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2015.6.24 ツイッターから転載…印刷博物館「ヴァチカン教皇庁図書館展 Ⅱ」に行ったこと、10月開講のTAMA市民塾【鎌倉の万葉集と源氏物語】募集のことなど。

6月21日
西洋絵画のような綺麗な空でした。

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6月22日
『薔薇の名前』を読み返したくなっているのは印刷博物館の「ヴァチカン教皇庁図書館展」が気になっているからだろうけど、松下禅尼の小説の導入部も考えているからだと思う。鎌倉は凝灰岩という岩山の土地だから。鎌倉の地質学の本、借りて来ようかと。地質学、結構好き。

トマス・アクイナス。もう茫漠とした霧の彼方で、どうしてそれを読んだりしてたのかもわからないくらいだけど、懐かしい。そんな時期もあったのです。

6月23日
文化は大切。読書もとても大切。若い時の学習は実利的にはなにも役立たなくても全部大切。私は本を読んでも映画を観ても内容を覚えてなくてあきれられるのだけれど、原稿を書いていて必要な時に、あ、あの本と、すぐ思い浮かぶ。忘れたのではなく意識の底に沈んでいたのだなあと。だから、経験は大切。

と、朝になってもトマス・アクイナスを思い出せなくて、なのに昨夜からカルチャーで今道友信先生の「追っかけ」をやって講座のあと新宿駅まで不躾にも質問をしながら歩いた記憶が甦り、幸せな気分が続いています。

印刷博物館「ヴァチカン教皇庁図書館展 Ⅱ」、行ってきました。それはもう夢見るような空間。映画の世界に迷い込んだようでした。昨日来脳裏を離れないトマス・アクィナス、『神学大全』があったり、別の本では肖像画が載っている頁が展示されていたり。正夢のようで不思議でした。

ダンテの『神曲』にボッティチェリが挿画を描いていたり…。この展覧会については別の視点でも思うことがあったのですが、ゆっくり時間がとれるときにツイートさせて頂きます。

つまるところ、私は結局「本」が好きなんだなあと。本を読むのが好きというのでなく、本という形態が好きというのでもなく、本を作る人、本を守る人、本を広めようとする人の意気込みというか、文化にかける意志というか、そういった永遠の人知の世界が。

6月24日
印刷博物館入口のオブジェ。昨夜これと一緒にツイートしようと思ったのに写真ギャラリーの記録が全部消えていて何故だかわからず大切な写真もあったのにとショックでした。今見たら復活してました。

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鎌倉の海。去年の今頃の写真です。消えてしまったと思った写真ギャラリィの中の一枚。このあと藤沢の清浄光寺(通称遊行寺)を訪ねたのでした。なぜここに?と異形の天皇後醍醐天皇像がある不思議な寺院。為兼も訪ねているはず。

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10月開講のTAMA市民塾の講座【鎌倉の万葉集と源氏物語】、6月に始まった募集の途中経過のお知らせが届きました。現在20名とか。定員は32名。7月15日締切だそうですのでよろしかったら。参加費、3000円。鎌倉文学館での連続講座を今度は多摩で。

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最終回の『徒然草』だけ鎌倉ではしていません。金沢文庫から出発した私の鎌倉の歴史探訪は金沢文庫と兼好の繋がりの読みはたぶん深いです(と、自負)。

付け刃の知識で間違っていたら済みません。印刷博物館「ヴァチカン教皇図書館展Ⅱ」で思った事を少しツイートさせて頂きます。「15世紀中葉に教皇ニコラウス5世により始められた図書館は当初3500冊の写本によって構成され、それらは人文学研究に関わるものだった。これらは各地で見つけ出されたり

購入された古写本で中には教皇たちによって書写されたものもあった」(聖ローマカトリック教会尚書長ジャン=ビュルゲス氏ごあいさつより)。というふうに展示は始まりました。そしてそこにユマニスト(人文主義者)が関わってきます。「ユマニストは古い書庫や修道院を訪ね歩き、ギリシャ語やラテン語

原典を積極的に探し出した。書物を渉猟する中で、ユマニストはより善く生きるための人生の理想をホメロス、アリストテレス、プルタルコス、ユークリッドが著した古典から学んでいく。王族・貴族からの依頼に応じて、自分自身必要な知識と教養を身につけ、素晴らしい書籍を探し販売した古書籍商の活躍も

あった」「ユマニストにとって古典文化は重要なインスピレーションの源でもあった」(図録・中西保仁氏)。←と、こんなふうにして写本が集められグーテンベルクの印刷技術の発明で広まって、そして現代の私たちが「古代から連綿と受け継がれてきた叡智をもとに、化学・医学・建築・技術・占星学・

博物学」などを浴びることができている訳です。叡智は、文化は、ただそれ自体では広まりません。人を介するからこそ今に伝わるのです。その「人」は「価値」を知っているから。だからこそ大変な労力を尽してまで遠くまで行き探しまわったのです。私はここで鎌倉の源氏物語を重ねあわせて観ていました。

鎌倉で鎌倉の源氏物語たる「河内本源氏物語」を始めた源光行は平家に仕えていて源平の争乱で鎌倉に下向した人です。仕える主人だけでなく命までも何度も危うい目に遭いながらそれでも源氏物語の校訂を止めずに子息親行に伝え、親行が完成させました。昔の人の書物にかける思いは叡智への畏怖ですよね。

補記:印刷博物館のガラスの展示ケースに収められた大きく美しい書物を観ながら、これでは寝ながら読むのは物理的に無理、ましてもったいなくてできないと痛切に思いました。現代の書物に対する敬虔な意識の欠落は仕方ないとしかいいようがありません。命がけだった昔とあまりに違い過ぎます。

講演が終わったらと溜めていた所用をだいたい片付け終わりつつあり気持ちは既に時頼と源氏物語の原稿に入っていってるようだけど、あとは最終章宗尊親王と思っていたのが、実時を書かなければならなくなりそう。ほんとうにいつになったら宗尊親王になるのでしょう。実時、スルーするつもりだったのに。

実時というより、清原教隆……。そうしたら親行が書けるし、やはりここを押さえなければ、鎌倉の源氏物語はないだろうな。←と、俄然書きたい意欲が湧いたのでした。これをツイートしてて。

どうも私は決まったことを書く事が苦手。あとは宗尊親王を書くだけと、それはもうわかっていることだからまとめればいいだけと、そう思えば思うほど書きたい意欲がなくなって、ではどこに深めるべき謎がある?と熟考してたら教隆が浮上したのでした。謎の解明が書く楽しみ。

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2015.6.23 ツイッターから転載…鎌倉ガイド協会で無事に講演を務めさせて頂いて「鎌倉の源氏物語の問題は、やるべきことは全部やった!」の境地です。

6月13日
鎌倉に向かっています。無事にこの日を向かえられたことに感謝。気力はあるのだけれど虚弱なのか講演前はいつもはらはら。油断しないよう気をつけていてもです。今回は長びく寒気が致命的でした。人はいつ何があるかわかりませんね。こういうところが講演の光行さんや仙覚さんと一緒といつも思います。

講演が無事に終わりました。鎌倉文学館の講座に通って下さった方々との再会。お一人お一人お会いする度に手を取り合って喜びあう不思議。皆様が文学館の講座の終わりを惜しがって下さって冥利に尽きました。鎌倉に家族ができたみたいな感じです。鎌倉の源氏物語と万葉集、しっかり受け継いで頂きます。

鎌倉ガイド協会は会員100人ほどとか。今日はいつもより多いご参加で65名様ほど。会場はほぼ満席でした。中に三々五々鎌倉文学館で見知ったお顔があって皆様にこにことこちらや画面を見て下さる。超特急で二時間、紫式部の源氏物語執筆から鎌倉滅亡まで。皆様メモとる余裕もなく濃い中身でしたと。

道中のお供に重たい赤い本をもってくる訳にいかないから青空文庫で源氏物語を読んでいるのですが、あれ?源氏物語ってこんなに軽い文章だったっけ?と。わかりやすいのはいいけれど、絶対的に何かが足りない。与謝野晶子訳は古文に近いといわれてこれなのだから、現代語訳は源氏物語とは異質?

6月14日
今日から新しい段階に入るので総括として昨日の鎌倉ガイド協会の講演について。幹事さんは鎌倉文学館の講座にいらして講演を思い立たれたのでしたが、昨日伺ったお話ではその日ガイド協会の方とお会いしてどこに行くんだ?と訊ねたらこんな講座があると教えられ、予定を変更して一緒にいらしたそう。

それが文学館の講座の初回で、その日にもう講演のオファーを頂きました。当日の朝のたまたまの出会いがガイド協会の方への鎌倉の源氏物語の普及になった訳です。この活動に入って偶然というより必然としか思えないこういう不思議がよくあります。こういう時思います。地下の光行さんに守られていると。

やっと来ました。谷崎の手紙の後援会に来そこねて機会を逸しなんとか最終日に。定家の手紙を見ただけでも感服。賀茂真淵と本居宣長の師弟愛、鴎外の筆跡にほれぼれ。谷崎の手紙は本当は私は松子夫人の手紙を見たかったのだと。

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昨夜『源氏物語と鎌倉』を購入して下さったお話を頂戴したのでアマゾンを見たらランキングが跳ね上がっていました。今まで私のツイッターは鎌倉ガイド協会の方にバレてなかったと思うのですが、昨日の講演の後どなたかがみつけて下さったようですので、この場をお借りして「ありがとうございます!」

6月15日
おはようございます。様々な事が終わって新しい朝。気になってい地震、小笠原5.4で済んでよかった。手紙展、よかったけど私は本当は松子夫人の手紙を見たかったのだと行って気がついた迂闊さ。それほどTVで見た松子夫人の墨跡が素晴らしかった。明日が新月だから今日の予定はしっかりこなして。

6月16日
図書館に少しでも関わった本があると嬉しい。『鎌倉廃寺事典』を借りに行って。

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津島家から寄贈されたという「太宰治資料展」(於 三鷹市美術ギャラリー)に行きました。「スケジュール表を作らなければならなくなったほど依頼原稿が増えた時期」が三鷹だそう。太宰は「文を井伏鱒二に、文人を佐藤春夫に学んだ」そうです。

三鷹市山本有三記念館。進駐軍に接収されるまでここに住んで「路傍の石」を執筆されたそうです。現在交友録を開催中。太宰治資料展にいらしたら、近くですので散策にお立ち寄り下さい。

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6月17日
野ばらでしょうか。そう思って撮ったのですが。2010年5月、埼玉県比企郡菅谷館跡にて。中世武士ゆかりの史跡に野ばらが意外でした。写真を整理しているといろいろ出てきます。

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6月18日
黄色い睡蓮が咲きました@井の頭公園の小さな水生植物園

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角度を変えて。咲き始めたばかりなのでまだとても瑞々しいです。

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やるべきことは全部やったと自負するくらいに講演も講座もその時々の要望もしてきたけれど、今年はまだ鎌倉で鎌倉の源氏物語を七夕の日に祝う行事の実現に至れなかった。焦ってはいないけど、この際私一人ででも祝おうと目下頭の中でぐるぐる思案を練っています。しつこいです、私(笑)。

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2015.6.22 ツイッターから転載…松下禅尼の小説を書きたくなっていること、建長寺鎌倉禅研究会に行ったこと、『源氏物語』を読み返していること、など。

6月9日
時頼と源氏物語の原稿で松下禅尼のキャラが粒だってきて彼女を主人公の小説を書きたくなってきたとある方にお便りしたら、今メールが届いて、ご自分たちが習った修身の教科書のようなイメージをひっくり返して華麗で波瀾万丈の生涯を書いて下さいと。ただ名前がないと困るから考えてと。どんな名前に?

一時期長い文章を否定し簡潔でわかりやすい文章をよしとするツイートばかりがRTされてきて嫌な時代と思っていました。意識して詩や哲学のような深い文章をツイートされる方にTLを埋めて頂くようになったら、私もそういう文章を書きたくなってここのところむずむずしています(笑)  と、徒然に。

夕刻の吉祥寺。徒然の時間を楽しんでいます。夏までに仕上げなければならない原稿が数本あるのに気持ちはもう松下禅尼の小説になっていて、プロローグは紫式部と上東門院が新楽府を挟んで対話しているところかな?などと。それとも頼朝がお忍びで甘縄の安達盛長邸へ丹後局を訪ねたシーンから?

松下禅尼を書くことは、三代執権泰時の時代から、夫時氏の六波羅探題赴任に従った京都時代、四代執権経時・五代執権時頼の母として、宮騒動、宝治合戦、頼嗣と桧皮姫の結婚から道家の失脚まで、鎌倉時代の一時期を網羅することになるから、鎌倉幕府を陰で支えた女性として最も魅力あるかもしれない。

またこんな時間に起きて源氏物語薄雲を。冷泉帝が僧侶から出生の秘密を聞かされ知る段。「夕日花やかにさして山ぎはの木ずゑあらはなるに雲のうすく渡れるが鈍色なるを何とも御目とまらぬ頃なれどいと物あはれにおぼさる」。最後に読んでからもう20年はたつのに忘れていないことに驚き。

松下禅尼を小説に書くとしてどんな文体で?と考えていたけどこれならばという安堵の感覚。今風にわかり易い文体でとなると気構えてしまうけど、紫式部の言葉の繰り出し方は喉元から自然に出てくるものを紡ぐだけだからこれならばと。よほど私は文章の身につく段階の前に源氏物語に馴染んだみたい。

薄雲を読む直前まで司馬遼太郎『空海の風景』みたいな方法でと考えていたのに、読んだ後はこれも理が勝っていると排除。紫式部の文体は息継ぎと同じなのだとしみじみ実感。心理小説などというものでなく心理が言葉になったもの。長く遠ざかって理の世界にばかりいたから少しずつ戻ることにします。

要は草子地の概念かもしれない。一人称でも三人称でもない外からの視線。歴史を見る視線あるいは人間を人生を見る視線。リアリズム小説にはない視線。

6月10日
薄雲巻は岩波日本古典文学大系では第二巻。須磨巻から収まる。ちょうどいいので須磨から読み返そうかと。岩波のこれは赤い本。大学院の聴講生になった時に持って行ったら院生さんは新しい小学館の白い本。仕方なく買い直しました。でもこの赤い本は山岸徳平先生校注。高校時代から憧れだった方です。

明けぬれば、夜ふかく出で給ふに、有明の月いとをかし。花の木ども、やうやう盛りすぎて、わづかなる木蔭のいとしろき庭に、うすく霧渡りたる、そこはかとなく霞みあひて、秋のあはれに、多くたちまされり。(須磨巻 須磨に立ち去る光源氏が別れの挨拶に亡き葵の上の左大臣邸を訪ねた朝の描写です)

6月11日
道中のお供に赤い本をもって出ようと思ったのだけれど重すぎて青空文庫に。こちらは青い本になるのかな(笑)。昨日どうして『源氏物語と鎌倉』であの紙にこだわったか赤い本を読んでいてわかりました。この本だったのです。薄くて少し黄色みがかって艶のある。指触りが心地よくこれが好きでした。

『源氏物語』の文章にとりつかれてます。リアリズム小説は三人称ですがどんなにうまく書けていてもそれは舞台と同じで私には違和感があって馴染めない。源氏物語は三人称なのだけど時々書き手が顔を出す。紫式部は客観という事を天性に持っていて完全なる虚構ということさえも拒否してるのだなあと。

建長寺様の池にカワセミ。この前来た時と同じ。まさか今日もとは。定位置になったのかな。一眼レフで撮りたい!とまたも後悔。

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今日の建長寺様仏殿と法堂。白い紫陽花と。

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建長寺様の紫陽花とビャクシン。

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花供養塚近くに咲いていた可憐な紫の花の木。なんという名前でしょうか。

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鎌倉だけでなく、今年は紫陽花の花の色が濃い気がします。

気になっています。
11日14時30分頃 三陸沖 M4.7
11日13時56分頃 三陸沖 M5.4 
11日13時51分頃 三陸沖 M5.7
11日13時45分頃 三陸沖 M5.8
10日17時45分頃 三陸沖 M4.8
10日17時33分頃 三陸沖 M5.6

6月12日
建長寺様開山蘭渓道隆は、鎌倉時代多くの中国僧がいられる中で唯一ご自分の意志で来られた方です。それは入宋した日本人の僧から日本ではまだ禅宗が普及していないと聞きそれでは自分がと思い立たれたから。以降の来日僧が招聘された方々なのに対し生誕地がわからなかったのもそういう事情からでした。

昨日建長寺様の禅研究会で伺ったお話を連ツイさせて頂きます。この度生誕地が判明し先月建長寺の管長様はじめご一行が四川省重慶の涪陵(フリョウ)を訪ねられました。生誕地は芝蘭荘という村で、そこは芝蘭河と漁渓河が合流して揚子江に流れ込む地域。蘭渓道隆の蘭渓はその二つの河の名前からとったのではと。

蘭は今でも村に咲いていて禅師には懐かしい花。孔子に「芝蘭生於深林/不以無人而不芳」とあり君子と結びつけられる花だそうです。村でも蘭渓道隆のことは知られてなかったのですが、一人の老人が「ここは鑑真の生誕地で日本に渡って偉い僧侶になった」と語ったと。おそらく蘭渓道隆ことでしょうと。

私も蘭渓道隆というお名前が他の中国僧の方々となにか違うなあと惹かれていたのですが、故郷を捨てて日本に布教に渡り二度と帰ることのなかった禅師の思いがそこに集約されているのですね。深い森の中で誰一人観る者がいなくても蘭は芳しい香りを放つと。

写真をやって文章も書く私としては蘭渓道隆の足跡を追ったルポをやりたくてたまらなくなっています。芝蘭荘の蘭、観たいですね!

早いものでとうとう明日に迫りましたと明日の講演の幹事様からメール。昨年九月に始めた鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座の初回に聴いて下さりその場で講演の機会を頂きました。鎌倉ガイド協会の方です。鎌倉の歴史は熟知してたはずがこんな歴史は聞いたことないと。楽しみに伺わせて頂きます。

宝塚歌劇の『新源氏物語』のポスターに溜息がでました。観るのが怖いくらい。それにしても源氏物語はやはり藤ですね。私もいろいろ迷って明日の講演のタイトル画面背景を藤に替えたばかりです。

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明日の講演用パワポ、終わりました。これは今までにない一枚。今まで『尾州家河内本源氏物語』を金沢文庫に収めたのは実時と思っていましたが、実時の孫の三代当主貞顕説に気持ちが変りました。なぜなら金沢文庫が整うのが貞顕の時代だから。

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2015.6.8 ツイッターから転載…秋開講のTAMA市民塾【鎌倉の源氏物語と万葉集】のお知らせと、鎌倉での《鎌倉の源氏物語》の普及活動を完了しての感慨

6月4日
紫陽花。昨日夕焼けを取りに行った玉川上水べりで、持ってって!とたくさん頂き、玄関に活けました。たくさん咲いてもったいないから切ってきたの、持ってって貰って嬉しいと。私も嬉しい。

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6月5日
図書館に来たら掲示されてました。募集が始まっています。秋開講のTAMA市民塾。織田百合子【鎌倉の源氏物語と万葉集】。10月から毎月第4木曜午後。3月まで。無料です。

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カリキュラムです。一回から三回まで【源氏物語と万葉集】、四回は『十六夜日記』、五回は『とはずがたり』、六回は『徒然草』。すべて鎌倉と密接な関係の古典。人と人との交流で読み解くと鮮やかにその当時の歴史が浮かび上がります。084_3
楊貴妃の花、未央柳。三鷹ではどこに行ってもこの花が街路に溢れています。長恨歌の対句なのに俊成本で見せけちにされているのを光行が疑問に思った花。雄しべが柳のようとか。命名にびっくり。

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6月8日
今日から13日の講演準備。ほぼ10年鎌倉の源氏物語問題に取り組んできてたぶんこれが最後。鎌倉で制作された「河内本源氏物語」は学者さん達専門家間では周知の事実でした。でも一般の人には知らされてなくて、一般の人はただ「武士の都鎌倉」を信奉させられていただけ。女性もしぶしぶ武士文化を。

なぜそんなことがというと、『源氏物語』は京都の文化だから鎌倉の『源氏物語』は研究の対象外。鎌倉は内乱史だから歴史学者さんも『源氏物語』はスルー。ということで死角に入っていたのでした。私は文化は一般の人が享受してこその価値と思うから必死になって普及活動に務めました。それはある意味

専門家の方々を敵に回すことだから嫌な思いもたくさんしました。落ち込む私に専門家でない鎌倉の方が「貴方は世界で誰もしていないことをしてるのだから」と励まして下さいました。私の講演を聴いて下さった方は皆様目を輝かせて「こんな歴史知らなかった」と仰います。今鎌倉文学館で源氏物語展が開催

されていますが私が活動をはじめた当初からみれば隔絶の感です。でもそれは私の役目が終わったことを意味します。なので今は成すべきことは全部やったの充足感のなかにいます。13日の講演は鎌倉ガイド協会の会員さんがお相手です。鎌倉の歴史に精通する方々に鎌倉の源氏物語の歴史を加えて頂きます。

こんなに見事にはっきりと「やるべきことはやった!」という感触を得るなんて、人生でそうそう掴めるものではありませんよね。その驚きのなかにいます。(ただ10年も鎌倉の源氏物語問題にどっぷりだったから、その前に何をしてたか忘れてしまっていて過去に書いたものを見て気を取り直し中です)

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2015.6.4 規模の大きな地震が多いですね。先月から強烈な朝焼け・夕焼けが続いているのが気になります。

 4日04時34分頃 釧路地方中南部 M5.0 震度5弱
 3日20時39分頃 釧路地方北部 M4.0 震度3
 3日06時05分頃 父島近海 M6.0
 3日03時39分頃 岩手県沖 M3.7
 3日01時41分頃 東京都多摩東部 M3.6
 2日17時51分頃 父島近海 M4.0
31日03時49分頃 鳥島近海 M6.3
31日02時22分頃 硫黄島近海 M5.6
30日20時24分頃 小笠原諸島西方沖 M8.1 震度5強
25日14時28分頃 埼玉県北部 M5.6 震度5弱

先程北海道釧路地方でM5.0の地震がありました。震度はまたも5弱。先月30日に小笠原諸島西方沖M8.1で震度5強があったばかりというのに。

マグニチュードもM5以上が頻発しています。こんなこと、私が地震雲の観察をはじめてから初めてです。気になっています。

冒頭に気になった地震を列挙しました。関東在住なので関東以北の地震です。岩手県沖M3.7はここでは小さい規模のほうですが、岩手県沖が発震すると三陸沖に連動するので要注意として気にして観ています。

ここのところずっと文学・歴史に関わって雲の観察から離れていたのですが、最近空が気になっています。気になりはじめたのが先月中旬頃からでしょうか。5月23日に朝焼けがあったのでした。それは25日の埼玉県北部M5.6の地震となって結果が出ました。

以下、写真を列挙します。

◆5月23日 北東・南東の雲の朝焼け→25日の埼玉県北部M5.6の地震

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◆5月25日 昼に埼玉県北部M5.6の地震があったあとなのに更に空がおかしくなりました。→30日の小笠原諸島西方沖 M8.1

地殻変動が活発な時の空

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夕焼け

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小笠原諸島西方沖 M8.1の前兆と思われる雲(夜、気になって撮りに出たほどの雲です)

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◆5月31日 またも夕焼け。前日に小笠原諸島西方沖 M8.1があったというのに。

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同じ時刻、南の空が不審でした。→3日の父島近海 M6.0

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◆6月3日 またも強烈な夕焼け。

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そのアップです。レリーフ状に焼ける雲があって、今までで一番強烈な焼け方でした。先程釧路地方中南部 M5.0が発生していますが、前兆として違うような……。まだこれからが要注意を思います。

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2015.6.3 ツイッターから転載…久々の『吾妻鏡』講読会参加のことなど

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6月1日
無事に家を出て吾妻鏡の会に向かっています。半年毎に当番が回ってくるから、今日が終わると少し気が楽。でも次の回はすぐきます(笑)。今日は義経の追討宣旨。昨夜は天使の図録を観る娘の隣で虐賊がとか征伐とか物騒な読み下しの練習。互いに笑ってしまいました。

吾妻鏡の発表担当も終わって残すは鎌倉の講演だけ。講師の先生にご報告がてら今まで応援してくださったことへのご挨拶をしたら「えっ、止めちゃうんですか」と。やるべきことはやったという充足感のなかに今もいます。よくやった!と我ながら思います。

気が抜けて?からかやたら眠くて。望洋と先の時間の広がりがあって、久々の吾妻鏡の会の方とのお昼も会話が弾みました。休んでいる間に新しい方が増えて初対面のその方たちとも。なんか、自由だなあ・・・

6月2日
昨日嬉しかったこと。私のブログを見て比企氏末裔の方からメールを頂きお会いしたのが三年前。以来交流して、彼女から紹介して頂いた比企氏に尽力される方を先日鎌倉で鎌倉の方々とお繋ぎした。彼女には吾妻鏡の会の先生を紹介して差し上げていて、昨日彼女から先生に直接指導を受けて解明できたことが

あると聞いた。彼女も歴史家ではないけれどご自分の育った家に伝わる伝承を懸命に調べて本を出された。従来歴史家の方が読み飛ばしていられるところに疑問を持って解明に努力された。私の先生はそういうことに耳を傾けてくださる方だから、良かった!『比企遠宗の館跡』、比企尼の夫遠宗の館です。

蛇足ですが私の鎌倉の源氏物語問題も大抵の学者の方は学者でない私がしているから無視された。けれど吾妻鏡の会の先生は認めてくださって講演も何回もさせていただいた。昨日これまでには貴様は何者だ!と攻撃されたこともあって落ち込んだと言うと、誰ですか?それは。僕の知ってる人?と。違います!

6月3日
1時41分多摩東部M3.6の地震は小金井市。こんなに震源地が近いと家族が具合悪くなるから大変。私も前後不覚に寝てしまったり。地震前の体感だったとわかって安心したところです。今日は満月。ひそかにこの日に備えて準備していたこと。「時頼と源氏物語」の原稿を送る!今再度見直してほぼ完璧。

追記:
鎌倉文学館講座室をお借りしてはじめた【鎌倉の歴史を楽しむ会】。6回を重ねて五月でもって一旦終了しました。それで4月以降休んでいた『吾妻鏡』の会にも行って、のんびりした気分でいます。写真も撮っていないから、冒頭の写真はもう何年か前に歴史時代作家クラブの懇親会で頂いてきた芍薬。吉祥寺の花屋さん店頭では今芍薬が溢れています。

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2015.5.31 ツイッターから転載…小笠原諸島西方沖M8.1の巨大地震が発生。中古文学会で白百合大学へ。他

5月26日
昨夜の半月。上弦の月でした。

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5月28日
おはようございます。今日は時頼の原稿の「第七章時頼と第五代将軍頼嗣」を完成させます。明日から来週発表担当の吾妻鏡にかかるので。文治四年の義経追討宣旨の項です。それにかかったらまた折角気分が乗った檜皮姫の考察が消えてしまう。埋もれていた檜皮姫の悲劇。新しく発掘しました。

カタバミの花は可愛らしくて好きなんだけど、はびこって困る。でも捨てられなくてコップに挿しました。花言葉は喜び、母の優しさ。

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北条時頼と源氏物語の原稿「第七章時頼と第五代将軍頼嗣」完了。終わったばかりでまだ興奮。七歳で将軍につけられた上に年上の檜皮姫と結婚させられ、宮騒動で父頼経が京に送還されてからは父親代わりの時頼に従順に従い、なのに頼経の陰謀で頼嗣もまた送還される。可哀想で同情を禁じ得ませんでした。

5月29日
ドーパミンを出し切ってしまうのか原稿を書いた直後は何をしても面白くない。原稿も読み返してこんなつまらないの書いてと落ち込む。いつもの事だから焦らずにゆっくり休養を心がけていると回復する。と、そんな訳でのんびりしている朝。終わりが見えてきた証拠にラストの構想が浮かび始めています。

来月鎌倉で「鎌倉の源氏物語と万葉集」の講演をさせて頂きます。レジュメと共に過去に書き散らした諸々のエッセイ等を理事の方々へ参考資料にお送りしました。又先日終了した鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座最終回にも同様に配布。アマゾンのランキングが跳ね上がったのはその効果でしょうか。

5月30日
今日の手紙展は谷崎潤一郎の手紙の講演会。ずっと楽しみにしてたのだけれど急遽出かけられなくなり籠ることに。BSで観ているので諦めも簡単でした。松子さん、美しいですね!魅入ってしまいました。谷崎の女性には嫉妬しなかったが、谷崎が描く小説の女性に湧く思いはどうしようもなく辛かったと。

『細雪』は戦争という時代の波を受けて喪失してしまった古きよき時代の日本をとどめる小説。松子夫人姉妹がモデルで松子夫人ご自身がその意味を理解していたから、空襲で原稿が焼けてしまったら大変と夫人も書写に励んだと。戦争と文学というと、私は三島とこの谷崎を思い出します。そして川端かな。

tenki.jp地震情報
30日20時23分頃、東京都で最大震度5強を観測する地震がありました。震源地は小笠原諸島西方沖、M8.5。

分水嶺の反対側にころんでたら今こんな平穏な日常の夜を過ごせてないと、東京壊滅もあったと、考えなくても心の底のどこかでひやっとした思いがぬぐい切れない。なにがどうしてこんなことをと津波も震災もまぬがれたことを奇跡としか思えない。神様が守ってくれたとしか。大切にしたいこの夜の平穏。絶対にこれは守られた!

先程の地震の前兆を探したら25日の夜、震源地の方向に尋常でないこの雲が発生しているのを撮っていました。夕方に「地殻変動が活発になった時の空です」と画像をアップした日の夜です。

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今日はTLで神奈川県に地鳴り情報があると読み、また昨日から空が活発で、地震がありそうな気がして空ばかり見ていました。夕刻になる直前、水色の空に十三夜の月が綺麗でした。

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関東一連のメモ:23日北東に強烈な朝焼け雲→25日14:28埼玉県北部M5.6(震度5弱)。夕方、地殻変動活発な空。東北東に放射状雲。夜、南に巨大な放射状雲(遠い)→30日1:06茨城県南部M4.8(震度4)。20:24小笠原諸島西方沖M8.5(震度5強)…これで収まりますように

小笠原地震の誘発地震について… 硫黄島近海で31日02時22分頃 M5.6深さ約70km j.mp/1HZWvyO 鳥島近海で31日03時49分頃 M6.3深さ10km

5月31日
明日の『吾妻鏡』の会の準備を昨日のうちに片付けたかったのに小笠原の地震で時間をとられてまだ終わってない。朝のうちにレジュメを仕上げコピーを済ませあとは帰ってから。これから出かけます。白百合に。楽しみですが陽射しが強烈。たどりつくまでが思いやられます。駅から徒歩10分だなんて…

昨夜(30日夜)発生した小笠原諸島西方沖の地震について、気象庁がデータを修正した。 発生時刻:5月30日20時24分頃→20時23分 震源の深さ:約590㎞→682㎞ マグニチュード:8.5→8.1

白百合大学で行われた中古文学会が終わって出てきました。午後だけ発表を拝聴。中に山本淳子先生の桐壺更衣と楊貴妃の準拠が定子というご論。栄華の時の定子は楊貴妃と、没落してからは桐壺更衣と、ぴったし重なるというご論でした。定子が準拠という説はもう吉海先生をはじめにもうたくさん出ている

んですね。山本先生はそこを深められたのでしょうか。淀みない語り口でどんどん聴衆を引き込んでられました。定子に思いやり深い方ならではのご講演でした。私は白百合大学が地元だったせいもあって行ったのですが、図書販売にまで回れず消化不良です。学会は図書販売を見る楽しみもあるのに。

私は源氏物語が好きとか枕草子が好きとかそういう話でなく紫式部の孤高な精神世界が好きで、その人がみすみす定子とわかる桐壺更衣を造型するかなあという疑問。受け入れたくない気持ちが強いです。ただ源内侍みたいにあからさまにモデルとわかる書き方もする式部だから、私にはわかりません!

昨日の地震。我が家ではなにも落ちなかったと思っていたらさっき本が一冊だけ本棚から飛び出していたのに気がつきました。福島泰樹先生の『さらば立松和平』。本棚に戻しましたが、それより落ちそうにはみだしている両隣の本は無事。なぜこの一冊だけ?とふしぎ。和平先生からなにかメッセージが?と。

北東から不審な雲が発生して南西に流れていました。それを撮っていて気づくと、その雲を取り巻いて透明感ある円が。東に白い雲が広がっていたのでくっきりと境ができていました。円が虹っぽくも。

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夕方また地殻変動が活発になっているような空でしたので、M8クラスの地震があったあとは、今までのセオリーではもう空が澄んでくるのに嫌だなあと思ってたら、やはり強烈に焼けました。

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