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2015.8.7 ツイッターから転載…鎌倉の方の依頼原稿を書きました。テーマは三つ。楽しかったです。

8月1日
緊張したから胃がキリキリとまではいかないけどチクチク。秋開講のTAMA市民塾。定員オーバーの講座は抽選で、その抽選をしてきました。公平を期すために別の講座分を担当。共同作業に慣れてないから迷惑かけてないかミスしないかハラハラ。無事に終えましたが自分の講座がどうなったかも不明。

共同作業、苦手だなあ…。と、つくづく。

鎌倉の方の依頼原稿の一つ、「源氏物語と京都との交流」を突然書き始めました。春にお話を頂いて鎌倉の源氏物語について書くのかと思いこんでいたのですが、改めてテーマを確認したら京都との交流。これは飛鳥井雅有しかないでしょ! という訳で俄然乗って書けそう。鎌倉出身の源氏のひじりです。

補記・飛鳥井雅有の生涯:鎌倉で宗尊親王に仕えた二条教定の子息。新古今歌人飛鳥井雅経の孫。小侍所別当北条実時の娘婿。少年時から宗尊親王に仕えて蹴鞠も。御所には河内本源氏物語の源親行がおり、そういう環境の中で源氏物語の教養が身について育つ。晩年は京都の伏見宮廷で源氏の聖と呼ばれた。

8月2日
さぼっている訳でないのに頭も予定も詰まってやらなくてはやらなくてはという思いばかりが募っていました。時頼の原稿を済ませて頭が軽くなり、昨日TAMA市民塾の予定をこなしたらもうその夜のうちに新しい原稿への情熱が湧く。執筆ってほんとうに物理的。短い文章なので一気に仕上げて寝ました。

鎌倉の方から頂いた三つのテーマの一つを終え、次にと確認したらまた間違っていたことが判明。「比企と鎌倉」とばかり思ってたのに「比企と源氏」でした。あまりに私の守備範囲と離れていて呆然。でも思い出しました。比企には大蔵館があるではないですか。木曽義仲の生誕地。大蔵合戦を調べてます。

鎌倉の源氏物語関連なら手元になにもなくても書けるけど、源氏とか大蔵合戦となるとまだ不安。間違ってもいけないので峰岸純夫先生監修『東国武士と中世寺院』拝読中です。この本、買っておいてよかった……。吉祥寺にジュンク堂ができた時、もう資料としては図書館で借りて済んでいたのに買ったもの。

埼玉県比企郡の大蔵館跡の写真。仙覚さんの母を調べるのに秩父武士の係累関係をみてたから急に大蔵合戦をとなっても安心してとりかかれます。

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そういえば、大蔵合戦で義賢を書けばおのずと義朝を書くことになるから比企尼関連をいれられると単純に思ってたけど、比企尼を入れたら範頼の吉見町を書けるし、そうしたら慈光寺を入れられる。範頼の子が範頼が滅ぼされた後に入れられてるから。と、大蔵合戦だけでは済まなくなりドラマ性がでました。

吉祥寺ハモニカ横丁。距離をおくために出てきました。公園はだいぶ涼しくなっていました。蝉しぐれとまではいかないけど蝉がうるさいくらいでした。ツクツクボウシは今年はじめて。ハモニカ横丁。一度立ち呑みしてみたいのですが。

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比企と源氏の原稿。大蔵合戦で義朝の子義平が義賢を討つ。義賢の二歳男児が木曽義仲。義朝に仕える比企遠宗の妻が比企尼で伊豆に流された頼朝に二十年間仕送りをして支えた。比企尼は頼朝の弟の範頼を吉見観音に稚児として匿った。範頼は吉見町に館を構え、妻は比企尼の長女丹後局の娘…と、今ここ。

8月3日
比企と源氏の原稿。範頼と吉見町→範頼子息の慈光寺まで書いたら紙面が尽きて比企といえば仙覚の小川町。これを入れたかったのに入らない……と一瞬困ったけど、考えたら仙覚は源氏でないし入れなくていいのだと。次の「万葉集と鎌倉」で書くからこれでいいのだと。たまたまだけれど上手く廻ってます。

あと少しなのに範頼の生い立ちで四苦八苦。頼朝・義経ほどは詳細がわかってなくて、平治の乱のあと吉見観音の稚児僧だったとか、範季の養子になったとか。吉見観音は比企。でも範季といったら京都。しかも範の字を頂いてるくらいだからこちらの方が信憑性あるし…。範季は後鳥羽天皇を養育した人物…。

でも、吉見町には御所の地名もあり、範頼館跡まである…。そして、その館跡は吉見観音に隣接…。整合性をどうやってつけましょう……

しつこく済みません。そういえば範頼はどこで亡くなったかも説がいろいろ。修善寺で討たれたとか、海を渡って逃れてきて太寧寺で自害とか、金沢八景を歩いていたら範頼の墓というのがぽつんとあったり、比企に生き延びた説も……

四苦八苦しつつ比企と源氏の原稿終了。範頼の生い立ちは平治の乱後比企の吉見観音で稚児僧として過ごしたあと、範季の養子となって範の一字を貰ったという私見で書きました。副題は「源義朝から頼朝・範頼の歴史を孕む比企」。書き終えてできて副題ですが、比企が鎌倉幕府の黎明期のような気がします。

さあ、いよいよ仙覚さん。と密かに武者震い。で、眠気がとれてしまってます。鎌倉の原稿の三つ目は「鎌倉と万葉集」。同じ比企という土地を書くのに「比企と源氏」ではまったく万葉集が入らなかった。その分たっぷり書けます。楽しみ。やっぱ故郷なんだな、小川町。私にとって。勝手にだけど。

8月4日
「比企と源氏」、完全にピリオドをうって「万葉集と鎌倉」にかかれるのだけれど気分転換にのんびり。ここにくるまでなんとたくさんの修羅を経たものかと思ったりするけど余裕。修羅を経て静かなるときあかときの底に澄みたる(棲みたる)大いなる修羅。わずか二首だけ大切に温存しているマイ短歌です。

昨日の夕景です。カナトコ雲になりかけの雲が金色に縁どられて後光のような放射まであって綺麗でした。

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これは今日の夕景。沈む太陽が大きく真っ赤でした。スマホでは白くしか写らず、フォトエディターで加工してみたのですが、やはり真っ赤な太陽にはならずに残念。昨夜は昇りたてにしても赤すぎる月に驚いたばかり。空がどんよりして変です。

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「万葉集と鎌倉」の原稿に入ったのですが、仙覚さんと竹御所への思いが深くて書いているとふくらむばかり。前哨戦段階でもう紙面の半分を越えています(笑)。ともかく一度書いて、どう削るか探ります。

8月5日
原稿にかかると植木の水やりが疎かになるから私のガーデニングは緑の葉が厚い観葉植物系でないとダメ。万年青は家の守りだから絶やしてはいけないと言って母が此処に移ってくる時掘って持って来たもの。私には大切な実家の万年青です。今朝水やりがしながらこれだけは守ろうと思ったのでした。

仙覚と竹御所はロンドなんだと気づく。音楽用語は専門でないから使わないけど、たしかに輪舞曲。私にとって最もインパクト受けた映画のタイトルは愛と哀しみのボレロ。以来人生がボレロとなって見えて仕方ない(笑)。竹御所の小説のタイトル、哀しみのロンドなんてしたら完全にパクリだなあと。

と、ちいさな原稿をこなしながら頭のなかはいつか書く小説の構想やそのための準備に思いがぐるぐる。こうやって膨らんでいきます。竹御所、松下禅尼の小説に入りそう……。

でも、そうやってるとやたら膨大。

薄明光線が綺麗でした。

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こちらは反薄明光線。裏後光ともいうようです。薄明光線が太陽が雲の裏にある時にできる光線。対して反薄明光線は反対側の太陽がない空にできる光線です。こんなに綺麗な薄明・反薄明光線は久しぶり。

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綺麗なので薄明光線をもう一枚。少しアップしました。

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これは井の頭公園から。もう雲の輝きが消えていますが。よく雲を追って撮りに回ります。すると全く別と思っていた方向が同じだとわかり、頭のなかの地図にひとつのラインが引かれます。グーグルマップで確認してずっと広大に見ると楽しいです。

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「万葉集と鎌倉」がその前の二つ「源氏物語と京都との交流」「比企と源氏」と全く違って流れるような文章になっているのがおかしい。前の二つは短いけど論文調。対してこちらは竹御所と仙覚という二人のドラマを書いているからだなと。必要かもしれない歴史も飛ばして思いの流れに。これ、楽しい!

「万葉集と鎌倉」の原稿、終わりました。副題は「『万葉集』の陰に比企氏ゆかりの仙覚と竹御所」。書き終わってから考えてつけました。それにしても、この二人、一度も会っていないのですが寄木細工状態にぴったり組み合わさって『万葉集』の完成に貢献しています。

8月6日
巨大な積乱雲。毎日この方向に雲が発生していますが、今日は巨大でした。井の頭公園にて。

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添付の写真を揃えて梱包して、原稿が手を離れたとばかりに気が軽くなり、一日自由を満喫していたのですが、夜になるほどだんだん私にはまだしなければならない仕事があるという気持ちが募り、今はもう玄覚の論文に取りかかる覚悟が据わってしまいました。しなければと思いつつ取りかかれなかったのに。

忘れないために。メモ。玄覚の原稿のタイトル「鎌倉の万葉学者玄覚は仙覚の弟子か」。玄覚の件が頭から離れなくなって浮かんでしまいました。玄覚は殆ど研究されてないけど、京都で仙覚よりも活躍してて、冷泉家の方とも懇意。それをどう解釈するか。 

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