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2015.10.27 ツイッターから転載…鎌倉芸術祭養老孟司氏講演のこと、ちいさな連載をはじめようかな、などのこと

10月16日
遊行寺宝物館で開催中の「一遍聖絵」展。一遍上人が時宗に鎌倉入りを阻止されるこぶくろ坂の「第五巻第五段」は現在展示中で26日までだそう。長い巻物なので展示の入れ替えはくるくると巻きとっていくのだそう。それで26日以降は隠れてしまいます(笑)。展示替えってそういうことなんだ~と納得。

今更だけれど写真の力ってあると思う。だけど安易に頼ると失うものがある。と、そんな事を思う。先日の日本いけばな芸術展。感銘を受けた作品をツイートしてて余程写真を載せたかった。文章で説明するより正確だから。でも堪えて書いてたら気持ちが宇宙の奥までいった。写真と文章の拮抗。そんな事。

昨夜のツイートの続き。日本いけばな芸術展の件。照明はとても大切。稲を使って里山を表現された友人の作品は素晴らしかった。写真をupしてご紹介したかった。でも豪華な作品に相応しい会場の照明が彼女の作品には不似合い。写真では外観を紹介するだけ。心ゆくまで自分で照明したく思ったのでした。

10月17日
来週開講の講座用パワポ。会場の機械に合うかデータを昨日USBで送って一安心。日曜講座で一回使ってるから大丈夫な筈。練習は直前に。それまで時頼の原稿の最終章にかかるには情ないけど気が散漫。五月に鎌倉での連続講座を終えてから長い休暇でした。それで時頼の原稿が書けたのであって最終章は…

10月18日
古典和歌関連のエッセイの連載をとのメール。講演や原稿で絶っていた連載。久しぶりにやってみようかな!と。 というか、連載をしたくなっています。

10月19日
道中のお供は小川靖彦氏『万葉集と日本人』。王朝女流文学と万葉集は一見遠いものにみえるが、女流文学者達は万葉集を尊重していたと。枕草子では重要な歌集は古万葉と古今とあるそう。

続)二十巻本の万葉集が書写されるようになるのは一条天皇の時代頃から。訓読事業に携わった人の手元に残った本をもとに書写が始まったと思われる。この間に制作されたのが、抄出本の万葉集。醍醐天皇宸筆の抄出本万葉集がある。醍醐天皇は能書家だったから、料紙や装丁も美しいものだったでしょう。

源氏物語の梅枝巻には嵯峨天皇書写の万葉集が登場する。嵯峨天皇の抄出本は、醍醐天皇宸筆の古今集とともに光源氏の弟の蛍兵部卿宮が秘蔵していたことになっている。が、嵯峨天皇の時代にはまだ平仮名は誕生していないから、嵯峨天皇を理想の帝王と考えていた紫式部が美しい抄出本があって当然とした。

上記連ツイ。万葉集の歴史と源氏物語の歴史のあいだを行ったり来たりしている私には、二つがこんなにシンクした記述は夢のよう。享受史だからでしょう。楽しい! 連ツイに間が空きましたが乗り換えの移動。鎌倉に向かっています。

10月20日
昨日はお誘いを受けて鎌倉芸術祭30年記念の養老孟司氏講演を拝聴。奈良・京都・鎌倉がいいのは人の出入りがあるから。長い歴史の中で人が手入れしてきたことが受け継がれ、それが雰囲気を作っている。だから人が集まる。それがいいのだとのこと、本題に入る前のお話ですがなるほどと思いました。

本題の鎌倉は、鎌倉で制作された九相図に象徴されると。亡骸の描写が実にリアル。それは日常見ている者の目。つまりそれが鎌倉なのだと。他地域で制作された九相図では曖昧で間違っているのさえあるそうです。鎌倉は乱世の時代。乱世は身体。平和な治世では情報が重要。身体をはる世では感性が磨かれる

治世では情報だけが信じられていく。それが今の世。空調・室内照明・平らな床・外に出ない生活、そういう快適な生活のすべてが身体の感性を磨く能力を失わせている。←と、『バカの壁』に書かれたことの変奏曲のようなお話でしたが、これはほんとうに現代の世への警鐘。なんとかならないかしらと。

養老孟司氏は鎌倉の方だったんですね。講演のあと鎌倉駅まで歩いて出たら鎌倉の源氏物語でお世話になっている方と偶然お会いして懇談。ちょうど連絡したかったと今後の打合せ会になってしまいました。養老孟司氏のお話をすると幼馴染だそうで、タケシちゃん、タケシちゃん、と。鎌倉は狭いです(笑)

昨日の建長寺様仏殿。西陽を浴びて輝いていました。

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珍しい、茅葺屋根の茅の取り外し作業に遭遇。束ねては下のトラックに投げ下ろしてました@建長寺様

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逆光の西陽の山門の影@建長寺様

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時頼と源氏物語の原稿の最終章に入る前のひととき。開講する講座の準備も済みこれから始める小さな連載のテーマを考えたり。こんな自由な時間にはバルトのタンジールのような文章が合うのだけど、それは小さな連載に合わない。こんな時鎌倉はまだ私には枷なのだなあと思う。小さな連載をどんなふうに?

これ、読んだのかしら。ジョルジュ・プーレ『プルースト的空間』。覚えてないし線が一本も引いてない。『テクストの快楽』を出そうとして隣にあった本。白い表紙で厚さが同じだったから薄暗闇の中でバルトの本だとばかり思って持ってきた。こういう本たちの文章の繰り出し方。鎌倉に生かせないかなあ。

と、現実にいろいろ溜まってきそうだから、ちょっと逃げてます。今だけ。

10月21日
「断章・鎌倉歌壇」。小さな連載のタイトル、今思いつきました。深夜のツイートの余韻。せっかくなら鎌倉歌壇をテーマに深めていきたいと思っていたのですが、そうすると固い文章になってしまうというのが悩みでした。断章にして、自分が思う、というふうな文章の繰り出しは可能?

『テクストの快楽』、開いてみよう…。ヴィトゲンシュタインも…。

「わたしの理想はある種の冷たさである。情熱に口をはさむことなく、情熱をとりかこむ寺院」。ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』…、探してるのにみつからない(泣)。もう過去とかかわらない意志で本棚を整理した時どこかに移してしまったよう。断章本の書き出しを見たかったけど。

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2015.10.2 ツイッターから転載…10月になりました。いよいよ決戦の時の思いです。

10月1日
もう十月。秋はいつも転機の時節だけど今年は一段と重く決戦の時の気が。時頼の原稿は早急に仕上げなければならないし、月一回のTAMA市民塾の講座も始まる。多分十一月が本格的な決戦の時で、それを乗り越えて十二月に比企のお手杵の槍の内覧会にご招待戴いているからそこで一つ展開がある筈。

詩のフレーズはそれ自体命の重みをもっているかのような存在感がある。プルースト『失われた時を求めて』第一巻の、主人公が眠れなくて悶々としている夜の闇の中で遠く汽笛の音が聞こえるというところがいつ読んでも好きなのだけれど、そこもなにか詩と関係していると去年読んだ。納得でした。

今一歩踏み出すためのメールをしなければならない時が迫っているのだけれどそれを考えてきりきりと胃が痛い……。独り感慨にふけってシャルル・アズナブールを聴くそんな夜。静けさと闇が心地よく。

10月2日
ツイッターは大切だし楽しい。昨日はシャープさんの落し物騒動が面白く、平凡社ライブラリーさんのツイートには共感。私もツイッターには恩恵を受けていると思う。一ヶ月くらい見てなかったアマゾン。昨日見たらランキングが跳ね上がっていて最近は活動してないからツイッターのお陰と。感謝です。

懐かしくなって出してみました。『人間の建設』。荒川修作さんのと違うなあと思ったらカバーをはずすと同じでした。「情緒を形に現すという働きが大自然にはあるらしい。文化はその現れである」←傍線がひかれていた箇所。

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今日の井の頭公園。爽やかでした!

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2015.10.2 ツイッターから転載…百草園で行われた真慈悲寺講演会のこと。義家な一日でした!

9月20日
三鷹から百草園、9時半始まりはキツイです!遅刻…。今日は百草八幡宮で安達氏ゆかりの阿弥陀様の年一回の秘仏公開。

日本の睡蓮の庭@百草園

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日本の睡蓮の庭 二枚目@百草園

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歴史って面白いですね。今日の講演は百草八幡宮にある絵馬についてでした。その経緯が不思議。2年前のこの日が雨で八幡宮で休んでいた時に絵馬があるのを見つけたそう。赤外線撮影で武内宿禰の絵とわかり、なぜ多摩の八幡宮に武内宿禰の絵が?となったそう。それでたまたま隣の府中市郷土博物館館長の

小野一之先生が武内宿禰を研究されてたのを思い出し講演を依頼されたそう。小野先生のお話では八幡宮の祭神は八体でそこに武内宿禰が含まれていて、日本書紀に武内宿禰が東国視察に訪れた記述があるからだろうと。雨で見つけた絵馬から武内宿禰。そして偶然こんな身近に武内宿禰を研究されてた方が!

たまたまの雨宿りで見つけた絵馬。

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赤外線撮影で浮かび上がった絵です。

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京王線車窓から撮った百草の山。百草園はこの山頂にあります。中世、真慈悲寺があった場所です。発掘調査によってだんだん解明されて「幻の真慈悲寺」ではなくなってきました。山岳寺院だから登るのが大変。

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八幡宮御祭神に義家公が。前九年の役の折立ち寄ったとか。義家が手を洗ったとされる井戸が百草園の中に。

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山岳寺院だから見晴台からの眺望はこんなです。新宿方面が一望できます。スカイツリーまで!

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赤外線撮影で浮かび上がった絵の拡大。武内宿禰の形相がはっきり。波に石のようなものを投げ込んでいる構図とか。

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パネル展。多摩川中流域の荘園と公領のパネル。

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パネル展。鎌倉と真慈悲寺の位置を表す地図。

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八幡神のこと。八世紀初頭に軍神として宇佐八幡宮に登場。天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立に伴い宇佐八幡宮を勧請、神仏習合の鎮護国家の神に。貞観2年(860)石清水八幡宮創建。康平6年(1063)源頼義が鎌倉に石清水八幡宮を勧請(鶴岡八幡宮の前身)。義家が石清水八幡宮で元服。

今日のイベントで一番驚いたことかもしれない(笑)。時間がたってだんだん諸々のことが沈んで上澄のように残った昨日の印象がコレ!八幡太郎義家の名は今まで違和感なく聞いてたけど、石清水八幡宮で元服したからだと。百草園に義家手洗いの井戸があると聞き撮りに行ったけどなんか今日は義家の日!

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2015.9.30 ツイッターから転載…九月の建長寺様禅研究会で久しぶりに鎌倉へ。【9月12日5:49頃/東京湾M5.2/震度5弱】のことなど。

9月10日
久しぶりに鎌倉に向かっています。出る時地元多摩の雨はあがっていました。横浜付近の走行中の車窓でも灰色の空だけれど降ってません。ただダイヤは高崎線直通はなく、途中停車駅が臨時に増えたり。私も何が起こるかわからないからいつもより以上に非常時を心がけて出てきました。

建長寺様方丈庭園の雨。

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さすが鎌倉。秋明菊が咲く路地。

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今日の建長寺様法堂。時頼公は国の平和を祈って建長寺を建てられたのに昨日今日の自然の猛威には心が痛みます。

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9月11日
昨日はネットが切れまくりでした。先週東京でM5規模の地震があるとの予測をTLで読んで鎌倉に行った一昨日も内心警戒していましたが今朝でした。東北の災害に9.11、そこに地震。暗澹としますがTLには美しい記事が並びこういう時にも美しさをこころがけている人がいると救われる。そんな朝。【9月12日5:49頃/東京湾M5.2/震度5弱】が発生しました。

ネットが切れまくる日はだいたい翌日に地震があります。昨日の頻度は半端なかったので規模が大きいのではと思っていたら案の定。警戒心をもっていると大きいけど大丈夫などの判断もつくようになります。こころがけって大切ですね。今日は外出。はじめての方が多い会なのでネットで予備知識を。

NHK@首都圏【ニュース】震度5弱を観測した調布市の深大寺では、高さ数メートルある山門の柱が地震の影響で数センチ程度ずれたということです。

9月12日
鬼怒川の氾濫が大変ですが、結城市の御手杵の槍を所蔵する博物館は無事だそうです。 #刀剣乱舞 #とうらぶ

はじめて「#刀剣乱舞 #とうらぶ」を使ってみました。今日比企の御手杵の槍を復元される方とお会いして、そこに結城市の御手杵の槍の復元を手掛けられた方がいらしていて、比企のもまた手がけていられるそう。そこで伺った「博物館は大丈夫だった」というニュースでした。比企の復元は順調です。

9月13日
【日本結び文化展in横浜】。鎌倉の花むすびをされている方からのご案内。花むすびは一本の紐で結びあげて作ります。大きな壁掛にもなる装飾的なものから、茶壺にかけて他人が開けたら二度と組めないから毒を入れられないように結ぶとか。

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鎌倉の生涯学習センターホールで講演させて頂いた時、花むすびの倉田生子先生に舞台を飾って頂きました。

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鎌倉には素晴らしい方がたくさんいらして、講演を企画する方は舞台の雰囲気にもこうして気を使って下さいますし、それに応えられる先生が住んでらして、何かをするにもすぐトントン拍子にこんなふうになっていきます。文化の根付いた地というのはこういうことだなあといつも感嘆。

彼岸花が咲いていました。こういう群れが幾つも@三鷹市玉川上水

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