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2015.5.25 ツイッターから転載…『北条時頼と源氏物語』の原稿、第七章を「時頼と第五代将軍頼嗣」に変更。埼玉県北部地震M5.6の前兆。

5月24日
『北条時頼と源氏物語』の原稿。「第七章時頼と第六代将軍宗尊親王」を書き進めていたのですが、檜皮姫の構想が膨らんで、ついに「第七章時頼と第五代将軍頼嗣」に変更しました。やっと落ち着きました。宗尊親王を書きさえすれば完成!のところまできていると思っていたのですがしっくりこなくて道家から辿り直してます。

5月25日
14時28分頃 埼玉県北部 M5.6の地震が発生。

先程の埼玉県北部の地震ですが、前兆を探したら一昨日の朝焼けがありました。地震前兆の一つに強烈な朝焼けや夕焼けがあります。そして雲の形状として放射状(またはグローブ型)。一昨日の朝焼け時、それが北東にあって気になっていました。

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今の空@三鷹市

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今日の夕焼け@三鷹市  先程投稿の空は地殻変動が活発になった時の空で、こういう日は夕焼けになります。でも今日の夕焼けはスマトラ地震や東北の震災前に頻繁に見られたのより小規模でした。

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2015.5.24 ツイッターから転載…『女人吾妻鏡』が書けるのでは?というくらいに松下禅尼の周辺を発掘しています!特に、檜皮姫・・・

5月22日
時頼と源氏物語の原稿に戻って終日集中しました。黒幕道家がやっと理解できて原稿が進み、頓挫していた檜皮姫まで戻ってきたら檜皮姫が書けてきました。道家息の頼経が第四代将軍。その子頼嗣が第五代将軍。六歳で就任して七歳で時頼妹の檜皮姫と結婚します。上東門院を信奉する松下禅尼の娘です。

松下禅尼が上東門院を信奉したのは同じ国母の立場の女性だったから。国を治める人の母という心構えを学ぶと共に、人と共有しえない孤独をも女院となら共有できたはず。そして今度は娘が将軍の正室に…。松下禅尼が檜皮姫に上東門院について語りその際『源氏物語』に言及したとして不思議はないですね。

松下禅尼の住居は甘縄。それは頼朝が祖母丹後局に会いにお忍びで通った邸です。そこで育った松下禅尼は妖艶な丹後局に憧れをもったでしょうし、檜皮姫もまた…。松下禅尼が檜皮姫に上東門院について語る場面はちょうど国宝「源氏物語絵巻」の浮舟巻のような情景だったのでは?などと想像しました。

『吾妻鏡』に誕生と結婚と死去のただ三つの記事で存在している若くして亡くなった執権経時・時頼の妹という女性。檜皮姫の名がどこに由来するのかもわからなくて今まで気になっていながら活字の域を出なかった。ようやく生きた人として動きだしたのが嬉しい。

5月23日
朝焼けが綺麗なので撮ってきました。

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今までの経験で浅間山の方向から発生しています。

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ようやく気づいたのだけれど、檜皮は当時の御所建築。姫も御所住いの人という事。将軍の正室になってからの呼称か結婚前からのか『吾妻鏡』を確認してみるけれど、竹御所と檜皮姫は北条氏のなかでも将軍の正室となった女性として別格扱いなのですね。竹御所は比企谷にあった彼女の御所からの命名とか。

なんかとんでもない深みにはまってしまいました。掘れば掘るほど新視野が見えてきてワクワク。とんでもないことを考えてもしまいます。一応小説ではなく原稿を進めているのでどこまでこれを書いていいのか。とりあえず今まで考えてもいなかった竹御所亡き後の頼経の再婚は上洛時の道家によるものかと。

頼経について書いた論文が読みたいのだけど……。頼経の政治事情や護持僧関連は読んでるけど、そういえば頼経個人に関しての論文はなかったなあ、と。

いつも思う。今だから書けるのだと。書こうとして様々な事情で中断している時、徹夜してでも書くべきと自分を責めるのだけれど、疲労感に埋没してどうしても書けない。でも、こうして踏み込んで書けてくると、あの時書いてたら絶対にこれは書いてなかったと思う。自然に書ける時が時宜。

女人平家とか女太平記というのがあった気がするけど、吾妻鏡は女といえば政子でちっとも女人何々にならない。と思ってたら、我然、これって女吾妻鏡ができるじゃない!の気分。丹後局ー若狭局ー実朝室ー竹御所ー松下禅尼ー檜皮姫と頼嗣母(頼経室大宮局)。大宮局の姉は実朝室の兄の妻・・・。

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2015.5.22 ツイッターから転載…明治神宮宝物殿で開催の【『源氏物語』でみる宮廷装束の雅】展に行ったことなど

5月19日
昨夜完全に気持ちが「北条時頼と源氏物語」の原稿に戻る。諸々の事に引きずられていたのを全く関係のない読書に浸ったからかな?むずむずしてこんなことしてる場合じゃないでしょ!というフラストレーション。『北条時頼』を開いたらスーッと馴染んだ。この方法いいかも。宗尊親王下向の前に五代将軍頼嗣です。

村井章介先生が「寛元宝治建長の政変」と仰ってるそう。寛元は頼経が帰洛させられた宮騒動。宝治は三浦氏が滅びた宝治合戦。建長の政変で頼嗣が帰洛。結局三つとも京の道家が黒幕で、建長の政変で完全に敗北し失意のあまり亡くなります。その結果宗尊親王の下向に。宗尊親王の前に頼嗣を書かなくては!

今日の道中のお伴は現代語訳吾妻鏡13『親王将軍』。頼嗣が登場する条はほんとうに少ない。偉大な父頼経と次の宗尊親王に挟まれ深い峡谷の流れのように微かに垣間見えるだけ。でも純粋で多感な十代の少年。将軍として崇められその自覚がついた頃突然降ろされ京に帰還。どんな気持ちだったでしょう。

八王子駅ビルから丹沢の連山遠望。

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5月21日
明治神宮の森です。

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明治神宮大鳥居。参拝は何十年ぶりです。学生時代には初詣に毎年来てたのに。

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明治神宮本殿は撮るのを避けて参拝だけ。でもこの神聖な空間を記念に残したくて何の建物かわからないけど一枚。

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こちらに来ました。明治神宮宝物館「源氏物語でみる宮廷装束の雅」展。堪能しました。国宝源氏物語絵巻の「柏木(二)」から、夕霧と柏木に仕える五人の女房の装束の復元。ただそれだけの点数ですが何よりの見応えでした。

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私がこの展示にどうしても来たかったのは、源氏物語を読んで感じる装束と、現代のとに違和感があるから。こちらの展示は以前にも来ていてその違和感がないんです。今日の展示で決定的だったのは、現代の十二単は15㎏。対して復元では8㎏になったとか。軽さに配慮のそういう考証が嬉しい。

明治神宮「『源氏物語』でみる宮廷装束の雅」展。パンフがなかったのでメモしてきました。少し連ツイ。有職文化研究所源氏物語プロジェクト・仙石宗久様のご挨拶です:

 国宝『源氏物語絵巻』の「柏木二」から夕霧や柏木に仕える五人の女房の直衣と十二単をその時代さながらに再現しようと思ったが、その時代の染色や蚕の子孫さえ絶えてしまっていた。
 『枕草子』に絹糸について「うるはしき糸のねりたるあはせぐりたる」とあり、夏の直衣は「蝉の羽よりも軽げなる」とあることから、源氏物語の時代の宮廷装束は光り輝く光沢でフンワリと質感の軽いものだった筈。
 まず繭糸から作ることにして、実験の結果5種類の蚕を選択し、北信濃の五件の農家に繭の塩漬けまでを依頼。
 染色の再現も兵庫の農家の協力を得て茜・紅花・紫草を自家栽培。椿の灰や藁の黒灰も自家製造。
 機織りは京都の能装束専門の織師に委嘱し、今に残る手機で糸に縒りをかけずに織った。
 最後の仕立ては有職文化研究所の熟練の装束師が仕立てた。
 源氏物語の時代の着物は素晴らしく薄くて光沢のある絹でできていたので、表の織物の色に裏の織物の色が写って「重ねの色」という日本独特の色の文化を生み出した。だから、現在の宮廷装束にみる「おめり」はなかった。
 「夕霧大将の桜直衣一式」と「柏木権大納言付き女房たち五領の十二単」は12年の歳月を経て完成。できあがってみると、一式まとめても8㎏を下回り現代の半分以下の軽さとわかった。

と以上ですが、この展覧会が12年もの歳月をかけて実現したことに驚きとともに深い感銘を受けました!

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2015.5.16 ツイッターのプロフィールに加筆しました。

プロフィールに加筆しました:【鎌倉の源氏物語】を主軸に歴史に古典を読みこんで、従来の歴史と違う隠れた鎌倉の歴史をお伝えしています。最近【寺院からみる文化史】という視点が浮かび、今後はそれを深めていこうと考えています。建長寺と源氏物語、妙本寺と万葉集、明王院、浄光明寺と海蔵寺等…

エゴノキの花が玉川上水べりで満開。花言葉は壮大だそう。固い実になるのでお手玉にしようと母と拾いに来たことも思い出です。

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梅花ウツギ。好きな花なんですけどあまり見なくて、こうして見つけると嬉しい。

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ラピスラズリのような色の魚が。朝、野菜を買いに行った緑化センターであまりに綺麗で家に連れ帰ってきてしまいました。ベタという種類だそう。綺麗だけど別名闘魚。

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2015.5.14 《鎌倉の源氏物語》に関わって25年、節目でありケジメでもあるこの時にと経緯を年譜にまとめました。それと、Twitterのアイコンを変えました。

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鎌倉文学館で源氏物語展を開いて頂いているので、私が『尾州家河内本源氏物語』という写本に出逢ってからの鎌倉の『源氏物語』の普及活動の経緯を年譜にしました。講座最終回にお配りしたら「出逢ってから25年になるのですね」と。感慨深いです。

ふつうに生活していると野心とか野望は汚い言葉に入れられ使うのを憚る方が多いです。でも心に野心とか野望がなかったら何もできないし進まない。鎌倉での源氏物語の普及活動を始めてから「これは偉大なる野望なのだ」と心に野心を持ちました。それがばねになってここまできました。

プロフィールのアイコン画像を変えました。ちょうど心機一転の12,001番ツイートです。12日の鉢の木さんでの【鎌倉比企文化交流会】での記念写真から。鎌倉文学館講座室をお借りしての講座の最終回を無事に務め、その夜の比企のお客様方をお迎えしての懇談。ほっとしたのかいつになく自然体に撮れて。

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2015.5.13 鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】、最終回の第六回《将軍頼経と仙覚 ―比企の偉大な文化遺産「国宝 慈光寺経」―》を無事に終了。その後比企の方々と「鎌倉と比企文化交流会」をしました。

5月7日
最後の牡丹@建長寺 今年は花の季節に鎌倉に行かれなくて桜も藤も建長寺様の牡丹も。諦めてたら一輪、この黄色い牡丹がまだ咲き残ってくれていました。

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建長寺様の池にカワセミ。こんなビューポイントで見るなんて。一眼レフを持ってなかったのが残念。

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北鎌倉駅ホーム脇の落石危険で通行止めになったトンネル。今日見たらトンネルを覆っている樹木は藤だったのですね。高い位置に少し藤色の花房が見えて気がつきました。真っ盛りの時を見たかった!

建長寺様の禅研究会に行っていつもお会いする先生から『源氏物語 月への想い』というご本を頂く。仏教の先生なのだけれど私が源氏物語をやっているのをご存じだから、お手元にあるご本をこうして時々頂く。青井紀子様という方のご著書。ご自分の読みで源氏物語を書きたいと思われたそう。いいなあと。

5月10日
明後日の講座に使うスライドです。比企に九条兼実ゆかりの神社・寺院があるところからその関係を探って作りました。兼実の失脚から没年の間に比企の乱と新古金集完成が。

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慈光寺経のスライド。慈光寺にあります。後京極良経の急逝を悼んで九条家が制作しました。平家納経・久能寺経と共に日本三大装飾経として国宝に指定されています。なぜこれが比企に?が謎です。

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背景の継紙は手元にあった料紙をちぎったり切ったりしてそれふうにちりばめて遊んでみました。

5月11日
埼玉県比企群ときがわにある山岳寺院「慈光寺」の全体図です。こんな都から離れた比企の山中に、なぜ、慈光寺経のような国宝が? が明日のテーマです。

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埼玉県比企郡の比企氏に関係ある史跡のスライド。

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5月12日
鎌倉文学館講座室をお借りしての講座、今日が最終回だけれどやってきた甲斐があったといい切れるほど手応えを感じています。と思っていたところに、鎌倉のある方から、今日は行きたかったのだけれど、大切な法要があってと、残念なお気持ちをわざわざ携帯にお電話頂きました。震えました。湘南ライン車中にて。

思ったのだけれど、鎌倉は文化人の方はもう旧来の文化で固まっていられるし、行政ではあまり文化を考えて頂けない。寺院にはそれぞれゆかりの文化を背負う歴史の人物がいて、寺院はその方たちを大切に守ってられるから、寺院繋がりで鎌倉の歴史を深めていくのがいいかも。寺院の方は皆様お心が深いし。

最後の鎌倉文学館。お世話になりました。

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5月13日
やることはすべてやったという安堵で就寝して起きたらTLがネパールの地震と宮城県沖の震度5。昨夜も二次会で今の世を憂える方の話に終始したけどそれは私も同じ思いではあっても今の私にはそれは心に収めて私は私にしかできないことをするしかないと覚悟しています。

昨日は鎌倉文学館講座室をお借りしての講座に比企の慈光寺経をテーマにしたら比企からお客様がいらして下さって、終了後鎌倉と比企の文化交流会に発展。双方で熱心に文化活動をされている方々だから盛り上がりの凄かったこと!お繋ぎする役目ができて講座最終回の大団円でした。

800年ぶりに(比企の乱から)比企の方が鎌倉の方と交流するという感慨の昨夜の会。会場の鉢の木です。最初、薩摩琵琶の坂麗水さんに演奏して頂いて鎌倉ならではの文化から始めました。

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昨夜の【鎌倉と比企文化交流会】の参加して頂いた方からメールで「歴史と人のつながりの醍醐味を満喫しました」と。ほんとうにそう。歴史は知識ではなく文化。人と人の交流の証です。

鎌倉の方から鎌倉文学館講座室をお借りしての講座、【鎌倉の歴史を楽しむ会】最終回の会場の写真を送って頂きました。記念にアップ。背景にある茶色いバックに6枚貼られたチラシは講座の第一回から最終回まで。主宰して下さっている方が最終回を記念して作ってきて下さったもの。綺麗だからと。

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2015.5.5 ツイッターから転載…鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】。第六回のテーマは《将軍頼経と仙覚 比企の偉大な文化遺産―国宝「慈光寺経」―》

5月4日
12日の講座の準備をそろそろ始めようと。テーマは慈光寺。比企と鎌倉を繋ぎます。ということで慈光寺の写真を出してみたら、慈光寺から下りてくる途中の板碑群の写真が出てきました。これは有名で、これを目的に訪れる研究者さんもいられます。

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文化は知識ではなく体験なのだと。12日の会を最後にすると決めたら、言い残した事をせめて感じとるよすがにして頂きたいと、過去に書き散らしたものやチラシ・DM等を配布物として纏めました。そうして湧いた思いが文化は感じ取るもの…と。いろんな情報を多角的に摂取して自分で感じる事が大切と。

今夜は満月が綺麗でした。吉祥寺からの帰り道、満月に向かって歩きながら、この光のなかでひとつ思いが成就するのだなあと。配布物として纏めたものを作り終えて、明日からいよいよパワボの編集に入ります。(仮寝して起きて頭が冴えてます。でも寝なくちゃ! 惜しいけど)

そして、今日はもう十六夜……

5月5日
朝からいろいろなことで電話。いいことなのに人と人をお繋ぎするのは難しい。それぞれのお立場、思惑がおありだから。実現したら凄いこと。こんなところまで来たのだなあと文学館の講座を有終の美で終えられそうな、最後の難関と気を引き締めてます。

鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座【鎌倉の歴史を楽しむ会】は、昨年7月7日に建長寺様主催で行った講演「七月七日と源氏物語」を受けて、鎌倉の方が「これをこのままで終わらせてはいけない」と立ちあげてくださった会。受講者様には鎌倉でガイドをされてる方もいらして「知らなかった歴史」に

驚かれながら皆様楽しそうに聴き入って下さってます。長く続けたかったのですが原稿にもかからなくてはならないから今回を最後に。常連さんも増えて精神的な繋がりでお伝えしたい根本を理解して頂けた安堵もあります。そうしたら今朝のお電話で予想外の展開にも。やった甲斐がありました。

第六回【鎌倉の歴史を楽しむ会】のお知らせ:テーマ《将軍頼経と仙覚 比企の偉大な文化遺産―国宝「慈光寺経」―》。日時:5月12日(火)13:00~。会場:鎌倉文学館講座室。参加費無料。各自入館料をお払い下さい。

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