2015.4.30 ツイッターより転載…【鎌倉の歴史を楽しむ会】を五月を最後に原稿に戻ります。
4月25日
15時11分ネパールでM7.9が発生しました。(と、心を痛めながらあえて日常のツイートをメモらせて頂きます。)
予約していた『源氏物語大成 研究篇』を受け取ってきました。こんな狭い地域に同じ源氏物語の本文研究をしている人がいるのだという感慨と、予約してその方に悪かったかなという申し訳なさと、大分長く借り出し中なのを見てたから、もしかして?と心配していた紛失でなくて良かったと、いろいろ。
4月26日
玉川上水べりの藤がそろそろ満開?と撮りに行ったら伐られてしまっていました。あんなに花芽が揃って膨らみかけていたのに。せめて満開を過ぎてからにできなかったのかなあと。西園に行ったら花壇の中にまだ低い藤。ジブリ美術館前の遊歩道です。
藤はまだ植えられて年数が経ってないらしく背丈がないから花壇の花と不思議な共存。勿忘草と一緒に撮れる藤なんて! 三鷹市では今どこに行っても花水木! アメリカから寄贈されて100年だそうですね。記念切手が出てました。
三鷹市では今どこに行っても花水木! アメリカから寄贈されて100年だそうですね。記念切手が出てました。
4月28日
『尾州家河内本源氏物語』校訂の実際に取り組んでいたのですが、国文学者の方々が今までなさってきて解決不能のことになまじ首を突っ込んでも泥沼と先が見えてきたので止めました。感覚で人事的背景は察知しましたので。昨日から時頼と源氏物語の関係に戻ろうと書き進んできた原稿を見直しています。
先日行った金沢文庫日向薬師展で久しぶりに歴史の方々の場にいたことが影響しているのかも。会う方々とにこやかに挨拶を交わし、ああ、古巣に戻ったんだ~!の感慨。鎌倉の源氏物語のことでずっと鎌倉学・国文学に埋没してたから久々の交流は新鮮でした。
昨日は「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展に。ボッティチェリを支援したメディチ家のコジモは文化人で自宅に哲学者や芸術家を招き、そこにボッティチェリも加わって思考を醸造されたそう。「春(プリマベーラ)」は背後にそれがあったからと得心。哲学は大事ですね。
サヴォナローラへの傾倒でボッティチェリの絵が火にくべられたと聞いていてボッティチェリの絵はあまり残っていないと思っていたのですが、見渡すと全部ボッティチェリという一室には驚きとともに心酔。マリア様のケープの青がとにかく綺麗でした。一点(一対?)ですがフラ・アンジェリコの絵も。
4月29日
大分長く時頼と源氏物語の原稿から離れていたから次章を何にするかまだ収拾がつかない。「時頼と蘭渓道隆・建長寺創建」が前の章。そこで蘭渓道隆が鎌倉にもたらした禅美術の章を設けようとして嵌まりすぎてしまってました。いっそ宗尊親王下向に入り一気に鎌倉の源氏物語にと思案中。そしたら最終章!
というわけで区切りをつける為に『源氏物語大成 研究篇』を返却に出てきた吉祥寺。休日の人混みに賑わう街にこんな雲が出ていました。
吉祥寺の不夜城?(笑)。この手前に大人のお肉のお店というレストランがあって年配のご夫婦など行列ができていて私も入りたいのですが、生憎主人は肉料理に興味がなくまだ未体験。誰かと……としか。
4月30日
お早うございます。12日の講座で配布する資料を纏めています。最後だからと思うと伝えておきたいものをあれもこれもと。まるで置土産と苦笑する自己がありするとだんだん撤退の言葉までが浮かぶ始末(笑)。住んでいた街を離れて汽車に乗り街がどんどん遠のく感じ。こんな時が来るとはと不思議です。
鎌倉文学館講座室をお借りしての講座はいつも月初なのだけれど、5月のGW中は鎌倉では交通渋滞が激しいから避けて12日に。常連さんが心配してわざわざお電話下さったんです。なのにまだその方達に最終回とはお伝えしてない。せめてものお詫びにと配布資料に思いを込めています。
表現することがいのちだから。そして原稿が私の表現です。