2015.6.24 ツイッターから転載…印刷博物館「ヴァチカン教皇庁図書館展 Ⅱ」に行ったこと、10月開講のTAMA市民塾【鎌倉の万葉集と源氏物語】募集のことなど。
6月21日
西洋絵画のような綺麗な空でした。
6月22日
『薔薇の名前』を読み返したくなっているのは印刷博物館の「ヴァチカン教皇庁図書館展」が気になっているからだろうけど、松下禅尼の小説の導入部も考えているからだと思う。鎌倉は凝灰岩という岩山の土地だから。鎌倉の地質学の本、借りて来ようかと。地質学、結構好き。
トマス・アクイナス。もう茫漠とした霧の彼方で、どうしてそれを読んだりしてたのかもわからないくらいだけど、懐かしい。そんな時期もあったのです。
6月23日
文化は大切。読書もとても大切。若い時の学習は実利的にはなにも役立たなくても全部大切。私は本を読んでも映画を観ても内容を覚えてなくてあきれられるのだけれど、原稿を書いていて必要な時に、あ、あの本と、すぐ思い浮かぶ。忘れたのではなく意識の底に沈んでいたのだなあと。だから、経験は大切。
と、朝になってもトマス・アクイナスを思い出せなくて、なのに昨夜からカルチャーで今道友信先生の「追っかけ」をやって講座のあと新宿駅まで不躾にも質問をしながら歩いた記憶が甦り、幸せな気分が続いています。
印刷博物館「ヴァチカン教皇庁図書館展 Ⅱ」、行ってきました。それはもう夢見るような空間。映画の世界に迷い込んだようでした。昨日来脳裏を離れないトマス・アクィナス、『神学大全』があったり、別の本では肖像画が載っている頁が展示されていたり。正夢のようで不思議でした。
ダンテの『神曲』にボッティチェリが挿画を描いていたり…。この展覧会については別の視点でも思うことがあったのですが、ゆっくり時間がとれるときにツイートさせて頂きます。
つまるところ、私は結局「本」が好きなんだなあと。本を読むのが好きというのでなく、本という形態が好きというのでもなく、本を作る人、本を守る人、本を広めようとする人の意気込みというか、文化にかける意志というか、そういった永遠の人知の世界が。
6月24日
印刷博物館入口のオブジェ。昨夜これと一緒にツイートしようと思ったのに写真ギャラリーの記録が全部消えていて何故だかわからず大切な写真もあったのにとショックでした。今見たら復活してました。
鎌倉の海。去年の今頃の写真です。消えてしまったと思った写真ギャラリィの中の一枚。このあと藤沢の清浄光寺(通称遊行寺)を訪ねたのでした。なぜここに?と異形の天皇後醍醐天皇像がある不思議な寺院。為兼も訪ねているはず。
10月開講のTAMA市民塾の講座【鎌倉の万葉集と源氏物語】、6月に始まった募集の途中経過のお知らせが届きました。現在20名とか。定員は32名。7月15日締切だそうですのでよろしかったら。参加費、3000円。鎌倉文学館での連続講座を今度は多摩で。
最終回の『徒然草』だけ鎌倉ではしていません。金沢文庫から出発した私の鎌倉の歴史探訪は金沢文庫と兼好の繋がりの読みはたぶん深いです(と、自負)。
付け刃の知識で間違っていたら済みません。印刷博物館「ヴァチカン教皇図書館展Ⅱ」で思った事を少しツイートさせて頂きます。「15世紀中葉に教皇ニコラウス5世により始められた図書館は当初3500冊の写本によって構成され、それらは人文学研究に関わるものだった。これらは各地で見つけ出されたり
購入された古写本で中には教皇たちによって書写されたものもあった」(聖ローマカトリック教会尚書長ジャン=ビュルゲス氏ごあいさつより)。というふうに展示は始まりました。そしてそこにユマニスト(人文主義者)が関わってきます。「ユマニストは古い書庫や修道院を訪ね歩き、ギリシャ語やラテン語
原典を積極的に探し出した。書物を渉猟する中で、ユマニストはより善く生きるための人生の理想をホメロス、アリストテレス、プルタルコス、ユークリッドが著した古典から学んでいく。王族・貴族からの依頼に応じて、自分自身必要な知識と教養を身につけ、素晴らしい書籍を探し販売した古書籍商の活躍も
あった」「ユマニストにとって古典文化は重要なインスピレーションの源でもあった」(図録・中西保仁氏)。←と、こんなふうにして写本が集められグーテンベルクの印刷技術の発明で広まって、そして現代の私たちが「古代から連綿と受け継がれてきた叡智をもとに、化学・医学・建築・技術・占星学・
博物学」などを浴びることができている訳です。叡智は、文化は、ただそれ自体では広まりません。人を介するからこそ今に伝わるのです。その「人」は「価値」を知っているから。だからこそ大変な労力を尽してまで遠くまで行き探しまわったのです。私はここで鎌倉の源氏物語を重ねあわせて観ていました。
鎌倉で鎌倉の源氏物語たる「河内本源氏物語」を始めた源光行は平家に仕えていて源平の争乱で鎌倉に下向した人です。仕える主人だけでなく命までも何度も危うい目に遭いながらそれでも源氏物語の校訂を止めずに子息親行に伝え、親行が完成させました。昔の人の書物にかける思いは叡智への畏怖ですよね。
補記:印刷博物館のガラスの展示ケースに収められた大きく美しい書物を観ながら、これでは寝ながら読むのは物理的に無理、ましてもったいなくてできないと痛切に思いました。現代の書物に対する敬虔な意識の欠落は仕方ないとしかいいようがありません。命がけだった昔とあまりに違い過ぎます。
講演が終わったらと溜めていた所用をだいたい片付け終わりつつあり気持ちは既に時頼と源氏物語の原稿に入っていってるようだけど、あとは最終章宗尊親王と思っていたのが、実時を書かなければならなくなりそう。ほんとうにいつになったら宗尊親王になるのでしょう。実時、スルーするつもりだったのに。
実時というより、清原教隆……。そうしたら親行が書けるし、やはりここを押さえなければ、鎌倉の源氏物語はないだろうな。←と、俄然書きたい意欲が湧いたのでした。これをツイートしてて。
どうも私は決まったことを書く事が苦手。あとは宗尊親王を書くだけと、それはもうわかっていることだからまとめればいいだけと、そう思えば思うほど書きたい意欲がなくなって、ではどこに深めるべき謎がある?と熟考してたら教隆が浮上したのでした。謎の解明が書く楽しみ。