向かって歩いていく度にぎょっとする標識。日常の裏にはこんなにも身近に非日常が。

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帰りの車内。また万葉集に浸って帰ります。

万葉集の本を出そうとしたらバッグの中に酸っぱい梅干しの袋。江の電のホームで疲労感に襲われてクエン酸の補給にと買ったもの。お陰で疲労回復。即効性あってその後は元気に動き回りました。

2月25日
昨日、鎌倉文学館を訪ねたら、休憩室で『ビブリア古書堂の事件手帖』イラスト原画展をしていました。海が見える窓と雰囲気のある原画。素敵でした。3月15日まで展示されるそうです。

鎌倉文学館で開催中の【冬柏山房に集まった文人たち】は貴重でした。原三渓の下で働いた文人実業家内山英保が鎌倉の御成町山頂に設けた書斎を、歌の師である与謝野寛が冬柏山房と名付けたそう。与謝野夫妻ら多くの文人が訪れたそうです。その人達の書や写真が展示されていて、晶子の短冊等もたくさん。

昨日鎌倉の文化に精通する方と懇談したのですが、鎌倉には冬柏山房のような文学散歩的に魅力ある場所がたくさんありますね。一部の人には知られていても、それが一般の方々の認識となって楽しまれるまでに至ってないというような。私が追っている源氏物語と同様のことが鎌倉全般にいえると思いました。

思い出した事。鎌倉ペンクラブの講演は【北条時頼と源氏物語】で、私としては仏法の信心篤い上東門院を尊敬する松下禅尼に育てられた時頼、という事で松下禅尼がメインのつもりでした。なのに反響は「竹御所が面白かった」。「あれを小説に書いたらいい。何だったら僕が編集してあげる」とまで。

つらつら考えて立派すぎる松下禅尼や時頼では小説にならないんだ〜と気がつきました。竹御所は波瀾万丈だし、将軍頼経とは姉さん女房の年の差婚だし、しかも若くして難産で亡くなってるし、小説的なんだろうなあと。常々文学の妖しさを標榜している私としてはわかるのですが、松下禅尼も捨て難いです。

2月27日
朝日に輝くビオラが綺麗!

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