2015.8.30 ツイッターから転載…上代文学会夏季セミナー第一回「万葉集写本学入門」(於青学)に参加してなど
8月21日
今日は涼しいですね。久々の外出。原稿が一段落する空白にちょうど間に合ったと思ったら親しい方からお電話があってポストにもお便りが。いつも維摩経だなあって思います。不思議ですが、いつもそういう流れ。 これは、母校繋がりで今後の展開が楽しみ。
黄色い車両。地下鉄銀座線です。(まるでおのぼりさん、笑)
たしかこの路地の奥にシナリオセンターがあって十年通いました。ライターとしてデビューする機会はあったのですがそれをゴールと思ってなかったので心ゆくまで講師の先生の文学論に浸りました。向田邦子さんのマンションもあったかな。
こちらは憧れの蔦の絡まる校舎の大学。高校が隣だったので。ここも毎年通いました。中世貿易陶磁研究会に。中世の遺跡発掘調査では中国の陶磁器の勉強が欠かせません。研究者さんに混じって興奮しながら学ばせて頂きました。
ほぼ二時間、仙覚さん、仙覚さん、の名前が頻出してあり得ない空間にいます!
青学の小川靖彦先生主催の上代文学夏季セミナー第一回「万葉集写本学入門」に来たのですが、最後にもう一部レジュメを購入して帰ろうと受付にいたら、小川先生に「織田さんですよね」と。源氏物語の世界で嫌な思いを重ねてきてるので今日もひっそりしてたのですが。
小川靖彦先生は小川町の仙覚さんの普及に努められていて私はブログのそのご業績から入ったのでいわば原点の方。小川町の話を少し伺いました。前の町長さんが熱心でいられたとのこと。世界遺産に登録された細川紙もほんとうは小川町史をたどると詳しいんですよねと。お話できてほっとしています。
中世貿易陶磁研究会のあとはいつも交差点をわたったプロントで珈琲を飲んで帰るのですが、交差点を渡って入ったお店がなんか違う。プロントではないみたい。前にはなかったお店かも。入っても気づかずメニューを見て?と。バールセット?どうやら憧れのバル初体験のよう。
珈琲なら寛ぐけど予定外のバルセットでは落ち着かなくて早々に出てきました。(もったいない!)。振り返ったらやはりプロントでした。システムが変わって夜はバルになるのかも。楽しい一日でした。これから帰ります。
帰りの車中の徒然ツイートです。万葉集の世界にも源氏物語と同じく、池田亀鑑先生の『源氏物語大成』のような『校本万葉集』というのがあるのですね。各写本の異同を綿密に載せたもの。驚いたのはこれも佐佐木信綱先生が関わってられる。小川町の仙覚顕彰碑を建立された方です。
『万葉集』は『源氏物語』のようには本文の異同がないから、長歌の訓点のつけ方で分類するとはっきり見えてくるものがある。と、お話されたのは国文学研究資料館の田中大士先生。万葉集の訓点には平仮名別提訓、片仮名別提訓、片仮名傍訓がありその順に古くて仙覚が底本にしたのは片仮名傍訓と判明と。
八月初旬の高岡市の万葉集シンポによほど日帰りで行きたかったのですが、今日のセミナーにはその時講師をされた田中先生や、さらに高岡市の万葉歴史館から新谷学芸員が複製の春日本などまで持ってらして、拝見しながらレクチャーを受けられて、高岡に行かれなかった諦めがつきました。
フォロワーさんから。プロントは昔から夜はバルになるのだそう。
8月22日
たぶん調布の花火大会の音だけれどいつもの年より大きく感じる。気のせいかしら…。吉祥寺に出て小川靖彦先生監修『万葉うためぐり―学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』を買ってきました。気になってた本。昨日お話することができたからこの際にと。比企の学僧、仙覚さんです。
小川靖彦先生監修『万葉うためぐり―学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』あとがきより。「学僧仙覚律師は『万葉集』の研究史上の巨星です。律師の献身的な研究があったからこそ、今日私たちは『万葉集』を読むことができます。律師の学問的情熱に深い敬意を覚えずにはいられません。」
比企の方は本当に仙覚さんを郷土の誇りに思ってられます。御手杵の槍を復元されている比企の方も、私が仙覚さんを研究しているからこその交流です。研究者さんにしか知られていない仙覚さんを本や講演で私が広めるのを喜んで下さっているのですが、そこに御杵の槍が加わるとは!不思議なご縁です。
8月23日
新しいことのはじまりは右に倒れるか左に倒れるかわからないからいつもはじめた時は不安。こんな思いをするならいっそはじめなければよかったといつも後悔。でもはじめなかったら先へ進めないし幾つもこれを乗り越えてきたから今があると自分で自分を鼓舞して過ごす。そんな朝でした。多分、展開。
今日は国文学学会の大会に行かれず家に籠っているしかなかったので一昨日の万葉集セミナーの復習をしてました。訓点の付け方の歴史は明解でした。仙覚さんの写本は他の写本より異体字など難しい漢字が使われているそうです。それは仙覚さんが難しい漢字ほど本来の『万葉集』に近いと思っていたからと。
一昨日ご講演の田中大士先生「非仙覚本系統から仙覚校訂本へ」は、2012年創刊の『アナホリッシュ国文学』に「万葉集仙覚校訂本の源泉」を載せていられる方。感激して拝読していたまさかその方のお話を伺えるとは思ってもいませんでしたから、それだけでもう一昨日は幸せ!でした(笑)
田中大士先生「非仙覚本系統から仙覚校訂本へ」を少しご紹介。『万葉集』は『古今集』や『源氏物語』より本文の異同が少ないから本文からの研究ができない。それで、長歌の訓の異同を調べた。すると、仙覚がどの本を底本にしたかがみえてきた。仙覚が寛元本の底本にしたのは片仮名傍訓本でした。
それにしても『万葉集』の世界も『源氏物語』と同じでした。『源氏物語大成』に匹敵する『校本万葉集』があり、本文の異同を調べて諸本を分類したり、底本が何か調べたり・・・。同じだなあと感慨をもって拝聴していたのですが、写本学なのだから当たり前なのでしょうね。私ひとり感激してたりして…。
8月24日
先日の万葉集セミナーで頂いた資料で勉強中です。思考がすっかり万葉集バージョンになっています。新沢典子氏「本文批評における仮名万葉の価値」より。仙覚は万葉集や同時代文献の確定例を拾って万葉集を訓んだ人物であり、時代の下る仙覚の訓み(新点)が古点・次点よりも妥当である場合が多い。
8月26日
城崎陽子氏『万葉集を訓んだ人々』。本棚にあって、あら、先日青学の万葉集セミナーで講演された方と。気になって購入していたものの未読でした。改めて中を見たら今ならわかるみたいに身近な感じ。万葉集の原稿に入ろうかと思案してます。
8月27日
母校の中二の頃に憧れだった物理の先生に橋渡しして下さる方と出逢い『源氏物語と鎌倉』と鎌倉での講演活動報告を贈らせて戴いたらポストにお便り。「あなたの歩んでいる人生はすばらしく貴いものです。おめでとう」と。時空を超えて中二の頃の先生と繋がりぐっときました。若いころの貴重な原点です。
8月28日
城崎陽子氏『万葉集を訓んだ人々』おわりにより。『万葉集』が訓まれた歴史を考えることは、私にとって幸福この上ない時間となりました。同時に、その喜びが、自身の問題だけでなく、時代を超えて伝えられてきた古典籍の端々にみえる「万葉集を訓んだ人々」の情熱であることにも気付かされたのです。
8月29日
古典研究は、時代を反映した文化研究に他ならないことにも気づきました。(城崎陽子氏『万葉集を訓んだ人々』)。まさにそうだと思うのですが、鎌倉の源氏物語問題が一段落し研究だけに浸っていられた枠が外れ、社会という大海原に出た今、文化に対する意識の普遍性って何だろうと真剣に考えています。
8月30日
未来がかかる今日の一日。公的にも私的にも。こんな時に『源氏物語』でも『万葉集』でもないでしょと思うのですが、だからこそ私はの一心で歯を食いしばる思いで取り組んでいることがあります。今朝いただいたメールで一喜一憂ではなく、今までだったら一憂になったかもしれないことも一喜になって。
「万葉集・仙覚の世界」という短い文章を書きました。久々に寄稿。書きはじめて思ったのは、あ、文章が変ってる・・・
考察しながら書き進んでいるからどうしても文章が固くなってしまいます。なのに、短いこのコント的エッセイでは講演タッチで話しかけるよう。はっとして、これだ!と思いました。一日考えたのですが、北条時頼と源氏物語の原稿、こういう文体にはじめから書き直すことにしようかと。