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2015.8.12 ツイッターから転載…玄覚さんの論文準備と、鎌倉の原稿を三つのテーマで書きました。

8月8日
玄覚の論文のための資料をあたろうと仮寝して起きて夜を明かしたのですが、ふっと先程最初の一行、「最初に仙覚について書いておきたい」が浮かんだと同時に書く態勢に入った気が。玄覚の資料を漁るのは膨大で楽しみだけれど、その前に仙覚をきちっとおさえておくことにしてはじめます。

ずっと以前エクセルで作っておいた玄覚に関する年譜です。ここからどんな世界が飛び出てくるか楽しみ。

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ずっと以前から玄覚について書きたくてデスクトップにワードのアイコンを表示させたままになってました。で、それを開いて書きはじめようとしたら玄覚のエクセルアイコンがあって、久々に開きました。そうか、こういう年代だったんだ~と確認。

朝から連ツイ済みません。エクセルの表、ピンボケで見づらいのですが、上のほうの中央に「穴八幡」の語があります。比企の小川町にある古墳です。玄覚について書こうとしていたワードの文章を開いたら、冒頭はこの穴八幡からはじまっていました。忘れてたけど、この展開、面白いかも。

小川町の穴八幡古墳です。

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穴八幡古墳がある高台から遠望する小川町。2013年の撮影です。この辺りをこんなふうに撮って歩いて、今また戻って改めて謎の歴史を探っていこうとするなんて。旧題は「仙覚は誰か」でした。今度は「玄覚は仙覚の弟子か」です。

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8月9日
埼玉県比企郡ときがわ町の霊山院です。栄西の高弟栄朝が創建。関東最古の禅宗寺院です。慈光寺の隣にあり、創建当時は慈光寺の塔頭でした。朝の慈光寺に茶畑があったツイートで思い出しました。花の季節はまさに桃源郷のような花の寺になります。

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花の季節の霊山院がどんなに桃源郷かというと、こんなにです。あまりに花々が華麗で目移りがして情けないくらいにどう撮っていいのか苦しみました。

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比企の原稿のタイトル、途中経過の今案。「仙覚は誰かと、玄覚は仙覚の弟子かの問題」。

8月10日
いつもより涼しいから出てきて吉祥寺。用が済んでこれから図書館に回るか思念中。まもなく小説にかかるから頭のなかはどんな文体にするかずっと思考を張り巡らしていて図書館もそれが目的。プルーストがあればもうそれでいいのだけれどふつうの歴史小説の文体も見ておくべきかなどと。

春に源氏物語を赤い本(岩波の体系)で読み、続けて今失われた時を求めてを再読し始めたら、二つは心理小説的に似ているのだとばかり思っていたのだけれど、文体というか、文章の繰り出し方が一緒な気がしました。源氏物語は草子地という特殊な手法だけど、失われたの一人称もそんな気が。

久しぶりの雨に緑が輝いています@井の頭公園雑木林

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図書館に来ています。影響されたくないし、私は私の文体で自然体でいけばいいと割り切っても、あまりに私はふつうの日本の歴史小説に馴染んでないから、やはり借りにきました。今、書庫から出して頂く待機中です。

出ようとしたら、どしゃぶり。

ロビーで、ちょうど借りたばかりの本に目を通していて、一章終わって外を見たら日が差してきています。雨があがったみたい。

同じことを書いてもしようがないから先人の方々が歴史をどう処理してられるか知るのが目的だったと思いました。拝読していくなかで、そこかしこの歴史の裏の読み方がまったく違うと気がついて。私の見ている世界は今までのとまったく別。自信をもって書いていけそう。文体も、まったく別でいいのだと。

昨夜分散していた比企と仙覚・玄覚さんの資料を出して整理整頓しました。それで論文にとりかかろうと思ったのですが、玄覚の資料を見たら国文学的にじっくり嵌ってしたく、それは今はたぶん叶わないから諦めて、時頼の原稿優先に。というわけで図書館から歴史小説を借りて拝読してみたのでした。

文体がまるで違う。まるで違うから入っていけない。吐息そのもののように流れる文章が好き。あるいは意識がそのまま文章になったような。バルトを今読んだらどうなのかしらとTLを見てて思ったり。アカシア、開いてみようかな、などと。

8月11日
11日、黙祷の思いで一日を過ごします。天災も人災も含めてこれ以上の悲しみが起きませんように。

鎌倉の方からお電話。原稿が届いたと。一件落着です。掲載写真については秋に妙本寺様にご許可を頂きに参ります。比企を書くと必ず妙本寺様が原点に。比企の乱の場所ですものね。「鎌倉にはいらしてますか?」と問われて「猛暑なので全く」と笑い合いました。秋に鎌倉街道を歩かれるそうです。

それでふと「比企に通じる鎌倉街道は上道だけど、さっき仰ってた足利に行くのは?」と。調べたら中道。これは巨福呂坂あたりを出発点とするみたい。前に鎌倉から足利まで鎌倉街道で、神奈川・東京・埼玉・栃木を繋ぐ駅伝をされたそう。秋に歩かれる時には参加させて頂きたいです。

岩崎茂樹写真集『妙本寺の四季』をお贈り戴きました。綺麗な四季の写真集です。こんなふうにお心にかけて戴けるのもあり得ない僥倖ですが仙覚さんのご縁。写真掲載のご許可のお礼に『源氏物と鎌倉』を持っておそるおそるお訪ねしたのが刊行した2011年冬。もうすぐ四年になります。

夕方の空。一面こういう状態でした。これは北西。長野方向です。

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北東の空もこんなでした。

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